ターメル・スレッジ
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横浜時代(2010年4月3日、明治神宮野球場にて) | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | ノースカロライナ州フェイエットビル |
| 生年月日 | 1977年3月18日(41歳) |
| 身長 体重 |
183 cm 85 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 左翼手、一塁手、指名打者 |
| プロ入り | 1999年 MLBドラフト8巡目 |
| 初出場 |
MLB / 2004年4月6日 NPB / 2008年3月20日 |
| 最終出場 |
MLB / 2007年10月1日 NPB / 2012年6月13日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ターメル・スレッジ(Terrmel Sledge, 1977年3月18日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。左投左打。
愛称は「スレッジハンマー」。アフリカ系アメリカ人の父と韓国人の母を持つハーフである。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
カリフォルニア州グラナダヒルズのジョン・F・ケネディ高校を経て、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を卒業。
1998年のMLBドラフト45巡目でシンシナティ・レッズに指名されるが契約せず。
マリナーズ時代[編集]
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翌1999年のMLBドラフト8巡目でシアトル・マリナーズに指名され契約。
エクスポズ・ナショナルズ時代[編集]
2000年9月にトレードでモントリオール・エクスポズに移籍。
2004年にエクスポズでメジャーデビューし、主に左翼手として133試合に出場し打率.269、15本塁打、62打点を記録。エクスポズがワシントンD.C.へ移転し、名称をワシントン・ナショナルズと改めた2005年は開幕戦で、ナショナルズ第1号となる本塁打を放つ(4月4日、対フィラデルフィア・フィリーズ戦の6回表)も、20試合の出場に留まった。
レンジャーズ時代[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
12月8日にアルフォンソ・ソリアーノとの1対3のトレードで、ブラッド・ウィルカーソン、アーマンド・ガララーガと共にテキサス・レンジャーズに移籍。
パドレス時代[編集]
さらに2006年1月6日にはビリー・キリアン、アダム・イートン、大塚晶則とのトレードで、エイドリアン・ゴンザレス、クリス・ヤングと共にサンディエゴ・パドレスに移籍した。
2007年は100試合に出場し、打率.210・7本塁打・23打点を記録。チームメイトに、後に埼玉西武ライオンズへ入団するヒラム・ボカチカがおり、ボカチカが右翼手、スレッジが左翼手で先発出場した試合も多かった。
日本ハム時代[編集]
2007年12月4日に北海道日本ハムファイターズが退団したフェルナンド・セギノールに代わる主砲候補として2年契約(総額285万ドル)で合意したことを発表した。背番号は10。
2008年、開幕直後は内野ゴロ、特に二塁ゴロが多く、出塁も四球によるものが大半で打率が上がらなかったが、セ・パ交流戦から徐々に打率を上げて日本の野球に順応し出した。大柄ではないが、パンチ力を生かした鋭い打球を飛ばす打撃が持ち味で、得点圏打率.355(リーグ2位)という勝負強い打撃で大砲不在のチームでは貴重な存在となった。打順は4番・5番、指名打者での出場が多く、一塁手・左翼手としても起用された。
2009年、チームが打席の左右を交互に打順を組む「ジグザグ打線」[1]を採用したことで、5番・指名打者に定着。4番にはこの年8本塁打の高橋信二が座り、「つなぐ4番」として好機を演出しスレッジが返す流れが定着。5月17日のオリックス・バファローズ戦で走塁中に左太もも裏の軽い肉離れのため選手登録を抹消されたが、シーズン計117試合に出場。打率は.266で、目標にしていた30本塁打には届かなかったものの共にチームトップの27本塁打(リーグ3位)、88打点(リーグ4位)と前年以上の成績を残し、ポイントゲッターとしてチームのリーグ優勝に大きく貢献した。クライマックスシリーズ第2ステージでは、シーズン終盤に猛烈な強さをみせ球団初のCS進出を果たし、その第1ステージも2連勝で突破し勢いに乗っていた東北楽天ゴールデンイーグルスを迎え打つ。その第1戦、それまでの勢いそのままに楽天に4-8と大きくリードされ9回裏に突入。1点を返すも尚も3点差の1死満塁で打席に立つ。相手投手福盛和男の投球を左方向へ弾き返すと、打球はそのままレフトスタンドへ吸い込まれる。野球界において最高の一打とされる「3点差逆転サヨナラ満塁本塁打」となり、楽天の勢いを断ち切った。なおこの一打は2010年8月9日に2リーグ制移行60周年記念でNPBが現役選手と監督を対象に行った「史上最高の試合」「史上最高の名勝負・名場面」アンケートの「名勝負・名場面」部門で第1位に選ばれている。2勝1敗を王手をかけた第4戦では岩隈久志から3点本塁打を放ち、日本シリーズ進出を決めるなど、このシリーズ4試合で2本塁打10打点の大活躍をみせ、クライマックス・シリーズMVPを獲得。続く日本シリーズでも本塁打を放つ活躍をみせた。しかし、主砲として一定の結果を残したことで「現状の1億3,500万円からの年俸アップ」、「複数年契約」を主張する代理人側と、将来の和製大砲として期待を寄せる中田翔を育成するため「半レギュラー状態での起用」、「現状維持の年俸」、「単年契約」を提示する日本ハム球団側との間に開きがあり、保有権を喪失した12月1日に自由契約となった。日本ハムは自由契約となった後も引き続き交渉を行ったが、両者の主張は平行線を辿ったままであった。
横浜時代[編集]
その後まだ32歳で.250以上の打率と30本塁打程度を期待できる長打力をもつ左打者であるスレッジの獲得を希望する球団は複数現れ、ソフトバンク、西武らとの競合の末に横浜ベイスターズが契約。希望していた増額「1億8,000万円」の「2年契約」の評価を受け2009年12月17日に入団が決まった。背番号は3。
2010年は、DH制のないセ・リーグでは守備は左翼手、打順は4番村田修一の後を打つ5番として出場。打率は.252であったが、交流戦前には子供が生まれたために一時帰国し、チームの低迷により終盤9月23日をもって早々と自身のシーズンを終える[2]など少ない出場ながら自己最多の28本塁打と78打点を記録。右投手に対し打率.215と不調であったか、左打者にもかかわらず左投手に対しては打率.311と相性が良かった。
2011年は、1試合3本塁打を2度披露するなど固め打ちが多かったが、1ヶ月以上本塁打が出ない時期もあり波の激しいシーズンだった。8月21日に右脚付け根を痛め登録を抹消された。その後9月6日に復帰したが、痛みが再発して4日で再び抹消され、治療のため帰国し、そのままシーズンを終えた。96試合で20本塁打と試合数の割に長打力を発揮したが、球団がアレックス・ラミレスを獲得したこともあり12月1日に戦力外通告を受け退団した[3]。
日本ハム復帰[編集]
2011年12月7日、古巣日本ハムと契約することが発表され、3シーズンぶりに復帰することになった。背番号は再び10に決まった。
2012年は左翼手に中田翔、一塁手に稲葉篤紀が定着しているためDHでの出場、DH制のないセ・パ交流戦のセ・リーグ主催試合では代打での出場となった。主に7番打者を務め、5月22日のDeNA戦にて、史上23人目となる全球団から本塁打を達成するなど、前半戦のチームの首位争いにも貢献していたが、6月19日に左膝の検査を受けるため帰国した[4]。その後、6月30日に左大腿骨滑車溝に4度(重度)の軟骨損傷と遊離軟骨があると診断され[5]、リハビリが進まず、結果的に復帰できないままシーズンを終えた。11月5日、球団より退団が決定したことが発表された。
人物[編集]
ファーストネームは、両親が名付けるときにTerrence(テレンス)かMelvinの(メルヴィン)どちらにするか迷い、2つをつなげたTerrmelにした。
焼肉が好物である。2008年9月15日の対オリックス戦で先発したダルビッシュ有は、試合後「何をオゴったらいいかわからない」と発言(8回まで完璧な投球だったが9回に逆転を許し、そのままオリックスの勝利かと思われたが、その裏スレッジのサヨナラ打があり、勝ち星が転がってきた)。それを聞いたスレッジは「じゃあ焼肉をお願いします」と即答した。この約束が果たされたかどうかは不明だが、クライマックスシリーズ第1ステージでダルビッシュが先発し、スレッジが先制本塁打を放って勝利した試合後、「今はこのままの方がお互いに流れがいい。日本シリーズが終わったら、連れて行ってもらうよ。僕は焼肉が大好きだから」とリクエストした。
相手選手を試合やシーズンを通して研究している。試合やシーズンが終盤に近づくにつれて好成績を上げる場合が多い。試合を決める一打も多く、2009年はリーグ最多の15勝利打点を記録している。
元楽天監督の野村克也は、「スレッジは直球のみのバッターで、フォークだけ投げとけば大丈夫」[6]「真っすぐしか打てないバッター」[7]と評価している。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | MON WSH |
133 | 446 | 398 | 45 | 107 | 20 | 6 | 15 | 184 | 62 | 3 | 3 | 6 | 1 | 40 | 4 | 1 | 66 | 2 | .269 | .336 | .462 | .799 |
| 2005 | 20 | 46 | 37 | 7 | 9 | 0 | 1 | 1 | 14 | 8 | 2 | 1 | 0 | 2 | 7 | 1 | 0 | 8 | 3 | .243 | .348 | .378 | .726 | |
| 2006 | SD | 38 | 78 | 70 | 7 | 16 | 3 | 0 | 2 | 25 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 17 | 1 | .229 | .308 | .357 | .665 |
| 2007 | 100 | 233 | 200 | 22 | 42 | 9 | 0 | 7 | 72 | 23 | 1 | 2 | 1 | 2 | 27 | 2 | 3 | 60 | 7 | .210 | .310 | .360 | .670 | |
| 2008 | 日本ハム | 113 | 446 | 395 | 41 | 114 | 21 | 2 | 16 | 187 | 69 | 0 | 1 | 0 | 4 | 44 | 3 | 3 | 88 | 12 | .289 | .361 | .473 | .834 |
| 2009 | 117 | 487 | 418 | 53 | 111 | 27 | 1 | 27 | 221 | 88 | 1 | 0 | 0 | 5 | 58 | 0 | 6 | 108 | 12 | .266 | .359 | .529 | .888 | |
| 2010 | 横浜 | 129 | 533 | 469 | 57 | 118 | 27 | 0 | 28 | 229 | 78 | 0 | 0 | 0 | 0 | 60 | 0 | 4 | 136 | 10 | .252 | .341 | .488 | .829 |
| 2011 | 95 | 373 | 339 | 45 | 88 | 15 | 0 | 20 | 163 | 57 | 0 | 1 | 0 | 4 | 26 | 0 | 4 | 90 | 5 | .260 | .316 | .481 | .797 | |
| 2012 | 日本ハム | 47 | 152 | 138 | 12 | 32 | 7 | 1 | 5 | 56 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | 2 | 47 | 2 | .232 | .303 | .406 | .709 |
| MLB:4年 | 291 | 803 | 705 | 81 | 174 | 32 | 7 | 25 | 295 | 100 | 6 | 6 | 7 | 5 | 82 | 7 | 4 | 151 | 13 | .247 | .327 | .418 | .745 | |
| NPB:5年 | 501 | 1991 | 1759 | 208 | 463 | 97 | 4 | 96 | 856 | 315 | 1 | 2 | 0 | 13 | 200 | 3 | 19 | 469 | 41 | .263 | .343 | .487 | .830 | |
- MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更
年度別守備成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
一塁(1B) | 中堅(CF) | 左翼(LF) | 右翼(RF) | 外野 | |||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
| 2004 | MON WSH |
10 | 63 | 6 | 0 | 3 | 1.000 | 4 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 79 | 133 | 4 | 3 | 1 | .979 | 43 | 76 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
| 2005 | - | - | 12 | 21 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | ||||||||||||||||
| 2006 | SD | - | - | 12 | 23 | 0 | 1 | 0 | .958 | 10 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||||||||||||
| 2007 | - | - | 54 | 77 | 2 | 1 | 0 | .988 | 6 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||||||||
| 2008 | 日本ハム | 38 | 287 | 19 | 0 | 17 | 1.000 | - | - | - | 23 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
| 2009 | 4 | 31 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | - | 59 | 77 | 4 | 2 | 1 | .976 | ||||||||||||||||
| 2010 | 横浜 | - | - | - | - | 119 | 161 | 4 | 2 | 1 | .988 | ||||||||||||||||||||
| 2011 | - | - | - | - | 87 | 140 | 8 | 1 | 2 | .993 | |||||||||||||||||||||
| MLB | 10 | 63 | 6 | 0 | 3 | 1.000 | 4 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 157 | 254 | 7 | 5 | 1 | .981 | 60 | 96 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||
| NPB | 42 | 318 | 22 | 0 | 17 | 1.000 | - | - | - | 288 | 398 | 16 | 5 | 4 | .988 | ||||||||||||||||
表彰[編集]
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2010年度第8回)
- クライマックスシリーズMVP:1回 (2009年)
記録[編集]
- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:2008年3月20日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(札幌ドーム)、4番・一塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回裏に小林宏之から投手ゴロ
- 初安打:2008年3月22日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(札幌ドーム)、2回裏に成瀬善久から右翼線二塁打
- 初本塁打・初打点:2008年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(クリネックススタジアム宮城)、1回表に田中将大から右越2ラン
- 初盗塁:2009年5月16日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、6回表に二盗(投手:小松聖、捕手:鈴木郁洋)
- NPBその他の記録
- 全球団から本塁打:2012年5月22日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(札幌ドーム)、3回裏に小林太志から右越満塁で達成 ※史上23人目
背番号[編集]
- 10 (2008年 - 2009年、2012年)
- 3 (2010年 - 2011年)
登場曲[編集]
応援歌[編集]
- 横浜時代に使用していた応援歌は、かつて在籍していたデーブ・ドスターの応援歌を流用(メロディのみ。歌詞は新たに作成)したものであるが、この曲はドスターの在籍時には一度も球場で使用されたことがなかった。
- 2010年の交流戦のみ、横浜時代の応援歌と日本ハム時代の応援歌が交互に演奏されていた(かけ声は横浜時代の「GO!GO! スレッジ」)。
脚注[編集]
- ^ 1、3、5、7番が左打者(田中賢介、稲葉篤紀、スレッジ、糸井嘉男)、2、4、6、8、9番が右打者(森本稀哲、高橋信二、小谷野栄一、鶴岡慎也、金子誠)
- ^ 横浜:スレッジが”有終の美”となる右前安打/巨人戦から
- ^ “2012年度選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年12月1日). 2011年12月1日閲覧。
- ^ スレッジ選手一時帰国のお知らせ - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月18日
- ^ スレッジ選手診断結果 - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月30日
- ^ 激励かと思ったら「辞めてください」 野村克也が語る楽天監督時代 dot.2013年10月14日
- ^ 野村克也×二宮清純プロ野球ぶった斬り対談 楽天快進撃の秘密 vol.2デジタル大衆2013年9月24日
- ^ 2012年選手登場曲.北海道日本ハムファイターズ.2016年11月11日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 T.スレッジ - NPB.jp 日本野球機構
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