谷真一

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谷 真一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県呉市
生年月日 (1958-03-15) 1958年3月15日(62歳)
身長
体重
175 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1982年 ドラフト2位
初出場 1983年4月9日
最終出場 1990年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 近鉄バファローズ (1991 - 1996)

谷 真一(たに しんいち、1958年3月15日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

叔父は元プロ野球選手の吉田義男(吉田の姉の子が谷)。長男は俳優の谷遼

来歴・人物[編集]

広島商業高では同期のエース山村力人(東洋大三菱重工広島)を擁し遊撃手、一番打者として活躍。1974年秋季中国大会に進むが、1回戦で倉敷工兼光保明に完封負け、春の選抜出場を逸する。しかし翌1975年夏の甲子園県予選は、決勝で山村が崇徳高黒田真二に投げ勝ち、2年ぶりの甲子園出場を決めた。夏の甲子園は準決勝まで勝ち進むが、習志野高小川淳司に抑えられ完封負けを喫した[1]

高校卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは4回の優勝を経験。遊撃手として活躍し1979年春季リーグでベストナインに選出される。同年の日米大学野球選手権大会では日本代表に選出された。

大学卒業後は、社会人野球本田技研に入社。1981年1982年都市対抗野球大会に連続出場。1981年インターコンチネンタルカップ日本代表となる。

1982年プロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから2位指名を受け入団。1年目の1983年は開幕直後から森脇浩司吹石徳一に代わり遊撃手として起用されレギュラーを獲得。翌1984年は吹石と併用され出場機会が減少するが、同年7月4日には日本プロ野球通算1000本目の満塁本塁打を放つ。しかし1985年村上隆行が台頭しレギュラーに定着。その後は故障もあって活躍できず、1990年限りで現役を事実上引退。

1991年から1996年まで近鉄でコーチを務めたが、1991年は登録のみ選手兼任扱いだった。現在はオリックス・バファローズの近畿・中国・四国地区担当スカウト。

谷の近鉄入団以来、広島商業高は長らくプロ野球選手を出していなかったが、2008年岩本貴裕が26年ぶりにプロ球界入りを果たした。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1983 近鉄 119 391 319 38 74 13 1 3 98 39 7 2 32 3 32 0 5 58 7 .232 .309 .307 .616
1984 69 148 126 11 21 2 1 1 28 13 3 3 9 0 11 0 2 20 1 .167 .245 .222 .467
1985 31 36 28 3 6 1 0 1 10 2 0 0 6 0 2 0 0 6 1 .214 .267 .357 .624
1988 35 60 49 2 8 0 0 0 8 1 1 0 7 0 4 0 0 9 1 .163 .226 .163 .390
1989 4 13 10 1 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 2 0 0 4 0 .100 .250 .100 .350
1990 21 27 27 3 6 1 0 0 7 1 1 0 0 0 0 0 0 10 0 .222 .222 .259 .481
通算:6年 279 675 559 58 116 17 2 5 152 57 12 5 55 3 51 0 7 107 10 .208 .281 .272 .553

記録[編集]

  • 初出場・初打席:1983年4月9日、対ロッテオリオンズ1回戦(日生) - 森脇浩司の代打島本講平に代わり遊撃に就く。9回、スティーヴン・シャーリーより犠打
  • 初安打:1983年4月21日、対西武ライオンズ2回戦(西武) - 松沼雅之より左前安打
  • 初本塁打:1983年6月21日、対日本ハムファイターズ9回戦(後楽園) - 2回木田勇より左越ソロ

背番号[編集]

  • 32 (1983年 - 1990年)
  • 85 (1991年 - 1996年)

脚注[編集]

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]