平松政次
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | 岡山県高梁市 |
| 生年月日 | 1947年9月19日(71歳) |
| 身長 体重 |
176 cm 74 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1966年 第2次ドラフト2位 |
| 初出場 | 1967年8月16日 |
| 最終出場 | 1984年10月13日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
野球殿堂(日本) | |
| 選出年 | 2017年 |
| 得票率 | 75.0%(112票中84票) |
| 選出方法 | 競技者表彰(エキスパート部門) |
この表について
| |
平松 政次(ひらまつ まさじ、1947年9月19日 - )は、岡山県高梁市出身のプロ野球選手(投手)、野球解説者。
「カミソリシュート」の異名を取る、高速かつ凄まじい切れ味を誇るシュートを武器に、大洋ホエールズで18年間活躍した。愛称は「カミソリ平松」。風邪をよく引いたり故障が多かったことから「ガラスの平松(ガラスのエース)」とも。
目次
経歴[編集]
3歳で父親と死別[1]。
岡山県立岡山東商業高等学校時代の1964年、湊山球場での秋季中国大会決勝で米子東に敗れたが、準優勝の成績を収め、翌1965年春の第37回選抜高等学校野球大会に出場。39イニング連続無失点の大会新記録を樹立し、決勝で藤田平のいた市和歌山商を、延長13回サヨナラ勝ちで降し優勝した。同年夏は県予選準決勝で倉敷商の松岡弘、東中国大会決勝で関西高校の森安敏明に投げ勝ち甲子園出場を決める。この大会では春夏連覇が期待されたが、1回戦で降雨ノーゲームによる再試合の末、日大二高に敗れた。
同年の第1回ドラフト会議で中日ドラゴンズに4位指名を受けるが入団拒否。社会人野球の日本石油に入社しエースとして活躍。翌1966年の都市対抗で準決勝に進むが、熊谷組に9回サヨナラ負けを喫する。同年の第2回第2次ドラフト会議で大洋ホエールズから2位指名を受けるが入団保留。このドラフト会議では巨人から1位指名の確約を受けていたが、巨人は槌田誠を指名した。巨人は競合した槌田の抽選に外れた場合、平松を指名する予定であったといわれている。1967年の都市対抗では2完封を含む4連勝で決勝に進出、8月8日に行われた決勝でも日本楽器を完封で降し優勝。同大会の橋戸賞を受賞した。大会終了の2日後、大洋に入団[2]。なお、入団説得のために高校の先輩でもあり、当時の大洋の主力選手であった秋山登と土井淳も平松の許に訪れた[3]。
1年目は途中入団ということもあって3勝に終わる。内2勝が完封だったことから2年目期待されたが5勝12敗に終わり、当人はひそかに「俺のプロ野球生活は3,4年で終わりだな」と覚悟したという。3年目春のキャンプ、一軍選手が雨天のため体育館で練習をした際に、打席に立った近藤和彦から冷やかしで投げさせられたのが、「ちゃんと投げたのは初めて」というシュートであった。初めて投げたシュートは鋭く胸元に食い込み、驚いた一軍選手がコーチに報告してチャンスが到来した[4]。
そして3年目の1969年に14勝をあげて頭角を現す。翌年の1970年は25勝をあげ[5]、最多勝利投手のタイトルを獲得し、沢村賞を受賞。また、セ・リーグのベストナインにも選出された。1971年も17勝で2年連続最多勝。12年連続2桁勝利をあげるなどエースとして低迷するチームを支えた。現役末期は怪我に泣き「ガラスのエース」と呼ばれたが、1983年に200勝を達成。甲子園優勝投手で、投手として名球会入りしたのは現在のところ平松だけである(王貞治と柴田勲は打者として名球会入りしている)[6]。
1984年限りで現役引退。リーグ優勝は経験できなかった[7](Aクラス経験はある)。同じ岡山県出身の星野仙一(中日)、松岡弘(ヤクルト)と共に、「打倒巨人」に燃え、巨人キラーとして活躍。彼の投げるシュートボールは「カミソリシュート」と呼ばれ、数多くの右打者のバットを根元からへし折った。全盛期には、ど真ん中のボールが、右打者の体に当たるくらいまで変化したとまで言われている。
引退直後、近藤唯之が「あなたは巨人戦51勝、200勝も達成した。悔いはないでしょう。」と尋ねたところ、「自分は現役生活で1度も優勝できなかった。それに鈴木啓示はまだやっている(鈴木は同学年でライバルかつ親交があった)。2つも悔いがあるんですよ」と語っている[8]。
また、投手としては打撃にも優れ、投手では歴代4位の通算25本塁打を記録した。ちなみに、漫画「巨人の星」にて大リーグボール3号を初めてヒットにした打者である。また、アニメ「がんばれ!!タブチくん!!」(第2作)で安田猛からサヨナラホームランを打ったこともある。
引退後はフジテレビ(フジテレビONE「プロ野球ニュース」などで司会を担当することもある)、ニッポン放送(2005年まで)、テレビ神奈川の野球解説者を務め、現在に至る。大洋や後身の横浜、DeNAの監督・コーチなどに就任することはなかったが、1998年に横浜が日本一になった時には我がことのように喜んでいた。また、2006年に発足したNPO法人・横浜ベイスターズ・スポーツコミュニティ(現ベイスターズ・ベースボールアカデミー)の初代理事長に就任した。この団体はベイスターズがJXTGエネルギー株式会社と提携して、スポーツを通じて地域貢献を目指す法人である。平松がベイスターズ・日本石油(現JX-ENEOS)野球部双方のOBに当たる縁から就任要請を受けたものである。
2006年6月2日、横浜スタジアムの右翼外野部分に名球会入りした選手を称えるプレートが設置された。
2012年12月1日、ホエールズ ベイスターズOB会の会長に就任した。
2017年1月16日、同郷で同じ1947年生まれの星野仙一(学年では星野が1期上)と同時に2017年度野球殿堂エキスパート部門表彰者に選出された[9]。
2018年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会で、8月9日の第1試合直前に甲子園レジェンド始球式へ登場。投げたボールは外角高目にストライクが決まり、ガッツポーズを見せていた[10]。
2018年12月1日、6年間務めてきたホエールズ ベイスターズOB会の会長を任期満了に伴い勇退し、新会長に斉藤明雄が就任した[11]。
選手としての特徴[編集]
シュートボール[編集]
平松の代名詞であるシュートだが、社会人時代に投げ方を教わっていたものの、本気で投げたことは無かった。アマチュア時代はカーブですら平松本人に言わせると「(完全な『カーブ』ではなく)カー」程度にしか曲がらず、投げる球種の大半がストレートだったが、それでも打者を打ち取れていたためシュートを投げる必要が無かったのである[12]。しかしプロ入り後、1969年春のキャンプの草薙キャンプの室内練習場で平松が投球練習をしていると近藤和彦と近藤昭仁に「こんな球しか投げられないのか」といったことを言われ、カッとなって、それまでまともに投げたことも無いシュートを全力で6球投げてみた。するとボールは平松自身も驚くほど鋭く打者に向かって変化、近藤和彦は腰を抜かしていたという。この時の6球でカミソリシュートが誕生したといい[13]、間もなく一軍に昇格しその後の活躍に至った。
シュートを投げる際の投球フォームはストレートと同じで、一瞬左肩を早く開いて右腕を遅らせる[14]。晩年に球威が落ちると腕を内側にねじる投げ方に変えたが、平松は全盛期の右腕を遅らせる投法を理想として後輩に教えている。しかしその感覚を他者に伝達するのは難しいらしく、教えてもなかなかモノにできないと嘆いている[14]。
1974年7月9日の対巨人戦では、平松の投じたシュートが河埜和正の左手に当たってバックネットに転がりデッドボールかと思われたが、球審の平光清は「ストライクのコースに入った球を河埜が打ちに行き、グリップエンドに当たった」としてファールボールを宣告。この判定に激高した巨人の川上哲治監督が平光に執拗に突っかかった為、平光は川上に退場を宣告。これが川上の37年に及ぶプロ生活で最初で最後の退場となった[15]。
長年にわたって代名詞となったシュートボールであったが、後に平松は「できればシュートではなく、(アマチュア時代のように)ストレートとカーブで勝っていきたかった」と語っている。
巨人キラー[編集]
平松の巨人戦通算51勝は金田正一(65勝)に次ぐ歴代2位。ただし、金田は国鉄時代の通算353勝の1/5に満たない65勝なのに対し、平松は通算201勝の1/4以上を巨人から挙げている。また、金田は65勝72敗と負け越しているが平松は51勝47敗と勝ち越している。巨人戦30勝以上している投手で勝ち越しているのは平松と星野仙一、川口和久だけであるが、星野、川口が巨人より勝ち星の多い対戦相手(いずれも阪神)があったのに対し、平松は巨人戦の勝利数が飛び抜けて多い(巨人の次に勝利数が多かったのは後述する中日で42勝)。
特に長嶋茂雄が最も苦手にしていた投手として知られている。長嶋と平松の通算対戦成績は181打数35安打8本塁打、打率.193、三振33、内野ゴロ65(内併殺打7)で、25打数無安打の時期もあった。長嶋は平松の200勝達成記念パーティで「あの頃は寝てもさめても平松のシュートが頭から離れなかった」とコメントしている。
しかし長嶋と並ぶ巨人打線の中核であった左打者の王貞治に対しては苦手意識を持っており、最も多くのホームラン(25本)を打たれている。同時代に活躍したヤクルトの松岡や中日の星野も、同様に長嶋は抑えても王には(3割以上)打たれた。これは彼らの最盛期が長嶋の最晩年(72~74年、打率.266、.269、.244)に重なっているためである。
他のチームでは中日戦の対戦成績も42勝32敗と強く、中日キラーとも言える。
人物[編集]
現役時は短気で気が強い性格として知られた。
- 若手時代にはエラーをしたベテランの江尻亮に対し砂を蹴飛ばしてチーム首脳陣から大目玉をくらった[16]。
- 1978年7月20日の対ヤクルト19回戦(横浜スタジアム)では、5-1でリードしていた3回表に4点を奪われて降板した際、土井淳ヘッドコーチの叱責に対する怒りのあまり、利き手である右手でベンチに設置されていた扇風機を叩き壊したことがある。当時の扇風機の羽根は金属製であったため大怪我をしても不思議ではなく、無傷で済んだのは幸運であった。本人も「一歩間違えば投手生命が終わっていたかも。無茶をやった」と述懐している[17]。
- ミスをした周囲に対して怒るのでコーチから「みんな懸命にやった結果なのだから変なプレーをしてもお前が助けろ」と諭されても、負けん気の強さから「俺は勝ちたいんだ! 変なプレーをして巨人に勝てるのか!」と反論したという[18]。
松岡弘とは学校やチームが一緒になることは無かったが、同じ岡山県出身で同学年で投手同士、すなわち岡山時代からプロ球界に至るまでの長年のライバルであり、友人でもある。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1967 | 大洋 | 16 | 10 | 2 | 2 | 1 | 3 | 4 | -- | -- | .429 | 291 | 70.1 | 66 | 13 | 14 | 1 | 3 | 42 | 2 | 1 | 31 | 28 | 3.60 | 1.14 |
| 1968 | 51 | 13 | 2 | 1 | 1 | 5 | 12 | -- | -- | .294 | 531 | 120.1 | 119 | 14 | 54 | 0 | 7 | 77 | 4 | 0 | 71 | 57 | 4.28 | 1.44 | |
| 1969 | 57 | 25 | 8 | 5 | 1 | 14 | 12 | -- | -- | .538 | 991 | 245.2 | 215 | 24 | 56 | 4 | 14 | 157 | 3 | 1 | 78 | 70 | 2.56 | 1.10 | |
| 1970 | 51 | 38 | 23 | 6 | 5 | 25 | 19 | -- | -- | .568 | 1279 | 332.2 | 226 | 18 | 68 | 6 | 13 | 182 | 1 | 2 | 80 | 72 | 1.95 | 0.88 | |
| 1971 | 43 | 32 | 11 | 3 | 1 | 17 | 13 | -- | -- | .567 | 1112 | 279.0 | 211 | 18 | 82 | 5 | 10 | 153 | 3 | 2 | 78 | 69 | 2.23 | 1.05 | |
| 1972 | 41 | 26 | 10 | 0 | 2 | 13 | 15 | -- | -- | .464 | 998 | 243.2 | 211 | 32 | 84 | 8 | 11 | 118 | 4 | 0 | 111 | 93 | 3.43 | 1.21 | |
| 1973 | 49 | 19 | 9 | 1 | 2 | 17 | 11 | -- | -- | .607 | 842 | 207.2 | 180 | 15 | 56 | 8 | 4 | 110 | 0 | 0 | 78 | 70 | 3.03 | 1.14 | |
| 1974 | 46 | 30 | 12 | 1 | 0 | 15 | 16 | 2 | -- | .484 | 1004 | 243.2 | 222 | 37 | 74 | 4 | 7 | 175 | 2 | 1 | 112 | 99 | 3.65 | 1.21 | |
| 1975 | 28 | 22 | 9 | 1 | 0 | 12 | 10 | 2 | -- | .545 | 696 | 172.1 | 145 | 25 | 50 | 1 | 6 | 134 | 1 | 0 | 71 | 62 | 3.24 | 1.13 | |
| 1976 | 41 | 35 | 16 | 2 | 1 | 13 | 17 | 2 | -- | .433 | 1089 | 260.1 | 227 | 40 | 95 | 7 | 9 | 170 | 0 | 0 | 121 | 110 | 3.81 | 1.24 | |
| 1977 | 32 | 21 | 10 | 2 | 0 | 10 | 9 | 1 | -- | .526 | 723 | 166.0 | 182 | 25 | 50 | 3 | 6 | 105 | 2 | 0 | 75 | 73 | 3.96 | 1.40 | |
| 1978 | 36 | 15 | 4 | 0 | 0 | 10 | 5 | 7 | -- | .667 | 622 | 146.2 | 142 | 18 | 49 | 3 | 7 | 83 | 1 | 0 | 73 | 64 | 3.92 | 1.30 | |
| 1979 | 30 | 25 | 11 | 3 | 2 | 13 | 7 | 1 | -- | .650 | 784 | 196.0 | 155 | 20 | 50 | 4 | 6 | 138 | 4 | 0 | 58 | 52 | 2.39 | 1.05 | |
| 1980 | 30 | 29 | 9 | 0 | 0 | 10 | 11 | 0 | -- | .476 | 855 | 199.1 | 227 | 26 | 57 | 4 | 6 | 107 | 1 | 1 | 108 | 95 | 4.30 | 1.42 | |
| 1981 | 17 | 16 | 4 | 0 | 0 | 6 | 7 | 1 | -- | .462 | 464 | 110.2 | 109 | 9 | 31 | 2 | 3 | 70 | 1 | 0 | 45 | 43 | 3.49 | 1.27 | |
| 1982 | 25 | 25 | 1 | 0 | 0 | 9 | 10 | 0 | -- | .474 | 603 | 140.1 | 150 | 15 | 31 | 1 | 5 | 83 | 1 | 0 | 65 | 62 | 3.99 | 1.29 | |
| 1983 | 23 | 22 | 4 | 1 | 1 | 8 | 8 | 0 | -- | .500 | 577 | 131.0 | 136 | 14 | 53 | 4 | 1 | 83 | 2 | 0 | 67 | 57 | 3.92 | 1.44 | |
| 1984 | 19 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 10 | 0 | -- | .091 | 430 | 95.0 | 114 | 11 | 36 | 2 | 2 | 58 | 0 | 1 | 63 | 60 | 5.68 | 1.58 | |
| 通算:18年 | 635 | 421 | 145 | 28 | 17 | 201 | 196 | 16 | -- | .506 | 13891 | 3360.2 | 3037 | 374 | 990 | 67 | 120 | 2045 | 32 | 9 | 1385 | 1236 | 3.31 | 1.20 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル[編集]
表彰[編集]
- 沢村賞:1回 (1970年)
- 最優秀投手:2回 (1970年、1971年)
- ベストナイン:2回 (1970年、1971年)
- 野球殿堂:エキスパート部門 (2017年)
- 岡山市民スポーツ栄誉賞 (2017年)[19]
- 高梁市市民栄誉賞 (2017年)[20] ※受賞者第1号
- 岡山県スポーツ特別顕賞:1回 (2017年)[21]
記録[編集]
- 初記録
- 初登板・初先発:1967年8月16日、対広島カープ19回戦(川崎球場)、5回1失点
- 初奪三振:同上、4回表に藤井弘から
- 初勝利・初先発勝利・初完封勝利:1967年8月20日、対サンケイアトムズ20回戦(県営宮城球場)
- 初セーブ:1974年5月19日、対読売ジャイアンツ6回戦(川崎球場)、6回表2死に3番手で救援登板・完了、3回1/3を3失点
- 節目の記録
- 100勝:1974年6月1日、対中日ドラゴンズ6回戦(札幌市円山球場)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回1失点 ※史上61人目
- 1000奪三振:1974年10月3日、対中日ドラゴンズ22回戦(中日スタヂアム)、5回裏に広瀬宰から ※史上50人目
- 150勝:1978年6月3日、対中日ドラゴンズ10回戦(札幌市円山球場)、9回1失点完投勝利 ※史上30人目
- 1500奪三振:1978年9月9日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、7回表にフレッド・クハウルアから ※史上25人目
- 500試合登板:1979年5月26日、対読売ジャイアンツ7回戦(石川県立野球場)、先発登板で7回4失点で勝利投手 ※史上38人目
- 600試合登板:1983年6月23日、対阪神タイガース13回戦(阪神甲子園球場)、先発登板で2回2/3を9失点で敗戦投手
- 200勝:1983年10月21日、対読売ジャイアンツ25回戦(後楽園球場)、先発登板で5回1/3を1失点完投勝利(雨天コールド) ※史上19人目
- 2000奪三振:1984年5月10日、対広島東洋カープ5回戦(横浜スタジアム)、3回表に山根和夫から ※史上10人目
- その他の記録
- 通算25本塁打(投手として歴代4位の記録)
- 通算201勝(球団記録)
- 通算145完投(球団記録)
- 通算120与死球(セ・リーグ記録)
- 3者連続三球三振:1979年6月16日 対中日ドラゴンズ11回戦(横浜スタジアム)にウェイン・ギャレット、田野倉利男、伊藤泰憲から記録 ※史上9人目(セ・リーグ5人目)[22]
- オールスターゲーム出場:8回(1969年 - 1974年、1976年、1980年)
背番号[編集]
- 3 (1967年)
- 長嶋茂雄に憧れて野球を始めたこともあり、長嶋と同じ数字であった。日本では投手がほとんど付けない番号であり、非常に珍しい例である。
- 27 (1968年 - 1984年)
関連情報[編集]
著書[編集]
- 『プロ野球をカミソリシュートで斬る!』(日本文芸社:1987年4月)
- 『カミソリシュート』(ベースボール・マガジン社:2011年5月)
歌[編集]
- 愛してヨコハマ
- ソロ歌手としてのシングル盤
- 夜明けまでヨコハマ
- 伍代夏子(当時の芸名は「加川有希」)とのデュエット曲
出演番組[編集]
- 野球道 (フジテレビ系列)
- SWALLOWS BASEBALL L!VE
- プロ野球ニュース(1988年4月 - 1992年3月:土日担当、2003年度 - :火曜日司会(2008年度のみ水曜日))
- すぽると!
- スポーツ特Q
フィクションでの登場[編集]
- 漫画「巨人の星」 - 星飛雄馬の大リーグボール3号から最初に安打を奪った選手として描かれている。「投手なのでスイングがゆるく、バットに当たった」という理由だった。
- 漫画・アニメ「野球狂の詩」-原作・アニメにも時折、登場していた。
脚注[編集]
- ^ 現役引退後に出演した資生堂「ヴィンテージ」CMより
- ^ 大洋と入団契約を交わした1967年8月10日は大洋の平松との交渉権が切れる当日でもあった。都市対抗野球大会の終了日がこの日以降になった場合、大洋が自動的に平松との交渉権を喪失することを意味した。平松は事前に大洋側に対して、大会の終了後に入団表明を行うとしていた(大会中にプロ入りを表明した場合、即座にアマチュア資格を剥奪されるため)。また当時「巨人が平松の大洋入団を阻止するために、大会終了後直ちに平松を雲隠れさせる」という噂が飛び交っており、そのため大洋の関係者達はひたすら8月10日までに大会が終了することのみを願っていたという(岡邦行『江川になれなかった男たち』p.91-92)。
- ^ フジテレビONE「プロ野球ここだけの話」2011年12月20日放送にて
- ^ テレビ愛知制作『プロ野球列伝』より。シュートボール項参照。
- ^ 1970年の25勝のうち、7勝(完封4・防御率1.50)が巨人戦での勝ち星だった。これは、チーム全体の巨人戦勝利数(14勝)の半分にあたる。平松はこのシーズンから、「カミソリシュート」にスライダーを組み合わせるようになった。なお、巨人監督の川上哲治はこの年のペナントレースを振り返って、「平松に抑えられなかったら、ウチはもっと楽に優勝できた(2位阪神とのゲーム差は2)。シュート・直球・スライダーの組み合わせには王も長嶋も手が出なかった。」という趣旨の発言を行っている(岡邦行『江川になれなかった男たち』p.92)。
- ^ 甲子園優勝投手で日本プロ野球通算200勝を記録した投手としては他に野口二郎(237勝)がいるが、野口は大正生まれのため名球会員ではなかった。また、日本プロ野球200勝以上の投手のうち、プロで現役としての優勝経験がないのは野口と平松だけである。
- ^ 「名球会」所属投手で優勝未経験なのは平松と野茂英雄だけ。ただし野茂はロサンゼルス・ドジャース時代の1995年、同球団がナショナル・リーグ西地区で優勝した経験はある(ナ・リーグ優勝はならず)。
- ^ 近藤唯之『引退 そのドラマ』新潮文庫
- ^ “平成29年 野球殿堂入り発表 伊東氏、星野氏、平松氏、郷司氏、鈴木氏が殿堂入り” (プレスリリース), 野球殿堂博物館, (2017年1月16日) 2017年1月16日閲覧。
- ^ 谷繁元信氏が始球式 外角低めにストライク 日刊スポーツ 2018年8月9日記事
- ^ ベイOB会、新会長に斉藤氏、米挑戦意向の筒香にエール - カナロコ 2018年12月1日記事
- ^ 文春Numberビジュアル文庫「豪球列伝」文藝春秋社
- ^ “長嶋苦しめた平松の「カミソリシュート」 カーッとして誕生”. NEWSポストセブン (2015年1月23日). 2016年6月20日閲覧。
- ^ a b 「変化球握り大図鑑 シュート 平松政次」 『週刊ベースボール』2009年6月22日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20444-6/22、10頁。
- ^ “【7月9日】1974年(昭49) 川上哲治が激怒した日 プロ37年、初の退場”. sponichi.co.jp(スポーツニッポン新聞社) (2008年7月3日). 2018年5月8日閲覧。
- ^ 村瀬秀信「4522敗の記録」135頁 双葉社 2013年
- ^ 文春Numberビジュアル文庫『暴れん坊列伝』文藝春秋社
- ^ 村瀬秀信「4522敗の記録」136頁 双葉社 2013年
- ^ “「カミソリシュート」平松政次さんに贈呈 岡山市 /岡山”. 毎日新聞地方版 (毎日新聞社). (2017年8月5日) 2017年12月3日閲覧。
- ^ “高梁市市民栄誉賞 (PDF)”. 広報たかはし 2017年10月号. 高梁市 (2017年10月16日). 2017年12月3日閲覧。
- ^ “岡山県スポーツ特別顕賞の贈呈について (PDF)”. 岡山県 スポーツ振興課 (2017年10月26日). 2017年12月3日閲覧。
- ^ “楽天松井裕樹が記録した3者連続3球三振を過去に達成しているのは?”. BBCrix. (2017年5月6日) 2017年12月18日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 平松政次 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 野球殿堂
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プロ野球ニュース歴代キャスター
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| 期間 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | |
| 1976.4 | 1977.9 | 佐々木信也 | 土居まさる | |||||
| 1977.10 | 1977.12 | はらたいら | ||||||
| 1978.1 | 1980.3 | 押阪忍 | ||||||
| 1980.4 | 1983.9 | みのもんた | ||||||
| 1983.10 | 1985.9 | 佐々木信也 | みのもんた | 佐々木信也 | ||||
| 1985.10 | 1986.3 | 佐々木信也 | みのもんた | |||||
| 1986.4 | 1988.3 | みのもんた、大島智子 | ||||||
| 1988.4 | 1991.3 | 野崎昌一、須田珠理 | 中井美穂 大矢明彦、平松政次、谷沢健一 | |||||
| 1991.4 | 1992.3 | 野崎昌一、石川小百合 | ||||||
| 1992.4 | 1992.10 | 中井美穂 | 田尾安志、石川小百合 | 中井美穂 | ||||
| 1992.11 | 1993.3 | 田尾安志、小島奈津子 | ||||||
| 1993.4 | 1994.3 | 田尾安志 森口博子 |
中井美穂 | 森脇健児 関根潤三 八木亜希子 | ||||
| 1994.4 | 1995.3 | 福井謙二、志岐幸子 | (『スポーツWAVE』に内包) | |||||
| 1995.4 | 1996.3 | 福井謙二、西山喜久恵 | パンチ佐藤 中村江里子 |
田尾安志 陣内貴美子 斎藤英津子 | ||||
| 1996.4 | 1997.3 | 福井謙二 西山喜久恵 |
福井謙二 木佐彩子 |
パンチ佐藤 西山喜久恵 |
田尾安志 西山喜久恵 | |||
| 1997.4 | 1997.9 | 福井謙二、西山喜久恵 | 木佐彩子 | (放送なし) | ||||
| 1997.10 | 1998.3 | 木佐彩子 | ||||||
| 1998.4 | 1999.3 | 福井謙二 木佐彩子 |
福井謙二 西山喜久恵 |
長嶋一茂、中村江里子 | ||||
| 1999.4 | 2000.3 | 木佐彩子 | 長嶋一茂、荒瀬詩織 | |||||
| 2000.4 | 2001.3 | 三宅正治 宇田麻衣子 |
三宅正治 荒瀬詩織 |
田尾安志、大久保博元 大橋マキ | ||||