八木茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
八木 茂
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1953-11-28) 1953年11月28日(63歳)
身長
体重
175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1979年 ドラフト3位
初出場 1980年4月6日
最終出場 1984年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

八木 茂(やぎ しげる、1953年11月28日 - )は、日本野球指導者、プロ野球選手である。

1979年プロ野球ドラフト会議にて阪急ブレーブスに3位で指名され入団、1980年より1983年まで所属した後、1984年阪神タイガースへ移り、同年引退した。引退後は大正大学の監督や早稲田大学野球部コーチ、明桜高校(秋田)監督などを務めた。

来歴[編集]

大阪府出身。興國高等学校では1971年夏の甲子園府予選準決勝に進出するが、行沢久隆のいたPL学園に敗退。卒業後は1973年早稲田大学へと進学。東京六大学リーグでは、1年生から内野手として活躍。エース矢野暢生(日本生命)らを擁し、1973年春季、1974年春季リーグで2度優勝。1974年春季リーグではベストナイン(遊撃手)に選ばれた。また同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で駒澤大学を降し優勝。第3回日米大学野球選手権大会日本代表となる。リーグ通算81試合に出場し、261打数76安打・5本塁打・26打点・打率.291を記録。大学同期に松本匡史吉沢俊幸がいる。

東芝に入社し、1977年から3年連続都市対抗野球大会出場。1978年第49回都市対抗野球大会では5番打者として優勝に貢献した。

1979年秋、ドラフト会議にて阪急ブレーブスに3位指名を受け入団。1年目から92試合に出場、うち40試合に二塁手三塁手、遊撃手として先発した。しかしその後は打撃面で伸び悩み、1983年オフに金銭トレードで阪神タイガースに移籍。移籍後の1984年には主に二塁手や代打として起用され、60試合に出場するものの、同年シーズン終了後に現役を引退した。

引退後は東芝テックに勤務する傍ら、目黒西シニアの監督や大正大学の監督、早稲田大学野球部のコーチを歴任した[1]。2014年1月に高校野球指導者に認定され、2014年3月より秋田・明桜高校の監督を務めた[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1980 阪急 92 156 138 12 30 6 0 2 42 12 4 1 5 1 10 0 2 20 1 .217 .278 .304 .582
1981 36 30 29 4 6 1 0 0 7 1 0 1 1 0 0 0 0 8 0 .207 .207 .241 .448
1982 19 62 53 8 12 0 0 1 15 8 1 0 2 1 6 0 0 6 2 .226 .300 .283 .583
1983 33 46 40 7 8 1 0 0 9 5 0 0 2 0 3 0 1 9 2 .200 .273 .225 .498
1984 阪神 60 78 75 5 14 2 0 1 19 7 2 0 0 0 3 0 0 12 4 .187 .218 .253 .471
通算:5年 240 372 335 36 70 10 0 4 92 33 7 2 10 2 22 0 3 55 9 .209 .262 .275 .537

記録[編集]

背番号[編集]

  • 2 (1980年 - 1983年)
  • 39 (1984年)

脚注[編集]

関連項目[編集]