中田翔

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中田 翔
北海道日本ハムファイターズ #6
Nakata2015.jpg
2015年5月31日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市中区
生年月日 1989年4月22日(27歳)
身長
体重
183 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手一塁手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2009年5月23日
年俸 2億4,500万円+出来高(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本代表
WBC 2013年
プレミア12 2015年

中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

広島市立竹屋小学校3年から広島鯉城リトルで捕手として野球を始める[1][2]。二学年上の松下建太とバッテリーを組んでいた時期もある[3]。6年時に投手に転向。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打広島市立国泰寺中学校3年時に鯉城シニアで日本代表入り。エースで4番を務め、米国遠征で4本塁打を打ちMVPに輝き、世界大会準優勝の原動力となる[2]投手としても141km/hを計測した。広島で過ごした少年時代は、当時の広島市民球場でプロ野球選手になる夢を抱いた広島東洋カープファンだった[4]

中学時代に大阪桐蔭高校西谷浩一監督に入学を誘われ[5]、同校に進学。中田が活躍したことで大阪桐蔭は大阪だけでなく、各地の有力選手が集まるようになった[6]。1年夏には5番・一塁手でレギュラーとなり、2005年の夏の甲子園ベスト4に貢献、また投手としても最速147km/hを計測[2]。秋からはエースで4番を任され、岡田雅利とバッテリーを組んだ。2年春には151km/hまで球速が伸びた。肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、四番・右翼手として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会準決勝の市川高校戦 (和歌山県営紀三井寺野球場)で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ[1][2]。この頃から「平成の怪物」と呼ばれるようになる。3年生時の7月6日全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録[2]。大阪大会の決勝ではエースの植松優友を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打で、チームは敗戦して甲子園出場を逃した。この大会では本塁打は打てなかった。高校通算87本塁打、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。

2007年10月3日プロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズ阪神タイガースオリックス・バファローズ福岡ソフトバンクホークスの4球団から1位指名を受けて、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。同年11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約。背番号は同年オフに現役引退した田中幸雄が着用していた「6」を引き継いだ。

プロ入り後[編集]

2008年
守備位置は高校時代の投手と外野手ではなく、三塁手を志願し球団の育成方針とも一致したことから三塁守備での練習を始める。しかし、オープン戦から木製バットへの対応に苦しみ、開幕を二軍で迎えた。6月に左手首を骨折(全治1カ月)。このときは1カ月近くも骨折を放置されていた[7]。打撃フォームも固まらず、二軍で11本塁打を記録するも打率.255に終わり、一度も一軍に昇格することはなかった。
2009年
3月、三塁手としては使えないと判断され、一塁手に専念。同年5月、二軍での好成績が評価され、初めて一軍に昇格。5月23日の東京ヤクルトスワローズ戦で七番・指名打者としてプロ初出場、プロ初安打を記録。5月25日の中日ドラゴンズ戦では途中出場ながら初めて守備機会のある一塁手の守備にも就いた。交流戦終了後に二軍へ降格。7月23日のフレッシュオールスターゲーム札幌ドーム)ではイースタン・リーグ選抜の四番に座り、2安打2打点でMVPを獲得。同リーグ史上最多のシーズン本塁打30と史上最多タイの打点95を記録し二冠王を獲得、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて特別賞を受賞した。シーズン終盤に故障者が続出し、再び一軍に昇格、9月26日には一塁手としての先発出場も果たし、9月27日犠飛でプロ初打点を挙げた。また、日本シリーズにも第3戦で代打で初出場した。一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ転向した(登録は内野手のまま)。[8]
2010年
長距離打者であるターメル・スレッジの退団と、レギュラー左翼手だった森本稀哲が故障で離脱した事もあり、開幕戦で七番・左翼手として自身初の開幕戦先発出場を果たし、杉内俊哉から自身初の2点適時打を打つ。その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備も無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。その3日後の21日の二軍の試合で左ひざ半月板を損傷。5月10日に手術を受けた。[9]7月19日に一軍昇格。七番・指名打者として先発出場し、復帰後初安打。翌20日の千葉ロッテマリーンズ戦にも先発出場し、大嶺祐太からプロ入り初本塁打(公式戦91打席目)を打った。8月6日東北楽天ゴールデンイーグルス戦では栂野雅史青山浩二から2打席連続本塁打を記録した。夏場には金子千尋涌井秀章和田毅田中将大らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、本塁打9、打点22に終わった。なお、9本の本塁打は7月20日から8月20日までの約1ヶ月間に打ったものである。
2011年
開幕から19打席無安打とスタートに苦しむもその後は成績を伸ばし、小谷野栄一の離脱中は四番打者に抜擢されるなどチームの主軸となり、初のオールスターゲーム出場も果たした。後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどにも苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用され、初の規定打席到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打、91打点をマークした。しかし規定打席到達者ではリーグ最多と1個差の133三振、打率.2371はリーグワースト2位、出塁率はリーグワーストの.283に低迷し、OPSも.700を切ってしまった。
2012年
1月11日に高校の同級生と結婚したことを発表[10]。キャンプから足を大きく開き、やや腰を落としてほとんど踏み出さずに振る「ノーステップ打法」を使用するが、開幕から24打席無安打(25打席目で本塁打)となり、交流戦の頃から足を上げてタイミングを取る打法に切り替え、以後もフォームが定まらなかった。前半戦は打率1割台と不調だったが、新任の栗山英樹監督はレギュラーシーズンの全試合に中田を4番打者として起用し続けた。球団では張本勲(1963年)、柏原純一(1983年)に続いて3人目の全試合4番出場となった。優勝チームでの全試合4番出場はパ・リーグでは野村克也南海ホークス・1966年)以来、3人目。8月から徐々に調子を上げていき、後半戦は打率.293、14本塁打、OPS.882を記録。シーズン通算では打率はリーグワースト3位の.239、得点圏打率は.198に終わったが、リーグ2位の24本塁打、リーグ3位の77打点(チーム首位)をマーク。先制打、同点打、勝ち越し打、逆転の殊勲安打30本、17勝利打点はリーグ最多と、両極端な結果となった。内容的には前年に比べて三振を減らし、より四球を記録し、BB/Kを向上させるとともにリーグ最多得点を獲得した。また守備面では外野手としてリーグトップの19補殺(球団タイ記録)を記録し、そのうち9が併殺であり、中日の原田督三松竹岩本義行の外野手シーズン併殺数のプロ野球記録を62年ぶりに更新した[11]。パ・リーグでは23年ぶりの2年連続リーグ最多補殺を記録。シーズン最後の連戦で、連敗すれば2位西武に並ばれる9月28日の西武戦では2ラン、3ランを放ってチームの全得点を記録し、リーグ優勝に貢献。
ポストシーズンではクライマックスシリーズ日本シリーズでも全試合4番として出場する。10月28日、東京ドームでの日本シリーズ第2戦の1回表に澤村拓一から死球を受け左手を負傷し、4回裏の守備から途中交代したが第3戦以降も左翼手で出場し、第4戦では9回表の二死満塁のピンチの場面で左中間に抜ける打球を好捕して味方の失点を防ぎ、第6戦では6回表に自身のポストシーズン初となる3ラン本塁打を放つが、日本シリーズでは結局この1打席の3打点に終わった。シリーズ終了後には左手第5中手骨を骨折していたことが判明した。
オフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[12]候補入りした[13]。監督の山本浩二から4番候補として期待される。合宿から立浪和義打撃コーチの指導のもと、懸念されていた打撃フォームの改造に取り組んだ。序盤戦は活躍するも後半戦は大振りが目立ち、個人成績は21打数6安打(.268)とあまり実を結ばなかった。打順は下位で起用されることが多かった。
2013年
1月15日には第1子となる女児が誕生した。
2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され[14]代表入りした[15][16]
シーズンでは、4番打者として開幕からコンスタントな活躍を見せ本塁打ではリーグトップを走っていたが、8月21日の対楽天16回戦の初回に美馬学から左手甲に死球を受け、左手第5中手骨亀裂骨折と判明し戦線を離脱。その後のシーズンをほぼ棒に振りタイトルこそ逃したものの、自己最多の28本塁打(リーグ2位)を放ち、前年リーグワースト3位だった打率もリーグ8位の.305を記録。長打率、OPSはリーグ2位を記録した。
シーズン後にはベストナインを初受賞した[17]
オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[18]
2014年
2年振りに全144試合に出場し[19]、死球の影響でスタメンを外れた[20]7月の2試合を除く142試合で4番打者として先発した[21]。内野手登録ではあったが[22]、新戦力として一塁手フアン・ミランダが加入したこともあり、例年と同じくレフトを守る機会が多かった[21]
打率は前年より下落して.269だったが[19]、チームトップとなる27本塁打(リーグ4位)を放ち[23]、2年連続で25本塁打以上[19]を記録した。また打点では、3月・4月で17打点を挙げると、5月から9月にかけて毎月15打点以上を記録し、順調に数字を伸ばした[21]。9月27日のオリックス戦でサヨナラとなるソロ本塁打を放ち、自身初の100打点に到達[24]。最終的に2014年のパ・リーグで打点を三桁に乗せた唯一の選手となり、打撃三部門で初の個人タイトルとなる打点王を、2位に10打点差をつけて獲得した[25]
この年ファイターズは3位だったが[26]、オリックスとのクライマックスシリーズのファーストステージ第3戦(京セラドーム大阪)では、1対1で迎えた延長10回表に平野佳寿から決勝のソロ本塁打を放ち[27]、続くファイナルステージで、第1戦、第2戦で本塁打を放ち、2008年のT.ウッズ中日)以来2人目、パ・リーグのCSでは初の3試合連続本塁打を記録[28]。続く第3戦でも6回表に3ラン本塁打を記録し、NPBのポストシーズンでの新記録となる4試合連続本塁打を達成した[29]。翌18日の第4戦で3打数2三振1四球の無安打に終わり、記録は4でストップ[30]
オフの10月9日に、日米野球2014日本代表に選出されたことが発表された[31]
2015年
開幕前の2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された[32]。3月10日の第1戦、3月11日の第2戦に4番で先発出場し、1安打を記録した[33][34]
シーズンでは年間を通して「4番・一塁」で固定。交流戦終了の6月中旬までに20本塁打を記録する例年以上のペースで本塁打を量産していった。しかし慢性的な膝の不調に悩まされ、後半戦は大きく失速。不振に苦しむも、最終戦で涌井秀章から本塁打を放ち、キャリア初の30本塁打を記録。また、2年連続100打点を記録した(同チーム内での2年連続100打点は、東映時代に大杉勝男(1971~1973年)が記録して以来2人目である)。守備は年間を通して安定し、初のゴールデングラブ賞を獲得した。
また、7月16日に第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表され[35]、9月10日に第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表され[36]、10月9日に最終ロースター28名に選出されたことが発表され[37]代表入りしている。同大会では、第4戦まで合計11打点を記録。第4戦アメリカ戦では、6回表に決勝3ランを左中間スタンドに記録し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。大会ベストナインに選出されている。
2016年
開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された[38]。4月16日に札幌市内の病院で第二子となる女児が誕生した。しかし6月28日・29日の2日間、打撃不振のためスタメンから外れた。

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

中田のスイング(2009年の日本シリーズにて)

高校時代に推定飛距離170メートルの本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とし[39]、体勢を崩されても打球をスタンドに運ぶことができる[40]。初球から積極的に振っていくスタイルで[41]、四球率は通算6.7パーセントと平均的だが、反面、2011年にはボールゾーンのスイング率が30パーセントを越えるなど選球眼に難があった[41]

こうした選球眼の悪さが課題にあったものの、後述の「ガニ股打法」などの変遷を経て、徐々に四球数・三振数・バットコントロールを改善していった。 2014年頃から、2ストライク時や得点圏で確実に一点が求められる場面によっては、足をわずかに上げミート重視のコンパクトな打撃に切り替えることが多くなった。本人も打点へのこだわりを述べている。[42]そのため、選球眼が改善され四球数や出塁率は上昇した一方、長距離砲と呼ばれる打者としては長打率は控えめである。

打撃フォームの変遷が激しく、2011年には選球眼の改善を試みるため、脇を閉めて足をガニ股に開くノーステップ打法に取り組んでいた[43]。しかし、下半身に負担がかかるため後半戦からはガニ股をやめ、当時の打撃コーチであった福良淳一やチームメイトだった稲葉篤紀からアドバイスを受けながらすり足打法に取り組んだ[43]。この年のオフにはケビン山崎の指導を受けて下半身を強化し、ガニ股打法を1年間継続させることを目指したが[43]、翌2012年は5月まで打率.169と不振に陥ったため、同月下旬からは福良の指導を受け左足を軽く上げるオーソドックスな打撃フォームとなった[44][45]

走塁[編集]

走塁面では一塁到達4.3秒台[46]と右打者としてはスピードは平均的で、盗塁試行数は少ない。判断ミスもあり、フライで帰塁できなかったケースや、2014年5月18日のロッテ戦(札幌ドーム)では自身は二塁ランナーで平凡なレフトフライで普通に戻れる距離にも関わらず、油断してレフト・角中勝也からの何気ないセカンド・根元俊一への送球がタッチの差で先に根元が捕球してアウトになるミスもあった。

守備[編集]

守備では入団当初は三塁手と一塁手で起用されていたが、出場機会の増加や強肩を活かすため、2010年からは左翼手としても起用されるようになった。チームメイトだった小谷野栄一から「150km/hくらい出ている」と評され[47]、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩からの正確な送球を持ち味とし[48][49]、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録、糸井嘉男陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった[50][48]。2012年には左翼手で両リーグトップのUZR23.7を記録した[51]。2014年には三塁手への再コンバートが計画されるも打撃不振により頓挫。2015年はレギュラーシーズンを通じて一塁を守り、安定感ある守備でゴールデングラブ賞を獲得している。

人物[編集]

ヘルメットと帽子のつばには「克己心」という言葉が書いてある[52]

チーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、カラオケでの十八番は松山千春の「大空と大地の中で」だという[53]

高校の先輩である西岡剛と親交が深く、例年自主トレをともにしている[43][54]

清原和博を尊敬しており[55]、清原も中田に対して「俺の後継者」と期待を寄せている。

2011年まで同僚だったダルビッシュ有渡部龍一を慕っている[43]。ダルビッシュからは「日本記録(2012年当時は55本が最高であり、2013年にバレンティンの60本で記録は塗り替えられた)の56本塁打を打つまで認めない」[56]などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている[57]。2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ[43]

後輩にはとても気さくに振る舞い、後輩選手のモチベーション向上のために「中田賞」を設けている。毎年、中田自ら後輩のシーズン目標(例えば、本塁打数や安打数、勝利数など)を設定し、その目標をクリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしている。 これは、かつて稲葉や西岡に成績に応じて食事をご馳走してもらった経験があるからだという。[58]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2009 日本ハム 22 38 36 3 10 2 0 0 12 1 0 0 0 1 1 0 0 15 0 .278 .289 .333 .623
2010 65 230 210 20 49 5 1 9 83 22 0 0 0 2 15 0 3 61 8 .233 .291 .395 .687
2011 143 572 527 49 125 32 2 18 215 91 4 0 0 8 31 2 6 133 12 .237 .283 .408 .691
2012 144 606 547 79 131 25 1 24 230 77 5 4 0 4 50 1 5 101 8 .239 .307 .420 .727
2013 108 459 407 67 124 14 1 28 224 73 1 2 0 1 45 4 6 77 11 .305 .381 .550 .931
2014 144 602 531 64 143 18 0 27 242 100 0 0 0 7 58 3 6 89 12 .269 .344 .456 .800
2015 143 611 539 72 142 26 0 30 258 102 1 0 0 7 64 4 1 120 11 .263 .339 .479 .817
NPB:7年 769 3118 2797 354 724 122 5 136 1264 466 11 6 0 30 264 14 27 596 62 .259 .326 .452 .777
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績所属リーグ内順位[編集]

年度 年齢 所属リーグ 打率 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 出塁率 OPS
2009 20 パ・リーグ - - - - - - - - -
2010 21 - - - - - - - - -
2011 22 - - 2位 - 3位 3位 - - -
2012 23 - - - - 2位 3位 - - -
2013 24 8位 - - - 2位 - - 10位 2位
2014 25 - - - - 4位 1位 - - -
2015 26 - - 9位 - 6位 2位 - - 10位
  • -は10位未満(打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)

年度別守備成績[編集]


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2009 6 26 0 0 1 1.000 -
2010 29 231 17 1 22 .996 18 12 1 0 0 1.000
2011 25 80 9 0 4 1.000 139 208 11 5 1 .978
2012 13 86 5 0 4 1.000 138 245 19 3 9 .989
2013 8 45 3 1 8 .980 101 179 7 2 3 .989
2014 31 224 13 1 20 .996 95 108 7 2 1 .983
通算 112 692 47 3 59 .996 401 752 45 12 14 .985
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ外野手最高
  • 赤太字はNPB外野手記録

タイトル[編集]

表彰[編集]

NPB
日本代表

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録
  • シーズン最多補殺:2回 (パ・リーグ外野手:2011年、2012年)
  • シーズン補殺:19 (2012年) ※球団タイ記録
  • 外野手シーズン併殺:9 (2012年) ※日本プロ野球記録
  • オールスターゲーム出場:6回 (2011年 - 2016年)

背番号[編集]

登場曲[編集]

代表歴[編集]

関連情報[編集]

著書[編集]

  • 『翔! 頂点目指して』(2012年1月、徳間書店

テレビ出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 中田 翔 - スポニチ Sponichi Annex
  2. ^ a b c d e 中田翔特集 : nikkansports.com - 日刊スポーツ
  3. ^ SPORTS COMMUNICATIONS - 埼玉西武5位・松下建太
  4. ^ “ハム中田、元祖カープ男子だ!大爆発宣言”. 日刊スポーツ. (2014年6月3日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140603-1311442.html 
  5. ^ 大阪桐蔭・西谷浩一編(7) 「打倒PL学園」めざし監督兼GM兼スカウト (1/2ページ)
  6. ^ 「絶対に敵に回したくない」藤浪も嫌がる大阪桐蔭打線 - スポニチ
  7. ^ 結果的に中田もハムも骨折1カ月“放置”
  8. ^ 中田外野手転向プラン浮上
  9. ^ ニュース | 北海道日本ハムファイターズ
  10. ^ 中田、指輪キラリ!高校の同級生と結婚!!…日本ハム - スポーツ報知 2012年1月12日
  11. ^ 週刊ベースボール2012年10月22日号。
  12. ^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  13. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  14. ^ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  15. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
  16. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  17. ^ “中田翔が初選出/ベストナイン”. 日刊スポーツ新聞社. (2012年11月21日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131121-1221337.html 
  18. ^ 2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト 2015年3月30日閲覧
  19. ^ a b c 北海道日本ハムファイターズ 中田翔2014年10月18日閲覧。
  20. ^ 【日本ハム】中田、今季初スタメン外れる 栗山監督「本人は怒っていた」スポーツ報知 2014年7月15日配信
  21. ^ a b c [http://bis.npb.or.jp/2014/calendar/ 日本野球機構オフィシャルサイトにて、2014年10月18日に全日程を確認
  22. ^ 北海道日本ハムファイターズ 2014年度 選手一覧2014年10月18日閲覧。
  23. ^ 2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門)
  24. ^ ハム中田サヨナラ弾で初大台超え100打点日刊スポーツ 2014年9月28日配信
  25. ^ 2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門)2014年10月18日閲覧。
  26. ^ 2014年度 公式戦成績2014年10月18日閲覧。
  27. ^ 【プロ野球】日本ハム中田のホームランで勝利!3位からCS勝ち上がり「下剋上してくれ!」excite. ニュース2014年10月15日配信
  28. ^ 中田3戦連発どや顔 ハム逆襲の4番だ日刊スポーツ 2014年10月17日配信
  29. ^ 中田 プロ野球新4戦連発!中西太、バースの3戦連発を更新スポーツニッポン2014年10月18日配信
  30. ^ 日本ハム 中田、5戦連発ならず「ここってとこで…」スポーツニッポン2014年10月18日配信
  31. ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
  32. ^ 欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集 侍ジャパン公式サイト (2015年2月16日) 2015年3月22日閲覧
  33. ^ ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第1戦 2015年3月10日(火) 東京ドーム 打席結果・投打成績 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年3月10日) 2016年3月10日閲覧
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  53. ^ チーム屈指の歌唱力 中田翔 十八番のサビを熱唱スポニチ、2011年8月30日
  54. ^ 【プロ野球】中田翔が西岡剛から授かった3つの教えweb Sportiva、2011年2月15日
  55. ^ 2007年のドラフト会議後、佐藤由規唐川侑己とともに『すぽると!』(フジテレビ)に出演した際に「尊敬する選手は?」との問いに答えた。
  56. ^ ダル“参戦”中田へ「しっかりやれよ」日刊スポーツ、2012年10月17日
  57. ^ 解説ダルは中田にダメ出し日刊スポーツ、2012年10月31日
  58. ^ ハム中田リーダー自覚「中田賞」設立

関連項目[編集]

外部リンク[編集]