小林宏 (野球)

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小林 宏
オリックス・バファローズ コーチ #89
Kobayashi hiroshi.jpg
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県廿日市市
生年月日 (1970-11-30) 1970年11月30日(46歳)
身長
体重
183 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト1位
初出場 1993年7月29日
最終出場 2005年8月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • オリックス・バファローズ (2009 - 2014)
  • シティライト岡山
  • オリックス・バファローズ (2016 - )

小林 宏(こばやし ひろし、1970年11月30日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

佐伯郡廿日市町(現:廿日市市)立宮内小学校4年のとき、少年野球「廿日市ジュニア」で野球を始めた。廿日市町立七尾中学校、崇徳高校広島経済大学を経て、1992年ドラフト1位でオリックス・ブルーウェーブに入団。

少年野球時代は捕手、高校時代は軟式野球部に所属し大学でも3年生までは遊撃手だった。4年生次、投手が次々と故障したことから緊急登板して好投し、そのまま大学選手権に進出する。当初は地元の広島東洋カープがドラフト2位という高評価で指名すると言われていたが、当日にオリックスがこれを上回るドラフト1位で指名して小林の交渉権を獲得した。会見では小林もあまりの評価の高さに驚きを隠せなかったという。

プロ入り後[編集]

オリックス時代[編集]

1年目の1993年は9試合に登板した。

1994年は21試合に登板し6試合に先発した。3勝3敗、防御率3.69の成績を残した。

ところが1995年1月17日阪神淡路大震災が発生し、オリックスの本拠地がある神戸市を含む阪神地域淡路島など関西地方を中心に大きな被害を受けた。チームは神戸での開催が危ぶまれたが、開催が決定することになった。「がんばろうKOBE」をテーマに被災者のためにチーム一丸となって戦ったチームは前身の阪急時代の1984年以来11年ぶりにリーグ優勝を果たし、自身は15試合に登板し、8勝3敗、防御率2.68の好成績を挙げた。日本シリーズでオリックスは日本一こそは逃したものの、中でも第4戦でのヤクルト4番打者のトーマス・オマリーとの勝負(小林-オマリーの14球)は語り草となっている。小林はその試合で勝利投手となった。

1996年も「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げ、この年は先発に中継ぎにあらゆる場面で起用され37試合に登板し、前年より安定感を欠いたが2年続けて8勝をマークし、オリックスのリーグ連覇と日本一に貢献した。

1997年にはシーズン途中に抑えになりオールスターゲームにも出場を果たした。同年は先発での登板はなく、全て中継ぎの53試合に登板し7勝3敗15セーブ、防御率2.56と活躍した。

1998年にはシーズン途中から先発に転向し規定投球回にはわずか2イニング届かなかったがチームトップの10勝を挙げ初の2桁勝利を達成。

1999年開幕投手も務めるも故障や不調で6試合しか登板できなかった。

2000年も開幕投手を務め、2年連続で開幕試合の勝ち投手となったが、不振を脱却できず5勝9敗で防御率も6点台と不本意なシーズンとなった。

2001年は故障のため1軍登板はなかった。またこの年限りで仰木彬監督が辞任した。

2002年は中継ぎで15試合の登板にとどまった。またチームはオリックス譲渡後初の最下位でシーズンを終えた。

2003年は3年ぶりに先発登板を果たすも往年の力を発揮できず4勝8敗、防御率5.54と結果を残せなかった。また、チームも前年は打撃陣の不振が重なり最下位で、この年は打撃陣は復活したものの投手陣が福岡ダイエーホークス戦で4試合の20失点以上を喫するなどチーム防御率も5.95と大きく崩壊し、この年も最下位でシーズンを終了した。

2004年は中継ぎで17試合に登板するも、防御率11.25と極度の不振でこの年のチーム防御率も5.65と投手陣が崩壊した。またチームはオフに大阪近鉄バファローズと合併することが決まり、選手分配ドラフトが行われた。小林も東北楽天ゴールデンイーグルスに入団することになった。

楽天時代[編集]

2005年は楽天創設1年目だったが、わずか3試合の登板に終わってしまった。オフに戦力外通告を受け現役を引退した。なお、この年は小林を含めた多くのベテラン選手が楽天を解雇された。

引退後[編集]

引退後の翌2006年よりJ SPORTS野球解説者を務め、神戸市の車いすバスケットボールチーム「清水 M・S・T」の監督も務め、関西の強豪としてチームを全国大会に導いた。

2009年よりオリックス・バファローズの二軍投手コーチに就任し、2010年からは育成投手コーチに配置転換された。しかし、同年6月8日に一軍投手コーチ星野伸之の病気療養に伴い一軍投手コーチとなり、2011年からは一軍投手コーチ(ブルペン)を務めていたが8月3日付で一軍投手コーチ(ベンチ)に配置転換となり、2012年途中からチーム防御率の低迷のため一軍投手コーチ星野と入れ替わりで二軍投手コーチに降格となった。2014年10月1日に球団から退団が発表された[1]

2015年シティライト岡山の選手兼任コーチに就任して投手陣の指導に当たり、第86回都市対抗野球大会予選第41回社会人野球日本選手権大会予選両方の第2代表決定戦進出に貢献した(ただしどちらの試合も敗退。)。なお選手登録こそされていたものの、公式戦での試合登板はなかった。

同年10月15日にオリックスに復帰して一軍投手コーチを務めることが発表された[2]2016年はチーム防御率リーグ最下位に終わり、2017年からは二軍投手コーチ。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1993 オリックス 9 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 104 22.2 34 1 5 0 0 19 1 0 11 10 3.97 1.71
1994 21 6 0 0 0 3 3 0 -- .500 257 61.0 52 4 23 0 1 48 3 0 28 25 3.69 1.23
1995 15 13 3 1 0 8 3 0 -- .727 352 87.1 71 4 27 0 5 56 2 0 29 26 2.68 1.12
1996 37 12 2 0 0 8 7 0 -- .533 542 121.1 124 7 66 2 4 68 6 0 61 55 4.08 1.57
1997 53 0 0 0 0 7 3 15 -- .700 312 81.0 56 8 23 2 2 47 2 0 25 23 2.56 0.98
1998 31 18 1 1 0 10 9 4 -- .526 591 133.0 121 9 73 7 4 78 5 0 63 53 3.59 1.46
1999 6 6 1 0 1 3 2 0 -- .600 135 29.2 32 1 15 0 1 16 3 0 20 15 4.55 1.58
2000 19 17 2 2 1 5 9 0 -- .357 432 93.1 116 14 45 0 3 47 4 0 70 70 6.75 1.73
2002 15 0 0 0 0 3 1 0 -- .750 89 20.2 15 3 8 1 3 12 0 0 11 10 4.35 1.11
2003 19 13 1 0 0 4 8 0 -- .333 350 76.1 95 13 26 1 5 40 3 0 54 47 5.54 1.59
2004 17 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 129 24.0 44 2 12 2 3 14 1 0 30 30 11.25 2.33
2005 楽天 3 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 19 3.1 9 2 0 0 0 3 0 0 6 6 16.20 2.70
通算:12年 245 87 10 4 2 53 47 19 0 .530 3312 753.2 769 68 323 15 31 448 30 0 408 370 4.42 1.45

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 22 (1993年 - 2004年)
  • 12 (2005年)
  • 89 (2009年 - 2014年、2016年 - )

関連情報[編集]

解説者時代に出演していた番組[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]