増井浩俊

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増井 浩俊
北海道日本ハムファイターズ #19
NF-Hirotoshi-Masui20100513.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県焼津市
生年月日 (1984-06-26) 1984年6月26日(32歳)
身長
体重
181 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト5位
初出場 2010年4月9日
年俸 2億2,000万円(2017年)
※2016年から2年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
プレミア12 2015年

増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は、静岡県焼津市出身のプロ野球選手投手)。北海道日本ハムファイターズ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校四年生から地元焼津市の野球少年団で野球を始め、焼津市立和田中学校野球部ではノーヒットノーランを記録しこの経験がプロ野球選手を目指すきっかけとなる[1]。増井と同じく焼津市出身で埼玉西武ライオンズ牧田和久オリックス・バファローズ川端崇義とは同学年であり小学校時代から対戦経験がある[2]静岡県立静岡高等学校野球部在籍時の甲子園出場経験は無く卒業後駒澤大学へ進学。野球部では東都大学リーグ通算34試合登板し8勝12敗。その後東芝へ入社。野球部では絶対的エース磯村秀人の陰に隠れていたが、入社3年目の2009年に実力が開花、第38回IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。

日本ハム時代[編集]

2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズから5巡目で指名され入団。

2010年4月9日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初登板を果たしたが、4失点で敗戦投手となった。それ以後も先発ローテーションの一員として起用され、4月27日のオリックス・バファローズ戦で7回1安打無失点と好投し、プロ初勝利を挙げた。また、5月13日の阪神タイガース戦ではプロ初安打と初打点を記録した。その後、右肩肩甲上神経炎により6月16日に出場選手登録を抹消され、8月後半に再登録されるも不振が続き9月前半に再度抹消された。11月8日には一般人女性と結婚[3]

2011年は開幕からセットアッパーとして起用され、前半戦は防御率一点台前半の好成績を記録。けがのため欠場した馬原孝浩(ソフトバンク)の補充選手としてオールスターゲーム初出場を果たし[4]、第2戦で4番手として登板した[5]。その後もセットアッパーとしてシーズンを乗り切り、リーグ3位の34HP、防御率も1点台と飛躍の年となった。また、背番号も「43」から同年限りで退団した林昌範が着用していた「19」に変更された。

2012年もセットアッパーとして起用されたが、5月2日に抑えの武田久が右膝の故障により戦線を離脱したため、その間は抑えを担うこととなり、抑えとして初登板した5月6日に初セーブをあげた[6][7]。武田の復帰後は再びセットアッパーに戻り、6月・9月に疲労の蓄積で不調に陥りながらも、最終盤には持ち直し、共にパ・リーグ新記録となる45ホールド・50ホールドポイントを挙げ最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。

2013年は武田久の離脱により抑えを任されたが、4月後半からセットアッパーに復帰した。しかし6月5日の読売ジャイアンツ戦で小笠原道大に2年振りの本塁打となるサヨナラ3ランを打たれ、7月には2試合連続で救援失敗するなど不安定な投球が続き、宮西尚生やルーキーの河野秀数にセットアッパーの座を譲ることもあった。最終的に3年連続の50試合登板、そして史上最速(192試合)での100ホールドを達成した[8]ものの、シーズン終盤に持ち直したとはいえ防御率、ホールド数共に前年に比べて数字を大幅に落とした。

2014年も開幕早々に武田久が離脱したことで抑えに回った。序盤はリードを守りきれない場面が目立ち、6月には4試合連続で失点するなど投球が安定せず[9]、一時は新外国人のマイケル・クロッタが守護神を務めていた。後半戦は25試合でわずか2失点と精彩を取り戻し、自己最多となる23セーブを記録した。8月16日の埼玉西武ライオンズ戦では、野手を使い切ったことから延長11回に4年振りに打席に立つ場面も見られた(結果はセカンドゴロ)[10]

2015年は開幕から抑えとして君臨し自身初となる30セーブを挙げ、福岡ソフトバンクホークスデニス・サファテとセーブ王争いを演じたが最終的には競り負け、それでも自己最多の39セーブとなった。10月9日には第1回WBSCプレミア12の最終ロースター28名に選出された[11]

2016年2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された[12]。シーズン開幕当初は抑えとして活躍するが、3勝2敗10セーブ、防御率6.30と大きく悪化し、6月20日に一軍登録を抹消された。その後の抑えはクリス・マーティンに譲り、7月9日に栗山英樹監督は増井を先発に転向することを明言した[13]。8月4日の千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で2010年以来先発として登板し、5回を投げて無失点に抑えた。同月25日のロッテ戦(QVC)ではプロ入り初めて完投を記録し、9月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)で初めての完封勝利を成し遂げた。先発8登板のうち5勝をあげ、シーズン最終試合の9月30日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)では引退登板の武田勝のあとを受けて登板し、1失点ながらも救援勝利をあげて自身初の2桁勝利を達成し、10勝10セーブをマークした。10勝10セーブをマークするのは、2000年に小林雅英が達成して以来の快挙となった[14]。結局9月は5試合に登板して5勝0敗、防御率1.10、1完封を記録し、9月度の猛烈な追い上げによるチームのリーグ優勝に大いに貢献、自身初の月間MVPに選出された[15]。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[16]

選手としての特徴[編集]

オーバースロー[17]からリリーフとして起用された際の平均球速約149km/h[18]、最速155km/h[19]ストレートと落差の大きいフォークボールを軸に、スライダーカーブも混ぜる[19]

人物[編集]

出身の焼津はマグロで有名なため、練習用のグラブにはマグロのマークが刺繍されている[6]

増井自身の甲子園出場は無いが、弟二人が静岡高と静岡商高で出場経験がある[19]

東京都内で暮らす佳奈夫人と4歳と2歳(2016年9月29日現在)の息子がいる。2016年12月第3子(女の子)を出産予定。シーズン中は離れ離れで過ごすので、スマートフォンでのテレビ電話機能で連絡を取り合う。第2子誕生の時に送られた夫人手作りのお守りを肌身離さず持っている[20]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2010 日本ハム 13 13 0 0 0 3 4 0 0 .429 274 60.0 62 9 31 0 4 34 5 0 31 29 4.35 1.55
2011 56 0 0 0 0 0 4 0 34 .000 216 53.2 38 2 19 1 0 58 3 1 11 11 1.84 1.06
2012 73 0 0 0 0 5 5 7 45 .500 298 71.2 65 2 25 2 0 65 4 0 26 22 2.76 1.26
2013 66 0 0 0 0 4 4 4 28 .500 273 63.0 71 3 16 1 3 63 2 0 28 26 3.71 1.43
2014 56 0 0 0 0 5 6 23 10 .455 243 58.0 47 5 24 4 1 59 5 0 16 16 2.48 1.22
2015 56 0 0 0 0 0 1 39 4 .000 238 60.0 44 1 19 0 0 71 4 1 11 10 1.50 1.05
2016 30 8 2 1 0 10 3 10 1 .769 333 81.0 71 5 26 2 3 71 3 0 22 22 2.44 1.20
NPB:7年 350 21 2 1 0 27 27 83 122 .500 1875 447.1 398 27 160 10 11 425 26 2 145 136 2.74 1.25
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

  • 月間MVP:1回(投手部門:2016年9月)
  • パ・リーグ特別表彰:1回 (2012年[21]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
節目の記録
その他の記録
  • シーズン45ホールド:2012年 ※パ・リーグ記録。
  • シーズン50ホールドポイント:2012年(救援勝利5+45ホールド) ※パ・リーグ記録。

背番号[編集]

  • 43 (2010年 - 2011年)
  • 19 (2012年 - )

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 広報やいづ2011年4月1日号 焼津市役所
  2. ^ オリックス8位・川端崇義「26歳、遅咲きルーキー」 ~ルーキーたちの軌跡No.6~ 二宮清純責任編集SPORTS COMMUNICATIONS 2012年1月31日付
  3. ^ サンケイスポーツ 日本ハム・増井が結婚「野球に打ち込める環境整った」
  4. ^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/20/kiji/K20110720001248160.html 馬原が球宴辞退 ハム2年目右腕が代役で初出場] スポーツニッポン 2011年7月20日付記事
  5. ^ 馬原の“代役”増井 全球直球勝負!150キロ台連発 スポーツニッポン 2011年7月23日付記事
  6. ^ a b 日刊スポーツ大阪版・特報版 2012年5月7日付 6版5面「久離脱で守護神大役ドキドキ F増井プロ初S」より
  7. ^ 新守護神・増井プロ初セーブ「これからも激しい投球で」 - スポニチ,2012年5月7日
  8. ^ “ハム増井が史上最速100ホールド”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年8月21日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130821-1176530.html 2014年2月20日閲覧。 
  9. ^ ハム5度目サヨナラ負け…守護神・増井「疲れてはない」スポーツニッポン 2014年6月23日付記事
  10. ^ ハム珍プレー 満塁機で「4番ピッチャー増井」 野手使い切り…スポーツニッポン 2014年8月17日付記事
  11. ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月9日) 2015年10月9日閲覧
  12. ^ 3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月15日) 2016年2月17日閲覧
  13. ^ 不振で2軍落ちの日本ハム・増井、先発転向 栗山監督が明言 デイリースポーツ 2016年7月9日
  14. ^ 増井10勝10S 00年のロッテ・小林雅以来 スポニチアネックス 2016年10月1日付記事
  15. ^ 2016年9月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ)”. 日本野球機構. 2016年10月7日閲覧。
  16. ^ 11月に東京ドームで開催する侍ジャパン強化試合に出場する選手28名が決定 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2016年10月18日) 2016年10月18日閲覧
  17. ^ [http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=029-20121022-01 “森繁和の投手考察 今週の考察対象/増井浩俊[日本ハム]”]. 週刊ベースボールONLINE. (2012年10月16日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=029-20121022-01 2016年7月18日閲覧。 
  18. ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2014年、90頁。ISBN 978-4-905411-17-8
  19. ^ a b c 侍ジャパントップチーム選手紹介/増井浩俊(北海道日本ハムファイターズ) 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月25日) 2016年5月1日閲覧
  20. ^ “『よかったね』日本ハム・増井が奮い立った夫人・佳奈さんの言葉”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2016年9月29日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20160929/fig16092905010019-n1.html 2016年9月29日閲覧。 
  21. ^ ホールドと、ホールドポイントの両方でパ・リーグのシーズン新記録を樹立したため[1]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]