橋上秀樹
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東京ヤクルトスワローズ 二軍チーフコーチ #78 | |
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![]() 楽天コーチ時代 (2015年、東京ドームにて) | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 千葉県船橋市 |
生年月日 | 1965年11月4日(53歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、捕手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト3位 |
初出場 | 1988年6月25日 |
最終出場 | 1999年10月2日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチを務めている。
経歴[編集]
現役時代[編集]
安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手に転向。主に守備固めや代打のほか、左投手のときにはスタメンで登場することが多かった。
1992年に、自己最多出場。日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とジョニー・パリデスと共にラッキボーイ的存在になり活躍した。翌年以降も主に控えではあったが右の代打として活躍。96年オフに金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍。
1998年、小笠原道大と共に左右の代打の切り札として活躍。しかし翌年不振に終わりオフに戦力外通告を受ける。 なお、日本ハム時代の応援歌は森範行の流用で、退団後の2000年からはチャンステーマとして使用されている。
2000年には野村克也監督に請われ阪神タイガースへ移籍したが、一軍出場できず同年限りで現役を引退。
引退後[編集]
引退後、現役時代から副業でやっていたゴルフショップ「ゴルファーズマート甲子園」の経営に勤しみつつ[1]、東京ドームの日本ハム戦中継の解説者も務めていた。
2005年、新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが野村克也の監督招聘を計画していた為、野村の野球理論を理解しているコーチを招聘していた。既に入団していた松井優典に請われる形で、二軍外野守備・走塁コーチに就任。シーズン途中に一軍外野守備・走塁コーチに昇格、2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。
2009年に、野村の退任と同時に楽天を退団。野村は著書の中で打者分析や相手投手のクセの把握、戦術選択など意見交換できたし、よく支えてくれたと記している[2]。
楽天コーチ退任後は日刊ゲンダイで「ヘッドコーチだけが知っている野村楽天の真実」というコラムを連載するなど野球評論家として活動しつつ、2010年にはスカイ・エー楽天キャンプわしづかみで数回解説者として出演。シーズン中のスカイ・Aスタジアム楽天戦の野球解説者も務めた。
2011年に、ベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。チーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが、同年限りで退団[3]。
同年11月1日、読売ジャイアンツの一軍戦略コーチに就任した。当時のゼネラルマネージャー清武英利の肝煎りで設立された戦略室の中心となる[4]。就任1年目の2012年は、狙い球を絞っての見逃し三振を容認することで四球を増やし、チームの出塁率を改善させた。同年の日本シリーズではコーチ登録を外れた。代わりに二軍監督の川相昌弘がベンチコーチ登録されてベンチに入った。
11月5日に、野球日本代表の戦略コーチを務める事が発表された[5]。11月13日に、背番号が「75」となった事が発表された[6]。
2014年より一軍打撃コーチに転任。3連覇に貢献した。同年シーズン終了後、球団に退団を申し出た[7]。
10月29日、楽天のヘッドコーチに復帰することが発表された[8]。2015年シーズン最終戦終了後、翌10月7日に退団[9]。
2015年10月13日に2016年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍作戦コーチに就任する事が発表された[10]。 2017年からは、一軍野手総合コーチ(ヘッドコーチ格)に就任することになった。2018年は、一軍作戦コーチに肩書が変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後、辞任が発表された。
2018年10月30日、2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任することが発表された[11]。1996年オフに日本ハムへトレードされて以来26年ぶりの古巣復帰となる。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1988 | ヤクルト | 35 | 18 | 16 | 9 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | .125 | .176 | .188 | .364 |
1989 | 42 | 54 | 52 | 10 | 18 | 1 | 1 | 1 | 24 | 4 | 4 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | .346 | .358 | .462 | .820 | |
1990 | 25 | 26 | 22 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 7 | 1 | .227 | .346 | .318 | .664 | |
1991 | 59 | 215 | 195 | 29 | 56 | 9 | 2 | 5 | 84 | 17 | 5 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | 3 | 45 | 4 | .287 | .347 | .431 | .778 | |
1992 | 107 | 205 | 176 | 24 | 40 | 5 | 2 | 6 | 67 | 18 | 5 | 3 | 1 | 1 | 27 | 0 | 0 | 37 | 6 | .227 | .328 | .381 | .709 | |
1993 | 49 | 121 | 105 | 11 | 32 | 5 | 0 | 1 | 40 | 15 | 5 | 0 | 1 | 2 | 13 | 1 | 0 | 17 | 1 | .305 | .375 | .381 | .756 | |
1994 | 7 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
1995 | 34 | 67 | 57 | 7 | 17 | 4 | 0 | 2 | 27 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 8 | 2 | .298 | .403 | .474 | .877 | |
1996 | 16 | 27 | 24 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 2 | .167 | .259 | .208 | .468 | |
1997 | 日本ハム | 40 | 53 | 45 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 12 | 0 | .200 | .321 | .222 | .543 |
1998 | 91 | 94 | 83 | 11 | 25 | 3 | 0 | 1 | 31 | 12 | 5 | 2 | 1 | 1 | 9 | 1 | 0 | 20 | 2 | .301 | .366 | .373 | .739 | |
1999 | 38 | 37 | 28 | 9 | 6 | 2 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 7 | 0 | .214 | .389 | .393 | .782 | |
通算:12年 | 543 | 924 | 810 | 114 | 215 | 32 | 6 | 17 | 310 | 86 | 28 | 13 | 8 | 4 | 98 | 3 | 4 | 177 | 19 | .265 | .346 | .383 | .729 |
記録[編集]
- 初出場:1988年6月25日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、8回裏に中堅手として出場
- 初先発出場:1988年7月5日、対横浜大洋ホエールズ13回戦(明治神宮野球場)、8番・中堅手として先発出場
- 初安打:1988年7月10日、対中日ドラゴンズ11回戦(ナゴヤ球場)、7回表に米村明から二塁打
- 初打点:1989年10月2日、対横浜大洋ホエールズ23回戦(横浜スタジアム)、2回表に大門和彦から2点適時三塁打
- 初本塁打:1989年10月7日、対中日ドラゴンズ24回戦(ナゴヤ球場)、1回表に米村明から先頭打者本塁打
背番号[編集]
- 31 (1984年 - 1992年)
- 7 (1993年 - 1996年)
- 28 (1997年 - 1999年)
- 48 (2000年)
- 78 (2005年 - 2009年、2011年、2015年、2019年-)
- 73 (2012年 - 2014年、2016年 - 2018年)
関連情報[編集]
著書[編集]
- 『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』(2010年5月28日、日本文芸社)
- 『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則(2010年11月30日、日本文芸社)
- 『そのとき野村が考えていたこと 野村克也の野球論、人材育成・組織術』(2011年2月5日、洋泉社)
- 『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』(2011年4月20日、双葉社)
脚注[編集]
- ^ 橋上秀樹 『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』日本文芸社、2010年、102頁。
- ^ 野村克也著、野球のメキキ 観戦力が高まる本、2012年、東邦出版、P153
- ^ 橋上秀樹監督退任のお知らせ - 2011年10月24日
- ^ 【巨人】清武GM「戦略室」の新設を発表 日刊スポーツ 2011年11月2日
- ^ 侍ジャパン コーチ人事について NPB公式サイト (2012年11月5日) 2015年4月15日閲覧
- ^ 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧
- ^ 巨人、川口コーチ退任 橋上コーチは退団 日刊スポーツ 2014年10月19日
- ^ http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201410/20141030_14021.html[東北楽天 橋上氏がヘッドコーチ復帰] 河北新報 2014年10月30日
- ^ http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/5766.html[来季のコーチ契約に関して] 楽天公式サイト 2015年10月7日
- ^ “2016年度 コーチングスタッフ発表!”. 埼玉西武ライオンズ公式サイト. 2015年10月13日閲覧。
- ^ “コーチ契約について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2018年10月30日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 橋上秀樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
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