田村政雄

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田村 政雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県
生年月日 (1953-05-03) 1953年5月3日(63歳)
身長
体重
178 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1975年 ドラフト1位
初出場 1976年4月8日
最終出場 1980年8月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

田村 政雄(たむら まさお、1953年5月3日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物[編集]

県立和歌山商では1971年夏の甲子園和歌山県予選の準々決勝で市立和歌山商に敗れ、甲子園出場はならなかった。卒業後は中央大学へ進学。東都大学リーグでは3度のリーグ優勝に貢献。1973年全日本大学野球選手権大会では、決勝で愛知学院大を3-0で降し優勝。1974年明治神宮野球大会でも、決勝で江川卓を擁する法大と対決し1-0で完封、優勝している。また1973年から3年連続で日米大学野球選手権代表に選出された。大学同期に福田功行沢久隆がいる。

リーグ通算82試合登板、39勝33敗、防御率2.35、359奪三振。最高殊勲選手2回、最優秀投手2回、ベストナイン2回。39勝は芝池博明の41勝に次ぎ、松沼雅之の39勝と並ぶリーグ2位タイ。2年生春から4年生春にかけてリーグ記録の45試合連続チームの試合に登板した。地を這うようなアンダースローからキレのいいシュートカーブを投げ、ドラフトの目玉として大いに注目された。体が大変柔軟であるという投手の資質に恵まれ、粘っこいピッチングをする。打者側から見れば球離れが他の投手と比較して遅いので、タイミングを合わせにくい投手でもあった。武器はストレート、カーブ、シュート、決め球はシンカー。

1975年ドラフト1位で大洋ホエールズに入団。大学時代の活躍から新人王候補と期待され、本人も「自分でないなら田尾安志」と公言してはばからなかったが、プロ入り後は伸び悩む。新人王は田尾が受賞した。「東都大学野球80周年史」で、元中央監督の宮井勝成は、自身がかかわった最高の投手であったと述べたうえで「酒が…」と残念がっている。ルーキー年キャンプ時に二日酔いで目覚めた写真を撮影されたこともある。

1978年オフに佐藤道郎との交換トレードで、伊藤勲と共に南海ホークスに移籍。1981年は一軍登板は無く、同年限りで現役引退。

引退後は実家の酒屋を継ぎ、その後コンビニエンスストアにしたが、現在は閉店している。元プロ野球選手の田村領平は息子。 2011年の1シーズン、四国アイランドリーグplus高知ファイティングドッグスの投手コーチを務めた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1976 大洋 12 4 0 0 0 1 3 0 -- .250 142 31.2 36 7 19 0 4 19 0 0 23 22 6.25 1.74
1977 42 10 2 0 0 3 4 1 -- .429 431 93.0 109 20 42 1 10 62 3 0 69 60 6.32 1.62
1978 40 11 1 1 0 3 3 2 -- .500 367 86.0 73 14 36 2 5 43 1 0 40 36 3.77 1.27
1979 南海 24 12 0 0 0 2 4 0 -- .333 330 69.0 99 16 34 2 1 30 1 1 64 62 8.09 1.93
1980 17 3 0 0 0 0 2 1 -- .000 201 43.0 56 12 22 0 2 15 0 0 43 39 8.16 1.81
通算:5年 135 40 3 1 0 9 16 4 -- .360 1471 322.2 373 69 153 5 22 169 5 1 239 219 6.11 1.63

記録[編集]

背番号[編集]

  • 12 (1976年 - 1978年)
  • 14 (1979年 - 1981年)
  • 84 (2011年)

脚注[編集]

関連項目[編集]