佐藤義則

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佐藤 義則
福岡ソフトバンクホークス コーチ #70
Sato yoshinori.jpg
楽天時代(2011年8月30日 こまちスタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道奥尻郡奥尻町
生年月日 (1954-09-11) 1954年9月11日(63歳)
身長
体重
181 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1976年 ドラフト1位
初出場 1977年5月11日
最終出場 1998年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

佐藤 義則(さとう よしのり、1954年9月11日 - )は、北海道出身で、現役時代阪急(オリックス)一筋を貫いた元プロ野球選手投手)、野球指導者。2015年から、福岡ソフトバンクホークス一軍投手コーチ。ジャイロスコープ所属

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

奥尻島奥尻中学校卒業後、函館大有斗高校に進む。エースとして1972年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧工に0-2で惜敗し甲子園出場を逸する。卒業後は日本大学に進学。当時の日大は低迷期にあり、東都大学リーグでは、1974年秋季リーグ後に二部降格(1季のみ)も経験する。しかし1976年秋季リーグでは8勝4敗の好成績をあげ、シーズン78奪三振(東都大学リーグでは円子宏の83奪三振に次ぐ当時第2位)を記録した。また同年の第5回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている。一部リーグ通算62試合登板、22勝21敗、防御率2.48、242奪三振。大学同期には和泉貴樹(日立製作所-日大監督)らがいる。同年秋のドラフト会議阪急ブレーブスの1位指名を受け入団した。

プロ時代[編集]

1年目の1977年に7勝を挙げて新人王に選出され、日本シリーズにも登板する。2年目の1978年には初めてオールスターゲームに出場し、シーズン13勝を記録したが、ヤクルトスワローズとの日本シリーズではベンチ入りするも故障のため登板がなく、山口高志の故障離脱もあって山田久志今井雄太郎の負担を増すこととなった。

1981年には腰痛のため一軍登板がなく、一時期任意引退扱いとなったが、翌1982年からリリーフ投手として復活。1984年先発投手に復帰した。1985年に21勝で最多勝利のタイトルを獲得。パ・リーグでの20勝投手は2003年斉藤和巳まで現れず、プロ野球界では昭和時代最後の20勝投手でもあった。

1986年には最優秀防御率のタイトルを獲得し、1987年、それまで12年連続で開幕投手を務めていた山田久志に代わってプロ入り11年目で初の開幕投手を務めた。しかし、このシーズンはわずか7勝に終わっている。1988年オフに阪急がオリックスとなった後も、山沖之彦星野伸之らとともに投手陣の中心として先発の一角を担った。

1993年7月12日に出身地の奥尻島が北海道南西沖地震およびそれに伴う火災津波によって壊滅的被害を受けた翌日にオールスターゲームに選出され、7月21日の第2戦に登板し2回4奪三振を記録した。なお、この震災で叔母を亡くしており、すぐにでも故郷へ帰りたい気持ちをこらえての力投だった。

1995年には今度は自身の所属するオリックス・ブルーウェーブの本拠地である神戸が阪神・淡路大震災に襲われ、一時は試合開催も危ぶまれる大被害を受けた。この年は8月26日の対近鉄バファローズ戦(藤井寺球場)で当時NPB史上最年長[1]、NPB史上初となる40歳以上でのノーヒットノーランを達成。チームは「がんばろうKOBE」を合言葉に一丸となって結束し、最終的には1984年以来、11年ぶりのリーグ優勝を果たす。ヤクルトスワローズと対戦した日本シリーズでは経験を買われて第1戦に登板したが、敗戦投手となった。

1996年頃から衰えが顕著になり、同年チームはパ・リーグ連覇を果たしたものの、日本シリーズでも登板機会が与えられなかった。

1998年シーズンを最後に、44歳で現役引退した。

落差の大きな独特の変化球は「ヨシボール」と呼ばれた。このボールは、指が短くてフォークボールが投げられない佐藤が「人差し指と中指で挟めないなら親指と人差し指で挟もう」という考えで編み出したものである。

また、時速140km/h台の速球を引退まで投げ続けることができた。現役時代、戎信行を指導した[2]

引退後[編集]

1999年、オリックスの二軍投手コーチに就任した。出身地の奥尻島では、現役時代の背番号にちなんで、1999年11月11日に「佐藤義則野球展示室」を開設した。2000年限りでオリックスを退団すると、2001年には、J SPORTS野球解説者デイリースポーツの野球評論家を務めた。

2002年から2004年まで、阪神タイガースで一軍投手コーチを担当。井川慶を育て[2]、サイドに転向した吉野誠を鍛え勝利の方程式の一員にし[3]ジェフ・ウィリアムスを抑えにして、2003年は18年ぶりのセントラル・リーグ優勝に貢献した。2005年北海道日本ハムファイターズの二軍投手コーチに就任。武田久を指導し[2]ダルビッシュ有を育てた[4]。翌2006年には、一軍投手コーチとして25年ぶりのリーグ優勝、44年ぶりの日本一に貢献。2007年は球団初の連覇に貢献した[5]。同年日本シリーズ終了後の11月3日に来季契約しないことを通告され、佐藤は「いまさら言われても。(ヒルマン監督)本人だけ喜んでそれでいいのか、球団は謝っていたけど。1年契約だからずっとは考えていないけど、時期が悪い。就職活動ができないよ。誠意がないよな。前もって決まっているなら言ってほしかったな。(球団が他球団への就職先を)探すのはできないと言っていた」と監督のトレイ・ヒルマンとフロントを批判した[6]

2007年オフに、プロ野球マスターズリーグ札幌アンビシャスへ加入。また、株式会社スーパーエージェントとマネジメント契約を結んだ。2008年には、札幌テレビSTVラジオサンテレビ・J SPORTSで解説者として活動した後に、10月から東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍投手コーチに就任した。田中将大を育成した[2]

2010年12月7日に、野球殿堂入り候補者名簿(プレーヤー部門)へ掲載[7]。楽天のコーチとしてヘッド格の立場になった2013年[8]には、球団初のパ・リーグ優勝と日本シリーズ制覇に貢献した。

2014年には、5月26日に星野が持病の腰痛で休養したため、星野に代わって当日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)を指揮(試合は1対4で敗戦)[9]。その後の診断で星野が腰椎椎間板ヘルニアと胸椎黄色靭帯骨化症を発症していることが判明したため、楽天球団では翌5月27日に、星野の休養と佐藤の監督代行就任を発表した[10]。翌5月28日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、監督代行として4対0で初勝利[11]。7月2日、球団は二軍監督の大久保博元を一軍監督代行とすることを発表、佐藤は一軍投手コーチに専念することになった[12]10月14日に来季の契約を結ばないことが発表された[13]。同年11月8日、福岡ソフトバンクホークス一軍投手コーチに就任することが発表された[14]武田翔太にヨシボールを教え[15]、武田を一人前に育て上げた[16]。チーム防御率は1位[17]、チームの2年連続リーグ優勝、日本一に貢献した。

指導者としての特徴・人物[編集]

愛称は「ヨシ」。楽天への入団が決まった直後には、日本ハム時代の教え子であるダルビッシュ有が、当時楽天に在籍していた田中将大に対して電話で「ヨシさん(佐藤)の言うことは間違いない」というアドバイスを送った[18]。より速い球を投げられるようダルビッシュのフォームを改良、上半身に負担のかかる田中のフォームを改造し、エースへと育てた。長所を消さず、個々に適したフォームを伝授する指導には定評がある[19]星野仙一からは「日本一の投手コーチ」と言わしめた[20]。投手コーチとして阪神、日本ハム、楽天、ソフトバンクの4球団で優勝していることから優勝請負人と言われている[16]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1977 阪急
オリックス
20 13 5 1 0 7 3 1 -- .700 474 109.2 104 11 50 2 5 75 4 0 48 47 3.86 1.40
1978 33 26 12 3 1 13 8 1 -- .619 814 194.0 176 22 73 1 6 114 3 0 88 78 3.62 1.28
1979 26 17 11 1 0 10 6 2 -- .625 696 155.1 177 22 65 1 4 92 1 0 85 74 4.29 1.56
1980 30 18 4 0 0 4 13 0 -- .235 615 135.2 135 30 81 0 4 93 2 1 98 88 5.84 1.59
1982 39 0 0 0 0 4 2 13 -- .667 351 82.2 68 7 47 2 1 64 6 0 24 23 2.50 1.39
1983 33 1 0 0 0 1 8 16 -- .111 240 54.2 48 8 28 2 2 52 0 0 29 25 4.12 1.39
1984 33 28 17 4 0 17 6 1 -- .739 886 210.1 177 19 106 2 6 136 2 0 85 82 3.51 1.35
1985 35 34 23 2 3 21 11 0 -- .656 1146 260.1 279 29 105 3 7 188 7 0 136 124 4.29 1.48
1986 21 20 13 4 4 14 6 0 -- .700 648 162.0 144 19 34 3 4 105 6 0 53 51 2.83 1.10
1987 27 20 9 1 0 7 8 3 -- .467 634 147.1 164 19 47 3 5 90 7 1 79 77 4.70 1.43
1988 25 25 14 5 1 13 10 0 -- .565 820 195.2 176 22 70 4 10 112 4 0 76 70 3.22 1.26
1989 28 25 7 1 0 9 13 0 -- .409 749 165.2 195 21 71 4 2 105 1 0 106 92 5.00 1.61
1990 17 17 7 0 0 7 7 0 -- .500 473 108.2 111 18 41 1 2 83 7 1 63 58 4.80 1.40
1991 28 7 1 0 0 3 8 8 -- .273 326 70.1 83 4 32 1 3 62 5 0 33 33 4.22 1.64
1992 21 13 5 1 1 9 5 3 -- .643 472 115.0 100 17 35 0 4 86 3 0 44 41 3.21 1.17
1993 21 21 6 2 0 9 8 0 -- .529 597 142.0 123 10 55 0 2 99 3 0 62 56 3.55 1.25
1994 20 19 5 1 0 8 8 0 -- .500 552 130.1 126 14 42 2 2 93 5 0 54 51 3.52 1.29
1995 16 15 2 1 0 4 2 0 -- .667 365 86.1 82 7 29 0 4 57 2 0 39 37 3.86 1.29
1996 10 6 0 0 0 1 2 0 -- .333 151 30.2 39 3 21 0 2 21 4 0 21 19 5.58 1.96
1997 10 9 0 0 0 4 3 0 -- .571 197 43.1 50 5 22 1 0 22 1 0 23 21 4.36 1.66
1998 8 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 38 8.2 11 1 1 0 0 6 0 0 5 5 5.19 1.38
通算:21年 501 335 141 27 10 165 137 48 -- .546 11244 2608.2 2568 308 1055 32 75 1755 73 3 1251 1152 3.97 1.39
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

通算監督成績[編集]

  • 23試合 9勝14敗0分 勝率 .391 (2014年、楽天・星野監督欠場に伴い監督代行)

タイトル[編集]

  • 最多勝:1回 (1985年)
  • 最優秀防御率:1回 (1986年)
  • 最多奪三振(当時連盟表彰なし):2回 (1984年、1985年) ※パシフィック・リーグでは、1989年より表彰

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000投球回:1985年5月15日、対近鉄バファローズ6回戦(阪急西宮球場)、5回表3死目に達成
  • 1500投球回:1987年8月27日 対近鉄バファローズ19回戦(阪急西宮球場)、7回表2死目に達成
  • 1000奪三振:同上、8回表にベン・オグリビーから ※史上74人目
  • 100勝:1988年4月30日、対ロッテオリオンズ4回戦(阪急西宮球場)、9回4失点(自責点2)完投勝利 ※史上95人目
  • 2000投球回:1991年4月28日、対近鉄バファローズ4回戦(藤井寺球場)、2回表2死目に達成 ※史上69人目
  • 1500奪三振:1993年7月9日、対福岡ダイエーホークス14回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回表に浜名千広から ※史上35人目
  • 150勝:1994年4月19日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回完封勝利 ※史上39人目
  • 2500投球回:1995年8月15日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(グリーンスタジアム神戸)、3回表1死目に達成 ※史上39人目
  • 500試合登板:1998年9月26日、対福岡ダイエーホークス26回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回表2死に2番手として救援登板・完了 ※史上69人目
その他の記録

背番号[編集]

  • 11 (1977年 - 1998年)
  • 75 (1999年 - 2000年、2002年 - 2004年)
  • 81 (2005年 - 2007年)
  • 71 (2009年 - 2014年)
  • 70 (2015年 - )

関連情報[編集]

著書[編集]

書籍[編集]

  • 『佐藤義則 一流の育て方:ダルビッシュ有・田中将大との1600日』(永谷脩著、徳間書店、2010年11月 ISBN 978-4-19-863071-3
    • 『超一流の育て方:楽天イーグルス投手コーチ・佐藤義則とエースの5年間』(改題・大幅加筆・再編集、KADOKAWA(中経の文庫)、2013年12月、ISBN 9784046000866

解説者としての出演番組[編集]

その他の出演番組[編集]

  • プロフェッショナル 仕事の流儀「まっすぐ戦う、勇気を持て プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルス投手コーチ・佐藤義則」』(2012年4月23日、NHK総合
  • 『プロフェッショナル 仕事の流儀、人を育てる極意スペシャル』(2013年9月9日、NHK総合)

脚注[編集]

  1. ^ 2006年に中日の山本昌が更新
  2. ^ a b c d “プロフェッショナル 仕事の流儀 「まっすぐ戦う勇気を持て 投手コーチ・佐藤義則」”. goo. (2012年3月27日). http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/10934/559773/ 2012年4月23日閲覧。 
  3. ^ “ソフトバンク、ポスト森福絞られた 飯田か嘉弥真”. 日刊スポーツ. (2017年3月14日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1792012.html 2017年7月3日閲覧。 
  4. ^ ダルビッシュ、マー君を育てた佐藤義則投手コーチが語る「肩を下げて投げる」理由とは
  5. ^ 楽天、投手コーチに佐藤義則氏招聘 今月中にも交渉 サンケイスポーツ2008年9月19日
  6. ^ 日刊スポーツ2007年11月3日、日本ハム佐藤コーチが突然クビ連発に激怒
  7. ^ 「平成23年 第51回競技者表彰委員会 野球殿堂入り候補者名簿」発表 - 日本野球機構オフィシャルサイト
  8. ^ 星野監督 来季は「ヘッド格は佐藤で仁村は野手のチーフ」 - スポーツニッポン
  9. ^ “星野監督 腰痛で休養、歩行困難 佐藤投手コーチが代行”. スポーツニッポン. (2014年5月26日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/26/kiji/K20140526008240070.html 2014年5月26日閲覧。 
  10. ^ “星野仙一監督 休養のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト. (2014年5月27日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4216.html 2014年5月27日閲覧。 
  11. ^ 佐藤監督代行が初白星 観戦三木谷オーナー「監督も安心すると思う」スポーツニッポン2014年5月28日配信
  12. ^ “監督代行・コーチ人事に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト. (2014年7月2日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4324.html 2014年7月2日閲覧。 
  13. ^ 来季のコーチ契約に関して楽天球団公式サイト2014年10月14日配信
  14. ^ ソフトB来季コーチングスタッフを発表”. 日刊スポーツ (2014年11月8日). 2014年11月8日閲覧。
  15. ^ ソフトバンク・武田2度目完封 新球「ヨシボール」冴え10K
  16. ^ a b 【優勝請負人コーチ独占手記】 サンケイスポーツ
  17. ^ 2015年度 パシフィック・リーグ チーム投手成績
  18. ^ 永谷脩『渡り鳥、佐藤義則を酔わせる投手とは?』 Sports Graphic Number 718号
  19. ^ ソフトB佐藤コーチ 一流育成で投手王国日刊スポーツ
  20. ^ 週刊現代2015年2月21日,P168

関連項目[編集]

外部リンク[編集]