陽岱鋼

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陽 岱鋼
読売ジャイアンツ #2
Giants yoh2.jpg
2017年
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 台東県台東市
生年月日 (1987-01-17) 1987年1月17日(30歳)
身長
体重
183 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2007年4月20日
年俸 1億6,000万円(2017年)
※2017年から5年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
WBC 2006年2013年
プレミア12 2015年
陽岱鋼
各種表記
拼音 Yáng Dàigāng
和名表記: よう だいかん
発音転記: ヤン・ダイガン
英語名 Dai-Kang Yang
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獲得メダル
男子 野球
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
アジア競技大会
2006

陽 岱鋼(よう だいかん、本名の読み:ヤン・ダイガン、1987年1月17日 - )は、台湾中華民国)・台東県台東市出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。読売ジャイアンツに所属する。

台湾の原住民であるアミ族の出身で、日本国籍を保有しない。ただし、日本国内の高等学校に3年以上在籍していたため、NPBでは日本国籍を持つ選手と同等の扱いを受けている(当該項に詳述)。また、プロ入り当初は「陽 仲壽(よう ちょんそ/ヤン・チョンソ)」名であったが、2009年12月に「陽 岱鋼」に改名した[2]当該節も参照)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小中学校時代は遊撃手としてナショナルチームに所属し[3]、野球留学のために福岡第一高等学校へ入学。高校時代通算39本塁打を記録した[3]

2005年10月3日高校生ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズ福岡ソフトバンクホークスの1巡目で競合し、抽選の結果日本ハムが交渉権を得たが、同会議では一旦は「交渉権獲得球団は福岡ソフトバンク」と発表されてしまい混乱が起こった。兄の陽耀勲と同じソフトバンク入り[注 1]を熱望していたが、日本ハム側の熱烈な交渉と、本人が初めて北海道を訪れてみるなどの経緯もあって、最終的に日本ハム入りを決意。台湾人史上最高位の指名(ドラフト1巡目)を受け、台湾では話題となった。ちなみに、入団当初の背番号は24

日本ハム時代[編集]

2013年7月1日、東京ドームにて

2006年開幕前の3月に第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)チャイニーズタイペイ代表に選出された。

シーズンでは9月27日、前の試合で正遊撃手の金子誠が故障したため初の一軍昇格。シーズン1位確定を賭けた2連戦とあって出番はなく、2006年は一軍出場0試合に終わったが、二軍では新人ながら積極的に起用され、91試合出場、打率.274、チーム最多の9本塁打、5盗塁を記録した。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを受賞している。しかし守備面ではリーグ最多となる30失策を犯してしまい、不安が見られた。

オフの11月に開催された第16回IBAFインターコンチネンタルカップのチャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では全試合に出場し、打率.267、2本塁打と大活躍し銅メダルに貢献した。11月から12月にかけて開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では優勝を果たした。

2007年は春季キャンプは故障で出遅れるも、シーズン序盤から一軍の打線が揮わなかったため、4月19日に首脳陣から「起爆剤に」と期待され一軍昇格。55試合に出場し打率は.239に終わったが、遊撃手(26試合)、三塁手(21試合)、代打などで起用され、一軍経験を積んだ。二軍では打率.305の好成績を残した。

2008年は二軍で打率.342、8本塁打、7盗塁と更に打率を上げ、最高出塁率・最高長打率のタイトルを獲得。同僚の市川卓と激しい首位打者争いを繰り広げイースタン・リーグ2位の打率を残した。また、シーズン終了後の12月24日には、台湾でモデルやタレントとして活動していた謝宛容と結婚している[注 2][5]

2009年6月頃、強肩を活かしたい首脳陣の意向により外野手コンバートされた(登録は内野手のまま)。一軍昇格後、8月21日のソフトバンク戦で打順・守備ともにプロ初となる1番・左翼手で先発出場するも力を発揮しきれず、程なくして二軍落ち。12月に「仲壽」から「岱鋼」に改名したことが球団から発表された。

2010年は開幕当初こそ外野の守備固めでの出場が多かったが、一塁手高橋信二の故障離脱に伴い右翼手稲葉篤紀が一塁手を務めることが増えたため後半戦からは右翼手のレギュラーに定着し、過去最高の109試合に出場した。

2011年は初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は、フリーエージェント権を行使して退団した森本稀哲に替わる2番打者を主に務め、6月下旬に田中賢介が骨折した後は1番打者としても出場した。プロ入り初めて規定打席に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。守備位置は持ち前の俊足と強肩を生かした外野手(ほとんどが右翼手)での出場だった。

2012年中堅手で前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を受賞していた糸井嘉男との間で、「センターの守備力は変わらない。ならば(糸井)嘉男の強肩を生かす布陣の方が良い」との首脳陣の意向で中堅手にコンバートされる[6]。するとこの変更が吉とでて陽の広い守備範囲が生かされ、この年自身初のゴールデングラブ賞に、糸井を凌ぎパ・リーグ外野手部門1位(外野手は毎年3人が選出される)で受賞。また打順は前半から中盤は6番としての出場がメインとなり、前年に続いて田中賢介が怪我で離脱した翌8月30日以降はポストシーズンまで主に1番で起用された。さらにオールスターゲームにもファン投票により初選出され、第1戦(7月20日)に1番・中堅手として先発出場。1回裏に史上2人目となる初打席先頭打者本塁打を打った(後述)。さらに第3戦(7月23日)でも1番・中堅手として先発出場し、先制本塁打を含む3安打4打点の活躍で全パの勝利に貢献してMVPに輝いた。8月8日に帯広で行われたソフトバンク戦7回裏に実兄の陽耀勲と一軍公式戦で初対戦(結果は初球を中前安打)[7]。この兄弟対戦は、兄が先発登板したこの年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第1戦でも実現する。シーズン成績は、リーグ唯一となる全試合フルイニング出場を果たし、全て自己最高の打率.287(リーグ7位)、7本塁打、55打点の成績を残す。シーズン終了後には、年俸9,200万円で契約を更改し、背番号は2010年オフの森本稀哲の退団により空き番となっていて、かつて2004年から2006年にかけて新庄剛志も背負った1に変更された。

2013年1月14日に第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出された[8]。同大会では台湾代表の背番号’’’1’’’を背負い、自国開催で盛り上がる台湾で3月3日のオランダ戦では6回に2ラン本塁打を放つなど、1次ラウンドB組MVPを受賞する働きで2次ラウンド進出に貢献した。

シーズンでは6月12日の阪神戦でフルイニング出場は途絶えたものの、2年連続で全試合出場、更に全試合スタメン出場も達成した。8月22日に中田翔が戦線離脱してからは3番打者として起用され、9月18日の対西武戦ではプロ初の4番打者としても出場した。その他の試合では主に1番打者を務め、本塁打は前年のほぼ倍となる17本・67打点・47盗塁はいずれも自己最多で、93得点で自身初となるリーグ最多得点を記録し。47盗塁を記録した盗塁は、自身そして球団史上初となる盗塁王に獲得であった。台湾出身選手の打撃タイトル獲得は1994年の大豊泰昭本塁打打点)以来19年ぶり。課題とされた三振の多さは変わらなかったが、前年の倍以上となる78四死球を選び出塁率は前年の.337から.367と大幅に改善させた。年俸は倍以上となる2年総額4億円で更改した。

オフの11月に台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」のチャイニーズタイペイ代表に選出された[9]

2014年は開幕から主に1番を打ったが、6月9日の中日ドラゴンズ戦で本塁突入時に左膝を裂傷し登録を抹消され2011年6月15日から続いていた連続試合出場は442試合でストップした。右肩痛や前述の脚の故障がありながら、7月9日に復帰。復帰後は3番に定着し68試合で打率.310・54打点を挙げるなど打撃は好調を維持。約1か月間戦線を離脱し、19試合の出場が出来なかったにも関わらず、あと7厘で3割となる打率.293(リーグ8位)、あと5本で30本塁打となる25本塁打(リーグ5位)、100打点にあと15点と迫る85打点(リーグ4位)という主要打撃部門で大台に近い成績を残し、翌年の更なる成績の向上が期待された。またゴールデングラブ賞は史上1位タイとなる3年連続外野手部門1位の得票での受賞を果たした。

2015年、WBSCプレミア12にて

2015年は開幕を3番で迎えたが、4月12日に右太ももの張りを訴えて出場選手登録を外れた。5月4日の楽天戦で一塁にヘッドスライディングした際に左手を突いて負傷し「左手舟状骨(しゅうじょうこつ)剥離骨折」と診断され1ヶ月半離脱した[10]。故障が響き、86試合出場、打率.259、7本塁打、36打点、14盗塁と低迷, 年俸は1億6,000万円とダウンした。

オフの9月30日に第1回WBSCプレミア12チャイニーズタイペイ代表に選出された[11]

2016年は前年の故障から復調すると、シーズンを通して一軍に帯同。前半戦では、1番打者・3番打者としてスタメンに定着するとともに、打率3割を記録した。右肋骨の亀裂骨折が判明した8月中旬以降は、下位打線に回り、スタメンを外れ途中出場する試合が続くようになる。打撃の調子も徐々に下降線をたどるようになったが、中堅の守備では、骨折箇所の痛みに耐えながら要所で好プレーを披露した。9月21日には、ソフトバンクとの首位攻防戦(福岡ヤフオクドーム)7回表に代打へ起用されると、7回裏から中堅手として引き続き出場。1点リードで迎えた9回裏2死2・3塁で江川智晃が放った大飛球をフェンス際で好捕するなど、2度にわたるビッグプレーでサヨナラ負けのピンチを救うとともに、チームを4年振りのリーグ優勝を大きく手繰り寄せた[12]。レギュラーシーズンの一軍公式戦全体では、大台の3割には届かなかったものの自己最高に並びリーグ8位の打率.293を記録。本塁打も2年ぶりの2桁本塁打となる14本を記録。一方で盗塁はレギュラー定着後最少の5個に終わった。中堅の守備では、2年ぶり4度目のゴールデングラブ賞を獲得する一方で、UZRが-10.0にとどまるなど守備力に評価が分かれた。ポストシーズンでは、ソフトバンクとのクライマックスシリーズ ファイナルステージから不振。ステージ突破を経て臨んだ広島東洋カープとの日本シリーズでは、10月26日の第3戦(札幌ドーム)以降スタメンを外れて、代打・守備要員に回った。

FA宣言[編集]

2016年のレギュラーシーズン中に、国内フリーエージェント(FA)権の取得条件を満たした。日本ハム球団では、水面下で陽との残留交渉を進めたが、年俸や若手選手主体のチーム構想などをめぐって陽と折り合いが付かなかった。陽自身は、日本シリーズ終了後の11月7日に国内FA権の行使を表明。この表明によって、日本ハムからの退団が事実上決まった[13]同月10日付で、NPBから国内FA宣言選手として公示[14]

公示の直後からは、日本ハム入団時に二軍で指導を受けた福良淳一が一軍監督を務めるオリックスが、陽への入団交渉を開始[15]。楽天球団副会長の星野仙一も、陽の獲得に乗り出す意向を示していた[16]12月4日には、読売ジャイアンツ(巨人)が、陽に対して獲得のオファーを出したことを表明[17]同月6日には、陽の代理人がオリックス球団に対して、他球団へ移籍することを伝えた [18]。結局、巨人は12月8日の入団交渉で、陽に対して背番号2を提示。楽天も交渉から撤退したため、巨人への入団が事実上決まった[19]

ちなみに、陽は2016年に、推定年俸1億6,000万円という条件で日本ハムと契約。FA権の行使に関するNPBの規定では、この年俸がBランク(同年に日本ハムと契約していた日本人選手の上位4位以下10位以内)に該当することから、巨人には日本ハム球団からの要求に基づいて人的(または金銭)補償の義務が生じた。これに対して、日本ハム球団は2017年1月6日に、金銭による補償を巨人に申し入れたことを発表。前述の規定に沿って、2016年の陽の年俸の60%に相当する補償金(推定9,600万円)が、巨人から支払われることになった[20]

巨人時代[編集]

2016年12月14日に、巨人が陽の入団で合意に達したことを正式に発表した。契約期間は5年で、期間中の年俸総額は推定15億円[21]12月19日に開かれた入団記者会見には、日本国内の報道陣に加えて、陽の故郷である台湾のメディア7社から12名の報道関係者が出席した。そのため、台湾語を話せる通訳が会見に同席したほか、会見の生中継動画が球団公式のFacebook公式アカウントなどを通じて世界中に配信された[22]。10年間で打率3割を超えたことのない陽に対してこの巨額の年俸総額は、台湾でのビジネス(台湾マネー)の収益性を加味したものと週刊ポスト2017年1月13・20日号で報じられている。

2017年第4回WBCは移籍1年目でシーズンに集中したいという理由で辞退した[23]。レギュラーシーズンでは下半身のコンディション不良で開幕一軍に間に合わなかった。6月6日の西武戦から一軍昇格し、8月は1番打者として好調で打線を引っ張る働きを見せたが、9月になると不振に陥り打率を下げていき、打率は2割6分台、ホームランも9本にとどまった。オフの10月11日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップチャイニーズタイペイ代表に選出された[24]

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

右打者でありながら、右翼方向に長打を放つことができる広角打法が持ち味。日本ハム時代の2013年は中堅方向への本塁打が多かったが、陽自身は逆方向を意識している旨を述べている[25]

三振が多く[26] フリースインガーの傾向が強い[26]。(2016年シーズン終了時点で)2011年のレギュラー定着以後、規定打席に到達したシーズンは、三振が全て100を超え、BB/Kのキャリアハイは2013年の「0.49」となっている。また、日本ハム時代は「規定打席に到達した上での打率3割」に到達した経験がなかったため、巨人移籍直後の自主トレ(2017年1月)の際には、自身の課題として「3割を打たないといけない。打ったことがないので、打者として早く壁をクリアしたい」という趣旨のコメントを残している[26]

守備[編集]

日本ハム時代の2013年に400イニング以上出場した中堅手としてリーグトップのUZR13.3[27]を記録した守備は超一流と評され[28]、4度のゴールデングラブ賞を受賞している(2012年 - 2014年、2016年)。

日本ハムで一軍のレギュラー外野手に定着した時期には、一軍監督の栗山英樹から、守備力に全幅の信頼と期待を寄せられていた。栗山によれば、「岱鋼の守備力はセンターとしては、今、日本で一番でしょう。守備範囲が広いことに加え、打球への飛び出しが素晴らしく速い。(糸井)嘉男も速いけど、岱鋼の方が、もう半歩、反応が速いような気がします」という[29]

人物[編集]

ヒーローインタビューなどにてファンへ向けて発する「サンキューで〜す!」を決め台詞としている[30](お笑いタレント・藤森慎吾風の口調で)。

松井稼頭央とは年に1度は食事する仲[31]。日本ハム時代の2015年1月には、ロサンゼルスで合同自主トレーニングに臨んだ[32][33]

日本ハム時代の2011年より打席への登場曲に用いているリンキン・パークNumb』(2017年8月25日時点[34])は、日本ハムで自身の前に背番号1を付けていたSHINJO(新庄剛志)の在籍時の登場曲でもある。日本ハム時代の2012年6月16・17日に行われた「選手プロデュースデー」の試合では、両日限定で各選手それぞれ公募によって選ばれた登場曲が流され、陽の曲として新庄が日本ハム時代の3年間起用して定番であったドクター・ドレーThe Next Episode英語版』がファンにより選出される。また同曲を2016年のクライマックスシリーズでは正式な登場曲として起用している[35]

理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボレーションして、毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票で選出している企画「ファイターズスタイル」の2007年度・初代モデルに選ばれた。[36][37]

登録名の読み方・家族[編集]

「陽」というの読み方は台湾では「ヤン (YANG) 」であるが、登録名では日本風の読みの「よう (YOH) 」でプロ入り前に既に呼ばれ慣れていることを理由に、姓のみが日本風の「よう ちょんそ(陽 仲壽、本来は『ヤン・チョンソ』)」、改名後は姓名共に日本風の「よう だいかん(陽 岱鋼、本来は『ヤン・ダイガン』)」としている。

長兄の陽耀勲Lamigoモンキーズ外野手・元ソフトバンク投手)[38]、次兄の陽品華(改名前は「陽耀華」〈読み方:よう ようか〉、元長崎セインツ愛媛マンダリンパイレーツ内野手)[39]、叔父の陽介仁中国語版[38]、従弟の張奕オリックス外野手・育成選手[40]もプロ野球選手で、介仁を除く3人には日本の球団への在籍経験がある。日本球界では、耀勲と張奕が台湾風、耀華(改名前に在籍)が日本風の読み方で、本名を登録名に使用。耀勲がソフトバンクに在籍していた時期には、パ・リーグの一軍公式戦や2012年のクライマックスシリーズで、岱鋼と対戦したこともある。さらに、バスケットボール女子チャイニーズタイペイ代表選手の陽詩慧は実妹に当たる[38]。なお、はとこ以上の遠戚にはCBPL所属のプロ野球選手である陽森陽建福などもいる。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2007 日本ハム 55 116 109 12 26 8 2 0 38 10 3 2 4 0 2 0 1 30 0 .239 .259 .349 .608
2008 44 123 111 7 16 0 1 2 24 4 1 0 4 1 6 0 1 31 3 .144 .193 .216 .409
2009 15 13 11 2 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 3 0 .182 .250 .182 .432
2010 109 281 253 35 62 12 3 2 86 31 8 1 10 2 12 0 4 70 4 .245 .288 .340 .628
2011 141 603 537 66 147 23 4 6 196 36 19 2 38 1 22 0 5 134 5 .274 .308 .365 .673
2012 144 599 534 71 153 28 5 7 212 55 17 6 18 5 37 1 6 123 10 .287 .337 .398 .735
2013 144 658 574 93 162 27 2 18 247 67 47 10 4 2 69 2 9 142 9 .282 .367 .430 .797
2014 125 540 471 77 138 18 1 25 233 85 20 6 9 3 45 0 12 108 10 .293 .367 .495 .862
2015 86 381 352 47 91 10 2 7 126 36 14 2 2 2 21 1 4 93 4 .259 .306 .358 .664
2016 130 555 495 66 145 24 1 14 213 61 5 6 7 1 42 1 10 121 10 .293 .359 .430 .790
2017 巨人 87 381 330 46 87 18 1 9 134 33 4 2 2 1 41 0 7 80 6 .264 .356 .406 .762
NPB:11年 1080 4250 3776 522 1029 168 22 90 1511 418 138 37 99 18 298 5 59 935 61 .273 .334 .400 .734
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[41]

年度別守備成績[編集]



三塁 遊撃 外野




































2007 日本ハム 26 8 51 3 4 .952 21 19 28 3 4 .940 -
2008 17 11 27 3 3 .927 25 24 47 6 11 .922 -
2009 - - 10 3 0 2 0 .600
2010 - 3 0 1 0 0 1.000 96 127 3 1 0 .992
2011 - - 139 252 7 0 3 1.000
2012 - - 144 322 4 3 1 .991
2013 - - 144 326 5 2 1 .994
2014 - - 119 266 5 1 1 .996
2015 - - 84 165 1 2 1 .988
2016 - - 117 214 5 2 2 .991
2017 巨人 - - 87 168 0 2 0 .988
通算 43 19 78 6 7 .942 49 43 76 9 15 .930 940 1841 30 15 9 .992

[42]

タイトル[編集]

表彰[編集]

NPB
台湾(チャイニーズタイペイ)代表

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録
  • 連続試合猛打賞:4 (2013年6月29日 - 7月3日) ※日本ハム球団タイ記録
  • 史上3人目の3年連続ゴールデングラブ賞外野手部門・得票数1位での受賞[44]
  • 連続試合初回先頭打者本塁打:2 (2017年8月3日・4日) ※巨人球団史上5人目(6回目)[45][注 3]
オールスターゲーム

背番号[編集]

  • 24 (2006年 - 2012年)
  • 1 (2013年 - 2016年)
  • 2 (2017年 - )

登録名[編集]

  • 陽 仲壽(よう ちょんそ、2006年 - 2009年)
  • 陽 岱鋼(よう だいかん、2010年 - )

登場曲[編集]

太字は2017年の起用曲

代表歴[編集]

関連情報[編集]

出演[編集]

CM[編集]

台湾

PV[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 会議の時点ではソフトバンクの選手ではなかったが、翌2006年からソフトバンクでプレーすることがほぼ決定していた。
  2. ^ 陽の家族は台湾で生活しながら、プロ野球シーズン中に陽の応援でたびたび来日しているという。[4]
  3. ^ チームは同年7月30日より6試合連続3本塁打以上というNPB新記録を達成し、自身はその期間に、前述の2試合連続初回先頭打者弾などチーム最多となる5本塁打を記録(全てがその試合におけるチーム3本目までであり、NPB新記録が決まる6試合目の3本目を打ったのは自身)。[46]
  4. ^ 1968年第1戦のアルト・ロペス東京オリオンズ)以来。なお、初打席本塁打は2007年第1戦の森野将彦中日ドラゴンズ)に次ぐ史上15人目。初回先頭打者本塁打は2001年第3戦の高橋由伸読売ジャイアンツ)に次ぐ史上8人目。[47]

出典[編集]

  1. ^ 陽岱鋼が巨人入り FA選手動向/19日現在”. 日刊スポーツ (2016年12月19日). 2017年4月1日閲覧。
  2. ^ 陽選手が改名”. 日本ハムファイターズ (2009年12月4日). 2016年9月29日閲覧。
  3. ^ a b c 日本ハムの陽が俳優デビューへ.nikkansports.com.2016年11月7日閲覧。
  4. ^ ハム陽のろけた“幸せ”猛打賞nikkansports.com、2012年4月26日、2016年10月12日閲覧。
  5. ^ “ハム陽が結婚、元タレント25歳代湾人と”. 日刊スポーツ. (2010年2月11日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100211-594751.html 2017年5月8日閲覧。 
  6. ^ 願達成!?糸井が阪神で奪い返したモノとは?/サンケイスポーツ
  7. ^ ついに実現!! 陽岱鋼と陽耀勲の兄弟対決 2012.08.08 F-HYouTube・パ・リーグチャンネル
  8. ^ 2013 WBC中華隊28人名單 CPBL公式サイト 中国語 (2013年1月14日) 2015年3月28日閲覧
  9. ^ 2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ チャイニーズ・タイペイ 選手一覧 野球日本代表 侍ジャパン公式サイト 2015年3月29日閲覧
  10. ^ 陽岱鋼 左手骨折で抹消 実戦復帰まで1カ月半見込み” (2015年5月6日). 2015年12月9日閲覧。
  11. ^ 2015第一屆世界12強棒球錦標賽 中華隊28人名單正式公布 中華民國棒球協會官方網站 (中国語) (2015年9月30日) 2015年10月9日閲覧
  12. ^ 日本ハム陽、肋骨痛みに耐えスーパーキャッチ連発”. 日刊スポーツ (2016年9月21日). 2016年11月15日閲覧。
  13. ^ 日本ハム・陽岱鋼、FA行使で退団へ「11年間、感謝しかない」”. サンケイスポーツ (2016年11月7日). 2016年11月7日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]