1984年の野球
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< 1984年 | 1984年のスポーツ
競技結果[編集]
日本プロ野球[編集]
ペナントレース[編集]
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 広島東洋カープ | 75 | 45 | 10 | .625 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 73 | 49 | 8 | .598 | 3.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 67 | 54 | 9 | .554 | 8.5 |
4位 | 阪神タイガース | 53 | 69 | 8 | .434 | 23.0 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 51 | 71 | 8 | .418 | 25.0 |
6位 | 横浜大洋ホエールズ | 46 | 77 | 7 | .374 | 30.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 75 | 45 | 10 | .625 | - |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 51 | 15 | .557 | 8.5 |
3位 | 西武ライオンズ | 62 | 61 | 7 | .504 | 14.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 58 | 61 | 11 | .487 | 16.5 |
5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 21.0 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 44 | 73 | 13 | .376 | 29.5 |
日本シリーズ[編集]
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月13日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 2 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月14日(日) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 5 - 2 | 広島東洋カープ | |
10月15日(月) | 移動日 | ||||
10月16日(火) | 第3戦 | 広島東洋カープ | 8 - 3 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月17日(水) | 第4戦 | 雨天中止 | |||
10月18日(木) | 広島東洋カープ | 3 - 2 | 阪急ブレーブス | ||
10月19日(金) | 第5戦 | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 阪急ブレーブス | |
10月20日(土) | 移動日 | ||||
10月21日(日) | 第6戦 | 阪急ブレーブス | 8 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月22日(月) | 第7戦 | 阪急ブレーブス | 2 - 7 | 広島東洋カープ | |
優勝:広島東洋カープ(4年ぶり3回目) |
個人タイトル[編集]
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 衣笠祥雄 | 広島 | ブーマー.W | 阪急 | ||
最優秀新人 | 小早川毅彦 | 広島 | 藤田浩雅 | 阪急 | ||
首位打者 | 篠塚利夫 | 巨人 | .334 | ブーマー.W | 阪急 | .355 |
本塁打王 | 掛布雅之 宇野勝 |
阪神 中日 |
37本 | ブーマー.W | 阪急 | 37本 |
打点王 | 衣笠祥雄 | 広島 | 102点 | ブーマー.W | 阪急 | 130点 |
盗塁王 | 高木豊 | 大洋 | 56個 | 大石大二郎 | 近鉄 | 46個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
谷沢健一 | 中日 | 231個 | スティーブ.O | 西武 | .443 |
最優秀防御率 | 小林誠二 | 広島 | 2.20 | 今井雄太郎 | 阪急 | 2.93 |
最多勝利 | 遠藤一彦 | 大洋 | 17勝 | 今井雄太郎 | 阪急 | 21勝 |
最多奪三振 | 遠藤一彦 | 大洋 | 208個 | 佐藤義則 | 阪急 | 136個 |
最高勝率 | 江川卓 | 巨人 | .750 | 石川賢 | ロッテ | .789 |
最優秀救援投手 | 山本和行 | 阪神 | 34SP | 山沖之彦 | 阪急 | 25SP |
ベストナイン[編集]
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 山根和夫 | 広島 | 今井雄太郎 | 阪急 |
捕手 | 達川光男 | 広島 | 藤田浩雅 | 阪急 |
一塁手 | 谷沢健一 | 中日 | ブーマー.W | 阪急 |
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 大石大二郎 | 近鉄 |
三塁手 | 衣笠祥雄 | 広島 | 落合博満 | ロッテ |
遊撃手 | 宇野勝 | 中日 | 弓岡敬二郎 | 阪急 |
外野手 | 山崎隆造 | 広島 | 高沢秀昭 | ロッテ |
山本浩二 | 広島 | T.クルーズ | 日本ハム | |
若松勉 | ヤクルト | 蓑田浩二 | 阪急 | |
指名打者 | L.リー | ロッテ |
オールスターゲーム[編集]
詳細は「1984年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球[編集]
- 第56回選抜高等学校野球大会優勝:岩倉(東京都)
- 第66回全国高等学校野球選手権大会優勝:取手二(茨城県)
大学野球[編集]
- 第33回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第15回明治神宮野球大会優勝:駒澤大
社会人野球[編集]
メジャーリーグ[編集]
詳細は「1984年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ:デトロイト・タイガース(4勝1敗)サンディエゴ・パドレス
- ナショナルリーグ東地区優勝:シカゴ・カブス
- ナショナルリーグ西地区優勝:サンディエゴ・パドレス
- アメリカンリーグ東地区優勝:デトロイト・タイガース
- アメリカンリーグ西地区優勝:カンザスシティ・ロイヤルズ
できごと[編集]
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1月[編集]
- 1月7日 - 【MLB】ルイス・アパリシオ、ドン・ドライスデール、ハーモン・キルブリューのアメリカ野球殿堂入りが、全米野球記者協会の投票によって決定。
- 1月17日 - ロッテは巨人の福島知春を金銭トレードで獲得したと発表[1]。
- 1月23日 - 野球体育博物館に表彰される野球人を選ぶ競技者表彰委員会が開かれ記者投票の開票を行うが、得票の75パーセントを獲得した候補者が出なかったため「該当者なし」の結果に[2]。
2月[編集]
3月[編集]
- 3月8日 - 【MLB】ピー・ウィー・リースとリック・フェレルのアメリカ野球殿堂入りが、ベテラン委員会で決定する。
- 3月31日 - プロ野球はパ・リーグが開幕[4]。
4月[編集]
- 4月4日 - 選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場において行われ、東京都の岩倉高がKKコンビ(桑田真澄・清原和博)を擁する大阪府のPL学園を破り初優勝[5]。
- 4月6日
- 4月13日 - 【MLB】エクスポズ・ピート・ローズが、タイ・カッブに次ぐメジャーリーグ史上2人目の通算4000本安打を達成。
- 4月16日 - 大洋はジム・トレーシーの退団を発表。起用法を巡って監督の関根潤三と対立し球団に対して退団を申し入れていた[7]。
- 4月22日 - 広島が広島球場での対ヤクルト6回戦に8-3と勝利し、球団新記録となる11連勝[8]。
- 4月25日 - ロッテの有藤通世が川崎球場での対近鉄3回戦の6回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[9]。
- 4月27日 - ヤクルトスワローズは監督の武上四郎が成績不振と健康上の理由から休養し、ヘッドコーチの中西太が監督代理を務めると発表[10]。
5月[編集]
- 5月5日
- 5月7日 - 近鉄はドン・マネーの退団を発表。マネーは家族がホームシックにかかりアメリカに帰国することを希望し退団を申し入れ、慰留に務めた球団も断念したため[13]。
- 5月10日 - 横浜大洋ホエールズの平松政次 が横浜スタジアムでの対広島戦の3回表に山根和夫から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[14]。
- 5月18日 - 日本ハムの柏原純一が後楽園球場での対南海7回戦で9号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[15]。
- 5月22日 - ヤクルトは代理監督の中西太が神経性の不整脈発作によるめまいで欠場し、一軍投手コーチの土橋正幸が代理監督を代行務める[16]。
- 5月24日 - ヤクルトは土橋正幸が代理監督に就任したと発表[17]。
6月[編集]
- 6月9日 - 近鉄の加藤英司が藤井寺球場での対南海10回戦の9回裏に、2-3とリードされた場面で金城基泰から5号逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[18]。
- 6月11日 - 近鉄の柳原隆弘が対南海11回戦の9回裏に二死満塁の場面で代打で起用され、1号逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、近鉄は9日の南海戦(10日の同カードは雨天中止)に続いての2試合連続サヨナラ満塁本塁打で勝利[19]。
- 6月15日 - ヤクルトは代理監督の土橋正幸を監督に昇格させたと発表[20]。
- 6月21日
- 6月28日 - 日本ハムファイターズは監督の植村義信が辞任したと発表[23]。
- 6月29日 - 中日は横浜スタジアムでの対大洋12回戦で1回表から9回表まで毎回得点を記録、プロ野球史上4度目。試合は22-9で中日の勝利[24]。
7月[編集]
- 7月3日 - 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト12回戦の三回表に12号本塁打、四回表に13号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[25]。
- 7月4日
- 7月5日 - 近鉄の有田修三が後楽園球場での対日本ハム16回戦に7番・捕手として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[28]。
- 7月7日 - 巨人がナゴヤ球場での対中日16回戦に1-2でサヨナラ負けし、これで対中日戦14連敗となる[29]。
- 7月11日 - 巨人の河埜和正が札幌円山球場での対広島13回戦の八回裏に5号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[30]。
- 7月12日 - 西武の東尾修が西武球場での対南海16回戦に先発して五回表に山本和範に死球を与え、パ・リーグ新記録となる通算140与死球となる[31]。
- 7月16日
- 7月18日 - 近鉄の柳田豊が平和台球場での対ロッテ20回戦に先発し、7回3失点で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[35]。
- 7月19日
- 7月24日 - オールスターゲーム第3戦において読売ジャイアンツの江川卓が連続8奪三振。9人目の打者、近鉄の大石大二郎にセカンドゴロを打たれ、江夏豊以来の快挙を逃す。
- 7月27日
- 7月29日 - 近鉄の平野光泰が札幌円山球場での対日本ハム18回戦の九回表に適時打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[40]。
8月[編集]
- 8月1日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対大洋16回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成[41]。
- 8月7日 - 阪急の福本豊が大阪球場での対南海18回戦の9回表に二盗を成功させ、プロ通算1000盗塁を達成[42]。
- 8月9日 - 神宮球場でのヤクルト対阪神19回戦で阪神が9回表に一死から11連続得点のプロ野球タイ記録。打たれたヤクルトの中本茂樹は1イニング11失点[43]。
- 8月12日 - ロッテの村田兆治が札幌円山球場での対西武16回戦の九回表から登板し1回を無失点に抑え、1982年5月17日対近鉄戦以来の公式戦出場を果たす[44]。
- 8月16日 - 阪急の村上信一が平和台球場での対ロッテ21回戦の八回裏に代打で登場し2号本塁打を放つ。村上は9日の対南海戦で公式戦初本塁打を代打で記録、プロ2打席でいずれも代打本塁打はプロ野球史上初[45]。
- 8月20日 - 中日の田尾安志が神宮球場での対ヤクルト22回戦三回表に16号2点本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[46]。
- 8月21日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場において午後1時3分より行われ、茨城県代表の取手二高が前年度優勝のPL学園を延長10回8-4で破り大会初優勝[47]。
- 8月26日 - 南海の門田博光が平和台球場での対日本ハム24回戦の2回表に25号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[48]。
- 8月31日 - ロッテの西村徳文が川崎球場での対阪急22回戦の二回裏に4号3点本塁打を打ち、これが球団通算4000号本塁打となる[49]。
9月[編集]
- 9月1日
- 9月5日 - 後楽園スタヂアムは午後4時から後楽園飯店にて記者会見し、日本初の屋根付きドーム球場の建設を正式に発表。来年5月に着工し、88年開業、総工費約350億円を予定[52]。
- 9月9日 - 巨人の江川卓が後楽園球場での対ヤクルト25回戦に先発し二回表に玄岡正充から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[53]。
- 9月15日 - 西武の東尾修が西武球場での対南海25回戦で勝利投手となって13勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成[54]。
- 9月17日 - 【MLB】エンゼルスのレジー・ジャクソンが通算500本塁打を達成。メジャー史上13人目。
- 9月23日 - 阪急対近鉄の第26回戦で阪急が8-4と近鉄を下し、1978年以来6年ぶり通算10度目のリーグ優勝が決定[55]。
- 9月30日
10月[編集]
- 10月2日 - 西武の田淵幸一が池袋サンシャインビル内の西武球団事務所にて記者会見し、現役引退を発表[58]。バッテリーコーチの森昌彦と、打撃コーチの与那嶺要の退団が決定[59]。
- 10月4日 - 大洋対広島23回戦が横浜スタジアムで行われ、広島が3-2で大洋を下し、4年ぶりのセ・リーグ優勝[60]。
- 10月5日
- 10月6日
- 10月8日 - ヤクルトの水谷新太郎が神宮球場での対大洋25回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[67]。
- 10月11日 - 西武は野球評論家の土井正博が二軍打撃コーチに就任したと発表[68]。
- 10月12日 - 阪神は球団社長の小津正次郎と監督の安藤統男が記者会見し、安藤が監督を辞任したと発表[69]。
- 10月14日 - 【MLB】ワールドシリーズはタイガースがパドレスを下し、優勝。監督のスパーキー・アンダーソンは史上初の「(監督として)両リーグでのワールドシリーズ制覇」を達成。
- 10月15日
- 10月16日 - 阪神の球団社長の小津正次郎と球団代表の岡崎義人が兵庫県宝塚市の西本幸雄の自宅を訪ね、監督就任を要請[73]。
- 10月17日 - 阪神は稲葉光雄、太田幸司の現役引退を発表[74]。
- 10月18日 - 元近鉄監督の西本幸雄は、監督就任を要請されていた阪神の小津正次郎に対し電話にて就任を断ると伝える[75]。
- 10月22日 - 日本シリーズの第7戦が広島球場で行われ、広島が阪急を7-2で下し、対戦成績を4勝3敗として阪急を破り4年ぶり3度目の日本一[76]。
- 10月23日 - 阪神はホテル阪神にて午後3時より記者会見を行い吉田義男の監督就任を発表。また、取締役会が開かれ、オーナーが田中隆造からオーナー代行の久万俊二郎へ、球団社長が小津正次郎から阪神電鉄本社専務の中埜肇がそれぞれ選出され、続いて行われた株主総会で承認される[77]。
- 10月25日 - 近鉄は元ヤクルト・ヘッドコーチの中西太の一軍打撃コーチ就任を発表[78]。
11月[編集]
- 11月8日 - 日本ハムは六本木の球団事務所にて、中日の三沢淳とロッテの小俣進を金銭トレードで獲得したと発表[79]。
- 11月9日 - 第8回正力松太郎賞の選考が東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、広島の衣笠祥雄を選出[80]。
- 11月12日 - 西武の江夏豊が西武球団事務所で記者会見し、引退を表明。この日球団事務所を訪れ「自由契約にしてほしい」と申し出、球団も了承[81]。
- 11月14日 - 近鉄は日本ハムから高橋里志を金銭トレードで獲得したと発表[82]。
- 11月15日 - 巨人の鈴木康友と西武の鴻野淳基の交換トレードが成立したと巨人、西武が正式に発表[83]。
- 11月22日 - 巨人の島貫省一と近鉄の佐野元国の交換トレードが成立したと巨人、近鉄が正式に発表[84]。
- 11月26日 - 阪急の関口朋幸が球団に対し右肘の治療に専念するため任意引退と練習生扱いを申し出て了承される[85]。
12月[編集]
- 12月2日 - 元巨人のコーチの牧野茂が午後4時58分、膀胱がんのため東京中央区の国立がんセンターにて死去[86]。
- 12月3日 - 大洋の長崎啓二と阪神の池内豊のトレードが成立したと大洋、阪神両球団が正式に発表[87]。
- 12月5日 - ロッテは前大洋の佐藤政夫の入団を発表[88]。
- 12月27日 - ヤクルトは井本隆と竹本由紀夫を任意引退選手とした[89]。
誕生[編集]
1月[編集]
- 1月1日 - 朝井秀樹
- 1月8日 - ジェフ・フランコーア
- 1月14日 - エリック・アイバー
- 1月14日 - マイク・ペルフリー
- 1月22日 - ウバルド・ヒメネス
- 1月24日 - スコット・カズミアー
- 1月30日 - 会田有志
2月[編集]
- 2月4日 - ダグ・フィスター
- 2月7日 - 真田裕貴
- 2月10日 - アレックス・ゴードン
- 2月20日 - ブライアン・マッキャン
- 2月27日 - アニバル・サンチェス
- 2月27日 - デナード・スパン
3月[編集]
4月[編集]
- 4月10日 - 金刃憲人
- 4月11日 - アンドレス・ブランコ
- 4月12日 - 松本高明
- 4月14日 - クリス・ラルー
- 4月17日 - ジェド・ラウリー
- 4月25日 - ロバート・アンディーノ
- 4月26日 - ショーン・ケリー
5月[編集]
- 5月9日 - プリンス・フィルダー
- 5月9日 - チェイス・ヘッドリー
- 5月14日 - ルーク・グレガーソン
- 5月24日 - ヘクター・アンブリーズ
- 5月27日 - ミゲル・ゴンザレス
- 5月31日 - アンドリュー・ベイリー
6月[編集]
- 6月2日 - 尾崎匡哉
- 6月5日 - ロビンソン・チリノス
- 6月9日 - ユリ・グリエル
- 6月12日 - ロジャー・バーナディーナ
- 6月14日 - 吉村裕基
- 6月15日 - クリフ・ペニントン
- 6月25日 - 高井雄平
- 6月29日 - 大引啓次
- 6月30日 - 上園啓史
7月[編集]
- 7月2日 - ウラディミール・バレンティン
- 7月6日 - 今浪隆博
- 7月6日 - 岡田幸文
- 7月7日 - 坂口智隆
- 7月15日 - 森岡良介
- 7月26日 - ブランドン・モロー
- 7月27日 - マックス・シャーザー
- 7月27日 - 西岡剛 (内野手)
8月[編集]
- 8月1日 - ブランドン・キンツラー
- 8月2日 - ルーク・ヒューズ
- 8月3日 - マット・ジョイス
- 8月8日 - 長峰昌司
- 8月11日 - メルキー・カブレラ
- 8月14日 - クレイ・バックホルツ
- 8月15日 - ジャロッド・ダイソン
- 8月18日 ‐ クーニン
- 8月28日 - ウィル・ハリス
9月[編集]
- 9月8日 - 阿部健太
- 9月15日 - ルーク・ファンミル
- 9月19日 - 吉見一起
- 9月19日 - ダニー・バレンシア
- 9月21日 - ホアキン・アリアス
- 9月23日 - マット・ケンプ
- 9月27日 - 永井怜
- 9月28日 - ライアン・ジマーマン
10月[編集]
11月[編集]
- 11月1日 - スティーブン・ボート
- 11月9日 - ジョエル・ズマヤ
- 11月13日 - トニー・アブレイユ
- 11月19日 - 大隣憲司
- 11月19日 - 本多雄一
- 11月22日 - ヤスメイロ・ペティット
- 11月23日 - ジャスティン・ターナー
12月[編集]
死去[編集]
- 2月6日 - 三原脩(元西鉄ライオンズ他監督、野球殿堂入り、*1911年)
- 2月22日 - 門前眞佐人(元阪神・大洋他、広島監督、*1917年)
- 3月30日 - 金山次郎(元松竹・広島ほか、*1922年)
- 9月1日 - 伊奈努(元中日、阪神他、*1934年)
- 10月1日 - ウォルター・オルストン(元ロサンゼルス・ドジャース監督、アメリカ野球殿堂入り、*1911年)
- 12月2日 - 牧野茂(巨人V9時代のコーチ、*1928年)
脚注[編集]
- ^ 読売新聞1984年1月18日17面「福島捕手、ロッテへ」読売新聞縮刷版1984年1月p649
- ^ 読売新聞1984年1月24日17面「野球殿堂入り、該当者なしに」読売新聞縮刷版1984年1月p887
- ^ 読売新聞1984年2月7日夕刊11面「"知将"三原監督逝く プロ一号、黄金時代築く 奇策縦横、華麗な球歴」読売新聞縮刷版1984年2月p271
- ^ 毎日新聞1984年4月1日21面「『西高東低』開幕デー」毎日新聞縮刷版1984年4月p21
- ^ 毎日新聞1984年4月5日1面「センバツ 初陣・岩倉に栄冠 強豪PLを1-0で破る」毎日新聞縮刷版1984年4月p123
- ^ 読売新聞1984年4月7日日16面「乱打戦、結局引き分け」読売新聞縮刷版1984年4月p264
- ^ 毎日新聞1984年4月15日19面「トレーシーが突然退団」毎日新聞縮刷版1984年4月p475
- ^ 毎日新聞1984年4月23日19面「広島連勝球団新『11』 山本浩4試合連発 達川は満塁」毎日新聞縮刷版1984年4月p735
- ^ 毎日新聞1984年4月26日19面「300二塁打」毎日新聞縮刷版1984年4月p833
- ^ 毎日新聞1984年4月28日17面「武上監督が『休養』 成績不振ヤクルト 代理監督に中西氏」毎日新聞縮刷版1984年4月p919
- ^ 毎日新聞1984年5月6日18面「鈴木啓300勝 6人目の偉業 気迫19年『幸せや』36歳男泣き」毎日新聞縮刷版1984年5月p158
- ^ 毎日新聞1984年5月6日19面「37歳 山本浩2000本安打 プロ16年19人目」毎日新聞縮刷版1984年5月p159
- ^ 毎日新聞1984年5月8日19面「“ホームシック”に泣く近鉄 マネーついに退団」毎日新聞縮刷版1984年5月p193
- ^ 毎日新聞1984年5月11日19面「平松2000奪三振」毎日新聞縮刷版1984年5月p305
- ^ 毎日新聞1984年5月19日15面「200本塁打」毎日新聞縮刷版1984年5月p561
- ^ 毎日新聞1984年5月23日19面「ヤクルトまた指揮者交代 中西代理監督が病欠」毎日新聞縮刷版1984年5月p683
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- ^ 読売新聞1984年7月30日17面「近鉄、日本ハムに勝ち越す」読売新聞縮刷版1984年7月p1197
- ^ 読売新聞1984年8月2日17面「広島・山本浩二外野手(三七)が2000試合出場」読売新聞縮刷版1984年8月p65
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- ^ 読売新聞1984年10月1日17面「パ・リーグ全日程終了 ブーマー、外人初の三冠王」読売新聞縮刷版1984年10月p17
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- ^ 読売新聞1984年10月5日1面「広島、4年ぶり優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1984年10月p183
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- ^ 読売新聞1984年10月4日17面「二死満塁でも敬遠、キング争い 宇野、掛布 5四球づつ痛み分け」読売新聞縮刷版1984年10月p159
- ^ 読売新聞1984年10月6日17面「阪神・掛布、中日・宇野ともに10打席連続四球のプロ野球新記録」読売新聞縮刷版1984年10月p243
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- ^ 読売新聞1984年10月7日17面「10連続敬遠は協約理念違反 セ会長声明」読売新聞縮刷版1984年10月p287
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- ^ 毎日新聞1984年10月12日19面「OB土井氏コーチに」毎日新聞縮刷版1984年10月p389
- ^ 毎日新聞1984年10月13日19面「安藤阪神監督が辞任 留任発表が1カ月 『ファンに申し訳ない』」毎日新聞縮刷版1984年10月p423
- ^ 読売新聞1984年10月16日17面「近藤・大洋がスタート」読売新聞縮刷版1984年10月p646
- ^ 毎日新聞1984年10月16日19面「西本氏獲得に全力 阪神の後任監督」毎日新聞縮刷版1984年10月p511
- ^ 読売新聞1984年10月16日17面「『沢村賞』は該当なし」読売新聞縮刷版1984年10月p646
- ^ 毎日新聞1984年10月17日15面「西本氏に監督就任を要請 阪神・小津社長」毎日新聞縮刷版1984年10月p539
- ^ 毎日新聞1984年10月18日19面「稲葉、太田が引退」毎日新聞縮刷版1984年10月p571
- ^ 毎日新聞1984年10月19日19面「"西本阪神監督"は絶望」毎日新聞縮刷版1984年10月p619
- ^ 読売新聞1984年10月23日1面「広島が4年ぶり優勝 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1984年10月p927
- ^ 読売新聞1984年10月24日17面「阪神新監督に吉田氏」読売新聞縮刷版1984年10月p991
- ^ 毎日新聞1984年10月26日19面「プロ野球だより」毎日新聞縮刷版1984年10月p861
- ^ 日刊スポーツ1984年11月9日3面「ハム中日三沢ロッテ小俣獲得 弱投立て直しへ」
- ^ 日刊スポーツ1984年11月10日3面「衣笠『正力賞』5冠目 王、田淵に次ぎ現役3人目」
- ^ 朝日新聞1984年11月13日19面「さびしく退場、異端の大投手 江夏 栄光とトラブル18年 自由契約決定 事実上の引退」朝日新聞縮刷版1984年11月p479
- ^ 日刊スポーツ1984年11月15日2面「近鉄は高橋里獲得を発表」
- ^ 日刊スポーツ1984年11月16日2面「巨西でトレード発表」
- ^ 日刊スポーツ1984年11月23日2面「巨人島貫↔近鉄佐野の交換発表」
- ^ 日刊スポーツ1984年11月27日2面「右ヒジ手術 阪急・関口は練習生へ」
- ^ 読売新聞1984年12月3日23面「巨人V9の名参謀 牧野元コーチ死去」読売新聞縮刷版1984年12月p95
- ^ 日刊スポーツ1984年12月4日2面「『阪神・長崎』『大洋・池内』を発表」
- ^ 読売新聞1984年12月6日17面「ロッテに佐藤が復帰」読売新聞縮刷版1984年12月p229
- ^ 読売新聞1984年12月28日15面「井本と竹本は引退」読売新聞縮刷版1984年12月p1091
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