1970年の野球

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競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 79 47 4 .627 -
2位 阪神タイガース 77 49 4 .611 2.0
3位 大洋ホエールズ 69 57 4 .548 10.0
4位 広島東洋カープ 62 60 8 .508 15.0
5位 中日ドラゴンズ 55 70 5 .440 23.5
6位 ヤクルトアトムズ 33 92 5 .264 45.5
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 ロッテオリオンズ 80 47 3 .630 -
2位 南海ホークス 69 57 4 .548 10.5
3位 近鉄バファローズ 65 59 6 .524 13.5
4位 阪急ブレーブス 64 64 2 .500 16.5
5位 東映フライヤーズ 54 70 6 .435 24.5
6位 西鉄ライオンズ 43 78 9 .355 34.0

日本シリーズ[編集]

1970年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月27日(火) 第1戦 ロッテオリオンズ 0-1 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月28日(水) 第2戦 ロッテオリオンズ 3-6 読売ジャイアンツ
10月29日(木) 移動日
10月30日(金) 第3戦 読売ジャイアンツ 5-3 ロッテオリオンズ 東京スタジアム
11月1日(土) 第4戦 読売ジャイアンツ 5-6 ロッテオリオンズ
11月2日(日) 第5戦 読売ジャイアンツ 6-2 ロッテオリオンズ
優勝:読売ジャイアンツ(6年連続14回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 王貞治 巨人   木樽正明 ロッテ  
最優秀新人 谷沢健一 中日   佐藤道郎 南海  
首位打者 王貞治 巨人 .325 張本勲 東映 .383
本塁打王 王貞治 巨人 47本 大杉勝男 東映 44本
打点王 長嶋茂雄 巨人 105点 大杉勝男 東映 129点
最多安打 王貞治 巨人 138本 張本勲 東映 176本
盗塁王 東条文博 ヤクルト 28個 福本豊 阪急 75個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 263個 張本勲 東映 .467
最優秀防御率 村山実 阪神 0.98 佐藤道郎 南海 2.05
最多勝利 平松政次 大洋 25勝 成田文男 ロッテ 25勝
最多奪三振 江夏豊 阪神 340個 鈴木啓示 近鉄 247個
最高勝率 村山実 阪神 .824 佐々木宏一郎 近鉄 .773

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 平松政次 大洋 木樽正明 ロッテ
捕手 木俣達彦 中日 野村克也 南海
一塁手 王貞治 巨人 大杉勝男 東映
二塁手 安藤統夫 阪神 山崎裕之 ロッテ
三塁手 長嶋茂雄 巨人 有藤通世 ロッテ
遊撃手 藤田平 阪神 阪本敏三 阪急
外野手 高田繁 巨人 張本勲 東映
江尻亮 大洋 G.アルトマン ロッテ
中暁生 中日 長池徳二 阪急

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

4月[編集]

  • 4月1日 - 東京・後楽園球場に全電光スコアボードが完成。
  • 4月2日 - 前年引退した巨人の金田正一の引退試合が後楽園球場での巨人対アトムズのオープン戦で行われ、金田は六回表に登板し1回を投げて降板。試合前に特別表彰式が行われ、オーナーの正力亨は金田の功績を讃え、金田の背番号34を永久欠番にすると発表[2]
  • 4月6日 - 第42回選抜高等学校野球大会の決勝戦が行われ、箕島北陽を8-7で破って初優勝[3]
  • 4月10日 - 永易将之が衆議院第二議員会館一階の第一会議室にて午後3時より記者会見し、半年ぶりに公の場に姿を現す。自分以外に八百長に関わった選手として、益田昭雄与田順欣基満男村上公康池永正明田中勉の名前を挙げる。また元南海の佐藤公博には報酬と引き換えに先発投手の情報を漏らしたこと、西鉄から口止め料として合計550万円を受け取っていたことを述べる[4]
  • 4月15日 - 西鉄の池永正明小倉球場での西鉄対ロッテ1回戦で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[5]
  • 4月23日
    • 警視庁捜査四課は小型自動車競走法違反などの容疑で、田中勉、元大洋の高山勲を逮捕[6]
    • 西鉄対阪急の3回戦が平和台球場で行われ、西鉄は二回から七回の6イニング連続で併殺を完成させる。中日が1950年4月29日対巨人戦で記録して以来2度目[7]
  • 4月24日 - 南海の野村克也が後楽園での東映対南海1回戦で4回表に6号本塁打を放ち、通算450本塁打を達成[8]
  • 4月29日 - 東京地検特捜部は田中勉が週刊ポストを名誉棄損で告訴した件に絡んでの八百長野球の捜査の一環として、西鉄ライオンズのオーナーの楠根宗生を参考人として東京地検第二庁舎に呼び事情聴取。楠根は永易に対して合計で550万円を渡したことを認める[9]

5月[編集]

  • 5月4日 - プロ野球コミッショナー委員会は永易発言で疑惑に登った西鉄6選手を、東京・銀座の日生会館にて事情聴取。全員八百長を否定。
  • 5月6日
    • 警視庁捜査四課は小型自動車競走法違反の疑いで中日ドラゴンズの小川健太郎を逮捕。後に中日球団における敗退行為も認める。
    • プロ野球コミッショナー委員会は益田昭雄、与田順欣を、疑惑が濃くなったとして野球協約の404条「制裁の範囲」を適用し出場停止処分とする。
  • 5月7日 - 西鉄は村上、基、船田、池永の4選手について5月いっぱい公式戦の出場を見合わせると発表。
  • 5月8日 - 西鉄は上記4選手を福岡市内の西鉄本社にて呼び個別に事情聴取、これは夕方から深夜に及び、9日午前1時45分より西鉄は記者会見し、調査の結果4選手は必ずしも白とは言えない要素が出てきたと認める。
  • 5月9日 - 朝日新聞が東映フライヤーズの2投手が八百長の誘いを受けていたと報道。田中調が名乗ったため、球団が田中と森安敏明が午後10時より記者会見し、頼まれたが断ったと述べる。
  • 5月13日 - 西鉄オーナーの楠根宗生が福岡市内の西鉄本社で記者会見し、八百長事件の責任をとって西鉄本社社長、球団オーナーを辞任すると発表。
  • 5月18日 - 後楽園球場での巨人対広島戦で、巨人の渡辺秀武が広島を相手にノーヒットノーランを達成。2四球、2失策の4出塁を許したのみで125球を投じる。
  • 5月19日 - 警視庁捜査四課は阪神タイガースの葛城隆雄内野手を小型自動車競走法違反の疑いで逮捕。セ・リーグ会長の鈴木龍二は葛城を無期限の出場停止処分と発表。
  • 5月23日 - 後楽園球場で行われた東映対近鉄戦で、東映の白仁天が3回裏の打席で見逃し三振の判定に怒り、主審の露崎元弥を突き飛ばして退場処分を受ける。白はさらに露崎を投げ飛ばし露崎は胸部の打撲で約1週間のけがを負う。
  • 5月25日
    • プロ野球コミッショナー委員会が午後3時半から東京・後楽園の野球博物館にて記者会見し、西鉄6選手の黒い霧事件の処分について池永正明与田順欣益田昭雄3投手を永久追放、村上公康、船田和英を11月末までの出場停止処分、基満男を厳重戒告とする。
    • パリーグ審判の露崎元弥が東映の白仁天を23日の試合の件について、東京・富坂署に暴行、傷害で告訴。
  • 5月27日 - 西鉄本社は午後1時より株主総会を開き、社長の楠根宗生が退任し、後任に吉本弘次専務が就任すると発表。その後の役員会で西鉄ライオンズのオーナーに木本元敬専務を選出。木本は記者会見し、球団運営について「経営的に西鉄以上のバックが出てくれば、あえて西鉄という名前にはこだわらない」と発言。

6月[編集]

  • 6月2日 - 南海の監督兼選手の野村克也が大阪球場での対阪急9回戦の一回裏に12号2点本塁打を放ち、川上哲治の持つプロ野球通算1320の記録を更新する通算1322打点となる[10]
  • 6月3日 - 中日とロッテは東京・大手町のパレス・ホテルにて午後4時30分より、1969年12月に任意引退した元中日の江藤慎一川畑和人とのトレードを発表[11]
  • 6月9日
    • 大洋の鬼頭洋が川崎球場での対ヤクルト5回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[12]
    • コミッショナー委員会は、オートレースの八百長に絡んだ中日の小川健太郎を、統一契約書違反で永久失格処分にすると発表。
  • 6月15日 - コミッショナー委員会は、黒い霧事件に関連して近鉄バファローズの球団職員の山崎晃を永久追放にすると発表。
  • 6月18日 - オートレースの八百長容疑で逮捕された阪神・葛城内野手を3カ月の期限付失格選手に指名。
  • 6月20日 - ヤクルトはロッテの篠原良昭を金銭トレードで獲得したと発表[13]

7月[編集]

  • 7月1日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄6回戦の一回裏に盗塁に成功し、木塚忠助の持つプロ野球通算盗塁478の記録に並ぶ[14]
  • 7月2日 - 阪神の江夏豊が川崎球場での対大洋7回裏に重松省三から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[15]
  • 7月7日 - 阪神の監督兼選手の村山実が甲子園球場での対大洋13回戦で3勝目をあげ、プロ通算200勝を達成[16]
  • 7月10日 - 東映の毒島章一が日生球場での対近鉄9回戦の4回表に代打で出場し、プロ通算2000試合を達成[17]
  • 7月30日
  • 7月31日 - 南海の広瀬叔功が日生球場での対近鉄13回戦の5回表に二盗を決めて通算盗塁が479となり、木塚忠助の持つ通算盗塁数478を抜くプロ野球新記録を達成[18]

8月[編集]

9月[編集]

  • 9月8日 - ヤクルトの桑田武がオートレース八百長の疑いで逮捕され、後日コミッショナー委員会は出場停止3カ月を決定(そのまま引退)。
  • 9月18日 - 巨人の森昌彦が川崎球場での対大洋20回戦の七回から出場し、プロ通算1500試合出場を達成[29]
  • 9月29日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄18回戦の一回裏に樋口正蔵の適時打で生還し、プロ通算1000得点を達成[30]

10月[編集]

11月[編集]

  • 11月2日 - 日本シリーズ第5戦が東京球場で行われ巨人がロッテに6-2に勝利し、日本シリーズ6連覇を達成[44]
  • 11月3日 - 1970年度の最優秀選手、最優秀選手、ベストナインを決めるプロ野球記者投票の開票が東京・銀座のプロ野球コミッショナー事務局で午前10時より行われ、最優秀選手に王貞治木樽正明、最優秀新人に谷沢健一佐藤道郎が選出される[45]
  • 11月6日 - 巨人の打撃コーチの荒川博がオーナーの正力亨に辞表を提出し退団を申し入れる[46]
  • 11月7日
    • ヤクルトは東京・日本橋本町のヤクルト本社役員室にて午後2時半より三原脩の監督就任、中西太のヘッドコーチの就任を正式に発表[47]
    • 近鉄は野球評論家の鶴岡一人に対し監督就任を要請[48]
  • 11月9日 - プロ野球新人選抜会議が東京・日生会館にて行われ、107名が指名される。
  • 11月18日 - 近鉄から監督就任を要請されていた鶴岡一人が、内臓の状態が悪く監督の激務に耐えられないことを理由に要請を断ることを近鉄に伝える[49]
  • 11月25日
    • 野球博物館に表彰される人物を選ぶ競技者表彰委員会による投票が開票され、天地俊一二出川延明を選出[50]
    • ロッテは濃人渉監督が来シーズンも指揮を執ることを決定し、コーチ陣の全員残留も決める[51]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『東京ヤクルトスワローズ40年史 1969-2009 ツバメの記憶』 ベースボール・マガジン社2009年、43頁。ISBN 9784583616018
  2. ^ 読売新聞1970年4月3日11面「さようなら"黄金の左腕" 金田、なごりの力投 引退試合 『34』は永久欠番」読売新聞縮刷版1970年4月p75
  3. ^ 毎日新聞1970年4月6日13面「二転三転 箕島に勝利の女神 島本が投打に大活躍」毎日新聞縮刷版1970年4月p169
  4. ^ 朝日新聞1970年4月11日1面「『他球団も二人関係 西鉄から口止め料』 永易、八百長事件で記者会見」朝日新聞縮刷版1970年4月p333
  5. ^ 朝日新聞1970年4月15日13面「池永が通算百勝目」朝日新聞縮刷版1970年4月p481
  6. ^ 朝日新聞1970年4月24日15面「田中勉 高山を逮捕 八百長オート レーサーだき込む 藤縄も逮捕 数十万円を渡す」朝日新聞縮刷版1970年4月p783
  7. ^ 読売新聞1970年4月24日11面「6イニング連続併殺 西鉄がパ新」読売新聞縮刷版1970年4月p755
  8. ^ 朝日新聞1970年4月25日13面「野村、450ホーマー 十七年目に達成」朝日新聞縮刷版1970年4月p821
  9. ^ 朝日新聞1970年4月30日15面「永易発言とぴたり一致 プロ野球の八百長問題 五百五十万円を渡す 楠根西鉄オーナー 地検で供述」朝日新聞縮刷版1970年4月p999
  10. ^ 読売新聞1970年6月3日11面「野村、打点の日本新 2ラン放ち、一、三二二点」読売新聞縮刷版1970年6月p75
  11. ^ 読売新聞1970年6月4日11面「江藤、ロッテ入り決定 川畑との交換トレードで」読売新聞縮刷版1970年6月p109
  12. ^ 読売新聞1970年6月10日11面「鬼頭(大洋)ノーヒットノーラン 今季2人目 ヤクルト3四球だけ」読売新聞縮刷版1970年6月p305
  13. ^ 読売新聞1970年6月21日11面「篠原(ロッテ)ヤクルトへトレード」読売新聞縮刷版1970年6月p687
  14. ^ 読売新聞1970年7月2日11面「広瀬、盗塁の日本タイ」読売新聞縮刷版1970年7月p47
  15. ^ 読売新聞1970年7月2日11面「復帰の江夏(救援)奪三振千 史上最短の940回で」読売新聞縮刷版1970年7月p83
  16. ^ 読売新聞1970年7月8日11面「村山が二百勝 初完封 大洋の6連勝阻止」読売新聞縮刷版1970年7月p247
  17. ^ 読売新聞1970年7月11日11面「毒島が二千試合出場」読売新聞縮刷版1970年7月p351
  18. ^ 読売新聞1970年8月1日11面「広瀬(南海)盗塁の日本新 1,663試合目で479個」読売新聞縮刷版1970年8月p11
  19. ^ 毎日新聞1970年8月3日10面「神戸(三菱重工神戸)雨中14回、勝負つかず 富士(大昭和製紙)橘谷、安田譲らず 史上初の決勝再試合に」毎日新聞縮刷版1970年8月p74
  20. ^ 毎日新聞1970年8月4日1面「富士市(大昭和製紙)が優勝 神戸破り 17年ぶり2度目」毎日新聞縮刷版1970年8月p91
  21. ^ 読売新聞1970年8月5日11面「山内(広島)が四千塁打」読売新聞縮刷版1970年8月p123
  22. ^ 読売新聞1970年8月7日11面「遠井(阪神)が千本安打」読売新聞縮刷版1970年8月p187
  23. ^ 読売新聞1970年8月12日11面「王が千五百試合出場 両リーグで三十二人目」読売新聞縮刷版1970年8月p333
  24. ^ 毎日新聞1970年8月17日11面「江藤が千五百本安打」毎日新聞縮刷版1970年8月p491
  25. ^ 読売新聞1970年8月20日11面「ヤクルト 別所監督を解任 代理監督に小川コーチ」読売新聞縮刷版1970年8月p583
  26. ^ 読売新聞1970年8月26日11面「ヤクルト 暗い日本タイ 16連敗 再三の好機逸す 渋谷(中日)プロ入り初完封」読売新聞縮刷版1970年8月p770
  27. ^ 【8月26日】1970年(昭45)田淵幸一、流血し昏倒…記憶が飛んだおかげで恐怖なし”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2015年12月9日閲覧。
  28. ^ 読売新聞1970年8月27日11面「ヤクルト、17連敗阻止」読売新聞縮刷版1970年8月p807
  29. ^ 読売新聞1970年9月20日11面「森が千五百試合出場」読売新聞縮刷版1970年9月p603
  30. ^ 読売新聞1970年9月29日11面「広瀬(南海)が通算千得点」読売新聞縮刷版1970年9月p939
  31. ^ 読売新聞1970年10月7日11面「佐々木(近鉄)が完全試合 対南海 プロ11人目の快挙」読売新聞縮刷版1970年10月p227
  32. ^ 読売新聞1970年10月8日1面「ロッテ、3回目の優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1970年10月p253
  33. ^ 読売新聞1970年10月9日10面「山内(広島)が引退 今シーズン終了後」読売新聞縮刷版1970年10月p298
  34. ^ 読売新聞1970年10月9日10面「荒川(早大出)大洋入り 期限切れ寸前に」読売新聞縮刷版1970年10月p298
  35. ^ 読売新聞1970年10月17日11面「梶本が800登板」読売新聞縮刷版1970年10月p573
  36. ^ 読売新聞1970年10月19日11面「野村、二千本安打も」読売新聞縮刷版1970年10月p641
  37. ^ 読売新聞1970年10月19日11面「大杉、本塁打王ほぼ手中 一気に43・44号、野村離す」読売新聞縮刷版1970年10月p673
  38. ^ 読売新聞1970年10月19日11面「三原近鉄監督退団へ」読売新聞縮刷版1970年10月p673
  39. ^ 読売新聞1970年10月22日11面「田宮(東映)監督に昇格」読売新聞縮刷版1970年10月p747
  40. ^ 読売新聞1970年10月23日1面「巨人、史上初の六年連続優勝 ロッテと日本シリーズ」読売新聞縮刷版1970年10月p771
  41. ^ 読売新聞1970年10月24日11面「パ・リーグ全日程終わる」読売新聞縮刷版1970年10月p815
  42. ^ 読売新聞1970年10月25日11面「平松(大洋)に沢村賞 全員一致できまる」読売新聞縮刷版1970年10月p851
  43. ^ 読売新聞1970年10月25日11面「若生プロ入り百勝目」読売新聞縮刷版1970年10月p883
  44. ^ 読売新聞1970年11月3日1面「6年連続日本一の快挙 巨人 4勝1敗でロッテくだす」読売新聞縮刷版1970年11月p59
  45. ^ 読売新聞1970年11月4日11面「最優秀選手 王が5度目(史上初)」読売新聞縮刷版1970年11月p93
  46. ^ 読売新聞1970年11月7日11面「荒川コーチ辞表出す」読売新聞縮刷版1970年11月p193
  47. ^ 読売新聞1970年11月8日10面「三原ー中西ライン ヤクルト入り発表」読売新聞縮刷版1970年11月p224
  48. ^ 読売新聞1970年11月8日10面「鶴岡氏に監督就任を要請 近鉄」読売新聞縮刷版1970年11月p224
  49. ^ 読売新聞1970年11月19日11面「鶴岡氏も断る 近鉄の監督」読売新聞縮刷版1970年11月p591
  50. ^ 読売新聞1970年11月26日11面「天地氏 二出川氏 野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1970年11月p833
  51. ^ 読売新聞1970年11月26日11面「濃人監督留任正式に決まる」読売新聞縮刷版1970年11月p833
  52. ^ 読売新聞1970年12月5日11面「巨人六連勝たたえる 米大リーグ 正力オーナー、王選手を特別表彰」読売新聞縮刷版1970年12月p151