明石健志

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明石 健志
福岡ソフトバンクホークス #36
HAWKS36-K.AKASHI.JPG
2009年8月27日 千葉マリンスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道旭川市
生年月日 (1986-01-09) 1986年1月9日(30歳)
身長
体重
174 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2004年5月2日
年俸 7,000万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

明石 健志(あかし けんじ、1986年1月9日 - )は、北海道旭川市出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手内野手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1986年1月9日北海道旭川市で生まれた[1]。旭川市立忠和小学校の2年生時に兄のコーチをやっていた父の影響で野球を始め、高学年での守備位置は三塁手遊撃手だった[2]。旭川市立忠和中学校では1年時から3番・遊撃手でレギュラーとなり、1年夏に旭川大雪ウィナーズでは全国でベスト4[3]、2年生時には全国優勝しMVPを獲得した[4]。3年生の時には主将も務めた。

山梨学院大学附属高等学校では当時の監督・鈴木英夫の「守りの中心はセカンド」という持論から、2年秋に本格的に二塁手へコンバートされ[3]、同年秋の第55回関東地区高等学校野球大会山梨県予選では2回戦にサヨナラスクイズ[5]、3回戦に猛打賞[6]など活躍し、8年ぶりの関東大会出場を決め、関東大会ベスト8に貢献した。3年夏の甲子園山梨県予選では内村賢介らと出場し、2回戦で先頭打者三塁打を放って5回コールド勝利へ貢献[7]したものの3回戦で敗れた。甲子園出場経験は無いものの身体能力の高さから注目され、2003年11月19日にドラフト福岡ダイエーホークスから4位で指名され入団した[8]

プロ入り後[編集]

2004年

入団1年目の5月2日、対大阪近鉄バファローズ戦で8回表1点ビハインド一死無走者から本間満の代打で初出場すると、川尻哲郎のスライダーをプロ入り初打席初安打となる右中間三塁打を放ち、川崎宗則のライトへの同点犠牲フライにより初得点も記録した。三塁守備要員として吉本龍生が送られたため守備に付くことはなかった。その後3試合は代打起用のみ、5月9日の対オリックス・ブルーウェーブ戦9回1点ビハインドの場面でヒットを打った先頭ペドロ・バルデスの代わりにプロ初の代走起用され、二死満塁本間の打席中に山口和男が暴投した所、すかさず本塁を陥れ同点とし、本間のサヨナラ打を呼んだ。王貞治監督の構想により本格的に外野練習に取り組むことが決まった[9]。5月12日対西武ライオンズ戦9回表、高橋和幸に代わり中堅手としてプロ入り初の守備に付き、二死二三塁の場面で佐藤友亮のセンター前ヒットを処理して本塁へ好返球して二塁走者の後藤武敏を刺した。5月13日から実戦経験を積むため二軍で調整することになった[10]。10月27日の宮崎キャンプ2日目、右肩痛でキャンプ不参加の川崎、ポスティングシステムによりメジャー挑戦を狙っていた井口資仁という二遊間事情から、王監督は明石を内野で育成する方針を打ち出した[11]ウエスタン・リーグでは81試合に出場し、打率.304(リーグ6位)、三塁打12本(リーグ1位)、19盗塁(リーグ4位)と力を示し、ウエスタン・リーグ優秀選手賞を受賞した[12]

2005年

3月29日からウエスタン・リーグに二塁手として先発出場して43試合に出場し打率.281を残していたが、6月23日北神戸田園スポーツ公園野球場で行われた対サーパス神戸戦で本塁へ突入した際に、右足首を捻挫し[13]、二軍公式戦を長期欠場。9月13日のウエスタン・リーグ対広島東洋カープ戦で1番二塁手として先発出場して実践復帰した[14]。復帰後は打率.270まで下げ、一軍に昇格することは無かった。

2006年

8月10日に福岡市内の病院で右肩上方関節唇縫合手術を受け[15]戦線を離脱し、一軍には昇格できなかった[16]

2007年

6月30日から一軍に出場、7月8日グッドウィルドームで行われた対西武戦9回1点リード無死満塁で山崎勝己の代打として出場すると岩崎哲也からライト前タイムリーヒットを放ちプロ初打点を記録した。7月13日千葉マリンスタジアムで行われた対ロッテ戦で8番指名打者としてプロ入り初のスタメン出場したが、三振、捕邪飛、右飛、三振という成績だった。この年は代打、指名打者として15試合に出場したものの打率.176で守備機会も無く終わった。

2008年

6月21日から一軍に出場。7月19日対楽天戦の6回にマイケル・レストビッチの代打で出場すると田中将大嶋基宏のバッテリーから初球打ちでセカンド内野安打を打ち出塁し、プロ入り初盗塁を決めた。7月25日対ロッテ戦では7回二死二塁根本朋久からライト線へのタイムリーツーベースを放ち、これが本拠地福岡 Yahoo! JAPANドーム初打点となった。一軍では一塁の小久保裕紀の守備固め、北京オリンピック野球日本代表に選出された川崎宗則の代役の遊撃手として29試合に出場した。8月27日のウエスタン・リーグ阪神戦でサイクル安打のかかった8回にクリス・リーソップから右手に死球を受け、福岡市内の病院で右手第2、3指骨折と診断された。この日はナイターの対オリックス戦にも出場予定だったが出場選手登録を抹消され代わりに森本学が一軍へ昇格した[17]。以降の一軍昇格は叶わず、二軍では46試合に出場し打率.282、リーグ最多の8三塁打を記録した。

2009年

7月に1軍昇格。8月2日に一軍で5年ぶりに外野手で先発出場。8月11日クリネックススタジアム宮城で行われた対楽天戦で岩隈久志から3安打し、プロ入り初の猛打賞を記録した。8月26日千葉マリンスタジアムで行われた対ロッテ戦では小林宏之からプロ初本塁打となるライトへのソロホームランを放った。9月4日対西武戦では岸孝之らから本拠地ヤフードームでの猛打賞を記録した。9月29日対楽天戦では岩隈から2打席連続の三塁打を放った。多村仁志が欠場しがちだったことから、外野で24試合にスタメン出場、初めて打席数が100を超え、打率も.291をマークした。CSファーストステージでは右翼手で2試合ともスタメン出場し8打数2安打だった。

2010年

39試合に出場しスーパーサブとして内外野7ポジション全てを守ったが、打率.128と振るわずレギュラー獲得とはならなかった。11月7日秋季キャンプ中、第16回アジア競技大会野球日本代表との練習試合で初回西郷泰之の右中間への本塁打となった打球を追った際にフェンスに激突し、左足甲を骨折した[18][19]。なお同日の宮崎市内の病院では精密検査の結果、ねんざと診断されていた。

2011年

7月に一軍へ昇格し、小久保裕紀、アレックス・カブレラに代わりに一塁手として18試合スタメン出場した。途中からの守備起用も一塁手が35試合と多く、外野での起用は左翼手6試合、右翼手1試合だった。打率、出塁率ともに安定し、全25安打のうち三塁打を5本放った。

2012年

川崎宗則シアトル・マリナーズ移籍で空いた正遊撃手の候補の一人として大いに期待され、オープン戦の遊撃手争いでは打率、盗塁ともに今宮健太を圧倒したため[20]、3月30日開幕戦(対オリックス戦)の2番遊撃手スタメンを勝ち取り、5回には相手先発のアルフレッド・フィガロから駄目押しとなるタイムリーを放った。その後も2番で起用されていたが、本多雄一が故障で登録抹消され、明石は打率.281だったことから4月29日の対ロッテ戦から5月20日まで1番二塁手で起用され続けた。本多が一軍復帰した5月21日からは再び遊撃手に戻ったが、5月の月間打率は.340と絶好調であり、1番打者として起用された。6月5日対読売ジャイアンツの9回に山口鉄也からライトスタンドにソロホームランを放ち、これがプロ入り後の本拠地初本塁打となった。6月6日の対巨人戦、1回表の守備中にぎっくり腰を発症してベンチに下がり、6月8日に一軍登録を抹消された[21]。6月22日に一軍復帰後し、7月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、9回表の第5打席に乾真大から19球粘った末に四球を選び出塁。1打席19球は1947年11月11日の太陽ロビンス金星スターズ戦で、大陽の松井信勝が19球粘って四球を選んで以来65年ぶりのNPBタイ記録[22]。7月20日から開催されたオールスターにも辞退選手の補充としてであったが初選出された。同日の第1戦で8回表から遊撃手の守備で初出場しショートフライを2度処理した[23]。7月21日第2戦(松山坊っちゃんスタジアム)では4回裏から遊撃手の守備で出場し、谷繁元信のセンター前へ抜けそうな打球をダイビングキャッチしてショートゴロとすると[24]、7回にはオールスター初打席で野村祐輔からレフト前ヒットで先頭打者出塁、直後李大浩の打席で5度のエンドランを仕掛けたが相川亮二に阻止され失敗[25]、7回には坂本勇人の打席で併殺参加し[26]、好守が評価され同試合の敢闘選手賞に選ばれた[27]。7月23日の第3試合は4回の守備から出場したが、6回に畠山和洋のショートゴロを一塁へ悪送球エラーし、打撃も2打席凡退だった[28]。 8月1日に松田宣浩が死球を受けて骨折して以降は三塁守備で46試合に先発した。6月以降は打撃は好調と言えず、月間打率は.191〜.247の間であり、打順は1番の他、2番、9番を経験した。遊撃で先発出場した試合では、終盤に守備固めとして今宮健太が送られ、一塁守備に回ることも多かった。最終的に自己最多の135試合に出場し、打点、安打、盗塁数においてキャリアハイの成績を残した。また猛打賞も11回記録し、6月26日対オリックス戦[29]と8月4日対西武戦では1試合4安打だった。

2013年

1月の沖縄自主トレ中に右膝を痛め[30]、4月7日に一軍に昇格したが15試合で打率.103と結果が出ず5月18日に抹消となった[31]。6月4日ウエスタン・リーグの対中日戦で守備中に中西健太と激突し担架で運ばれた。8月29日に一軍へ昇格すると同日の対ロッテ戦で7番一塁手で出場、4回に西野勇士からライトスタンドへ勝ち越しスリーランホームランを放った[32]。復帰後は50打数15安打、打率.300と活躍したが、今宮健太の急成長により遊撃手で起用されることはなかった。

2014年

開幕を一軍で迎えると5月中旬まで控えでの起用が続いたが、本多雄一が5試合で打率.158と不振に陥り、5月21日から二塁スタメンでの出場が増え始め、5月末に内川聖一の肉離れ、7月上旬に松田宣浩の骨折、8月上旬に本多雄一の骨折、9月上旬に長谷川勇也の靭帯部分断裂と立て続けに主力が故障し、彼らが戻るまでに生じたスタメン・守備の穴を埋め続け、シーズン終了まで一度も出場選手登録を抹消されることなくチームを支えた。8月17日対オリックス戦吉田一将伊藤光(プロ入り初)、8月22日対ロッテ戦涌井秀章田村龍弘、8月31日対楽天戦武藤好貴-嶋基宏と各バッテリーからマルチ盗塁を記録した。

CSファイナルステージでは6試合全て二塁手でスタメン出場し、23打数7安打4得点、打率.304、2度の盗塁がともに得点へ繋がった。 日本シリーズも5試合全て二塁手でスタメン出場し、10月30日第5戦では3回二死二三塁の場面でセンターへ打ち返し落ちれば先制という当たりを放ったが大和のダイビングキャッチに阻まれた[33]。 8回は無死一塁から2ストライクと追い込まれながらランディ・メッセンジャーの投球後の癖を計算して冷静にスリーバントを決めて松田宣浩の先制決勝打を呼んだ[34]。1点リードで迎えた9回デニス・サファテが3四球で一死満塁のピンチを作って迎えた西岡剛のファーストゴロを冷静に捌いて本塁へ送球し封殺、細川亨の返球を受けて3-2-3の併殺で自身がボールを受けゲームセットと思いきや、ボールは西岡の体に当たって外野へ転がり守備妨害により併殺完成となりチームの日本一を決めた[35]。14打数3安打3四球3得点、打率.214だったが3の犠打が全て得点と勝利へ繋がった。

2015年

4月29日に故郷・札幌ドームで行われた対日本ハム戦の2回3点ビハインドの場面で中村勝からプロ初となる逆転満塁本塁打を放った[36]。またセーフティバントを含む3安打猛打賞の活躍でチームの連敗を3で止めた[37]。この年は本多雄一が開幕早々に離脱したため、二塁のレギュラーの座を高田知季川島慶三と争う。夏場から調子を上げ、8月には一塁または二塁で1番もしくは2番のレギュラーに定着。自己最多の3本塁打を放つなど115試合に出場、優勝に貢献した。日本シリーズでは全5戦に2番・二塁でスタメン出場、本塁打も放つなど16打数7安打7四死球で打率.438、出塁率.609という好成績を残し、優秀選手賞を受賞した。

2016年

開幕戦を5番一塁手でスタメン出場したが、ケガの影響で3月28日に登録を抹消された。7月29日の対日本ハム戦で復帰し、1番二塁手でスタメン出場した。しかし後半戦は本多雄一が二塁手でスタメン起用されたため、自身は一塁手のスタメンか内野の控えなどに出場機会が限られ、47試合の出場に留まった。

プレースタイル[編集]

プロ入り前は高校時代に1試合で5盗塁[38]、50メートル走のタイムが5秒6、遠投110メートルと高い身体能力を示していた[39]。プロ入り後は内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして一軍で活躍している[40]。外野手としてはレフトとライトは2012年10月8日に途中出場で守り、センターは2010年5月19日に先発出場したのが最後となっている。打撃では三塁打が多く、自身もこだわりを持っており[41][42]、『ミスタースリーベース』の異名を持っていた時期がある。

人物・エピソード[編集]

北海道にいた頃から秋山幸二に憧れ[2]、ダイエーホークスファンの大ファンであり、2003年11月20日にスカウトが指名挨拶を行った際には「秋山さんのような、どれを取っても一流と言われる選手になりたい。」と述べた。高校2年時の修学旅行で福岡ドームに隣接するホテルに宿泊した際には「いつかは自分もここでプレーがしたい」とプロへの思いを固めていた[1]

お笑い芸人のとにかく明るい安村は、同じ旭川出身で、同じ少年野球チームの先輩・後輩の関係[43]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 ダイエー
ソフトバンク
7 5 4 2 1 0 1 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .250 .400 .750 1.150
2007 15 18 17 3 3 1 0 0 4 1 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .176 .222 .235 .458
2008 29 55 49 8 11 2 1 0 15 4 1 0 2 2 1 0 1 17 0 .224 .245 .306 .551
2009 48 114 103 14 30 9 2 1 46 9 6 0 2 1 8 0 0 27 0 .291 .339 .447 .786
2010 39 51 47 8 6 2 0 0 8 0 2 1 2 0 2 0 0 12 1 .128 .163 .170 .333
2011 58 105 90 8 25 1 5 1 39 15 5 2 4 1 10 1 0 21 2 .278 .347 .433 .780
2012 135 567 508 54 129 8 6 1 152 27 25 10 23 1 33 0 2 98 2 .254 .301 .299 .601
2013 33 89 79 8 18 1 1 1 24 7 2 2 4 0 6 0 0 16 1 .228 .282 .304 .586
2014 93 273 250 38 63 10 4 1 84 21 17 4 7 1 13 1 2 54 4 .252 .336 .293 .629
2015 115 394 342 49 90 12 3 3 117 30 11 5 12 4 31 1 5 64 4 .263 .330 .342 .672
2016 47 152 135 17 31 6 2 0 41 16 6 2 6 2 7 0 2 34 3 .230 .274 .304 .578
通算:11年 619 1823 1624 209 407 52 25 8 533 130 75 26 62 12 113 3 12 351 18 .251 .302 .328 .630
  • 2016年度シーズン終了時
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]

内野守備

一塁 二塁 三塁 遊撃




























2008 13 51 3 0 4 1.000 - 1 0 0 0 0 ---- 9 6 13 0 2 1.000
2009 3 3 1 0 0 1.000 3 3 2 0 0 1.000 10 3 4 1 1 .875 -
2010 9 31 3 2 1 .944 2 0 1 0 0 1.000 1 0 2 0 0 1.000 1 1 1 0 1 1.000
2011 53 200 8 0 13 1.000 - - -
2012 59 131 8 0 7 1.000 24 53 61 1 13 .991 48 22 90 2 7 .982 59 67 150 6 18 .973
2013 18 135 6 0 9 1.000 5 9 13 0 3 1.000 - 4 2 1 1 1 .750
2014 24 79 5 0 6 1.000 41 91 117 5 20 .977 27 12 28 2 1 .952 -
2015 60 310 33 1 16 .997 64 99 129 0 18 1.000 - -
通算 239 940 67 3 56 .997 139 255 323 6 54 .990 87 37 124 5 9 .970 73 76 165 7 22 .972
外野守備

外野







2004 1 0 1 0 0 1.000
2009 37 42 4 1 1 .979
2010 17 15 0 0 0 1.000
2011 7 3 0 0 0 1.000
2012 4 3 0 1 0 .750
通算 66 63 5 2 1 .971
  • 2015年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

その他の記録

背番号[編集]

  • 36 (2004年 - )

登場曲[編集]

出演[編集]

MV[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 道産子・明石が福岡で夢つかむ 2003年11月21日 日刊スポーツ九州
  2. ^ a b 明石健志(上)プロへの夢 原点は秋山選手 2003年11月29日西日本スポーツ 西日本新聞 ドラフト2003 新戦力
  3. ^ a b 明石健志(下)野球留学でさらに成長 2003年11月30日西日本スポーツ 西日本新聞 ドラフト2003 新戦力
  4. ^ 2013年度福岡ソフトバンクホークス選手名鑑 スポニチアネックス
  5. ^ 第55回秋季関東高校野球大会山梨県予選(第5日)激投 山梨学院附・明石 9回裏サヨナラスクイズ 山梨学院ニュースファイル Vol.148 2002.9.22号
  6. ^ 第55回秋季関東高校野球大会山梨県予選(第6日)山梨学院附  明石 猛打賞 6打点 山梨学院ニュースファイル VOL149 9月23日
  7. ^ 第85回全国高等学校野球選手権記念山梨大会第3日目 山梨学院15対0の5回コールド発進~明石の先頭打者3塁打から猛攻~ 山梨学院ニュースファイルVOL228 7月16日
  8. ^ FDH4巡目明石が仮契約 2003年12月2日 日刊スポーツ九州
  9. ^ 2004年5月11日日刊スポーツ
  10. ^ 2004年5月13日日刊スポーツ
  11. ^ 2004年10月28日日刊スポーツ
  12. ^ 2004年度 表彰選手 (ウエスタン・リーグ)
  13. ^ 2005年6月26日 西日本スポーツ
  14. ^ 2005年9月13日 【ファーム】 試合結果 (広島東洋vs福岡ソフトバンク)
  15. ^ 2006年8月11日 西日本スポーツ
  16. ^ 2006年11月26日日刊スポーツ
  17. ^ ソフトB明石が2軍戦で右手指骨折 2008年8月27日 日刊スポーツ
  18. ^ 【ソフトB】明石1軍昇格「準備できてる」 2011年7月3日 日刊スポーツ
  19. ^ 週刊ベースボール2012年2月6日号 p.65
  20. ^ ソフトB明石目指せ福本イケるぞ100盗塁 2012年3月18日 日刊スポーツ
  21. ^ ソフトB明石、腰痛抹消きょうまで安静 2012年6月8日 日刊スポーツ
  22. ^ 【ソフトB】明石19球粘り四球=日本タイ 日刊スポーツ 2012年7月7日
  23. ^ 2012年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第1戦)
  24. ^ パ連敗、5年ぶり完封負け/球宴 2012年7月22日 日刊スポーツ
  25. ^ ソフトB明石賞金の使い道は…/球宴 2012年7月21日 日刊スポーツ
  26. ^ 2012年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第2戦)
  27. ^ マツダオールスターゲーム2012 表彰選手(第2戦)
  28. ^ 2012年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第3戦)
  29. ^ ソフトBリードオフマン明石が初4安打 2012年6月27日 日刊スポーツ
  30. ^ ソフト明石2軍戦から“駆け付け1発” 2013年8月30日デイリースポーツ
  31. ^ 【ソフトB】明石抹消 1割3厘結果出ず 2013年5月18日 日刊スポーツ
  32. ^ 【ソフトB】明石「最高」1号3ラン 2013年8月29日 日刊スポーツ
  33. ^ 大和、超美技連発でソフト先制阻む ダイビング&背走キャッチ 2014年10月30日スポニチ
  34. ^ メッセのクセ織り込み済みだった…V打生んだ明石の投前スリーバント 2014年10月31日スポニチ
  35. ^ 西岡守備妨害で幕 猛抗議に胴上げお預け 2014年10月31日 日刊スポーツ
  36. ^ ソフトB、道産子の明石が地元で大仕事「自分でもビックリした」 2015年4月29日スポニチ
  37. ^ 7番・明石の満塁HRなどで10得点を奪い連敗ストップ! 2015年4月29日 ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
  38. ^ 4巡目・明石「シーズン60盗塁」! 2003年12月9日 日刊スポーツ九州
  39. ^ 4巡目明石、最高の気分2003年11月20日 日刊スポーツ九州
  40. ^ ソフトB明石 西武戦初アーチは今季1号 2014年8月6日 日刊スポーツ
  41. ^ タカの三塁打男・明石、今日も適時打 貧打ロッテ7連敗 2012年9月8日朝日新聞
  42. ^ 「ミスター・トリプル」が躍動! 週刊ベースボールONLINE
  43. ^ 明石 ダメ押しの中犠飛!実は少年野球で「とにかく明るい安村」の後輩”. スポニチ (2015年9月20日). 2015年10月20日閲覧。
  44. ^ Ms.OOJA「Be...」新MVでソフトバンク明石選手が妻への感謝語る”. 音楽ナタリー (2016年2月9日). 2016年2月9日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]