梶谷隆幸

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梶谷 隆幸
横浜DeNAベイスターズ #3
20130407 Takayuki Kajitani, infielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Meiji Jingu Stadium.JPG
2013年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県松江市
生年月日 (1988-08-28) 1988年8月28日(30歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手外野手[注 1]
プロ入り 2006年 高校生ドラフト3巡目
初出場 2009年4月9日
年俸 1億2,800万円(2018年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

梶谷 隆幸(かじたに たかゆき、1988年8月28日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する島根県松江市出身のプロ野球選手外野手内野手)。右投左打。「蒼い韋駄天」の異名を持つ。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

松江市立持田小学校4年生の時に「持田ボンバーズ」で軟式野球を始める。松江市立第二中学校野球部を経てクラブチームの乃木ライオンズシニアに所属。開星高等学校への進学後は、3年夏の第88回全国高等学校野球選手権全国大会に「1番・遊撃手」として日大山形高校との初戦に臨んだが、6-13というスコアで敗れた。

2006年のNPB高校生ドラフト会議で、横浜ベイスターズから3巡目で指名。契約金4,500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で、内野手として入団した。入団当初の背番号は63

プロ入り後[編集]

2007年、一軍公式戦の出場機会はなく、イースタン・リーグ公式戦でも、52試合の出場で打率.136に終わった。

2008年、イースタン・リーグ公式戦で、遊撃手のレギュラーに定着。84試合の出場で、打率.250、19打点、14盗塁という成績を残したが、2年続けて一軍への昇格を見送られた。

2009年4月9日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で、二塁の守備要員として出場したことを皮切りに、一軍公式戦22試合に出場。4月26日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に「2番・二塁手」として一軍公式戦初スタメンを経験すると、初盗塁も記録した。4月30日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では、後にチームメイトになる久保康友から初本塁打を放っている。

2010年、一軍公式戦での出場はわずか5試合(4打数0安打)にとどまったが、イースタン・リーグ公式戦では、湘南シーレックス史上最多のシーズン33盗塁を達成。同リーグの盗塁王も獲得した。

2011年、故障などの影響で一軍公式戦への出場機会はなく、イースタン・リーグ公式戦でも、盗塁数を大幅に減らすなど成績を落とした。シーズン終了後には、金本知憲野村謙二郎新井貴浩良太兄弟も通う広島市内のトレーニング・ジム「アスリート」で、肉体改造に勤しんだ(詳細後述)。

2012年、この年から一軍監督に就任した中畑清が「機動力野球」という方針を掲げたことを受けて、オープン戦で17試合に出場。打率.347(セ・パ12球団の規定打席到達者中6位)、12球団トップの13盗塁という好成績を残した[2]ため、3月30日には阪神との開幕戦(京セラドーム大阪)に「1番・遊撃手」としてスタメンに起用された[3][注 2]。開幕後もスタメンでの起用が続いたが、二軍降格を経験するなど、深刻な打撃不振に陥った。結局、一軍公式戦では、80試合の出場で打率.179と低迷。そのため、秋のフェニックスリーグでは、中畑から直々に指導を受けた[4]

2013年、レギュラー二塁手・内村賢介のバックアップ要員として迎えた前半戦に、守備で凡ミスを連発したため、一時は二軍調整を余儀なくされた(詳細後述)。再昇格後に復調したものの、7月11日の対広島東洋カープ戦(横浜)で、二塁へのスライティング中に右足首を痛めて戦線離脱。しかし、戦線に復帰した8月には、81打数33安打、打率.407、8本塁打、22打点という好成績で打線を支えた。終盤には成績を若干落としたが、シーズン全体では、一軍公式戦77試合に出場。規定打席には届かなかったものの、打率.346、7盗塁、チーム2位の16本塁打を記録した。シーズン終了後の11月には、台湾で催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」に、日本代表[5]の一員として全3試合にスタメンで起用。7打数3安打2打点という成績を残した。

2014年、この年から外野手に転向すると共に、背番号を3に変更。開幕から主に、「3番・右翼手」として起用された。5月下旬から調子を落とすと、6月には、月間打率.151、8安打(ノーアーチ)と低迷した。7月には、打率.368を記録するなど復調。中距離打者のユリエスキ・グリエル内野手が5月下旬に入団したことから、シーズン後半には、1番打者を任せられることが増えた。さらに、荒波翔の故障離脱や金城龍彦の不振によって、中堅手としての起用も増加。シーズン通算では、一軍公式戦142試合に出場するとともに、39盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。自身初めての規定打席到達も果たしたが、打率(.263)が前年を下回ったほか、リーグワースト3位の135三振を喫した。しかし、守備では両リーグ2位のUZR11.2、補殺も8という成績を記録した。

2015年、主に「3番・右翼手」としてレギュラーに定着するとともに、チームの前半戦首位ターンに貢献。前半戦終了後のオールスターゲームには、自身およびチームの好調を背景に、セントラル・リーグ外野手部門のファン投票3位で初出場を果たした[6]。一軍公式戦全体では、自己最多の134試合に出場。打率.275、3年連続の2桁本塁打(13本塁打)、リーグ2位の28盗塁、リーグトップの得点圏打率.352を記録した。守備でもUZRで両リーグ2位の7.6、補殺8という好成績を収めた。2シーズン終了後には、推定年俸8,300万円(3,700万円増)で契約を更改している。11月に開催の第1回WBSCプレミア12では、なお、シーズン中の7月16日第1回WBSCプレミア12日本代表の第1次候補へ入ったことが発表された[7]が、シーズン後に開かれた大会では登録されななかった[8]

2016年、中畑に代わって一軍監督へ就任したアレックス・ラミレスが、「2番・中堅手」として起用することを明言[9]。2月の春季キャンプ中には、3月開催の「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」に向けて、日本代表に再び選出された[10]。しかし、一軍キャンプ中盤の守備練習でフェンスへ激突。その影響で故障(球団の発表では「左脇腹の筋肉炎」)が生じた[11]ため、キャンプを離脱したうえで、前述の日本代表を辞退した[12]。実際には肋骨・筋肉の損傷や骨挫傷を伴う重傷で、3月中旬の調整中に患部を再び痛めたことから、一軍への再合流は5月4日の対ヤクルト戦(横浜)まで持ち越された[13][注 3]。しかし、開幕からリーグの下位に低迷していた一軍のチーム状況は、梶谷の合流を機に好転[14]。梶谷自身は、4番と8番以外の全打順を経験したほか、シーズン中盤以降は前年に続いて右翼手に起用された。その結果、自己最多の18本塁打を記録するなどの活躍で、チームを史上初のクライマックスシリーズ(CS)進出へ導いた。

「この時期まで試合ができるというのがめちゃくちゃ幸せだし、楽しみ。シーズン中とは違うというのは想定して、準備してきましたから、プレーでも示したい。上のチームを叩いて、チーム全員で向かっていきたい」[15]という姿勢で臨んだCSでは、巨人とのファーストステージ第1戦(10月8日)で、3回表にマイルズ・マイコラスから放った打球が東京ドームのバックスクリーン右側を直撃。この打球によって、チームのCS初本塁打と初打点を記録した[16]。ファーストステージ第3戦で内海哲也から死球を受けて左手薬指を骨折したが、チームは広島とのファイナルステージへ進出。全5試合に出場しながら骨折をものともしないプレーで奮闘したが、チームは1勝4敗で日本シリーズへの進出を逃した。特に10月15日の第3戦では、5回表の打席で勝ち越しの適時打を放つと、3点リードの8回裏2死満塁で迎えたピンチでは新井貴浩の飛球を右翼ファウルゾーンでダイビングキャッチ。攻守にわたる活躍によって、チームにステージ唯一の勝利をもたらした[17]。出場時には痛み止めを服用し、添え木で薬指と小指を固定しながら打席に立ち、愛用していたグラブの小指付近を切って穴を開けて指に負担がかからないようにするなど満身創痍であった[18]。梶谷はシリーズ終了後に、「2015年(のシーズン前半)に首位に立っていた時には、正直なところ優勝のイメージが湧かなかった。でも、CSを経験したことで、(個人でもチームでも)優勝の具体的なイメージが浮かぶようになっている」[19]と述懐している。

2017年、「下からの突き上げを跳ね除けていけるのか、それとも埋もれてしまうのか、勝負だと思っています」[19]と公言するほどの危機感を抱きながら、チームの優勝と25本塁打・40盗塁の達成を目標[19]に春季キャンプへ臨んだ。持病のぎっくり腰がオープン戦の期間中に再発したものの[20]、ラミレスが前年に掲げた2番起用構想を本格化すべく[21]、一軍公式戦の開幕から「2番・右翼手」としてスタメンに起用。従来の2番打者のイメージを覆す長打を試合の随所で放つ[22]一方で、3番打者を任されることもあった[23]。しかし、三振数がリーグトップに達したほか、無死(または1死)1塁で打席が回ってきた「2番・梶谷」に対して首脳陣が犠打を指示しないことによる弊害が徐々に露呈。「梶谷を下位の打順で自由に打たせたい」というラミレスの意向も背景に、同月2日の対巨人戦(東京ドーム)以降は、捕手の起用状況に応じて6番打者や7番打者[注 4]を担っている[24]。8月には月間打率が.196と低迷したが、7番打者として出場した同月24日の対広島戦(横浜)では、6-6の同点で迎えた延長10回裏無死1塁の打席で中田廉から適時二塁打。最大で5点差を付けられていたチームを、この一打によって、前日の同カードに続くサヨナラ勝利に導いた[25]。また、6番打者に起用された9月25日の対阪神戦(甲子園)では、シーズン20盗塁を記録。さらに、3日後(9月28日)に横浜スタジアムで催された同カードでは、3日前と同じ打順でシーズン20号本塁打を放った。DeNAの選手が一軍公式戦で同じシーズンに20本塁打と20盗塁を達成した事例は、大洋ホエールズ時代の桑田武1959年1961年)および、横浜大洋ホエールズ時代の長崎慶一1978年)に次いで4例目である[26]。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦137試合の出場で、リーグ最多の157三振を記録。最終打率も.243にとどまったが、通算21本塁打・21盗塁で、チームの2年連続CS進出に貢献した。

ポストシーズンでは、阪神とのCSファーストステージ(甲子園)3試合で打率が.538(13打数7安打)にまで達すると、チームが19年振りの日本シリーズ進出を決めた広島とのファイナルステージ第5戦(10月24日・マツダ)8回表に2点本塁打を記録[27]福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、「2番・右翼手」として出場した10月29日の第2戦(福岡ヤフオク!ドーム)6回表に、東浜巨からソロ本塁打を放った[28]。DeNAの選手による日本シリーズでの本塁打は、西武ライオンズと対戦した横浜ベイスターズ時代の1998年第5戦(西武球場)9回表にロバート・ローズが放って以来であった。日本シリーズでは右翼手として全試合フルイニング出場を果たしたが、第6戦の延長11回裏に、2死1・2塁から川島慶三が放ったゴロを前進守備で処理した後に本塁へ悪送球。このプレーがソフトバンクのサヨナラ勝利につながったため、チームは2勝4敗とう成績で19年振りのシリーズ制覇を逸した。それでも、12月6日の契約交渉では、推定年俸1億2,800万円(前年から3,500万増)で契約を更改。「プロに入った時には夢だった」という1億円プレーヤーの仲間入りを果たした[29]

2018年細川成也の急成長・神里和毅の入団などを背景に、ラミレスから正右翼手の座を確約されないままキャンプイン。実際には、右肩の状態が思わしくなかったことから、キャンプを二軍で過ごした[30]。オープン戦から一軍へ合流したものの、終盤に右の背筋を痛めたこと[31]や、神里が好調だったことから公式戦の開幕も二軍でスタート。4月26日の対広島戦(横浜)から一軍に復帰したが、当初は右翼手として神里と併用されていた。この年に入団したネフタリ・ソト内野手を「2番・右翼手」としてスタメンに固定する方針を首脳陣が打ち出したことを機に、5月中旬から「1番・中堅手」として再スタート[32]。ソトとの1・2番コンビで3割近い打率(.290)と6本塁打を記録したが、腰痛を発症したため、6月7日付で出場選手登録を抹消された[33]。その後、7月16日に再度出場選手登録されるも、8月1日の対巨人戦(横浜)で、2回裏に吉川光夫から右手首に死球を受け右手尺骨の骨折と診断され、翌2日に登録抹消となった[34]

選手としての特徴[編集]

DeNAでレギュラー外野陣の一角に定着した2014年から2017年までに、4シーズン続けて一軍公式戦で10本塁打・20盗塁を達成するなど、走塁・攻撃・守備の能力のバランスが良い選手[19]。高い身体能力の持ち主[19]で、横浜への入団記者会見(2006年12月11日)ではY字バランスを披露した。

2011年のオフシーズンには、「アスリート」でのトレーニングによって、体重を74kgから80kg、除脂肪体重を67.4kgから73.6kg、体脂肪率を9.0%から8.0%にそれぞれ増減させた。「アスリート」の平岡洋二代表は、梶谷について「150人に迫るプロ野球選手の指導歴の中でもトップクラスの肉体。3割・30本塁打・30盗塁のトリプルスリーさえ達成可能な、無限の可能性を秘めた肉体である」と語っている[35]。特に、筋力がその身体能力の裏付けとなっており、スクワットは190kg・ベンチプレスは110kgを記録している。これは体重当たりの筋力に換算すると、2.35倍・1.35倍となり、平岡によればこれまで指導してきたプロ野球選手の中でもトップクラスである[35]

打撃[編集]

打撃面では強く振ることを信条としていることもあって[36]三振が多い傾向にある。2016年シーズン終了時点で「PA/K」(1三振までに掛かる打席数)が3年連続で4点台(「4.51」→「4.38」→「4.09」)、2015年から3年連続でレギュラーシーズンの三振数がリーグワースト1位に達している。

2016年からDeNAの一軍監督として「梶谷の2番起用構想」を掲げている[37][38]ラミレスは、梶谷を2番打者に据えるメリットに、「犠打の指示を出さなくても、持ち前の長打力によって早い回で得点を取ったり、3番・4番打者につないだりすることができること」を挙げている[22]。もっとも同年には、梶谷が前述した故障でレギュラーシーズンの開幕に出遅れたことなどから、2番打者として起用された公式戦が8試合にとどまった。その一方で、3番打者として47試合、6番打者として21試合、1番打者として16試合、7番打者として9試合に出場するなど、4番と8番以外の全打順を経験した。梶谷自身は、このような起用について、「状態に応じて配慮してもらっていました。正直、レギュラー落ちも覚悟していたので、(ラミレスには)感謝しています」[19]と述懐。その一方で、「僕自身、打順はあまり意識していない。1番じゃなければ、正直何番でもいいんです」[19][注 5]「僕は多くは考えませんから(笑)。ただ打てばいいと思っている。だから2番に難しさは正直感じていません」[19]とも述べている。

走塁・守備[編集]

走塁面では、50m走5秒7の俊足が持ち味[39]であり、2014年シーズンから4年連続で20盗塁を記録。2014年には、39盗塁でセ・リーグの盗塁王を獲得した。本人曰く、「盗塁数よりも、盗塁成功率、あるいは次の塁を貪欲に狙う走塁意識の向上をむしろ強く心掛けている」[19]とのことである。ラミレスの方針で盗塁企図の判断が梶谷自身に委ねられた2017年には、「無謀な企図を控える」との理由で以前より企図数を減らしているにもかかわらず、盗塁成功率を向上させている[26]

守備面では、内野手時代の一軍公式戦で、イージーミスやボーンヘッドが目立っていた[40][41][42]。二塁手として出場していた2013年4月9日の対広島東洋カープ戦(横浜)では、3回表2死満塁の場面でゴロを処理した遊撃手石川雄洋が封殺を狙って二塁へ送球。梶谷がベースカバーに入らず一塁方向へ走っていたため、石川は慌てて一塁への送球に切り替えたが、内野安打になったばかりか2人の走者の本塁生還を許した。このプレーが原因で、梶谷は試合後に中畑から二軍への降格を伝えられている[40][41]。外野手へのコンバート後は、守備力の総合指標であるUZRで、リーグトップの数値を示している[43]

人物・エピソード[編集]

開星高等学校時代に監督として梶谷を指導した野々村直通は、梶谷の性格について、「私がバッティングについて『こういうふうにやれよ』と言っても、練習を見たらしていなかったりするが、プロではいろんな人の意見を聞いて自滅することも多いため、むしろよかったのでは」と語っている[42]。なお、2016年には、梶谷と同じ松江市出身・同校OBで6年後輩の白根尚貴福岡ソフトバンクホークスからDeNAに移籍している。

普段は感情をあまり表に出さないことから、寡黙でクールなイメージが強いと思われがちだが、根は熱い魂の持ち主であり、勝利への人一倍の執着心を併せ持つ選手であるという[15]。それを象徴するエピソードの一つが、先述の2016年のクライマックスシリーズファイナルステージである。このCSの第1ステージ第3戦で、内海哲也から死球を受けて左手薬指を骨折して「フルスイングが難しい」状態であったが、ファイナルステージ第3戦で適時打やダイビングキャッチ、第4戦で本塁打を放つなど随所で貢献し、「打率.250(16打数4安打)、1本塁打、3打点」の成績で終えた。このときの心境について、「骨折しているのに出て、だめだったらたたかれるのは分かっていた。だから、出ると決めた以上は腹をくくって、絶対に結果を残そうと。それに球団で初めて出場するCSに出なかったら一生、後悔すると思った」「これで試合に出なかったら、内海さんに申し訳ないでしょ」と述べており[44][45]、CS終了後、「俺ってけっこう根性あるんだな、と思いました。自分で自分をようやったな、と。個所によっては骨が折れてもやれるんだな、と分かりました」と振り返っている[44]

本人曰く、「もともと本来は喜怒哀楽が激しいタイプなんです。だからこそ、一つひとつのプレーに一喜一憂しないようにしています。試合中は完全に自分を『作って』ます」[19]「(2016年の)CSで本当は熱い人間であることを報道してくれて正直嬉しかった。本塁打を打ったときは、そりゃめちゃくちゃ嬉しいですよ」[19]という趣旨のことを述べている。

特にラミレス政権になってからは、「チームリーダー」的な役割を求められるようになったとのことだが、本人曰く「それは自覚しています」と述べた上で、「もともと人をまとめるのは得意ではなくて、言葉ではうまく伝えられないタイプなんですけど、なんとかプレーや行動でチームを引っ張っていけたらなと思っています」とのことである[19]

先述のように、走攻守をバランスよく備える選手と評価されることが多いが、本人曰く「個人タイトルには全く興味はない。チームの勝利こそ最優先。個人タイトルやトリプルスリーはあとからついてくればいいや、という感じです」[19]ということを、2017年1月のインタビューにて述べている。


詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2009 横浜
DeNA
22 44 39 4 5 1 0 1 9 2 1 0 4 0 1 0 0 10 0 .128 .150 .231 .381
2010 5 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2012 80 252 223 17 40 5 3 2 57 11 5 8 7 0 21 0 1 61 4 .179 .253 .256 .509
2013 77 287 254 59 88 17 4 16 161 44 7 4 4 0 27 1 2 60 6 .346 .413 .634 1.047
2014 142 609 525 76 138 26 9 16 230 72 39 8 3 4 70 5 7 135 12 .263 .355 .438 .793
2015 134 578 520 70 143 35 2 13 221 66 28 13 2 2 54 0 0 132 4 .275 .342 .433 .767
2016 107 450 396 69 108 20 4 18 190 56 26 7 1 0 49 0 4 110 2 .273 .359 .480 .839
2017 137 578 511 83 124 27 2 21 218 60 21 3 0 2 62 2 3 157 10 .243 .327 .427 .754
NPB:8年 704 2802 2472 378 646 131 24 87 1086 311 127 44 21 8 284 8 17 668 38 .261 .341 .439 .780
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)へ球団名変更

年度別守備成績[編集]



二塁 三塁 遊撃 外野
















































2009 横浜
DeNA
14 13 41 2 6 .964 - - -
2012 - 1 1 1 0 0 1.000 75 90 183 10 28 .965 -
2013 3 4 4 0 1 1.000 7 4 8 0 0 1.000 62 91 167 10 36 .963 -
2014 - - - 136 303 8 6 2 .981
2015 - - - 133 244 8 2 3 .992
2016 - - - 104 182 4 4 1 .979
2017 - - - 135 218 4 1 2 .996
通算 17 17 45 2 7 .969 8 5 9 0 0 1.000 137 181 350 20 64 .965 508 947 24 13 8 .987
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

その他の記録
  • 月間得点:31(2013年8月) ※球団記録、セ・リーグ2位タイ、史上4人目
  • 2試合連続先頭打者本塁打:2014年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(横浜スタジアム)~2014年9月11日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム) ※球団記録タイ、史上31人目
  • オールスターゲーム出場:1回 (2015年

背番号[編集]

  • 63 (2007年 - 2013年)
  • 3 (2014年 - )

登場曲[編集]

  • LGYankees feat. 吉見一星「マジありがとう」
  • A.F.R.O.「FAMILY」(オリジナル曲)
  • 導楽 「Life Goes On」(奇数打席)

代表歴[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 2013年のシーズン終了後に、遊撃手から外野手へとコンバートされた。それ以後は専ら外野手として起用されている。
  2. ^ 中畑監督は、梶谷を抜擢した理由として、「2月のキャンプで初めてチームを見た時に、真っ先に目に飛び込んできたのが梶谷だった。脚力、身体のバネ、パワー、守備範囲、なんというか超人的というような身体能力の高さを持っている雰囲気があった。こいつの可能性にかけてみたい、そう思わせる魅力があった。さらに実際にオープン戦で起用してみると結果も出した。タイトルが狙える、そう期待して開幕の先発にも抜擢した」と述べている。
  3. ^ 後に2017年1月のインタビューにて、「開幕に間に合わせようと無理をして、故障を悪化させてしまい、チームに迷惑をかけたし自分も後悔した」「特に打撃面での『感覚』を取り戻すまでに想像以上に長い時間がかかってしまった」という趣旨のことを述べている。
  4. ^ 捕手ながら打点や得点圏打率がチーム上位である戸柱恭孝にスタメンマスクを任せる場合に限って、戸柱を6番、梶谷を7番に起用。逆に、戸柱に比べて打力の弱い捕手をスタメンで7番に起用する場合には、梶谷に6番を任せている。
  5. ^ 本人曰く、1番打者での起用をあまり望まない理由として、「試合が始まっていきなり打席に入るので、忙しく感じるから」とのことである。

出典[編集]

  1. ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年3月28日閲覧。
  2. ^ 2012年度 オープン戦 個人打撃成績(規定打席以上)日本野球機構オフィシャルサイト
  3. ^ 「DeNA梶谷 覚醒呼んだ『弱さ認める強さ』ギリギリの心を支えた中畑監督の信念」スポーツナビ、2013年10月7日、文:村瀬秀信
  4. ^ 「基本を身に付けてほしいだけ」/中畑監督 nikkansports.com
  5. ^ 2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト 2015年3月30日閲覧
  6. ^ 2015年オールスターファン投票/セ・リーグ選出選手一覧日刊スポーツ 2015年6月26日
  7. ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年7月16日)同年8月4日閲覧
  8. ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年10月9日)同年11月11日閲覧
  9. ^ 2番、中堅転向…キーマン指名 DeNA梶谷10年目の誓い「とにかく勝ちたい」FullCount 2016年1月6日
  10. ^ 3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月15日) 2016年2月17日閲覧
  11. ^ DeNA梶谷が侍辞退「残念」左脇腹の筋肉痛める日刊スポーツ 2016年2月18日
  12. ^ 侍ジャパン強化試合 出場選手変更のお知らせ 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月18日) 2016年2月24日閲覧
  13. ^ DeNA梶谷 ただいまV打 今季初出場「マジで疲れた~」スポーツニッポン 2016年5月5日
  14. ^ 【プロ野球】DeNA好調の要因?梶谷隆幸の”信念の強さ”のヒミツに迫る デイリーニュースオンライン(週刊野球太郎配信記事) 2016年6月3日
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]