1984年の野球

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競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 広島東洋カープ 75 45 10 .625 -
2位 中日ドラゴンズ 73 49 8 .598 3.0
3位 読売ジャイアンツ 67 54 9 .554 8.5
4位 阪神タイガース 53 69 8 .434 23.0
5位 ヤクルトスワローズ 51 71 8 .418 25.0
6位 横浜大洋ホエールズ 46 77 7 .374 30.5
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 阪急ブレーブス 75 45 10 .625 -
2位 ロッテオリオンズ 64 51 15 .557 8.5
3位 西武ライオンズ 62 61 7 .504 14.5
4位 近鉄バファローズ 58 61 11 .487 16.5
5位 南海ホークス 53 65 12 .449 21.0
6位 日本ハムファイターズ 44 73 13 .376 29.5

日本シリーズ[編集]

1984年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月13日(土) 第1戦 阪急ブレーブス 2 - 3 広島東洋カープ 広島市民球場
10月14日(日) 第2戦 阪急ブレーブス 5 - 2 広島東洋カープ
10月15日(月) 移動日
10月16日(火) 第3戦 広島東洋カープ 8 - 3 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月17日(水) 第4戦 雨天中止
10月18日(木) 広島東洋カープ 3 - 2 阪急ブレーブス
10月19日(金) 第5戦 広島東洋カープ 2 - 6 阪急ブレーブス
10月20日(土) 移動日
10月21日(日) 第6戦 阪急ブレーブス 8 - 3 広島東洋カープ 広島市民球場
10月22日(月) 第7戦 阪急ブレーブス 2 - 7 広島東洋カープ
優勝:広島東洋カープ(4年ぶり3回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 衣笠祥雄 広島   ブーマー.W 阪急  
最優秀新人 小早川毅彦 広島   藤田浩雅 阪急  
首位打者 篠塚利夫 巨人 .334 ブーマー.W 阪急 .355
本塁打王 掛布雅之
宇野勝
阪神
中日
37本 ブーマー.W 阪急 37本
打点王 衣笠祥雄 広島 102点 ブーマー.W 阪急 130点
盗塁王 高木豊 大洋 56個 大石大二郎 近鉄 46個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
谷沢健一 中日 231個 スティーブ.O 西武 .443
最優秀防御率 小林誠二 広島 2.20 今井雄太郎 阪急 2.93
最多勝利 遠藤一彦 大洋 17勝 今井雄太郎 阪急 21勝
最多奪三振 遠藤一彦 大洋 208個 佐藤義則 阪急 136個
最高勝率 江川卓 巨人 .750 石川賢 ロッテ .789
最優秀救援投手 山本和行 阪神 34SP 山沖之彦 阪急 25SP

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 山根和夫 広島 今井雄太郎 阪急
捕手 達川光男 広島 藤田浩雅 阪急
一塁手 谷沢健一 中日 ブーマー.W 阪急
二塁手 篠塚利夫 巨人 大石大二郎 近鉄
三塁手 衣笠祥雄 広島 落合博満 ロッテ
遊撃手 宇野勝 中日 弓岡敬二郎 阪急
外野手 山崎隆造 広島 高沢秀昭 ロッテ
山本浩二 広島 T.クルーズ 日本ハム
若松勉 ヤクルト 蓑田浩二 阪急
指名打者   L.リー ロッテ

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

  • 2月6日 - 日本ハム相談役の三原脩が急性心不全のため世田谷区の自宅にて午後10時40分死去[5]
  • 2月17日 - 巨人は、肋膜炎のため大分市の日赤病院にて入院中の岡崎郁を任意引退にし、今後は練習生として扱いで治療に専念する[6]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

  • 5月5日
  • 5月7日 - 近鉄はドン・マネーの退団を発表。マネーは家族がホームシックにかかった事を理由にアメリカへの帰国を希望し球団に対し退団を申し入れ、慰留に務めた球団も断念したため[21]。またリチャード・ディランも球団に対し退団を申入れた。
  • 5月9日 - 阪急の福本豊が後楽園球場での対日本ハム7回戦の五回表に岡部憲章から三塁打を打ち、プロ通算100三塁打を記録。毒島章一の106本、金田正泰の103本に次いで史上3人目[22]
  • 5月10日
    • 横浜大洋ホエールズ平松政次 が横浜スタジアムでの対広島戦の3回表に山根和夫から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成。史上10人目[23]
    • 阪急監督の上田利治が後楽園球場での対日本ハム8回戦を「急性胃炎」を理由に欠場し、コーチの梶本隆夫が代理監督を務めた。前日の同カードにてバンプ・ウィリスがベンチからの「待て」のサインを無視して強打したことで上田とバンプが激しく対立し、上田が「ベンチの指揮を守らない選手がいては指揮が取れない」と指揮権を放棄したため[24]
  • 5月11日 - 10日の対日本ハム8回戦を「急性胃炎」を理由に欠場した阪急の監督の上田利治が西宮球場での対南海7回戦で復帰[25]。また、阪急球団は10日の試合でベンチからの「待て」のサインを無視して強打したバンプ・ウィリスに対し10万円の罰金を科し、バンプは「関東に反抗的なとったのは間違い」と謝罪した[25]
  • 5月18日 - 日本ハムの柏原純一が後楽園球場での対南海7回戦の八回裏に9号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成。史上43人目[26]
  • 5月22日
  • 5月23日
    • プロ野球コミッショナーの下田武三はセ・リーグ会長鈴木龍二、パ・リーグ会長福島慎太郎と会談し、試合時間の長時間化の要因になっているとして乱数表の使用禁止を要望した[29]
    • 近鉄は大阪球場での対南海8回戦の三回表に1イニング9連続安打のパ・リーグタイ記録。9番の大原徹也から8番の有田修三まで、パでは初めて四死球を挟まず達成された[30]
  • 5月24日 - ヤクルトは不静脈で辞意を表明した中西太に代わり、土橋正幸が代理監督に就任したと発表[31]
  • 5月25日 - プロ野球実行委員会が東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、乱数表を6月8日から使用禁止することで合意した[32]
  • 5月29日 - ロッテの仁科時成が日生球場での対近鉄11回戦に先発し、4-0とリードしていた9回二死から平野光泰に左翼フェンス直撃の安打を打たれ、ノーヒット・ノーランを逃した。仁科は昨年の8月20日の対近鉄20回戦に続いて2度目の「9回二死からノーヒットノーランを逃す」ことになった[33]
  • 5月30日
    • 広島は広島市民球場での対ヤクルト10回戦の四回裏に球団新記録となる1イニング12得点[34]。試合もヤクルトに21-3で大勝し、1試合21得点は1950年大洋戦での球団記録22得点に次いで球団史上2番目[34]
    • 近鉄はリチャード・デュランに代わる外国人選手として元ボルチモア・オリオールズのマーク・コーリーの入団が内定した[35]

6月[編集]

  • 6月9日 - 近鉄の加藤英司が藤井寺球場での対南海10回戦の9回裏に、2-3とリードされた場面で金城基泰から5号逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[36]
  • 6月11日 - 近鉄の柳原隆弘が対南海11回戦の9回裏に二死満塁の場面で大原徹也の代打で起用され、1号逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、近鉄は9日の南海10回戦(10日の同カードは雨天中止)に続いての2試合連続サヨナラ満塁本塁打で勝利[37]
  • 6月15日 - ヤクルトは代理監督の土橋正幸が正式に監督に就任したと発表。球団代表の相馬和夫が休養中の前監督の武上四郎の監督辞任申し入れをこの日受理し、土橋の監督昇格を決定した[38]
  • 6月21日
    • 中日の大島康徳がナゴヤ球場での対ヤクルト13回戦の5回裏に17号本塁打を放ち、プロ通算250号本塁打を達成[39]
    • 阪急の水谷実雄が平和台球場での対西武16回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[40]
  • 6月28日 - 日本ハムファイターズは監督の植村義信が辞任したと発表[41]
  • 6月29日 - 中日は横浜スタジアムでの対大洋12回戦で1回表から9回表まで毎回得点を記録、プロ野球史上4度目。試合は22-9で中日の勝利[42]

7月[編集]

  • 7月3日 - 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト12回戦の三回表に12号本塁打、四回表に13号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[43]
  • 7月4日
    • 巨人は神宮球場での対ヤクルト13回戦で、1試合8本塁打の球団新記録[44]
    • 近鉄の谷真一が後楽園球場での対日本ハム15回戦の四回表に1号満塁本塁打を打ち、これがプロ野球通算1000本目の満塁本塁打となる[45]
  • 7月5日 - 近鉄の有田修三が後楽園球場での対日本ハム16回戦に7番・捕手として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[46]
  • 7月7日 - 巨人がナゴヤ球場での対中日16回戦に1-2でサヨナラ負けし、これで対中日戦14連敗となる[47]
  • 7月11日 - 巨人の河埜和正が札幌円山球場での対広島13回戦の八回裏に5号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[48]
  • 7月12日 - 西武の東尾修が西武球場での対南海16回戦に先発して五回表に山本和範に死球を与え、パ・リーグ新記録となる通算140与死球となる[49]
  • 7月16日
    • 南海の門田博光が大阪球場での対日本ハム17回戦の6回裏に安打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[50]
    • 阪神の佐野仙好が広島市民球場での対広島16回戦の一回表に7号本塁打、八回表に8号2点本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[51]
    • セ・リーグは東京・銀座の連盟事務所で理事会を開き、今年限りで退任するセ・リーグ会長の鈴木竜二の後任に、元日本鉄道建設公団総裁の川島広守を選任[52]
  • 7月18日 - 近鉄の柳田豊が平和台球場での対ロッテ20回戦に先発し、7回3失点で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[53]
  • 7月19日
    • プロ野球の前半戦が終了。セ・リーグは中日、パ・リーグが阪急が首位で折り返す[54]
    • ロッテのレロン・リーが平和台球場での対近鉄21回戦の三回裏に16号2点本塁打を打ち、プロ野球通算200号本塁打を達成[55]
  • 7月24日 - オールスターゲーム第3戦がナゴヤ球場で行われ、読売ジャイアンツ江川卓が四回表から全セの2番手として登板し、連続8奪三振。9人目の打者、近鉄の大石大二郎にセカンドゴロを打たれ、江夏豊以来の9連続三振を逃したが、江川は最優秀選手賞を受賞した[56]
  • 7月27日
    • 西武の大田卓司が西宮球場での対阪急20回戦の9回表に代打として出場して1号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[57]
    • ヤクルトの大矢明彦が神宮球場での対大洋14回戦に8番・捕手として出場し、プロ通算1500試合出場を達成[58]
  • 7月29日 - 近鉄の平野光泰が札幌円山球場での対日本ハム18回戦の九回表に適時打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[59]

8月[編集]

  • 8月1日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対大洋16回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上19人目[60]
  • 8月5日 - 日本ハムは神宮球場での対西武18回戦に5-10で敗れ、前身の東映時代を通じ球団ワースト記録となる11連敗(この間3引き分けを含む)[61]
  • 8月7日 - 阪急の福本豊が大阪球場での対南海18回戦の9回表に二盗を成功させ、プロ通算1000盗塁を達成[62]
  • 8月9日 - 神宮球場でのヤクルト対阪神19回戦で阪神が9回表に一死から11連続得点のプロ野球タイ記録。打たれたヤクルトの中本茂樹は1イニング11失点[63]
  • 8月11日 - 日本ハムは弘前での対南海20回戦に6-1で勝利し、連敗を14で止める[64]
  • 8月12日 - 札幌円山球場でのロッテ対西武16回戦でロッテの村田兆治が九回表から登板し1回を無失点に抑え、1982年5月17日対近鉄戦以来の公式戦出場を果たす[65]。西武の駒崎幸一が五回裏の中堅の守備で1イニング3失策し、外野手の1イニング失策のプロ野球記録となった[66]
  • 8月14日 - 中日の宇野勝がナゴヤ球場での対大洋20回戦の三回裏に28号本塁打を打ち、セ・リーグタイの10試合連続打点を記録[67]
  • 8月16日 - 阪急の村上信一が平和台球場での対ロッテ21回戦の八回裏に代打で登場し2号本塁打を放つ。村上は9日の対南海戦で公式戦初本塁打を代打で記録、プロ2打席でいずれも代打本塁打はプロ野球史上初[68]
  • 8月19日 - 西武は小野和幸が西武球場での対ロッテ19回戦で6回から登板して今季初登板、これで一軍に登板した投手は21選手となり、1970年西鉄ライオンズの20人を上回るパ・リーグ新記録となった[69]
  • 8月20日 - 中日の田尾安志が神宮球場での対ヤクルト22回戦三回表に16号2点本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[70]
  • 8月21日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場において午後1時3分より行われ、茨城県代表の取手二高が前年度優勝のPL学園を延長10回8-4で破り、大会初優勝[71]
  • 8月26日 - 南海の門田博光が平和台球場での対日本ハム24回戦の2回表に25号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[72]
  • 8月29日 - 南海の岸川勝也が大阪球場でのウエスタン・リーグ対近鉄14回戦の九回裏に史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を打つ[73]
  • 8月31日 - ロッテの西村徳文が川崎球場での対阪急22回戦の二回裏に4号3点本塁打を打ち、これが球団通算4000号本塁打となる[74]

9月[編集]

  • 9月1日
    • 広島は広島市民球場での対ヤクルト24回戦に6-1で勝ち、1950年の球団創設以来チーム通算2000勝を達成[75]
    • 近鉄の鈴木啓示が大阪球場での対南海22回戦の2回裏に門田博光から三振を奪い、プロ通算3000奪三振を記録、史上4人目[76]
  • 9月5日 - 後楽園スタヂアムは午後4時から後楽園飯店にて記者会見し、日本初の屋根付きドーム球場の建設を正式に発表。来年5月に着工し、88年開業、総工費約350億円を予定[77]
  • 9月9日 - 巨人の江川卓が後楽園球場での対ヤクルト25回戦に先発し二回表に玄岡正充から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上69人目[78]
  • 9月12日 - 阪神の福間納が横浜スタジアムでの対大洋24回戦の五回裏に救援登板し、76年広島・渡辺弘基、82年阪神・池内豊が記録した年間73試合のセ・リーグシーズン最多登板に並ぶ[79]
  • 9月15日 - 西武の東尾修が西武球場での対南海25回戦に先発して完封で13勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成。史上20人目[80]
  • 9月17日 - 元パ・リーグ審判長の砂川恵玄が午前6時6分、肝硬変のため兵庫県尼崎市の安藤病院にて死去。61歳[81]
  • 9月22日 - ヤクルトの松岡弘が横浜スタジアムでの対大洋20回戦の五回裏に田代富雄から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成。史上11人目[82]
  • 9月23日 - 阪急対近鉄の第26回戦で阪急が近鉄を8-4で下し、1978年以来6年ぶり通算10度目のリーグ優勝が決定[83]
  • 9月29日 - 中日の谷沢健一が広島市民球場での対広島25回戦で2本塁打を含む3安打を打ち通算3004塁打となり、プロ通算3000塁打を達成。史上26人目[84]
  • 9月30日
    • パ・リーグは全日程が終了。阪急のブーマー・ウェルズがプロ野球史上5人目、6度目、外国人選手として初の三冠王を獲得[85]
    • 大洋の平松政次は後楽園球場での対巨人26回戦に先発して4回で降板後、今季限りで引退することを表明[86]

10月[編集]

  • 10月1日 - 西武の田淵幸一が池袋サンシャインビル内の西武球団事務所にて記者会見し、現役引退を正式に表明[87]。またバッテリーコーチの森昌彦と、打撃コーチの与那嶺要の退団が決定[88]
  • 10月2日 - 巨人のレジー・スミスが神宮球場での対ヤクルト26回戦の試合後に、現役引退を表明[89]
  • 10月4日 - 大洋対広島23回戦が横浜スタジアムで行われ、広島が3-2で大洋を下し、4年ぶりのセ・リーグ優勝[90]
  • 10月5日
    • 甲子園球場で阪神対中日26回戦が行われ、掛布雅之宇野勝が5打席連続敬遠[91]。掛布と宇野は本塁打王争いをしており、中日・阪神の両ベンチが敬遠策で勝負を避けていた。両者は3日のナゴヤ球場での中日対阪神25回戦でも5打席連続敬遠を記録しており[92]、掛布と宇野は10打席連続四球のプロ野球新記録[93]
    • 大洋のレオン・リーが横浜スタジアムでの対広島24回戦の7回裏に安打を放ち、通算1000本安打を達成[94]
    • 近鉄の小川亨の現役引退と二軍打撃コーチ就任が決定[95]
  • 10月6日
    • セ・リーグ会長の鈴木龍二は、本塁打王争いをしていた掛布雅之と宇野勝が中日・阪神から10打席連続敬遠を受けたことに対し「野球協約の根本理念に反する」との声明を発表[96]
    • 阪神の選手兼内野守備コーチの藤田平の退団が決定[97]
  • 10月8日 - ヤクルトの水谷新太郎が神宮球場での対大洋25回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[98]
  • 10月9日 - 巨人のレジー・スミスが東京・大手町の球団本部を訪れ、オーナーの正力亨に対し退団を申入れ、受理される[99]
  • 10月11日 - 西武は野球評論家の土井正博が二軍打撃コーチに就任したと発表[100]
  • 10月12日 - 阪神監督の安藤統夫が兵庫県西宮市の甲子園球場内の球団事務所を訪れ、球団社長の小津正次郎に対し監督辞任を申入れた[101]
  • 10月13日 - 横浜スタジアムでの大洋対ヤクルト26回戦が行われ、セ・リーグの全日程が終了[102]
  • 10月14日 - 【MLB】ワールドシリーズはタイガースがパドレスを下し、優勝。監督のスパーキー・アンダーソンは史上初の「(監督として)両リーグでのワールドシリーズ制覇」を達成。
  • 10月15日
    • 大洋は東京・大手町の大洋漁業本社にて記者会見し、新監督に野球評論家の近藤貞雄が就任したと発表[103]
    • 阪神のオーナーの田中隆造と球団社長の小津正次郎は、監督の安藤統男から提出されていた辞表を正式に受理し、安藤の監督辞任が決定。後任に元近鉄監督の西本幸雄を招聘する意向を明らかにした[104]
    • 沢村栄治賞の選考が午後6時から大阪の新阪急ホテルにて沢村賞選考委員会によって開かれ、「該当者なし」と決定した[105]
  • 10月16日 - 阪神の球団社長の小津正次郎と球団代表の岡崎義人が兵庫県宝塚市の西本幸雄の自宅を訪ね、監督就任を要請[106]
  • 10月17日 - 阪神は稲葉光雄太田幸司の現役引退を発表[107]
  • 10月18日 - 元近鉄監督の西本幸雄は、監督就任を要請されていた阪神の小津正次郎に対し、「体力、気力の面で自信が持てず、やはりお引き受け出来ない」として電話にて就任を断ると伝える[108]
  • 10月22日
  • 10月23日 - 阪神はホテル阪神にて午後3時より記者会見を行い吉田義男の監督就任を発表。また、取締役会が開かれ、オーナーが田中隆造からオーナー代行の久万俊二郎へ、球団社長が小津正次郎から阪神電鉄本社専務の中埜肇がそれぞれ選出され、続いて行われた株主総会で承認される[111]
  • 10月24日 - 1984年度のプロ野球表彰選手を選出する記者投票が開票され、最優秀選手にセ・リーグは広島の衣笠祥雄、パ・リーグは阪急のブーマー・ウェルズ、最優秀新人にセは広島の小早川毅彦、パは阪急の藤田浩雅が選出される[112]
  • 10月25日 - 近鉄は元ヤクルト・ヘッドコーチの中西太の一軍打撃コーチ就任を発表[113]

11月[編集]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

出典[編集]

  1. ^ 読売新聞1984年1月11日17面「阪神・大町スコアラーに」読売新聞縮刷版1984年1月p381
  2. ^ 読売新聞1984年1月18日17面「新浦、韓国プロ野球へ」読売新聞縮刷版1984年1月p509
  3. ^ 読売新聞1984年1月18日17面「福島捕手、ロッテへ」読売新聞縮刷版1984年1月p649
  4. ^ 読売新聞1984年1月24日17面「野球殿堂入り、該当者なしに」読売新聞縮刷版1984年1月p887
  5. ^ 読売新聞1984年2月7日夕刊11面「"知将"三原監督逝く プロ一号、黄金時代築く 奇策縦横、華麗な球歴」読売新聞縮刷版1984年2月p271
  6. ^ 編集 読売新聞1984年2月18日17面「巨人の岡崎、練習生に」読売新聞縮刷版1984年2月p688
  7. ^ 読売新聞1984年3月6日17面「テリーの後ガマ 外野手ジェリー 西武が正式契約」読売新聞縮刷版1984年3月p213
  8. ^ 毎日新聞1984年4月1日21面「『西高東低』開幕デー」毎日新聞縮刷版1984年4月p21
  9. ^ 毎日新聞1984年4月5日1面「センバツ 初陣・岩倉に栄冠 強豪PLを1-0で破る」毎日新聞縮刷版1984年4月p123
  10. ^ 読売新聞1984年4月7日17面「ヤクルト・高野が新人で開幕投手」読売新聞縮刷版1984年4月p265
  11. ^ 読売新聞1984年4月7日16面「乱打戦、結局引き分け」読売新聞縮刷版1984年4月p264
  12. ^ 読売新聞1984年4月12日17面「折れたバット、捕手を直撃 黒田退場」読売新聞縮刷版1984年4月p469
  13. ^ 読売新聞1984年4月13日17面「掛布が通算250号」読売新聞縮刷版1984年4月p509
  14. ^ 読売新聞1984年4月16日17面「加藤英(近鉄)が通算3001塁打」読売新聞縮刷版1984年4月p621
  15. ^ 毎日新聞1984年4月15日19面「トレーシーが突然退団」毎日新聞縮刷版1984年4月p475
  16. ^ 毎日新聞1984年4月23日19面「広島連勝球団新『11』 山本浩4試合連発 達川は満塁」毎日新聞縮刷版1984年4月p735
  17. ^ 毎日新聞1984年4月26日19面「300二塁打」毎日新聞縮刷版1984年4月p833
  18. ^ 毎日新聞1984年4月28日17面「武上監督が『休養』 成績不振ヤクルト 代理監督に中西氏」毎日新聞縮刷版1984年4月p919
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