近藤健介

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近藤 健介
北海道日本ハムファイターズ #8
Kensuke Kondo on March 16, 2012.jpg
2012年3月16日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県千葉市
生年月日 (1993-08-09) 1993年8月9日(24歳)
身長
体重
173 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手捕手外野手
プロ入り 2011年 ドラフト4位
初出場 2012年7月4日
年俸 4,300万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
獲得メダル
男子 野球
日本の旗 日本
アジア プロ野球チャンピオンシップ
2017

近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する千葉県千葉市出身のプロ野球選手内野手捕手外野手)。右投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球をスタート。小学6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されると、NPB12球団ジュニアトーナメントで準優勝を経験した。

中学野球界の強豪である修徳学園中学校に進学すると、軟式野球部に入部。2年時には、「1番・遊撃手」として全国大会へ出場するとともに、捕手としてマスクを被った。3年生のKボール全国大会では、千葉マリーンズで4番打者・主将・捕手の3役を兼ねながら、チームを準決勝進出に導いた。

2009年に自身の意思で横浜高校へ入学すると、硬式野球部へ入部。同期生に乙坂智などがいた。同校でコーチを務める小倉清一郎(入部1年目は部長)は後に、「私が勧誘したわけではなく、近藤の方から『横浜高校に入りたい』と売り込んできた。総合力で横浜高校歴代捕手でも3本の指に入る」と評価している[2]。ただし、入部当初は遊撃手としてレギュラーを確保。主将だった筒香嘉智の下で、夏の選手権神奈川大会に出場すると、1年生ながら打率.438を記録した。チームが準々決勝で横浜隼人高校[3]に僅差で敗れると、秋からは肩の強さを買われ捕手へ転向。

2年生だった2010年には、夏の選手権神奈川大会決勝で東海大相模高校に敗退。2年秋から3年春の第83回選抜大会まで主将を務めた。選抜大会で初戦敗退を喫してからは、当時監督だった渡辺元智の判断で主将の座を乙坂に譲りながらも、事実上の副主将として乙坂を支えた。

3年生だった2011年には、夏の選手権神奈川県大会の直前に、右足首の靭帯を痛めた。その影響で打撃不振に陥りながらも、桐光学園高校との決勝戦では、試合を決める一打を放ってチームを全国大会への出場に導いた。さらに、全国大会の終了後には、第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出。相手走者の盗塁を阻止するなどの強肩でチームの優勝に貢献したっほか、自身も捕手としてオールスターチーム(ベストナイン)に選ばれた。ちなみに、高校時代には、対外試合で通算35本の本塁打を放っている。

2011年のNPBドラフト会議で、捕手として北海道日本ハムファイターズから4巡目で指名。契約金3,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した[4]。入団当初の背番号は54

プロ入り後[編集]

2012年は春季名護キャンプのスタートを二軍で迎えたものの、2月16日には、横浜DeNAベイスターズ[5]との練習試合で、8回から捕手として対外試合にデビュー。2010年イースタン・リーグ盗塁王だった梶谷隆幸の盗塁を阻止したことで、首脳陣に注目された[6]。キャンプ終盤の2月24日から一軍に昇格。3月6日に一軍の本拠地・札幌ドームで催された千葉ロッテマリーンズとのオープン戦では、8回裏から出場すると、本拠地での初安打を放った。レギュラーシーズンは二軍からのスタートであったが、イースタン・リーグ公式戦48試合に出場。7月4日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)の6回表に代打で一軍公式戦デビューを果たすと、その裏から試合終了まで捕手の守備に就いた。また、7月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)では、「8番・捕手」としてスタメン出場を果たした。日本ハムの高卒新人選手が捕手としてパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦に出場した事例は、前身の東映フライヤーズ時代の安藤順三1954年)・山本八郎1956年)に次いで3人目[7]。スタメンでの出場は、山本以来56年振りであった。なお、一軍公式戦には、通算で20試合に出場。打率は.192で、本塁打を放てなかったが、2打点を記録した。さらに、チームのリーグ優勝・クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズには、代打で3試合に出場している。

2013年は春季キャンプからオープン戦の終盤まで一軍に帯同したが、公式戦の開幕を二軍で迎えた。3月28日には、埼玉西武ライオンズとのイースタン・リーグ公式戦(ファイターズスタジアム)3回裏の打席で頭部に死球を受けた[8]ものの、わずか2日で実戦に復帰。捕手ながら二軍のクリーンアップに定着すると、4月に安打数・出塁率でリーグのトップに立ったことから、3・4月の「リーグ月間MVP」を受賞した[9]5月8日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、16日に抹消。しかし、抹消後もイースタン・リーグの公式戦で長らくトップの打率を維持したことから、フレッシュオールスターゲームでは同リーグの選抜メンバーに名を連ねた[10]8月2日の再登録後は、レギュラー外野手・中田翔の死球による戦線離脱を背景に、捕手登録ながら右翼手としても随時スタメンに起用[11]。一軍公式戦全体では、32試合(捕手としては15試合)の出場で、打率.152、2打点という成績を残した。

2014年はプロ3年目で初めての開幕一軍登録を果たすと、大野奨太市川友也と交互に、捕手として公式戦へスタメン出場。5月2日の対オリックス戦(札幌ドーム)からは、レギュラー三塁手小谷野栄一の故障による戦線離脱を背景に、「横浜高校時代以来」という三塁手として連日スタメンに起用されている[12]。「7番・三塁手」として出場した同月16日の対ロッテ戦(札幌ドーム)では、1回裏の第1打席で、一軍公式戦での初本塁打を2点本塁打を記録した。「2番・三塁手」としてスタメンに起用された同月29日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)では、3回表の第2打席で、「人生で初めて」という満塁本塁打をバックスクリーンへ放った[13]。さらに、この本塁打を放った時点での年齢が20歳9ヶ月であったことから、「パ・リーグの公式戦で満塁本塁打を放った最年少選手」のチーム記録(張本勲が東映フライヤーズ時代の1961年に21歳1ヶ月で達成)を更新している[14]。その後も三塁手としてスタメン出場を続けたが、6月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(札幌ドーム)で走塁中に左太腿裏に筋挫傷を発症したため、同月17日に出場選手登録を抹消[15]。後に一軍へ復帰してからは、三塁手でのスタメン出場を中心に、本来のポジションである捕手としても出場。9月15日の対オリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)では、同期入団である上沢直之とのバッテリーで先発すると、上沢を一軍公式戦初完封勝利に導いた。さらに、レギュラー遊撃手大引啓次が足腰を痛めていた時期には、大引に代わって遊撃の守備に就くこともあった。結局、一軍公式戦には通算で80試合に出場。捕手としてマスクを被ったのは16試合で、70試合で三塁、2試合で遊撃の守備に就いた。打撃面では、打率.258ながら、4本塁打、28打点、チーム最多の20二塁打を記録するなど長打力を発揮。その活躍が評価されたことから、シーズン終了後の第1回21U野球ワールドカップでは、日本代表の「4番・一塁手」に起用された。

2015年は大野と市川が揃って一軍公式戦の開幕に間に合わなかったことなどから、3月28日の東北楽天戦(札幌ドーム)で、「7番・捕手」として開幕戦のスタメンを初めて経験した。一軍公式戦では、内野の守備に就く機会がない一方で、開幕から正捕手としてレギュラーに定着。3割を越える打率を維持したことから、5月下旬からは5番打者を任されるようになった。その一方で、盗塁阻止率が1割台にとどまるなど、送球面で課題を露呈。前半戦で指名打者を務めていたジェレミー・ハーミッダ大谷翔平が打撃不振に陥ったこともあって、後半戦からは持ち前の打力を活かすべく、主に指名打者へ起用された。結局、公式戦には129試合(捕手としては58試合)へ出場するとともに、パ・リーグの最終規定打席に初めて到達。リーグ3位の打率.326、自己最多の8本塁打・60打点を記録するなど、打撃面で大きく飛躍した。

2016年は背番号を8へ変更したが、春季キャンプから膝の故障に悩まされた影響で、コンディションが整わないまま公式戦の開幕を迎えた。一軍公式戦には、指名打者を中心に、通算で80試合に出場。54試合で外野の守備に就いたが、2年連続のパ・リーグ最終規定打席到達を逃した。また、打率は.265、安打数は前年の半数以下の68本にまで減少。投手兼任の大谷が指名打者として起用された試合でシーズンを通じて好調だったことも背景に、一軍監督・栗山英樹の方針で、5月下旬から6月中旬までは捕手への本格復帰に向けて二軍での調整も経験している[16]。もっとも、一軍公式戦では、捕手としての出場が1試合にとどまった。

2017年は一軍公式戦の開幕から右翼手や指名打者としてクリーンアップの一角を担うと、捕手としての出番がないまま、4割を超える打率をキープ。シーズン47試合目の出場であった6月1日の対横浜DeNAベイスターズ戦(札幌ドーム)終了時点で.415もの打率を残したことによって、「パ・リーグの開幕戦から4割以上の打率を維持した連続試合」という球団のシーズン記録(張本が日拓ホームフライヤーズ時代の1973年に達成した46試合)を更新する[17]と、以降のリーグ戦でも打率4割を維持したままセ・パ交流戦に突入。このような活躍を背景に、オールスターゲームには、選手間投票のパ・リーグ外野手部門3位で初めての選出を果たした[18]。しかし、6月3日の対阪神タイガース戦(甲子園球場)へ出場した後に右太腿の張りを訴えると[19]6日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)7回裏の代打起用[20](通算打率.407)を最後に出場選手登録を抹消[21]。抹消の時点でリーグ開幕戦からの打率4割連続試合記録を50試合にまで更新していたが、抹消後の検査で腰部の椎間板ヘルニアと診断された[22]ため、6月28日には脊椎の内視鏡手術(腰椎椎間板ヘルニア摘出術PED法)を受けた。実戦への復帰までにおよそ3ヶ月を要する[23]ことや、レギュラーシーズンの通算打席数(213)が戦線離脱中にパ・リーグの規定打席を下回ったことを背景に、近藤自身はシーズン終盤の一軍復帰を希望。手術の後には、オールスターゲームへの出場を辞退(チームメイトの西川遥輝外野手が補充選手として出場)する[24]一方で、患部のリハビリを急ぐ意向を示した[25]。その結果、一軍がレギュラーシーズンの公式戦8試合を残していた9月28日から、一軍公式戦への出場を再開[26]。ただし、パ・リーグ最終規定打席(443)と戦線離脱前の通算打席数(前述)との差が230打席に及ぶ状況で一軍へ復帰したため[27]、「最終規定打席を満たしたうえで最終打率4割でレギュラーシーズンを終了する」というNPB公式戦史上初の快挙達成には至らなかった。それでも、復帰後も4割台の打率を維持した末に、通算231打席(53試合の出場)で.413という高打率を残した。この打率は、NPB非公認の記録ながら、一軍公式戦1シーズンの通算打席数が100打席以上の選手としての歴代最高打率に当たる[28]。さらに、シーズン終了後には、東京ドームで催された第1回アジア プロ野球チャンピオンシップ(APBC)日本代表[29]の「3番・指名打者」として全3試合にスタメンで起用。通算12打数7安打という好成績で代表チームの優勝に貢献するとともに、指名打者として大会のベストナインに選ばれた。このような活躍を背景に、大会終了後の12月5日には、推定年俸5,600万円(前年から1,300万円増)という条件で契約を更改した[30]

選手としての特徴・人物[編集]

血液型はO型[31]。物怖じしない性格で、場を明るくする雰囲気を持ち合わせており、チームリーダーになりうる存在と評価されている[32]

肩が強く、二塁送球が2秒を切る。小柄ながらパンチ力と高い確実性と広角に打球を飛ばせる技術を兼ね備えた打撃が持ち味で、フットワークも良く[32]、捕手としてはリード面に対する首脳陣からの評価が高い。近藤自身は「打てて勝てるキャッチャー」を目標に掲げているが、日本ハム入団後の2014年頃から送球にイップスの傾向が見られる影響で、2013年にパ・リーグ1位の.421を記録していた盗塁阻止率が急速に低下している[33]

2015年以降の一軍公式戦では、前述した打撃の能力を生かすべく、三塁手、外野手指名打者としてのスタメン起用が増えている。2017年には、春季キャンプで二塁の守備練習にも取り組んだが、持病の腰痛を悪化させたため戦線を離脱(シーズン中に受けたヘルニアの手術で完治)。一軍公式戦では、.417という高打率を残す一方で、捕手としてマスクを被る機会がなかった。しかし、第1回APBCの前に参加した秋季キャンプでは、正捕手の大野奨太海外FA権の行使を表明(後に中日ドラゴンズへ移籍)したことを背景に捕手としての守備練習を再開している[34]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2012 日本ハム 20 30 26 2 5 0 0 0 5 2 0 0 1 1 2 0 0 5 1 .192 .241 .192 .434
2013 32 80 66 7 10 0 0 0 10 2 2 0 2 1 11 0 0 14 4 .152 .269 .152 .421
2014 89 291 264 24 68 20 1 4 102 28 3 4 10 2 15 0 0 45 4 .258 .295 .386 .682
2015 129 504 435 68 142 33 2 8 203 60 6 2 3 5 59 2 2 59 9 .326 .405 .467 .872
2016 80 291 257 36 68 9 0 2 83 27 5 2 3 2 29 0 0 45 7 .265 .337 .323 .660
NPB:5年 350 1196 1048 137 293 62 3 14 403 119 16 8 19 11 116 2 2 168 25 .280 .349 .385 .734
  • 2016年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


捕手 三塁 遊撃 外野


























































2012 15 39 3 0 1 1.000 0 7 6 1 .143 - - -
2013 15 40 3 0 1 1.000 0 3 2 1 .333 - - 12 16 1 0 0 1.000
2014 16 62 6 4 1 .944 3 15 12 3 .200 70 42 115 8 4 .952 2 0 1 0 0 1.000 -
2015 58 328 25 6 4 .983 1 62 50 12 .194 - - -
2016 1 2 0 0 0 1.000 0 2 2 0 .000 1 0 0 1 0 .000 - -
通算 105 471 37 10 7 .981 4 89 72 17 .191 71 42 115 9 4 .946 2 0 1 0 0 1.000 12 16 1 0 0 1.000
  • 2016年度シーズン終了時

記録[編集]

初記録

背番号[編集]

  • 54 (2012年 - 2015年)
  • 8 (2016年 - )

登場曲[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本ハム - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月1日閲覧。
  2. ^ 日ハム 近藤健介「1.8秒」の強肩」 ゲンダイネット(2012年2月29日)、2012年3月2日閲覧。
  3. ^ 後に同校は神奈川大会で優勝。第91回全国大会の神奈川県代表校になった。
  4. ^ 日本ハム、4位近藤と仮契約=プロ野球・ドラフト」 時事ドットコム(2011年11月13日)、2012年2月10日閲覧。
  5. ^ 高校の先輩である荒波翔石川雄洋、筒香が所属している。
  6. ^ 二盗阻止に中前打!高卒新人捕手に首脳陣びっくり」 スポニチ(2012年2月16日)、2012年2月17日閲覧。
  7. ^ ハム近藤 56年ぶり1軍マスク
  8. ^ 日本ハム・近藤が右側頭部の死球で縫う
  9. ^ 2013年3、4月度「ミズノ月間MVP」受賞選手
  10. ^ 高卒2年目・近藤、F球宴「MVP狙う」田中vs.斎藤佑でマスクかぶった成長株
  11. ^ ハム必死の勝利 捕手近藤を右翼強行起用
  12. ^ 日本ハム近藤プロ初「5番三塁」でスタメン
  13. ^ ハム今季最多14得点 火付け役は近藤弾
  14. ^ 近藤が張本超え ハム最年少満弾
  15. ^ 日本ハム近藤左太もも裏筋挫傷で登録抹消
  16. ^ 日本ハム近藤健介 捕手復帰という課題の持つ意味
  17. ^ 日本ハム近藤47戦4割、あっぱれ張本超えの球団新
  18. ^ 「マイナビオールスターゲーム2017」選手間投票で近藤健介選手が選出
  19. ^ 日本ハム近藤47戦4割、あっぱれ張本超えの球団新
  20. ^ 日本ハム近藤2試合ぶり強行代打出場も一飛に終わる
  21. ^ 日本ハム近藤健介が登録抹消、先発出場のメド立たず
  22. ^ 日本ハム近藤ヘルニアで長期離脱か 打率4割に暗雲
  23. ^ 日本ハム近藤のヘルニア手術終了、復帰まで3カ月
  24. ^ マイナビオールスターゲーム2017 出場選手変更のお知らせ
  25. ^ 日本ハム近藤「1日も早く復帰」球宴初選出も辞退
  26. ^ 打率4割の日本ハム近藤、3カ月ぶりに1軍復帰
  27. ^ 『夢の4割打者』は夢のまま…?近藤に課せられた“233打席”
  28. ^ 100打席以上でのNPB最高打率は“当確” ハム近藤、来季は夢の4割に再挑戦
  29. ^ 大会出場メンバー25名を発表 3監督が記者会見で意気込みを語る 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2017年10月12日) 2017年10月22日閲覧
  30. ^ “4割打者”のハム近藤、1300万円増の5600万円で更改 来季は「首位打者を」
  31. ^ スポーツナビ Yahoo Japan
  32. ^ a b 【日本ハム4位】近藤健介 捕手らしい捕手 日本代表の正妻”. スポニチ Sponichi Annex (2011年10月27日). 2012年10月9日閲覧。
  33. ^ “日本ハム近藤の目標は“勝てる捕手”パ打率3位の強打は魅力も送球に課題”. ベースボール・タイムズ. (2015年8月11日). http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201508100009-spnavi 
  34. ^ “日本ハム・近藤健介「打てる捕手への再挑戦」/秋の収穫”. 週刊ベースボール. (2017年11月23日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=015-20171204-01&from=niconews 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]