梶谷隆幸

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梶谷 隆幸
横浜DeNAベイスターズ #3
20130407 Takayuki Kajitani, infielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Meiji Jingu Stadium.JPG
2013年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県松江市
生年月日 (1988-08-28) 1988年8月28日(28歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手内野手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト3巡目
初出場 2009年4月9日
年俸 9,300万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

梶谷 隆幸(かじたに たかゆき、1988年8月28日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する島根県松江市出身のプロ野球選手外野手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

松江市立持田小学校4年生の時に「持田ボンバーズ」で軟式野球を始める。松江市立第二中学校野球部を経てクラブチームの乃木ライオンズシニアに所属。開星高等学校3年生の夏には甲子園に出場している。

2006年高校生ドラフト会議横浜ベイスターズから3巡目で指名を受け入団。12月11日に行われた入団会見ではY字バランスを披露した。

プロ入り後[編集]

2007年は、一軍公式戦への出場機会はなく、イースタン・リーグ公式戦でも、52試合の出場で打率.136に終わった。

2008年は、2年続けて一軍への昇格を見送られたが、イースタン・リーグ公式戦で遊撃手のレギュラーに定着。84試合の出場で、打率.250、19打点、14盗塁という成績を残した。

2009年は、4月9日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(横浜スタジアム)で、二塁の守備要員として一軍デビュー。シーズン通算では、一軍公式戦22試合に出場するとともに、同月30日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で一軍初本塁打を放った。

2010年は、一軍公式戦での出場はわずか5試合(4打数0安打)にとどまったが、イースタン・リーグ公式戦では、湘南シーレックス史上最多のシーズン33盗塁を達成。同リーグの盗塁王も獲得した。

2011年は、故障などの影響で一軍公式戦への出場機会はなく、イースタン・リーグ公式戦でも、盗塁数を大幅に減らすなど成績を落とした。シーズン終了後には、金本知憲野村謙二郎新井貴浩良太兄弟も通う広島市内のトレーニング・ジム「アスリート」で、肉体改造に勤しんだ(詳細後述)。

2012年は、この年から一軍監督に就任した中畑清が「機動力野球」という方針を掲げたことを受けて、オープン戦で17試合に出場。打率.347(セ・パ12球団の規定打席到達者中6位)、12球団トップの13盗塁という好成績を残した[2]ため、3月30日には阪神との開幕戦(京セラドーム大阪)に「1番・遊撃手」としてスタメンに起用された[3][注 1]。開幕後もスタメンでの起用が続いたが、二軍降格を経験するなど、深刻な打撃不振に陥った。結局、一軍公式戦では、80試合の出場で打率.179と低迷。そのため、秋のフェニックスリーグでは、中畑から直々に指導を受けた[4]

2013年は、レギュラー二塁手・内村賢介のバックアップ要員として迎えた前半戦では、守備で凡ミスを連発したため、一時は二軍調整を余儀なくされた(詳細後述)。再昇格後に復調したものの、7月11日の対広島東洋カープ戦(横浜)で、二塁へのスライティング中に右足首を痛めて戦線離脱。しかし、戦線に復帰した8月には、81打数33安打、打率.407、8本塁打、22打点という好成績でベイスターズ打線を支えた。終盤には成績を若干落としたが、シーズン全体では、一軍公式戦77試合に出場。規定打席には届かなかったものの、打率.346、7盗塁、自己最多でチーム2位の16本塁打を記録した。シーズン終了後の11月には、台湾で催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」に、日本代表[5]の一員として全3試合にスタメンで起用。7打数3安打2打点という成績を残した。

2014年は、この年から外野手に転向するとともに、背番号を3に変更。開幕から主に、「3番・右翼手」として起用された。しかし、5月下旬から失速。6月には、月間打率は.151、本塁打無し、月間8安打と低迷した。7月には、打率.368を記録するなど復調。中距離打者のユリエスキ・グリエル内野手が5月下旬に入団したことから、シーズン後半には、1番打者を任せられることが増えた。さらに、荒波翔の故障離脱や金城龍彦の不振によって、中堅手としての起用も増加。シーズン通算では、一軍公式戦142試合に出場するとともに、39盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。自身初めての規定打席到達を果たしたが、打率(.263)が前年を下回ったほか、リーグワースト3位の135三振を喫した。しかし、守備では両リーグ2位のUZR11.2、補殺も8という成績を記録した。

2015年は、主に「3番・右翼手」としてレギュラーに定着するとともに、チームの前半戦首位ターンに貢献。前半戦終了後のオールスターゲームには、自身およびチームの好調を背景に、セントラル・リーグ外野手部門のファン投票3位で初出場を果たした[6]。一軍公式戦全体では、自己最多の134試合に出場。打率.275、3年連続の2桁本塁打(13本塁打)、リーグ2位の28盗塁、リーグトップの得点圏打率.352を記録した。守備でもUZRで両リーグ2位の7.6、補殺8という好成績を収めた。2年連続でシーズン終了後には、自己最高額の推定年俸8,300万円(3,700万円増)で契約を更改している。11月に開催の第1回WBSCプレミア12では、7月16日に日本代表の第1次候補選手として発表された[7]ものの、最終ロースターの28名に残らなかった[8]

2016年は、中畑に代わってこの年から一軍監督へ就任したアレックス・ラミレスが、「2番・中堅手」として起用することを明言[9]。2月の春季キャンプ中には、3月開催の「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」に向けて、日本代表に再び選出された[10]。しかし、一軍キャンプ中盤の守備練習でフェンスへ激突。その影響で故障(球団の発表では「左脇腹の筋肉炎」)が生じた[11]ため、キャンプを離脱したうえで、前述の日本代表を辞退した[12]。実際には肋骨・筋肉の損傷や骨挫傷を伴う重傷で、3月中旬の調整中に患部を再び痛めたことから、一軍への再合流は5月4日の対ヤクルト戦(横浜)まで持ち越された[13][注 2]。梶谷の不在が、チームのレギュラーシーズンの開幕からの(リーグの下位での)低迷の一因になっていたが、梶谷の負傷からの復帰を境にチームは勢いを取り戻していった[14]。梶谷自身も、前述した故障の影響で前年から出場試合が減ったにもかかわらず、自己最多の18本塁打を記録するなどの活躍でチームを史上初のクライマックスシリーズ(いわゆるCS)進出へ導いた。「この時期まで試合ができるというのがめちゃくちゃ幸せだし、楽しみ。シーズン中とは違うというのは想定して、準備してきましたから、プレーでも示したい。上のチームを叩いて、チーム全員で向かっていきたい」[15]と臨んだポストシーズンでは、巨人とのCS第1戦(10月8日)で、3回表にマイルズ・マイコラスから放った打球が東京ドームのバックスクリーン右側を直撃。この打球によって、チームのクライマックスシリーズ初本塁打と初打点を記録した[16]。その後、CS第3戦で内海哲也から死球を受けて左手薬指を骨折するも、広島との最終Sでは、第3戦でダイビングキャッチや適時打を放つなど、攻守両面で奮闘した。結果、1勝4敗で敗退したものの、そのプレーや姿勢は強い印象を残すこととなった[17]

なお、このシーズンでは、(先述のように)負傷明けであることの影響や、桑原将志が中堅手として台頭したこともあり、シーズンを通して右翼手として起用されて、打順も4番、8番以外の全打順を経験することとなったが、本人曰く「起用法は、状態に応じて配慮してもらっていました。正直、レギュラー落ちも覚悟していたので、感謝しています」[18]と述べている。また、「2015年(のシーズン前半)に首位に立っていたときは、正直優勝をイメージできなかった。でも今は、CSを経験したことで、(個人でもチームでも)優勝を具体的にイメージできるようになっている」[18]ということを、2017年1月のインタビューにて述べている。

2017年は、「下からの突き上げを跳ね除けていけるのか、それとも埋もれてしまうのか、今年が勝負だと思っています」[18]「今年こそチームの優勝が最大目標。個人としては、25本塁打、40盗塁(が目標)」[18]と位置付けてキャンプインした。

選手としての特徴[編集]

レギュラーに定着した2014年以後、「10本塁打、20盗塁」をクリアし続けており、走攻守をバランスよく備える選手である[18]

高い身体能力の持ち主でもある[18]。2011年のオフシーズンには、「アスリート」でのトレーニングによって、体重を74kgから80kg、除脂肪体重を67.4kgから73.6kg、体脂肪率を9.0%から8.0%にそれぞれ増減させた。「アスリート」の平岡洋二代表は、梶谷について「150人に迫るプロ野球選手の指導歴の中でもトップクラスの肉体。3割・30本塁打・30盗塁のトリプルスリーさえ達成可能な、無限の可能性を秘めた肉体である」と語っている[19]。特に、筋力がその身体能力の裏付けとなっており、スクワットは190kg・ベンチプレスは110kgを記録している。これは体重当たりの筋力に換算すると、2.35倍・1.35倍となり、平岡によればこれまで指導してきたプロ野球選手の中でもトップクラスである[19]

打撃[編集]

打撃面では強く振ることを信条としていることもあって[20]三振が多い傾向にあり、2016年シーズン終了時にて、「PA/K」(1三振までに掛かる打席数)は3年連続で4点台(「4.51」→「4.38」→「4.09」)であり、特に2015年から2年連続でリーグワースト1位を喫している。

走塁・守備[編集]

走塁面では、50m走5秒7の俊足が持ち味[21]であり、2014年シーズンから3年連続で20盗塁を記録、2014年には盗塁王に輝いている。本人曰く、「盗塁数よりも、盗塁成功率、あるいは次の塁を貪欲に狙う走塁意識の向上をむしろ強く心掛けている」[18]とのことである。

守備面では、内野手としてプレーしていたときは、イージーミスやボーンヘッドを犯すことがあった[22][23][24]。二塁手として出場していた2013年4月9日の対広島東洋カープ戦(横浜)では、3回表2死満塁の場面でゴロを処理した遊撃手石川雄洋が封殺を狙って二塁へ送球。梶谷がベースカバーに入らず一塁方向へ走っていたため、石川は慌てて一塁への送球に切り替えたが、内野安打になったばかりか2人の走者の本塁生還を許した。このプレーが原因で、梶谷は試合後に中畑から二軍への降格を伝えられている[22][23]。外野手へのコンバート後は、守備力の総合指標であるUZRで、リーグトップの数値を示している[25]

人物・エピソード[編集]

開星高等学校時代に監督として梶谷を指導した野々村直通は、梶谷の性格について、「私がバッティングについて『こういうふうにやれよ』と言っても、練習を見たらしていなかったりするが、プロではいろんな人の意見を聞いて自滅することも多いため、むしろよかったのでは」と語っている[24]。なお、2016年には、梶谷と同じ松江市出身・同校OBで6年後輩の白根尚貴福岡ソフトバンクホークスからDeNAに移籍している。

普段は感情をあまり表に出さないことから、寡黙でクールなイメージが強いと思われがちだが、根は熱い魂の持ち主であり、勝利への人一倍の執着心を併せ持つ選手であるとのこと[15]。それを象徴するエピソードの一つが、2016年のクライマックスシリーズ(いわゆるCS)ファイナルステージである。このCSの第1ステージ第3戦で、内海哲也から死球を受けて左手薬指を骨折して「フルスイングが難しい」状態であったが、ファイナルステージ第3戦で適時打やダイビングキャッチ、第4戦で本塁打を放つなど、(CS自体は1勝4敗で敗退に終わったが)「打率.250(16打数4安打)、1本塁打、3打点」の数字以上の貢献を果たした。このときの心境について、「骨折しているのに出て、だめだったらたたかれるのは分かっていた。だから、出ると決めた以上は腹をくくって、絶対に結果を残そうと。それに球団で初めて出場するCSに出なかったら一生、後悔すると思った」「これで試合に出なかったら、内海さんに申し訳ないでしょ」と述べており[26][27]、CS終了後、「俺ってけっこう根性あるんだな、と思いました。自分で自分をようやったな、と。個所によっては骨が折れてもやれるんだな、と分かりました」と振り返っている[26]

本人曰く、「もともと本来は喜怒哀楽が激しいタイプなんです。だからこそ、一つひとつのプレーに一喜一憂しないようにしています。試合中は完全に自分を『作って』ます」[18]「(2016年の)CSで本当は熱い人間であることを報道してくれて正直嬉しかった。本塁打を打ったときは、そりゃめちゃくちゃ嬉しいですよ」[18]という趣旨のことを述べている。

特にラミレス政権になってからは、「チームリーダー」的な役割を求められるようになったとのことだが、本人曰く「それは自覚しています」と述べた上で、「もともと人をまとめるのは得意ではなくて、言葉ではうまく伝えられないタイプなんですけど、なんとかプレーや行動でチームを引っ張っていけたらなと思っています」とのことである[18]

先述のように、走攻守をバランスよく備える選手と評価されることが多いが、本人曰く「個人タイトルには全く興味はない。チームの勝利こそ最優先。個人タイトルやトリプルスリーはあとからついてくればいいや、という感じです」[18]ということを、2017年1月のインタビューにて述べている。

また、特にラミレス政権では、指揮官から「2番での起用」を構想している趣旨の意向がしばしば示されている[28][29]が、本人曰く、「僕自身、打順はあまり意識していない。1番じゃなければ、正直何番でもいいんです」[18][注 3]「僕は多くは考えませんから(笑)。ただ打てばいいと思っている。だから2番に難しさは正直感じていません」[18]ということを、2017年1月のインタビューにて述べている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2009 横浜
DeNA
22 44 39 4 5 1 0 1 9 2 1 0 4 0 1 0 0 10 0 .128 .150 .231 .381
2010 5 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2012 80 252 223 17 40 5 3 2 57 11 5 8 7 0 21 0 1 61 4 .179 .253 .256 .509
2013 77 287 254 59 88 17 4 16 161 44 7 4 4 0 27 1 2 60 6 .346 .413 .634 1.047
2014 142 609 525 76 138 26 9 16 230 72 39 8 3 4 70 5 7 135 12 .263 .355 .438 .793
2015 134 578 520 70 143 35 2 13 221 66 28 13 2 2 54 0 0 132 4 .275 .342 .433 .767
2016 107 450 396 69 108 20 4 18 190 56 26 7 1 0 49 0 4 110 2 .273 .359 .480 .839
通算:7年 567 2224 1961 295 522 104 22 66 868 251 106 41 21 6 222 6 14 511 28 .266 .344 .443 .787
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2011年は一軍出場なし
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)へ球団名変更

年度別守備成績[編集]


二塁 三塁 遊撃 外野




























2009 14 13 41 2 6 .964 - - -
2012 - 1 1 1 0 0 1.000 75 90 183 10 28 .965 -
2013 3 4 4 0 1 1.000 7 4 8 0 0 1.000 62 91 167 10 36 .963 -
2014 - - - 136 303 8 6 2 .981
2015 - - - 133 244 8 2 3 .992
2016 - - - 104 182 4 4 1 .979
通算 17 17 45 2 7 .969 8 5 9 0 0 1.000 137 181 350 20 64 .965 373 729 20 12 6 .984
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

その他の記録
  • 月間得点:31(2013年8月) ※球団記録、セ・リーグ2位タイ、史上4人目
  • 2試合連続先頭打者本塁打:2014年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(横浜スタジアム)~2014年9月11日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム) ※球団記録タイ、史上31人目
  • オールスターゲーム出場:1回 (2015年

背番号[編集]

  • 63 (2007年 - 2013年)
  • 3 (2014年 - )
    • 28(2016 侍ジャパン強化試合)

登場曲[編集]

  • LGYankees feat. 吉見一星「マジありがとう」
  • A.F.R.O.「FAMILY」(オリジナル曲)

▪︎ 導楽 「Life Goes On」(奇数打席)

代表歴[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 中畑監督は、梶谷を抜擢した理由として、「2月のキャンプで初めてチームを見た時に、真っ先に目に飛び込んできたのが梶谷だった。脚力、身体のバネ、パワー、守備範囲、なんというか超人的というような身体能力の高さを持っている雰囲気があった。こいつの可能性にかけてみたい、そう思わせる魅力があった。さらに実際にオープン戦で起用してみると結果も出した。タイトルが狙える、そう期待して開幕の先発にも抜擢した」と述べている。
  2. ^ 後に2017年1月のインタビューにて、「開幕に間に合わせようと無理をして、故障を悪化させてしまい、チームに迷惑をかけたし自分も後悔した」「特に打撃面での『感覚』を取り戻すまでに想像以上に長い時間がかかってしまった」という趣旨のことを述べている。
  3. ^ 本人曰く、1番打者での起用をあまり望まない理由として、「試合が始まっていきなり打席に入るので、忙しく感じるから」とのことである。

出典[編集]

  1. ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月5日閲覧。
  2. ^ 2012年度 オープン戦 個人打撃成績(規定打席以上)日本野球機構オフィシャルサイト
  3. ^ 「DeNA梶谷 覚醒呼んだ『弱さ認める強さ』ギリギリの心を支えた中畑監督の信念」スポーツナビ、2013年10月7日、文:村瀬秀信
  4. ^ 「基本を身に付けてほしいだけ」/中畑監督 nikkansports.com
  5. ^ 2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト 2015年3月30日閲覧
  6. ^ 2015年オールスターファン投票/セ・リーグ選出選手一覧日刊スポーツ 2015年6月26日
  7. ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年7月16日)同年8月4日閲覧
  8. ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年10月9日)同年11月11日閲覧
  9. ^ 2番、中堅転向…キーマン指名 DeNA梶谷10年目の誓い「とにかく勝ちたい」FullCount 2016年1月6日
  10. ^ 3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月15日) 2016年2月17日閲覧
  11. ^ DeNA梶谷が侍辞退「残念」左脇腹の筋肉痛める日刊スポーツ 2016年2月18日
  12. ^ 侍ジャパン強化試合 出場選手変更のお知らせ 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月18日) 2016年2月24日閲覧
  13. ^ DeNA梶谷 ただいまV打 今季初出場「マジで疲れた~」スポーツニッポン 2016年5月5日
  14. ^ 【プロ野球】DeNA好調の要因?梶谷隆幸の”信念の強さ”のヒミツに迫る デイリーニュースオンライン(週刊野球太郎配信記事) 2016年6月3日
  15. ^ a b #3 梶谷隆幸「高校球児のような気持ちで」勝利だけを追い求めて”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト. 2016年12月13日閲覧。
  16. ^ 梶谷、記念すべきDeNAのCS初打点「入ってよかった」サンケイスポーツ 2016年10月9日
  17. ^ 決死ダイブで梶谷つかんだ1勝 借金チームがファイナルS初白星”. スポーツニッポン. 2016年12月13日閲覧。
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m 『週刊ベースボール』2017年2月13日&2月20日合併号、102頁~105頁。
  19. ^ a b 平岡代表の日記「梶谷 隆幸」 (2013年8月24日)2013年8月24日閲覧。
  20. ^ 屈指の好打者・梶谷 DeNAの快進撃けん引”. 日本経済新聞. 2016年12月13日閲覧。
  21. ^ ハマの怪盗カジタニ ニックネームで売り出す”. スポニチ Sponichi Annex (2012年3月24日). 2012年4月5日閲覧。
  22. ^ a b “DeNA梶谷 凡ミスで“懲罰”降格 ベースカバー怠る”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月10日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/10/kiji/K20130410005578240.html 2013年4月21日閲覧。 
  23. ^ a b 【DeNA】キヨシ厳命 梶谷に2軍行き nikkansports.com 2013年4月9日)
  24. ^ a b “中畑監督も認めた「新・絶好調男」 DeNA梶谷隆幸の身体と頭脳”. 日刊ゲンダイ. (2013年8月27日). http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/144223 
  25. ^ 2014年プロ野球 おさえておきたい守備(UZR)の話10選!~後編~”. 2015年11月16日閲覧。
  26. ^ a b DeNA・梶谷が激白 壮絶なCSでの骨折舞台裏”. サンケイスポーツ. 2016年12月13日閲覧。
  27. ^ 骨折梶谷「次に折れても」勝利奪うダイブ&適時打”. 日刊スポーツ. 2016年12月13日閲覧。
  28. ^ DeNA、2番・梶谷構想 カギを握るのは1番打者”. ベースボールキング. 2017年2月2日閲覧。
  29. ^ ラミレス監督「2番梶谷」にノルマ 3割、20本、70打点、30盗塁を”. デイリースポーツ. 2017年2月2日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]