トミー・クルーズ

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トミー・クルーズ
Tommy Cruz
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アローヨ(現:プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区)
生年月日 1951年2月15日(63歳)
身長
体重
175 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 左翼手
プロ入り 1969年
初出場 MLB / 1973年9月4日
NPB / 1980年4月5日
最終出場 MLB / 1977年9月25日
NPB / 1985年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

トミー・クルーズCirilo "Tommy" Cruz Dilan , 1951年2月15日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手外野手)。

兄にホセ・クルーズ(元ヒューストン・アストロズほか)、弟にヘクター・クルーズ(元読売ジャイアンツ)がおり、「クルーズ三兄弟」と呼ばれた。

来歴・人物[編集]

1980年日本ハムファイターズに入団。来日1年目から打率.309、26本塁打、84打点の好成績を記録。翌1981年もチームのリーグ優勝に貢献。1984年には打率.348、29本塁打、96打点を記録し、ベストナインに選ばれる。同年のオールスターゲーム第3戦では、江川卓の「8連続奪三振」の8人目の打者となった。1985年にも打率3割を記録したが、契約で揉めて退団となった。

在籍時は3番クルーズ、4番トニー・ソレイタ、5番柏原純一(柏原とクルーズは入れ替えで3・5番を務めた)のクリーンナップを組んだが、ソレイタや柏原は後にクルーズについて「私生活では良い奴であり、野球では一切、自分に妥協を許さなかった選手」と語っている。

顔面に死球を食らって大出血、担架救急車で球場を後にしたこともある。しかし、顔を7針縫ったにもかかわらず、翌日の試合にスタメン出場し、猛打賞を記録した。当時の大沢啓二監督のお気に入りだったことも伝えられている。

メジャーリーグでは7試合出場にとどまったが、日本では実働6年間のうち退団する1985年までで4回も3割以上の打率を残し、さらに通算打率.310、通算120本塁打を打った。また、三振が非常に少ない打者であった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1973 STL 3 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1977 CWS 4 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1980 日本ハム 127 513 488 62 151 27 3 26 262 84 4 4 1 2 20 0 2 44 14 .309 .338 .537 .875
1981 116 502 465 65 138 30 2 18 226 75 2 1 0 3 32 2 2 36 10 .297 .343 .486 .829
1982 125 507 477 55 128 24 1 17 205 67 1 1 1 4 22 3 3 39 21 .268 .302 .430 .732
1983 113 482 434 34 139 21 1 11 195 74 2 1 0 6 39 0 3 32 10 .320 .376 .449 .825
1984 124 527 489 66 170 36 2 29 297 96 0 1 0 5 33 6 0 37 12 .348 .385 .607 .992
1985 107 464 427 63 137 17 2 19 215 70 0 0 0 5 32 3 0 32 11 .321 .364 .504 .868
MLB:2年 7 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
NPB:6年 712 2995 2780 345 863 155 11 120 1400 466 9 8 2 25 178 14 10 220 78 .310 .351 .504 .855
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

NPB

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 17 (1973年)
  • 25 (1977年)
  • 44 (1980年 - 1985年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]