小関竜也

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小関 竜也
読売ジャイアンツ コーチ #74
px
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県佐野市
生年月日 (1976-07-24) 1976年7月24日(41歳)
身長
体重
178 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1994年 ドラフト2位
初出場 1996年10月4日
最終出場 2008年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (2011 - )

小関 竜也(おぜき たつや、1976年7月24日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手外野手、左投左打)、コーチ野球解説者。2017年10月現在は読売ジャイアンツの二軍打撃コーチを務めていて、同年11月1日からは一軍打撃コーチとして昇格予定[1]2003年シーズン途中から2004年までの登録名小関 竜弥(読み同じ)。長女はアイドルグループカントリー・ガールズの小関舞[2]

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

実家は佐野市内にある佐野ラーメンの有名店「万里」。

国学院栃木高校では、エース投手兼主将兼四番打者を務めた。なお、同学年の控え投手は渡辺俊介(後に千葉ロッテマリーンズ)だった。

西武時代[編集]

慶應義塾大学への推薦入試を受けて不合格となり[3]1994年度プロ野球ドラフト会議にて西武ライオンズから2位指名を受けて投手として入団。入団後に打者へ転向。

プロ2年目の1996年、10月4日の対近鉄バファローズ25回戦の8回裏に笘篠誠治への代打として一軍初出場を果たすが、同年中の出場はこの1試合のみだった。翌1997年も1試合の出場に留まる。

1998年には104試合に出場し、同年のパシフィック・リーグ(パ・リーグ)最優秀新人に選出された(パ・リーグで入団4年目の新人王は小関が初で、2016年時点では唯一)。なお、パ・リーグではこの年を最後に野手で新人王を獲得した選手は一人も出ていない。(2016年時点)

1999年にプロ入り初の規定打席到達を果たした。

2002年には自身最高の打率.314を記録。松井稼頭央との不動の一・二番コンビを形成し、自身初のリーグ優勝を経験した。読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズ第2戦(10月27日、東京ドーム)では、1回表二死満塁で巨人・桑田真澄が二塁へ牽制球をした際、三塁走者だった小関はその隙をついて本塁を狙ったが、返球が早くアウトとなった。この大きなチャンスを逃した西武は巨人打線に打ち込まれ、西武打線は桑田に抑え込まれた。チームはストレートの4連敗で日本シリーズ優勝を逃した。

2003年は打率3割は逃したが、三塁打5と最多犠打を記録した。

2004年赤田将吾佐藤友亮が台頭したこともあり、レギュラーとして出場できず、90試合の出場に終わった。ただしリーグ優勝を決めたプレーオフ第二ステージの第五戦では、十回表の先頭打者で決勝点の口火を切る二塁打を放った。

選手会長に就任した2005年は前年台頭した佐藤の故障による長期離脱があったが、自身はそのチャンスを生かせず47試合の出場に終わり、打率.198と低迷した。シーズン終了後に大幅減俸を提示された事もあり、メジャーリーグへの挑戦を申し出る。西武は小関を功労者であるとして自由契約とする。トレード要員であったという説はあったものの、小関はその時点で29歳とまだ若く、また野手層の薄いチーム状況であったため、伊東勤監督が「若手と競わせるつもりだった」と編成部への不信感をあらわにするようなコメントをするなど、フロントと現場との意思疎通がうまく行っていないことを示唆する出来事であった。

西武時代は走攻守揃った選手として3度のリーグ優勝を経験した。西武でレギュラーの右翼手だった頃は、右翼手でありながら中堅手よりも多くの打球を処理していた。2013年5月25日聖澤諒に破られるまでは、パ・リーグの外野手の連続無失策記録(658、プロ入り時から2000年9月6日のロッテ戦まで)を保持していた[4][5]盗塁は二桁を越える年が多かったが、盗塁刺も多かった。特に2002年はリーグ最多である。

メジャー挑戦[編集]

2006年2月8日、守備および送球の良さを買われ、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約。メジャー昇格を目指していたが、4月13日に球団のマイナー選手の外国人枠が埋まっていることが判明。その後の交渉も不調で残留は困難と判明。2日後の4月15日、巨人の入団テストを受けて合格。

巨人時代[編集]

2006年に、「打者走者以外の塁空過で打者の本塁打が取り消される」というNPB史上初の珍事を演じている(→幻の本塁打一覧)。6月11日に行われた千葉ロッテマリーンズ戦(セ・パ交流戦、千葉マリンスタジアム)の3回表、二死一塁でロッテ・渡辺俊介から李承燁が打球を右翼側外野スタンドに直接叩き込んだが、プレイ再開後にロッテ・今江敏晃が一塁走者だった小関の三塁空過をアピール。これが西本欣司三塁塁審に受け入れられて小関はアウトになった。既に二死だったため、李の得点は認められず、従って本塁打も取り消された。[6]李には単打が記録された。

この件に関して、後の2009年5月26日に放送された『斉藤一美 うるわしの夜』(文化放送)に出演した際に、本人は「踏んでないわけない。踏まないなら変な感触がある」「フジテレビにはベースを踏んだ映像が残っている」「(その時の審判を)今でも許せない。死ぬまで許せない」「今はインターネットがあるのでいつまでも残ってしまう」「清武英利代表が『小関は踏んだ』ということをアピールしてくれてうれしかった」と語っている。この年の巨人は故障者が続出し、小関も入団後は出場機会があったが、打率.258で本塁打0に終わり、救世主とはならなかった。

なお、小関は西武時代にも1999年6月25日の福岡ダイエーホークス戦でも三塁を空過してアウトになっている。

2007年は若手選手が台頭したこともあり、二軍でも出場機会が得られないまま戦力外通告を受ける。同年の12球団合同トライアウトで2本塁打を打ち、横浜ベイスターズへの入団が決定。石井琢朗は、正式な球団発表の前に小関からの「よろしくお願いします」という旨の電話があったことを自身のブログで明かしている。石井は小関と同郷であり、自主トレを一緒に行うなど親交がある。

横浜時代[編集]

2008年は開幕戦に先発出場し、開幕から4試合連続で複数安打(その内1試合は猛打賞)を記録するなど絶好調であったが、5月に入り失速。その後は主に左の代打として起用された。8月半ばに登録を抹消されるとその後の一軍出場はなかった。10月1日に戦力外通告を受ける。守備では無失策を記録し、持ち味は発揮していた。

横浜退団後[編集]

2009年は2度目のメジャーリーグ挑戦を目指し、3月にコロラド・ロッキーズのトライアウトを受けるが不合格。4月14日に現役引退を発表。

現役引退後[編集]

引退後は野球評論家としてJ SPORTSで解説を務めた(ただし、解説者としての初仕事は「NACK5 SUNDAY LIONS」のゲスト解説)。2011年から2016年は古巣巨人の二軍外野守備走塁コーチ[7]2017年からは二軍打撃コーチ[8]を務めている。

この他にも、古巣埼玉西武ライオンズの社会貢献活動あるいは講演活動に協力し、埼玉県内の小・中学校で自身の経験を基にした講演等を行っている。

登場曲について[編集]

西武時代、西武ライオンズ球場がドーム化され西武ドームとなるのに合わせ、各選手が打席に入る際やイニング間の投球練習の間に流すテーマ曲を決めることになった。小関は『レッツゴー!ライオンズ』(TBS])内でファンからテーマ曲のアイディアを公募し、その結果テレビドラマ『太陽にほえろ!』で劇中曲として使われた『ジーパン刑事のテーマ』(青春のテーマ)を使用することを決めた。

ところがある時期から一部の西武ファンが、小関が打席に入る際、場内で流れる同曲のリズムに合わせて小関コールを入れるようになり、これが後にホームのみならずビジターゲームでも応援団がトランペットで演奏するようにまでなった。

小関は巨人移籍後も同曲をテーマ曲に選曲。ファン・応援団による小関コールも西武時代同様に行われた。しかし巨人に在籍した2年間は出場機会に恵まれず、特に2007年シーズンは出場が僅か5試合。東京ドームで同曲が流れたのは僅か2回だけであった。

12球団合同トライアウトを経て横浜へ移籍。ここでも小関は「自分のテーマ曲として定着しているし、あの曲で横浜を盛り上げたい」と、再び同曲をテーマ曲に選んだ。

2009年には西武・星秀和が、小関本人に直接許可をもらって使用していた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1996 西武 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1997 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1998 104 387 322 44 91 11 4 3 119 24 15 10 27 0 33 1 5 37 2 .283 .358 .370 .728
1999 123 464 373 46 100 9 4 1 120 34 16 8 32 2 46 0 11 53 6 .268 .368 .322 .690
2000 125 417 340 50 89 11 4 1 111 32 7 5 23 4 43 1 7 54 1 .262 .353 .326 .679
2001 133 495 407 40 114 17 4 3 148 38 17 6 32 2 46 1 8 37 2 .280 .363 .364 .726
2002 135 569 487 59 153 35 1 4 202 50 15 12 43 4 25 0 10 59 1 .314 .357 .415 .772
2003 113 457 397 48 111 12 5 1 136 33 9 3 32 3 21 0 4 38 7 .280 .320 .343 .663
2004 90 328 286 43 77 13 2 3 103 32 1 3 11 2 24 0 5 29 5 .269 .334 .360 .695
2005 47 104 86 10 17 3 1 0 22 1 0 0 6 0 8 0 4 16 1 .198 .296 .256 .552
2006 巨人 56 137 128 8 33 4 2 0 41 10 3 0 4 0 4 0 1 15 1 .258 .286 .320 .606
2007 5 4 4 2 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 1.000 1.250
2008 横浜 49 103 93 9 20 1 0 1 24 3 0 1 1 0 8 2 1 11 1 .215 .284 .258 .542
通算:13年 982 3466 2924 359 806 116 27 18 1030 259 83 48 211 17 258 5 56 351 27 .276 .344 .352 .696
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


外野












1997 1 0 0 0 0 ----
1998 103 213 7 0 3 1.000
1999 122 250 4 0 0 1.000
2000 116 224 3 1 0 .994
2001 130 204 3 1 1 .995
2002 135 270 2 1 0 .996
2003 109 215 4 3 0 .986
2004 79 115 2 1 0 .992
2005 32 36 0 1 0 .973
2006 40 44 0 1 0 .978
2007 3 0 0 0 0 ----
2008 29 37 0 0 0 1.000
通算 899 1608 25 9 4 .995

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 51 (1995年 - 1999年)
  • 31 (2000年 - 2005年、2007年)
  • 49 (2006年)
  • 0 (2008年)
  • 74 (2011年 - )

西武時代、背番号・守備位置が同じだったイチローと比較されるのを嫌ったために、背番号を51から31へ変更した。小関自身が、かつて背番号31をつけていた掛布雅之前田智徳を好きな選手として挙げている事もその理由の一つである(ただし、小関の引退後のことだが、そのイチローも後にニューヨーク・ヤンキースで背番号31をつけている)。巨人に移籍した2006年は背番号49だったが、2007年に再び愛着ある背番号31へ変更した。

登録名[編集]

  • 小関 竜也 (おぜき たつや、1995年 - 2003年8月13日、2005年 - )
  • 小関 竜弥 (おぜき たつや、2003年8月14日 - 2004年)

関連情報[編集]

評論家時代の出演番組[編集]

ドラマ出演[編集]

出典[編集]

  1. ^ http://www.giants.jp/smartphone/G/gnews/news_3912161.html
  2. ^ “カントリー・ガールズに西武・小関コーチの長女「巨人戦の始球式で投げたい」”. SANSPO.COM(サンスポ). (2015年3月26日). http://www.sanspo.com/geino/news/20150326/ido15032620330002-n1.html 2015年3月30日閲覧。 
  3. ^ [1]小関 MANIAX. 2015年4月5日閲覧
  4. ^ 【楽天】聖沢が連続無失策パ・タイ記録 - プロ野球ニュース nikkansports.com 2015年3月30日閲覧。
  5. ^ “【楽天】聖沢が659回無失策のパ新記録 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. (2013年5月25日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130525-1132741.html 2015年3月30日閲覧。 
  6. ^ 第3アウトが次のような場合には、そのアウトにいたるプレイ中に、走者((3)にあたる場合は後位の走者)が本塁に触れても、得点は記録されない。 ―― (1)(2)省略。(3)前位の走者が塁に触れ損ねてアウトにされたとき。(公認野球規則5.08(a)【例外】)なお、この塁空過が無死または一死で発生していたならば、李の得点と本塁打はそのまま認められる。(同【5.08原注】規則説明)
  7. ^ 森脇浩司、清水崇行、小関竜也の3氏が二軍コーチに就任 
  8. ^ 巨人 来季1軍コーチングスタッフ発表 二岡2軍コーチら昇格”. スポニチ Sponichi Annex 野球 (2016年10月26日). 2017年5月23日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]