グレン・ブラッグス

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グレン・ブラッグス
Glenn Braggs
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンバーナーディーノ
生年月日 1962年10月17日(52歳)
身長
体重
193 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1983年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 1986年7月18日
NPB / 1993年4月10日
最終出場 MLB / 1992年9月10日
NPB / 1996年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

グレン・エリック・ブラッグスGlenn Erick Braggs , 1962年10月17日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手外野手)。

シンシナティ・レッズではワールドシリーズ制覇に貢献。1990年代中盤に横浜ベイスターズに所属し、強打の4番打者として活躍した。

来歴[編集]

1983年ドラフト2巡目でミルウォーキー・ブルワーズに入団。1986年メジャー初昇格。

1990年シーズン途中にシンシナティ・レッズへ移籍。控えの外野手として同年のナショナルリーグレギュラーシーズン及びワールドシリーズ制覇に貢献した。

1993年ロバート・ローズに続いて「横浜大洋ホエールズ」から球団名を改称してまもない横浜ベイスターズに入団し、4番打者として活躍。来日当初は打撃不振に陥るも、6月2日から7月15日にかけて、29試合連続でヒットを放ち、トニー・バナザード南海)が記録した外国人の連続安打記録を更新した。高橋慶彦広島)が記録した33試合連続安打の日本新記録も期待されたが、神宮球場のクラブハウスで右手小指を骨折し、後半戦を欠場した。

1994年には大豊泰昭中日)の38本に次ぐ、セ・リーグ2位となる35本塁打を放ち、ベストナインに選出される。

1996年死球による膝の故障などが原因で不振に陥り、この年限りで現役を引退した。

現在は、ロサンゼルスで不動産仲買人をしている。

プレースタイル・人物[編集]

筋骨隆々の彫刻のような体格が生み出す飛び抜けた長打力が持ち味で、横浜スタジアムでは場外本塁打も記録している。スイングも豪快で、レッズ時代の1990年のワールドシリーズ第4戦でフルスイングをして空振りをした際に、左肩にバットを当てて折ったことがある[1][1]。手も大きく、片手だけで硬球を8個持つことができた。1993年に共にプレーした高木豊は、ブラッグスと一緒に風呂に入るのが楽しみだったと語っている。また、その強面は相手投手・選手に威圧感を与え、ヤクルト古田敦也はキャッチャーとして構えていて、鼻息だけでも怖かったと述べている。打撃のみならず右翼の守備も秀逸だった。

野球に取り組む姿は非常に真面目であり、内野ゴロを放って一塁にヘッドスライディングをすることも度々あった。春のキャンプも、当時外国人選手はキャンプ途中から参加することが通例だったが、ブラッグスはほぼ毎年初日から参加していた。また、敬虔なクリスチャンであり、阪神・淡路大震災の際には多額の義援金を寄付している。しかし日頃が非常に真面目な分、一旦怒らせると手の付けられない選手としても有名であった。

夫人はR&Bグループ、アン・ヴォーグのメンバー、シンディ・ヘロン。アン・ヴォーグはアメリカではヒットチャートに何度か登場し、グラミー賞にノミネートされたこともある有名なグループであり、シンディも球場で国歌斉唱をしたことがある。結婚当時は二人とも絶頂期であり、「レッズの4番とアン・ヴォーグのメンバー」というビッグ・カップルは、当時アメリカで話題になった。

現在ブラッグスはヴィーガンであるという。

退場処分[編集]

前述の通り日頃が非常に真面目な分、一旦怒らせると手の付けられない選手としても有名であり、審判の判定に激昂したり、乱闘騒ぎを起こすこともあった。横浜時代には退場処分を3度受けている。

  • 1993年6月27日の対中日戦で津野広志から受けた死球に激昂し、津野に走り寄り乱闘騒ぎを起こし退場。
  • 1994年6月22日には与田剛から死球を受け、そのまま一塁に行こうとしたが、与田がこの死球に不満な表情をし、それに対しブラッグスが激怒。与田と目があった際に与田を殴りつけ乱闘騒ぎを起こし与田共々退場。
  • 1995年の対阪神戦でもハーフスイングの判定を不服として井野審判に詰め寄り、暴言を吐いたため退場処分となった。

この3件はプロ野球珍プレー・好プレー大賞でも放送された。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1986 MIL 58 232 215 19 51 8 2 4 75 18 1 1 2 3 11 0 1 47 6 .237 .274 .349 .623
1987 132 565 505 67 136 28 7 13 217 77 12 5 2 7 47 7 4 96 20 .269 .332 .430 .762
1988 72 294 272 30 71 14 0 10 115 42 6 4 1 2 14 0 5 60 6 .261 .307 .423 .730
1989 144 570 514 77 127 12 3 15 190 66 17 5 3 7 42 4 4 111 13 .247 .305 .370 .675
1990 37 131 113 17 28 5 0 3 42 13 5 3 0 3 12 2 3 21 1 .248 .328 .372 .700
CIN 72 231 201 22 60 9 1 6 89 28 3 4 0 1 26 1 3 43 3 .299 .385 .443 .828
'90計 109 362 314 39 88 14 1 9 131 41 8 7 0 4 38 3 6 64 4 .280 .365 .417 .782
1991 85 279 250 36 65 10 0 11 108 39 11 3 0 4 23 3 2 46 4 .260 .323 .432 .755
1992 92 307 266 40 63 16 3 8 109 38 3 1 1 2 36 5 2 48 10 .237 .330 .410 .740
1993 横浜 72 309 264 61 91 10 2 19 162 41 2 2 0 1 40 1 4 46 5 .345 .437 .614 1.051
1994 122 534 448 84 141 25 1 35 273 91 1 0 0 6 68 2 12 83 14 .315 .414 .609 1.023
1995 110 480 407 75 111 23 0 24 206 72 4 1 0 1 59 1 13 102 8 .273 .381 .506 .887
1996 100 411 356 55 100 20 1 13 161 56 6 1 0 5 44 0 6 72 19 .281 .365 .452 .817
MLB:7年 692 2609 2336 308 601 102 16 70 945 321 58 26 9 29 211 22 24 472 63 .257 .322 .405 .726
NPB:4年 404 1734 1475 275 443 78 4 91 802 260 13 4 0 13 211 4 35 303 46 .300 .397 .544 .941
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

NPB

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 36 (1986年)
  • 26 (1986年 - 1990年)
  • 15 (1990年 - 1992年)
  • 44 (1993年 - 1996年)

脚注[編集]

  1. ^ 福島良一『大リーグ物語』189ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]