習志野市

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ならしのし
習志野市
奏の杜の夜景 モリシア津田沼 千葉工業大学 谷津バラ園 千葉県国際総合水泳場 秋津サッカー場 谷津干潟
Flag of Narashino, Chiba.svg Emblem of Narashino, Chiba.svg
習志野市旗
1975年11月13日制定
習志野市章
1955年8月1日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
団体コード 12216-5
法人番号 6000020122165
面積 20.97km2
総人口 172,998[編集]
推計人口、2018年10月1日)
人口密度 8,250人/km2
隣接自治体 千葉市船橋市八千代市
市の木 アカシア
市の花 アジサイ
習志野市役所
市長 宮本泰介
所在地 275-8601
千葉県習志野市鷺沼2丁目1番1号
外部リンク 公式ウェブサイト

習志野市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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習志野市(ならしのし)は、千葉県北西部の葛南地域に位置する人口約17.2万人の。千葉県内では第9位の人口規模である。

明治時代には軍都として栄え、津田沼駅周辺は古くから津田沼戦争[注 1]と呼ばれるほど店舗や学習塾同士での競争激化が相次ぐ関東有数の繁華街文教都市[1][2]となっている。

地理[編集]

千葉県北西部に位置し、東は県庁所在地である千葉市、西は船橋市、北は八千代市に接し、南は東京湾奥部の千葉港第5区に面しており、下総台地の端に位置する。海岸部から内陸部にかけて高低差が大きい。東京湾沿いには広大な遠浅の海岸を埋め立てた住宅地や商工業地が広がるなか、1ヶ所だけ埋め立てられないで残ったラムサール条約登録地谷津干潟があり、干潟を必要とする渡り鳥の重要な中継飛来地となっている。

東京都都心から約20-30キロメートル圏内に位置し、都市雇用圏における東京都市圏東京都区部千葉市)のベッドタウンとしての性質が強く、高層マンション住宅街が林立している。通勤率は、東京都特別区部へ32.7%・船橋市へ11.7%・千葉市へ10.5%(いずれも平成22年国勢調査)。

習志野自動車検査登録事務所(習志野ナンバー)は、千葉県船橋市習志野台八丁目57-1に所在しているが、習志野市に所在していると混同されることが多い。

隣接している自治体・行政区[編集]

現在
旧津田沼町時代

歴史[編集]

原始・古代・中世[編集]

鷺沼古墳群A号墳

千葉市加曽利貝塚などにも見られるように千葉県の東京湾岸には多くの縄文時代遺跡が存在する。習志野市周辺にも藤崎堀込貝塚などの当時の遺跡が多数確認されている。市内には鷺沼古墳群があり、鷺沼地区には有力な豪族がいたことが分かる。律令制下で下総国に属し、古東海道の浮嶋駅を習志野市内に比定する説もあるが詳しくは不明である。治承4年(1180年)、吾妻鏡には、石橋山の戦いに敗れ安房国に上陸した源頼朝が、軍勢を連れて北上して鎌倉に向かったときに陣を置いた館(やかた)の場所として、「鷺沼御旅館」の名前が見られる。現在、市役所がある鷺沼地区の八剱台や、八剣神社周辺、また、暗渠となっている菊田川の左岸が下総台地に迫る位置の大堀込が、中世の武士の城館である鷺沼城跡の候補地となっている。

近世[編集]

中世までは葛飾郡とされることもあったが、江戸時代初期に現市域内に分布した谷津、久々田、鷺沼、藤崎、実籾などの村々は千葉郡に属し、ほとんどが幕府領または旗本領となっていた。また、大久保新田が関西(おもに大阪府羽曳野市)からの移住者によって開発された。当時の資料には海岸部に谷津村や久々田村・鷺沼村などの地名が見られ、内陸の実籾村の北部には幕府によって小金牧が置かれた。藤崎村・大久保新田・実籾村には東金御成街道が通り、藤崎の名はその地を通った徳川家康が「藤咲」と名付けたと伝えられる。後に同地にある子安神社の祭神コノハナサク(咲)ヤヒメの名を憚って「咲」を「崎」に変えたという。また、屋敷台新田が馬加村(後に幕張)の一部となっていた。この海岸部の村々と内陸の台地の村々の二つの地域が、その後の習志野市の地理的な二大要素、すなわち後述の「津田沼」と「習志野原」を構成するようになるのである。

東京湾沿岸には海岸近くにまで下総台地が迫り、そこに三本の谷(谷津田)が刻まれている。ここに開けた水田の回りに開けた集落が最も西に位置する谷津、中央の久々田とその上流に位置する藤崎、東の鷺沼であった。

明治-昭和[編集]

1888年(明治21年)、町村制施行により、谷津、久々田、鷺沼、藤崎、大久保新田(後の大久保)の5村が合併して、人口約4,500人の千葉郡津田沼村が誕生した。「津田沼」の名は、谷津の津、菊田(久々田)の田、鷺沼の沼を合わせたものである。一方、実籾村は馬加村などと合併して幕張村となった。1895年(明治28年)、前年開通した総武鉄道津田沼駅が出来る。1903年(明治36年)には津田沼村が町制を敷き、人口約6,000人の津田沼町となった。

1873年(明治6年)、小金牧大和田原(現・千葉県船橋市習志野台から高根台周辺)で明治天皇御覧の下で陸軍による演習が行われた。後に明治天皇によって、その地は「習志野原」と命名され、陸軍の演習場となった。なお、演習場の敷地は、その後、拡張され、現在習志野市八千代市の一部の広大なものとなった。※一説には篠原国幹少将による指揮に感銘し、そのときの天皇の発言(「篠原を見習え」>習え篠原>習志野原)がもととなったという。後に陸軍によって買収され習志野演習場となった。

陸軍習志野練兵場には日露戦争の時に捕虜の収容施設が作られ、ロシアの捕虜 [1] が、また、第一次世界大戦の時には、ドイツオーストリア=ハンガリーの捕虜 [2] が収容された。大久保には、第十三・十四・十五・十六の4つの騎兵連隊陸軍衛戍病院(現在の千葉県済生会習志野病院)がおかれ、第1第2の2つの騎兵旅団が編成された。昭和に入り騎兵連隊が中国大陸へと進駐すると、後には陸軍習志野学校や戦車第2連隊が置かれるようになった。また、近隣の藤崎に騎砲兵第2連隊が、実籾には東西の高津廠舎と糧秣廠倉庫が置かれた。津田沼には鉄道第二連隊が置かれ、松戸から津田沼までに演習で路線が引かれ、それが現在の新京成電鉄となった。

こうして津田沼町の一帯も含む広い地域が「軍郷」とよばれ、軍隊の街「習志野」が成立した。近年では日本全国の日本陸軍軍用跡地で旧帝国陸軍地毒ガス埋設問題が浮上し、関連施設の安全性調査を実施している[3](別項陸軍習志野学校習志野演習場を参照)。

太平洋戦争後[編集]

鉄道連隊材料廠舎・鉄道第2連隊営舎
旧陸軍 鉄道第二連隊表門(登録有形文化財 第12-0007号)

津田沼町周辺は軍郷・習志野の一部として1901年(明治34年)に設置された騎兵第1旅団(現日本大学東邦大学)、騎兵第2旅団(現東邦大学付属東邦中学校・高等学校など)をはじめ、津田沼駅前に鉄道第二連隊(現千葉工業大学)などの軍関係施設が点在していた。

戦後、軍施設は民用施設に転換され、住宅地となったり、教育施設、病院、工場として利用された。千葉工業大学津田沼キャンパスには、鉄道第二連隊の表門が残されている。北東部の「習志野原」と呼ばれる旧陸軍演習場の敷地の大部分は、外地からの引揚者などの手による開墾地となった。(「平林巌と習志野原の開拓」を参考)

1954年(昭和29年)8月1日 津田沼町が習志野町に名称変更、同日千葉市の一部(旧幕張町北部)を編入合併、同日市制施行により習志野市が成立した。習志野演習場の自衛隊施設に転用された部分を含む旧二宮町船橋市に編入された(この部分、「習志野市の成立」を参照)。市制が布かれて以降、「津田沼」の地名は旧久々田村の地域を指す地名として残された。総武線は乗客数増加に対応し東京-津田沼間で複々線化し、快速運転を開始するようになった。また、津田沼駅周辺に大型店舗が乱立するようになった。津田沼戦争を参照のこと)。

沖合いに広がる遠浅の海岸は、戦後、伝統的な潮干狩りに加えて海苔養殖で繁栄したが、1960年代千葉県企業庁がこれを埋め立て、日本住宅公団袖ヶ浦団地を造成した。また、1970年代の第二次の埋め立てでは秋津、香澄の住宅公団の団地や分譲住宅地の他、芝園・茜浜などに工業地が作られ、東関東自動車道水戸線の建設の際には緑地が作られた。このとき旧大蔵省管轄の土地が池状に埋め立てられずに残され、東京湾と二本の水路でつながった干潟谷津干潟と呼ばれ、船橋沖に広がる三番瀬と並ぶ野鳥の飛来地として保護され、ラムサール条約登録地となった。

東日本大震災の影響により市役所本庁舎の耐震強度が低下したことから、道路を挟んだ北側の場所に本庁舎を移転して建て替えすることになり、2012年10月1日からは別棟の市民課を除き本庁舎内の各課を市役所周辺の施設に移転させた上、習志野市津田沼5丁目(京成津田沼駅前)の以前ホテルが入っていた建物も仮庁舎として使用した。新しい本庁舎は2017年4月30日に竣工し、5月8日より新庁舎での業務を開始している[4]

沿革[編集]

旧・習志野市役所(建て替え前)

町村制の施行以来、一度も他の市町村全域との廃置分合を行っていない。千葉県内では他に鎌ケ谷市富里市酒々井町がある。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により谷津村、久々田村(現津田沼)、鷺沼村、藤崎村、大久保新田の区域を以って千葉郡津田沼村が発足。
  • 1903年(明治36年)3月3日6月3日) - 町制を施行し津田沼町となる。
  • 1954年(昭和29年)
    • 8月1日 - 津田沼町が千葉市の一部(旧幕張町北部:実籾、愛宕、安生津、長作、天戸)を編入して改称、市制を施行し習志野市となる。
    • 8月28日 - 一部の地域(旧幕張町北部:天戸、長作の字開有富、字享保の一部を除く大部分)を千葉市に編入。
    • 大字久々田が改称して津田沼となる。
  • 1955年(昭和30年)9月30日 - 船橋市習志野町の一部(現東習志野)を編入。
  • 1957年(昭和32年)12月1日 - 千葉市幕張町2丁目の一部(現花咲)、長作町の一部(現実籾)を編入。
  • 1965年(昭和40年)9月1日 - 千葉市長作町の一部(現実籾)を編入。
  • 1966年(昭和41年)12月27日 - 公有水面埋立地(現袖ヶ浦)を編入。
  • 1967年(昭和42年)3月1日 - 東習志野町字新生の一部を千葉市に編入(現長作町)。千葉市幕張町2丁目の一部(現花咲)を編入。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月1日 - 千葉市幕張町2丁目の一部(現屋敷、花咲)、長作町の一部(現実籾)を編入。
    • 10月1日 - 東習志野町字新生の一部を千葉市に編入(現長作町)。
  • 1970年(昭和45年)5月1日 - 千葉市幕張町2丁目の一部(現屋敷、花咲)を編入。
  • 1971年(昭和46年)5月1日 - 屋敷町の一部を千葉市に編入(現幕張町)。千葉市幕張町2丁目の一部(現花咲、本大久保、花咲)、長作町の一部(現実籾、実籾本郷)を編入。
  • 1977年(昭和52年)12月15日 - 公有水面埋立地(現香澄、秋津、茜浜、芝園)を編入。
  • 1980年(昭和55年)8月5日 - 公有水面埋立地(現芝園)を編入。
  • 1981年(昭和56年)5月1日 - 谷津7丁目の一部を船橋市に編入(現前原西)。
  • 1989年(平成元年)2月17日 - 公有水面埋立地(現香澄)を編入。
  • 1992年(平成4年)3月3日 - 公有水面埋立地(現袖ヶ浦)を編入。現在の市域となる。

人口[編集]

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、2.05%増の167,909人であり、増減率は県下54市町村中8位、60行政区域中10位。

Demography12216.svg
習志野市と全国の年齢別人口分布(2005年) 習志野市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 習志野市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
習志野市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

歴代首長[編集]

津田沼村長
  • 初代 伊藤弥一(谷津):1889年(明治22年)5月 - 1893年(明治26年)4月
  • 2代 三橋茂兵衛(久々田):1893年(明治26年)5月 - 1894年(明治27年)4月
  • 3代 村山吉兵衛(鷺沼):1894年(明治27年)4月 - 1895年(明治28年)6月
  • 4代 伊藤弥一(谷津):1895年(明治28年)7月
  • 5代 三橋茂兵衛(久々田):1895年(明治28年)9月 - 1897年(明治30年)4月
  • 6代 植草十右衛門(久々田):1897年(明治30年)12月 - 1901年(明治34年)12月
  • 7代 笠川徳脩(その他):1902年(明治35年)5月 - 1903年(明治36年)3月 大和田町(現・八千代市出身)
津田沼町長
  • 初代 笠川徳脩(その他):1903年(明治36年)3月 - 1904年(明治37年)7月
  • 2代 中島左内(久々田):1905年(明治38年)3月 - 1908年(明治41年)10月
  • 3代 田久保節造(藤崎):1909年(明治42年)2月 - 1911年(明治44年)8月
  • 4代 中島左内(久々田):1911年(明治44年)9月 - 1929年(昭和4年)10月
  • 5代 田久保清次(藤崎):1929年(昭和4年)11月 - 1931年(昭和6年)1月
  • 6代 吉野信(久々田):1931年(昭和6年)1月 - 1946年(昭和21年)11月
  • 7代 白鳥義三郎(久々田):1947年(昭和22年)4月 - 1954年(昭和29年)8月
習志野市長
  • 初代 白鳥義三郎:1954年(昭和29年)-1963年(昭和38年)
  • 2代 大塚軍記:1963年(昭和38年)-1967年(昭和42年)
  • 3代 吉野孝 :1967年(昭和42年)-1983年(昭和58年)
  • 4代 三上文一:1983年(昭和58年)4月-1991年(平成3年)4月
  • 5代 荒木勇:1991年(平成3年)4月-2011年(平成23年)4月
  • 6代 宮本泰介:2011年(平成23年)4月-(現職)

立法[編集]

市議会[編集]

  • 定数:30名
  • 任期:2015年(平成27年)5月1日~2019年(平成31年)4月30日
  • 議長:田中真太郎(元気な習志野をつくる会)
  • 副議長:荒木和幸(真政会)
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
真政会 5 ◎佐々木秀一、宮本博之、荒木和幸、鮎川由美、伊藤寛
公明党 5 ◎小川利枝子、木村孝浩、清水晴一、布施孝一、真船和子
元気な習志野をつくる会 4 ◎帯包文雄、田中真太郎、加瀬敏男、関根洋幸
輝く習志野をつくる会 4 ◎関桂次、相原和幸、飯生喜正、清水大輔
日本共産党 3 ◎谷岡隆、荒原ちえみ、入沢俊行
民意と歩む会 3 ◎木村孝、佐野正人、立崎誠一
環境みらい 3 ◎央重則、市角雄幸、中山恭順
新社会党無所属の会 2 ◎宮内一夫、藤崎ちさこ
都市政策研究会 1 平川博文

千葉県議会(習志野市選挙区)[編集]

千葉県議会習志野市選挙区の定数および現職議員の氏名、任期などを以下に示す。

  • 定数:2名
  • 任期:2015年(平成27年)4月30日~2019年(平成31年)4月29日
氏名 会派名 当選回数
佐藤 正己 自由民主党千葉県議会議員会 5
鈴木 均 立憲民主党千葉県議会議員会 1

経済[編集]

農業[編集]

住宅化が進み、農地は減って来ているが、近郊農業は行われている。主な産物はニンジンネギなどで、菊田川・浜田川上流域において水田が僅かに存在する。

工業[編集]

東習志野にいくつか大きな工場がある。千葉港から広がる京葉工業地域には、重化学工業が発達している。

習志野市は当初、内陸部・東習志野の旧陸軍習志野演習場を解放した開拓地を、農地法による売買制限解除前に買い上げ、工業団地を造成して日立製作所などの大工場を誘致した。沿岸部では第二次埋立の行われた1970年代に公害が大きな社会問題となったこともあって大工場の誘致は行わず、埋め立て完了後、茜浜に中小工場による工業団地を造成した。

また、鷺沼で天然ガスの採掘が行われていたが、現在は休止中である。

商業[編集]

習志野の陸軍施設の玄関口として総武線津田沼駅北口には戦前から駅前商店街が形成されたが、それらの多くは船橋市(旧二宮町)に属する。津田沼駅北口・南口の再開発事業によって大型商業施設が集積する1970年代後半までは京成電鉄谷津遊園(現・谷津)・京成津田沼京成大久保実籾の各駅周辺に駅前商店街が形成される以外に目立った商業施設は無かった。その中で谷津遊園に続く谷津遊園駅南口と、大久保の陸軍施設(戦後は国立病院および大学)に続く京成大久保駅北口の商店街は早くから発展し、市内で最も賑わう繁華街であった。

1970年代後半、千葉県立千葉工業高等学校と習志野第一中学校といった駅周辺に大きな面積を占めていた学校施設の移転後に再開発事業の行われた津田沼駅周辺では、隣接する船橋市域に跨って長崎屋パルコイトーヨーカドー丸井(以上北口)、高島屋ダイエー(以上南口)などの大型店が相次いで進出し、新京成電鉄沿線の船橋市東部も含めた膨大な居住人口を背景に津田沼戦争と呼ばれる激しい競争が展開した。これらの大型店のうち長崎屋、高島屋は1980年代に、ダイエーが2005年(平成17年)末に、丸井が2007年(平成19年)に撤退しているが、2003年(平成15年)10月4日イオン株式会社がイオン津田沼ショッピングセンター(現・イオンモール津田沼)をオープン、2007年(平成19年)11月9日ファーストリテイリングユニクロを核店舗としたミーナ津田沼を丸井撤退後の店舗にオープンさせ、更に2008年(平成20年)にはダイエー撤退後の津田沼サンペデックビルがモリシア津田沼と名称を変え(後々ダイエーは戻ってきた)、ヤマダ電機LABI津田沼店とイオンモリシア津田沼店ほか多数テナントをオープンさせた。また、奏の杜地区の再開発が行われ、奏の杜フォルテなど大型店舗が新たにオープンしている。

2000年代に入って、造成の遅れていた京葉線新習志野駅南側に郊外型大型商業施設が進出した。これに対してかつては団地住民の日常の買い物で賑わった袖ヶ浦団地内のショッピングセンターは、苦戦を強いられながらも比較的健闘していたが秋津団地のショッピングセンターは撤退に至り、跡地はマンションセブン-イレブンになった。

姉妹・提携都市[編集]

地域[編集]

教育[編集]

学習塾業界を物語とした長編小説みかづき[注 2]の舞台となっており、激戦区や学生街を有する[1][2]

旧軍隊施設跡地に誘致された東邦大学(ただし東邦大学は船橋市内に位置する)や日本大学生産工学部千葉工業大学のキャンパスが大久保や津田沼、さらに埋立地の芝園にあり、学生の数が多い。京成大久保駅周辺は学生街を形成している。

市立習志野高校高校野球や吹奏楽部、サッカー等で活躍し、全国的に有名であり、千葉県立津田沼高等学校には音楽コースが設けられている。

幼稚園[編集]

小学校[編集]

中学校[編集]

高等学校[編集]

専門学校[編集]

大学[編集]

東邦大学習志野キャンパスは船橋市

過去に所在した大学関係施設[編集]

スポーツ施設[編集]

住宅団地[編集]

  • 香澄団地
  • 秋津住宅公団海浜団地
  • 袖ヶ浦団地
  • 谷津パークタウン
  • 大久保団地(本大久保、賃貸224 1957年(昭和32年))
  • 谷津遊園ハイツ
  • 海浜谷津団地

交通[編集]

津田沼駅(JR東日本)
津田沼駅(JR東日本)
京成津田沼駅(京成電鉄・新京成電鉄)
京成津田沼駅(京成電鉄・新京成電鉄)
新津田沼駅(新京成電鉄)
新津田沼駅(新京成電鉄)

鉄道[編集]

東日本旅客鉄道(JR東日本)
京成電鉄
新京成電鉄

※市役所の最寄り駅は、京成津田沼駅だが、JTB時刻表には、津田沼駅が中心と記載されている。

廃止された路線

京成電気軌道
旧陸軍軍用路線
  • 鉄道第2連隊練習路線
    • 千葉 - 津田沼 - 習志野原

路線バス[編集]

高速バス[編集]

深夜急行バス[編集]

道路[編集]

高速道路

一般国道

その他

港湾[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

旧鴇田家住宅
旧鴇田家住宅
菊田神社
菊田神社

名所・旧跡[編集]

過去に存在した主な軍事施設

国の登録有形文化財[編集]

  • 千葉工業大学通用門(旧鉄道第2連隊正門)(津田沼)
  • 廣瀬家住宅 主屋など(津田沼)

主な神社[編集]

主な寺院[編集]

  • 東福寺(谷津)
  • 西光寺(谷津)
  • 東漸寺(津田沼
  • 慈眼寺(鷺沼)
  • 正福寺(藤崎)
  • 無量寺(実籾)
  • 薬師寺(大久保)
  • 照光寺 (習志野市)

祭事・催事[編集]

著名な出身者[編集]

習志野市を舞台とする作品[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 特に昭和53年(1978年)を中心に新聞・雑誌に「津田沼戦争」「戦場にかける橋」(総武線上をかけただけでなく、当地にあった鉄道連隊もかけたと見られている) 、「津田沼も戦国時代」という見出しが現れた。 東武百貨店著『グッドデパートメント東武百貨店30年の歩み』船橋東武小史・P.177「激戦地、船橋・津田沼」より
  2. ^ NHK総合テレビ土曜ドラマ

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

行政
観光