野球界の永久欠番

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野球界の永久欠番(やきゅうかいのえいきゅうけつばん)では、野球の競技者・関係者などに対して適用される永久欠番について述べる。

アメリカ・メジャーリーグベースボールの永久欠番[編集]

メジャーリーグにおける永久欠番の歴史は1939年ニューヨーク・ヤンキースルー・ゲーリッグが使用していた4を欠番としたことに始まる。当時ゲーリッグは、不治の病とされる筋萎縮性側索硬化症(ALS・「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれる)で引退を余儀なくされるが、永久欠番とする事でチームに居続けることができる事に歓喜した。引退の際、 "Today, I consider myself the luckiest man on the face of the Earth." (「今日の私は自分を地球上で最も恵まれた男だと思っています」)と名言を残している。ナ・リーグではニューヨーク・ジャイアンツ1947年カール・ハッベル11を永久欠番に指定し、ナ・リーグ最初の永久欠番となる。ドジャース、レッドソックス、マリナーズ、アスレチックスの4球団は、選手のアメリカ野球殿堂入り・チームが定める在籍年数など永久欠番とするための条件を有している。また、選手以外にもファン、オーナー、球場アナウンサーが永久欠番を与えられて顕彰されたり、永久欠番と同様の顕彰を受けているケースもある。

全球団共通の永久欠番複数球団にまたがる一競技者の永久欠番複数の競技者を称えた永久欠番がある。

全球団共通永久欠番
  • 42ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
    黒人選手第1号であるジャッキー・ロビンソン(ドジャース)を顕彰し、1997年4月15日に制定。ただし、制定される以前から42を使い続けている選手は、特例として継続して使用することができる。カージナルスのブルース・スーターは現役時代の背番号が42で、2006年に殿堂入りを果たして欠番に指定された。続いて最後の42を付けていたヤンキースのマリアノ・リベラ2013年のシーズンを最後に現役引退、欠番に指定されたことにより、欠番の例外となる人物がいなくなった。なお、スーターとリベラの背番号は各々の球団でロビンソンの背番号と並立して称えられることとなる。
複数球団にまたがる一競技者の永久欠番
現在までに10名が存在する。
複数の競技者を称えた永久欠番
現在までに5つのケースがある。

各球団の永久欠番[編集]

(ジャッキー・ロビンソンの42を除いた番号)

アトランタ・ブレーブス
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
オークランド・アスレチックス(旧・フィラデルフィア・アスレチックス)
カンザスシティ・ロイヤルズ
クリーブランド・インディアンス
コロラド・ロッキーズ
サンディエゴ・パドレス
サンフランシスコ・ジャイアンツ(旧・ニューヨーク・ジャイアンツ)
マシューソンとマグローは、いずれも背番号が定着する以前の選手。
シアトル・マリナーズ
  • なし
シカゴ・カブス
シカゴ・ホワイトソックス
シンシナティ・レッズ
セントルイス・カージナルス
タンパベイ・レイズ(旧タンパベイ・デビルレイズ)
テキサス・レンジャーズ(旧・第二次ワシントン・セネターズ)
デトロイト・タイガース
トロント・ブルージェイズ
ニューヨーク・メッツ
ニューヨーク・ヤンキース
ピッツバーグ・パイレーツ
ヒューストン・アストロズ
フィラデルフィア・フィリーズ
ボストン・レッドソックス
ボルチモア・オリオールズ
マイアミ・マーリンズ(旧フロリダ・マーリンズ)
  • なし
ミネソタ・ツインズ(旧・第一次ワシントン・セネターズ)
ミルウォーキー・ブルワーズ
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム(旧・アナハイム・エンゼルス、カリフォルニア・エンゼルス)
ロサンゼルス・ドジャース(旧ブルックリン・ドジャース)
ワシントン・ナショナルズ(旧モントリオール・エクスポズ)
球団のワシントン移転により一旦は消滅したが、2011年より再び永久欠番となった。

準永久欠番および期間限定の欠番[編集]

アリゾナ・ダイヤモンドバックス
コロラド・ロッキーズ
シアトル・マリナーズ
シカゴ・ホワイトソックス
シンシナティ・レッズ
セントルイス・カージナルス
デトロイト・タイガース
トロント・ブルージェイズ(レベル・オブ・エクセレンス)
ニューヨーク・メッツ
ニューヨーク・ヤンキース
ヒューストン・アストロズ
フィラデルフィア・フィリーズ
ボストン・レッドソックス
マイアミ・マーリンズ(旧フロリダ・マーリンズ)
ミルウォーキー・ブルワーズ
ロサンゼルス・エンゼルス
ロサンゼルス・ドジャース

日本プロ野球(NPB)の永久欠番[編集]

球団設立順。人物名の後にある日付は制定日。

読売ジャイアンツ
阪神タイガース
  • 10藤村富美男(三塁手) 1958年11月30日
    球団創設以来、阪神で10をつけた選手は藤村のみ。これは選手に対する永久欠番で唯一の事例である。
  • 11村山実(投手) 1972年11月2日
    第2期監督時代の1988年 - 1989年にも使用している。
  • 23吉田義男遊撃手) 1987年10月13日
    1969年の引退以降、ふさわしい人物の入団まで欠番とされたが、使用した選手はいなかった。日本一となった第2期監督退任に合わせて永久欠番とされた。
中日ドラゴンズ
  • 10服部受弘(投手) 1960年3月20日
    二軍監督時代の1977年にも使用している。服部と下記西沢の欠番は、両選手を辞めさせる時の「妥協点」という杉下茂の談話が中日の球団史に掲載されている[1]
  • 15西沢道夫(一塁手) 1959年3月15日
    ヘッドコーチ・監督時代の1963年 - 1966年にも使用している。
広島東洋カープ
北海道日本ハムファイターズ
  • 100大社義規(日本ハム球団初代オーナー) 2009年2月1日
    殿堂入りを記念し、永久欠番に制定した。
埼玉西武ライオンズ
  • 24稲尾和久(投手) 2012年7月4日(決定発表は5月1日)
    引退後も1972年までは稲尾自身が監督として付け、1973年の福岡野球株式会社(太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ)への売却時に稲尾が背番号を81に変更した事から欠番となった。当時稲尾が固辞したため球団は永久欠番とせず、「将来有望な選手が入団してきたら24番をプレゼントしたい」として暫く欠番とした後、1976年に古賀正明が使用した。その後、秋山幸二平野謙松永浩典等様々な選手が使用したが、2012年の生誕75周年を機に永久欠番に指定(同年はライアン・マルハーンの退団により当初より欠番となっていた)。西武は7月1日のホームゲームと7月4日の福岡での試合において全選手・コーチが背番号「24」の西鉄・復刻ユニフォームを着用し、福岡での試合終了をもって永久欠番とした[2]
東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 10:イーグルス・ファン 2004年12月17日
    スターティングメンバーの9人に続く10人目、サブメンバーの一人の意味。球団や球界に対する功績を残した特定人物を称える意味ではなく、不特定のファンのための番号を「永久欠番」と称したのは当時日本プロ野球界では初の試みであった。
    なお、この永久欠番は球団創設の年に制定されたため、チーム発足以来背番号「10」を使用した選手はいない。

失効・消滅となった永久欠番[編集]

球団設立順。

大阪近鉄バファローズ
  • 1鈴木啓示(投手) 1985年7月31日制定
    パ・リーグ唯一の永久欠番だったが、2004年11月10日、オリックス野球クラブ株式会社への営業譲渡により消滅した[3]
    合併前のオリックス時代から後藤光尊が使用していた事と、鈴木本人が永久欠番を継続しない事を了承したため。
    近鉄最後の監督となった梨田昌孝は選手に向けて「お前たちが付けている背番号は、全て近鉄バファローズの永久欠番だ」との言葉を残している。
横浜DeNAベイスターズ
  • 100:球団に対して貢献のある複数の著名人 1997年11月11日
    初めて与えられたのは1997年11月11日、前宜野湾市市会議員の桃原功
    2013年より、育成ドラフト1位指名の今井金太投手が使用する事になり、失効した。

準永久欠番[編集]

偉大な功績をあげた前任者を讃えた「名誉番号」「準永久欠番」を指定し、一定の期間空き番号としておく、前任者の「預かり」としておく球団もある。これは、米国でHono(u)red Numberと称されているものである。なお、これ以外にも特定の番号を「ふさわしい」選手が現れるまで空き番号とするケースがある。

球団設立順。

阪神タイガース
  • 31掛布雅之(内野手) 2014年 -
    引退後3年間欠番とされた後、萩原誠広澤克実濱中治林威助らが掛布の後継者として期待され、この背番号を背負ったが、2014年に林威助の退団と同時に掛布がゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(DC)として阪神に復帰したのを期に、掛布の後を継ぐに足る選手の台頭と成長まで、この番号を凍結する方針を固めた[4]
  • 53赤星憲広(外野手) 2010年 - [5]
    首の負傷により現役引退を余儀なくされた。
中日ドラゴンズ
  • 3立浪和義(内野手) 2010年
    2009年の現役引退時に永久欠番を望む署名が多く寄せられたが、球団側は50年間永久欠番が制定されていないことなどを理由に「名誉番号」としての活用を表明。シーズン終了後にオーナーが森野将彦に継承と発表も、森野本人が固辞した。その後2011年から、立浪と同じPL学園出身の吉川大幾が使用。
広島東洋カープ
  • 7野村謙二郎(内野手) 2006年 - 12年
    現監督でもある野村の「預かり番号」とされ、緒方孝市9とともに「若手や中堅の伸び悩み」のため空き番号となっていた[6][7]。が、2013年より堂林翔太に継承された。翌年には同じく欠番となっていた9丸佳浩に継承されている。
  • 15黒田博樹(投手) 2008年 -
    メジャーへ移籍した黒田が帰って来る時に備えて欠番になっている[8]
  • 20北別府学(投手) 1995年 - 2002年
    北別府の推薦する選手が出るまで欠番とされていたが、2002年に永川勝浩に継承された。
ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ
  • 1若松勉(外野手) 1990年 - 91年、2000年、2007年 - 09年、2012年-
    球団生え抜きで、なおかつそれに見合う実績を挙げた選手にのみ使用させる「準永久欠番」。背番号1は「ミスタースワローズ」という称号とワンセットになっている。自身が使用を熱望し、若松の推薦もあったことから池山隆寛が使用していたが、池山の返上で1年間欠番となった後、2001年からは岩村明憲が使用。岩村のメジャー移籍後に再び欠番となり、2010年から青木宣親が使用したが2011年限りでメジャー移籍退団したため、2012年シーズンから再度欠番となっている。
  • 8大杉勝男(一塁手) 1984年
    引退を決めた1983年11月9日、球団から「保留欠番とし、来春3月下旬に引退試合を行うことを決めた」と発表された[9]。1985年から広沢克己が使用し、欠番でなくなった。
  • 27古田敦也(捕手) 2008年 -
    名誉番号で、(生え抜き・移籍を問わず)球団と古田本人が推薦する選手が出るまで欠番となる。2009年に相川亮二が入団した際に提示されたが本人が辞退。
阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ→オリックス・バファローズ
  • 3長池徳士(外野手) 1983年 - 84年
    1985年にコーチとして西武ライオンズへ移籍したため欠番でなくなった。
  • 7福本豊(外野手) 1991年 - 2000年 
    通算盗塁世界記録を達成した1984年に永久欠番となることが決定したが、本人が現役のため固辞。引退した88年に阪急が営業譲渡したため、永久欠番とはならなかった。コーチ・2軍監督時代の1989年 - 1990年にも使用している。
    以後は2000年までの10年間、田口壮小川博文イチローの3名が7を打診されるも全て固辞、谷佳知は入団時に7を希望するも却下され、欠番となっていた。2001年横浜からトレードで移籍した進藤達哉が福本公認の下で使用し、欠番でなくなった。
  • 51:イチロー(外野手) 2001年 -
    イチローのメジャー移籍後、「51」を誰も使用しないまま現在も欠番となっており、本人は「誰も僕の番号を付けたがる選手はいないでしょうね」と言っていた。
南海ホークス→福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス
  • 1秋山幸二(外野手) 2003年
    秋山の引退時に永久欠番になる予定であったが、柴原洋の希望をコーチとなった秋山が了承し、2004年から引退する2011年シーズンまで使用した。2012年からは内川聖一が使用。
  • 9小久保裕紀(内野手) 2004年 - 06年
    2003年シーズン終了後に巨人へ無償トレードされてから、将来的な復帰を想定して「監督預かり」となっていた[10]。小久保はホークスに復帰した2007年から引退する2012年まで再び使用した。
  • 15藤井将雄(投手) 2001年 -
    1999年に「炎の中継ぎ」として福岡ダイエー初の日本一に貢献するも、翌年10月に現役のまま病死。藤井以降に15番を使用した選手はおらず、福岡ソフトバンクにも欠番が引き継がれている[10]
  • 89:王貞治(監督) 2009年 -
  • 90景浦安武(外野手) 1973年 -
    水島新司の野球漫画『あぶさん』に登場する主人公(架空人物)。連載開始とともに欠番となる。原作上では南海時代からソフトバンク時代まで約35年以上にわたり現役として活躍した。引退後も欠番が引き継がれている。
ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズ
  • 8有藤通世(三塁手) 1987年 - 91年
    「ミスターロッテ」と呼ばれた有藤の功績をたたえて欠番となっていたが、球団の移転により欠番でなくなった。2005年から今江敏晃が使用。
  • 26マリーンズファン 2005年 -
    ベンチ入り25人の選手に次ぐ「26番目の選手」の意味[11]。試合中、ロッテベンチには26番のユニフォームが飾られている。
西鉄ライオンズ→太平洋クラブ・ライオンズ→クラウンライター・ライオンズ→西武ライオンズ→埼玉西武ライオンズ
  • 3大下弘(外野手) 1960年 - 67年
    1960年3月1日の引退試合後、「大下選手の名に恥じない選手が出ればその選手に渡す。またその際には大下選手の同意を求める」という当時の球団社長、西亦次郎の意向で当分の間欠番となっていた[12]。1968年、大下の東映フライヤーズ監督就任と同時期に、中日から移籍の広野功が使用。当時の西日本スポーツ(1968年1月21日)は、「広野の背番号は大型打者にふさわしく、大下弘選手(現東映監督)が(昭和)36年に引退してから、長い間欠番になっていた『3』に決まった」と報じているが、前述の大下の同意があったかは不明。
  • 6中西太(三塁手) 1970年 - 72年
    引退後、相応しい選手が出るまで欠番とされていたが、福岡野球株式会社への売却時に「もう新球団になったんだからいいじゃないか」と、当時の監督・稲尾和久の推薦で菊川昭二郎が使用した。
  • 27伊東勤(捕手) 2004年 - 06年
    伊東の引退と監督就任に伴い、自らが後継者として認める正捕手が出るまで欠番とされた。2006年に細川亨(現・福岡ソフトバンクホークス)が継承。
東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 18田中将大(投手) 2014年 -
    「ふさわしい選手が現れるまでは空きになる」として、準永久欠番扱いになると発表した[13]
  • 19野村克也(監督) 2010年 -
    監督退任時に球団から永久欠番にする提案がなされたが、本人が固辞。球団の方針でふさわしい選手が登場するまで欠番となる。

期間限定の欠番[編集]

在籍中に不慮の事故や病などで急逝した人物への哀悼の念をこめて一時的に使用を見合わせる場合もある。球団設立順。

中日ドラゴンズ
ともに太平洋戦争により現役のまま戦死。18は1950年に三富恒雄26は1948年に小島禎二が使用して、欠番ではなくなった。
北海道日本ハムファイターズ
  • 79小林繁(コーチ)2010年 - 2011年
    2009年は二軍投手コーチを務め、2010年より一軍投手コーチに就任する予定だったが1月に急逝。当面の間は欠番という扱いにしていたが、2012年に西俊児コーチが就任し、79を使用した[14]
埼玉西武ライオンズ
  • 32ミゲール・デルトロ(投手) 2002年
    2001年オフに交通事故で急逝。同年限りでの解雇が決定していたが、正式発表前の事故死であったため「所属選手」とし1年間限定で欠番に制定。
  • 59板沢峰生(遊撃手) 1981年 - 89年
    将来を嘱望されていながら1980年に急逝。板沢の入団10年目にあたる1989年まで欠番だったが、ドラフト6位で入団した北原泰二が使用以降、欠番でなくなった。

審判員の欠番[編集]

審判員が使用する肩番号(審判番号)はパ・リーグが1977年に、セ・リーグが1988年に制定したが、該当審判の退職以降に他の審判に引き継がれることがない番号が存在したため、これらは事実上の永久欠番となっていた。しかし2011年シーズンにセ・リーグとパ・リーグの審判部が統合された際、統合後の全審判員が一意になるように審判番号が振り直されたことにより、下記の番号全てが事実上の永久欠番ではなくなった[15]

セントラル・リーグ
  • 3上本孝一(東京審判部所属)2006年5月5日、現役中に逝去したため。
  • 6太田正男(関西審判部所属)1990年以降
  • 26松橋慶季(東京審判部所属)1989年以降
パシフィック・リーグ

韓国プロ野球界の永久欠番[編集]

韓国では、1986年にOBベアーズ(現・斗山ベアーズ)に捕手として在籍していた金栄伸54を制定したことに始まる。

三星ライオンズ
  • 10梁埈赫(ヤン・ジュンヒョク)
    韓国野球界の打撃記録のほとんどを保持。
  • 22李萬洙(イ・マンス)
    2003年に指定。チーム一筋の捕手で韓国史上に残るスラッガー。三星ライオンズで22番を使用した唯一の人物である。
  • 36李承燁(イ・スンヨプ)
    韓国最年少で300本塁打とシーズン56本塁打のアジア記録を樹立。2012年、チーム復帰により再使用。
ロッテ・ジャイアンツ
  • 11崔東原(チェ・ドンウォン)
    1983年 - 1990年韓国プロ野球で活動。1984年韓国プロ野球最優秀選手、韓国シリーズ4勝記録。通算103勝26セーブ、1019奪三振記録。2011年9月14日に大腸癌のため53歳で逝去。同月30日に指定。
MBC青龍→LGツインズ
  • 41金龍洙(キム・ヨンス)
    1999年に指定。通算227セーブ、251セーブポイントはともに韓国記録(2009年現在)。
OBベアーズ→斗山ベアーズ
  • 21朴哲淳(パク・チョルスン)
    長年チームを支えたエースで、球団創立21年目の2002年に指定された。22連勝に韓国記録。
ヘテ・タイガース→起亜タイガース
  • 7李鍾範(イ・ジョンボム)
    2012年4月、引退を機に指定。
  • 18宣銅烈(ソン・ドンヨル)
    韓国史上最高投手と呼ばれ、2002年1月28日に指定。2001年のヘテからの身売りの際に「宣銅烈の18を返上、新人投手に与える」と発表したが、韓国球界・マスコミなどで猛反発を招き、元通り永久欠番に指定した。
ピングレ・イーグルス→ハンファ・イーグルス
  • 21宋津宇(ソン・ジヌ)
    21年間韓国プロ野球で活動。通算最多である3003イニング、210勝、2048奪三振記録。2009年9月22日に指定。
  • 23鄭珉哲(チョン・ミンチョル)
  • 35張鍾薫(チャン・ジョンフン)
    3シーズン連続本塁打王(1990 - 1992)、通算340本塁打を記録した。
SKワイバーンズ
  • 26: 朴勍完(バク・キョンワン)
    2014年4月、引退を機に指定。捕手として初めて永久欠番の栄誉を得ること。

台湾プロ野球界の永久欠番[編集]

兄弟エレファンツ
  • 4林易増
    2001年指定。盗塁王を5度受賞する名手。監督としても台湾シリーズ2連覇を果たしている。2012年は内野手の徐睿擇が使用。
  • 26王光輝
    球団史上に残る中心選手。コーチ・監督を務めた。2008年、退団をもって制定。2012年は捕手の黄鈞聲が使用。
  • 67曾紀恩
    初代監督。球団社長も務めた。
  • 99:エレファンツ・ファン
統一ライオンズ→統一セブンイレブン・ライオンズ
  • 22曾智偵
    1999年指定。台湾を代表する名捕手で、監督を務めた後に45歳で現役復帰を果たす。2012年は投手の張志強が使用。
俊国ベアーズ→興農ベアーズ→興農ブルズ→義大ライノズ
  • 10:ライノズ・ファン
  • 85徐生明
2013年前期優勝の後、後期の試合後に急逝。
La Newベアーズ→Lamigoモンキーズ
  • 17黄忠義
    球団、台湾球界を代表する二塁手。2009年制定。

野球ナショナルチームの永久欠番[編集]

日米大学野球選手権大会 日本代表
台湾代表
アメリカ合衆国代表
プエルトリコ代表
ベネズエラ代表

脚注[編集]

  1. ^ 中日新聞社 『中日ドラゴンズ70年史』 中日新聞社、2006年ISBN 4-8062-0514-132頁
  2. ^ 西武の全選手、背番号24 故稲尾氏、球団初の永久欠番2012年7月4日 朝日新聞デジタル
  3. ^ 背番号にまつわるエトセトラ『週刊ベースボール』2012年2月27日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/26, 31頁。
  4. ^ 【阪神】背番「31」15年ぶり欠番! 掛布DC自ら「2世」育てる - スポーツ報知、2013年11月11日付
  5. ^ スポーツニッポン2009年12月11日付
  6. ^ 加納優 (2010年12月20日). “栄光の背番号「7」と「9」来季も不在”. 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201012200070.html 2011年6月4日閲覧。 
  7. ^ “広島・松田オーナー、若手よ背番号7&9勝ち取れ”. スポーツニッポン大阪版. (2010年12月27日). http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser2/201012/27/ser2224921.html 2011年6月4日閲覧。 
  8. ^ “広島が黒田背番号「15」半永久欠番に”. ニッカンスポーツ. (2007年12月1日). http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20071201-290023.html 2012年7月13日閲覧。 
  9. ^ サンケイスポーツ・1983年11月10日。
  10. ^ a b 西日本スポーツ2005年1月30日付、スポーツ報知2005年1月30日付
  11. ^ 26番目の戦士たち | 千葉ロッテマリーンズ
  12. ^ 西日本スポーツ(野口正明『大下君ご苦労さん』)・西日本新聞読売新聞。1960年3月2日。
  13. ^ 【楽天】マー背番「18」“永久”欠番
  14. ^ 小林繁氏通夜:日本ハム 背番号「79」を当面“欠番”に 2010年1月20日 毎日新聞
  15. ^ 統合後、3は敷田直人、6は東利夫、13は杉本大成、26は飯塚富司が使用している。敷田は栄村孝康の2と、杉本は橘高淳の9と番号が重複したことにより現番号に変更されており(栄村と橘高は統合前の番号を統合後もそのまま使用)、東と飯塚は統合前の番号をそのまま使用している。