1961年の野球

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< 1961年 | 1961年のスポーツ

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 71 53 6 .569 -
2位 中日ドラゴンズ 72 56 2 .562 1.0
3位 国鉄スワローズ 67 60 3 .527 5.5
4位 阪神タイガース 60 67 3 .473 12.5
5位 広島カープ 58 67 5 .465 13.5
6位 大洋ホエールズ 50 75 5 .404 21.5
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 南海ホークス 85 49 6 .629 -
2位 東映フライヤーズ 83 52 5 .611 2.5
3位 西鉄ライオンズ 81 56 3 .589 5.5
4位 毎日大映オリオンズ 72 66 2 .521 15.0
5位 阪急ブレーブス 53 84 3 .389 33.5
6位 近鉄バファロー 36 103 1 .261 51.5

日本シリーズ[編集]

1961年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月21日(土) 第1戦 雨天中止 大阪球場
10月22日(日) 読売ジャイアンツ 0-6 南海ホークス
10月23日(月) 第2戦 雨天中止
10月24日(火) 読売ジャイアンツ 6-4 南海ホークス
10月25日(水) 移動日
10月26日(木) 第3戦 南海ホークス 4-5 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月27日(金) 第4戦 雨天中止
10月28日(土)
10月29日(日) 南海ホークス 3-4 読売ジャイアンツ
10月30日(月) 第5戦 南海ホークス 6-3 読売ジャイアンツ
10月31日(火) 移動日
11月1日(水) 第6戦 読売ジャイアンツ 3-2 南海ホークス 大阪球場
優勝:読売ジャイアンツ(6年ぶり5回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 長嶋茂雄 巨人   野村克也 南海  
最優秀新人 権藤博 中日   徳久利明 近鉄  
首位打者 長嶋茂雄 巨人 .353 張本勲 東映 .336
本塁打王 長嶋茂雄 巨人 28本 野村克也
中田昌宏
南海
阪急
29本
打点王 桑田武 大洋 94点 山内和弘 大毎 103点
最多安打 長嶋茂雄 巨人 158本 榎本喜八 大毎 180本
盗塁王 近藤和彦 大洋 35個 広瀬叔功 南海 42個
最優秀防御率 権藤博 中日 1.70 稲尾和久 西鉄 1.69
最多勝利 権藤博 中日 35勝 稲尾和久 西鉄 42勝
最多奪三振 権藤博 中日 310個 稲尾和久 西鉄 353個
最高勝率 伊藤芳明 巨人 .684 稲尾和久 西鉄 .750

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 権藤博 中日 稲尾和久 西鉄
捕手 森昌彦 巨人 野村克也 南海
一塁手 藤本勝巳 阪神 榎本喜八 大毎
二塁手 土屋正孝 国鉄 森下整鎮 南海
三塁手 長嶋茂雄 巨人 中西太 西鉄
遊撃手 河野旭輝 中日 豊田泰光 西鉄
外野手 江藤愼一 中日 田宮謙次郎 大毎
近藤和彦 大洋 張本勲 東映
森永勝治 広島 山内和弘 大毎

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

  • 5月5日 - 大毎の小野正一が西宮球場での対阪急3回戦に先発して完封で今季2勝目を上げ、プロ通算100勝を達成[5]
  • 5月6日 - 南海の杉浦忠が平和台球場での対西鉄5回戦に先発して完投で今季4勝目を上げ、プロ通算100勝を達成[6]
  • 5月7日 - 平和台球場での西鉄対南海のダブルヘッダー第2試合の5回戦で南海は二回表にパ・リーグ新記録の12得点、9連続得点[7]
  • 5月9日 - 【MLB】ボルチモア・オリオールズのジム・ジェンタイルがメトロポリタン球場でのツインズ戦にてメジャー・リーグ新記録となる2打席連続満塁本塁打を記録[8]
  • 5月13日 - 日本社会人野球協会は文京区の萬成館にて緊急の理事会を開き、「今後はプロ野球の退団者は受け入れない」と決定し声明文を発表[9]
  • 5月20日 - 沖縄県初のプロ野球公式戦となる西鉄対東映10回戦が午後4時から那覇市奥武山球場にて行われ、東映が3-0で勝利[10]
  • 5月30日 - 阪急は大阪球場での対南海9回戦に6-2で勝ち、昨年から続いていた南海戦の連敗を15で止める[11]

6月[編集]

  • 6月3日 - 近鉄のジャック・ブルームが西宮球場での対阪急10回戦の5回裏の守備で一塁側の観客の「ヤンキーゴーホーム」の野次に怒り、スタンドに上がって野次った観客に暴行を加えて、退場処分を受ける[12]
  • 6月5日 - パ・リーグの会長の中沢不二雄は3日の試合で観客の野次に怒って観客に暴力を振るった近鉄のジャック・ブルームに対し3日から9日までの一週間の出場停止と制裁金5万円を課したと発表[13]
  • 6月6日 - 阪神は監督の金田正泰から病気のため当面の間休養したいと申し出たため休養し、コーチの藤本定義が監督代理となると発表[14]
  • 6月10日 - 大洋の箱田淳が広島市民球場での対広島9回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[15]
  • 6月11日 - 南海の森下整鎮が平和台球場での対西鉄12回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[16]
  • 6月20日 - 国鉄スワローズ森滝義巳が後楽園球場での対中日ドラゴンズ10回戦に先発し、完全試合を達成[17]

7月[編集]

  • 7月5日
    • 中日の権藤博が中日球場での対国鉄13回戦に先発して今季9度目の完封を記録し、39年野口二郎の8完封の記録を更新する新人選手の年間最多完封の新記録[18]
    • 近鉄の小玉明利が西宮球場での対阪急14回戦の八回表に二塁打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[19]
  • 7月25日 - 巨人は前中日コーチの牧野茂の入団を発表[20]
  • 7月26日 - 国鉄の町田行彦が後楽園球場での対大洋19回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[21]
  • 7月29日 - 南海の杉浦忠が大阪球場での対西鉄17回戦の九回表に城戸則文から三振を奪い、プロ通算1000奪三振[22]

8月[編集]

  • 8月2日 - 西鉄の稲尾和久が駒沢球場での対東映ダブルヘッダー第一試合の15回戦の九回裏に毒島章一から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[23]
  • 8月7日 - 第32回都市対抗野球の決勝戦が後楽園球場にて午後7時から行われ、横浜市の日本石油が名古屋市の新三菱重工を延長12回の末4-2で破り、3年ぶり3度目の優勝を達成[24]
  • 8月8日 - 大毎の山内一弘が大阪球場での対南海15回戦の一回表に14号2点本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[25]
  • 8月10日 - 阪急の米田哲也が平和台球場での阪急対西鉄18回戦に先発して6回1失点の内容で7勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[26]
  • 8月20日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、大阪府浪商高校が2年生エース尾崎行雄の活躍で15年ぶり2度目の優勝。前日の準決勝で法政二高の史上初となる甲子園3連覇を阻止。
  • 8月27日 - 西鉄の稲尾和久が後楽園球場での西鉄対大毎20回戦の八回裏から登板して30勝目を挙げ、金田正一の3度を更新する4度目のシーズン30勝[27]

9月[編集]

  • 9月7日 - 後楽園球場での巨人対国鉄ダブルヘッダー第2試合の22回戦で、2-2で迎えた国鉄11回表の攻撃で、2死一、二塁の場面で三ゴロとなり、二塁走者の土屋雅敬が三本間に挟まれ主審の島秀之助はアウトと宣告したが、国鉄は三塁の長島茂雄が走塁妨害をしたと抗議して島は判定をセーフへと覆し、今度は巨人がこれに抗議。また興奮した観客がグラウンドに火をつけた新聞や座布団を投げ入れるなど球場全体が騒然とし、警視庁の機動隊約230名とと富坂署60名が警戒に当たる。試合は1時間52分中断した後23時53分に再開、3対2で国鉄が勝利。試合終了は翌8日の0時11分で、日本プロ野球史上初の2日間にまたがる試合となった[28][29]
  • 9月16日 - 巨人の広岡達朗が広島市民球場での対広島19回戦の4回表に9号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[30]
  • 9月27日 - 後楽園球場での大毎対阪急のダブルヘッダー第二試合の26回戦で、大毎は三回裏に榎本喜八が二塁打を打ちプロ通算1000本安打、山内一弘が2点適時三塁打を打ち、別当薫の持つパ・リーグ記録を更新する106打点[31]
  • 9月30日 - 西鉄の若生忠男が平和台球場での対阪急25回戦にて、パ・リーグタイ記録の4打席連続三振[32]

10月[編集]

  • 10月1日 - 西鉄の稲尾和久が平和台球場での対阪急戦ダブルヘッダー第1試合の26回戦に先発し7回6安打2失点の内容で勝利投手となり、パ・リーグシーズンタイ記録の38勝目。続く第2試合の第27回戦でも7回から3イニングを投げて1安打1無失点の内容で勝利投手となり、同新記録の39勝目[33]
  • 10月3日 - 中日の権藤博が中日球場での対国鉄25回戦に先発して1対0で完封し、1シーズン12完封のセ・リーグ新記録[34]
  • 10月6日 - 巨人の長島茂雄が後楽園球場での対国鉄26回戦の九回裏に28号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[35]
  • 10月7日 - 西鉄の稲尾和久が平和台球場での対近鉄28回戦の延長十回表に島田光二から三振を奪い、パ・リーグ新記録となるシーズン最多奪三振337[36]
  • 10月9日 - 広島球場での広島対中日戦で中日が破れたため、巨人のセ・リーグ優勝が決定[37]
  • 10月10日 - 沢村賞の選考が東京運動記者クラブ部長会によって正午から有楽町のレバンテにて開かれ、中日の権藤博を選出[38]
  • 10月11日 - 東映の土橋正幸が大阪球場での対南海24回戦の六回裏に杉山光平から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[39]
  • 10月14日 - 大毎の柳田利夫が後楽園球場での対西鉄26回戦の七回裏一死一、二塁の場面で左翼席へ本塁打を打つが、二塁手前で前の走者の葛城隆雄を追い越したためアウトとなり本塁打を取り消される[40]
  • 10月15日
    • 駒沢球場での南海対東映フライヤーズダブルヘッダー第1試合の26回戦で南海が4対2で勝利し、パ・リーグ優勝決定[41]
    • 西鉄の稲尾和久は後楽園球場での対大毎ダブルヘッダー第1試合の27回戦の二回裏に神谷雅巳を三振二打ち取り、金田正一の持つプロ野球記録のシーズン最多奪三振に並ぶ今季350個目の奪三振、三回裏二死満塁の場面で山内和弘を見逃し三振に打ち取り、年間最多奪三振のプロ野球新記録となる今季351個目の奪三振[42]
  • 10月16日 - プロ野球の1961年度の最高殊勲選手、最優秀新人、ベストナインを決定するプロ野球担当記者投票の開票が行われ、最高殊勲選手はセ・リーグは巨人の長島茂雄、パ・リーグは野村克也。最優秀新人はセ・リーグは中日の権藤博、パ・リーグは近鉄の徳久利明を選出[43]
  • 10月30日 - 近鉄は午後、上本町の近鉄本社会議室にて監督の千葉茂を解任し、後任に別当薫が就任すると正式に発表[44]

11月[編集]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞1961年4月8日夕刊7面「後楽園、はち切れそう プロ野球開幕 正力さんが始球式」読売新聞縮刷版1961年4月p159
  2. ^ 読売新聞1961年4月22日5面「中日、柳川の入団を正式に発表」読売新聞縮刷版1961年4月p433
  3. ^ 読売新聞1961年4月23日6面「中西200号(通算)ホーマー」読売新聞縮刷版1961年4月p454
  4. ^ 読売新聞1961年4月28日6面「日本初の外野審判」読売新聞縮刷版1961年4月p558
  5. ^ 毎日新聞1961年5月6日夕刊5面「山内、止めの4号 阪急を完封 小野、百勝を飾る」毎日新聞縮刷版1961年5月p101
  6. ^ 毎日新聞1961年5月7日7面「杉浦、完投して百勝 野村7号、西鉄を破る」毎日新聞縮刷版1961年5月p111
  7. ^ 毎日新聞1961年5月8日7面「南海、二回一挙12点 第二試合 1イニング 全員得点など生む」毎日新聞縮刷版1961年5月p135
  8. ^ 読売新聞1961年5月11日6面「連続満塁ホーマー記録 ジェンタイル」読売新聞縮刷版1961年5月p190
  9. ^ 毎日新聞1961年5月14日7面「"プロから受入れぬ"社会人野球協会 引抜き問題で決定」毎日新聞縮刷版1961年5月p255
  10. ^ 毎日新聞1961年5月20日7面「東映バウアーで先勝 中西の失策で若生気落ち」毎日新聞縮刷版1961年5月p399
  11. ^ 読売新聞1961年5月31日7面「阪急16連敗対南海免る」読売新聞縮刷版1961年5月p603
  12. ^ 毎日新聞1961年6月4日7面「ブルーム観客を殴る」毎日新聞縮刷版1961年6月p66
  13. ^ 毎日新聞1961年6月8日7面「ブルーム一週間出場停止」毎日新聞縮刷版1961年6月p111
  14. ^ 読売新聞1961年6月6日夕方7面「金田阪神監督が休養 代理に藤本コーチ」読売新聞縮刷版1961年6月p123
  15. ^ 読売新聞1961年6月11日7面「箱田千試合出場」読売新聞縮刷版1961年6月p211
  16. ^ 毎日新聞1961年6月12日6面「南海の森下千試合出場」毎日新聞縮刷版1961年6月p234
  17. ^ 毎日新聞1961年6月20日7面「森滝がパーフェクト プロ野球7人目の快挙 すばらしい制球力で」毎日新聞縮刷版1961年6月p419
  18. ^ 読売新聞1961年7月6日7面「権藤9度目の完封 新人の完封記録 国鉄から10三振の16勝目」読売新聞縮刷版1961年7月p115
  19. ^ 読売新聞1961年7月6日7面「小玉(近鉄)千試合出場を達成」読売新聞縮刷版1961年7月p115
  20. ^ 読売新聞1961年7月26日7面「巨人コーチに牧野氏」読売新聞縮刷版1961年7月p535
  21. ^ 毎日新聞1961年7月27日7面「町田(国鉄)が千試合出場」毎日新聞縮刷版1961年7月p551
  22. ^ 毎日新聞1961年7月30日7面「杉浦が千奪三振奪取」毎日新聞縮刷版1961年7月p311
  23. ^ 読売新聞1961年8月3日7面「稲尾奪三振千五百個達成」読売新聞縮刷版1961年8月p47
  24. ^ 毎日新聞1961年8月8日1面「黒獅子旗、横浜(日本石油)に 延長12回、名古屋を破る」毎日新聞縮刷版1961年8月p143
  25. ^ 毎日新聞1961年8月9日7面「山内が二百号ホーマー 大毎17安打、南海に圧勝」毎日新聞縮刷版1961年8月p169
  26. ^ 毎日新聞1961年8月11日7面「米田が百勝」毎日新聞縮刷版1961年8月p209
  27. ^ 毎日新聞1961年8月28日7面「稲尾、四たび30勝 新記録」毎日新聞縮刷版1961年8月p559
  28. ^ 毎日新聞1961年9月8日7面「土屋の走塁で大もめ 午前零時11分、国鉄勝つ」毎日新聞縮刷版1961年9月p149
  29. ^ 毎日新聞1961年9月8日11面「二日がかりのナイター 後楽園は大荒れ 11人連行 燃える紙も投げる」毎日新聞縮刷版1961年9月p153
  30. ^ 毎日新聞1961年9月17日7面「巨人、薄氷の投手交代」毎日新聞縮刷版1961年9月p333
  31. ^ 毎日新聞1961年9月28日7面「山内が一〇六打点 パ・リーグ新記録 中田は27,28号を放つ」毎日新聞縮刷版1961年9月p545
  32. ^ 読売新聞1961年10月1日6面「若生、阪急を完封 12安打放ち西鉄快勝」読売新聞縮刷版1961年10月p6
  33. ^ 読売新聞1961年10月2日7面「稲尾、先発・救援で39勝 パの最多勝利記録を更新」読売新聞縮刷版1961年10月p31
  34. ^ 読売新聞1961年10月4日7面「権藤、完封のセ新記録 金田(保持者)に投げ勝ち12度目」読売新聞縮刷版1961年10月p71
  35. ^ 読売新聞1961年10月7日6面「国鉄、村瀬をKO 長島プロ入り100号及ばず 徳武、3点をたたき出す」読売新聞縮刷版1961年10月p130
  36. ^ 読売新聞1961年10月8日7面「稲尾は40勝 337個の奪三振 パ新」読売新聞縮刷版1961年10月p151
  37. ^ 読売新聞1961年10月10日1面「巨人優勝きまる セ・リーグ 中日が広島に敗れ」読売新聞縮刷版1961年10月p189
  38. ^ 読売新聞1961年10月11日6面「権藤投手(中日)に沢村賞」読売新聞縮刷版1961年10月p214
  39. ^ 読売新聞1961年10月12日8面「南海、首位をもぎとる 延長10回 東映、失策で自滅 スタンカ1安打の好投」読売新聞縮刷版1961年10月p234
  40. ^ 読売新聞1961年10月15日7面「柳田、本塁打をフイ 葛城追い越しアウト 大毎、西鉄の二線級めった打ち」読売新聞縮刷版1961年10月p295
  41. ^ 読売新聞1961年10月16日1面「パ・リーグ南海優勝 日本シリーズ 巨人と六たび対戦」読売新聞縮刷版1961年10月p313
  42. ^ 読売新聞1961年10月16日7面「奪三振 稲尾が新記録 353個、6年ぶり金田の記録破る」読売新聞縮刷版1961年10月p319
  43. ^ 読売新聞1961年10月17日6面「最高殊勲選手は長島と野村 新人王、権藤が満票 パは徳久、近鉄初の栄冠」読売新聞縮刷版1961年10月p338
  44. ^ 読売新聞1961年10月31日7面「近鉄、別当の監督就任を発表」読売新聞縮刷版1961年10月p639
  45. ^ 読売新聞1961年11月1日夕刊1面「巨人、選手権を握る 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1961年11月p13
  46. ^ 読売新聞1961年11月5日7面「西鉄新主将は高倉 花形選手全員首脳に」読売新聞縮刷版1961年11月p95
  47. ^ 読売新聞1961年12月18日7面「森の大洋入りとその波紋 球界によい教訓 一つの汚点残したが」