福浦和也

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福浦 和也
千葉ロッテマリーンズ #9
2011marines fukuura.jpg
QVCマリンフィールドにて(2011年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 (1975-12-14) 1975年12月14日(41歳)
身長
体重
183 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1993年 ドラフト7位
初出場 1997年7月5日
年俸 3,500万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する千葉県習志野市出身のプロ野球選手内野手)。左投左打。背番号は9。「幕張の安打製造機」の異名を持つ[2]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

少年時代は習志野市の野球チーム「あずまクラブ」に所属[3]習志野市立第二中学校では入学と同時にバスケ部に入部するが、半年で野球部へ転部する[4]。1年後にはエースとなり、3年春に市内大会で優勝を果たす[4]。中学時代に同郷の井上貴朗と投げ合ったこともある[4]

習志野市立習志野高等学校ではエースで4番として活躍。2年夏(1992年)の県大会ではベスト8に進出するが[4]、準々決勝で立川隆史を擁する拓大紅陵に敗退。秋季関東大会県予選の準々決勝では、暁星国際高に8回コールド負け。3年春(1993年)には練習試合でノーヒットノーランを達成している[4]。夏の県大会では3回戦で野田北高に敗退。なお、習志野高校のチャンステーマ「レッツゴー習志野」は、現在も福浦の打席で応援歌として使われる事があり、自身も「思い入れがあり、力になる」と述べている[2]

1993年のドラフトで地元球団・千葉ロッテマリーンズに投手として7位指名され入団。この年はドラフト会議における逆指名元年で、同時に始まったフリーエージェントも相俟って各球団指名選手数を絞る中、唯一ロッテは7人目を指名し、このドラフト会議での最終指名者となった。支配下登録選手枠70名の最後という扱いで背番号は70に決まった[2]

プロ入り後[編集]

1994年 - 1996年
入団してすぐに肩の故障に悩まされ、投球練習がほとんどできない状態に陥る。当時二軍打撃コーチだった山本功児から呼び出され、同期の小野晋吾と共にフリーバッティングを指示されたところ、快打を連発して打者への転向を打診される。しばらくは投手へのこだわりから固辞するが、山本からの必死の説得で7月に転向を決める[2]。その後は、同期の大塚明と連日の特守で鍛えられながらも、1軍出場がないまま3年間をファームで過ごす[2]。ファームでの成績は、1年目の1994年は7試合で打率.125、0本塁打、2年目の1995年は76試合で打率.263、5本塁打と飛躍し、ジュニアオールスターに出場。また、8月のイースタン月間MVPを受賞する[5]。3年目の1996年は54試合で打率.235、0本塁打の成績を残した[6]
1997年
7月5日に初の一軍昇格。その日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で7番一塁手でスタメン出場し、プロ入り初安打を記録。同月15日の対日本ハムファイターズ戦ではサヨナラ打、8月1日の対西武ライオンズ戦では初本塁打を放つなど活躍し、3番一塁手のレギュラーに定着[7]。67試合に出場して打率.289の成績を残した。
1998年
背番号を9に改め、開幕からレギュラーとして129試合に出場。初の規定打席にも到達し、打率.284の成績で打撃ランキング12位を記録。7月10日の対日本ハムファイターズ戦ではプロ初のサヨナラ本塁打を放っている。
1999年
フランク・ボーリック初芝清などにポジションを譲り、スタメンでの出場は前年の半分ほどに減少。シーズン終盤からは外野を守ることが多くなった。
2000年
石井浩郎の加入で外野での出場が前年よりも増加。シーズン中に母親を亡くすという不幸に見舞われるがレギュラーとして定着し、初のオールスターゲーム出場を果たす[2]。シーズン成績はギリギリ3割に届かず、打率.296で終えたことを反省し、ワンプレーを大切にすることを強く意識するようになる[8][2]
2001年
腰痛で欠場することもあったが、一塁手のレギュラーに復帰。小笠原道大との最終戦にまでもつれる争いを制し、打率.346で首位打者を獲得し[9]、初の二桁本塁打となる18本塁打を放った。なお、2012年の阿部慎之助が達成するまで、日本プロ野球史上唯一のシーズン盗塁0での首位打者であった。オフの契約更改で、1億円プレーヤーとなる。
2002年
リーグ最多の17死球を喫するが、2年連続で打率3割を記録[10]。2ストライク後の打率.272はリーグトップであった[11]
2003年
初の全試合出場を達成し、自己最多の172安打、21本塁打、76打点で3年連続の3割を記録。また、歴代2位の50二塁打、史上初の2年連続40二塁打[12]、シーズン2度の1試合5安打を達成[13]。なお、シーズン172安打は2010年に西岡剛に更新されるまで、球団3位の記録であった[14]。守備面では3年ぶりに外野を守る機会もあったが、一塁手部門で初のゴールデングラブ賞を獲得した。
2004年
前年韓国で56本塁打を記録した一塁手の李承燁が入団したが、この年も打率.314(リーグ9位)、11本塁打の成績で一塁のレギュラーを守った[15]。両リーグ最多の42二塁打、史上初の3年連続40二塁打[12]、8月20日の対福岡ダイエーホークス戦では通算1000本安打を達成。また、2度目となるオールスターゲームと、シーズンオフに開催された日米野球にも出場した。
2005年
初優勝を経験した同年は故障もありやや低調なシーズンだったが、終盤の追い込みで5年連続の打率3割と3年連続の70打点を達成。犠飛はリーグトップの9本を記録した。また、5月12日の対阪神タイガース戦では通算1000試合出場を達成している。ボビー・バレンタイン監督による日替わりのマリンガン打線において、唯一福浦だけが1年間「3番」に固定されるなど、チームの31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献[2]阪神タイガースとの日本シリーズ第3戦では桟原将司から満塁本塁打を放った。なお、優勝したアジアシリーズでは腰痛のため選手登録はされなかった。3度目のオールスターゲーム出場と2度目のゴールデングラブ賞受賞を果たす。
2006年
3・4月度の成績がリーグトップの43安打、打率.422と好調で初の月間MVPを受賞。入団13年目での初受賞は、リーグ史上2番目に遅い記録であった[16]。7月に死球により左手を骨折し、約1か月間の戦線離脱もあったが、6年連続の打率3割を達成。成績は打率.312(リーグ5位)、4本塁打[17]。なお、前述の理由により出場が決まっていたオールスターゲームは辞退。シーズンオフの日米野球には2大会連続の出場となった。同年、FA権を取得。
2007年
開幕直後に右脇腹痛で1ヶ月の離脱。復帰後は5月まで打率3割を維持していたが、怪我の影響で打率を徐々に落とし、打率.258、本塁打4という一軍での自己最低の成績に終わり、規定打席には1打席足りず届かなかった。前年まで左投手に対して3割近く打っていたが、この年は打率.181に終わった。一方、得点圏打率は.339の成績を残し、打点は前年より多い57を記録。8月3日の対日本ハムファイターズ戦では、史上46人目の通算300二塁打を達成する。また、守備で見せる動きは健在で、自身3度目のゴールデングラブ賞を獲得。オフには複数年契約が切れ、メジャー挑戦も視野に入れたFA宣言も噂されたが、宣言せずに残留した[18]
2008年
腰痛や首痛などの故障に苦しみ[19]、前年以上に成績を落とす。スタメン出場も減少し、指名打者や代打での出場が多くなった。8年続いていたシーズン100安打も途切れ、二塁打が9本と長打率も大きく減少。一方で、打率.252ながら前年より四球が増加し、出塁率は.352の成績を残した。
2009年
シーズン当初はここ数年と同様に低調で、打率は2割台前半、得点圏打率は1割台、長打率も2割台後半に沈み、打順は主に2番や8番で堀幸一ゲイリー・バーナム・ジュニアと併用されていた。しかし、8月から徐々に調子を上げ、8月と9月の2ヶ月間で49安打、打率.363と勝負強さと長打力を取り戻してシーズン終盤には再び3番に定着。3割には届かなかったものの2年ぶりに100安打、3年ぶりに規定打席に到達した。また、5月2日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、史上99人目、球団史上10人目の1500本安打[20]、8月19日の対オリックス・バファローズ戦では1500試合出場を達成。
2010年
慢性的な腰痛や、金泰均の加入などを考慮して指名打者に転向する[21]。ここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は里崎智也サブローの離脱や大松尚逸の不振から6番や5番を打つことも多くなり、9月8日の対オリックス・バファローズ戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率.295を記録し、ここ数年減少していた本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録。3月22日の対埼玉西武ライオンズ戦では通算100号本塁打を達成。史上258人目だが、1539試合での到達は6番目に遅い記録であった[22]。また、代打率.364と代打の切り札としても結果を残した。クライマックスシリーズファーストステージの対埼玉西武ライオンズ戦では、延長11回に土肥義弘から勝ち越しソロ本塁打を放ち、勝利に貢献。チームはファイナルステージも突破し、日本シリーズでも中日ドラゴンズを破り、シーズン3位から5年ぶりの日本一を達成。1年を通した活躍で、指名打者部門で初のベストナインを受賞した。
5月13日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)にて6回表一死満塁の場面で代打出場し、真田裕貴から、ライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファウルを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され「代打逆転満塁ビデオ判定弾」となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初の事例である[23]
2011年
開幕戦で3点本塁打を放つ活躍などで、シーズン序盤は4番を任されるものの不振に陥る。6月は月間打率.346と持ち直したが、7月から9月は1割台と再び低迷。8月以降はスタメンを外れることが多くなり規定打席は未到達。最終的に80安打で打率.223、本塁打3、打点43と一軍での自己最低の成績であり、三振72と例年より三振率の高いシーズンでもあった。なお、4月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で史上30人目の通算350二塁打を達成。1654試合での達成は歴代3位のスピード記録である[24]
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
2012年
春先はスタメン出場も多く、4試合連続打点の活躍で一時はチームトップの打点を稼いでいたが[25]、交流戦以後は試合終盤における代打での出場が多くなり、45安打で打率.250、本塁打数は一軍に定着してから初めて0に終わる。一方、代打では5打席連続安打を記録するなど勝負強い打撃見せ、7月18日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で代打サヨナラ犠飛、8月19日の同対戦では9回裏に代打で同点打を放つなど、この年の代打成績は打率.424、打点8の成績を残した。
2013年
2年ぶりに4番に入るなど、シーズン序盤は一塁手でスタメン出場することもあったが、井口資仁一塁へのコンバートや、G.G.佐藤クレイグ・ブラゼルの加入により、前年を下回る78試合の出場にとどまった。本塁打は0本、打率・打点も前年を下回ったが、9月は月間打率.429と好調で、9月30日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、球団最多11度目のサヨナラ打となる犠飛を放ち試合を決めた[26]。また、8月2日の対オリックス・バファローズ戦で放った安打で通算1828安打となり、堀幸一の安打数を抜いて球団歴代3位となった[27]
2014年
1997年以来、17年ぶりに開幕を二軍で迎えた。6月に一軍登録されると、自己最多となる4打席連続適時打を放つなど[28]、7月は打率.371と好調を維持。8月以降は低迷し、出場試合数および安打数はそれぞれ43試合、26安打と自己最少であったが、打率.283、代打率.474の成績を残した。9月9日の対埼玉西武ライオンズ戦では延長11回に代打サヨナラ二塁打を放ち試合を決める。自身の持つ球団最多記録を更新する通算12本目のサヨナラ打であり、リーグの通算記録では4位タイとなる[29]
2015年
シーズン初スタメンだった4月9日の対オリックス・バファローズ戦で5年ぶりとなる1試合2本塁打を放つが[30]、4月下旬から尿管結石のため一時登録を抹消される。5月に復帰後はスタメン出場もしばしばあり、最終的に73試合に出場で47安打、打率.272の成績を残した。6月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、史上48人目、球団記録では4人目の通算2000試合出場を達成した[31]。また、クライマックスシリーズファーストステージの対北海道日本ハムファイターズ戦では、スタメン出場した2試合で7打数4安打の成績を残すが、ファイナルステージでは無安打に終わった。
2016年
春季キャンプで左足首を痛めた影響で一軍昇格は7月13日と出遅れるが、その日の対福岡ソフトバンクホークス戦での出場で、本拠地QVCマリンフィールドでの通算1000試合出場となった[32]。その後は、8月19日に左背筋痛で一時登録を抹消されるなどして、一軍では自己最少となる36試合の出場で、20安打、7打点に終わる。
2017年
2年連続開幕一軍からは外れたものの,4月12日に一軍昇格。一塁手を務めた選手の不振や負傷離脱などもあり,前年21試合のみだった一塁手としての出場が9月28日現在31試合と増加している。7月29日埼玉西武ライオンズ15回戦(ZOZOマリンスタジアム)で多和田真三郎投手より右前安打を放ち,通算1950安打を達成。9月12日には2018年シーズンも現役続行することが確実になり,球団幹部より通算2000安打達成にむけて後押しする方針が明言された[33]

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

安定した縦軌道のスイングから広角にライナーではじき返す打撃が特徴[34][35]。ボールを捉える技術に長けており[36]、元監督の山本功児からは、バッティングに関しては天才的なセンスの持ち主で、バットコントロールは天性のものだと評された[2]。苦手にしていた左投手の外寄りの球を、2001年に打率.408と克服したことが飛躍の要因の一つとなり[36]、同年から6年連続で3割以上の成績を残した。

打席においては左のお尻に力を入れることを意識しながら左脇を開け、打つポイントを体の近くに置くことでギリギリまでボールを見極めてスイングをする[36]。かつては「振り子打法」で注目されたこともあったが、腰痛や年齢的な衰えなどからフォームは見直されていった[37][38]。また、調子のバロメーターの一つとしてファウルボールの方向をあげており、レフト方向へライナー性のファウルが打てる時は調子が良く、バックネット方向へファウルが飛ぶ時はタイミングが合っていないという感覚を持っている[37][39]

守備・走塁[編集]

一塁の守備は柔らかいグラブさばきと正確なスローイングに定評がある[34]。股関節の柔らかさを生かし[36]、難しいワンバウンドの送球も容易に捕球する上手さがあり[2]今江敏晃は「福浦さんがいなかったらチームの失策は倍に増えている」と語っている[36]UZRで使用するゾーンデータを基にした「一塁線に強い一塁手のランキング」で1位、「一二塁間に強い一塁手ランキング」でも2位にあがるなど、ポジショニングの良さや守備範囲の広さが窺える[40]。また、過去に外野を務めていたこともあったが、故障の影響で肩には自信がなかったという[36]

均整のとれた体格から足が速そうに見られることがあるが[34]、一塁到達4.77秒[35]と鈍足である[41]。通算盗塁数も少なく、走塁に対する意欲は高くない[34]

人物[編集]

愛称は「はっちゃく」で本人のブログでも使われている。また「はっちゃく」という地酒も発売されている。

家族は夫人と2男。なお息子の名前の一部に彼の才能を見出した山本功児元監督にあやかって「功」の字が使われている。

2013年9月9日には代打で勝ち越しタイムリーヒットを、2014年9月9日には代打でサヨナラヒットを放っている。2014年には自身の背番号にちなみ「9月9日だから打たせてくれたのかな」とコメントを残している[42]

プロチーム在籍年数は2017年現在24年。フランチャイズ・プレイヤーとしても12球団中で最長である。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1997 ロッテ 67 242 218 27 63 8 1 6 91 23 0 1 1 1 19 2 3 36 5 .289 .353 .417 .770
1998 129 526 465 61 132 32 3 3 179 57 1 2 0 6 51 3 4 78 10 .284 .356 .385 .740
1999 114 284 256 21 71 15 1 3 97 35 0 0 0 3 21 1 4 38 5 .277 .338 .379 .717
2000 131 494 446 58 132 21 4 7 182 56 1 1 6 4 34 2 4 59 15 .296 .348 .408 .756
2001 120 519 451 82 156 30 4 18 248 67 0 2 2 3 58 3 5 74 10 .346 .424 .550 .973
2002 135 565 493 48 148 40 0 9 215 66 2 1 0 3 52 3 17 73 10 .300 .384 .436 .820
2003 140 623 567 75 172 50 1 21 287 76 2 3 1 5 48 6 2 89 22 .303 .357 .506 .863
2004 128 569 506 67 159 42 1 11 236 73 2 1 2 4 47 0 10 82 8 .314 .381 .466 .847
2005 114 491 434 54 130 25 1 6 175 72 0 2 0 9 39 0 9 55 5 .300 .363 .403 .766
2006 114 484 436 43 136 20 1 4 170 52 0 3 3 7 33 5 5 52 11 .312 .362 .390 .752
2007 110 445 395 41 102 20 1 4 136 57 0 1 2 6 38 3 4 44 8 .258 .325 .344 .669
2008 105 371 310 39 78 9 0 1 90 44 0 0 1 7 50 2 2 49 10 .252 .352 .290 .643
2009 129 460 396 47 108 18 0 6 144 39 1 0 11 3 46 0 4 65 8 .273 .352 .364 .716
2010 116 359 322 42 95 19 0 13 153 61 0 0 3 3 28 2 3 47 8 .295 .354 .475 .829
2011 116 405 358 22 80 13 0 3 102 43 0 0 1 6 37 3 3 72 11 .223 .297 .285 .582
2012 84 199 180 5 45 3 0 0 48 25 0 0 1 2 15 1 1 27 3 .250 .308 .267 .575
2013 78 169 140 5 32 5 1 0 39 17 0 0 0 2 26 1 1 30 4 .229 .349 .279 .628
2014 43 106 92 4 26 2 0 0 28 15 0 0 0 0 12 1 2 14 1 .283 .377 .304 .682
2015 73 199 173 17 47 3 0 2 56 21 1 0 0 0 20 1 6 34 4 .272 .367 .324 .691
2016 36 90 82 4 20 2 0 0 22 7 0 0 0 0 5 0 3 12 2 .244 .311 .268 .579
2017 70 155 134 6 30 7 0 0 37 18 0 0 0 2 18 0 1 25 4 .224 .276 .316 .592
通算:20年 2152 7755 6854 768 1962 384 19 117 2735 924 10 17 34 76 697 39 93 1055 164 .286 .399 .356 .755
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


一塁 外野
























1997 65 546 30 7 47 .988 -
1998 127 1116 65 6 133 .995 -
1999 74 258 23 5 35 .990 18 20 1 1 0 .955
2000 93 644 43 2 54 .997 58 74 2 4 1 .950
2001 116 1122 59 5 92 .996 -
2002 133 1195 76 6 97 .995 -
2003 135 1328 101 7 109 .995 2 3 0 0 0 1.000
2004 111 1040 65 6 106 .995 -
2005 112 1020 48 7 95 .993 -
2006 112 1019 70 6 80 .995 -
2007 103 902 68 5 73 .995 -
2008 86 642 56 2 58 .997 -
2009 124 869 73 1 74 .999 -
2010 10 75 4 1 7 .988 -
2011 26 233 22 0 18 1.000 -
2012 40 316 31 4 22 .989 -
2013 32 182 19 0 13 1.000 -
2014 18 112 15 0 11 1.000 -
2015 44 282 24 3 16 .990 -
2016 21 113 9 0 10 1.000 -
通算 1581 13014 901 73 1150 .995 78 97 3 5 1 .952
  • 2016年度シーズン終了時

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:2004年8月20日、対福岡ダイエーホークス23回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏に斉藤和巳から中前安打 ※史上225人目
  • 1000試合出場:2005年5月12日、対阪神タイガース3回戦(千葉マリンスタジアム)、3番・一塁手で先発出場 ※史上402人目
  • 300二塁打:2007年8月3日、対北海道日本ハムファイターズ13回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏にブライアン・スウィーニーから左翼線適時二塁打 ※史上46人目
  • 1500本安打:2009年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に水田章雄から左中間へ2点適時二塁打 ※史上99人目
  • 1500試合出場:2009年8月19日、対オリックス・バファローズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・一塁手で先発出場 ※史上166人目
  • 100本塁打:2010年3月22日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、3回表に岸孝之から右中間へ2ラン ※史上258人目
  • 350二塁打:2011年4月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に川岸強から右翼線二塁打 ※史上30人目
  • 2000試合出場:2015年6月15日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回表に藤岡貴裕の代打で出場 ※史上48人目
  • 1000三振:2015年7月13日、対オリックス・バファローズ11回戦(京セラドーム大阪)、8回表に金子千尋から見逃し三振 ※史上60人目
その他の記録

背番号[編集]

  • 70 (1994年 - 1997年)
  • 9 (1998年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ロッテ - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 「最下位指名」ドラフト会議で最後に名前を呼ばれた男の人生-1993年ロッテ7位・福浦和也選手の場合(野球太郎)”. gooニュース (2013年10月23日). 2017年9月15日閲覧。
  3. ^ クラブナイン少年野球教室開催”. 習志野市. 2017年9月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『94スポニチプロ野球手帳』 スポーツニッポン、1994年3月、164頁。
  5. ^ 『96スポニチプロ野球手帳』 スポーツニッポン、1996年2月、111頁。
  6. ^ 『97スポニチプロ野球手帳』 スポーツニッポン、1997年3月、73頁。
  7. ^ 『98スポニチプロ野球手帳』 スポーツニッポン、1998年3月、167頁。
  8. ^ 一日一回野球の話をしようよ 福浦和也。(前編)”. 日刊スポーツ (2009年8月24日). 2017年9月15日閲覧。
  9. ^ 年度別成績 2001年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月6日閲覧。
  10. ^ 年度別成績 2002年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月6日閲覧。
  11. ^ 『2003スポニチプロ野球プレイヤーズ名鑑』 スポーツニッポン、2003年3月、141頁。
  12. ^ a b 歴代最高記録 二塁打 【シーズン記録】”. 日本野球機構. 2017年9月15日閲覧。
  13. ^ 『プロ野球選手データ名鑑2004』 宝島社、2004年3月、165頁。ISBN 4-7966-3948-9
  14. ^ “西岡今季173安打!大先輩の福浦超え”. 日刊スポーツ. (2010年9月16日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100906-674974.html 2017年9月15日閲覧。 
  15. ^ 年度別成績 2004年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月6日閲覧。
  16. ^ 2006年3、4月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ)”. 日本野球機構. 2017年9月15日閲覧。
  17. ^ 年度別成績 2006年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月6日閲覧。
  18. ^ 福浦「生涯ロッテ」FAせず残留 - 野球ニュース : nikkansports.com[リンク切れ]
  19. ^ “福浦復活へ!特製枕でケガしない体づくり”. 日刊スポーツ. (2009年1月13日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090113-449504.html 2017年9月15日閲覧。 
  20. ^ 試合前に福浦選手の1500本安打を表彰!!”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト (2009年5月24日). 2017年9月14日閲覧。
  21. ^ 西村徳文 『和のちから』 ダイヤモンド社、2011年3月、170頁。ISBN 978-4-478-01532-2
  22. ^ “福浦 258人目の快挙…17年目で100号”. スポーツニッポン. (2010年3月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/03/22/kiji/K20100322Z00000500.html 2017年9月15日閲覧。 
  23. ^ スポニチ Sponichi Annex福浦、史上初“代打逆転満塁ビデオ判定弾”、2015年10月24日閲覧
  24. ^ “福浦“打撃の神様”超えのスピード350二塁打達成”. スポーツニッポン. (2011年4月14日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/14/kiji/K20110414000623760.html 2017年9月15日閲覧。 
  25. ^ “【ロッテ】福浦、4試合連続打点”. 日刊スポーツ. (2012年4月19日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120419-936749.html 2017年9月15日閲覧。 
  26. ^ 『プロ野球選手データ名鑑2014』 宝島社、2014年3月、49頁。ISBN 978-4-8002-2248-0
  27. ^ “伊東監督 あきれた「粘った、惜しかったじゃダメなんだよ」”. スポーツニッポン. (2013年8月3日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/03/kiji/K20130803006345190.html 2017年9月15日閲覧。 
  28. ^ “ロッテ福浦 自己最多4打席連続タイムリー 13点大勝けん引”. スポーツニッポン. (2014年7月17日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/17/kiji/K20140717008577290.html 2017年9月15日閲覧。 
  29. ^ “ロッテ福浦12度目サヨナラ打 パ4位タイ”. 日刊スポーツ. (2014年9月10日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140910-1364307.html 2017年9月15日閲覧。 
  30. ^ “39歳福浦「できすぎ」4年ぶり弾&5年ぶり2発”. 日刊スポーツ. (2015年4月10日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1459285.html 2017年9月15日閲覧。 
  31. ^ “ロッテ福浦48人目2000試合!マーくんから花束”. 日刊スポーツ. (2015年6月15日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1492810.html 2017年9月15日閲覧。 
  32. ^ “ロッテのレジェンド、「オレたちの福浦」が歩んできた果てしなき道のり”. full-count. (2016年7月17日). https://full-count.jp/2016/07/17/post38547/ 2017年9月15日閲覧。 
  33. ^ “福浦、現役続行 41歳まだイケる”. スポーツ報知. (2017年9月13日). https://web.archive.org/web/20170913051705/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170913-OHT1T50000.html 2017年9月29日閲覧。 
  34. ^ a b c d 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクト、2007年3月、142頁。ISBN 978-4-7572-1338-8
  35. ^ a b 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年3月、118頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  36. ^ a b c d e f 『週刊プロ野球データファイル 10号』 ベースボール・マガジン社、2011年6月、11-12頁。
  37. ^ a b 福浦和也 理想のヒットを求めて。”. 文藝春秋 (2006年8月17日). 2017年10月10日閲覧。
  38. ^ 『ベースボールサミット第6回』 カンゼン、2015年7月、130-140頁。ISBN 978-4-86255-313-3
  39. ^ バックネットに飛ぶファウルは一般的にはタイミングが合っているとされる
  40. ^ 一塁線に強い一塁手、一二塁間に強い一塁手とは?「球辞苑」での一塁手特集”. データスタジアム (2015年4月27日). 2017年10月10日閲覧。
  41. ^ 小関順二、泉直樹、荒井太郎 『プロ野球スカウティングレポート2006』 アスペクト、2006年4月、18頁。ISBN 4-7572-1246-1
  42. ^ [1]
  43. ^ ベースボール・レコード・ブック2007(ベースボール・マガジン社 2006年12月)958p

関連項目[編集]

外部リンク[編集]