山崎賢一

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山崎 賢一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県志木市
生年月日 (1962-07-20) 1962年7月20日(55歳)
身長
体重
174 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1980年 ドラフト外
初出場 1985年4月24日
最終出場 1995年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 福岡ダイエーホークス (1998)

山崎 賢一(やまざき けんいち、1962年7月20日 - )は、埼玉県志木市出身[1][2][3]東京都生まれ[4])の元プロ野球選手外野手)・コーチ

経歴[編集]

所沢商業高から、1980年オフにドラフト外横浜大洋ホエールズに入団。背番号は46

入団後4年間は二軍生活を送ったが、背番号が59に変更となった1985年近藤貞雄監督が目標とする機動力野球に合致した選手として評価され、同年4月24日に一軍公式戦初出場を果たす。同年は32試合に出場し、プロ入り初本塁打も記録。二軍では22盗塁を記録してイースタン・リーグ盗塁王を獲得。

1986年には当時スーパーカートリオの一員であった加藤博一が負傷した為、出場機会が増加。主に代打代走、試合終盤の守備固めとして起用されるなど、スーパーサブ的な役割を果たす。基満男二軍打撃コーチが長打を切り捨て、単打主義を徹底させるために考案した[5]こけしバット(またはつちのこバット)というグリップエンドがこけしの頭のような形をした、極端にバットを短くグリップすることが出来るバットを使用しだし、注目される。1987年古葉竹識監督就任後は、打率1割台を記録するなど成績が低下し、出場試合数も前年の97試合から42試合へ減少。1988年屋鋪要の成績不振により、中堅手としてスターティングメンバーでの出場機会を増やす。期待以上の活躍を見せ、外野手であったジム・パチョレックを一塁に追いやった。

1989年シーズンは開幕スタメンを経験。成績は常に打率3割台をキープ。同年不振に陥っていたカルロス・ポンセに代わり4番を打つ事が多かった[6]。また、オールスターゲーム初出場も果たした。シーズンオフにはゴールデングラブ賞ベストナインの表彰を受け、背番号も2に変更された。1990年頃から腰痛に悩まされ好成績を残せなくなり、チーム名が「横浜ベイスターズ」に変わった1993年オフ、チームの若返り策の一環[7]として屋鋪や高木豊らのベテラン選手とともに戦力外通告を受ける。

解雇されたベテラン6選手の中でいち早く他球団からオファーが来たのは山崎であり、1994年福岡ダイエーホークスへ移籍。背番号は26。主に代打、代走として出場する。1996年、一軍出場が無いまま現役を引退。

引退後はダイエー球団に残り、1997年にスカウト、1998年に二軍打撃コーチを務め、1999年より再びスカウトを務める[8]

大洋・横浜時代に付けられたニックネームは「番長[9]。プロ入り前は「組長」だったが、入団当時コーチだった沖山光利が社会に出ればランクが下がるだろうと考え付けたものである[9]。のちに三浦大輔へ「ハマの番長」として受け継がれた。

こけしバットはダイエー移籍後も使用し、漫画『ドカベン プロ野球編』では、2年目のシーズンで山田太郎がそれに対応するリードを行う場面が描写された。また、「こけしバット」というフレーズは、横浜時代の応援歌の歌詞に使用された。現在でもこのバットは契約をしていたザナックスのカタログに掲載されている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1985 大洋
横浜
32 58 51 11 13 3 0 1 19 3 3 0 1 0 6 0 0 11 0 .255 .333 .373 .706
1986 97 170 155 20 38 7 1 0 47 6 4 2 4 0 9 0 2 23 3 .245 .295 .303 .598
1987 42 48 46 5 8 2 0 2 16 6 0 0 1 0 0 0 1 11 0 .174 .191 .348 .539
1988 71 247 222 35 66 12 2 2 88 28 8 1 4 5 14 0 2 36 1 .297 .337 .396 .732
1989 129 534 476 64 147 24 5 7 202 56 17 7 9 7 38 0 4 59 6 .309 .341 .424 .765
1990 109 463 421 56 109 13 5 4 144 34 18 12 6 1 32 0 3 47 6 .259 .315 .342 .657
1991 54 142 125 14 34 7 0 1 44 15 2 3 0 1 16 0 0 16 3 .272 .352 .352 .704
1992 62 188 163 23 42 9 1 1 56 19 9 1 4 3 17 0 1 27 2 .258 .326 .344 .670
1993 60 154 135 14 25 2 0 0 27 11 0 1 2 1 14 0 2 25 0 .185 .270 .200 .470
1994 ダイエー 87 161 141 15 36 8 1 0 46 12 2 3 3 0 17 0 0 29 3 .255 .335 .326 .662
1995 80 134 123 11 28 8 0 1 39 12 0 3 2 2 6 0 1 25 3 .228 .265 .317 .582
通算:11年 823 2299 2058 268 546 95 15 19 728 202 63 33 36 20 169 0 16 309 27 .265 .323 .354 .677
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 46 (1981年 - 1984年)
  • 59 (1985年 - 1989年)
  • 2 (1990年 - 1993年)
  • 26 (1994年 - 1996年)
  • 74 (1998年)

脚注[編集]

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  1. ^ 「全国」夢のベストナイン特集 - 時事ドットコムより
  2. ^ LOTTE BASEBALL CARD 1990「山崎賢一」
  3. ^ 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』
  4. ^ 『ホークス九州20年史ー1989-2008 飛翔!若鷹軍団』P98
  5. ^ 『やくみつるのベイスターズ心中』P175
  6. ^ 当時「12球団中最も長打力の低い4番打者」と揶揄されたこともあった。
  7. ^ 球団が同年オフにFA宣言した駒田徳広の獲得資金を捻出する為に、山崎や高木ら高年俸の選手達4人を解雇したという理由もある。
  8. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P19
  9. ^ a b 『やくみつるのベイスターズ心中』P213

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]