高木豊

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高木 豊
Yutaka Takagi on February 5, 2012.jpg
DeNAコーチ時代(2012年2月5日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県防府市
生年月日 (1958-10-22) 1958年10月22日(58歳)
身長
体重
173 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手左翼手
プロ入り 1980年 ドラフト3位
初出場 1981年4月9日
最終出場 1994年7月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

高木 豊(たかぎ ゆたか、1958年10月22日 - )は、山口県防府市[1][2]山口市生まれ[3][4])出身の元プロ野球選手内野手外野手、右投左打)・コーチ野球解説者タレント

経歴[編集]

山口県山口市で生まれる[4][5]。父親の仕事の都合で転居が多く[5]福岡県鹿児島県愛媛県→福岡県→北海道帯広市へと転居を繰り返すが[3][4][5]、中学3年の2学期に母方の郷里である山口県防府市へ単身で移り住む[5]。転勤族のため、せめて高校時代は転校なしで済ませたいという両親の配慮であった[5]。野球では中学3年時に北北海道地区で頭角を現し、多々良学園高校に進学。1年春からレギュラーとなり[5]、1年秋の秋季大会では3番・エースとして中国大会まで進むが[5]、2回戦で小林誠二広島西武)を擁する広島工高に完封負け[5]。結局高校時代は甲子園出場を果たせなかった[5]。卒業後は中央大学へ進学し、名将・宮井勝成の指導を受ける。東都大学リーグでは1979年に1年上のエース・香坂英典を擁し、春季リーグで5年ぶりに優勝。同年の日本選手権でも決勝で早大を降して優勝し、同年から2年連続で日米大学野球の代表にも選出された。リーグ通算107試合出場、402打数115安打、打率.286、2本塁打、28打点。ベストナイン4回。115安打は藤波行雄の133安打に次いでリーグ歴代2位。

1980年のドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団し、1年目の1981年は二軍監督の須藤豊に鍛えられる。2年目の1982年より二塁手のレギュラーに定着し、1983年から4年連続で打率3割を記録。1984年に56盗塁で盗塁王を獲得すると、1985年には監督の近藤貞雄の発案で加藤博一屋鋪要と共に「スーパーカートリオ」を結成。同年より山下大輔が二塁手、高木が遊撃手にコンバートされる。1987年からは高橋雅裕の台頭に伴い、元の二塁手に戻る。1983年に一時は右打ちに取り組みスイッチヒッターとなったが、右打席の状態が思わしくなく、すぐに左打ち一本に戻している[6]1990年は打率.323でリーグ2位。1992年巨人戦において通算300盗塁を達成。また、失敗も多く、盗塁成功率.643は300盗塁以上で歴代ワーストである。1992年オフの契約更改で年俸の交渉がまとまらず(3年連続3割でアップを主張する高木に対して、球団は前年より貢献度が下がったことを理由にダウン提示)、年俸調停を申請。この結果、高木は球団の提示額よりわずかな上積みを勝ち取ったが、これが翌年の解雇の要因になったのは間違いないと高木は後に語っている。「横浜ベイスターズ」に球団名を変更した1993年は、二塁手のロバート・ローズの入団により、開幕から三塁手として出場したが、弱肩および石井琢朗進藤達哉の成長もあり、間も無く一塁手にコンバートされる。閉幕まで全試合に出場したが同年オフ、チームの若返り策の一環として屋鋪、山崎賢一ら多くのベテラン選手とともに自由契約を通告される(同オフから導入のFA制度で巨人から移籍した駒田徳広獲得の為の資金調達の犠牲となったとする報道もあった)。1994年の所属先については、当初中日ドラゴンズ入りが内定したものの、後に白紙撤回となった[7]挙句、結局日本ハムファイターズに入団した。日本ハムでは左翼手としてプレーしたが、低調な成績に終わり、チームも10年ぶりの最下位に低迷、同年オフに現役を引退。監督の大沢啓二は、著書の中で高木について「横浜を自由契約となった高木を獲得したんだが、あいつはもっとやれると思っていた。けど、やっぱり力が衰えてたんだなあ。打線のブレーキになっちまった。」と記している[8]。現役時代は2度退場処分を受けた。

引退後はサンミュージックと契約し、芸能人に転身。ドラマや歌番組・料理番組に出演し、朴訥なキャラクターとして活躍する。1997年よりフジテレビ解説者となり、野球評論を中心に活動。2001年には横浜の一軍内野守備・走塁コーチに就任するが、ミーティングの内容を喋るなど監督の森祇晶から不評を買い、1年で辞任。2002年からはフジテレビ解説者の活動を再開し、プロ野球中継ベンチ解説などの傍ら、2004年にはアテネオリンピック日本代表の内野守備・ 走塁コーチを務めた。2012年、ヘッドコーチとしてこの年DeNAに親会社が変更になったベイスターズに復帰。中畑清がDeNA監督時代招聘した唯一のコーチが高木である[9]。2012年9月15日神宮球場で行われた対ヤクルト戦で監督の中畑が当時3塁塁審だった深谷篤審判員に暴力行為を働いて退場処分を受けた事に伴い、試合終了まで監督代行を担当した[10]。2012年は最下位に低迷し、2013年からは一軍チーフ兼打撃コーチを担当したが、10月9日に球団からコーチ契約を更新しないことが発表されたため退団した[11]。なお、横浜DeNAからの退団を機に、公式ブログを開設。2014年からは、フジテレビで三たび解説者を務める[12]。2017年からはSTVラジオの解説者にも就任。

人物[編集]

長男の高木俊幸浦和レッズ)、次男の高木善朗東京ヴェルディ)、三男の高木大輔東京ヴェルディ)は、いずれも東京ヴェルディ1969の下部組織出身のプロサッカー選手であり、ユース時代から揃って年代別日本代表に選出されるなど、「高木三兄弟」として注目されていた[13]。そのこともあって、『すぽると!』出演時には、「サッカー通の野球解説者」として、野球解説だけでなくサッカー解説を担当することもある。なお、高木自身もサッカーの名門校多々良学園(現在の高川学園)出身である。また、3兄弟の父親であるが、俊幸は男児が1人、善朗は男児が2人おり、未だに、子供、孫、共に、高木家は女児が誕生していない。

2005年1月より男性用かつらメーカー・アートネイチャー「ヘア・フォーライフ」のCMキャラクターを務め、出演するテレビCMが放送されていた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 大洋
横浜
88 156 141 18 31 6 0 0 37 7 6 3 2 1 12 1 0 29 2 .220 .279 .262 .542
1982 104 315 277 36 72 12 4 7 113 33 6 2 5 1 31 0 1 62 4 .260 .335 .408 .743
1983 125 548 465 73 146 22 5 12 214 49 27 22 20 3 56 4 4 72 6 .314 .390 .460 .850
1984 117 524 443 76 133 20 4 11 194 39 56 28 7 4 66 4 4 51 6 .300 .393 .438 .831
1985 125 577 488 105 155 33 5 11 231 50 42 20 5 1 77 3 6 50 6 .318 .416 .473 .889
1986 126 531 468 63 145 37 5 1 195 29 24 16 6 5 50 2 2 81 8 .310 .375 .417 .793
1987 127 560 509 75 148 24 5 12 218 52 21 10 8 5 36 0 2 68 4 .291 .337 .428 .765
1988 114 489 416 67 125 21 3 7 173 46 29 14 9 4 59 1 1 45 6 .300 .385 .416 .801
1989 127 567 497 71 138 29 2 5 186 31 32 17 6 0 61 6 3 72 6 .278 .360 .374 .734
1990 118 475 406 61 131 21 3 10 188 55 13 8 4 4 57 5 4 57 3 .323 .408 .463 .871
1991 131 588 490 81 163 30 2 4 209 62 24 14 7 6 76 6 9 55 7 .333 .427 .427 .853
1992 131 599 500 76 150 32 2 5 201 39 24 12 10 7 81 5 1 62 7 .300 .394 .402 .796
1993 130 557 489 53 131 21 0 3 161 42 9 7 7 3 57 1 1 80 9 .268 .344 .329 .673
1994 日本ハム 65 225 193 22 48 8 0 0 56 11 8 5 3 0 28 0 1 32 5 .249 .347 .290 .637
通算:14年 1628 6711 5782 877 1716 316 40 88 2376 545 321 178 99 44 747 38 39 816 79 .297 .378 .411 .789
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:1989年6月13日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤ球場)、6回表に今中慎二から右前安打 ※史上156人目
  • 1000試合出場:1989年8月1日、対阪神タイガース14回戦(阪神甲子園球場)、1番・二塁手として先発出場 ※史上288人目
  • 300盗塁:1992年8月19日、対読売ジャイアンツ20回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:木田優夫、捕手:吉原孝介)  ※史上22人目
  • 1500本安打:1992年8月27日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、8回表に伊東昭光から中前安打  ※史上60人目
  • 300二塁打:1993年6月27日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、5回表に山田喜久夫から二塁打 ※史上30人目
  • 1500試合出場:1993年7月8日、対読売ジャイアンツ13回戦(東京ドーム)、3番・一塁手として先発出場 ※史上107人目

背番号[編集]

  • 16 (1981年、1994年)
  • 3 (1982年 - 1993年)
  • 85 (2001年)
  • 77 (2012年 - 2013年)

関連情報[編集]

出演番組[編集]

※特記ない限り、フジテレビ系列の番組

著書[編集]

単著[編集]

監修[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『スポーツ人名事典新訂第3版』、2002年
  2. ^ 日本経済新聞出版社 著作一覧
  3. ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』P210に掲載のプロフィール
  4. ^ a b c 『12球団全選手カラー百科名鑑2002』P235に掲載のプロフィール
  5. ^ a b c d e f g h i 大道文『プロ野球人国記・中国編』ベースボールマガジン社、2004年、220頁。
  6. ^ スイッチヒッターであった1983年の対阪神タイガース戦で、同点で迎えた9回裏2死満塁で、左投手の山本和行に対し、通常なら右打席に入るところを左打席に入り、セーフティースクイズを成功させた。この試合を契機に右打席を捨てて、左打席一本に絞ったとされる。
  7. ^ 【11月8日】1993年(平5) 旧大洋の顔を大リストラ 横浜流FA参戦 -スポニチ
  8. ^ 大沢啓二『球道無頼』(集英社、1996年)、P239。
  9. ^ こんな最下位監督、見たことない 中畑ウオッチャー惜別の思い -スポニチ
  10. ^ 試合後、『誰にでも間違いはあるが、あの判定は俺でも納得がいかない。アイツ(深谷)は審判を辞めた方がいい』と名指しで深谷審判員を強く批判している。
  11. ^ 2014年度コーチ契約について横浜DeNAベイスターズ球団公式サイト2013年10月9日配信
  12. ^ 高木豊オフィシャルブログ2014年1月15日付記事
  13. ^ 高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 〜プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ〜 -NumberWeb: 2011年6月29日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]