1978年の野球

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競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 ヤクルトスワローズ 68 46 16 .596 -
2位 読売ジャイアンツ 65 49 16 .570 3.0
3位 広島東洋カープ 62 50 18 .554 5.0
4位 横浜大洋ホエールズ 64 57 9 .529 7.5
5位 中日ドラゴンズ 53 71 6 .427 20.0
6位 阪神タイガース 41 80 9 .339 30.5
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 前・後
優勝 阪急ブレーブス 82 39 9 .678 1・1
2位 近鉄バファローズ 71 46 13 .607 2・2
3位 日本ハムファイターズ 55 63 12 .466 3・4
4位 ロッテオリオンズ 53 62 15 .461 5・3
5位 クラウンライターライオンズ 51 67 12 .432 4・5
6位 南海ホークス 42 77 11 .353 6・6
  • 阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝となった。

日本シリーズ[編集]

  • ヤクルトスワローズ(4勝3敗)阪急ブレーブス

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 若松勉 ヤクルト   山田久志 阪急  
最優秀新人 角三男 巨人   村上之宏 南海  
首位打者 水谷実雄 広島 .348 佐々木恭介 近鉄 .354
本塁打王 山本浩二 広島 44本 B.ミッチェル 日本ハム 36本
打点王 王貞治 巨人 118点 B.マルカーノ 阪急 94点
最多安打 松原誠 大洋 164本 福本豊 阪急 171本
盗塁王 柴田勲 巨人 34個 福本豊 阪急 70個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 247個 佐々木恭介 近鉄 .407
最優秀防御率 新浦寿夫 巨人 2.81 鈴木啓示 近鉄 2.02
最多勝利 野村収 大洋 17勝 鈴木啓示 近鉄 25勝
最多奪三振 斉藤明雄 大洋 162個 鈴木啓示 近鉄 178個
最高勝率 鈴木康二朗 ヤクルト .813 山田久志 阪急 .818
最優秀救援投手 新浦寿夫 巨人 25SP 山口高志 阪急 26SP

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 新浦寿夫 巨人 鈴木啓示 近鉄
捕手 大矢明彦 ヤクルト 中沢伸二 阪急
一塁手 王貞治 巨人 柏原純一 日本ハム
二塁手 D.ヒルトン ヤクルト B.マルカーノ 阪急
三塁手 掛布雅之 阪神 島谷金二 阪急
遊撃手 高橋慶彦 広島 真弓明信 クラウン
外野手 山本浩二 広島 福本豊 阪急
若松勉 ヤクルト 佐々木恭介 近鉄
C.マニエル ヤクルト 簑田浩二 阪急
指名打者   土井正博 クラウン

ダイヤモンドグラブ賞[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 堀内恒夫 巨人 山田久志 阪急
捕手 大矢明彦 ヤクルト 中沢伸二 阪急
一塁手 王貞治 巨人 柏原純一 日本ハム
二塁手 土井正三 巨人 B.マルカーノ 阪急
三塁手 掛布雅之 阪神 島谷金二 阪急
遊撃手 山下大輔 大洋 大橋穣 阪急
外野手 山本浩二 広島 福本豊 阪急
若松勉 ヤクルト 簑田浩二 阪急
J.ライトル 広島 B.ウイリアムス 阪急

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

  • 2月16日 - 参議院法務委員会がドラフト制度を取り上げる。コミッショナー事務局長の井原宏、セリーグ会長の鈴木龍二、日本ハム球団代表の三原脩、元巨人監督の川上哲治、元ヤクルトの荒川尭が出席。

3月[編集]

  • 3月20日 - 巨人が大洋のジョン・シピンを金銭トレードで獲得。巨人はシピンに大洋時代と同じ背番号11を用意したため、それまで11を着けていた新人の角三男の背番号が45に変更される。
  • 3月30日 - 第50回選抜高校野球大会の第四日の第三試合の前橋高校対比叡山高校の試合で、前橋の松本稔が大会史上初の完全試合を達成[1]

4月[編集]

  • 4月1日
    • プロ野球がセ・パ同時に開幕。
  • 4月2日 - 大洋の高橋重行がナゴヤ球場での対中日2回戦に3番手として登板し、プロ通算500試合登板達成[2]
  • 4月4日 - 横浜スタジアムの開場試合となる大洋対巨人1回戦が午後6時20分より行われ、大洋が巨人に4対1で勝利する[3]
  • 4月6日
  • 4月8日 - ヤクルトの福富邦夫が広島球場での対広島4回戦の4回表に1号本塁打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[7]
  • 4月9日 - 日本ハムの高橋直樹が後楽園球場での対阪急3回戦で1勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[8]
  • 4月15日 - 中日の井上弘昭がナゴヤ球場での対阪神戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[9]
  • 4月21日 - 平和台球場でのクラウン対阪急4回戦が行われ、阪急の島谷金二が1回表に5号満塁本塁打を放ち、球団通算3000本塁打を記録[10]
  • 4月25日 - 阪神の藤田平が広島市民球場での対広島9回表に二塁打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[11]

5月[編集]

  • 5月6日 - 大洋の山下大輔が横浜スタジアムでの対ヤクルト7回戦の7回表にヤクルトの打者山下慶徳の遊ゴロを一塁へ悪投し、1977年8月28日対広島19回戦より続いていた連続無失策の記録が322で途絶える[12]
  • 5月14日 - 西宮球場での阪急対近鉄7回戦で近鉄が16-9プロと勝利、プロ野球史上初の全員打点を、パ・リーグ史上5度目の全員得点を記録[13]
  • 5月20日 - 大洋の長崎慶一が横浜スタジアムでの対阪神10回戦においてサイクル安打を達成[14]
  • 5月21日 - 阪急の島谷金二が大阪球場での対南海9回戦の5回表に6号本塁打、9回表に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[15]
  • 5月23日 - 阪急の加藤秀司が西宮球場での対日本ハム7回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[16]
  • 5月27日 - ロッテの山崎裕之が後楽園球場での対日本ハム9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[17]

6月[編集]

  • 6月3日
    • 大洋の平松政次が札幌円山球場での対中日10回戦で6勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[18]
    • 阪急の島谷金二が藤井寺球場での対近鉄10回戦の6回表に11号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[19]
  • 6月5日 - 阪神の田淵幸一が神宮球場での対ヤクルト8回戦の3回に17号本塁打、5回に18号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[20]
  • 6月6日 - クラウンの土井正博が西京極球場での対阪急9回戦の4回表に12号本塁打を放ち、プロ通算400本塁打を達成[21]
  • 6月7日 - 阪急の福本豊が西京極球場での対クラウン10回戦1回裏に二盗を決め、プロ通算650盗塁を達成[22]
  • 6月8日
    • 広島の衣笠祥雄が横浜スタジアムでの対横浜9回戦の2回表に13号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[23]
  • 6月18日 - 藤井寺球場で近鉄対クラウンのダブルヘッダー第12、13回戦で近鉄が連破し、川崎球場でロッテ対阪急9回戦で阪急がロッテを5-2で下し、阪急が前期優勝を決める[24]
  • 6月21日 - ヤクルトの若松勉が広島球場での対広島14回戦の5回表に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[25]
  • 6月25日 - 広島の水谷実雄が広島球場での対巨人13回戦の4回裏に6号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[26]
  • 6月28日 - ロッテは西宮球場での対阪急13回戦に6対7で敗れ、パ・リーグタイ記録の15連敗となる[27]

7月[編集]

  • 7月6日
    • 巨人は札幌市円山球場での対広島16回戦の2回表に、先発の浅野啓司が4四球、代わった角三男が3四球、さらに角に変わって登板した田村勲も3四球で1イニング10与四球のプロ野球ワースト記録[28]
    • 大洋の松原誠が横浜スタジアムでの対ヤクルト13回戦の2回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[29]
  • 7月10日 - 神宮球場でのヤクルト対巨人16回戦の一回表に、巨人のジョン・シピンがヤクルトの鈴木康二朗から死球を受けた後、鈴木に暴行を働き退場、さらに巨人先発のクライド・ライトも3回に降板を命じられたことに激昂し、カメラマンのカメラを取り上げて放り投げる行為に及ぶ[30][31]
  • 7月14日 - オールスター運営委員会はファン投票の最終結果を発表。パ・リーグは日本ハムの選手が8つのポジションを占め、日本ハムは三塁手で選出された古屋英夫、遊撃手で選出された菅野光夫の出場辞退をコミッショナーに申し出て受理される。代わりに島谷金二、大橋穣が選出される[32]
  • 7月18日 - 阪急の監督の上田利治が高熱で入院、22日からのオールスターのパ・リーグ監督を辞退[33]
  • 7月19日 - オールスター運営委員会は全パ監督を務める予定だった阪急の監督の上田利治の辞退を認め、上田の代わりに南海監督の広瀬叔功が全パ監督を務めると発表[34]
  • 7月31日 - パ・リーグ理事会にてパ・リーグ会長の岡野祐の辞任を了承。クラウンの球団代表の坂井保之が会長代行を務める[35]

8月[編集]

  • 8月3日 - 広島の衣笠祥雄が中日戦において、日本プロ野球史上3人目の1000試合連続出場を記録。
  • 8月8日 - 第49回都市対抗野球の決勝戦が後楽園球場にで午後1時より行われ、共に川崎市の東芝対日本鋼管の試合は東芝が日本鋼管を4-0で下して優勝[36]
  • 8月9日 - 中日のマーチンがナゴヤ球場での対巨人20回戦の4回裏に22号本塁打を放ち、150本塁打を達成[37]
  • 8月10日 - パ・リーグ会長の岡野祐が10日付で辞任し、パ・リーグ事務所で記者会見[38]
  • 8月13日 - 巨人の柴田勲が後楽園球場での対大洋21回戦の3回裏に二盗を決め、プロ通算550盗塁を達成[39]
  • 8月15日
    • 中日の木俣達彦が横浜スタジアムでの対大洋18回戦の5回表に安打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[40]
    • 阪急は病気療養中の監督の上田利治が25日の試合から復帰すると発表[41]
  • 8月20日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園において行われ、大阪府PL学園高知県高知商に3対2でサヨナラ勝ちし初優勝[42]。PL学園は準決勝、決勝を逆転で勝利し「逆転のPL」とよばれる。
  • 8月30日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対23回戦の6回裏に34号本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算800号本塁打を達成[43]
  • 8月31日 - 阪急のの今井雄太郎県営宮城球場での対ロッテ8回戦で完全試合を達成、プロ野球史上14人目[44]

9月[編集]

  • 9月5日 - 巨人対阪神21回戦の試合が甲子園球場で行われ、巨人は公式戦5000試合を記録[45]
  • 9月6日
    • 近鉄の鈴木啓示が後楽園での対日本ハム11回戦に完封勝利して23勝目を挙げ、10試合連続完投勝利のプロ野球新記録を達成[46]
    • 広島の山本浩二がナゴヤ球場での対中日19回戦の一回表に37号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[47]
  • 9月9日
    • 大洋の平松政次が横浜スタジアムでの対対中日24回戦の7回表にフレッドから三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[48]
    • 阪神の藤田平が甲子園球場での対ヤクルト23回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[49]
  • 9月14日
    • 近鉄の鈴木啓示が西宮球場での対阪急12回戦で阪急を完封して24勝目を挙げ、米田哲也の持つリーグ最多完封63の記録を更新する64個目の完封[50]
    • 阪神は横浜スタジアムでの対大洋21回戦で3-11と敗れ、球団創設以来初の最下位が決まる[51]
  • 9月22日 - 巨人の王貞治がナゴヤ球場での対対中日24回戦の8回表に38号ソロ本塁打を放ち、プロ通算2000打点を達成[52]
  • 9月23日 - 近鉄対阪急の13回戦が藤井寺球場にて行われ、この試合が後期最終戦となる近鉄は勝てば後期優勝が決まったが、阪急が近鉄を4-2と下す[53]
  • 9月26日 - パ・リーグの新会長に工藤信一良が就任することが決定し、東京・九段下のホテル・ブランパレスにて記者会見を行う[54]
  • 9月27日 - 阪急が川崎球場でのロッテ12回戦でロッテを4対1で下して勝利し、パ・リーグの後期優勝が決定、阪急は前期も優勝しているため4年連続9回目のリーグ優勝が決定[55]
  • 9月30日 - パ・リーグは全日程が終了[56]

10月[編集]

11月[編集]

  • 11月1日 - ヤクルトは監督の広岡達朗と新たに3年契約を結んだと発表[63]
  • 11月15日
    • 阪神の球団社長の小津安次郎と西武の監督の根本陸夫が大阪市内のホテル阪神にて午後6時半から記者会見し、田淵幸一を西武へのトレードを決定したと発表。一方田淵は態度を保留[64]

12月[編集]

  • 12月1日 - 西武は野村克也の入団を発表[70]
  • 12月6日 - 西武と阪神はさる11月に成立した田淵らの4-2のトレードを正式に発表[71]
  • 12月21日 - コミッショナーの金子鋭は、巨人と江川卓との契約を無効としたセ・リーグ会長の鈴木竜二の裁定を不服とした巨人からの提訴を却下したと発表[72]
  • 12月22日
    • コミッショナーの金子鋭は、この日行われたプロ野球実行委員会において、江川卓投手を巨人と阪神の間でキャンプインの来年2月1日までにトレードして事態の現実的な解決を図るという要請を出す[73]
    • ヤクルトと近鉄は、チャーリー・マニエル永尾泰憲神部年男佐藤竹秀寺田吉孝のトレードが成立したと発表[74]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 毎日新聞1978年3月31日1面「センバツ 松本(前橋)が完全試合 春夏通じ初の快挙 対比叡山戦」毎日新聞縮刷版1978年3月p923
  2. ^ 毎日新聞1978年4月3日16面「高橋500試合登板」毎日新聞縮刷版1978年4月p74
  3. ^ 毎日新聞1978年4月5日16面「『ハマ』の大洋 初戦飾る 巨人に逆転勝ち」毎日新聞縮刷版1978年4月p138
  4. ^ 毎日新聞1978年4月6日1面「センバツ 浜松商が初優勝 2-0 福井商を振り切る 50回大会」毎日新聞縮刷版1978年4月p155
  5. ^ 毎日新聞1978年4月6日16面「2000本安打」毎日新聞縮刷版1978年4月p74
  6. ^ 毎日新聞1978年4月6日16面「江川渡米」毎日新聞縮刷版1978年4月p172
  7. ^ 毎日新聞1978年4月9日17面「福富1000本安打」毎日新聞縮刷版1978年4月p271
  8. ^ 毎日新聞1978年4月10日19面「ハム、両目あいた 高橋直が完投、100勝」毎日新聞縮刷版1978年4月p295
  9. ^ 毎日新聞1978年4月16日17面「井上、1000試合出場」毎日新聞縮刷版1978年4月p483
  10. ^ 毎日新聞1978年4月22日15面「島谷が満塁アーチ パ今季初 3000号の祝砲」毎日新聞縮刷版1978年4月p673
  11. ^ 毎日新聞1978年4月26日17面「阪神藤田が千五百本安打」毎日新聞縮刷版1978年4月p791
  12. ^ 毎日新聞1978年5月7日17面「山下の連続無失策『322』でストップ」毎日新聞縮刷版1978年5月p153
  13. ^ 毎日新聞1978年5月15日19面「『超特急』にガタ 阪急、今度は大敗 『火消』山口、火勢をあおる 近鉄は全員打点」毎日新聞縮刷版1978年5月p389
  14. ^ 毎日新聞1978年5月21日15面「長崎、サイクル安打」毎日新聞縮刷版1978年5月p571
  15. ^ 毎日新聞1978年5月21日15面「島谷が通算1000本安打」毎日新聞縮刷版1978年5月p599
  16. ^ 毎日新聞1978年5月24日15面「加藤、1000本安打」毎日新聞縮刷版1978年5月p659
  17. ^ 毎日新聞1978年5月28日19面「1500試合出場」毎日新聞縮刷版1978年5月p793
  18. ^ 毎日新聞1978年6月4日19面「やはり平松、連敗阻止」毎日新聞縮刷版1978年6月p117
  19. ^ 毎日新聞1978年6月4日19面「島谷150本塁打」毎日新聞縮刷版1978年6月p117
  20. ^ 毎日新聞1978年6月6日19面「田淵は通算300号」毎日新聞縮刷版1978年6月p117
  21. ^ 毎日新聞1978年6月7日19面「土井、愛の401号」毎日新聞縮刷版1978年6月p201
  22. ^ 毎日新聞1978年6月8日19面「福本 輝く650盗塁」毎日新聞縮刷版1978年6月p233
  23. ^ 毎日新聞1978年6月9日19面「250本塁打」毎日新聞縮刷版1978年6月p267
  24. ^ 毎日新聞1978年6月19日19面「阪急、ぶっちぎり優勝 前期・五年連続 リーグ最短、57試合目で」毎日新聞縮刷版1978年6月p565
  25. ^ 毎日新聞1978年6月22日19面「1000本安打」毎日新聞縮刷版1978年6月p667
  26. ^ 毎日新聞1978年6月9日19面「100本塁打」毎日新聞縮刷版1978年6月p803
  27. ^ 毎日新聞1978年6月29日19面「ロッテ15連敗 パ・タイ」毎日新聞縮刷版1978年6月p903
  28. ^ 毎日新聞1978年7月7日19面「巨人、一番暑い夏 一イニング10与四球 不名誉日本新」毎日新聞縮刷版1978年7月p207
  29. ^ 毎日新聞1978年7月7日19面「松原300号」毎日新聞縮刷版1978年7月p207
  30. ^ 毎日新聞1978年7月11日19面「これでいいのか シピン、ライト」毎日新聞縮刷版1978年7月p311
  31. ^ 【7月10日】1978年(昭53) 乱闘、退場、暴言…暴走した助っ人シピン、ライト スポーツニッポン 2009年7月1日
  32. ^ 毎日新聞1978年7月15日19面「オールスター やっぱり、日ハムから八人 異例!球団が二人辞退」毎日新聞縮刷版1978年7月p443
  33. ^ 毎日新聞1978年7月19日19面「上田監督が高熱のためオールスター戦辞退」毎日新聞縮刷版1978年7月p559
  34. ^ 毎日新聞1978年7月20日19面「パ監督は広瀬 オールスター」毎日新聞縮刷版1978年7月p593
  35. ^ 読売新聞1978年7月31日19面「岡野会長の辞任承認」
  36. ^ 毎日新聞1978年8月9日1面「東芝に初の黒獅子旗 川崎市同士の対決 日本鋼管を破る 都市対抗野球」毎日新聞縮刷版1978年8月p217
  37. ^ 毎日新聞1978年8月10日14面「中日・マーチン150本塁打」毎日新聞縮刷版1978年8月p260
  38. ^ 読売新聞1978年8月11日17面「『勇気をもって新しいものを』岡野パ会長が正式辞任」読売新聞縮刷1978年8月p339
  39. ^ 読売新聞1978年8月14日14面[巨人・柴田勲外野手(三四)がプロ入り通算550盗塁」読売新聞縮刷1978年8月p493
  40. ^ 読売新聞1978年8月16日17面「中日・木俣達彦選手(三四)が1500本安打」読売新聞縮刷1978年8月p493
  41. ^ 毎日新聞1978年8月16日14面「上田監督25日から復帰」毎日新聞縮刷版1978年8月p424
  42. ^ 朝日新聞1978年8月21日1面「PL学園が初優勝 高知商に逆転サヨナラ 全国高校野球 二日続き”9回の奇跡”」朝日新聞縮刷版1978年8月p627
  43. ^ 読売新聞1978年8月31日1面「王、栄光の800号」読売新聞縮刷1978年8月p1017
  44. ^ 読売新聞1978年9月1日17面「今井雄(阪急)が完全試合 ロッテを100球 14人目、5年ぶり」読売新聞縮刷1978年9月p17
  45. ^ 読売新聞1978年9月6日17面「巨人5千試合目飾れず」読売新聞縮刷1978年9月p205
  46. ^ 読売新聞1978年9月7日17面「鈴木 日本新10連続完投勝ち」読売新聞縮刷1978年9月p241
  47. ^ 読売新聞1978年9月7日17面「広島・山本浩二外野手(三一)が通算250本塁打」読売新聞縮刷1978年9月p241
  48. ^ 読売新聞1978年9月10日17面「大洋・平松政次投手(三〇)が通算1500奪三振」読売新聞縮刷1978年9月p357
  49. ^ 読売新聞1978年9月10日17面「阪神・藤田平内野手(三〇)が1500試合出場」読売新聞縮刷1978年9月p357
  50. ^ 読売新聞1978年9月15日16面「近鉄3連勝、首位に立つ 鈴木お返し完封 通算64のリーグ新」読売新聞縮刷1978年9月p538
  51. ^ 読売新聞1978年9月15日17面「阪神大敗で最下位決定」読売新聞縮刷1978年9月p539
  52. ^ 読売新聞1978年9月23日17面「王38号、史上初の2000打点」読売新聞縮刷版1978年9月p839
  53. ^ 読売新聞1978年9月24日17面「阪急 近鉄を破り"逆王手"マルカーノ2ラン 鈴木KO」読売新聞縮刷1978年9月p865
  54. ^ 読売新聞1978年9月27日17面「『活気ある野球を』パ会長に就任の工藤氏」読売新聞縮刷1978年9月p949
  55. ^ 読売新聞1978年9月28日1面「パ・リーグ 阪急が4連覇」読売新聞縮刷1978年9月p969
  56. ^ 読売新聞1978年10月1日17面「鈴木『投二冠』 首位打者佐々木 どっと初顔、パ全日程終了」読売新聞縮刷1978年10月p17
  57. ^ 読売新聞1978年10月3日17面「金田監督(ロッテ)の辞任決定 "優勝できぬ責任とる"記者会見」読売新聞縮刷1978年10月p91
  58. ^ 読売新聞1978年10月10日19面「松岡が初の『沢村賞』ヤクルトV1に貢献」読売新聞縮刷版1978年10月p361
  59. ^ 売新聞1978年10月10日19面「ヤクルトついに無得点 『全試合』の大記録 最終戦で逸す」読売新聞縮刷版1978年10月p361
  60. ^ 売新聞1978年10月12日17面「山本浩(本塁打王)水谷(首位打者)が初 セも全日程終了」読売新聞縮刷版1978年10月p395
  61. ^ 日刊スポーツ1978年10月12日3面「刷新阪神スタート 球団新社長に小津氏就任」
  62. ^ 読売新聞1978年10月12日夕刊1面「ライオンズ(クラウンライター)身売り 西武系企業に10億円で譲渡」読売新聞縮刷版1978年10月p407
  63. ^ 読売新聞1978年11月2日17面「広岡ヤクルト 3年契約で」読売新聞縮刷版1978年10月p53
  64. ^ 読売新聞1978年11月16日17面「田淵の『西武放出』決定 本人は態度保留」読売新聞縮刷版1978年11月p549
  65. ^ 読売新聞1978年11月21日17面「タイムアップ 西武、江川を断念」読売新聞縮刷版1978年11月p751
  66. ^ 読売新聞1978年11月21日17面「江川"貝"になって帰国 『今さら話すことも・・・・・』あす注目のドラフト」読売新聞縮刷版1978年11月p751
  67. ^ 読売新聞1978年11月21日夕刊1面「江川投手、巨人と契約 ドラフト前日『期限切れでフリー』」読売新聞縮刷版1978年11月p759
  68. ^ 朝日新聞1978年11月22日1面「巨人と江川の契約無効 セ会長 実行委に諮り却下」朝日新聞縮刷版1978年11月p779
  69. ^ 朝日新聞1978年11月22日夕刊1面「江川、阪神に交渉権 注目の中 ドラフト会議」朝日新聞縮刷版1978年11月p809
  70. ^ 読売新聞1978年12月2日17面「ノムさんまたまた一卒兵へ 『奥義極める』- 西武の捕手に」読売新聞縮刷版1978年12月p61
  71. ^ 読売新聞1978年12月7日17面「『西武田淵』誕生」読売新聞縮刷版1978年12月p247
  72. ^ 朝日新聞1978年12月22日1面「『巨人江川』は認めぬ コミッショナーが提訴却下 ドラフト有効 阪神に交渉権」朝日新聞縮刷版1978年12月p763
  73. ^ 朝日新聞1978年12月23日1面「一転『巨人江川』を指令 来月中に阪神と交換を 金子コミッショナー」朝日新聞縮刷版1978年12月p793
  74. ^ 朝日新聞1978年12月23日15面「ヤクルト、近鉄で交換トレード」朝日新聞縮刷版1978年12月p807