浄妙寺 (千葉県多古町)

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浄妙寺
所在地 千葉県香取郡多古町北中2214
位置 北緯35度44分48秒 東経140度29分27秒 / 北緯35.74667度 東経140.49083度 / 35.74667; 140.49083座標: 北緯35度44分48秒 東経140度29分27秒 / 北緯35.74667度 東経140.49083度 / 35.74667; 140.49083
山号 法性山
宗派 律宗真言宗日蓮宗
本尊 釈迦如来
創建年 伝・天平宝字年間(757年 - 765年)
開山 伝・ 鑑真
正式名 法性山浄妙寺
別称 東耀寺
法人番号 5040005012057 ウィキデータを編集
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浄妙寺(じょうみょうじ)は、千葉県香取郡多古町にある日蓮宗の寺院。山号は法性山、本尊は釈迦如来。旧本山は、大本山法華経寺親師法縁

概要[編集]

天平宝字年間(757年 – 765年)に鑑真によって開創され、東耀寺と称し律宗であったと伝わる。その後の治承・寿永の乱の後、当寺のある千田荘千葉氏の拠点所領となり、永仁年間(1293年 – 1298年了整住持の時に当寺は真言宗となったとされ、さらに鎌倉幕府が滅び、法華経寺日祐[1]によって貞和2年(1346年)に日蓮宗に改宗、現号の浄妙寺と改められ中山門流となったとされる。室町時代から戦国時代を経て、天正5年(1577年多古城牛尾胤沖の制礼があり、天正19年(1591年)には徳川家康から朱印地12石の寄進を受けた[2]

山門に掲げられた扁額の「法性山」の文字は、宝鏡寺臨済宗)第22世門跡徳厳理豊禅尼[3]古希寛保2年(1743年)筆のもの。また寺を守護する一対の金剛力士像と仁王門は宝暦12年(1762年)の建立である。

旧末寺[編集]

日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

  • 中道山妙観寺(千葉県香取郡多古町北中)

脚注[編集]

  1. ^ 千田荘を拠点とし南北朝の戦いに際し北朝方に付き千葉氏宗家の家督を従弟の貞胤と争った千葉胤貞猶子
  2. ^ 歴史のさと多古を歩く”. 多古町. 2021年11月24日閲覧。
  3. ^ 徳厳理豊禅尼後西天皇第十一皇女)は寛文12年(1672年)生まれ。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]