森脇浩司

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森脇 浩司
千葉ロッテマリーンズ 野手総合兼内野守備コーチ #86
森脇浩司20120629.jpg
オリックス・バファローズ一軍チーフ野手兼内野守備走塁コーチ時代
(2012年6月29日、京セラドーム大阪にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県多可郡黒田庄町(現:西脇市
生年月日 (1960-08-06) 1960年8月6日(61歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手三塁手二塁手
プロ入り 1978年 ドラフト2位
初出場 1981年4月15日
最終出場 1995年6月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

森脇 浩司(もりわき ひろし、1960年8月6日 - )は、兵庫県多可郡黒田庄町(現・西脇市)出身の元プロ野球選手内野手)・コーチ監督解説者。愛称は「モリさん[1]

選手引退後、福岡ダイエー・ソフトバンクホークスコーチ、読売ジャイアンツコーチ、オリックス・バファローズ監督、中日ドラゴンズコーチ等を歴任、2019年より、福岡工業大学の特別コーチを務め[2]、2021年からは千葉ロッテマリーンズ一軍野手総合兼内野守備コーチを務める。

来歴・人物[編集]

社高校1年次の1976年から遊撃手として、強肩で遠投をさせれば130mを投げ、この時グラウンドにいた近鉄バファローズのスカウトが仰天して「カラスの中にスワンがいる」と言ったほどであった[3]

1978年のドラフト2位で近鉄バファローズに指名され、入団した。

近鉄時代[編集]

3年目の1981年に一軍初昇格し、遊撃手として13試合に先発出場した。57試合に出場して打率.316を記録した。高校時代からつけ始めていた野球日記を入団後も書き続け、すでに7冊目に達し、夜はテッド・ウィリアムズの「バッティングの科学」に読み更けるなど研究熱心さも人一倍であった。女性ファンからのファンレターの数は梨田昌孝と双璧で、ニックネームは「第二の梨田」であった[4]

1982年は、開幕から9番・遊撃手に抜擢されるが、打撃面で伸びず夏場には石渡茂に定位置を譲った。6月23日に、右太腿肉離れを起こし二軍落ちした。前年9月から肩の痛みがあったが、レギュラーの座を手放したくないために黙々と痛みに耐えながらプレーを続けたが、右肩は少し動かすだけでも痛むなど体は悲鳴を上げた。

1983年に復活したが、6月19日の南海戦(大阪)で、併殺のため二塁のベースカバーに入った瞬間に滑り込んだ走者のジム・ライトルと接触し、靭帯を断裂した。

1984年加藤英司大原徹也との2対2の交換トレードで福井保夫と共に広島東洋カープへ移籍した。

広島時代[編集]

1986年日南キャンプ中の紅白戦でを骨折した[5]

同年は6試合の出場に留まり、1987年シーズン途中に永田利則と共に西山秀二との交換トレードで南海ホークスへ移籍した。

南海・ダイエー時代[編集]

当時の南海は小川史中尾明生湯上谷宏坂口千仙など似たタイプの選手がレギュラー争いをしていた。5月から主に遊撃手として起用され、同年は65試合に先発出場した。

「福岡ダイエーホークス」となった1989年には、二塁手三塁手を兼ねるユーティリティープレイヤーとして活躍し、自己最多の70試合に先発した。

以降は守備固め要員として起用され、1990年頃から藤本博史・湯上谷・小川との4人(4人とも名前読みが『ひろし』)で内野を守ることが度々あった。

1993年は、藤本が一塁手に回り、その後継として開幕から三塁手として起用されるがレギュラー確保とはならず、1994年松永浩美の移籍入団以降は出場機会が減り、1996年限りで現役を引退した。

引退後[編集]

引退後はダイエー→ソフトバンクで二軍野手育成コーチ(1997年)、二軍内野守備・走塁コーチ(1998年 - 1999年)、一軍内野守備・走塁コーチ(2000年 - 2002年, 2005年, 2007年 - 2008年)、二軍監督兼内野守備・走塁コーチ(2003年 - 2004年)、一軍チーフ兼内野守備・走塁コーチ(2006年)、一軍ヘッド兼内野守備・走塁コーチ(2009年)を務めた。

ノックの技術は球界屈指とされ[6]、当時の監督王貞治も「ノックだけで飯が食える」と評している[7][8]。あるテレビ番組のコーナーで「ここ(通常の右打席)から打って三塁線のフェアーの打球を3バウンドさせ外野フェンスの○△×□社の広告の“×”の文字に当てて下さい」と注文された森脇は、いとも簡単に言われた通りのノックを披露してみせた。

2006年シーズン開幕前、王がWBC日本代表監督としてチームを離れていた間と、7月6日からは王の胃癌手術に伴う休養のため、監督代行を務めた。リーグ優勝を逃したことについて、「残念」「罪の意識すらある」と語った。あくまでも肩書は監督代行(チーフ)兼内野守備・走塁コーチであったため、王監督休養後も攻撃時には三塁ベースコーチボックスに立ち指揮していた。

2007年からは秋山幸二の一軍総合コーチ就任に伴い一軍内野守備・走塁コーチに専念し、2009年は監督に昇格した秋山の下で一軍ヘッド兼内野守備・走塁コーチを務めたが、11月24日に「組織の活性化」を理由に大石大二郎と入れ替わる形で解任された[9][10][11]。秋季キャンプでも指導し、秋山とも翌シーズンの話をしていたさなかの解任に対し、森脇は「今回の例は自分で最後にしてもらいたい」と発言した[10]

ソフトバンク退団後の2010年からはJ SPORTSNHK福岡放送局(本数契約)・ラジオ日本(本数契約)解説者を務め、2月8日からソフトバンクの編成アドバイザーとして契約を結んだ[12]

2011年読売ジャイアンツ二軍内野守備・走塁コーチ[13]を務め、2012年オリックス・バファローズ一軍チーフ野手兼内野守備・走塁コーチに就任し[14]、攻撃時は三塁ベースコーチを務めた。チームの最下位確定後の9月25日から、監督の岡田彰布の休養に伴い、10月8日の最終戦まで監督代行として9試合指揮を執り、7勝2敗の成績を残した。

オリックス監督時代[編集]

2013年からオリックスの監督へ正式に就任した[15]。記者会見では「悔しい思いを二度と味わわない。そして何よりもファンの方にも味わわす訳にはいかないという気持ちを一つに纏め、プロフェッショナルな意識を持っていきたい。」と意気込みを語った。

1年目の2013年7月28日の西武戦(西武ドーム)で、李大浩の空振り三振をめぐる抗議時の球審の西本欣司への暴力行為で、李と共に退場処分となった(李は侮辱行為)[16]。森脇にとっては初の退場処分であり、監督代行はヘッドコーチの福良淳一が務めた。同年は5位に終わるが、2014年には開幕から上位を走ると、前半戦を首位でターンし、8月24日には監督契約を2016年のシーズン終了まで延長することが球団から発表された[17]。公式戦では終盤にソフトバンクに逆転されて優勝を逃し、首位とゲーム差なしの2位で終了し、2008年以来6年ぶりにクライマックスシリーズへ進出したが、1勝2敗でシーズン3位の日本ハムに敗れた。

2015年中島裕之小谷野栄一トニ・ブランコブライアン・バリントンを獲得による大型補強でシーズンに臨んだが4人とも故障で離脱する。最下位に低迷し、19勝34敗1分で迎えた開幕54試合目の広島戦(5月31日・京セラドーム京セラ)に敗れ、自力でのリーグ優勝の可能性が消滅した[18]。6月2日には成績不振を理由に休養し、ヘッドコーチの福良が監督代行に就任することが球団から発表された[19]

8月31日付で監督職を正式に退任し、2015年9月1日付で仰木彬中村勝広に次ぐ球団3人目のシニアアドバイザーに就任した[20]

オリックス監督退任後[編集]

SA就任後はチーム編成・運営に関するアドバイスを球団のフロントへ伝える傍ら、評論家として活動することもあった。福良が監督へ正式に就任した2016年に、10月31日付でSAとしての任期が満了し、同職を退任し[21]、11月1日からは長谷川滋利が職務を引き継いだ[22]

2017年からは中日ドラゴンズ一軍内野守備・走塁コーチ(ヘッドコーチ格)として現場に復帰した。8月13日のヤクルト戦(ナゴヤ)は、森が私用のため試合途中でベンチを離れるため、3回から監督代行を務めた[23]

2018年には新設の一軍野手チーフコーチへ異動となったが[24]、シーズン終了後に森が監督を退任したことに伴って退任し、森脇は「森さんの力、ドラゴンズの力になるために全力を尽くす形でやってきたが、監督が退任されるので一蓮托生です。」と述べている[25]

中日退団後、学生野球の資格回復研修会を受講し[26]2019年2月5日付で日本学生野球協会から資格回復の適性を認定された[27]。同年4月12日付で、福岡工業大学特別コーチに就任している[28]

2020年12月14日、ダイエーコーチ時代の教え子である井口資仁が監督を務める千葉ロッテマリーンズの一軍野手総合兼内野守備コーチに就任した[29][30]

エピソード[編集]

  • 彫りの深い端正な顔立ちで、近鉄二軍時代から一部で非常に人気が高かった。「球界の草刈正雄」と呼ばれ[31]漫画家真柴ひろみは、自作の登場人物に「森脇浩司」と名付けたこともある。
  • 広島時代のチームメイトだった津田恒実とは無二の親友で、津田が脳腫瘍に冒されて現役を引退し、晩年に福岡市内の病院で闘病生活に当たっていた時には積極的に周辺の世話を行い、津田に対して「俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に掛け合ってやる」と励ましていた[32]。また1993年に森脇が結婚し、披露宴を挙げた際には、他界した津田の席も用意してキャンドルサービスを行った。2000年に放送された津田の生涯を綴ったドラマ「最後のストライク」(フジテレビ)でも親友役として登場し、森脇役を石黒賢が演じた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 近鉄 57 63 57 10 18 4 0 2 28 7 1 0 1 0 4 0 1 9 2 .316 .371 .491 .862
1982 55 168 149 15 31 6 0 2 43 8 3 1 7 1 11 0 0 26 1 .208 .261 .289 .549
1983 23 33 27 4 8 3 0 0 11 4 0 0 1 1 3 0 1 4 1 .296 .375 .407 .782
1984 広島 20 11 11 6 3 0 0 0 3 1 2 0 0 0 0 0 0 4 0 .273 .273 .273 .545
1985 46 24 21 6 2 0 0 0 2 0 0 1 2 0 1 0 0 5 1 .095 .136 .095 .232
1986 6 6 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
1987 南海
ダイエー
91 198 172 22 35 1 0 3 45 11 3 2 11 1 12 0 2 36 4 .203 .262 .262 .524
1988 62 36 32 8 5 0 0 0 5 1 0 1 3 0 1 0 0 7 0 .156 .182 .156 .338
1989 98 285 241 34 62 14 5 4 98 17 5 3 12 1 31 2 0 73 4 .257 .341 .407 .747
1990 46 111 90 8 20 2 0 1 25 6 0 1 7 2 12 0 0 20 5 .222 .308 .278 .585
1991 66 32 28 2 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 4 0 0 3 0 .071 .188 .107 .295
1992 77 41 34 9 7 1 1 1 13 4 1 0 4 0 1 0 2 11 0 .206 .270 .382 .653
1993 98 188 167 15 35 6 1 1 46 12 1 1 6 0 15 0 0 34 8 .210 .275 .275 .550
1994 82 65 54 12 14 7 0 0 21 3 0 2 4 0 7 0 0 10 1 .259 .344 .389 .733
1995 16 6 6 1 1 0 0 0 1 0 1 1 0 0 0 0 0 2 1 .167 .167 .167 .333
NPB:15年 843 1267 1095 152 244 45 7 14 345 75 17 13 58 6 102 2 6 245 28 .223 .291 .315 .606
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

通算監督成績[編集]

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
2013年 オリックス 5位 144 66 73 5 .475 15.0 93 .256 3.31 53歳
2014年 オリックス 2位 144 80 62 2 .563 0.0 110 .258 2.89 54歳
2015年 オリックス 5位 54 19 34 1 .358 31.0 94 .248 3.62 55歳
通算:3年 406 202 193 11 .511 Aクラス1回、Bクラス2回
  • 1 通算成績には2006年ソフトバンク(7月8日から閉幕まで)の監督代行55試合(30勝22敗3分勝率.577)および2012年オリックス(9月25日から閉幕まで)の監督代行9試合(7勝2敗勝率.778)を含む[33]
  • 2 2015年成績不振の責任を取り休養。監督成績は休養前の5月31日まで。監督代行は福良淳一

記録[編集]

背番号[編集]

  • 31(1979年 - 1983年)
  • 23(1984年 - 1985年)
  • 12(1986年 - 1987年途中)
  • 15(1987年途中 - 同年終了)
  • 4(1988年 - 1996年)
  • 79(1997年 - 1999年、2003年 - 2004年)
  • 82(2000年 - 2002年)
  • 88(2005年 - 2009年、2012年 - 2015年)
  • 73(2011年)
  • 85(2017年 - 2018年)
  • 86(2021年 - )

著書[編集]

関連情報[編集]

出演[編集]

CD[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 86 森脇 浩司 選手名鑑2021|千葉ロッテマリーンズ” (日本語). 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2021年8月24日閲覧。
  2. ^ 元ダイエー森脇氏が福工大特別コーチ就任”. 西日本スポーツ (2019年3月27日). 2019年3月27日閲覧。
  3. ^ 三塁ベースコーチが野球を変える、澤宮優河出書房新社、2018年、ISBN 430941656X、p173
  4. ^ 澤宮、p174
  5. ^ 【阪神優勝】1985年開幕投手に選ばれた親さんを襲った悲劇とは?【広島カープ達川光男さん】【慶彦ごめんなさいシリーズ】【高橋慶彦】【池田親興】 - YouTube
  6. ^ 森脇監督がT岡田復活へ愛情ノック105分 日刊スポーツ 2015年2月7日
  7. ^ オリックス・森脇監督 ONにはありがた迷惑な名人芸的恩返しZAKZAK 2014年6月19日
  8. ^ オリ森脇監督の「休養会見」に巨人球団が冷ややかだったワケ 日刊ゲンダイ 2015年6月3日
  9. ^ 森脇 浩司ヘッドコーチの退団について
  10. ^ a b 何があったソフトバンク 指揮官戸惑い 愛弟子は号泣”. スポニチ (2009年11月26日). 2009年11月26日閲覧。
  11. ^ あり得ない…ソフトバンク大揺れヘッド入れ替え人事”. スポニチ (2009年11月26日). 2009年11月26日閲覧。
  12. ^ 編成アドバイザー契約のお知らせ
  13. ^ 森脇浩司、清水崇行、小関竜也の3氏が二軍コーチに就任”. 読売ジャイアンツ (2010年10月26日). 2011年11月12日閲覧。
  14. ^ 【オリックス】森脇コーチの就任を発表”. 日刊スポーツ (2011年11月12日). 2011年11月12日閲覧。
  15. ^ [1] オリックス・バファローズ オフィシャルサイト 2012年10月8日
  16. ^ 【オリックス】森脇監督と李大浩が退場日刊スポーツ2013年7月28日配信
  17. ^ オリ森脇監督続投もう2年、長期政権へ”. 日刊スポーツ (2015年8月24日). 2015年9月1日閲覧。
  18. ^ オリックス自力V消滅 3連敗で54戦借金15”. 日刊スポーツ (2015年5月31日). 2015年9月1日閲覧。
  19. ^ 森脇浩司監督休養のお知らせ オリックス・バファローズオフィシャルサイト(2015年6月2日)
  20. ^ オリックス森脇監督が退任、シニアアドバイザー就任”. 日刊スポーツ (2015年8月27日). 2015年9月1日閲覧。
  21. ^ オリックス 前監督の森脇SAと契約更新せず 球団幹部が明かす”. 時事通信 (2016年9月18日). 2016年9月25日閲覧。
  22. ^ 長谷川滋利氏「サポートしたい」オリックスSA就任”. 日刊スポーツ (2016年9月18日). 2016年10月24日閲覧。
  23. ^ “【中日】試合途中に森監督から森脇監督代行へ”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年8月13日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170813-OHT1T50094.html 2017年8月29日閲覧。 
  24. ^ “【中日】森野コーチは二軍、朝倉コーチは一軍…首脳陣割り振り決定”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2018年1月15日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180115-OHT1T50148.html 2018年1月17日閲覧。 
  25. ^ 中日 退任のコーチ陣があいさつ 森脇氏「森監督と一蓮托生」 近藤氏「責任を取らないと」スポーツニッポン(2018年10月18日)
  26. ^ 学生野球の資格回復研修、高田繁氏ら136人が受講サンケイスポーツ(2018年12月15日)
  27. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者日本学生野球協会
  28. ^ 森脇浩司元オリックス監督が福岡工大コーチに就任
  29. ^ ロッテ、森脇浩司氏が1軍内野守備走塁コーチ就任 引退の大谷智久は育成投手コーチにFull-Count(2020年12月14日)
  30. ^ ロッテが2021年シーズンの組閣発表! 現役引退の大谷コーチら計22名ベースボールキング(2020年12月14日)
  31. ^ 週刊ベースボール2012年11月5日号 P33
  32. ^ 森脇コーチ感無量…「俺の年俸は半額でも」津田さんを励まし続ける-Sponichi Annex 2012年1月14日 2017年4月5日閲覧
  33. ^ 2018年版パ・リーグ ブルーブック P180 パ・リーグ在籍全監督通算成績

関連項目[編集]

外部リンク[編集]