福浦和也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
福浦 和也
千葉ロッテマリーンズ #9
2011marines fukuura.jpg
QVCマリンフィールドにて(2011年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 1975年12月14日(40歳)
身長
体重
183 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1993年 ドラフト7位
初出場 1997年7月5日
年俸 4,500万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉県習志野市出身の千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手内野手)。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

習志野市立第二中学校習志野市立習志野高等学校を経て、1993年のドラフトで地元球団・千葉ロッテマリーンズに投手として7位指名され入団。この年はドラフト会議における逆指名元年で、同時に始まったフリーエージェントも相俟って各球団指名選手数を絞る中、唯一ロッテは7人目を指名し、このドラフト会議での最終指名者となった。

プロ入り後[編集]

入団後、半年で3回肩を壊す。この時2軍打撃コーチだった山本功児から呼び出され、同期の小野晋吾と共にフリーバッティングを指示されたところ、その打力を山本に見出され打者転向[1]

入団4年目の1997年振り子打法を引っさげ一軍デビュー、即座に一塁のレギュラーに定着。しかしその後は石井浩郎フランク・ボーリック初芝清などにポジションを譲り外野を守ることも多くなった。

2001年一塁手に復帰し、才能が開花。小笠原道大(当時・日本ハム)との熾烈な争いを制し打率.346で首位打者を獲得。また18本塁打を放ち中距離打者としてブレイクした。なお、2012年の阿部慎之助が達成するまで、日本プロ野球史上唯一のシーズン盗塁0での首位打者であった。

2002年はタイトルホルダー故の厳しいマークに遭い17死球を受けるも打率3割を記録。

27歳で迎えた2003年には全140試合に出場し、打率3割、50二塁打に加え自己最多の21本塁打と自身最高のシーズンとなった。外国人選手起用の都合上で夏場に3年ぶりに外野を守ったが、2試合で元に戻された。また初めて一塁手部門でゴールデングラブ賞を獲得。

2004年、前年韓国で56本塁打を記録した李承燁が入団したが、この年も打率.314、本塁打11本と安定した実力を見せ一塁のレギュラーを守った。

2005年は故障もありやや低調なシーズンだったが、終盤の追い込みで辛うじて5年連続の打率3割を達成。チャンスでの強さは変わらず、ロッテのプレーオフ進出に大きく貢献した。そのプレーオフでも好調を維持し、ロッテの31年ぶりのリーグ優勝に貢献した。阪神タイガースとの日本シリーズ第3戦では桟原将司から満塁本塁打を放った。アジアシリーズでは腰痛のため選手登録はされなかった。また、この年にはリーグトップの犠飛(9本)を打っている。

2006年4月、初の月間MVPを受賞。また7月に死球により左手を骨折し、約1か月間の戦線離脱もあったが、6年連続の打率3割を達成。成績は打率.312、4本塁打。同年、FA権を取得。

2007年は開幕から故障し、5月までは3割を維持して復帰直後こそ高打率だったものの、怪我の影響で打率を徐々に落とし、打率.258、本塁打4という自己最低の成績に終わる。前年まで左投手に対して3割近く打っていたが、この年は打率.181に終わった。しかし勝負強さは健在で、得点圏打率は.339だった。更に打点は57と前年より多かった。規定打席にはわずか1打席足りず届かなかった。それでも守備で見せる動きは健在で、自身3度目のゴールデングラブ賞を獲得。オフには複数年契約が切れ、メジャー挑戦も視野に入れたFA宣言も噂されたが、宣言せずに残留した[2]

2008年も怪我をし、前年度の自己最低記録を更新してしまった。復帰後はDHや代打での出場が多くなった。

2009年はシーズン当初はここ数年同様低調で打率は2割前半に沈み、またチャンスに弱く得点圏打率は1割台、長打率も2割台後半まで低くなり打順は主に2番や8番で堀幸一ゲイリー・バーナム・ジュニアと併用されていたが、8月後半から徐々に調子を上げ、勝負強さと長打力を取り戻しシーズン終盤には再び3番に定着、3割には届かなかったものの2年ぶりに100安打、3年ぶりに規定打席に到達した。

2010年は、金泰均の加入で主にDHや代打の切り札として出場。この年はここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は里崎智也サブローの離脱や大松尚逸の不振から6番や5番を打つことも多くなり、9月8日の対オリックス戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率は.295を記録し、ここ数年減少していた本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録した。また、指名打者部門でベストナインに選ばれた。ベストナイン受賞は自身初である。

この年5月13日の対横浜戦(横浜スタジアム)にて6回表一死満塁の場面で代打出場し、真田裕貴から、ライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファウルを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され「代打逆転満塁ビデオ判定弾」となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初[3]

2010年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズファーストステージでは埼玉西武ライオンズと対戦。延長11回に土肥義弘から勝ち越しソロ本塁打を放ち、勝利に貢献。なおチームは、ファイナルステージも突破し、さらに日本シリーズでも中日ドラゴンズを破り、シーズン3位から5年ぶりの日本一を達成した。

2011年は開幕戦で3ランを放ち、その後は4番を打つことが多くなるものの不振に陥り、6月に月間打率.346と持ち直すものの7月以降は再び不振、8月以降はスタメンを外れることが多くなり規定打席にも達せず、最終的に打率.223、本塁打3、打点43と自己最低の成績でシーズンを終えた。

2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて

2012年は春先はスタメンでの出場が多かったが、交流戦以後、特に夏場以降は終盤における代打での出場が多くなり、打率.250、本塁打数は0に終わるも、代打での打率は4割を超え、代打で5打席連続安打を記録するなど勝負強い打撃の健在な所を見せた。

2013年は、一塁手での開幕スタメンだったが、その後は井口資仁一塁へのコンバートや、GG佐藤クレイグ・ブラゼルの加入により、前年を下回る78試合の出場にとどまり本塁打は0本、打率・打点も大幅にダウンした。

2014年は開幕を2軍で迎えた。6月に一軍登録されると、自己最多となる4打席連続タイムリーを放つ[4]など不調な打線の中で代打にスタメンにと活躍し、ベテランらしい信頼感を発揮する。出場試合数および安打数はそれぞれ43試合、26安打と自己最少であったが、打率は.283とここ数年では持ち直し、特に代打では5割近い.474と好成績を残した。

2015年は73試合に出場し打率.272の成績を残した。また2011年以来4年ぶりに本塁打を放ち、この年は2本塁打を放った。

人物[編集]

愛称は「はっちゃく」で本人のブログでも使われている。また「はっちゃく」という地酒も発売されている。

家族は夫人と一男。なお息子の名前の一部に彼を見出した山本功児元監督にあやかって「功」の字が使われている。

2013年9月9日には代打で勝ち越しタイムリーヒットを、2014年9月9日には代打でサヨナラヒットを放っている。2014年には自身の背番号にちなみ「9月9日だから打たせてくれたのかな」とコメントを残している[5]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1997 ロッテ 67 242 218 27 63 8 1 6 91 23 0 1 1 1 19 2 3 36 5 .289 .353 .417 .770
1998 129 526 465 61 132 32 3 3 179 57 1 2 0 6 51 3 4 78 10 .284 .356 .385 .740
1999 114 284 256 21 71 15 1 3 97 35 0 0 0 3 21 1 4 38 5 .277 .338 .379 .717
2000 131 494 446 58 132 21 4 7 182 56 1 1 6 4 34 2 4 59 15 .296 .348 .408 .756
2001 120 519 451 82 156 30 4 18 248 67 0 2 2 3 58 3 5 74 10 .346 .424 .550 .973
2002 135 565 493 48 148 40 0 9 215 66 2 1 0 3 52 3 17 73 10 .300 .384 .436 .820
2003 140 623 567 75 172 50 1 21 287 76 2 3 1 5 48 6 2 89 22 .303 .357 .506 .863
2004 128 569 506 67 159 42 1 11 236 73 2 1 2 4 47 0 10 82 8 .314 .381 .466 .847
2005 114 491 434 54 130 25 1 6 175 72 0 2 0 9 39 0 9 55 5 .300 .363 .403 .766
2006 114 484 436 43 136 20 1 4 170 52 0 3 3 7 33 5 5 52 11 .312 .362 .390 .752
2007 110 445 395 41 102 20 1 4 136 57 0 1 2 6 38 3 4 44 8 .258 .325 .344 .669
2008 105 371 310 39 78 9 0 1 90 44 0 0 1 7 50 2 2 49 10 .252 .352 .290 .643
2009 129 460 396 47 108 18 0 6 144 39 1 0 11 3 46 0 4 65 8 .273 .352 .364 .716
2010 116 359 322 42 95 19 0 13 153 61 0 0 3 3 28 2 3 47 8 .295 .354 .475 .829
2011 116 405 358 22 80 13 0 3 102 43 0 0 1 6 37 3 3 72 11 .223 .297 .285 .582
2012 84 199 180 5 45 3 0 0 48 25 0 0 1 2 15 1 1 27 3 .250 .308 .267 .575
2013 78 169 140 5 32 5 1 0 39 17 0 0 0 2 26 1 1 30 4 .229 .349 .279 .628
2014 43 106 92 4 26 2 0 0 28 15 0 0 0 0 12 1 2 14 1 .283 .377 .304 .682
2015 73 199 173 17 47 3 0 2 56 21 1 0 0 0 20 1 6 34 4 .272 .367 .324 .691
通算:19年 2046 7510 6638 758 1912 375 19 117 2676 899 10 17 34 74 674 39 89 1018 158 .288 .358 .403 .765
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 65 546 30 7 47 .988 -
1998 127 1116 65 6 133 .995 -
1999 74 258 23 5 35 .990 18 20 1 1 0 .955
2000 93 644 43 2 54 .997 58 74 2 4 1 .950
2001 116 1122 59 5 92 .996 -
2002 133 1195 76 6 97 .995 -
2003 135 1328 101 7 109 .995 2 3 0 0 0 1.000
2004 111 1040 65 6 106 .995 -
2005 112 1020 48 7 95 .993 -
2006 112 1019 70 6 80 .995 -
2007 103 902 68 5 73 .995 -
2008 86 642 56 2 58 .997 -
2009 124 869 73 1 74 .999 -
2010 10 75 4 1 7 .988 -
2011 26 233 22 0 18 1.000 -
2012 40 316 31 4 22 .989 -
2013 32 182 19 0 13 1.000 -
2014 18 112 15 0 11 1.000 -
2015 44 282 24 3 16 0.990 -
通算 1561 12901 892 73 1140 .995 78 97 3 5 1 .952
  • 2015年度シーズン終了時

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:2004年8月20日、対福岡ダイエーホークス23回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏に斉藤和巳から中前安打 ※史上225人目
  • 1000試合出場:2005年5月12日、対阪神タイガース3回戦(千葉マリンスタジアム)、3番・一塁手で先発出場 ※史上402人目
  • 300二塁打:2007年8月3日、対北海道日本ハムファイターズ13回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏にブライアン・スウィーニーから左翼線適時二塁打 ※史上46人目
  • 1500本安打:2009年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に水田章雄から左中間へ2点適時二塁打 ※史上99人目
  • 1500試合出場:2009年8月19日、対オリックス・バファローズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・一塁手で先発出場 ※史上166人目
  • 100本塁打:2010年3月22日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、3回表に岸孝之から右中間へ2ラン ※史上258人目
  • 350二塁打:2011年4月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に川岸強から右翼線二塁打 ※史上30人目
  • 2000試合出場:2015年6月15日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回表に藤岡貴裕の代打で出場 ※史上48人目
  • 1000三振:2015年7月13日、対オリックス・バファローズ11回戦(京セラドーム大阪)、8回表に金子千尋から見逃し三振 ※史上60人目
その他の記録

背番号[編集]

  • 70 (1994年 - 1997年)
  • 9 (1998年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]