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三浦大輔

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三浦 大輔
20140316 Daisuke Miura, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
2014年3月16日 横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県橿原市
生年月日 (1973-12-25) 1973年12月25日(42歳)
身長
体重
183 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト6位
初出場 1992年10月7日
最終出場 2016年9月29日
年俸 1億2,500万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜DeNAベイスターズ (2014 - 2016)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2004年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手投手)。愛称は「ハマの番長」。マネジメントはエイベックス・スポーツ

横浜大洋ホエールズへ入団した1992年以降、後継球団の横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズを通じて、一貫して横浜でプレー。「NPBの現役最年長選手および、横浜大洋への在籍経験を持つ最後の選手」として迎えた2016年には、「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録を達成した後に、同年シーズン限りでの現役引退を表明している(詳細後述)。

経歴

プロ入り前

橿原市立真菅北小学校時代、2人の弟[注 1]と共に「真北リトルズ」[1]で活躍する。幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布宅を訪れた縁があり、地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を当時から岡田は評価していた。横浜入団後の2008年に三浦が国内FA権の行使を宣言した際には、岡田がかつて在籍した阪神タイガースから横浜を上回る条件で移籍を打診された。

橿原中学校時代は「北大和シニア」に所属。

高田商業高校に進学。1991年の県大会は春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れ甲子園出場は叶わなかった。

横浜時代

1991年11月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜大洋ホエールズから6巡目で指名され、入団。背番号は「46」。

1992年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム[注 2]に、3番手投手として一軍デビュー。「横浜大洋ホエールズ」としては最後の公式戦で、打者6人を完璧に抑えた。ちなみに、この試合は、エース、遠藤一彦投手の現役引退試合だった。

1993年9月4日の対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利・初完投を記録。

1995年から先発ローテーションに加わって活躍し始め、1997年は初の二桁勝利を挙げる(10勝3敗)。同年7月29日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では5回まで無安打に抑える快投を見せるも、6回に代打を出されて無安打のまま降板した。

1998年から背番号を「18」に変更した。この年は安定感が増し、8月に肝機能障害で1ヶ月離脱するアクシデントはあったが自己最多となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。しかし西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦に先発したものの、6四球を出すなど苦しみ、序盤で降板して敗戦投手となっている。

2000年2001年はチームの生え抜き先発投手陣が不調や配置転換など苦しむ中で安定した成績を収め、押しも押されもせぬエースの座に君臨する。

2002年7月3日の対巨人戦で、投球中に右肘の違和感を訴えて途中降板、同年オフに欠けた骨を取り除く内視鏡手術を行った。また、契約更改では2003年から2008年までの6年契約を結んだ。

2003年は前年受けた手術の影響もあって春季キャンプは二軍スタートとなり、開幕も出遅れる。

2004年に行われたアテネオリンピックでは、日本代表に選ばれて銅メダルを獲得した。

2005年は2001年(11勝)以来となる二桁勝利(12勝)を挙げ、プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率最多奪三振)を獲得した。

2006年野球規則委員会が「二段モーションなどは不正投球とする」という見解を示したことから、日本野球機構もこれを承認した[2]ことでフォーム改造を余儀なくされ、その影響からか前半は勝ち星に恵まれず8勝(12敗)に終わるも9完投、3完封、3無四球完投はいずれもリーグ最多であり、自己最多の216.2イニングと、前年に続き二年連続で200イニング以上を投げた。

2007年6月20日から同年7月27日にかけて35イニング連続無失点を記録し、連続イニング無失点の球団記録を更新(それまでは平松政次の33回1/3)した。また、第9回ゴールデンスピリット賞を受賞している。

2008年オフにFA宣言し、阪神タイガースが獲得に動いたが残留を発表。

2009年は失点、被本塁打ともリーグ最多を記録したが、完投もリーグ最多を記録。2年ぶりの2ケタ勝利となる11勝を挙げた。

2010年11月23日 横浜スタジアム

2010年は開幕前のオープン戦で振るわず開幕直前で2軍落ちとなった。その後1軍に復帰したが、不安定な投球が多く3勝8敗と不振に陥り、1994年以来16年ぶりに投球回数が100イニングを下回った。この年のチームは開幕前の構想から外れた戦いを強いられたことでシーズン中盤までは粘ったが、後半は負け試合がさらに多くなり、3年連続最下位に終わってしまった。中でも自身の不振は大きく響いた。

2011年7月10日の対中日戦(横浜スタジアム)に先発して勝利投手となり、19年連続勝利の球団記録を更新した。この年は開幕当初こそ二軍落ちする不本意な成績であったが、イースタン・リーグでの調整を通して全身を鍛えるために短距離ダッシュを繰り返すなど独自の練習で調整するなか、往年の球威と制球力を取戻して7月に昇格するとシーズン終了まで先発ローテーションを守り抜き、この年のチームで唯一の完投・完封を含む、チーム最多(高崎健太郎と同数)の5勝をマークした。投球回数も規定投球回数には達しなかったものの、2年ぶりに100イニングを超えるなど健在ぶりを発揮した。

2012年には、4月1日の対阪神戦(京セラドーム大阪)で勝利投手となり、横浜DeNAベイスターズとしての球団初勝利となった。7月4日の対巨人戦で、2005年8月23日以来となる2507日ぶりの巨人戦勝利となり、同時に通算150勝を達成した[注 3][3]。通算150勝を挙げて以降は調子を上げて前半戦は8勝をあげ、3年ぶりのオールスターゲームにも出場。チームトップの9勝をあげリーグ最多の6完投を記録。

2013年には、6月12日のが対ロッテ戦(QVCマリン)で3対0で完封勝利し、小山正明の39歳1カ月での球団最年長完封記録を39歳3カ月で更新するなど[4]、チームトップの9勝をあげた。

2014年からは、投手として現役生活を続けながら、一軍の投手コーチを兼任している[5]。この年には、開幕から4連敗を喫した。しかし、7月13日のヤクルト戦で一軍公式戦22年連続勝利(米田哲也に並ぶNPB歴代3位)を達成した[注 4]ことを皮切りに5連勝。チームの後半戦巻き返しに貢献した。8月は1完投を含む3勝0敗、セ・リーグ唯一の防御率1点台(1.20)の活躍で月間MVPに選ばれた[6]。シーズン通算では、5勝6敗と負け越しながら、チーム5位の投球回数を記録した。

2015年には、5月5日の対ヤクルト戦で一軍でのシーズン初登板を果たすと、一軍公式戦23年連続勝利のNPB最長タイ記録(右投手としては新記録)を樹立。5月20日の同カードでは、一軍でのシーズン初安打を放ったことによって、一軍公式戦23年連続安打(NPBの投手新記録)を達成した。さらに、5月27日の対オリックス戦にも勝利したことで、シーズン初登板からの一軍公式戦3連勝を記録。セ・リーグの40代投手では初めて、パシフィック・リーグを含めたNPBの投手としても最年長の記録であった。シーズン終了後には、NPB最年長(50歳)の山本昌や同期入団の斎藤隆(45歳)など、年齢で41歳の自身を上回る8選手[注 5]が相次いで現役を引退[7]。三浦自身は、11月28日に投手兼任コーチとしての契約を更改したことによって、NPBの現役最年長選手になった[8]

2016年には、7月11日の対中日戦(横浜)で、先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験。4回6失点という内容で敗戦投手になったが、2回裏の第1打席で一軍公式戦通算122本目の安打を放ったことによって、一軍公式戦24年連続安打(野手を含めた NPB歴代4位タイ記録)を達成した[9]。さらに、この記録が「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録に認定されたため、8月22日に公式認定員から認定証が授与された[10]。実際には、一軍公式戦に登板しない期間も、前年に続いて投手コーチとして一軍の遠征に帯同。遠征のない場合には、もっぱら二軍で投手としての調整を続けていた。

現役引退

2016年9月29日 横浜スタジアム

2016年9月16日の対阪神戦(甲子園)に、先発投手としてシーズン2度目の一軍公式戦登板を果たした。しかし、1回裏に福留孝介の本塁打で2点を失った末に、4回1/3で降板。打線の援護にも恵まれず、シーズン2敗目を喫した。この試合後にゼネラルマネジャー高田繁へ現役引退を申し入れたことから、球団側も引退を了承。チームが19日に史上初のクライマックスシリーズ進出を決めたことを受けて、翌20日に、このシーズン限りで引退することを表明した。引退を決断した理由は「自分では勝てなくなったから」[11][12]とのことで、引退後の進路については、「現役(生活)からは卒業するが、野球からは卒業しないので、ずっと野球に関わっていたい」と述べている[13]

DeNA球団では、三浦が1998年から19年にわたって着用してきた背番号「18」を、「プレー・振る舞いの両面でチームを牽引するとともに、チームの象徴となるべき存在の選手が付ける番号」(通称「横浜ナンバー」)に指定[14]。事実上の「準永久欠番」として扱うとともに、着用にふさわしい選手が現れた場合にのみ、球団と三浦による協議を経て継承を認めることを発表した[15]

なお、横浜スタジアムにおける2016年のレギュラーシーズン最終戦では、DeNAの全選手が三浦の背番号18を入れたユニフォームで登場。三浦自身も、先発投手として現役最後の登板に臨んだ。当初は9月24日の対巨人戦を予定していたが、22日雨天中止分の対ヤクルト戦が29日に組み込まれたため、29日の同カードに変更された[16]

29日の対ヤクルト戦で、長男による始球式と、三浦自身の現役最終登板が実現[17]。三浦は、この試合に「8番・遊撃手」としてスタメンで一軍デビューを果たした智弁学園高校出身の新人・廣岡大志から初打席初本塁打(3点本塁打)を浴びるなど、6回1/3を投げて119球で8三振を奪いながら、12被安打10失点(自身初の2桁失点試合)という内容で加賀繁にマウンドを譲った。最後に対戦した打者は雄平で、結果は空振り三振だった。

DeNA球団では、試合後に三浦の引退セレモニーを開催。三浦は、「今は最高に気分が良く、『できることなら、このまま時間が止まってくれればな』と思っています。でも、チームはやっとクライマックスシリーズに出られます。どんどんチームが変わってきて、苦しかった時を乗り越えて、やっと『横浜DeNAベイスターズ、いいチームになっただろ』とみんなに自慢できます」「横浜一筋で25年来られたのも、皆さんのおかげです。これからの人生も、横浜一筋で来られたことを誇りに頑張っていきます。今シーズンをもちまして現役を引退致しますけれども、これからも三浦大輔はずーっと横浜です。ヨ・ロ・シ・ク!」と挨拶した。さらに、試合に続いて背番号18のユニフォームを着たナインから、18回にわたって胴上げされた[18]

これに対して、三浦は引退試合の翌日(9月30日)に、一軍投手コーチを退任する意向を球団へ伝えた。DeNA退団後の2017年からは、球界の外での活動を通じて野球に携わるという[19]

選手としての特徴

オーバースローから平均球速約139km/h[20]、最速148km/hのストレートと、カットボールスライダーフォークスローカーブシュートなどを投げ分ける技巧派。元中日の立浪和義にはカットボールに着目された。曰く、「カット系の小さいスライダーを覚えてから厄介な投手になった印象があります」[21]。90km/h以下のスローカーブは他の投手にない武器であり、主に緩急をつけるのに用いられている[22]

最大の武器は通算与四球率2.42の抜群の制球力で、2010年6月12日放送の『すぽると』における「1/100 この選手がすごい!投手編・コントロール部門」で1位に選出されている。一方で2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も備える。また豊富なスタミナの持ち主で完投能力も高く通算16回の無四球完投を記録、これは現役のNPB選手では最多である(2014年シーズン終了時)。また2012年にはセ・リーグ最多の6完投を記録したが、39歳シーズンでの最多完投は歴代最年長である。

2段モーションの先駆けかつ代表格だったが、2006年以降にボークに関する規定の厳格化(2段モーションの禁止)によって投球モーションの変更を余儀なくされた。

堅実なフィールディングで23年間3132回2/3でわずか9失策、守備率.9866を記録している(2014年8月26日時点) [23]

阪神タイガース戦に滅法強く、2012年シーズン終了時点で通算45勝24敗と大幅に勝ち越している。その一方で読売ジャイアンツ戦に弱く、2013年シーズン終了時点で通算12勝32敗、さらには2005年8月23日から2012年7月4日まで勝利できなかった。東京ヤクルトスワローズ戦も通算で敗戦数が勝利数を上回っており、相性は良くない。

開幕戦未勝利

横浜・横浜DeNAの開幕投手を2016年時点で7回務めているが、0勝7敗でいずれも敗戦投手になっている。開幕戦に登板した投手の7連敗は、同年時点でNPB記録である[24]

年月日 対戦相手 球場 相手投手 備考
1999年 ヤクルトスワローズ 横浜スタジアム 石井一久 同点の7回に連打を浴びて降板。この年は開幕から6連敗を経験し、14試合目の登板で初勝利。
2002年 広島東洋カープ 広島市民球場 佐々岡真司 8回途中まで2失点と好投するも打線の援護に恵まれず。
2004年 ヤクルトスワローズ 明治神宮野球場 ジェイソン・ベバリン 無失点で迎えた7回裏に3本のソロ本塁打を浴びて降板、打線の援護もなく黒星。
2005年 中日ドラゴンズ ナゴヤドーム 川上憲伸 8回無失点と好投するも、9回裏にアレックス・オチョアにサヨナラ満塁本塁打を被弾。
2006年 読売ジャイアンツ 東京ドーム 上原浩治 初回に4失点、3回にも2失点し、4回6失点で敗戦投手となる。
2007年 読売ジャイアンツ 横浜スタジアム 内海哲也 試合開始直後の初球を高橋由伸に本塁打とされるなど、6回3失点で敗れた。
2009年 中日ドラゴンズ ナゴヤドーム 浅尾拓也 2年ぶりに開幕投手となるが、和田一浩に2本塁打を喫するなど7回4失点。
これによって開幕投手7連敗となり、東尾修を抜いてプロ野球記録となった。

なお、2010年の開幕はキャンプの段階で指名されていたが、自身の調整遅れのためスティーブン・ランドルフが務めた。

人物・エピソード

三浦が入団した1992年から2015年シーズン終了時点までに、球団名が横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと変化しているが、三浦は「その3球団全てに在籍したことがある」「横浜ベイスターズ期間中(1993年 - 2011年)に一度も移籍したことがない」唯一の選手であった。また、2015年・2016年シーズンには、「横浜球団時代の1998年にセ・リーグ優勝を経験した唯一の生え抜き選手」として現役生活を続けた[注 6]

2015年シーズンまでは、横浜大洋時代に入団した選手のうち、三浦・斎藤・谷繁元信(1989年ドラフト1位)がNPBで現役生活を続けていた。しかし、斎藤・谷繁が同年限りで現役を引退したため、2016年シーズンには三浦が最後の現役選手であった[25]

先発した試合で最小失点に抑えていても、味方打線の沈黙によって敗戦投手になるケースが多い。2005年は記録した7分のうち5試合に先発登板しているが、その中には両投手の完封リレーによって0-0で引き分けた試合(2005年4月15日の広島戦、相手投手は黒田博樹)も存在したほか、7回2失点以内に抑えて勝利投手になれなかった試合も9試合存在する。しかし、そのような試合でも「打たれた自分が悪い」と決して他人に責任を押し付けず、打線を擁護するコメントを出している。

リーゼントの髪型がトレードマークで、通称「ハマの番長」と評される。現役引退会見にもリーゼント姿で登場し、「現役から卒業しても、リーゼントの髪型をできる限り続けたい」との意向を示した[26]

矢沢永吉の大ファン。リーゼントの髪型の矢沢からの影響で、プロに入ってすぐ矢沢の自伝『成りあがり』を読みポマードを買って髪を固めた。シーズンオフはジャケットに身を包み、タオルを首に巻いて矢沢の日本武道館でのコンサートに足を運ぶ。数年前から長男も連れて行っているという[27]。2016年の引退試合後に行われたセレモニーでは、矢沢本人からのVTRメッセージが流された。

プロレス関係者との交流が深い。1998年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会ではnWoジャパン構成員として、鈴木尚典と共に蝶野正洋のセコンドに付いた。2002年には魔界倶楽部総裁の星野勘太郎から「魔界18号」と命名されている。また、親交の深かった橋本真也が2005年に急逝した直後の7月13日の広島戦では橋本の入場テーマ「爆勝宣言」でマウンドに上がって見事完封勝利を収め、ヒーローインタビューで涙を流した。2015年2月27日の春季キャンプ終了後には新日本プロレスの沖縄県立武道館大会を観戦し、大会終了後には天山広吉との2ショット写真に収まり、天山が自身のTwitter上でその写真をアップしたツイートを投稿した。

自身のブログには、三浦自身が見つけたものや見かけたもの(モニュメント、花、景色)や季節、チームメイトの山口俊牛田成樹加賀繁やトレーナー、裏方などといった三浦と交流がある人物、本拠地である横浜スタジアムの様子、自身が出演するメディアの情報、さらには飼っている2匹の犬(「ラブ」と「シュガー」と名づけている)の様子などが原則1日1回のペースで更新されている。ブログに載せている写真はほぼ全て自ら撮影しているため、常に右端の同じ位置でフレームインしている。登板した試合で勝利投手となった日は、既にブログを更新している場合でも勝利を表す白星(☆)を1個ずつシーズン勝利数の分だけ積み重ねて再度更新するなど、ファンとの交流を非常に大切にしている。

2011年には現役の野球選手として初めて競走馬「リーゼントブルース」を所有することとなり、日本中央競馬会の馬主登録も行った。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1992 大洋
横浜
DeNA
1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 2.0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
1993 15 8 1 0 0 3 3 0 -- .500 255 60.1 60 4 21 1 2 61 2 0 23 23 3.43 1.34
1994 17 6 1 1 0 2 2 0 -- .500 228 47.2 61 2 25 0 0 35 2 1 27 23 4.34 1.80
1995 25 22 3 0 1 8 8 0 -- .500 619 147.2 131 17 52 5 4 107 5 0 66 64 3.90 1.24
1996 34 21 4 0 0 5 10 0 -- .333 582 131.1 151 17 55 1 1 101 0 0 82 72 4.93 1.57
1997 26 22 4 1 1 10 3 0 -- .769 578 142.1 113 9 51 1 3 129 4 1 54 53 3.35 1.15
1998 25 24 2 1 0 12 7 0 -- .631 656 158.2 138 12 60 3 3 119 4 0 64 56 3.18 1.25
1999 30 25 4 3 1 9 10 0 -- .473 729 175.0 174 22 51 1 2 130 2 0 92 83 4.27 1.29
2000 24 24 4 0 1 11 6 0 -- .647 665 164.2 154 22 32 0 3 122 3 0 64 59 3.22 1.15
2001 26 25 5 2 0 11 6 0 -- .647 673 168.2 137 14 53 6 2 135 1 0 56 54 2.88 1.13
2002 19 18 4 2 2 4 10 0 -- .285 488 119.2 108 12 28 6 2 100 1 0 46 43 3.23 1.14
2003 15 15 1 0 0 5 5 0 -- .500 420 101.1 94 18 21 3 5 82 1 0 48 46 4.09 1.13
2004 22 22 1 0 1 6 8 0 -- .428 618 144.0 158 17 33 0 5 135 7 0 69 68 4.25 1.33
2005 28 28 10 2 3 12 9 0 0 .571 856 214.2 168 20 52 2 4 177 4 0 68 60 2.52 1.02
2006 30 30 9 3 3 8 12 0 0 .400 912 216.2 227 19 44 5 5 160 3 0 94 83 3.44 1.25
2007 28 28 4 3 0 11 13 0 0 .458 793 185.1 184 15 51 3 7 159 5 0 74 63 3.06 1.27
2008 21 21 4 1 1 7 10 0 0 .412 589 144.0 137 22 29 0 4 111 4 0 63 57 3.56 1.15
2009 28 28 6 1 0 11 11 0 0 .500 799 195.1 175 28 37 1 4 138 2 0 82 72 3.32 1.09
2010 16 16 0 0 0 3 8 0 0 .273 365 79.2 108 12 23 3 4 58 2 0 67 64 7.23 1.64
2011 18 18 2 1 0 5 6 0 0 .455 463 111.1 96 9 31 2 7 74 1 0 39 36 2.91 1.14
2012 25 25 6 1 1 9 9 0 0 .500 738 182.2 160 15 48 4 3 107 4 0 61 58 2.86 1.14
2013 27 27 2 1 0 9 13 0 0 .409 731 175.2 181 26 33 0 1 109 5 0 88 77 3.94 1.22
2014 15 15 1 0 1 5 6 0 0 .455 403 94.2 99 14 23 2 4 55 3 0 38 32 3.04 1.29
2015 17 17 0 0 0 6 6 0 0 .500 416 98.0 103 9 25 0 1 62 5 0 47 45 4.13 1.31
2016 3 3 0 0 0 0 3 0 0 .000 75 14.2 29 3 4 0 0 14 0 0 18 18 11.05 2.25
通算:25年 535 488 78 23 16 172 184 0 0 .483 13657 3276.0 3146 358 882 49 76 2481 70 2 1430 1309 3.60 1.23
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:6回 (2002年、2004年、2006年、2009年、2012年、2013年)
  • 連続勝利:23年、1993年 - 2015年 ※NPBタイ記録
  • 連続安打:24年、1993年 - 2016年 ※NPB歴代4位[33][注 7]
  • 開幕3戦3勝:2015年 ※NPB最年長記録
  • シーズン連続二桁先発記録:21年、1995年 - 2015年 ※NPB歴代1位
  • フランチャイズ・プレイヤー:デビューから引退まで25年間にわたって同一球団へ在籍

背番号

  • 46 (1992年 - 1997年)
  • 18 (1998年 - 2016年)
    • 17 (2004年アテネ五輪)

登場曲

  • 「リーゼントブルース」RIKI(マウンド)
  • 「サイコーなRock You!」矢沢永吉(打席)

関連情報

著書

出演番組

三浦の地元・大阪市に本社のある毎日放送では、毎年のシーズンオフ(11月中旬 - 12月下旬)に、三浦が半日がかりで複数のテレビ・ラジオ番組へゲストで出演することが2005年頃から恒例になっている[注 8]

出演映画

出演PV

出演ライヴ

  • L'Arc〜en〜Ciel 「20th L'Anniversary Live」 (ライヴ途中のCMで、"祝・20周年"と書かれたボールを手に映像で登場) 

脚注

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注釈

  1. ^ 長弟は演劇集団キャラメルボックスに所属する三浦剛で、大輔が2004年のアテネオリンピックに出場した際には、当時キャラメルボックスで上演されていた公演グッズであるタオルマフラーを使用していた。また、大輔のラジオ番組に兄弟で共演を果たしたほか、剛はプロ野球の始球式で投げたことがある。末弟は、地元・橿原でカイロプラクティック[1]を経営している。
  2. ^ この試合は遠藤一彦の引退登板でもあった。
  3. ^ 三浦はこの時点で通算151敗を記録しており、150勝到達時点で負け星が先行したのは東尾修(170敗)、坂井勝二(157敗)、米田哲也(152敗)に次いで史上4人目。
  4. ^ 歴代1位は工藤公康山本昌(23年)。
  5. ^ 山本・斎藤以外に、中嶋聡谷繁元信和田一浩西口文也谷佳知小笠原道大の6選手(年齢順に記載)が該当。
  6. ^ 他球団在籍者では相川亮二多村仁鶴岡一成も1998年に横浜に在籍しているが、この年に一軍出場は無かった。
  7. ^ 25年以上は、谷繁元信の27年、野村克也山崎武司の25年
  8. ^ 2012年時点での主な出演番組は『痛快!明石家電視台』『ちちんぷいぷい』(いずれもMBSテレビ)『上泉雄一のええなぁ!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』(いずれもMBSラジオの生ワイド番組)。出演が続いている背景には、ベイスターズファンの新堂裕彦(毎日放送テレビ制作部プロデューサー、以前はラジオプロデューサーとして『上泉雄一のええなぁ!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』を担当)が、長年にわたって三浦と親しくしていることなどが挙げられる(両者が複数の番組で証言)。

出典

  1. ^ 三浦投手の出身チームは真北(マスキタ)リトルズ!!
  2. ^ 投球モーションについて -NPBからのお知らせ-
  3. ^ 三浦150勝!2507日ぶりG倒で金字塔
  4. ^ “39歳5カ月の三浦 球団最年長完封「我慢して低く低く」”. スポーツニッポン. (2013年6月12日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/12/kiji/K20130612005998300.html 
  5. ^ DeNA 三浦 現状維持も来季から投手コーチ兼任「アドバイスができれば」スポーツニッポン2013年12月12日配信
  6. ^ 週刊ベースボール」(ベースボール・マガジン社) 2014年9月29日号 52頁
  7. ^ “DeNA三浦1000万減 来季も投手コーチを兼任”. 日刊スポーツ. (2015年11月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1572598.html 
  8. ^ “DeNA三浦1億2500万円 来季球界最年長も「ピンとこない」”. スポーツニッポン. (2015年11月28日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/28/kiji/K20151128011592130.html 
  9. ^ “DeNA三浦大輔24年連続安打、大島に並んで4位”. 日刊スポーツ. (2016年7月12日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1677139.html 
  10. ^ DeNA三浦大輔が安打の記録でギネス認定 投手による24年連続安打,デイリースポーツ,2016年8月22日
  11. ^ “【DeNA】三浦大輔、今季限りで現役引退「感謝の気持ちでいっぱい」”. スポーツ報知. (2016年9月20日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160920-OHT1T50044.html 2016年9月20日閲覧。 
  12. ^ 「己を知れ」胸に刻み=DeNA三浦投手との一問一答 時事通信2016年9月20日
  13. ^ “DeNA三浦大輔、引退会見もリーゼント 辞める理由は「勝てなくなったから」”. Sportsnavi. (2016年9月20日). http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201609200007-spnavi 2016年9月21日閲覧。 
  14. ^ “【DeNA】引退・番長の背番号18は「横浜ナンバー」の準永久欠番に”. スポーツ報知. (2016年9月20日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160920-OHT1T50072.html 2016年9月20日閲覧。 
  15. ^ “【DeNA】引退・番長の背番号18は「横浜ナンバー」の準永久欠番に”. スポーツ報知. (2016年9月20日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160920-OHT1T50072.html 2016年9月20日閲覧。 
  16. ^ “DeNA全選手が背番18に 24日ハマスタ最終戦、三浦の引退記念し”. スポーツニッポン. (2016年9月21日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/21/kiji/K20160921013397560.html 2016年9月21日閲覧。 
  17. ^ ““ハマの番長”三浦大輔、涙のラスト登板 7回途中10失点 自ら安打も”. スポーツニッポン. (2016年9月29日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/29/kiji/K20160929013446350.html 2016年9月30日閲覧。 
  18. ^ “DeNA三浦7回途中涙の降板、あいさつ全文/詳細”. 日刊スポーツ. (2016年9月29日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717250.html 2016年9月30日閲覧。 
  19. ^ “ベイスターズ・三浦退団へ コーチも今季限り”. 神奈川新聞. (2016年10月1日). http://www.kanaloco.jp/article/202838 2016年10月6日閲覧。 
  20. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、176頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  21. ^ “三浦大輔投手の抜群の駆け引きの巧さ”. 週刊ベースボールONLINE. (2016年10月17日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=095-20161024-01 2016年12月1日閲覧。 
  22. ^ 原監督「あのテクはまねできない」 nikkansports.com 2013年7月20日
  23. ^ DeNA三浦は守備名人 23年、3132回2/3でわずか9失策 2014年8月26日スポニチ
  24. ^ 【4月3日】2009年(平21) ついに新記録 三浦大輔 開幕戦7連敗 2012年12月5日閲覧。
  25. ^ “番長改めレジェンド?De三浦最年長に”. デイリースポーツ. (2015年9月30日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2015/09/30/0008444208.shtml 2015年10月12日閲覧。 
  26. ^ “DeNA三浦が引退発表で涙 24年連続勝利へ意欲、リーゼントは「卒業しない」”. full-count. (2016年9月20日). http://full-count.jp/2016/09/20/post46185/ 2016年9月21日閲覧。 
  27. ^ “二宮清純レポート 三浦大輔 38歳・横浜DeNAベイスターズ 男はいかにして「成りあがる」べきか”. 週刊現代. (2012年8月30日). http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32848?page=7 2013年9月15日閲覧。 
  28. ^ 神奈川新聞、1992年10月8日。
  29. ^ 神奈川新聞、1992年10月7日。
  30. ^ 神奈川新聞、1993年8月2日。
  31. ^ 神奈川新聞、1993年9月5日。
  32. ^ 神奈川新聞、1994年5月23日。
  33. ^ “DeNA三浦24年連続安打も6失点「申し訳ない」”. 日刊スポーツ. (2016年7月11日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1676997.html 

関連項目

外部リンク