新井貴浩

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新井 貴浩
広島東洋カープ #25
新井貴浩20150204.JPG
2015年2月4日 日南市天福球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市中区江波
生年月日 1977年1月30日(39歳)
身長
体重
189 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手右翼手
プロ入り 1998年 ドラフト6位
初出場 1999年4月3日
年俸 6,000万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年
WBC 2006年

新井 貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日 - )は、広島県広島市中区江波出身のプロ野球選手内野手)。現在は広島東洋カープに所属。

第7代日本プロ野球選手会会長。マネジメントはエイベックス・スポーツ[1]阪神タイガースに所属する新井良太は弟。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

広島市立天満小学校広島市立五月が丘中学校を卒業。県立広島工業高校では3年時に夏の県大会でベスト16に入った。その後、東都大学野球連盟所属の駒澤大学に進学し、4年時に日米大学野球打率5割を記録。同年秋のリーグ戦では打点王とベストナインを獲得した。

1998年のドラフト会議前に、新井は大学の先輩である野村謙二郎の自宅を訪れ、自らのバットスイングをアピールした[2][3]。この縁で、ドラフトでは野村からの強い推薦があり、広島に6位で指名された。しかし大学通算2本塁打で守備にも課題があった新井の指名は、周囲からは驚きをもって受け止められた。入団後は「将来の4番候補」として期待され、自身もその意気込みを「空に向かって打つ」と宣言した。

広島時代[編集]

1年目の1999年は53試合に出場し、105打席で7本塁打を放つなど1年目からその長打力を見せつけた。

2000年は92試合に出場し、前年を上回る16本塁打を記録した。

2001年規定打席には届かなかったものの、レギュラーに定着し124試合に出場。打率.284・18本塁打・56打点の成績を残した。

2002年は140試合にフル出場し、プロ入り初の規定打席にも到達。自己最多の28本塁打を記録し、オールスターにも初出場。当時新井に目をかけていた広島球団オーナーの松田耕平に見送られたが、その直後に松田が他界した。新井は第2戦で本塁打を放ち、松田への手向けとした。

2003年、前年オフに阪神に移籍した金本知憲の後を継ぐ形で開幕から4番に座ったが、地元出身のスラッガーという重圧、また精神的な支えでもあった金本の不在は大きく、打撃不振に陥って後半戦からはアンディ・シーツに4番を譲り、打率.236・19本塁打と成績を落とした。

翌年2004年も前年に引き続いて不振が続き、ボールを待ちすぎて追い込まれて打ち取られるパターンを繰り返し、シーズンを通して103試合の出場に留まり規定打席にも届かず、打率.263・10本塁打に終わった。同年12月に結婚、披露宴の席で山本浩二に叱咤激励された。

2005年内田順三コーチの指導によるフォーム改造と積極的に打ちに行く打撃スタイルに変えたことが功を奏し、自身初の3割となる打率.305を記録し、6月28日の対阪神戦ではリチャード・ランスに並ぶ球団タイ記録の6試合連続本塁打を放ち、山本浩二の持つ球団年間本塁打記録には1本差で届かなかったものの43本塁打で本塁打王を獲得。シーズン終盤は打球を右肩に受けた影響から、栗原健太と入れ替わりで一塁手として出場する場面もあった。オフにはフリーエージェント (FA) について「一つのチームで選手生活を終えるのが理想」「FA? そんな選手じゃない」と発言[4]

2006年1月、これまで金本や佐々岡真司らと共に行っていた鹿児島県最福寺での護摩行合宿を単独で3泊4日かけて行った。WBC日本代表にも選ばれたが、出場機会はごくわずかであった。シーズンでは、マーティ・レオ・ブラウン監督が掲げていたケースバッティングを心がけたのが実を結び、本塁打数は25本と減少したものの、前年を上回る100打点を記録した。一方で、積極的に打ちに行く打撃スタイルから四球数が少なく選球眼の悪さを指摘された。オフには「カープが好きだし、いられるならずっといたい。このチームで優勝したい」と語った[5]

2007年は自己最多の55の四球を選び、28本塁打・102打点を記録した。守備では三塁手として最多の守備機会でリーグトップの守備率を記録。シーズン終了後、北京オリンピックアジア予選兼第24回アジア野球選手権大会に4番・一塁手として出場し、日本代表の五輪出場権獲得に貢献した。この年にFA権を所得。

前年まで、FA権を得ても広島に残留する旨の発言を繰り返していたが、「自分を厳しい環境に置き、そこでどう変わっていくか、挑戦する気持ちが出てきた」[6]との理由で、オフにFA権の行使を宣言。「残留に傾いた日もあれば、宣言しようとした日もある。その繰り返しで焦っていた」という状況の中で、1か月間悩み抜いた末「残留したら、いつか後悔するかもしれない」との考えに至った[7]。記者会見の席では「辛いです……カープが好きだから」「喜んで出て行くわけではない」「FAなんてなかったら良かったのに……」と涙ながらに発言した[6][7]

阪神時代[編集]

阪神タイガース時代(2009年)

前述のFA権行使宣言を受けて、阪神タイガース福岡ソフトバンクホークスなど、複数の球団が新井の獲得に乗り出した。しかし、新井にとって絶対的な存在の金本がいる阪神が圧倒的に有利な状況にあったため、他球団は獲得を見送った。新井自身も阪神と2度の交渉を経て入団の意志を表明。アジア野球選手権大会終了後に入団を正式に発表した。2007年12月11日付で、NPBからFA宣言選手契約締結合意が公示された。

新井の自著『阪神の四番』によれば、移籍の最大の理由は「もう一度金本と一緒に野球がしたい」という金本移籍以来抱えていた強い思いであったが、それを口にすれば金本本人に迷惑が及ぶとして会見では自重した。また、「FAなんて……」という発言は「FAがなければ金本が出て行くことはなかったし、金本がいれば自分も移籍を考えることはなかった」という思いから自然と口に出てしまったものであった。翌年1月2日に放送された広島ホームテレビの特別番組では「僕のことを野次るファンよりも僕の方がカープを愛してる」と語り、広島への愛着と未練を覗かせた。阪神に移籍した後も「今でもやっぱりカープの試合は気になる」と古巣への愛着を口にしていた[8]

2008年、古巣・広島と移籍後初めて対した広島市民球場での公式戦(4月1日)に、「3番・一塁手」としてスタメンで出場。広島時代のレプリカユニフォームがグラウンドに投げ込まれたほか、広島ファンから大きなブーイングを受けながらも[9]、3打数2安打2四球でチームの勝利に貢献した[10]。その一方で、同月12日の対横浜ベイスターズ戦(横浜)で、寺原隼人から安打を放って通算1,000本安打を達成。このシーズンの前半戦は好調で高打率を維持し、チームの首位独走に貢献した。しかし、前半戦終了間近になって腰痛を訴え、一時登録を抹消されて以降は不振に陥った。北京五輪日本代表に選ばれ、怪我を押して4番・一塁手として全試合に先発出場。予選リーグの対韓国戦では同点2ラン本塁打を放ったが、腰痛により全体として満足な打撃はできなかった。五輪期間中に症状が悪化し、帰国後、腰椎の疲労骨折であったことが発覚。本人は「北京で折れたわけではない。痛みは変わらないので、6月中旬から折れていたと思う」と振り返っており、これで二度と野球ができなくなっても構わないという覚悟で五輪に挑んでいたことを明かしている。シーズン成績も8本塁打・59打点と大きく落ち込んだが、守備では自身初となるゴールデングラブ賞を一塁手部門で受賞。12月には宮本慎也から日本プロ野球選手会会長職を引き継いだ。

2009年第2回WBC日本代表の一次候補者入りを打診されたが、腰の状態を理由に辞退した。シーズンでは開幕から5番・三塁手で出場したが、開幕から絶不調に陥り、打率は.210から.220を推移した。交流戦になると3番や6番に打順が変更されたが、調子は上向かなかった。前年のバットを使うなど試行錯誤して8月以降は持ち直し、全試合スタメンでフル出場し、15本塁打・82打点を記録したが、一方でリーグワーストの20併殺打、出塁率.299・OPS.700に終わった。U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にはオーバーエイジで大会最年長選手として出場。

2010年、それまで長らく阪神の4番を務めてきた金本が4月18日の対横浜戦でスタメン落ちしたことにより、移籍後初めて4番に座った。それ以降ほぼ全ての試合で4番を打ち続け自己最高の打率・打点・盗塁を記録した。また、2年連続のシーズンフルイニング出場(全て三塁手)を記録した。オフにトレードで弟・良太が阪神に移籍し、自身が阪神を退団する2014年まで共に同じチームでプレーすることになった。

2011年、この年3月に発生した東日本大震災後、当初予定通りの日程でシーズン開幕すると発表したセントラル・リーグに対し、労組プロ野球選手会会長として開幕の延期を強く要望し、問題解決のため奔走した。その中で出場したオープン戦では、心身ともに疲労が重なり20打数以上の連続無安打が続いたが、選手会側の要求通り開幕の延期が決定した後は調子を戻した。震災被災地支援のため、2011年シーズンに放った本塁打1本につき10万円、打点1点につき5万円の義援金を送ると開幕前に発表。開幕戦では「4番・三塁手」で出場し、同点打を放ってお立ち台に立った。4月19日にサヨナラ安打を放っていた弟・良太に続き、同22日に新井も4番定着後初となるサヨナラ安打を放ち、史上初の同年同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した[11]。しかし交流戦に入ると打撃不振に陥り、さらに得点圏に走者を置いての凡退も目立ったため、2度にわたって4番から外れる経験をしたが、最後は4番に戻り、リーグトップの93打点で打点王のタイトルを獲得した。オフに再取得したFA権を行使した上で新たに3年契約を結び残留した。

2012年は開幕4番でスタートしたが、以前より抱えていた慢性的な右肩痛の悪化により打撃不振に陥った。5月始めには6番に降格、それまでの2年間4番でのスタメン出場がなかった金本に4番を明け渡した[12]。5月末にはスタメンからも外れる時期もあった[13]。その後4番に戻ることもあったが打撃の調子は上がらず、弟の良太が4番を打つことになり、以後は6番・一塁で出場が主となった。7月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(阪神甲子園球場)で、同じく先発出場した良太とともに本塁打を放ち、1981年ロッテ・オリオンズレロン・リーレオン・リー以来、31年ぶり3組目の兄弟同一試合本塁打を記録した[14]。しかし9月に右肩痛で登録抹消されるなど同年は122試合の出場にとどまり、2008年以来4年ぶりに全試合出場を果たせなかった。また規定打席に到達しながらも打率.250・9本塁打・52打点で阪神移籍後最低の成績に終わった。後の報道で右肩後方関節唇損傷、腱板不全断裂、肩峰下滑液包炎と複数の大きな怪我を抱えながら試合に出場していたことが明らかとなったが、シーズン中は公表していなかった。12月には日本プロ野球選手会会長職を嶋基宏に譲った。

2013年は2005年以来の開幕ベンチスタートとなったが、4番・一塁を務めていた良太が故障離脱すると、代わって6番・一塁手でスタメンの機会を得た。開幕直後は絶不調であったが徐々に調子を上げていき、良太の復帰後も一塁の座を渡さずスタメン出場を続けた。交流戦からは5番に昇格し、6月8日の対千葉ロッテマリーンズ戦(阪神甲子園球場)で成瀬善久から本塁打を放ち、通算1,000打点を達成[15]オールスターゲームにも出場し、2戦目で決勝打を含む3安打1打点を挙げて阪神の選手では2006年の藤本敦士以来7年ぶりとなるMVPに選出され[16]、さらに3戦目では2安打を放ち敢闘賞を獲得した[17]。しかし後半戦は徐々に成績を落とし、終盤には5番を外されたりスタメン落ちすることもあった。シーズンを通して140試合に出場したものの、8月25日を最後に本塁打は1本も放てず、最終的に15本塁打に終わった。

2014年には、ポジションの重なる長距離打者のマウロ・ゴメスが加入し、4番・一塁の座をめぐってゴメスとの競争になった。新井はゴメスの調整遅れを尻目に、春季キャンプで和田豊からMVPに選ばれた[18]が、シーズンに入るとゴメスが4番・一塁に定着し、新井は代打や三塁の控えに回った。5月10日の対読売ジャイアンツ戦(甲子園)で、7回裏に代打で適時打を放つと、9回裏に良太も代打で安打を記録したことによって「同一チーム・同一試合における代打での兄弟安打」を初めて達成[19]。同月21日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では、2点ビハインドの6回表二死一塁から、自身9年振り、阪神移籍後初めての代打本塁打を記録した[20]。シーズン通算では94試合出場で、打率.244・3本塁打・31打点の成績に終わり、ソフトバンクとの日本シリーズでは直前に腰痛を発症した影響で出場がなかった。シーズンオフには、規約を上回る大幅減俸通告を受け[21]、また翌年も代打中心になることが確実視されていたこともあって、新天地を求めて11月4日に球団に自由契約を申し入れ、了承された[22]。12月2日に、NPBから自由契約選手として公示[23]

広島復帰後[編集]

2015年7月30日、明治神宮野球場にて

阪神からの退団が報じられた後に、右打ちの長距離打者が補強ポイントだった広島が獲得に動いた[24]。2014年11月14日には、広島との契約合意が球団から発表されるとともに、入団記者会見が開かれた[25]。背番号は、プロ入り以来着用していた「25」ではなく、「28」に決まった[25][26]。自由契約前に阪神から提示されていた年俸は7,000万円で、広島との契約はそれをさらに下回る2,000万円だったが、新井はこの条件を即決で受け入れた[24]

2015年は、キャンプ中の好調とブラッド・エルドレッドの故障による一時帰国もあって、開幕スタメンが内定していたが、開幕直前に右肘関節炎を発症してしまったため、開幕ベンチスタートとなり、右の代打起用がしばらく続いた。4月7日の巨人戦(マツダスタジアム)で、復帰後初の「4番 一塁」でスタメン入りを果たしてからは、故障したグスマンに代わって4番に定着した。 5月9日の古巣阪神戦(甲子園)で、復帰後初ホームランを放ったが、その試合で左手中指を脱臼してしまい、一時的にスタメンを外れることもあった。それでも、規定打席未到達ながらも一時的に首位打者になったり、得点圏打率リーグ1位になることもあった。 阪神時代の2008年以来のファン投票での選出(広島在籍中では初)となったオールスターゲームでは、2戦目(マツダスタジアム)に2013年の出場同様、敢闘賞を獲得した。9月2日の古巣阪神戦(甲子園)で、四回表二死一、三塁での7番・田中広輔の打席で、一塁にいた鈴木誠也に対して投手・岩田稔が投げた牽制球が逸れた隙を見て、三塁にいた新井は本塁への突入を試みた。慌てた一塁手・ゴメスが本塁に返球するも新井は捕手・梅野隆太郎のタッチをかいくぐり、2000年9月13日の中日戦(ナゴヤドーム)以来15年ぶりのホームスチールを成功させた[27]8月18日に3度目のFA権を取得した。後半戦から終盤戦にはスタメンでの起用が増えたため、最終的には規定打席にも到達し、打率.275と、3割5分に近い出塁率をマークした。クライマックスシリーズ出場をかけた本拠地最終戦で味方打線は沈黙したが、新井は試合で唯一のヒットを放つなど気を吐いた。最終的にチームは敗戦するも、このヒットで自身2000本安打まで30を切り、復調をアピールした古巣復帰1年目のシーズンにおいて有終の美を飾った。なお、シーズン終了後の12月16日には、復帰時点から3倍増の推定年俸6,000万円で契約を更改。2016年から再び背番号「25」を着用することも発表した[28][29]

2016年は、4月26日に対東京ヤクルト3回戦(明治神宮野球場)の第二打席、ヤクルト先発の成瀬善久からレフト線への適時二塁打を放ち、47人目の2000本安打を達成[30]。続いて8月2日には、史上42人目の300本塁打と立て続けに大記録を達成[31]。その後も連続出場による疲労を回避するため、先発を外れたり、試合終盤にベンチに下がるなどの配慮を受けながらも、シーズンを通して4番に座り、シーズン終盤まで打点王に立つなど好調を維持。チームの快進撃の原動力となった。そしてチームは優勝マジックを1とした9月10日巨人戦(東京ドーム)で逆転勝ちし、25年ぶりのリーグ優勝を果たす。試合終了直後に監督の緒方孝市、この年限りで引退し背番号が永久欠番にもなった黒田博樹と共にチームメイトから胴上げをされた[32]。チームはクライマックス・シリーズも優勝し、広島所属としては初めて日本シリーズにも進出。日本一はならなかったが、プロ18年目にして初めて歓喜の美酒を味わった。個人としては打点王はリーグ優勝決定後に休養とポストシーズンへの調整のために出場機会を少なくした影響で9月下旬に筒香嘉智にその座を譲り2011年以来の栄冠はならなかったものの、主要6部門は全て6年ぶりの打率.300(自己3位)、19本塁打(同5位)、100打点(同4位)、出塁率.370(同2位)、長打率.480(同3位)、OPS.850(同3位)の大台を達成する全盛期並みの成績を残し、本塁打王を獲得した2005年以来自身2度目のベストナインを受賞[33]2015年に9年ぶりに同賞を受賞した福留孝介を抜くセ・リーグ史上最長ブランクでの受賞となった[34]。さらに同賞の表彰のため出席した11月28日NPB AWARDS 2016にて、その年のリーグの最高栄誉であるリーグMVPの受賞が発表・表彰された[35]。39歳での同賞の受賞は、2010年に38歳で受賞した和田一浩の記録を塗り替え、同賞受賞のセ・リーグ史上最年長記録を樹立した[36]。史上初めて2000安打・300本塁打・リーグ優勝・リーグMVPを同時に達成した、本人曰く「夢のようなシーズン」[37]となった。

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

2003年に極度の打撃不振に陥って以降フォーム作りに四苦八苦していたが、2005年にグリップの位置が定まり本塁打王を獲得し、翌年からも2年連続で100打点以上を記録した[38]。阪神移籍後は腰痛の影響もあってバッティングの形を変更し本塁打数は減少した[39]

走塁・守備[編集]

一塁到達4.38秒[40]、二塁到達時には9秒を切ることもある。

人物[編集]

温厚で優しい性格であり、大学の1年先輩である高橋尚成は、大学時代の新井を「打てないし、守れないが、足はそこそこ速く、素直で先輩の受けはとても良かった」と話している。若手のころはとにかく先輩からオモチャにされ、金本が本塁打を打った際には、金本は他の選手とはハイタッチをするが、新井だけには張り手を喰らわせたり、選手会ゴルフの始球式で打球方向に立たされたりするなどのエピソードが残っている。金本が現役引退した後の2年間は、入れ替わりにMLBから国内復帰した西岡剛主導でチームメイトにいじられることが多かった(いずれも阪神在籍当時)[41]

オールスターでの通算打率は.520を記録している(2015年2戦目終了時点)[42]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1999 広島 53 105 95 14 21 2 1 7 46 14 1 1 1 0 8 0 1 31 2 .221 .288 .484 .773
2000 92 233 208 26 51 6 0 16 105 35 3 1 0 2 18 0 5 54 6 .245 .318 .505 .822
2001 124 354 313 38 89 12 0 18 155 56 2 3 1 1 36 2 3 86 11 .284 .363 .495 .858
2002 140 559 512 63 147 28 2 28 263 75 1 3 0 3 38 2 6 124 17 .287 .342 .514 .855
2003 137 537 488 58 115 20 2 19 196 62 2 1 1 3 39 4 6 120 16 .236 .299 .402 .700
2004 103 294 262 36 69 10 1 10 111 36 3 0 0 1 29 0 2 55 4 .263 .340 .424 .764
2005 142 587 541 91 165 30 1 43 326 94 3 3 1 3 37 1 5 126 16 .305 .353 .603 .956
2006 146 611 566 78 169 23 2 25 271 100 1 1 0 9 32 2 4 117 14 .299 .336 .479 .814
2007 144 619 556 84 161 22 0 28 267 102 1 2 0 7 55 2 1 136 17 .290 .351 .480 .831
2008 阪神 94 410 366 54 112 22 4 8 166 59 2 1 0 4 35 1 5 83 7 .306 .371 .454 .824
2009 144 599 558 68 145 32 1 15 224 82 4 5 0 7 28 0 6 82 20 .260 .299 .401 .700
2010 144 641 570 96 177 42 0 19 276 112 7 2 0 8 52 1 11 89 19 .311 .374 .484 .858
2011 144 602 550 68 148 25 3 17 230 93 5 0 0 7 41 2 4 106 20 .269 .321 .418 .739
2012 122 493 460 46 115 25 0 9 167 52 1 3 0 2 30 2 1 85 12 .250 .296 .363 .659
2013 140 548 476 60 127 20 0 15 192 70 2 3 0 7 60 3 5 110 17 .267 .350 .403 .753
2014 94 194 176 13 43 6 0 3 58 31 0 0 0 1 15 2 2 33 6 .244 .309 .330 .639
2015 広島 124 476 426 52 117 22 2 7 163 57 3 0 0 4 48 1 2 73 15 .275 .349 .386 .735
2016 132 513 454 66 136 23 2 19 220 101 0 1 0 4 54 1 1 101 12 .300 .372 .485 .857
通算:18年 2220 8379 7577 1011 2107 370 21 306 3437 1231 41 30 4 73 655 26 70 1611 231 .278 .338 .454 .792
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


一塁 三塁 外野





















1999 28 136 14 2 16 .987 3 0 5 0 0 1.000 2 2 0 0 0 1.000
2000 25 146 12 0 17 1.000 39 21 45 5 3 .930 2 0 0 0 0 ----
2001 47 122 12 0 9 1.000 45 22 64 8 7 .915 37 35 3 1 1 .974
2002 72 406 41 1 40 .998 102 69 142 16 13 .930 -
2003 106 898 97 3 69 .997 37 28 49 3 5 .963 -
2004 70 512 45 3 60 .995 8 4 13 3 0 .850 -
2005 35 210 18 2 16 .991 121 82 224 21 21 .936 -
2006 1 2 0 0 0 1.000 143 84 255 19 13 .947 -
2007 1 2 0 0 0 1.000 144 105 284 12 15 .970 -
2008 91 818 59 1 75 .999 1 1 0 0 0 1.000 -
2009 - 144 86 279 10 24 .973 -
2010 - 144 83 232 16 12 .952 -
2011 29 119 7 1 9 .992 138 84 215 17 14 .946 -
2012 78 509 34 3 40 .995 68 25 96 6 3 .953 -
2013 133 1202 87 7 105 .995 - -
2014 16 95 9 0 3 1.000 26 15 35 3 2 .943 -
2015 111 991 76 4 64 .996 - -
通算 843 6168 511 27 523 .996 1163 709 1948 139 132 .950 41 37 3 1 1 .976
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録[43]
  • 100本塁打:2005年4月3日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム) ※史上237人目
  • 150本塁打:2006年6月2日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(尾道しまなみ球場)、4回裏に小林宏之からソロ ※史上141人目
  • 1,000試合出場:2007年6月19日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(広島市民球場)、4番・三塁手で先発出場 ※史上418人目
  • 1,000本安打:2008年4月12日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、寺原隼人から ※史上249人目
  • 200本塁打:2008年5月31日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、7回表にブライアン・スウィーニーから ※史上90人目
  • 1,000三振:2009年9月5日、対広島東洋カープ19回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表にマイク・シュルツから ※史上46人目
  • 1,500試合出場:2011年5月31日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、4番・三塁手で先発出場 ※史上169人目
  • 1,500本安打:2011年7月30日、対横浜ベイスターズ13回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に須田幸太から左翼線二塁打 ※史上110人目
  • 250本塁打:2011年9月28日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(明治神宮野球場)、3回表に七條祐樹から左越3ラン ※史上56人目
  • 1,000打点:2013年6月8日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に成瀬善久から中越2ラン※史上39人目[44]
  • 2,000試合出場:2015年5月24日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)4番・一塁手で先発出場 ※史上47人目
  • 1,500三振:2015年9月9日、対中日ドラゴンズ20回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回裏に大野雄大から空振り三振 ※史上12人目
  • 350二塁打:2016年4月22日、対阪神タイガース4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回裏にランディ・メッセンジャーから3点適時二塁打 ※史上40人目
  • 2000本安打:2016年4月26日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、3回表に成瀬善久から左前適時二塁打 ※史上47人目
  • 300本塁打:2016年8月2日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(明治神宮球場)、2回表に石川雅規から中越2ラン ※史上42人目
  • 1000得点:2016年8月25日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、6回表に鈴木誠也の中前適時打で生還して達成 ※史上41人目
その他の記録

(2016年8月6日終了時点)

背番号[編集]

  • 25 (1999年 - 2014年、2016年 - )
  • 28 (2015年)

登場曲[編集]

関連情報[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 新井 貴浩 (Takahiro Arai) |avex sports|エイベックス・スポーツ株式会社
  2. ^ 野村謙二郎コラム 2007年11月09日 残念です。
  3. ^ 新井の自著「阪神の四番」によると、この時当時野村を慕っていた金本知憲も野村の自宅にいたという。
  4. ^ “ホームラン王・新井 生涯赤ヘル宣言”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2005年11月22日). オリジナル2007年10月12日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071012124929/http://daily.co.jp/baseball/2005/11/22/195375.shtml 
  5. ^ “黒田に続き新井も“コイ一筋”宣言”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2006年11月19日). オリジナル2007年11月5日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071105092612/http://www.daily.co.jp/baseball/2006/11/19/0000170991.shtml 
  6. ^ a b “「つらいです。カープが好きだから」 広島新井がFA会見で涙”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2007年11月8日). オリジナル2007年11月10日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071110150934/http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/071108/bbl0711081213002-n1.htm 
  7. ^ a b 木村雅俊 (2007年11月8日). “落胆「カープどうなる」 新井選手移籍へ”. 中国新聞 (中国新聞社). オリジナル2008年2月5日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080205205335/http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200711080129.html 2009年8月30日閲覧。 
  8. ^ “雑念捨てた!新井、初の古巣撃ち”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2008年3月6日). オリジナル2008年3月9日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080309202955/http://www.daily.co.jp/baseball/2008/03/06/0000863034.shtml 
  9. ^ 『中国新聞』朝刊、2008年4月2日付
  10. ^ 2008年4月1日(火)広島東洋カープ対阪神タイガース戦 スコアテーブル
  11. ^ “同年同一球団は史上初!今度は新井兄がサヨナラ劇打”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2011年4月23日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/23/kiji/K20110423000681910.html 
  12. ^ “阪神完封負け…4番・金本は無安打、落球も”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2012年5月4日). オリジナル2012年5月7日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120507034245/http://www.sanspo.com/baseball/news/20120504/tig12050417290016-n1.html 2012年7月29日閲覧。 
  13. ^ “阪神・新井が復活マルチ!4試合ぶりスタメン”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2012年6月6日). オリジナル2012年6月7日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120607040345/http://www.sanspo.com/baseball/news/20120606/tig12060605030003-n1.html 2012年7月29日閲覧。 
  14. ^ “阪神の新井が31年ぶり兄弟アベック弾”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2012年7月29日). オリジナル2012年7月29日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120729164450/http://daily.co.jp/newsflash/tigers/2012/07/29/0005251861.shtml 2012年7月29日閲覧。 
  15. ^ “新井貴逆転2ランで1000+1打点!”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2013年6月9日). http://www.daily.co.jp/tigers/2013/06/09/0006061771.shtml 2013年6月9日閲覧。 
  16. ^ “新井3安打で虎7年ぶり球宴MVP”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2013年7月21日). http://www.daily.co.jp/tigers/2013/07/21/0006178120.shtml 2013年7月21日閲覧。 
  17. ^ “お祭り男本領!阪神・新井400万円稼いだ/球宴”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2013年7月23日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130723/tig13072305030011-n1.html 2013年7月23日閲覧。 
  18. ^ “阪神新井貴三塁も、MVPキャンプで浮上”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年2月27日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140227-1263314.html 2014年5月23日閲覧。 
  19. ^ “新井貴8打席ぶり適時打 兄弟初代打安打”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年2月27日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140510-1298717.html 2014年5月23日閲覧。 
  20. ^ “阪神・新井 9年ぶり代打弾 ゴメスに負けじ3階席へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年5月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/22/kiji/K20140522008208060.html 2014年5月25日閲覧。 
  21. ^ 新井 阪神退団決断!制限超え1億3000万円減俸提示され… スポーツニッポン 2014年11月3日、同4日閲覧。
  22. ^ 新井 阪神退団決定 自由契約申し出了承…古巣・広島が興味か? スポーツニッポン、2014年11月4日配信
  23. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト、2014年12月17日閲覧。
  24. ^ a b 涙の退団から7年…新井 広島復帰決断 年俸10分の1でも“勝負”優先 スポーツニッポン、2014年11月11日。
  25. ^ a b 新井貴浩選手 入団記者会見! 広島球団公式サイト2014年11月14日配信
  26. ^ 2015年には、高橋大樹外野手が25番を着用している。前年まで28番だった岩見優輝投手は復帰が報じられる前に46番に変更となった。
  27. ^ “広島 新井が15年ぶりの本盗で同点”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2015年9月2日). http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2015/09/02/0008360301.shtml 2015年9月21日閲覧。 
  28. ^ “広島新井3倍増6000万 来季から背番号25に変更”. nikkansports.com (日刊スポーツ社). (2015年12月16日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1580092.html 2015年9月21日閲覧。 
  29. ^ 2015年に25番を付けていた高橋は、背番号を50番に変更。
  30. ^ “広島新井が通算2000安打達成 史上47人目”. nikkansports.com (日刊スポーツ社). (2016年4月26日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1636006.html 2016年4月26日閲覧。 
  31. ^ “広島・新井、通算300本塁打=プロ野球42人目”. 毎日新聞. (2016年8月3日). http://mainichi.jp/articles/20160803/ddm/035/050/202000c 2016年8月24日閲覧。 
  32. ^ 黒田、新井が歓喜の胴上げ 広島を優勝に導いた2人のベテラン
  33. ^ 広島・新井11年ぶりベストナイン受賞! 福留抜きセ史上最長ブランク
  34. ^ 広島・新井11年ぶりベストナイン受賞! 福留抜きセ史上最長ブランク
  35. ^ 広島新井セ最年長MVP 「取らせていただいた賞」
  36. ^ 広島新井セ最年長MVP 「取らせていただいた賞」
  37. ^ 新井「黒田さんとも一緒にできた。夢のようなシーズン」
  38. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、114-115頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  39. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、302-303頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  40. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、152-153頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  41. ^ “阪神・西岡、さすがの千金犠飛&ホームイン!”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2013年5月7日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130507/tig13050705040008-n1.html 2013年5月12日閲覧。 [リンク切れ]
  42. ^ “会沢MVP弾!敢闘賞の新井は“自分がMVP”!?黒田にイジられた”. スポーツニッポン. (2015年7月19日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/07/19/kiji/K20150719010761910.html 2016年5月2日閲覧。 
  43. ^ 特記ない場合、この節の出典はセリーグ公式サイト
  44. ^ スポーツニッポン「新井貴 39人目の通算1000打点「周りの方々に感謝したい」」2013年6月8日配信
  45. ^ a b 個人打撃連続記録セ・リーグ公式サイト
  46. ^ BLUE BOOK パ・リーグ公式サイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]