高橋善正

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高橋 善正
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県高岡郡窪川町(現:四万十町
生年月日 (1944-05-05) 1944年5月5日(73歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1966年 第2次ドラフト1位
初出場 1967年4月12日
最終出場 1977年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

高橋 善正(たかはし よしまさ、1944年5月5日 - )は、高知県高岡郡窪川町(現:四万十町)出身の元プロ野球選手投手)、コーチプロ野球解説者評論家

史上12人目の完全試合達成者。

1975年から1977年までの登録名高橋 良昌(読み同じ)。2008年より4年間、中央大学硬式野球部監督を務めた。

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

高知商業高校では1961年、2年生の時に、夏の甲子園に出場。後に同校野球部監督となる谷脇一夫とバッテリーを組み、1回戦で大分高田門岡信行と投げ合い、完封勝利を飾る。しかし2回戦では相羽欣厚江藤省三らのいた中京商と打撃戦を展開。一時は5点リードするが逆転され、山中巽林俊彦の継投に屈し7-8で惜敗。谷脇以外のチームメートに、後に巨人入りする岩郷泰博がいる。翌1962年の夏も県予選を勝ち抜き南四国大会決勝に進出するが、徳島商の日崎勝に完封を喫し、甲子園出場を逸する[1]

中央大学に進み、東都大学野球リーグでは在学中に2回優勝を経験。2年生の1964年秋季リーグでは、当時のリーグ新記録である8連勝を達成、8勝0敗の成績で優勝に貢献し、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選ばれた。3年生の1965年秋季リーグでも、リーグ新記録のシーズン9勝をマークし最優秀投手、ベストナインに選ばれたが、芝池博明を擁する専大に優勝を阻まれる[2]。リーグ通算63試合に登板し、サイドハンドからのくせ球を武器に35勝15敗、188奪三振、防御率1.61という記録を残した。通算35勝は芝池博明の41勝、田村政雄松沼雅之の39勝に次ぐリーグ歴代4位タイ。大学同期に高畠導宏がいる。

現役時代[編集]

1966年の第2次ドラフト会議東映フライヤーズに1位指名[3]され入団。ルーキーイヤーの1967年にプロ初登板を完封勝利で飾るなど15勝を挙げ新人王に選出された。翌年も先発として活躍するが、1969年のオープン戦でのランニングの際に排水溝に落ちて腰を痛めてから勝星が減り低迷。しかし1971年には復活して7勝、同年8月21日には対西鉄ライオンズ戦でプロ野球史上12人目の完全試合を達成している[4]。「西鉄ライオンズは黒い霧事件で主力選手が退団して弱体化していたからできた」と冷静にコメント。翌年も10勝を挙げた。オールスターゲームにも1968年1972年の2度出場。

1973年小坂敏彦渡辺秀武との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍、同年は1勝に終わる。1974年4月15日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)で、2安打1失点(奪三振9、与四死球2)で1973年5月9日以来の完投勝利を挙げ、これが川上哲治の監督通算1000勝目となった[5]1974年10月14日に行われた長嶋茂雄現役引退試合では先発し、他のV9メンバーと共にスコアボードにその名を連ねた。その後は主として中継ぎに転向し、1975年には小川邦和と並びチーム1位の53試合に登板。1977年には日本シリーズに初登板する。同年限りで現役引退。

指導者、解説者として[編集]

引退後は巨人(1978年 - 1979年1981年 - 1983年二軍投手コーチ, 1980年一軍投手コーチ)、中日1986年一軍投手コーチ, 1987年スカウト)、日本ハム(1988年 - 1989年一軍投手コーチ)、大洋1990年 - 1992年一軍投手コーチ)、シダックス1997年 - 1998年投手コーチ)、中央大学(2007年投手コーチ, 2008年 - 2011年監督)で監督・コーチを務めた。合間を縫って、テレビ東京スポーツTODAYプロ野球速報」初代解説者1984年 - 1985年)、NHK-BSメジャーリーグ中継」解説者(1993年 - 1996年)、日刊ゲンダイ評論家(1999年 - 2006年)を歴任。中大監督時代には1シーズン目で6季ぶりの1部昇格を成し遂げたが、2011年秋には最下位となり入替戦に回ったが1部に残留した。翌2012年1月限りで監督を退任。教え子には澤村拓一美馬学鍵谷陽平がいる。

退任後、日刊ゲンダイで再び評論家(2012年 - )を務めている。その傍ら全国野球振興会の常任理事。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1967 東映 45 27 5 5 3 15 11 -- -- .577 884 226.2 212 21 22 0 6 101 0 0 68 62 2.46 1.03
1968 38 22 8 1 2 13 14 -- -- .481 845 198.1 204 16 50 6 8 78 1 0 87 75 3.40 1.28
1969 34 14 2 0 0 3 11 -- -- .214 437 105.2 118 13 13 0 0 45 0 0 59 48 4.09 1.24
1970 23 10 0 0 0 2 9 -- -- .182 351 84.0 83 14 16 2 4 43 0 0 51 42 4.50 1.18
1971 34 24 6 1 1 7 11 -- -- .389 754 181.2 184 19 39 8 8 84 1 0 79 66 3.27 1.23
1972 38 26 9 1 2 10 13 -- -- .435 752 185.0 172 21 47 5 5 88 5 0 85 78 3.79 1.18
1973 巨人 25 9 1 0 0 1 5 -- -- .167 291 70.1 74 14 11 2 3 50 2 0 31 27 3.45 1.21
1974 24 7 1 0 0 2 1 1 -- .667 240 59.0 53 5 11 2 0 27 2 0 20 15 2.29 1.08
1975 53 1 0 0 0 1 3 2 -- .250 360 95.2 72 9 12 0 2 40 0 0 30 27 2.54 0.88
1976 25 6 0 0 0 3 1 1 -- .750 252 62.2 62 12 12 5 3 39 0 0 27 24 3.45 1.18
1977 45 1 0 0 0 3 2 3 -- .600 241 55.2 58 9 22 6 0 30 3 0 34 27 4.37 1.44
通算:11年 384 147 32 8 8 60 81 7 -- .426 5407 1324.2 1292 153 255 36 39 625 14 0 571 491 3.34 1.17

記録[編集]

  • 初登板・初先発・初勝利・初完投・初完封:1967年4月12日、対西鉄ライオンズ2回戦(後楽園球場) ※延長13回サヨナラ
  • 初セーブ:1974年10月10日、対大洋ホエールズ25回戦(後楽園球場)、6回表から2番手で救援登板・完了、4回1失点
  • オールスターゲーム選出:2回 (1968年、1972年)
  • 完全試合:1回 (1971年8月21日、対西鉄ライオンズ19回戦、後楽園球場) ※プロ野球史上12人目

表彰[編集]

背番号[編集]

  • 18 (1967年 - 1972年)
  • 11 (1973年 - 1977年)
  • 80 (1978年 - 1983年)
  • 75 (1986年)
  • 84 (1988年 - 1989年)
  • 81 (1990年 - 1992年)

登録名[編集]

  • 高橋 善正 (たかはし よしまさ、1967年 - 1974年)
  • 高橋 良昌 (たかはし よしまさ、1975年 - 1977年)

関連情報[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」 朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「東都大學野球連盟七十年史」 東都大学野球連盟編纂委員会 2001年
  3. ^ 八木沢荘六荒武康博を抽選で外した外れ1位
  4. ^ 1回も持たないだろう…ところが…高橋善正、完全試合達成
  5. ^ 巨人軍5000勝の記憶読売新聞社ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。p.52

関連項目[編集]