1959年の野球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

< 1959年 | 1959年のスポーツ

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 77 48 5 .612 -
2位[1] 大阪タイガース 62 59 9 .512 13.0
中日ドラゴンズ 64 61 5 .512 13.0
4位 国鉄スワローズ 63 65 2 .492 15.5
5位 広島カープ 59 64 7 .481 17.0
6位 大洋ホエールズ 49 77 4 .392 28.5
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 南海ホークス 88 42 4 .677 -
2位 毎日大映オリオンズ 82 48 6 .631 6.0
3位 東映フライヤーズ 67 63 5 .515 21.0
4位 西鉄ライオンズ 66 64 14 .508 22.0
5位 阪急ブレーブス 48 82 4 .369 40.0
6位 近鉄バファロー 39 91 3 .300 49.0

日本シリーズ[編集]

1959年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月24日(土) 第1戦 読売ジャイアンツ 7-10 南海ホークス 大阪球場
10月25日(日) 第2戦 読売ジャイアンツ 3-6 南海ホークス
10月26日(月) 移動日
10月27日(火) 第3戦 南海ホークス 3-2 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月28日(水) 第4戦 雨天中止
10月29日(木) 南海ホークス 3-0 読売ジャイアンツ
優勝:南海ホークス(11年ぶり3回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 藤田元司 巨人 杉浦忠 南海
最優秀新人 桑田武 大洋 張本勲 東映
首位打者 長嶋茂雄 巨人 .334 杉山光平 南海 .323
本塁打王 森徹
桑田武
中日
大洋
31本 山内和弘 大毎 25本
打点王 森徹 中日 87点 葛城隆雄 大毎 95点
最多安打 長嶋茂雄 巨人 150本 葛城隆雄 大毎 163本
盗塁王 岡嶋博治 中日 41個 R.バルボン 阪急 38個
最優秀防御率 村山実 大阪 1.19 杉浦忠 南海 1.40
最多勝利 藤田元司 巨人 27勝 杉浦忠 南海 38勝
最多奪三振 金田正一 国鉄 313個 杉浦忠 南海 336個
最高勝率 藤田元司 巨人 .711 杉浦忠 南海 .905

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 藤田元司 巨人 杉浦忠 南海
捕手 藤尾茂 巨人 野村克也 南海
一塁手 藤本勝巳 大阪 榎本喜八 大毎
二塁手 土屋正孝 巨人 岡本伊三美 南海
三塁手 長嶋茂雄 巨人 葛城隆雄 大毎
遊撃手 吉田義男 大阪 豊田泰光 西鉄
外野手 大和田明 広島 杉山光平 南海
坂崎一彦 巨人 高倉照幸 西鉄
森徹 中日 山内和弘 大毎

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

  • 2月1日 - 大毎は球団代表が松村喜平に変わり和田準一が就任したと発表[3]
  • 2月5日 - パ・リーグは丸の内の東京会館にてオーナー、代表者合同会議を開き、専任のリーグ会長に野球評論家の中沢不二雄が就任することを決定[4]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

  • 7月5日 - 大洋の幸田優は川崎球場での対広島ダブルヘッダー第2試合の18回戦の二回表、先頭打者の大和田明を三振、振り逃げで出塁、その後タイムリーによる1失点を挟んで3奪三振で、日本プロ野球史上初の1イニング4奪三振[15][16]
  • 7月9日 - 大毎の荒巻淳が日生球場での対近鉄14回戦の九回裏に島田光二から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[17]
  • 7月14日 - 駒沢球場にてセ・リーグ初の公式戦となる国鉄対広島ダブルヘッダー13,14回戦が行われる[18]
  • 7月19日 - 後楽園球場での大毎対西鉄15回戦の大映の8回表無死一塁の攻撃で醍醐猛夫がバント。これを処理した稲尾和久が二塁へ送球するが審判の中根之はセーフのジャッジ。西鉄の監督の三原脩が中根に抗議しさらに三塁側審判控室にいたパ・リーグ審判副部長の二出川延明に抗議するが二出川が「俺がルールブックだ」と言ったとされる(詳細は参照[19]

8月[編集]

9月[編集]

  • 9月27日 - 大洋の桑田武が日本プロ野球新人最多本塁打新記録の30本塁打。

10月[編集]

  • 10月3日 - 広島市民球場での広島対巨人24回戦で巨人が9-2で勝ち、が5年連続8度目のセ・リーグ優勝達成[24]
  • 10月4日 - 後楽園球場での大毎対南海のダブルヘッダー第2試合の24回戦で2-0で勝利し、南海が4年ぶり5度目のパ・リーグ優勝[25]
  • 10月8日 - ワールドシリーズロサンゼルス・ドジャースシカゴ・ホワイトソックスを4勝2敗で破り、5年ぶり2度目の優勝を達成。
  • 10月14日 - 巨人の別所毅彦が駒沢球場での対26回戦の二回裏から救援登板して最後まで投げ勝利投手となり、プロ通算300勝を達成[26]
  • 10月20日 - プロ野球野1959年度の最高殊勲選手、最優秀新人、沢村賞を決める記者投票の開票が東京・銀座のアラスカにて行われ、午後3時からコミッショナー事務局が最高殊勲選手はパ・リーグは杉浦忠、セ・リーグは藤田元司。最優秀新人にパ・リーグは張本勲、セ・リーグは桑田武。沢村賞は阪神の村山実が選出されたと発表[27]
  • 10月29日 - 日本シリーズが後楽園球場で午後1時から行われ、南海が巨人3-0で下し、2リーグ制以降初の日本一達成[28]
  • 10月31日 - 南海が大阪市内の御堂筋にて優勝パレード。沿道には20万人が集まった[29]

11月[編集]

  • 11月19日 - 西鉄は午前11時より球団代表の西亦次郎が東京八重洲の国際観光ビル4階の西鉄東京事務所にて監督の三原脩の辞任を正式に発表[30]
  • 11月21日
    • 大洋は午前11時より東京新丸ビルの大洋漁業本社にて三原脩と正式に契約[31]
    • 西鉄はヘッドコーチの川崎徳次が監督に就任したと正式に発表[32]
  • 11月25日 - 阪神は午後3時、大阪市北区の新阪神ビル5階の球団事務所にて監督の田中義雄と、コーチの金田正泰の監督就任を発表[33]

12月[編集]

  • 12月11日 - 阪急は青田昇が現役を引退したと発表[34]

誕生[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大阪タイガースと中日ドラゴンズは同率の2位であるが、この年は引き分けとして0.5勝+0.5敗を勝率に加算されていたため、引き分けとして0.5勝+0.5敗を勝率に加算されていなければ、大阪は勝率.5123、中日は勝率.5120となり、両球団の勝率が3毛差となり大阪は2位、中日は3位となる。
  2. ^ 読売新聞1959年1月10日5面「『バッファロー』近鉄の新愛称」
  3. ^ 読売新聞1959年2月2日4面「大毎代表、和田氏内定」
  4. ^ 読売新聞1959年2月6日5面「専任会長に中沢氏 パ・リーグ・オーナー会議で決る」
  5. ^ 『南海ホークス四十年史』南海ホークス 編、南海ホークス、1978年、361頁。
  6. ^ 読売新聞1959年5月3日6面「滝田千試合出場」読売新聞縮刷版1959年5月p44
  7. ^ 読売新聞1959年5月11日6面「稲尾、近鉄に初黒星 23試合目」読売新聞縮刷版1959年5月p176
  8. ^ 読売新聞1959年5月21日6面「中西が千本安打」読売新聞縮刷版1959年5月p352
  9. ^ 読売新聞1959年5月22日7面「村山巨人をノー・ヒット セ・リーグで初の毎回奪三振奪取も 阪神ついに3連勝飾る」読売新聞縮刷版1959年5月p369
  10. ^ 読売新聞1959年5月31日7面「山本八また暴行」読売新聞縮刷版1959年5月p533
  11. ^ 読売新聞1959年6月3日5面「無期限の出場停止 山本八に無期限の処分」読売新聞縮刷版1959年16月p39
  12. ^ 読売新聞1959年6月4日5面「稲尾100勝あげる 近鉄相手に軽く 金田も及ばぬペース」読売新聞縮刷版1959年6月p57
  13. ^ 読売新聞1959年6月15日7面「大下、千五百試合出場」読売新聞縮刷版1959年6月p259
  14. ^ 読売新聞1959年6月26日9面「両陛下、ナイターご観戦 長島選手にニコニコ 五ホーマー 体を乗り出す」読売新聞縮刷版1959年6月p461
  15. ^ 読売新聞1959年7月6日6面「1イニング4三振で得点」読売新聞縮刷版1959年7月p106
  16. ^ 【7月5日】1959年(昭34) 1イニング4奪三振 1点まで取られた幸田優”. スポーツニッポン (2010年7月11日). 2015年11月19日閲覧。
  17. ^ 読売新聞1959年7月10日6面「荒巻、奪三振千個に」読売新聞縮刷版1959年7月p182
  18. ^ 読売新聞1959年7月15日5面「セ・初の駒沢進出」読売新聞縮刷版1959年7月p281
  19. ^ 読売新聞1959年7月20日5面「三原のミス」読売新聞縮刷版1959年7月p369
  20. ^ 朝日新聞1959年8月2日7面「西鉄また南海に屈す 大下、プロ入り二百号ホーマー」朝日新聞縮刷版1959年8月p25
  21. ^ 朝日新聞1959年8月18日夕刊1面「西条高が初の優勝 高校野球激闘15回」朝日新聞縮刷版1959年8月p325
  22. ^ 朝日新聞1959年8月26日7面「阪急、連続六代打もムダ」朝日新聞縮刷版1959年8月p459
  23. ^ 朝日新聞1959年8月27日7面「気の入らない阪急 21回戦 やっと引分に持ち込む」朝日新聞縮刷版1959年8月p475
  24. ^ 読売新聞1959年10月4日1面「巨人の優勝決まる セ・リーグ 5年連続のタイ記録」読売新聞縮刷版1959年10月p55
  25. ^ 毎日新聞1959年10月5日7面「南海、4年ぶりに優勝 『杉浦38勝』で飾る 無失点続く 大毎の追撃かわす」毎日新聞縮刷版1959年10月p81
  26. ^ 読売新聞1959年10月15日6面「別所、ついに300勝飾る プロ2人目の大記録 堀内を救援 自力でかちとる」読売新聞縮刷版1959年10月p272
  27. ^ 読売新聞1959年10月21日6面「最高殊勲選手に藤田、杉浦 新人王は桑田、張本 村山に沢村賞 最優秀投手も杉浦」読売新聞縮刷版1959年10月p394
  28. ^ 読売新聞1959年10月29日夕刊1面「南海が初の優勝 日本シリーズ 巨人を四連破」読売新聞縮刷版1959年10月p561
  29. ^ 【10月31日】1959年(昭34) 打倒巨人成る!鶴岡南海涙の御堂筋パレード”. スポーツニッポン (2007年10月16日). 2015年11月19日閲覧。
  30. ^ 読売新聞1959年11月19日夕刊5面「三原監督辞任 西鉄、正式に発表」読売新聞縮刷版1959年11月p365
  31. ^ 読売新聞1959年11月21日夕刊7面「三原監督、大洋と正式契約」読売新聞縮刷版1959年11月p405
  32. ^ 読売新聞1959年11月21日夕刊7面「西鉄、川崎コーチ昇格」読売新聞縮刷版1959年11月p405
  33. ^ 読売新聞1959年11月26日7面「阪神の新監督に金田コーチ昇格」読売新聞縮刷版1959年11月p495
  34. ^ 読売新聞1959年12月12日5面「青田(阪急)が引退」