野球界の永久欠番

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野球界の永久欠番(やきゅうかいのえいきゅうけつばん)では、野球の競技者・関係者などに対して適用される永久欠番について述べる。

日本プロ野球(NPB)の永久欠番[編集]

球団設立順。人物名の後にある日付は制定日。

読売ジャイアンツ
阪神タイガース
  • 10藤村富美男(三塁手) 1958年11月30日
    球団創設以来、阪神で10をつけた選手は藤村のみ。これは選手に対する永久欠番で唯一の事例である。
  • 11村山実(投手) 1972年11月2日
    第2期監督時代の1988年 - 1989年にも使用している。
  • 23吉田義男遊撃手) 1987年10月13日
    1969年の引退以降、ふさわしい人物の入団まで欠番とされたが、使用した選手はいなかった。日本一となった第2期監督退任に合わせて永久欠番とされた。
中日ドラゴンズ
  • 10服部受弘(投手・捕手) 1960年3月20日
    二軍監督時代の1977年にも使用している。
  • 15西沢道夫(一塁手・投手) 1959年3月15日
    ヘッドコーチ・監督時代の1963年 - 1966年にも使用している。

服部と西沢の欠番は、両選手を辞めさせる時の「妥協点」という杉下茂の談話が中日の球団史に掲載されている[1]

北海道日本ハムファイターズ
  • 100大社義規(日本ハム球団初代オーナー) 2009年2月1日
    野球殿堂入りを記念し、永久欠番に制定した。
    前身の東映フライヤーズ時代では、1962年に初優勝した時、当時のオーナー・大川博が「100」の背番号を付けたユニフォームを着用し、パレードなどに参加した事があった。
広島東洋カープ

衣笠、山本とも広島新入団時の背番号から変更を経験している。

埼玉西武ライオンズ
  • 24稲尾和久(投手) 2012年7月4日(決定発表は5月1日)
    引退後も1972年までは稲尾自身が監督として付け、1973年の福岡野球株式会社(太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ)への売却時に稲尾が背番号を81に変更した事から欠番となった。当時稲尾が固辞したため球団は永久欠番とせず、「将来有望な選手が入団してきたら24番をプレゼントしたい」として暫く欠番とした後、1976年に古賀正明が使用した。
    その後、秋山幸二平野謙金村義明眞山龍松永浩典等様々な選手が使用したが、2012年の生誕75周年を機に永久欠番に指定(同年はライアン・マルハーンの退団により当初より欠番となっていた)。西武は7月1日のホームゲームと7月4日の福岡での試合において全選手・コーチが背番号「24」の西鉄・復刻ユニフォームを着用し、福岡での試合終了をもって永久欠番とした[2]
東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 10:イーグルス・ファン 2004年12月17日
    スターティングメンバーの9人に続く10人目、サブメンバーの一人の意味。球団や球界に対する功績を残した特定人物を称える意味ではなく、不特定のファンのための番号を「永久欠番」と称したのは当時日本プロ野球界では初の試みであった。
    なお、球団創設の年に制定されたため、チーム発足以来背番号「10」を使用した選手・監督・コーチはいない。
    ちなみに、球団マスコットの「クラッチ」がイーグルス・ファンの代表として、背番号10を着用している。

失効・消滅となった永久欠番[編集]

球団設立順。

横浜DeNAベイスターズ
  • 100:球団に対して貢献のある複数の著名人 1997年11月11日
    初めて与えられたのは1997年11月11日、前宜野湾市市会議員の桃原功
    2013年より、育成ドラフト1位指名の今井金太投手が使用する事になり、失効した。
大阪近鉄バファローズ
  • 1鈴木啓示(投手) 1985年7月31日制定
    近鉄消滅時点でパ・リーグ唯一の永久欠番だったが、2004年11月10日、オリックス野球クラブ株式会社への営業譲渡により消滅した[3]
    合併前のオリックス時代から後藤光尊が使用していた事と、鈴木本人が永久欠番を継続しない事を了承したため。
    近鉄最後の監督となった梨田昌孝は選手に向けて「お前たちが付けている背番号は、全て近鉄バファローズの永久欠番だ」との言葉を残している。

準永久欠番[編集]

偉大な功績をあげた前任者を讃えた「名誉番号」「準永久欠番」を指定し、一定の期間空き番号としておく、前任者の「預かり」としておく球団もある。これは、米国でHono(u)red Numberと称されているものである。なお、これ以外にも特定の番号を「ふさわしい」選手が現れるまで空き番号とするケースがある。現在、欠番でないものも含まれる。

球団創立順。球団で「名誉番号」「準永久欠番」「欠番とする」の類の公式発表がなされ、尚且つ1年以上の欠番があった場合のみ記載。

読売ジャイアンツ
  • 55松井秀喜(外野手)2003年 - 08年、14年 -
    ニューヨーク・ヤンキースに移籍した2003年から2008年まで準永久欠番だったが、2009年にドラフト1位で入団した大田泰示に継承された。2012年限りで現役引退した松井が翌年、長嶋茂雄と共に国民栄誉賞を授与されたことを機に55番を永久欠番にする説もあったが、大田は「これ『55番』は僕の番号ですよ」と言い切ったため、見送りとなった。しかし大田が2014年から背番号を44に変更したため、再び欠番となっている。
阪神タイガース
  • 6金本知憲(外野手)2013年 -
    引退時に連続フルイニング出場記録などの功績を称えて永久欠番にすることが検討されたが、阪神では景浦將藤田平和田豊などの名選手がつけていたこともあり球団内外でも意見が分かれ、欠番は見送りに(前述の3人は引退直後にそれぞれ富樫淳、和田、デリック・ホワイトが着用したため欠番にはならなかった)。
  • 31掛布雅之(三塁手)1989年 - 91年、2014年 -
    引退後3年間欠番とされた後、萩原誠広澤克実濱中治林威助らが掛布の後継者として期待されこの背番号を背負ったが(特にヤクルト・巨人で主軸打者として実績のあった広澤は球団から「31は掛布のイメージが強すぎるのでそれを払拭して欲しい」という要望を受け着用している)、2014年に林威助の退団と同時に掛布がゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(DC)として阪神に復帰したのを期に、掛布の後を継ぐに足る選手の台頭と成長まで、この番号を凍結する方針を固めた[4]
オリックス・バファローズ
  • 3長池徳士(外野手) 1983年 - 84年、86年 - 87年
    1979年の引退後もコーチとして着用し続け、82年の退団と共に欠番となったが、毎日放送野球解説者を経て、1985年に西武ライオンズのコーチに就任したため欠番ではなくなった。ただ、背番号自体は移籍した1985年の1年間こそジョー・ヒックスが着用したものの、阪急ブレーブスとして最後の年となった1988年に石嶺和彦が着用(29から変更)するまで2年間空き番となっていた。
  • 7福本豊(外野手) 1991年 - 2000年 
    通算盗塁世界記録を達成した1984年に永久欠番となることが決定したが、本人が現役のため固辞。コーチ・2軍監督時代の1989年 - 1990年にも使用している。2000年までの10年間、田口壮小川博文イチローの3名が7を打診されるも全て固辞、谷佳知は入団時に7を希望するも却下され、欠番となっていた。最終的に世紀が変わった2001年横浜からトレードで移籍した進藤達哉が福本公認の下で使用し、欠番でなくなった。
  • 51イチロー(外野手) 2001年 -
    イチローのメジャー移籍後、「51」を誰も使用しないまま現在も欠番となっており、本人も「誰も僕の番号を付けたがる選手はいないでしょうね」と語っている。2005年にオリックスの監督に復帰した仰木彬監督に51番をつけるように勧めたが「そんな番号は恐れ多くてつけられん」と拒否された。
福岡ソフトバンクホークス
  • 9小久保裕紀(内野手) 2004年 - 06年、13年 - 14年
    2003年シーズン終了後、巨人へ無償トレードされてから、将来的な復帰を想定して「監督預かり」となっていた[5]。小久保はホークスに復帰した2007年から引退する2012年まで再び使用した。引退以降は再び欠番となっていたが、2015年からは柳田悠岐が付けることとなった。
  • 15藤井将雄(投手) 2001年 -
    1999年に「炎の中継ぎ」としてダイエー初の日本一に貢献するも、翌年10月に現役のまま病死。藤井以降に15を使用した選手はおらず、現在も欠番が引き継がれている[5]
  • 30鶴岡一人(監督)1966 - 1979年
    1947年より1965年まで着用(66年からは31を着用)。その後は長期に渡って空き番だったが、1980年に台湾出身の高英傑が着用し、14年振りに復活した。
  • 52川崎宗則(遊撃手)2012年 -
    川崎のMLB移籍後、現在も欠番となっている。
  • 89:王貞治(監督) 2009年 -
    福岡移転後の監督としては最多の、3度のリーグ優勝と2度の首位、2度の日本一達成。
  • 90景浦安武(外野手) 1973年 -
    水島新司の野球漫画『あぶさん』に登場する架空の野球選手。連載開始とともに欠番となる。原作上では南海時代からソフトバンク時代まで約35年以上にわたり現役として活躍した。引退後、そして連載終了後も欠番が引き継がれている。
北海道日本ハムファイターズ
  • 86大沢啓二(監督)1985年 - 92年、95年 -
    監督としてファイターズ初のリーグ優勝を達成。球団史上、86番を着用したのは大沢のみである。
千葉ロッテマリーンズ
広島東洋カープ
  • 1前田智徳(外野手) 2014年 -
    引退を機に欠番となる。次の着用者を選定する時は前田に決定権がある。
  • 7野村謙二郎(遊撃手) 2006年 - 12年
    野村の「預かり番号」とされていたが、2013年より堂林翔太に継承された。
  • 15黒田博樹(投手) 2008年 - 14年
    MLBへ移籍した黒田が帰って来る時に備えて欠番となっていたが[7]、2015年に復帰により再び着用することになった。
  • 20北別府学(投手) 1995年 - 2002年
    北別府の推薦する選手が出るまで欠番とされていたが、2002年に永川勝浩に継承された。
埼玉西武ライオンズ
  • 3大下弘(外野手) 1960年 - 67年
    1960年3月1日の引退試合後、「大下選手の名に恥じない選手が出ればその選手に渡す。またその際には大下選手の同意を求める」という当時の西亦次郎球団社長の意向で当分の間欠番となっていた[8]。 1968年、大下の東映フライヤーズ監督就任と同時期に、中日から移籍の広野功が使用[9]
  • 6中西太(三塁手) 1970年 - 72年
    引退後、相応しい選手が出るまで欠番とされていたが、福岡野球株式会社への売却後に「もう新球団になったんだからいいじゃないか」と、当時の監督・稲尾和久の推薦で菊川昭二郎33から変更)が使用した。
  • 27伊東勤(捕手) 2004年 - 06年
    伊東の引退と監督就任に伴い、自らが後継者として認める正捕手が出るまで欠番とされた。2006年に細川亨(現・福岡ソフトバンクホークス)が継承。
東京ヤクルトスワローズ
  • 1若松勉(外野手) 1990年 - 91年、2000年、2007年 - 09年、2012年 -
    原則として球団生え抜きで、なおかつそれに見合う実績を挙げた選手にのみ使用させる「準永久欠番」。背番号1は「ミスタースワローズ」という称号とワンセットになっている。自身が使用を熱望し、若松の推薦もあったことから池山隆寛36から変更)が使用していたが、若松が監督に就任した際、池山が返上して36番に戻したため1年間欠番となった後、2001年からは岩村明憲が使用。岩村のメジャー移籍後に再び欠番となり(ヤクルト復帰時は入団時と同じ48を着用)、2010年から青木宣親が使用したが、2011年限りでメジャー移籍したため、再度欠番となっている。2015年には日本ハムから移籍してきた大引啓次に提示されたが、本人は辞退して2を選択した[10][11]
  • 6宮本慎也(遊撃手・三塁手) 2014年 -
  • 8大杉勝男(一塁手) 1984年
    引退を決めた1983年11月9日、球団から「保留欠番とし、来春3月下旬に引退試合を行うことを決めた」と発表された[12]。1985年から広沢克己が使用し、欠番でなくなった。
  • 27古田敦也(捕手) 2008年 -
    名誉番号で、(生え抜き・移籍を問わず)球団と古田本人のいずれかが推薦する捕手が出るまで欠番となる[13]。2009年に相川亮二が入団した際に提示されたが本人が辞退。
東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 18田中将大(投手) 2014年 -
    球団が「ふさわしい選手が現れるまでは空きになる」として、準永久欠番扱いになると発表した[14]
  • 19野村克也(監督) 2010年 -
    監督退任時に球団から永久欠番にする提案がなされたが、本人が固辞。球団の方針でふさわしい選手が登場するまで欠番となる。2014年に入団した松井裕樹に「1」「12」とともに提示されたが、本人は1を選択した[15]

期間限定の欠番[編集]

上記の藤井のように、在籍中に不慮の事故や病などで急逝した人物への哀悼の念をこめて一時的に使用を見合わせる場合もある。球団創立順。

中日ドラゴンズ
オリックス・バファローズ
  • 41小瀬浩之(外野手)2010年 -
    2010年の春季キャンプ中に宿舎から転落死。それ以来、今日に至るまでオリックスで41を着用した選手はいない。
福岡ソフトバンクホークス
  • 7久保寺雄二(三塁手)1985年 - 86年
    ユーティリティープレーヤーとして重宝されたが1985年1月に急逝。87年に加藤英司が着用するまで2年間欠番となった。ちなみに、久保寺は前年の1984年33からこの背番号に変更になったばかりであった。
北海道日本ハムファイターズ
  • 79小林繁(コーチ)2010年 - 2011年
    2009年は二軍投手コーチを務め、2010年より一軍投手コーチを務める予定だったが1月に急逝。当面の間は欠番扱いにしていた[16]が、2012年に就任した西俊児コーチが79を使用することになり、欠番ではなくなった。
埼玉西武ライオンズ
  • 32ミゲール・デルトロ(投手) 2002年
    2001年オフに交通事故で急逝。同年限りでの退団が決定していたが、正式発表前の事故死であったため「所属選手」とし1年間限定で欠番に制定。翌2003年に細見和史が着用した。
  • 59板沢峰生(遊撃手) 1981年 - 89年
    将来を嘱望されていながら1980年12月に急逝。板沢の入団10年目にあたる1989年まで欠番だったが、ドラフト6位で入団した北原泰二が使用以降、欠番でなくなった。

日本の独立リーグの永久欠番[編集]

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ
  • 22高津臣吾(投手・監督)
    選手兼任監督としてリーグ優勝、独立リーグ日本一に貢献。NPBでは歴代2位の通算286セーブを記録。
石川ミリオンスターズ
  • 12木田優夫(投手)
    プロ野球選手として実働26年、56試合の独立リーグ最多登板を記録。独立リーグ日本一に貢献。
高知ファイティングドッグス

審判員の欠番[編集]

審判員が使用する肩番号(審判番号)はパ・リーグが1977年に、セ・リーグが1988年に制定したが、該当審判の退職以降に他の審判に引き継がれることがない番号が存在したため、これらは事実上の永久欠番となっていた。しかし2011年シーズンにセ・リーグとパ・リーグの審判部が統合された際、統合後の全審判員が一意になるように審判番号が振り直されたことにより、下記の番号全てが事実上の永久欠番ではなくなった[20]

セントラル・リーグ
  • 3上本孝一(東京審判部所属)2006年5月5日、現役中に逝去したため。
  • 6太田正男(関西審判部所属)1990年以降
  • 26松橋慶季(東京審判部所属)1989年以降
パシフィック・リーグ

アメリカ・メジャーリーグベースボールの永久欠番[編集]

メジャーリーグベースボールにおける永久欠番の歴史は1939年アメリカンリーグニューヨーク・ヤンキースルー・ゲーリッグが使用していた4を欠番としたことに始まる。当時ゲーリッグは、不治の病とされる筋萎縮性側索硬化症(ALS・「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれる)で引退を余儀なくされたが、永久欠番とする事でチームに居続けることができる事に歓喜した。引退の際、 "Today, I consider myself the luckiest man on the face of the Earth."(「今日の私は自分を地球上で最も恵まれた男だと思っています」)と名言を残している。

ナショナルリーグではニューヨーク・ジャイアンツ1947年カール・ハッベル11を永久欠番に指定し、ナ・リーグ初の永久欠番となる。ドジャース、レッドソックス、マリナーズ、アスレチックスの4球団は、選手のアメリカ野球殿堂入り・チームが定める在籍年数など永久欠番とするための条件を有している。また、選手以外にもファン、オーナー、球場アナウンサーが永久欠番を与えられて顕彰されたり、永久欠番と同様の顕彰を受けているケースもある。

日本プロ野球には存在しない全球団共通の永久欠番複数球団にまたがる一競技者の永久欠番複数の競技者を称えた永久欠番がある。

全球団共通永久欠番
黒人選手第1号であるロビンソンを顕彰し、1997年4月15日に制定。ただし、制定される以前から42番を使っていた選手は、特例として継続して使用することが認められた。制定当時は後述のブルース・スーターやマリアノ・リベラを含めて該当者が20人前後いた(選手・コーチを含む)が、移籍やマイナー行き等で数は徐々に減っていった。
メジャーリーグで最後に42をつけた選手はヤンキースのマリアノ・リベラで、2013年シーズンを最後に現役引退したことにより欠番の例外となる人物はいなくなった。リベラの背番号も同時に欠番に指定された。カージナルスのブルース・スーターも現役時代の背番号が42で、2006年に殿堂入りを果たして欠番に指定されている。
リベラとスーターの背番号は各々の球団でロビンソンの背番号と並立して称えられている。
複数球団にまたがる一競技者の永久欠番

現在までに10名が存在する。

複数の競技者を称えた永久欠番

現在までに5つのケースがある。

各球団の永久欠番[編集]

球団創立順(ジャッキー・ロビンソンの42を除いた番号)

アトランタ・ブレーブス
シカゴ・カブス
セントルイス・カージナルス
シンシナティ・レッズ
フィラデルフィア・フィリーズ
サンフランシスコ・ジャイアンツ
ピッツバーグ・パイレーツ
ロサンゼルス・ドジャース
デトロイト・タイガース
シカゴ・ホワイトソックス
ボストン・レッドソックス
ニューヨーク・ヤンキース
クリーブランド・インディアンス
ボルチモア・オリオールズ
ミネソタ・ツインズ
オークランド・アスレチックス
テキサス・レンジャーズ
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム
ニューヨーク・メッツ
ヒューストン・アストロズ
ワシントン・ナショナルズ
球団のワシントン移転により一旦は消滅したが、2011年より再び永久欠番となった。
サンディエゴ・パドレス
ミルウォーキー・ブルワーズ
カンザスシティ・ロイヤルズ
シアトル・マリナーズ
  • なし
トロント・ブルージェイズ
コロラド・ロッキーズ
マイアミ・マーリンズ
  • なし
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
タンパベイ・レイズ

準永久欠番および期間限定の欠番[編集]

球団創立順。

セントルイス・カージナルス
シンシナティ・レッズ
フィラデルフィア・フィリーズ
ロサンゼルス・ドジャース
デトロイト・タイガース
シカゴ・ホワイトソックス
ボストン・レッドソックス
ニューヨーク・ヤンキース
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム
ニューヨーク・メッツ
ヒューストン・アストロズ
ミルウォーキー・ブルワーズ
シアトル・マリナーズ
トロント・ブルージェイズ(レベル・オブ・エクセレンス)
コロラド・ロッキーズ
マイアミ・マーリンズ

韓国プロ野球界の永久欠番[編集]

韓国では、1986年にOBベアーズ(現・斗山ベアーズ)に捕手として在籍していた金栄伸54を制定したことに始まる。

三星ライオンズ
  • 10梁埈赫(ヤン・ジュンヒョク、一塁手・外野手・指名打者)2010年 -
    韓国野球界の打撃記録のほとんどを保持。
  • 22李萬洙(イ・マンス、捕手)2003年 -
    チーム一筋の捕手で韓国史上に残るスラッガー。三星ライオンズで22を使用した唯一の人物である。
  • 36李承燁(イ・スンヨプ、一塁手)2004年 - 2011年
    韓国最年少で300本塁打とシーズン56本塁打のアジア記録(当時)を樹立。2004年に千葉ロッテマリーンズ移籍により指定。2012年、チーム復帰により再使用。
ロッテ・ジャイアンツ
  • 11崔東原(チェ・ドンウォン、投手)2011年 -
    1983年 - 1990年に韓国プロ野球で活動。1984年韓国プロ野球最優秀選手、韓国シリーズ4勝記録。通算103勝26セーブ、1019奪三振記録。2011年9月14日に大腸癌のため53歳で逝去。同月30日に指定。
LGツインズ
  • 41金龍洙(キム・ヨンス、投手)1999年 -
    通算227セーブ、251セーブポイントはともに当時の韓国記録。
斗山ベアーズ
  • 21朴哲淳(パク・チョルスン、投手)2002年 -
    長年チームを支えたエースで、22連勝は韓国記録。
  • 54金栄伸(キム・ヨンシン、捕手)1986年 -
    韓国球界初の永久欠番。ロサンゼルス五輪韓国代表で出場経験を持つ期待の若手捕手であったが、1986年水難事故により逝去している。
起亜タイガース
  • 7李鍾範(イ・ジョンボム、外野手)2012年 -
    タイガースの主力選手として打席は違えど「韓国のイチロー」と評され、中日ドラゴンズやWBC韓国代表でも活躍した。2012年4月、引退を機に指定。
  • 18宣銅烈(ソン・ドンヨル、投手)2002年 -
    韓国史上最高投手と呼ばれ、1995年の中日ドラゴンズ移籍後も1999年の引退後も欠番となっていた。2001年途中のヘテからの身売りの際に「宣銅烈の18を返上、新人投手に与える」と発表したが、韓国球界・マスコミなどで猛反発を招き、元通り欠番に。2002年1月28日に正式に永久欠番に指定。
ハンファ・イーグルス
  • 21宋津宇(ソン・ジヌ、投手)2009年 -
    21年間韓国プロ野球で活動。通算最多である3003イニング、210勝、2048奪三振記録。2009年9月22日に指定。
  • 23鄭珉哲(チョン・ミンチョル、投手)2009年 -
    宋津宇に次ぐ通算記録2位の161勝を挙げる。読売ジャイアンツにも在籍。引退と同時に宋津宇と共に指定。
  • 35張鍾勲(チャン・ジョンフン、遊撃手)2005年
    3シーズン連続本塁打王(1990 - 1992)、通算340本塁打を記録。テスト生から這い上がったその生い立ちは「練習生神話」と呼ばれた。2005年9月15日の引退試合と共に指定。
SKワイバーンズ

準永久欠番[編集]

ネクセン・ヒーローズ
  • 20鄭珉台(チョン・ミンテ、投手)2007年 - 2012年
    前身の太平洋ドルフィンズ・現代ユニコーンズを支えたエース。読売ジャイアンツにも在籍。2007年、引退を機に欠番となり、2009年の引退セレモニーで準永久欠番扱いとなるが、2013年、ロッテ・ジャイアンツのコーチに就任したこともあり、現在は金成泰が着用している。

台湾プロ野球界の永久欠番[編集]

中信兄弟エレファンツ
  • 4林易増(外野手)2001年 - 2011年、2013年 -
    盗塁王を5度受賞する名手。監督としても台湾シリーズ2連覇を果たしている。2012年の1年間のみ内野手の徐睿擇が使用。
  • 26王光輝(二塁手・三塁手)2008年 - 2011年
    球団史上に残る中心選手。コーチ・監督を務めた。2008年、退団をもって指定。2012年から捕手の黄鈞聲が使用。
  • 67曽紀恩(監督)2012年 -
    初代監督。球団社長も務めた。2012年3月25日指定。
  • 99:エレファンツ・ファン 2006年 - 2012年
    2012年から投手の陳鴻文が使用。
統一セブンイレブン・ライオンズ
  • 22曽智偵(捕手)1999年 - 2008年
    1999年3月20日指定。台湾を代表する名捕手で、監督を務めた後に45歳で現役復帰を果たす。2012年から投手の張志強が使用。
義大ライノズ
  • 10:ライノズ・ファン
  • 17黄忠義(二塁手)2009年 -
    球団、台湾球界を代表する二塁手。2009年制定。
  • 85徐生明(監督)2013年 -
    台湾史上初の700勝を挙げる名監督であったが、2013年前期優勝の後、後期の試合後に心筋梗塞で急逝。
Lamigoモンキーズ

なし

野球ナショナルチームの永久欠番[編集]

野球日本代表日米大学野球選手権大会
野球中華民国代表
野球アメリカ合衆国代表
野球プエルトリコ代表
野球ベネズエラ代表

脚注[編集]

  1. ^ 中日新聞社 『中日ドラゴンズ70年史』 中日新聞社、2006年。ISBN 4-8062.-0514-1。32頁
  2. ^ 西武の全選手、背番号24 故稲尾氏、球団初の永久欠番2012年7月4日 朝日新聞デジタル
  3. ^ 背番号にまつわるエトセトラ『週刊ベースボール』2012年2月27日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/26, 31頁。
  4. ^ 【阪神】背番「31」15年ぶり欠番! 掛布DC自ら「2世」育てる - スポーツ報知、2013年11月11日付
  5. ^ a b 西日本スポーツ2005年1月30日付、スポーツ報知2005年1月30日付
  6. ^ 26番目の戦士たち | 千葉ロッテマリーンズ
  7. ^ “広島が黒田背番号「15」半永久欠番に”. ニッカンスポーツ. (2007年12月1日). http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20071201-290023.html 2012年7月13日閲覧。 
  8. ^ 西日本スポーツ(野口正明『大下君ご苦労さん』)・西日本新聞読売新聞。1960年3月2日。
  9. ^ 当時の西日本スポーツ(1968年1月21日)は、「広野の背番号は大型打者にふさわしく、大下弘選手(現東映監督)が(昭和)36年に引退してから、長い間欠番になっていた『3』に決まった」と報じているが、前述の大下の同意があったかは不明。
  10. ^ 大引、“ミスタースワローズ”背番号1を固辞「重みを尊重したい」 - サンケイスポーツ・2014年11月22日。
  11. ^ ヤクルト入りの大引 背番号は「2」 - スポニチアネックス・2014年11月23日。
  12. ^ サンケイスポーツ・1983年11月10日。
  13. ^ 国鉄スワローズ時代の根来広光以後、捕手以外の27番はロン・デービス投手(1989年)のみである。
  14. ^ 【楽天】マー背番「18」“永久”欠番
  15. ^ 松井背番号は「1」「12」「19」から本人選ぶ - スポニチアネックス2013年11月1日
  16. ^ 小林繁氏通夜:日本ハム 背番号「79」を当面“欠番”に 2010年1月20日 毎日新聞
  17. ^ 梶田主将「幸せな10年間」 - 読売新聞高知版2014年9月14日
  18. ^ FD・梶田宙選手の引退式にファン続々 - 高知新聞2014年9月14日
  19. ^ 10年目梶田が今季で引退 - 高知新聞2014年9月7日
  20. ^ 統合後、3は敷田直人、6は東利夫、13は杉本大成、26は飯塚富司が使用している。敷田は栄村孝康の2と、杉本は橘高淳の9と番号が重複したことにより現番号に変更されており(栄村と橘高は統合前の番号を統合後もそのまま使用)、東と飯塚は統合前の番号をそのまま使用している。
  21. ^ レイズ、ドン・ジマー氏の「66」が永久欠番に 日刊スポーツ 2015年3月25日閲覧
  22. ^ http://news.livedoor.com/article/detail/9678349/