鳥谷敬

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鳥谷 敬
阪神タイガース #1
HT-Takashi-Toritani.jpg
2008年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都東村山市
生年月日 (1981-06-26) 1981年6月26日(36歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手三塁手二塁手
プロ入り 2003年 自由獲得枠
初出場 2004年4月2日
年俸 4億円(2017年)
※2015年から5年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年

鳥谷 敬(とりたに たかし、1981年6月26日 - )は、阪神タイガースに所属する東京都東村山市出身のプロ野球選手内野手)。NPB史上50人目の一軍公式戦2000本安打達成者で、NPB史上15人目の1000四球達成者。2010年シーズンには、遊撃手としてのNPB一軍公式戦シーズン最多打点も記録している。

阪神への入団後には、2010年と2011年に選手会長、2012年・2016年に野手キャプテン、2013年から2015年までチームキャプテンを務めた[注釈 1]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

3兄弟の長男として出生した後に、白梅女子短期大学付属幼稚園、東村山市立八坂小学校から羽村市へ移住。羽村市立小作台小学校に転校した。小学生の時には、東村山ジュニアメッツや小作台少年野球クラブに所属しながら、柔道でも活躍。得意技は背負い投げ体落とし大外刈りで、東村山市の大会で優勝したり、東京都大会でベスト8に入ったりするほどの実力の持ち主であった。

元々は左利きだが、右利きに矯正されたため、小学生時代には右打ちだった。しかし、左手に箸を持ちながら弁当を食べている姿を見た当時の監督から、「左で打ったほうが良い」と言われたことをきっかけに左打ちの練習を開始。羽村第一中学校への進学を機に瑞穂シニアへ加入すると、野球へ専念するとともに、1年時から本格的に左打ちへ転向した。当時は、地元球団である西武ライオンズのファンで、秋山幸二に憧れていたという。

中学生時代に両膝の成長痛で苦しんだことから、中学校からの卒業を機に野球を辞める予定だった。実父からの説得を受けて後に翻意したが、聖望学園高校へ進学してからも、1年生の夏までは野球部の練習を視察するだけにとどめていた[3]。しかし、1年生の秋に入部すると、たちまちレギュラー二塁手の座を確保。3年夏の第81回全国高等学校野球選手権大会では、遊撃手兼投手として、チームを史上初めて阪神甲子園球場の全国大会出場へ導いた。チームはこの間に、全国高等学校野球選手権埼玉大会の準決勝まで、3試合連続で9回逆転サヨナラ勝利を挙げている。全国大会では、日田林工高校との初戦で2安打2打点をマーク。投手としてリリーフ登板すると、ストレートで最速143 km/hを計測したが、チームは初戦で敗退した。

高校3年生だった1999年の秋には、西武へ入団することを視野に、日本学生野球協会プロ志望届を提出した。NPBのドラフト会議でどの球団からも指名されなかったため、早稲田大学野球部のセレクションを受験したところ、当時監督だった野村徹から高い評価を受けて合格。この年から同大学が設けたスポーツ推薦入学枠の第1号になった。ちなみに、鳥谷が入団を希望していた西武には、3年夏の選手権埼玉大会で対戦した埼玉栄高校大島裕行がドラフト3位で指名。対外試合通算86本塁打(当時の高校最多記録)の実績を背景に、入団へ至っている[4]

早稲田大学では、1年時から正遊撃手に抜擢。東京六大学野球のリーグ戦では、在学中の全試合にスタメンで起用されるとともに、主に3番打者を任された。鳥谷を抜擢した野村によれば、同大学における6年間の監督生活で、1年生からリーグ戦の全試合に出場させた選手は鳥谷だけという[4]。実際には、同期の青木宣親比嘉寿光由田慎太郎などと共に、3年時の春季から4年時の秋季までチームのリーグ戦4連覇に貢献。遊撃手としても、通算で5回ベストナインに選ばれた。2年時の春季リーグでは、後藤武敏に並ぶリーグ史上最速タイ記録で三冠王を獲得。4年時には、春季リーグ戦で当時のリーグ最多四死球(19)を記録すると、秋季リーグで2度目の首位打者を獲得した。在学中には、リーグ戦で通算96試合に出場。打率.333(345打数115安打)、11本塁打、71打点を記録。通算115安打は、2017年の春季リーグ終了時点で、早稲田大学の選手としての歴代2位に当たる。4年時には、第32回日米大学野球の日本代表メンバーとして、アメリカへの遠征も経験[5]。その一方で、人間科学部スポーツ科学科の学生として、『打撃動作における下肢の筋電図解析』というテーマで卒業論文を執筆している[6]

大学4年生だった2003年のNPBドラフト会議で、自由獲得枠を通じて、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という最高条件で阪神タイガースに入団した。担当スカウトは菊地敏幸で、「日本一の遊撃手を獲得する」という球団の強い意向から、前述した日米大学野球のアメリカ遠征にも同行していた[3]

この会議に際しては、かつて入団を希望していた西武をはじめ、大学の1年先輩・和田毅を前年(2002年)に自由獲得枠で入団させた福岡ダイエーホークス[3]読売ジャイアンツ(巨人)横浜ベイスターズも鳥谷の獲得を目指していた。しかし、内野手として土のグラウンドでのプレーを望んでいた鳥谷[4]は、「お金で自分の将来を決めたくない。そんな人間だと思われるのが一番嫌だ」とコメント[7]。大学4年時の東京六大学秋季リーグ戦の前に、上記の球団で唯一、本拠地(甲子園球場)の内野グラウンドに土を使用する阪神への入団を決意した[3]

プロ入り後[編集]

2004年、大物新人選手としてキャンプオープン戦から注目されたことで、藤本敦士とポジションを争った。7番遊撃手で開幕先発出場し、プロ初安打を記録したが、その後は結果を出せず、開幕5試合でスタメンを外れ、6試合目からは藤本に正遊撃手を譲った。シーズン前半は主に代打三塁手に出場機会が限られ、77打数13安打・打率.169とプロの壁に苦しんだ。藤本がアテネオリンピック野球日本代表としてチームを離れた8月と藤本が不振に陥った9月中旬からシーズン終了までは再び遊撃手として先発出場する機会を得て、シーズン後半は158打数46安打・打率.291と持ち直し、最終的に打率.251、3本塁打、17打点に終わった。

2005年、藤本が二塁手コンバートされ、開幕から遊撃手として全試合出場。2番を打っていた藤本と関本健太郎の打撃不振によりセ・パ交流戦以降は2番打者に定着。打率.278、9本塁打、52打点の成績を残し、サヨナラ本塁打を2本放つなどチームの優勝に貢献。自身初のオールスターゲームにも出場し、千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズにも出場した。シーズン終了後には、高校の1年先輩で、野球部のマネージャーだった女性と結婚している。

2006年、シーズン前半は主に7番遊撃手、シーズン後半は6番遊撃手として全試合フルイニング出場。6月1日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で愛敬尚史から逆転2ラン本塁打、2日の対福岡ソフトバンクホークス戦では斉藤和巳からソロ本塁打とタイムリー二塁打、3日の対ソフトバンク戦では藤岡好明からサヨナラ安打を放ち、3日連続でヒーローインタビューに立った。ファン投票選出で2年連続でオールスターゲームに出場。9月前半まで打率3割台を維持したが、シーズン最終盤に成績を落とし、最終成績は打率.289、15本塁打、58打点だった。9月に長男が誕生。

2007年赤星憲広に代わり主に1番打者として全試合出場したが好不調の差が激しく、打率.273、10本塁打、43打点と打撃成績が前年よりも落ち込んだ。7月24日の対中日ドラゴンズ戦で遊撃手として340試合連続フルイニング出場のプロ野球記録を樹立し、9月28日の398試合まで記録を伸ばしたが、25日の試合で受けた死球の影響で翌29日に途中交代した。同年オフにレーシック手術を受け視力が回復した[8]

2008年、開幕から「6番・遊撃手」として一軍公式戦に出場。シーズン前半は3割を超える打率で、勝負強さも見せた。夏場に新井貴浩が離脱した際には3番や5番に入ったが調子を落とした。不調だった今岡誠が9月に復帰した後は再び6番に戻り、打率.281、13本塁打、自己最多の80打点を記録。10月19日のクライマックスシリーズ対中日戦では1試合2本塁打を放った。守備では簡易RF5.13を記録したが、ゴールデングラブ賞受賞はならなかった[9]。同年は自身2度目の全試合フルイニング出場も達成してベストナインを初受賞。9月13日に次男が誕生。

2009年、開幕から「3番・遊撃手」として一軍公式戦に出場。4月終了時点で90打数30安打14打点と好調だったが、5月に不調に陥り、打順も7番に降格し、チャンスで代打を送られるなど苦しんだ。シーズン後半は完全復調して打順も3番に戻り、打率.288、自身初の20本塁打、75打点を記録。安打、得点、打率、長打率OPSはチーム1位。守備でも遊撃手としてリーグトップの守備率.990を記録した。これは平田勝男1986年に記録した.988を上回る球団記録でもあった。11月26日、引退した赤星の後継としてチーム選手会長に就任した。

2010年、前年に続いて、開幕から「3番・遊撃手」として一軍公式戦に出場。5月にマット・マートンと交錯し腰椎を骨折した後、成績を落とし、4試合スタメン離脱。6月から7月まで1番打者を務め、3番に戻った8月から一気に調子を上げ、赤星の持っていた球団月間安打記録を更新する43安打を放つなど、月間打率.422、OPS 1.151の活躍で月間MVPを初受賞した。また、7月20日の対広島東洋カープ戦で球団史上初となる延長戦での逆転サヨナラ本塁打を放った。10月2日の対広島戦で、遊撃手としてプロ野球史上初となるシーズン100打点を記録。10月5日の対東京ヤクルトスワローズ戦でプロ通算1000本安打を達成。シーズンを通して打率.301、19本塁打、104打点と自己最高の成績を残し、リーグトップの得点圏打率.360、満塁打率.500を記録するなど勝負強さも見せて2年ぶり2度目のベストナインを受賞。7月2日に長女が誕生。

2011年、開幕から「3番・遊撃手」に定着。5月15日の対中日戦で打球処理の際に右手人さし指の爪を裂傷し途中交代。翌週から始まったセ・パ交流戦では遊撃守備を上本博紀に譲り、5月28日に守備復帰するまで指名打者や代打で出場した。5月22日の対西武戦で通算1000試合出場を達成。この年に導入された統一球の影響もあり本塁打・打点は前年の半分以下に落ちたものの、2年連続の打率3割越え(打率.300・リーグ4位)を記録し、OPSはリーグ3位、RC27はリーグ2位をマーク。RCWINでは自己最高の数値を記録するなど、傑出度では過去最高の成績だった。また三塁打7・四球78・出塁率.395はいずれもリーグトップで、自身初のタイトルとなる最高出塁率を獲得した。上述の怪我で守備ができない時期もあったが、3年連続失策一桁台、自身の持つ球団記録を更新する守備率.991を記録して、ゴールデングラブ賞を初受賞、2年連続3度目となるベストナインも受賞した。9月3日に国内フリーエージェント (FA) 権を取得したが行使せず残留した。

2012年、チームがキャプテン制を導入したのに伴い、野手キャプテンに選ばれた。シーズンでは阪神で唯一全試合出場を果たし、成績は打率.262、8本塁打、59打点と昨年より大きく打率を落としたが、自身最高の94四球を記録し高出塁率は維持した。8月には海外FA権を取得。「メジャーへの思いはあります」とメジャーリーグ挑戦志向があることを公言し、「メジャーか残留かは正直、五分五分」とまで話した[10]が、前年と同じくFA権を行使せずに残留を表明。「いろんな可能性を残して、自分を奮い立たせてやりたい」と年俸2億8,000万円の単年契約で契約更改した[11]。オフの12月4日に発表された第3回WBC日本代表候補選手34人に入った[12]

2013年、シーズン前に開かれたWBCの日本代表に選出[13][14][15]。日本代表の強化試合およびWBCの本選では、本職である遊撃手以外の内野手の層が薄いチーム編成の下で、公式戦での経験がほとんどない二塁手や三塁手としても多く起用された。2次ラウンドの対チャイニーズタイペイ戦(東京ドーム)で1点ビハインドの9回表1死から四球で出塁すると、2死後に打者・井端弘和の場面で二盗に成功。直後に井端の適時打で同点のホームを踏み、延長10回・4対3で日本代表が勝利したのに貢献した。翌日の対オランダ戦には、それまでの本選で無安打だったにもかかわらず、出塁率の高さや前述の盗塁を買われてリードオフマンとして先発出場。初回に先頭打者本塁打を右翼に放った。この一打をきっかけに、チームはWBC1試合最多記録タイの17安打・6本塁打の猛打を見せ、16-4で大会規定による7回コールド勝ち。3大会連続の決勝ラウンド進出を決めた。決勝ラウンド準決勝の対プエルトリコ戦(サンフランシスコAT&Tパーク)では、1番二塁手として8回裏の打席で三塁打を放つと、次打者・井端の適時打で日本代表唯一の得点を挙げたが、チームは1対3で敗退した。

レギュラーシーズンでは、藤川のメジャーリーグ移籍に伴いチームキャプテンに選ばれ、3番遊撃手として公式戦への出場を継続。7月7日の対広島戦(マツダスタジアム)で、2004年9月9日の対ヤクルト戦(甲子園)からの連続試合出場記録がNPB歴代単独3位の1251試合に達した[16]。また、オールスターゲームには、セントラル・リーグのファン投票・遊撃手部門で選出[17]。同ゲーム前最後のリーグ戦であった7月17日の対巨人戦(甲子園)[18]から9月16日の対ヤクルト戦(神宮)までは、球団史上最長・リーグ歴代3位タイの47試合連続出塁を記録した[19]。8月30日の対広島戦(甲子園)で、自身初にして、阪神の遊撃手では1980年の真弓明信以来33年振りに4番で起用された[20]。10月以降は3番に戻ったものの、公式戦ではリーグ最多および球団新記録の104四球を記録し、2年連続フルイニング出場を達成した[21]。2011年以来2度目となるゴールデングラブ賞を両リーグ最多投票で受賞[22]、通算4度目となるベストナインも受賞し、DELTA算出のUZRで遊撃手1位の26.4、1000イニングあたりのUZR/1000では2位の20.4を記録[23]、同社算出の選手総合評価指標WARでは両リーグ1位の8.0を記録した[24]。シーズンオフには「優勝できなかったということがあるし、チームの方に必要とされた」と話し、年俸3億円の単年契約で契約更改した[25]

2014年、背中の張りを訴えてオープン戦を数試合欠場[26]したが、開幕戦であった3月28日の対巨人戦(東京ドーム)では、公式戦では2007年以来7年振りに「1番・遊撃手」としてスタメンに起用[27]。4月には、30日の対広島戦(甲子園)2回裏に適時打で出塁すると、マウロ・ゴメスの本塁打によるホームインで月間30得点の球団新記録を達成した[28]。5月29日の対西武戦(甲子園)では、現役選手では最も若い32歳11か月で、一軍公式戦通算1500本安打を記録[29]。レギュラーシーズン全体では、自己最高の打率.313、出塁率.406という成績を残した。また、NPBの遊撃手としては初めて、公式戦3年連続フルイニング出場を達成。藤村富美男と並ぶ球団タイ記録および、NPB史上4位に相当する10年連続全試合出場も成し遂げた[30]

なお、シーズン終了後には、海外FA権を行使することを宣言[31]。代理人にスコット・ボラスを立てたうえで、MLB球団への移籍を目指した。宣言後の交渉では、複数の球団が獲得に興味を示した。しかし、条件面で折り合いがつかなかったため、阪神への残留を表明した[32]

2015年、春季キャンプ直前の1月22日に、推定年俸4億円(1億円増)という条件で5年契約を締結した[33]。鳥谷はこれに関して「阪神で終われたら」と、公の場で初めて「生涯虎」を誓った[34]。レギュラーシーズンでは、9月3日の対広島戦(甲子園)で、球団歴代3位の通算1740安打を達成[35]。4年連続の公式戦全試合フルイニング出場を達成するとともに、シーズン終了後には、3年連続6度目のベストナインを受賞した。通算6度目のベストナイン選出は、藤田平に並ぶ球団2位の記録である[36]

その一方で、シーズン終了後には、2012年までのチームメイトだった金本知憲が一軍監督に就任。金本からゴメス・福留孝介と並んでレギュラー野手の座を早々に確約される[37]一方で、「数字(成績)、実績、年齢、年数をすべて考えても、(金本自身が把握する限りでの鳥谷の能力に比べれば)物足りない。お前が変わらないと、チームも変わらない」という表現を通じて、打撃フォームの改造や長打力をあげるための体重増、意識改革を求められた[38]

2016年、投手・野手別のキャプテン制度が4年振りに復活したことから、チームキャプテンから野手キャプテンに変更[2]。金本監督による構想の下で、「6番・遊撃手」として公式戦をスタート[39]。4月24日の対広島戦(マツダスタジアム)で、NPB一軍公式戦600試合連続フルイニング出場を達成した。この記録は、NPBの野手では史上4人目、遊撃手のみで公式戦に出場した選手としては初めてであった[40]。しかし前半戦では、プロ入り後自己ワーストの28打席連続無安打に陥ったり[41]、4番と9番以外の全打順でスタメン出場を経験したりする[39]など総じて不振。4年振りにオールスターゲームへの出場を逃した。後半最初の試合であった7月18日の対巨人戦(甲子園)では、NPB一軍公式戦通算1102三振を喫するとともに、阪神の選手による一軍公式戦での通算最多三振記録を更新[42]。結局、シーズンの通算打率は、プロ入り後最低の.236にとどまった。本塁打数(7本)や盗塁数(13)は例年とほぼ同じ水準だったものの、通算打点は36で、入団1年目に次ぐ少なさだった。

また、7月24日の対広島戦(マツダスタジアム)でスタメンを外れたことによって、2011年10月24日の同カードから始まった一軍公式戦での連続試合フルイニング出場記録は667試合で途切れた[43]。この試合以降、代打からの途中出場が相次いだが連続試合出場は継続した。北條史也が遊撃手として頭角を現したことから、9月3日の対横浜戦(甲子園)では「6番・三塁手」としてスタメンに起用された。三塁手としての一軍公式戦出場は2004年9月11日の同カード(横浜)、スタメンでの起用は同年6月20日の対巨人戦(東京ドーム)以来12年振り[44]。この試合を境に、鳥谷を三塁手、北條を遊撃手としてスタメンで起用するパターンが定着した。鳥谷自身は、シーズン終了後に、2017年から遊撃一本で北條と再び競い合うことを金本に直訴している[45]

9月30日の対巨人戦(甲子園)では、出場機会のないまま7回裏2死から強い降雨で試合が中断。試合自体は5回裏終了の時点で成立していたため、雨天コールドゲームへ至った場合には、自身の連続試合出場記録が1750試合で途切れる可能性があった。しかし、11分間の中断を経て試合が再開されると、8回表から三塁手として出場[46]。チームのレギュラーシーズン最終戦であった翌10月1日の同カードでは、「6番・三塁手」としてのフル出場によって、上記の記録を1752試合にまで伸ばしている。

2017年、春季一軍キャンプから北條との間で正遊撃手争いを展開したが、金本監督は北條をキャンプの「筆頭MVP」に選出する[47]一方で、鳥谷には「北條に7対3で勝っても遊撃のレギュラー(として起用すること)はない」と通告[48]。鳥谷は、オープン戦で二塁手や三塁手にも起用された後に、プロ14年目で初めて一軍公式戦の開幕を三塁手として迎えた[49]

レギュラーシーズンでは、開幕戦から三塁手として一軍公式戦へのスタメン出場を続けた結果、4月19日の対中日戦(ナゴヤドーム)で連続出場試合数が1767試合に到達。金本が現役時代に達成した1766試合連続出場記録を上回るとともに、一軍公式戦における連続出場試合数で、衣笠祥雄の2215試合に次ぐ単独2位に浮上した[50]

5月24日の対巨人戦(甲子園)に「6番・三塁手」としてスタメンで出場したことによって、連続試合出場記録が1794試合にまで到達した。しかし5回裏の第2打席で、吉川光夫が投じた144km/hのストレートが顔面の右側付近を直撃した影響で昏倒。丹波幸一球審がこの投球を危険球と宣告したため、吉川が退場処分を受けたほか、鳥谷も鼻からの出血が止まらないままグラウンドを後にした[51]。試合後の診察で鼻の骨が折れていることが判明した[52]が、翌25日の同カード[53]以降の試合にも、フェイスガードをつけながら代打や三塁手として出場を継続。セ・パ交流戦では、6月6日の対オリックスバファローズ戦(京セラドーム大阪)3回表の打席で金子千尋からシーズン2号本塁打(3点本塁打)を放ったことによって、交流戦通算350安打(NPBの一軍交流戦における個人最多安打記録)を達成した[54]。さらに、球団からのノミネート選手としてセ・リーグの三塁手部門に名を連ねたオールスターゲームのファン投票では、リーグ全部門で最も(パ・リーグ全部門を含めれば3番目に)多い471,327票を獲得。三塁手としては初めての出場を果たした[55]

9月8日の対DeNA戦(甲子園)では、2回裏1死1塁で迎えた第1打席で、NPB史上50人目の一軍公式戦通算2000本安打を井納翔一からの右中間適時二塁打で達成した[56]。達成までに要した出場試合数は1956試合で、NPB実働14年目での達成は、ドラフト制度導入後の1965年以降に新人扱いでNPBの球団と契約した日本人選手における最速記録[57]。新人時代から一貫して阪神に在籍した野手では、1983年に後楽園球場の対巨人戦で記録した藤田平以来2人目だが、甲子園球場での達成は球団史上初めてである[58]。翌9日の対DeNA戦(甲子園)では、第4打席まで凡退したものの、延長12回裏2死満塁で迎えた第5打席で通算2001本目の安打をサヨナラ安打で記録した[59]。レギュラーシーズンの最終戦であった10月10日の対中日戦(甲子園)で4打数4安打以上の記録を残せば、シーズンの最終打率が3年振りに3割へ達する可能性があった[60]が、実際には4打数無安打で終了(最終打率は.293)。その一方で、NPB史上15人目の一軍公式戦通算1000四球を達成した[61]。さらに、シーズン終了後には、セ・リーグの三塁手部門でゴールデングラブ賞に選ばれた。遊撃手部門では過去に4回受賞しているが、三塁手部門での選出は初めてである。

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

2006年から2010年までの通算の対右打率.300に対し対左打率.262と左投手を苦手とし、特に左投手の落ちる球を苦手としていた[62]。しかし2011年からは通算の対左打率.280を記録している。

2013年に両リーグ最低のボール球スイング率[63]、リーグ最多の78四球で最高出塁率のタイトルを獲得した2011年以降3年連続でリーグ最多四球を記録している。2013年には、球団記録の104四球を達成した。

守備・走塁[編集]

新人合同自主トレにて行った100メートル走では12秒台だったが、50メートル走では5秒75を記録した[注釈 2]。しかし、一塁への到達タイムが4.17秒にとどまるなど、走力は左打者として平均のレベルにある。

守備では、2016年の途中まで遊撃手として起用。2013年のWBCでは、チーム事情から二塁や三塁も守った。高校時代には投手として140 km/h台を記録し、プロ入り後初めてブルペンで投げた2012年の春季キャンプでは134 km/hを記録した[65]。三遊間の打球に強い[66]レンジファクター[9] は、2008年では高い数値を記録した[67]が、2011年ではリーグ最低だった[68]。 2009年から守備コーチを務めた久慈照嘉の指導の下、安定性を増して守備率も向上させ[69]、2006年には490補殺でセ・リーグのシーズン最多補殺記録、2008年にはリーグ16年ぶりの5点台となる簡易RF5.13を記録し、2010年には両リーグ2位のUZR11.7を記録[70]。2012年にも守備イニング1,000以上の遊撃手で両リーグ4位のUZR10.4を記録[71]。また2013年にはDELTA社算出のUZRで遊撃手両リーグ1位の28.9を記録している[23]

2014年以降は、遊撃手としてのUZRが急速に低下。同年には、DELTA社算出のUZRで-8.1[72]、データスタジアム社算出のUZRで-5.3(一軍公式戦で400イニング以上出場した遊撃手としてのリーグワースト2位)を記録した[73]。2015年には、UZRが-20.4にまで低下[74]。遊撃の守備で精彩を欠くプレーが相次いだ[75]こともあって、2016年の途中からは三塁手に転向している。鳥谷自身は、一軍公式戦通算2000安打を達成した際に、ある方向の打球が見えにくくなっていることを告白。2016年のオフシーズンに病院で診察を受けたところ、ストレスが原因であることが判明したため、以降のトレーニングでは身体全般の動きに意味を持たせることを心掛けているという[76]

評価[編集]

2013年には野球選手の総合評価指標WARにおいて阿部慎之助に次ぐ2位を記録する[77]。またベストナインを6回、ゴールデングラブ賞を4回獲得した。  

人物[編集]

2人の弟も、自身と同じ聖望学園高校へ進学すると、野球部に所属。長弟の司も内野手で、東京農業大学を経て、ヤマハ硬式野球部社会人野球日本選手権大会出場を経験した。2011年限りで現役を引退してからは、同部のマネジャーを3年間務めた後に、社業へ専念している[78]。一方の末弟は、鳥谷が早稲田大学の3年生だった2002年に、病気の影響でプレーの断念を余儀なくされた[79]

聖望学園高校時代の同級生に、ファッションモデルフォトグラファーとして活動するアルナ(成松阿留奈)がいる。阪神入団後の2016年には、成松が連載を担当する「MENS+ LIFE(雑誌『MENS CLUB』のオンライン版)の企画で、成松との対談が実現した[79]

早稲田大学の人間科学部に在籍していた時期から、食事の管理を徹底させている[4]。阪神への入団当初に居住していた選手寮「虎風荘」のスタッフによれば、鳥谷は当時から、カップラーメンや白砂糖を使用した缶コーヒーなどを口にしたことがないという[80]。またグルテンフリーという小麦類を断つ食事法を徹底[81]し、ケガをしない体づくりに努めていた。シーズンオフには毎年ファスティング(断食)で体をリセットしている[82]

大学時代には、当時の監督だった野村が1度も怒ったことがないほど、練習や食事の管理へ熱心に取り組んでいた[4]。2年時には、東京六大学野球の春季リーグ戦で三冠王を獲得したものの、秋季リーグ戦では不振を極めた。自身や弟の学費を捻出するために両親が共働きを強いられていたこともあって、将来のMLB挑戦を視野に、NPBの球団で野球を続けることを本格的に意識。当時住んでいた野球部合宿所の自室から、テレビをはじめ、野球に必要のない私物をすべて排除したという[83][84]

阪神3年目の2006年4月からは、打率3割の達成を目標に掲げながら、プロ野球シーズン中に『日刊スポーツ』(大阪本社発行版)で「ロード to 3割」というモノローグ形式のコラムを月に1回のペースで独占的に連載。自身の打撃について月単位で解説する企画で、2010年シーズンに初めて3割を達成してからも、タイトルを「3番道」「向上心」と変えながら続いている。

前述したように、2017年5月24日の対巨人戦で顔面付近に死球を受けたが、鼻と頬骨を黒色のフェースガードを覆いながら翌25日の試合前練習に参加。さらに、金本に対して、スタメンでの出場を直訴した。現役選手時代に連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立した金本は、鳥谷の鼻が骨折の影響で大きく腫れていることなどを考慮したうえで直訴を却下[85]。結局、同日の巨人戦と翌26日の対DeNA戦(甲子園)には、鳥谷にフェースガードを着用させたうえで代打に起用した[53][86]

社会奉仕活動[編集]

2009年にチーム全体で取り組んだ、ペットボトル飲料のキャップ(エコキャップ)を800個集めることでポリオワクチン1本と交換できる福祉活動の一環として、鳥谷自らエコキャップ数千個を持参し、芦屋市内の幼稚園に寄付した[87]

2010年、2011年、2013年のシーズンオフに大阪市立大学付属病院の小児科を慰問しており、その後の訪問にも意欲を見せている[88]

2015年4月には、フィリピンなどの貧しい子どもたちに靴を送る活動を行う一般社団法人「レッドバード」の創設に関わった。2014年12月に野球教室を開くためグラブ100個を持参してマニラを訪れた[89][90]ところ、現地の子どもたちの多くが裸足だったのを見て「必要なのはグラブではなく靴だ」と感じたことがきっかけであった。自らも「レッドバード」に理事として参加している。

阪神球団も、以上の活動を高く評価。2015年には、球団から第5回若林忠志賞を授与された[91]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 阪神 101 261 235 28 59 13 0 3 81 17 2 2 2 0 21 1 3 66 6 .251 .320 .345 .665
2005 146 646 572 82 159 27 1 9 215 52 5 5 10 4 53 3 6 115 11 .278 .343 .376 .719
2006 146 609 543 65 157 28 2 15 234 58 5 3 4 0 60 1 2 111 10 .289 .362 .431 .793
2007 144 642 565 67 154 19 4 10 211 43 7 4 8 1 63 2 5 106 8 .273 .350 .373 .724
2008 144 605 523 66 147 17 6 13 215 80 4 7 5 5 68 2 4 85 10 .281 .365 .411 .776
2009 144 617 538 84 155 31 2 20 250 75 7 7 5 4 65 0 5 83 13 .288 .368 .465 .833
2010 144 651 575 98 173 31 6 19 273 104 13 3 2 5 66 1 3 93 14 .301 .373 .475 .848
2011 144 590 500 71 150 28 7 5 207 51 16 3 3 5 78 0 4 72 10 .300 .395 .414 .809
2012 144 624 515 62 135 22 6 8 193 59 15 4 5 8 94 2 2 91 12 .262 .373 .375 .748
2013 144 643 532 74 150 30 4 10 218 65 15 7 1 2 104 1 4 65 12 .282 .402 .410 .812
2014 144 644 550 96 172 28 2 8 228 73 10 6 1 4 87 3 2 80 14 .313 .406 .415 .821
2015 143 646 551 69 155 21 4 6 202 42 9 6 2 3 89 2 1 77 8 .281 .380 .367 .747
2016 143 533 449 49 106 16 1 7 145 36 13 3 1 6 75 0 2 80 12 .236 .344 .323 .667
2017 143 570 488 57 143 23 3 4 184 41 8 7 1 2 77 3 2 62 13 .293 .390 .377 .767
NPB:14年 1974 8281 7136 968 2015 334 48 137 2856 796 129 67 50 49 1000 21 45 1186 153 .282 .372 .400 .772
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績所属リーグ内順位[編集]























2004 23 セ・リーグ - - - - - - - -
2005 24 - - 9位 - - - - -
2006 25 - - 9位 - - - - 9位
2007 26 - 10位 - 3位 - - - 8位
2008 27 - - - 3位 - 7位 - 4位
2009 28 - - 7位 - - - 8位 6位
2010 29 - 6位 9位 3位 - 4位 - 4位
2011 30 4位 7位 2位 1位 - - 1位 1位
2012 31 - 9位 - 2位 - 10位 5位 1位
2013 32 9位 5位 3位 2位 - 9位 4位 1位
2014 33 7位 7位 - 10位 - 9位 3位 2位
2015 34 7位 4位 - 4位 - - 4位 2位
2016 35 - - - - - - - 6位
2017 36 8位 - - 8位 - - 4位 5位
  • -は10位未満(打率、出塁率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)

WBCでの打撃成績[編集]

















































O
P
S
2013 日本 7 22 15 4 4 1 1 1 13 2 1 0 2 1 4 0 0 2 0 .267 .400 .667 1.067

年度別守備成績[編集]



三塁 遊撃
























2004 阪神 30 13 34 0 1 1.000 52 69 101 4 16 .977
2005 - 146 201 477 10 86 .985
2006 - 146 213 490 21 100 .971
2007 - 144 196 446 11 81 .983
2008 - 144 263 476 15 107 .980
2009 - 144 204 467 7 80 .990
2010 - 140 205 443 7 98 .989
2011 - 136 192 389 5 66 .991
2012 - 144 215 468 12 77 .983
2013 - 144 213 476 4 98 .994
2014 - 144 208 363 5 77 .991
2015 - 143 207 380 14 63 .977
2016 17 8 36 2 1 .957 118 156 286 10 42 .978
2017 138 80 190 9 10 .968 -
通算:14年 185 101 260 11 13 .957 1693 2473 5161 121 975 .984

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録
  • 連続試合出場:1895試合(2017年シーズン終了時点、歴代2位)[92] ※2017年4月19日の対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)で1767試合連続試合出場を達成したことによって、歴代2位に浮上。
  • 遊撃手連続試合フルイニング出場:398試合(2005年 - 2007年) ※日本記録
  • 連続試合フルイニング出場:667試合(2012年3月30日 - 2016年7月23日)※歴代4位記録
  • 遊撃手シーズン最多打点:104(2010年) ※日本記録
  • 遊撃手シーズン最多補殺:490(2006年) ※セ・リーグ記録
  • シーズン100四球(2013年) ※史上21人目
  • シーズン四球:104(2013年) ※球団記録
  • 月間安打:43(2010年8月) ※球団記録
  • 連続試合出塁:47(2013年7 - 9月)※球団記録およびセ・リーグ歴代3位タイ記録
  • 月間得点:30(2014年4月) ※球団記録
  • オールスターゲーム出場:7回(2005年、2006年、2012年 - 2015年、2017年)
  • 13年連続シーズン100安打(2017年8月12日)※球団記録

背番号[編集]

  • 1 (2004年 - ):2013年シーズンをもって、阪神の歴代選手の中で一番長くこの番号を背負った選手となった。

登場曲[編集]

代表歴[編集]

関連情報[編集]

出演[編集]

CM
2008年12月 - 「上新電機2009賀正・今年もJoshin・初売り」に出演
2009年12月 - 「上新電機平成二十二年虎年・虎夢セール・元旦から」に出演
2010年1月 - 「上新電機平成二十二年虎年・虎夢セール・開催中」に出演
2011年1月 - 「上新電機『企業』今年もJoshin・初売・元旦から営業」    
「上新電機『企業』今年もJoshin・お年玉セール・開催中」に出演 
2011年12月 - 「上新電機『企業』今年もJoshin・初売・最新家電・元旦から営業」に出演
2012年1月 - 「上新電機『企業』今年もJoshin・お年玉セール・最新家電・開催中」に出演
テレビ
「伝統の巨人-阪神戦SP」に出演。先攻の阪神側・後攻の巨人側が交互に深イイ話を紹介し深イイの数で勝敗を競うという特別ルールの下、阪神側が勝利した。掛布雅之江川卓と共演
桧山進次郎浅井良と共演。「タイガースの選手なら知ってて当たり前クイズ」にて全問不正解を記録し、罰ゲームとして2010年シーズン1回目のヒーローインタビューの時、最後に「あとジャイケルマクソンもよろしく」と言うことを約束させられ、4月30日のヒーローインタビューにて実行した。
「にらめっこバトル」にて3名のお笑い芸人相手に一回も笑わず、涌井秀章に対し勝利を収めた。
「猛虎がMLBを語る」に出演。金本知憲新井貴浩と共演・対談
濱中治関本賢太郎と共演・対談
  • 熱血!!タイガース党(サンテレビ)系: 2012年12月07日
  • WBC三連覇へ日本の誇り (TBS)系: 2013年3月7日
  • カワスポ (毎日放送): 2013年3月30日
アナウンサー・河田直也と対談
「アニキの部屋」に出演。 金本知憲と共演・対談
スペシャルゲストとして生出演
  • THE GOLDEN BATTLE 2013 絶対にありえない究極のスペシャルマッチ(フジテレビ)系: 2013年12月24日
「プロ野球VSソフトボール上野」に出演。自身は上野由岐子相手に番組史上初のマルチ安打を記録するも敗北。中田翔糸井嘉男と共演
  • 熱血!!タイガース党(サンテレビ)系: 2014年2月7日
福本豊湯浅明彦と対談
  • 虎バン(朝日放送):2014年2月16日
「鉄人対談」にて金本知憲と対談
赤星憲広と対談
  • 虎バン(朝日放送):2015年3月21日
「Cross over」にて阪神タイガースファンで俳優佐藤隆太と対談

出版物[編集]

著書[編集]

その他[編集]

  • 鳥谷 敬(阪神タイガース)カレンダー 2011年(株式会社ハゴロモ):2010年12月
  • 鳥谷敬 BASEBALL LOG BOOK 1981-2011(株式会社パムズ):2011年8月
  • 鳥谷 敬(阪神タイガース)カレンダー 2012年(株式会社ハゴロモ):2011年12月
  • 鳥谷 敬(阪神タイガース)カレンダー 2013年(株式会社ハゴロモ):2012年12月
  • 鳥谷 敬(阪神タイガース)カレンダー 2014年(株式会社ハゴロモ):2013年12月
  • 鳥谷 敬(阪神タイガース)カレンダー 2015年(株式会社ハゴロモ):2014年12月

漫画[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 阪神では、2012年と2016年に、投手・野手別のキャプテン制度を敷いていた。しかし、鳥谷は、2016年限りでキャプテンを勇退。同年の投手キャプテンだった福原も現役を引退したことから、2017年にはこの制度を再び廃止する代わりに、チームキャプテン制度を復活させる(参照)。[2]
  2. ^ 鳥谷は「50メートルはこれまで6秒台。なにかの間違い」と語っている。また5秒75は日本記録であるが、鳥谷のタイムは非公式の手動計時である[64]

出典[編集]

  1. ^ 阪神・鳥谷、レギュラー再奪取へ決意「ふがいないシーズン」振り返る/タイガース”. デイリースポーツオンライン (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  2. ^ a b 虎・金本監督、鳥谷を5年連続野手キャプテンに指名「自覚もって」SANSPO.COM 2015年12月7日、2016年9月7日閲覧。
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  4. ^ a b c d e 鳥谷西武ファンも入団決め手は「土」/早大恩師寄稿 日刊スポーツ、2017年9月9日。
  5. ^ 第32回 日米大学野球選手権大会 オールジャパンメンバー全日本大学野球連盟
  6. ^ 広島川口、早大先輩の鳥谷抑えたい!! 日刊スポーツ、2009年12月19日。
  7. ^ 楊枝秀基 『阪神タイガースのすべらない話』 フォレスト2545新書、2014年、46頁。
  8. ^ 鳥谷1号逆転V弾!止まらぬ勢い開幕5戦連続H スポーツニッポン、2010年6月30日閲覧。
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  11. ^ 阪神鳥谷9年目初ダウンも気合の一発更改 日刊スポーツ、2012年12月8日
  12. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
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  15. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  16. ^ 【阪神】鳥谷が連続出場記録で単独3位 日刊スポーツ、2013年7月7日
  17. ^ 阪神鳥谷、球宴でも伝説の盗塁を再現 日刊スポーツ、2013年6月25日
  18. ^ 鳥谷4番の仕事!セ4位45戦連続出塁デイリースポーツ、2013年9月14日
  19. ^ 【阪神】鳥谷、連続試合出塁47で止まる 日刊スポーツ、2013年9月17日
  20. ^ 【阪神】鳥谷、真弓氏以来遊撃4番も不発 日刊スポーツ、2013年8月30日
  21. ^ 虎鳥谷2年連続フル出場&球団新104四球 日刊スポーツ、2013年10月9日
  22. ^ 2013年第42回ゴールデングラブ賞 結果・投票数
  23. ^ a b 『セイバーメトリクスマガジン2』デルタクリエイティブ、2013年11月7日、P.182
  24. ^ 『セイバーメトリクスマガジン2』デルタクリエイティブ、2013年11月7日、P.220
  25. ^ 阪神・鳥谷2000万増の3億円で単年契約 デイリースポーツ、2013年12月12日
  26. ^ 鳥谷、背中の張りで欠場 阪神ベストオーダー一度も試せず スポーツニッポン、2014年3月22日
  27. ^ 和田監督、開幕オーダー「決まった」1番鳥谷3番西岡 スポーツ報知、2014年3月20日
  28. ^ 阪神鳥谷4月30得点の球団新記録日刊スポーツ、2014年4月30日
  29. ^ 阪神鳥谷 現役最年少1500安打達成 日刊スポーツ、2014年5月30日
  30. ^ 鳥谷3年連続フルイニング出場達成 日刊スポーツ、2014年3月22日
  31. ^ 鳥谷の代理人に超敏腕ボラス氏決定 デイリースポーツ、2014年11月13日
  32. ^ 阪神、鳥谷残留が正式決定! 和田監督「いい結論を出してくれた」 サンケイスポーツ、2015年1月9日
  33. ^ 優勝したい気持ちより強く/鳥谷一問一答 nikkansports.com(日刊スポーツ)、2015年1月23日
  34. ^ 日刊スポーツ 大阪版 2015年1月23日付1面
  35. ^ 阪神鳥谷が球団歴代3位1740安打!和田監督超えnikkansports.com(日刊スポーツ)、2015年9月3日
  36. ^ 阪神福留、06年以来ベストナイン 鳥谷3年連続nikkansports.com(日刊スポーツ)、2015年11月24日
  37. ^ 阪神・金本監督 納会で「鳥谷、福留、ゴメス以外ポジション空いてる」東京スポーツ、2015年11月24日
  38. ^ 阪神金本新監督、鳥谷よ変われ!全て物足りなさすぎnikkansports.com(日刊スポーツ)、2015年10月21日
  39. ^ a b 阪神「不動」の遊撃・鳥谷 打順「浮動」の皮肉 産経WEST、2016年5月31日
  40. ^ 阪神鳥谷600試合連続フルイニング出場 遊撃手初 nikkansports.com(日刊スポーツ)、2016年4月25日
  41. ^ 鳥谷&ゴメス復活打 リーグ再開黒星発進も光明見えた スポーツニッポン、2016年6月25日
  42. ^ 阪神鳥谷最悪発進、致命的野選に球団史上最多三振日刊スポーツ、2016年7月19日
  43. ^ 阪神・鳥谷スタメン落ち 連続フルイニング出場667試合でストップ 東スポWeb 2016年7月24日
  44. ^ 阪神鳥谷12年ぶり三塁守備 6番三塁で先発 日刊スポーツ 2016年9月3日
  45. ^ 鳥谷、来季は遊撃で勝負!金本監督に直訴していた 将「同じなら若い方でいく」 デイリースポーツ 2016年12月7日
  46. ^ 鳥谷 降雨中断で連続試合出場途切れる危機も…サヨナラ勝ちに貢献スポーツニッポン 2016年9月30日
  47. ^ “金本監督絶賛!北條がキャンプ筆頭MVP「かなり完ぺき」”. スポーツニッポン. (2017年3月1日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/03/01/kiji/20170301s00001173112000c.html 2017年3月3日閲覧。 
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  51. ^ “阪神鳥谷、歴代2位連続出場ピンチ 顔面付近に死球”. 日刊スポーツ. (2017年5月25日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1829057.html 2017年5月25日閲覧。 
  52. ^ “頭部死球の阪神鳥谷は鼻骨骨折 抹消せず練習参加”. 日刊スポーツ. (2017年5月25日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1829349.html 2017年5月25日閲覧。 
  53. ^ a b ““バットマン”鳥谷、六回に代打で登場 甲子園大歓声!連続出場記録も更新”. デイリースポーツ. (2017年5月25日). https://www.daily.co.jp/tigers/2017/05/25/0010223273.shtml 2017年5月25日閲覧。 
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  60. ^ “阪神鳥谷10日中日戦で4の4以上なら打率3割締め”. 日刊スポーツ. (2017年10月9日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201710090000367.html 2017年10月16日閲覧。 
  61. ^ = 日刊スポーツ “阪神鳥谷が通算1000四球、史上15人目の偉業”. (2017年10月10日). https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171010-00024981-nksports-base = 日刊スポーツ 2017年10月11日閲覧。 
  62. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、55頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  63. ^ 『2014プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2014年、127頁。ISBN 978-4-905411-17-8
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]