澤村拓一

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澤村 拓一
読売ジャイアンツ #15
Giants sawamu15.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県栃木市
生年月日 1988年4月3日(28歳)
身長
体重
184 cm
101 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト1位
初出場 2011年4月15日
年俸 1億5,000万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2013年
プレミア12 2015年

澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手投手)。

メディアによっては沢村 拓一の表記も見られる。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

栃木県栃木市出身。小学2年時に野球を始め、6年から投手を務める。この頃から自己主張が強かったという[2]栃木市立東陽中学校でも野球部に所属して県大会に出場。佐野日大高校時代は3番手投手として夏を迎え、登板機会がないまま県大会決勝で敗退[3]。高校の先輩で中央大学OBでもある会田有志の勧めもあって[2][4]中央大学硬式野球部を受験する。東海大学も受験して両校に合格したが、先に合格通知が届いた中央大学(商学部[5]への進学を決めた[2]

大学進学後、2年秋には東都大学1部リーグ先発・初勝利完封で飾りエースへ成長。2009年第37回日米大学野球選手権大会日本代表第25回アジア野球選手権大会日本代表に選出された。3年秋のリーグ戦の青山学院大学戦の初回に、神宮での大学生歴代最速となる最速156km/hをマークした。11月22日のU-26 NPB選抜 対 大学日本代表に出場し、3回裏に1イニングを投げ、坂本勇人を直球で見逃し三振に仕留めるなど無失点に抑えた。4年春には東洋大学戦で大学生歴代トップを更新する最速157km/h[3]をマークするなどの活躍で最優秀投手賞を受賞した。リーグ戦終了後には世界大学野球選手権大会の日本代表に選出されたが、故障のため出場は辞退した。東都大学1部リーグ通算41試合に登板し19勝14敗、防御率1.31、266奪三振。2部リーグで7勝2敗。2011年大学卒業[6]

中大でも直球にこだわり2年秋には球速が150kmを超えるようになっていたが、野球部監督の高橋善正は「お前はピッチャーじゃない。単なる『投げ屋』だ!」と否定し、コントロールと変化球を磨くよう繰り返し指導した。3年秋頃から成長の兆しが見られたといい[7]、完封した4年秋の亜細亜大戦は高橋も「ピッチングと呼べる投球」と評価した[4]。澤村も同年春から変化球を磨き、ピッチングの幅が広がっていることを実感している[8]

2010年10月のドラフト会議では、同じ中大出身の阿部慎之助亀井義行の活躍を見て入団を希望し、相思相愛とも言われた[9]読売ジャイアンツから単独1位指名を受け、記者会見では喜びの涙を流した。指名直後の会見で背番号18を希望したが、10月30日に挨拶に訪れた球団代表の清武英利から「沢村(栄治)さんを1つ超えるという意味で、15を背負ってほしい。18は力で勝ち取ってもらいたい」と話した[10]が、結果的に2011年FA権を行使して移籍した杉内俊哉に18が与えられた(沢村栄治の背番号14は巨人の永久欠番である)。なお、ドラフト直前にはスポーツ報知[11]スポーツニッポンなどが中日ドラゴンズとの競合を予想していた[12]日刊ゲンダイによれば中日は入団拒否のリスクを考えて当日のスカウト会議で澤村指名を見送り大野雄大の単独指名に切り替えたという[13]

ドラフトに際しては複数のメジャー球団からメジャー契約でのオファーもあり、巨人以外から指名された場合はアメリカでのプロ入りを選択していた可能性もあったと話していた[3]

プロ入り後[編集]

2011年
開幕を一軍で迎えた4月15日の広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)でプロ初登板・初先発し、7回途中まで2失点(自責点0)の投球。ここでは初勝利はならなかったものの、同月21日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)を、7回1失点でプロ初勝利をあげた。5月31日の埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)ではプロ初の完投勝利を挙げると、6月19日の西武戦(東京ドーム)では7回無失点に抑えて本拠地初勝利を達成(しかし、初勝利のウイニングボールはこの日最後に登板したジョナサン・アルバラデホが客席に投げ入れてしまったため、澤村自身の手元には渡っていない)。序盤から中盤にかけては安定した投球をしても援護に恵まれず負けが先行したが、9月以降は5勝1敗、防御率1.10、WHIP0.64と好投を続け、最終戦で防御率1点台は逃したものの、セ・リーグの新人では江夏豊以来となる200イニング到達を果たした。最終的に5完投を含む11勝11敗、防御率2.03、174奪三振、WHIP0.97と好成績を収め、新人王に選ばれた。澤村の受賞により巨人からは2008年山口鉄也以来4年連続で新人王を輩出したこととなった。同一球団から4年連続新人王受賞はプロ野球史上初。
同年10月17日には、日本テレビアナウンサー森麻季とシーズン終了後に結婚することを発表し、12月17日、挙式披露宴を行った。
2012年
2年連続で二桁勝利を達成。巨人で新人から2年連続で二桁勝利を記録したのは1966年 - 1967年堀内恒夫(16勝、12勝)以来45年ぶりである[14]。このシーズンは「相手を制圧するピッチング」を目指し、前シーズンのオフから肉体改造に取り組んだ。シーズン当初は防御率1点台と安定していたものの交流戦を境に調子を崩し、以降は不安定な投球が目立つようになった。最終登板の横浜DeNAベイスターズ戦で5回1失点で勝利投手となりなんとか10勝に到達するも、巨人では1979年 - 1980年江川卓(10敗、12敗)以来32年ぶりの新人から2年連続での二桁敗戦を記録、投球内容も前年より数字を落とした。
2012年のセントラル・リーグクライマックスシリーズではチームが3連敗し、後がなくなった4戦目に先発登板し自責点0(失点1)と好投し、勝利投手となる。この後チームがこの試合を含めて3連勝して進出した日本シリーズでは第2戦に先発登板し、8回無失点の好投で日本シリーズ初登板初先発初勝利をあげた。この試合では、初回にピンチを背負い、牽制のサインを見逃したため捕手の阿部にマウンド上で頭を叩かれるシーンもあった後に立ち直ったということも話題となった[15]。この日本シリーズでは第6戦にも登板するが、6回表に中田翔に3ラン本塁打を打たれ同点とされ、その裏に代打を送られて降板した。
チームが上記の日本シリーズを制し、その後の11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され[16]代表入りした[17]。また、12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[18]候補入りした[19]
2013年
2月20日に第3回WBC日本代表選手28人が発表され[20]代表入りした[21][22][23]。本戦では4試合に中継ぎ登板、3回1/3を1失点という成績だった。
同年3月末に森麻季と離婚。結婚から1年5ヶ月であった[24]
この年は打線の援護に恵まれない中(この年の援護率は規定投球回到達者の中ではリーグワーストであった)で前半戦は4勝6敗・防御率2.46と一定の成績を残す。オールスターゲームでは監督推薦で出場選手に選出[25]され、第1戦で3イニングを投げてMVPを受賞。巨人の投手では1984年江川卓以来、29年ぶりの受賞となった。しかし、後半戦では前半戦に引き続き勝てない試合が続く中でピッチング内容も徐々に悪化するようになる。9月12日の横浜DeNA戦(東京ドーム)よりリリーフとして起用された。リリーフでは12試合に登板し1勝1敗6ホールド・防御率0.63と好投したが、シーズンを通しては5勝しかできず、3年連続の二桁敗戦を記録するなど前年以上の不調に苦しんだ。広島とのクライマックスシリーズでは1戦目に中継ぎ登板し無失点と好投。楽天との日本シリーズでは4試合に中継ぎ登板した。
2014年
キャンプ序盤の2月3日に発症した右肩の違和感で開幕は二軍スタートとなる[26]。7月に一軍昇格したものの同30日に登録抹消され、8月に再昇格[27]し5勝3敗でレギュラーシーズンを終えた。10月16日に行われた阪神とのクライマックスシリーズファイナルステージでは第2戦に登板したものの、上本博紀の頭部に死球を与え危険球退場となった[28]。結果的にこの危険球で阪神打線に火が付きチームは敗れた。その後4連敗でクライマックスシリーズ敗退となった。11月9日、原辰徳監督は不安定だった救援陣を強化するため澤村を中継ぎに配置転換すると明かした[29]
2015年
2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された事が発表され、小久保裕紀が日本代表監督に就任してから初めて日本代表に選出される事となった[30]。ただ、登板することはなかった[31]
シーズンでは、3月27日の横浜DeNAベイスターズとの開幕戦で、9回に登板し関根大気に本塁打を被弾するも自身初のセーブを記録した[32]。その後もセーブを重ねて、7月10日の阪神戦でセーブを挙げ、前半戦での20セーブに到達した。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された[33]。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された事が発表された[34]。後半戦も守護神の地位を確立し、最終的に36セーブを記録した。その一方、走者を出しながら抑える登板が多く、BB/9が2.77、WHIPが1.16(共に30セーブ以上挙げた投手では両リーグで最も高い数値)と安定感に欠く内容であった。
同年10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された事が発表された[35]。11月1日には契約更改に臨み、年俸1億円で更改した[36]

選手としての特徴[編集]

澤村の投球フォーム(2012年)

オーバースローから先発時代には平均球速約145km/h[37]、最速157km/h(プロ入り後の最速は155km/h[38])のストレート、縦横のスライダーカーブフォークを投げ分け[39]クイックも1.0秒台と速い[40]。フォークはスプリットのように落差が小さく最速147km/h[41]のスピードが出ることに加えてスライダー回転するため、縦のスライダーと混同されることもあった[42]。また、2012年の日本シリーズからツーシームを加える[43]。リリーフ転向後はほぼ全てストレートとフォークで配球を組み立てている。

2013年にリリーフとして起用された際には平均球速約148km/hを記録し[44]、先発としてもセ・リーグ屈指の球速を誇るが、本人はスピードにはこだわっておらず、高めのストレートと低めの変化球が生命線だと語っている[39]一方でピッチングに『若さ』を出したいとも語っている[45][46]。また右打者の内角をつくストレートに自信を持っている[2]。一方で、ストレートで相手を「制圧」することに固執せず、打者の狙いやタイミングを外す投球を覚えることを課題として自覚している[47]

奪三振率は2015年までの通算7.88と特に高いわけではなく、「三振をいくつ取れた」や「三振を取れるストレート」よりも打者を打ち取ることを最重要視しているという[48]

人物[編集]

2012年に巨人が日本一に輝いた際に出演したテレビ番組「中井正広のブラックバラエティ」で「日本一になったらなにをするか」と問われ、阿部慎之助内海哲也が「家族サービス」と答える中、「トレーニング」というほどの練習好き[49]。特に大学時代から取り組み始めたウェイトトレーニングに熱心で、2011年時点ではスクワットで240kgの重量を10回持ち上げた[50]。しかし2014年の自主トレの段階では「3年やったけど、結果を残せなかった。今年、真価が問われる年だと言われているのに、同じことを繰り返しているようではバカでしょう」と言う理由で高重量のバーベルを使った練習は行わなくなり、体を上手く使う技術を追求することを模索し始めた。[51]

憧れの選手は斉藤和巳[46]。 座右の銘は「猪突猛進」。趣味は家電で「語ると何時間も話せる」と豪語するほど[52]

2012年よりアンダーアーマーとアドバイザリー契約を結び、同社のグラブやスパイク、ウェアを使用している[53]

中学から大学時代までの監督は揃って「研究熱心な選手」と評し、本人も小さい頃からピッチングフォームについて考えることが好きだったという[45][46]。高校時代と比べて大学では周囲の影響を受けて練習に取り組む意識が変わり、1部リーグに上がったことがターニングポイントとなり[39]、人に見てもらえる状況になって自分に良いプレッシャーをかけられたと語っている[8]

中央大野球部監督の高橋善正からは「自分のために野球をする」意識を叩き込まれた。これは自分が良いプレーをすればチームの勝ちにつながり双方にとってプラスになるというもので、味方が打てないなら自分が抑えればいいという考えにつながっている[2]。澤村は、高橋との出会いが自分を変えたと語っている。また大学時代に球速が上がった理由として下半身を鍛えたことを挙げ、言われるままするのではなく、自分で考えながら練習することで他人と差をつけられると語っている[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2011 巨人 29 29 5 1 1 11 11 0 0 .500 786 200.0 149 14 45 1 5 174 5 3 53 45 2.03 0.97
2012 27 26 2 1 0 10 10 0 0 .500 716 169.2 172 12 54 0 4 138 2 0 56 54 2.86 1.33
2013 34 22 3 1 0 5 10 0 6 .333 654 158.1 138 18 43 0 5 148 5 0 58 55 3.13 1.14
2014 12 12 2 1 0 5 3 0 0 .625 299 72.2 69 3 14 0 2 66 5 0 31 30 3.72 1.14
2015 60 0 0 0 0 7 3 36 3 .700 282 68.1 58 4 21 0 3 60 2 0 12 10 1.32 1.16
2016 63 0 0 0 0 6 4 37 4 .600 271 64.1 60 5 22 0 1 55 9 1 20 19 2.66 1.27
通算:6年 225 89 12 4 1 44 41 73 13 .518 3008 733.1 646 56 199 1 20 641 28 4 230 213 2.61 1.15
  • 2016年度シーズン終了時

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初打席:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表にディオーニ・ソリアーノから見逃三振
  • 初安打・初打点:2011年5月11日、対横浜ベイスターズ5回戦(東京ドーム)、5回裏にクレイトン・ハミルトンから左前適時打
その他の記録

背番号[編集]

  • 15 (2011年 - )

登場曲[編集]

応援歌[編集]

鉄の右腕がうなりあげ 打者をなぎ倒す その名世代に轟かす 王者澤村投げ抜け

代表歴[編集]

参考文献[編集]

  • 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年

脚注[編集]

  1. ^ 巨人 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 節丸裕一 『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』 講談社、2011年ISBN 978-4-0629-5066-4
  3. ^ a b c 沢村 涙の理由は…巨人でなければ、ヤンキースだった スポニチ2010年12月1日
  4. ^ a b <本格派誕生秘話> 澤村拓一 「不器用さが生んだ剛速球」(3/4) Number Web 2011年4月15日
  5. ^ 硬式野球部の澤村 拓一さん(商学部4年)がプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから1位指名されました”. 中央大学. 2012年10月28日閲覧。
  6. ^ 沢村拓一選手(読売巨人軍・2011年卒業)が新人賞(新人王)に選ばれました”. 中央大学. 2012年10月28日閲覧。
  7. ^ 野球 : 中大・高橋監督「巨人・沢村が2ケタ勝つ条件」 SPORTS COMMUNICATIONS 2011年3月16日
  8. ^ a b 「1年目から最低10勝」――157キロ右腕・澤村の決意と覚悟 2010年プロ野球ドラフト注目選手 矢島彩 スポーツナビ、2010年10月22日。
  9. ^ 巨人の沢村、相思相愛実った!/ドラフト SANSPO 2010年10月29日
  10. ^ 巨人 沢村にあいさつ 用意した背番号15の意味は?SponichiAnnex 2010年10月30日
  11. ^ 中日、沢村投手を1位指名へ スポーツ報知2010年10月17日 リンク切れ
  12. ^ ドラ1は沢村を基本線…直前に指揮官の意向確認スポニチアネックス 2010年10月28日
  13. ^ 沢村に花道を邪魔される落合監督の皮肉 日刊ゲンダイ201年10月15日
  14. ^ “沢村入団後連続10勝 Gは堀内氏以来”. デイリースポーツ. (2012年10月6日). http://daily.co.jp/newsflash/baseball/2012/10/06/1p_0005431461.shtml 2012年10月8日閲覧。 
  15. ^ Sponichi Annex 『阿部「バシッ」公開説教!沢村 その後は別人8回無失点』スポーツニッポン新聞社、2012年10月29日、閲覧2015年10月19日
  16. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
  17. ^ 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
  18. ^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  19. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  20. ^ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  21. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
  22. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  23. ^ WBC日本代表 最終メンバーにG戦士7選手 読売巨人軍公式サイト
  24. ^ 沢村が離婚 昨年から協議、先月末届け出 2013年4月13日閲覧。
  25. ^ “オールスターの監督推薦に、西村、澤村、菅野の3投手”. Yomiuri Giants Offitial Website. (2013年7月1日). http://www.giants.jp/G/gnews/news_397323.html 
  26. ^ 澤村拓一投手・日本シリーズ以来の一軍マウンドへ、明るい兆し週刊ベースボールONLINE
  27. ^ 沢村、18日1軍合流 21日・ヤクルト戦先発へスポーツ報知 2014年8月18日
  28. ^ プロ野球:巨人・沢村が危険球退場 CS第2戦毎日新聞 2014年10月16日
  29. ^ 沢村 中継ぎ決定!不安救援陣の起爆剤へ 守護神“ガチバトル”スポニチ 2014年11月10日
  30. ^ 欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集 侍ジャパン公式サイト (2015年2月16日) 2015年3月22日閲覧
  31. ^ “守護神・沢村”お披露目はお預け…裏なしで終わり登板流れる ベースボールキング (2015年3月11日) 2015年3月22日閲覧
  32. ^ a b 巨人 4安打3点 開幕3年連続白星発進 DeNA 倍打って負けた スポニチアネックス (2015年3月27日) 2015年3月27日閲覧
  33. ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日) 2015年8月4日閲覧
  34. ^ 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧
  35. ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月9日) 2015年10月9日閲覧
  36. ^ [ http://www.sankei.com/sports/news/151201/spo1512010023-n1.html 年俸1億円で更改] 産経ニュース、2015年12月1日
  37. ^ 変化球ラーニング スライダー編 澤村拓一『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、24-25頁。
  38. ^ “沢村 160キロ出る!?捕手圧倒のブルペン「悪くはなかった」”. スポニチ Sponichi Annex. (2015年1月30日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/30/kiji/K20150130009716930.html 
  39. ^ a b c 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、12-14頁。
  40. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、2頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  41. ^ 沢村“147キロフォーク”封印解く!「自信ある」最終兵器報知新聞2011年2月14日。
  42. ^ ドラフト候補をたっぷり語る 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、47頁。
  43. ^ 沢村「魔球」解禁で先発再浮上 nikkansports.com 2013年2月19日
  44. ^ 『野球太郎 2014 プロ野球&ドラフト候補選手名鑑』 廣済堂出版、2014年、175頁。ISBN 978-4-331-80255-7
  45. ^ a b 『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、172-175頁。
  46. ^ a b c ドラフト指名選手の野球人生ドキュメント『野球小僧』2010ドラフト総決算号、白夜書房、雑誌67614-98、84-89頁。
  47. ^ 沢村、覚悟のオフ「笑い者で終わるのか、そうでないか」 2013年11月18日 スポーツ報知
  48. ^ 巻頭独占インタビューⅡ 澤村拓一『週刊ベースボール』2011年9号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-2/28、10-13頁。
  49. ^ G澤村、離婚発表も筋肉ツイ連投 R25.jp 2013年04月19日
  50. ^ <本格派誕生秘話> 澤村拓一 「不器用さが生んだ剛速球」(1/4) Number Web 2011年4月15日
  51. ^ 巨人沢村がバーベルと決別「土台できた」 nikkansports.com 2014年1月16日7時37分 紙面から
  52. ^ 沢村、救援陣打たれ白星消滅も「僕の力不足」スポニチ2011年4月16日。
  53. ^ 巨人沢村“社運”託された契約 nikkansports.com 2012年1月29日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]