森山良二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
森山 良二
東北楽天ゴールデンイーグルス コーチ #72
R moriyama20160423.jpg
西武プリンスドームにて(2016年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市
生年月日 (1963-07-20) 1963年7月20日(53歳)
身長
体重
183 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 ドラフト1位
初出場 1987年9月10日
最終出場 1995年6月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

森山 良二(もりやま りょうじ、1963年7月20日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手投手)、プロ野球コーチ

2010年から東北楽天ゴールデンイーグルス一軍投手コーチとしてブルペンを担当する。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

福岡大附属大濠高校では入学時からずば抜けた球威を誇り[1]、3年夏の1981年にエースとして夏の甲子園大会に出場。初戦の2回戦で函館有斗を5安打2失点に抑えて完投勝利を収めた[2]が、3回戦で鎮西高校に敗れている。早稲田大学を目指して2年間浪人した後、北九州大学に進学した[3]

2年秋の1985年にはエースとして九州六大学リーグで3位に入る原動力となった[4]が、高校時代から注目していた西武の球団管理部長・根本陸夫が接触、入団を打診されて[1]同年で大学を中退。野球部のないONOフーヅに入社してレストランレジ打ちなどを行ない[1]1986年11月のドラフト会議では全くといっていいほどのノーマークの中で西武から単独で1位指名を受けた[5]。担当スカウトは楠城徹で、契約金と年俸それぞれ5,000万円、480万円(いずれも推定)で入団している[6]

プロ野球選手時代[編集]

打者としての素質にも定評があった[7]投手となり、1年目の1987年自主トレーニングの段階から優れた身体能力を発揮し、森祇晶監督にはバランス能力の高さを評価されている[3]9月10日に一軍初登板を果たすと10月13日にはプロ初先発で初勝利を挙げた。同年の日本シリーズでは第1戦でリリーフとして登板し、1イニングを1安打無失点に抑えている[8]

2年目の1988年東尾修の出場停止や小野和幸の移籍もあって[9]先発ローテーションに入り、パームボールを武器に前半戦だけで8勝を挙げてローテーションに定着した[10]。後半戦はパームの制球に苦しんだがシーズン通算で10勝し、同年の日本シリーズでは、第4戦で最少被安打のシリーズタイ記録となる2安打完封勝利[10]を収めて優秀選手賞を受賞した。これらの活躍が評価されて新人王を獲得し、オフには1,000万円増の年俸1,500万円(推定)で契約を更改している[11]

しかし1989年はひじと肩の故障から2試合のみの登板に終わり、1990年オープン戦で好投して先発復帰を目指した[12]ものの未勝利となった。1991年頃から軟投派への転向を目指し[13]1993年開幕直前の3月24日清水義之との交換トレードで中村日出夫と共に横浜に移籍した。横浜では中継ぎやローテーションの谷間の先発を任され、6月6日の対中日戦で5年ぶりに先発勝利を挙げている[13]。その後、1995年限りで現役を引退した。

現役引退後[編集]

古巣の西武に戻り1998年から1999年2001年から2002年2004年から2005年まで2軍投手兼トレーニングコーチ、2000年は2軍投手コーチ、2003年2006年から2007年にかけて1軍投手(ブルペン担当)兼トレーニングコーチを務めた。2007年10月7日に球団側から来季は契約しないことを通告された[14]。2007年でコーチの契約が終わり他球団への移籍も白紙になっていたところ、四国・九州アイランドリーグ福岡レッドワーブラーズから監督就任のオファーを受けてこれを受諾[15]。地元での人望が厚く、かつプロでの実績がある点を評価されたという[15]。プロ入りする選手が生まれる事を目標に[15]2008年から2009年まで監督を務めて、球団がリーグ戦参加を休止したのにともない退団。2010年東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍投手コーチ(ブルペン担当)に就任。

選手としての特徴・人物[編集]

最速143km/hの速球パームボールに加え、カーブスライダーを駆使した[16]。また制球が良く速球が低目に決まり[17]、マウンド度胸の良さにも定評があった[16]

プロでは新人王を獲得するなど活躍したが故障などの苦労も経験し、高圧的にならず後輩に好かれる性格だったと言う[15]

1988年のオープン戦で中日相手に好投した時、星野仙一監督が試合後のインタビューで「何であんなわけ分からんピッチャーに抑えられるんや」とボヤいた。この事が同年日本シリーズ第4戦の完封へと繋がった。試合中ベンチに戻る度に中日ベンチを睨み付けていたと言う[18]。その後、2011年には、コーチを務める楽天の監督に星野が就任することになる。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1987 西武 4 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 43 10.2 9 1 1 0 0 6 0 0 4 2 1.69 0.94
1988 28 24 10 2 2 10 9 0 -- .526 706 169.0 166 12 41 4 4 77 3 0 72 65 3.46 1.22
1989 2 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 30 5.1 11 0 4 1 0 2 0 0 7 7 11.81 2.81
1990 7 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 64 13.2 20 3 6 1 0 8 2 0 13 13 8.56 1.90
1991 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 36 8.2 11 0 2 1 0 3 0 0 2 2 2.08 1.50
1992 6 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 52 10.2 14 5 5 0 1 6 2 0 9 9 7.59 1.78
1993 横浜 13 10 0 0 0 2 3 0 -- .400 205 45.0 48 9 26 0 0 33 1 0 28 26 5.20 1.64
1994 18 4 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 173 41.0 45 5 9 2 0 16 3 0 20 18 3.95 1.32
1995 5 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 48 10.1 10 2 8 0 1 5 0 1 5 5 4.35 1.74
通算:9年 86 42 10 2 2 14 15 0 -- .483 1357 314.1 334 37 102 9 6 156 11 1 160 147 4.21 1.39

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 31 (1987年 - 1993年)
  • 24 (1993年 - 1995年)
  • 84 (1996年 - 1997年)
  • 80 (1998年 - 2009年)
  • 72 (2010年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b c 毎日新聞、2008年4月15日付朝刊、福岡地方面
  2. ^ asahi.com 第63回全国高校野球選手権大会 福岡大大濠 対 函館有斗
  3. ^ a b 読売新聞、1987年1月28日付朝刊、P.17
  4. ^ 毎日新聞、2004年6月3日付朝刊、福岡地方面
  5. ^ ただし森山によると、当初西武はドラフト外での獲得を目指していたといい、それがドラフト1位指名に変わったのは広島にその意図を嗅ぎ付けられ、ドラフト指名される危険性が生じたためだったという。
  6. ^ 読売新聞、1986年11月22日付朝刊、P.17
  7. ^ 読売新聞、1986年11月21日付朝刊、P.16
  8. ^ NPB公式記録 1987年度日本シリーズ 第1戦
  9. ^ 読売新聞、1987年12月24日付朝刊、P.17
  10. ^ a b 読売新聞、1988年10年27日付朝刊、P.18
  11. ^ 読売新聞、1988年12月11日付朝刊、P.19
  12. ^ 読売新聞、1990年4月5日付朝刊、P.18
  13. ^ a b 読売新聞、1993年6月7日付朝刊、P.21
  14. ^ 西武、7コーチが退団へ、2007年10月7日、スポーツニッポン
  15. ^ a b c d 毎日新聞、2008年4月16日付朝刊、福岡地方面
  16. ^ a b 読売新聞、1988年5月4日付朝刊、P.14
  17. ^ 読売新聞、1988年10月27日付朝刊、P.19
  18. ^ ベースボール・マガジン社 ベースボールマガジン1993年秋 - 栄光の日本シリーズ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]