八重樫幸雄

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八重樫 幸雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市
生年月日 (1951-06-15) 1951年6月15日(67歳)
身長
体重
180 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1969年 ドラフト1位
初出場 1971年5月26日
最終出場 1993年10月31日
(日本シリーズ第6戦)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • ヤクルトスワローズ
    東京ヤクルトスワローズ (1991 - 2008)

八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ監督野球解説者

経歴[編集]

仙台商高では1年生の時に一塁手、七番打者として1967年夏の甲子園に出場。2回戦で、この大会に優勝した習志野高に敗れる。翌1968年から捕手となり、夏の甲子園予選では東北大会準決勝で東北高と対戦するが、エース佐藤政夫に抑えられ惜敗。1969年夏の甲子園には四番打者として出場。2回戦では広陵高佐伯和司投手を打ち崩し、仙台商高は夏の甲子園で初のベスト8まで駒を進めるが、準々決勝で玉島商に敗退した。

1969年のドラフト1位でヤクルトアトムズに入団。契約金1000万円、年俸144万円は当時の高卒新人の上限額であった[1]。東北球界始まって以来の大型捕手と評されたが、監督別所毅彦は即座に外野手転向を指令。更に1971年から指揮を執った三原脩監督には三塁手へのコンバートを命じられた。大型捕手を内外野に移そうとした最大の理由は同期入団で大学出の大矢明彦の存在があり、正捕手不在[2]のチームは鉄砲肩の即戦力捕手を起用することになり、育成に時間のかかる高校出の捕手に構っていられる時間はなかったためである。若手の頃は細身でフットワークのある俊足の選手で、天性のバッティングセンスを生かすために首脳陣はコンバートを急いだ。そのため、1973年1974年は選手登録も外野手として行われ[3]、投手以外のポジションは全部やったという。

1975年捕手登録に戻ると、控え捕手として徐々に出場機会を増やし、1977年には58試合にマスクを被って打率.267、6本塁打の成績を残す。しかし、チームが初優勝した1978年の4月下旬の巨人戦で本塁クロスプレイ走者と交錯して左膝靱帯を損傷し、長期入院によりシーズンを棒に振ってしまう[1]。その後一軍に復帰して試合前の打撃練習で打席に入ろうとした時に、監督・広岡達朗からの「お前は打たなくていい」という一言で戦力として扱われていない悔しさを味わい、そこから打撃フォームを研究する。1979年は再び捕手として58試合に出場するとともに、入団以来初めての二桁本塁打となる10本塁打を打って復活を果たした。しかしその後、乱視のために眼鏡をかけるようになると、背中側から落ちてくるカーブが見えづらくなり、2割前後の低打率に苦しんだ[1]

1983年中西太がヘッドコーチ兼打撃コーチに就任すると、二人三脚グリップを下げ投手と完全に正対するほどの極端なオープンスタンスの構えを会得する。この独特の打撃フォームは「八重樫打法」とも呼ばれた[1]。この年、衰えが目立ち始めた大矢に代わって正捕手に座り、打っても16本塁打、45打点をマークした。翌1984年入団15年目にして初めて100試合以上となる124試合に出場し、監督推薦でオールスターにも初出場する。選出直後、7月15日の巨人17回戦(後楽園)でファウルチップで右手人さし指にひびが入るケガをしたが「代打ならいける」と強行出場した。なお、この年は自己最高の18本塁打を放っている。入団16年目の1985年には打率3割(.304)を記録してリーグ打撃成績10位に入るとともに、念願のベストナインに輝く。

その後、1987年まで正捕手を務めるが、1988年秦真司が正捕手に定着すると、右の代打の切り札的存在になる。1990年6月22日には21年目で通算100本塁打を達成するが、これは通算100本塁打のスロー記録(所要在籍年数で1位タイ)となった。前年夏から用意されていた花束生花から造花に変わっていたという。また、本塁打が出ても出迎えることのない監督の野村克也が「お祝いごとやからな」と特別にベンチから出て祝福している。1991年からは一軍バッテリーコーチ兼任となり、1993年に現役引退。実働23年、42歳まで現役を続けた。

現役引退後はヤクルトの二軍バッテリーコーチ(1994年 - 1995年)、一軍バッテリーコーチ(1996年)、二軍監督兼バッテリーコーチ(1997年 - 1998年)、一軍打撃コーチ(1999年 - 2008年)を歴任。入団以来40年間ヤクルト一筋であり、一軍打撃コーチ時代には岩村明憲青木宣親田中浩康を育てた。

2009年からはコーチの職を離れ、スカウトに就任[4]

2016年11月2日に退団[5]。なお同年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となった[6]2017年からは東北放送(TBCテレビ)の野球解説者としても活動する。2017年5月28日放送の東北楽天対埼玉西武戦に出演。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1971 ヤクルト 7 12 11 0 2 0 0 0 2 0 0 1 0 0 1 0 0 4 0 .182 .250 .182 .432
1972 38 58 46 4 9 2 1 1 16 7 0 0 2 0 8 0 2 16 2 .196 .339 .348 .687
1973 20 21 17 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 2 0 1 5 0 .000 .150 .000 .150
1974 8 12 10 2 2 0 0 1 5 1 0 0 0 0 2 0 0 5 0 .200 .333 .500 .833
1975 29 40 33 2 6 1 0 1 10 1 0 2 1 0 5 1 1 11 1 .182 .308 .303 .611
1976 36 61 54 7 10 2 0 1 15 1 0 1 0 0 6 0 1 21 1 .185 .279 .278 .556
1977 60 191 176 24 47 9 0 6 74 18 0 1 2 0 11 1 2 48 2 .267 .317 .420 .738
1978 22 69 60 4 11 1 0 1 15 3 0 0 1 0 6 0 2 15 2 .183 .279 .250 .529
1979 74 203 173 24 36 3 0 10 69 27 0 0 2 1 18 0 9 55 2 .208 .315 .399 .714
1980 63 124 113 12 24 7 0 3 40 13 1 2 0 0 6 0 5 35 3 .212 .282 .354 .636
1981 71 183 164 8 28 2 0 3 39 15 0 3 2 1 13 0 3 42 3 .171 .244 .238 .482
1982 73 212 186 11 34 6 0 5 55 14 0 0 1 1 22 6 2 47 0 .183 .276 .296 .572
1983 97 294 264 27 67 8 1 16 125 45 0 0 3 3 20 5 4 43 7 .254 .316 .473 .789
1984 124 447 398 50 100 19 2 18 177 58 1 1 4 4 39 2 2 76 11 .251 .321 .445 .766
1985 120 481 427 57 130 28 3 13 203 68 2 3 6 4 42 2 2 72 10 .304 .366 .475 .842
1986 119 400 365 26 79 11 0 6 108 23 0 2 7 4 21 3 3 86 12 .216 .262 .296 .558
1987 120 437 400 35 112 18 1 9 159 47 2 5 5 5 24 4 3 69 16 .280 .322 .398 .719
1988 53 102 92 7 24 5 0 2 35 11 0 0 0 1 9 3 0 17 2 .261 .324 .380 .704
1989 55 58 49 4 17 2 0 3 28 17 0 0 0 0 8 1 1 11 1 .347 .448 .571 1.020
1990 54 88 78 6 14 2 0 2 22 13 0 0 0 0 8 1 2 10 3 .179 .273 .282 .555
1991 38 38 33 0 9 1 0 0 10 7 0 0 0 0 5 0 0 5 3 .273 .368 .303 .671
1992 36 38 33 1 8 2 0 1 13 9 0 0 0 3 2 0 0 6 2 .242 .263 .394 .657
1993 31 31 25 1 4 0 0 1 7 2 0 0 0 0 6 0 0 5 4 .160 .323 .280 .603
通算:23年 1348 3600 3207 312 773 129 8 103 1227 401 6 21 36 28 284 29 45 704 87 .241 .309 .383 .692

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1987年6月5日、対中日ドラゴンズ4回戦(明治神宮野球場)、7番・捕手として先発出場 ※史上271人目
  • 100本塁打:1990年6月22日、対阪神タイガース10回戦(阪神甲子園球場)、7回表に秦真司の代打として出場、仲田幸司から右越3ラン ※史上162人目
節目の記録

背番号[編集]

  • 28 (1970年 - 1993年)
  • 77 (1994年 - 2008年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『<八重樫幸雄の球史>フォーム改造し開眼』河北新報 ONLINE NEWS 2017年03月26日
  2. ^ 入団1年目の1970年開幕当初は加藤俊夫(八重樫と同郷で大矢と同学年)が正捕手だったが、シーズン途中で自動車無免許運転の不祥事により球団から謹慎処分を受けた。
  3. ^ 徳永喜夫『ヤクルトスワローズ球団史』ベースボール・マガジン社、1882年
  4. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21
  5. ^ ヤクルト鳥原チーフスカウト、八重樫スカウトら退団 - プロ野球ニュース : nikkansports.com 2016年11月2日
  6. ^ 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]