杉内俊哉

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杉内 俊哉
読売ジャイアンツ #18
Toshiya Sugiuchi on March 24, 2012.jpg
2012年3月24日 横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県大野城市
生年月日 (1980-10-30) 1980年10月30日(36歳)
身長
体重
175 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト3位
初出場 2002年4月1日
年俸 5,000万円+出来高(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2000年2008年
WBC 2006年2009年2013年

杉内 俊哉(すぎうち としや、1980年10月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手投手)。福岡県大野城市出身(春日市生まれ)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

大野城市立大野小学校大野城市立大野中学校鹿児島実業高等学校卒業。小学4年生の時に大野城少年野球に所属し野球を始めた[2]。当時は外野手で、5年生で一塁手。6年生の時に投手に転向し、エースとして全国大会に出場(ベスト16)。小学生の時はドッジボールが得意だった[2]。中学時代は市の少年硬式野球チーム(大野城ガッツ)のエースで、チームを全国準優勝に導いた。鹿児島実業高等学校時代の同級生に椎原拓也。在学中2度甲子園に出場。

高校3年生次の1998年全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では、共に当時から注目を集めていた川内高校木佐貫洋との投げ合いに勝利し、甲子園出場を決めた。県大会では47回2/3で64三振を奪い、「南国のドクターK」と称された[3]第80回全国高等学校野球選手権大会の1回戦で八戸工大一青森)相手にノーヒットノーランを達成。同2回戦で松坂大輔らを擁する横浜東神奈川)と対戦。7回まで1失点と好投するも、8回に松坂に本塁打を喫するなど計6失点で敗退。大会後に松坂や新垣、村田修一上重聡らと共に第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され中村順司監督の期待に応え優勝に貢献した。

高校卒業後、三菱重工長崎に就職。2000年には都市対抗野球大会出場に貢献。大会直後にシドニーオリンピック野球日本代表に選出され、オリンピックに出場(4位)。2001年日本選手権ではチームの初優勝に貢献。ドラフト会議で地元プロ球団の福岡ダイエーホークスに3巡目指名され入団。自身が憧れていた工藤公康と同じ背番号47番を与えられる。家族(結婚前は母・姉・祖父母)を非常に大切にしダイエーとの契約金で母と姉と祖父母のためにマンションをそれぞれ購入した[4]。ホークスでチームメイトだった本多雄一は、大野城ガッツ鹿児島実業高等学校の後輩。

ダイエー / ソフトバンク時代[編集]

ソフトバンク時代

2002年フレッシュオールスターゲームに出場し一軍レギュラーシーズン2勝に終わる。

2003年にフォームをセットポジションに変更して制球が安定[5]先発ローテーションに定着して10勝を挙げ、リーグ優勝に貢献する。8月1日の対オリックス戦に先発し、7回無失点でチームが2リーグ制以後の最多得点試合・最多点差試合(29-1)を記録した試合の勝利投手になった。日本シリーズでも阪神から2勝を挙げ日本一に貢献、シリーズMVPを獲得。
シーズンオフに、とべとべホークスのレポーターだった上葉えりかと結婚。

2004年、6月1日の対ロッテ戦で福浦和也に満塁本塁打を打たれる等2回7失点で降板直後、悔しさのあまり、帽子とグローブを投げつけた直後、城島健司の制止を振り切ってベンチを素手で殴打して両手の小指付け根を骨折し、全治三か月。この行為に対して球団から罰金100万円・謹慎10日を科せられた。事態を重く見た球団は後日罰金を増額、罰金は600万円となった[6]。長期離脱を余儀なくされ、この年はこの日が最後の先発登板となった。この事態に関して王貞治監督(当時)は「戦列を離れなければいけない。悔しさは誰にでもある。だが、何の為に選手としてやっているのか。絶対にやってはいけないことだ」と苦言を呈している[7]

2005年、4月、5月と2ヶ月連続で月間MVPを獲得。チームでは杉浦忠以来4人目となるシーズン200奪三振(218)を達成。18勝、防御率2.11で初の最多勝最優秀防御率沢村賞(パ・リーグの左腕投手の受賞は史上初)のタイトルを獲得。MVPにも選出された。死球暴投ボーク失策がいずれも0であった。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出。2試合に登板し0勝1敗、防御率5.40。レギュラーシーズンでは中盤以降失速し、規定投球回数に届かず7勝に終わった。プレーオフでは第2ステージ第1戦で先発し、3回2失点で敗戦投手になった。

2007年、前半戦終了時点で12勝2敗、防御率1.755と抜群の成績を残す。後半戦は失速し、3勝にとどまるものの、2年ぶりの2桁勝利となる15勝を挙げて先発陣の軸として活躍。ロッテとのクライマックスシリーズでは、7回3失点で勝利投手となった。洞爺湖サミットが開催される2008年7月7日までの一年間、広報大使“Cool Earth Ambassador”を務めた。

北京五輪での杉内(2008年)

2008年、2年連続2桁勝利を達成。交流戦期間では12球団トップの48個の三振を奪った。北京オリンピック野球日本代表に選出され、2試合に登板し1勝0敗・防御率0.84の成績を残す。10月1日の対オリックス戦(京セラドーム大阪清原和博の引退試合)に先発登板し、清原の打席では全球直球で勝負した。清原の最終打席の球は球審を務めた東利夫から清原に手渡されたが、清原はボールに『杉内へ 最高の球をありがとう 清原和博』とサインして杉内に贈った。王貞治が指揮する最終戦となった10月7日の対楽天戦で、9回無失点で11個の三振を奪い、ダルビッシュ有を抜いて初の最多奪三振のタイトルを獲得した。3年振りの200奪三振を達成し、奪三振率は9.78で両リーグ1位を記録した。

2009年からグラブの位置を上げ、左手が隠れるようにした投球フォームに変更[8]ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれ、5試合に中継ぎとして登板し6回1/3を無安打無失点と、日本チームの2連覇に大きく貢献。「陰のMVP」と称された[9]。4月5日の対オリックス戦で史上122人目・現役では8人目となる通算1000奪三振を、現役では2番目・歴代4位のスピード(979回1/3)で達成。交流戦では12球団最長の44回を投げるなど負けなしの3勝を挙げてチームの交流戦連覇に貢献し、交流戦のMVPに選出された。6月度の月間MVPにも選出され、6度目の月間MVPはパ・リーグ投手部門史上最多となった。8月23日の対日本ハム戦で先発選手全員から三振を奪い、自己最多の15奪三振。9月20日の対西武戦で10奪三振し、1993年の野茂英雄以来史上2人目、左腕では史上初の5試合連続2桁奪三振を達成。2年連続の最多奪三振、最優秀投手の二冠を獲得した。クオリティ・スタートは23を記録し、QS率(QS/先発回数)は88.5%で12球団トップであった。クライマックスシリーズ第1ステージでは、楽天に3回途中7失点でKOされた。12月25日に投手では球団史上初の3億円で契約更改した。オフには同級生の新垣渚が杉内の妻の妹と結婚したことで、義兄弟になった。

2010年、4月30日の対ロッテ戦で7回5失点ながら6勝目を挙げ、1968年の鈴木啓示以来42年ぶり、球団では1957年の木村保以来53年ぶりとなる4月中の6勝を達成。オールスターファン投票最終中間発表の時点ではダルビッシュ有に次いで2位だったが、最終的には1位となりファン投票で初選出された(過去4回は監督推薦)。6月29日の対ロッテ戦で4年連続2桁勝利となる10勝目を挙げ、8月21日の対楽天戦で自己最速となる150km/hを計測し、9月11日の対日本ハム戦で3年連続200奪三振を達成。リーグ2位となる5回の完封勝利のうち4回は日本ハム戦(4月9日、7月6日、8月14日、9月25日)であり、1995年に斎藤雅樹ヤクルト戦で記録して以来、パシフィック・リーグでは1978年に鈴木啓示が南海戦で記録して以来32年ぶりとなる同一カードでの4完封を達成した[10]。杉内は印象に残っている試合としてマジック2で迎えた9月25日の日本ハム戦でダルビッシュと投げ合って完封した試合を挙げている[11]。この試合まで4試合勝ちがつかなかった不甲斐無さと責任からこの日のお立ち台で涙するというシーンがあった。防御率は規定投球回に到達したシーズンでは最低だったが、自身2番目に多い16勝、2年連続となる最優秀投手のタイトルを獲得。奪三振率はリーグ最高の10.74を記録し、自己最多の218個だったが、3年連続奪三振王のタイトルには届かなかった。優勝を決めた最終戦ではチームメートに胴上げされた。クライマックスシリーズでは、ファイナルステージの初戦と最終戦の先発を任されるが2試合とも敗戦投手となった。

2011年、4月は防御率1.64と成績を残したが0勝1敗に終わりプロ10年目で初の4月0勝に終わる。5月14日の西武戦で自己最多タイとなる15奪三振を記録して初勝利[12]。6月18日の対横浜戦で6回に1500奪三振を達成[13]。交流戦では3勝し交流戦の優勝に貢献した。7月9日の対ロッテ戦で、球団の福岡移転後の入団選手としては初となる通算100勝を達成した。シーズンを通して打線の援護に恵まれず自身初となる防御率1点台を記録、QS達成率も91%を記録するも5年ぶりに二桁勝利を逃した。クライマックスシリーズファイナルステージ第3戦(対西武戦)に先発。涌井秀章との投手戦となり9回を無失点に抑えたが、10回に先制を許して降板。しかしその裏に味方打線が涌井を攻略したため自身に負けはつかず(偶然にも2人が打たれた時の球数は127球目で同じであった)、チームはこの試合にサヨナラ勝ちで日本シリーズに進出を決めた。日本シリーズでは第2戦と第7戦に先発。第2戦は8回1失点に抑えるもののチームは敗戦。第7戦では7回無失点と好投しチームを日本一に導き優秀選手賞を受賞した。しかし「成果報酬型」といわれる前年の活躍をベースにした球団独自の査定方法を取ったことで、4年連続2桁勝利などの活躍も高く評価されず[注 1]、それをきっかけにオフにFA権を行使し、12月19日に読売ジャイアンツへの移籍を表明し、4年総額20億円で契約を結ぶ[15]。背番号は2006年に桑田真澄が退団して以降空番となっていたエースナンバーの「18」に決まった。荷が重かったせいもあるのか桑田の退団以降誰も着用していなかった背番号だったが、着用にあたっては桑田本人に相談の上、承諾を得ている。

巨人時代[編集]

2012年4月1日の移籍後初先発となったヤクルト戦で勝利投手となった[16]。FA移籍で巨人入りした投手の初登板勝利は2000年工藤公康以来2人目。また、巨人移籍初登板の投手がチームのシーズン初勝利をもたらしたのは1965年金田正一1966年久保田治1976年水谷孝に次いで36年ぶり4人目。この日は自身がホークス時代にプロ入り初の勝利投手となった日でもある。5月4日の甲子園球場での阪神戦で移籍後初完封を挙げた。

5月30日の楽天戦(東京ドーム)でプロ野球史上75人目(86例目)、交流戦ではリック・ガトームソン以来2人目(日本人選手の達成は史上初)となるノーヒットノーランを達成。この試合では9回2死まで1人も走者を許さず、あとアウト1つで完全試合達成という場面にまで迫ったが、9番・田中将大への代打中島俊哉四球を与えた。巨人の背番号18をつけた選手では中尾碩志堀内恒夫に続き3人目のノーヒットノーラン達成者となった(中尾と堀内はいずれも後楽園球場での達成であるため、東京ドームでは初となる)。また、高校野球の全国大会とプロ野球の双方での達成も史上初となった。この試合での楽天野手全員の年俸を合わせても杉内一人より低く、星野監督は前日に「メジャーとルーキーリーグの対戦。勝ったら痛快や」とぼやいていた[17]。オールスターファン投票では前田健太に届かず2位となるものの、選手間投票では全785票中426票を集めて2位の前田に331票差の大差をつけ6年連続7度目のオールスター出場を決めた。7月27日の対広島戦に先発し、勝利投手となったことで史上2番目の「近鉄を含めた全13球団から勝ち星を挙げた投手」になった(史上初は工藤公康[18]。 前半戦は防御率1点台前半以下を記録し、オールスター前に9勝を挙げる等エース級の活躍を見せた。8月23日の左肩違和感による登録抹消もあって、最終的には12勝・防御率2.04に終わったものの、能見篤史(阪神)と並ぶ172奪三振で史上初となる両リーグでの最多奪三振を獲得し[19]、勝率でもリーグ一位を記録した。被打率、WHIPFIPQS率といった各種指標ではいずれもリーグトップの成績であった。シーズン終盤に左肩の違和感を訴え登録抹消され、ポストシーズンでは出番がなかった。オフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[20]候補入りした[21]

2013年開幕前の2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され[22]代表入りし[23][24][25]、日本勢で唯一3大会連続出場となった。杉内が2月に宮崎県で行われた日本代表の合宿中に選手宿舎で女性と密会していたことを週刊誌が報じ、球団は杉内に厳重注意と罰金の処分を下した[26]。WBC本戦では、3試合にリリーフで登板した。

シーズンでは、被本塁打数が前年度の3倍になるなど年間を通じて不調に苦しみ、前年より投球内容が悪化。マジック1とした9月21日の広島戦では巨人移籍後、自己ワースト記録の7失点で敗戦。それでも11勝6敗、防御率3点台と一定の成績は残した。

ポストシーズンでは、クライマックスシリーズで自身初勝利を上げた。日本シリーズは、前年ノーヒットノーランを記録した楽天との組み合わせとなったが、第3戦、第7戦に先発して二試合とも1回3分の2でノックアウトされ、チームも敗退した。

2014年7月12日の阪神戦で史上最速の2000奪三振を記録し、この試合をシーズン初完投・初完封で飾った。このシーズンは最終的には移籍後3年連続の2桁勝利を挙げた。阪神とのクライマックスシリーズファイナルステージでは第3戦に先発し5回まで無失点も6回にマウロ・ゴメスに適時打を打たれ降板した[27]。チームは7回に勝ち越されてこの試合に敗れ、最終的にストレートの4連敗でCS敗退してしまった。

2015年5月5日の広島戦では先発するも2/3回6失点でKOされ、後を受けたリリーフ陣も流れを止められず、球団史上初の初回10失点を記録する原因となってしまった[28]。その他の試合では結果を残し、5月終了時点までに5勝をあげ、奪三振率は一時10を超えた。しかし今まで得意とした交流戦では1勝も挙げることができず、股関節痛もあり7月23日に戦線離脱した[29]。その後は一度も1軍に昇格せずにシーズンを終えた。最終的に6勝6敗、防御率3.95で規定投球回にも2006年以来9年ぶりに到達しなかった。CSでも登板機会はなかった。10月1日、前述の右股関節の手術を受けた。過去に前例のない手術で、復帰には時間がかかる見込みとなった。

12月10日に東京都内のホテルで契約更改を行い日本プロフェッショナル野球協約(野球協約)で規定された減額制限(年俸1億円超は40%)を超える今季年俸から90%、4億5000万円減の5000万円プラス出来高の単年契約でサインした。過去には巨人に在籍していた小笠原道大が、2012年オフに3億6000万減の7000万円でサインしたことがあったが、杉内はこの金額を上回り、球界史上最大の大減俸となった[30][31]

2016年は夏まで手術後のリハビリのため実戦の登板機会がなく7月19日に三軍戦で1年ぶりに実戦復帰を果たした。その後はファームで実戦登板を積んだものの4試合で1勝2敗、防御率5.21にとどまり、一軍復帰はならず、プロ入り15年目で初めて一軍登板ゼロに終わった。契約更改では現状維持の5000万円でサインした。なお来シーズンの目標は開幕ローテーションに入ることとし、番組のインタビューではローテーションに入ったら二桁勝つ自信があると答え来シーズン完全復活への自信を覗かせた。

選手としての特徴[編集]

投球前、腕を頭上へかざす動作

ゆったりと脱力したフォームからボールをリリースする際に力を爆発させるように投げ込む[32][33]。ランナー無しの状態からでもセットポジションで構え[34]、投球前には腕を上げて余分な力を抜き、投球時に膝の前で両手を叩き合わせるのがルーティンになっている[35]

スリークォーターから投じるストレートは平均球速約140km/h[36]、最速150km/h。変化球はスライダーチェンジアップ(中指を浮かせて4本の指で球を握る)[37]カーブを投げる[38]。本人も「追い込んだら狙っている」という三振を奪う投球スタイルで[39]、2015年シーズン終了時現在の通算奪三振率9.28は2000投球回数以上の歴代投手の中で最高の数値を誇る。

ストレートはそのほとんどが140km/h前後といわゆる豪速球ではないが、「腕を振ってから球をリリースしている」と形容されるほど球持ちが良く、三振を奪う武器となっている[40][41]。また、スライダーは空振りした右打者の体に当たるほどの切れ味を持ち[42]、曲がりの大小で2種類を投げ分けている[43]。くわえて、2009年シーズン中盤から「ストレートと同じ振りで投げられるようになった」というチェンジアップを多投するようになり、同年の被打率は.143を記録し[38]、決め球の1つとなった[44]すぽるとの「プロ野球選手100人に聞く、打ちにくい投手ランキング・変化球部門」で杉内のチェンジアップが4位に選ばれた。ダルビッシュ有は「他球団の選手で『この人の変化球はすごいな』と思うのは誰ですか?」という質問に杉内のチェンジアップを挙げており[45]メジャーのスカウトからもカーブと共に高い評価を得ている[46]。高校時代には曲がりの大きなカーブを決め球としていたが[47]、現在は当時とはフォームが違うため投げると肩が痛くなるといい[48]、巨人移籍後は封印している[49]

5月に強く『ミスター・メイ』の異名をとり、4年連続無敗の14連勝を記録したことがある[50]。2005年と2007年が5勝、2008年と2012年は4勝を稼ぎ、3度の月間MVPを経験。2012年には5月30日の登板でノーヒットノーランも達成している。また、各シーズン初登板は12戦8勝(1完封)無敗だが、勝ち負けがつかなかった4試合のうち3試合はチームがサヨナラ勝ちし、もう1試合も降板後に打線が点を取ってチームは勝利している。

プロ入り6年目まで成績の良いシーズンと悪いシーズンの差が顕著で、それが交互に訪れたため、「隔年エース」と呼ばれることがあった[51]。本人もそれを気にしていたが、7年目の2008年に10勝を挙げ自身初の2年連続2桁勝利を達成。最多奪三振のタイトルも獲得し、その汚名を返上した。2010年までに4年連続2桁勝利、3年連続で主要タイトルを獲得している。

宮城球場(楽天Koboスタジアム宮城)を苦手にしており鬼門と呼ばれている。2006年4月2日以来勝てていなかった[52]が、2010年8月21日に4年半ぶり、実に1602日ぶりに勝利を上げた。この試合で直球の自己最速(150km/h)を更新した。一方、千葉マリンスタジアム(QVCマリンフィールド)は得意としており、2003年の7月18日以来負けていなかったが、2011年4月30日のデーゲームで8年(2843日)ぶりに黒星を喫した。

社会福祉活動・慈善活動[編集]

「杉内基金」を設立し、2005年までは車いす、2006年からは1勝ごとにAEDを寄贈している。2010年から日本骨髄バンクにドナー登録している。

東日本大震災の復興支援のため2011年の公式戦およびCS・日本シリーズの球数1球につき1000円の義援金を送ることを発表した[53]

人物[編集]

左投げだが、筆記・食事では右利き。マイクも右手で持つ。母親が「初恋の人が左利きだったから」という理由で杉内を左投げにした。筋力トレーニングに「加圧トレーニング」を利用している。プロ入り前に「プロでやっていくには体が小さすぎる」と言われたため、早急に筋肉量を増やす必要があったからだという。

ヤフードームでの登板の日には、ゲン担ぎで登板前に自宅のトイレ掃除をしていた[54]

ソフトバンクでチームメイトだった新垣渚とは、両者の夫人同士が姉妹のため、義兄弟の間柄である。

吉川晃司のファンで、球場入りする愛車の中ではいつも吉川の曲を流している[55]。2011年頃から本人との親交もあり、巨人移籍後の2012年シーズン開幕直前には花束が届けられたという[56]

子供の頃は巨人ファンであり、原辰徳のファンでもあった。後のFAでの巨人入りの際には原や長嶋茂雄終身名誉監督などから直々に電話で入団の誘いをもらい、入団を決意した[57]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2002 ダイエー
ソフトバンク
11 9 0 0 0 2 2 0 -- .500 204 44.0 48 5 23 3 4 46 1 0 29 29 5.93 1.61
2003 27 24 3 2 0 10 8 0 -- .556 675 162.2 148 13 55 1 3 169 4 0 64 61 3.38 1.25
2004 10 9 0 0 0 2 3 0 -- .400 216 45.2 56 8 27 1 2 51 2 0 36 35 6.90 1.82
2005 26 26 8 2 2 18 4 0 0 .818 765 196.2 150 14 43 1 0 218 0 0 51 46 2.11 0.98
2006 22 21 0 0 0 7 5 0 0 .583 558 132.2 130 15 44 2 5 114 2 0 57 52 3.53 1.31
2007 28 28 5 3 3 15 6 0 0 .714 793 197.2 166 12 46 1 5 187 1 0 58 54 2.46 1.07
2008 25 25 8 1 3 10 8 0 0 .556 776 196.0 162 15 36 1 2 213 3 0 63 58 2.66 1.01
2009 26 26 6 1 0 15 5 0 0 .750 764 191.0 145 14 63 1 4 204 7 0 59 50 2.36 1.09
2010 27 27 5 5 2 16 7 0 0 .696 779 182.2 169 12 60 1 8 218 10 0 75 72 3.55 1.25
2011 23 23 7 3 0 8 7 0 0 .533 676 171.1 122 8 49 1 8 177 5 0 40 37 1.94 1.00
2012 巨人 24 24 3 2 1 12 4 0 0 [注 2].750 634 163.0 116 6 43 0 3 172 9 0 42 37 2.04 0.98
2013 24 24 2 1 0 11 6 0 0 .647 634 153.0 122 19 49 1 7 149 4 1 60 57 3.35 1.12
2014 26 26 1 1 0 10 6 0 0 .625 654 159.1 144 18 41 0 5 145 1 0 59 56 3.16 1.16
2015 17 17 0 0 0 6 6 0 0 .500 401 95.2 88 9 35 0 3 93 2 1 42 42 3.95 1.29
通算:14年 316 309 48 21 11 142 77 0 0 .648 8514 2091.1 1766 168 614 14 59 2156 51 2 735 686 2.95 1.14
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

タイトル[編集]

表彰[編集]

  • 最優秀選手:1回 (2005年)
  • 最優秀投手:2回 (2009年、2010年)
  • 沢村賞:1回 (2005年)
  • ベストナイン:1回 (2005年)
  • 最優秀バッテリー賞 (2010年、捕手:田上秀則
  • 日本シリーズMVP:1回 (2003年
  • NPB連盟表彰:1回(2012年ノーヒットノーランに対して)
  • 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2011年
  • セ・パ交流戦MVP:1回 (2009年)
  • セ・パ交流戦優秀選手:1回(2012年)
  • 月間MVP:9回 (2003年8月、2005年3・4月、2005年5月、2007年5月、2008年5月、2009年6月、2010年3・4月、2012年5月、2013年3・4月)
  • 最優秀JA全農Go・Go賞:1回 (2012年)
  • JA全農Go・Go賞:2回 (最多奪三振賞:2008年5月、2012年5月)
  • 「ジョージア魂」賞:1回 (2012年度第5回)
  • 西日本スポーツ年間MIP賞:2回 (2005年、2008年)
  • 西日本スポーツ月間MIP賞:2回 (2008年5月度、2009年6月度)
  • ヤナセ・福岡ソフトバンクホークス年間MVP賞:1回 (2005年)
  • スポーツ日本年間MRP賞:1回 (2005年)
  • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in「プロ野球部門」(主催:日本メンズファッション協会):2009年度
  • 福岡市スポーツ栄誉賞:2006年
  • 大野城市民スポーツ栄誉賞:2003年
  • 大野城市民特別栄誉賞:2009年
  • 第3回西新勝鷹水神MIP賞(主催:西新商店街):2005年
  • 九州放送VIVA!!SPORTAS MOSTハイアールヒーロー賞:2009年

記録[編集]

野手記録
  • 初登板・初先発・初勝利:2002年4月1日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(福岡ドーム)、6回1失点
  • 初奪三振:同上、1回表にサブローから奪三振
  • 初完投勝利・初完封勝利:2003年3月30日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(福岡ドーム)
打撃記録
節目の記録
その他の記録
  • 毎回奪三振:2回
    • 2005年8月20日、対西武ライオンズ14回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9回完投14奪三振
    • 2008年10月1日、対オリックス・バファローズ22回戦(京セラドーム大阪)、8回完投13奪三振
  • 1イニング4奪三振:2003年4月14日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏に小坂誠振り逃げ)・渡辺正人垣内哲也福浦和也から ※史上8人目(9度目)
  • 日本シリーズ最少四球(投球回10以上):0個(日本シリーズタイ記録)※史上6人目
  • 1シーズン2桁奪三振11度:2008年 ※史上7人目
  • 5試合連続2桁奪三振:2009年(8月23日 - 9月23日) ※史上2人目(左腕史上初)
  • 通算100勝到達試合数:215試合 ※左腕史上2位(当時最速)
  • 最速2000奪三振:1930回2/3での到達
  • 現存12球団に勝利 ※史上10人目
  • 13球団に勝利 ※史上2人目
  • 通算100勝以上で救援勝利なし ※史上唯一
  • 奪三振数が投球回を上回った回数(規定投球回以上):6度 ※史上初
  • 3年連続200奪三振:2008年 - 2010年 ※ドラフト制以降史上5人目
  • 4年連続月間MVP受賞:2007年 - 2010年 ※パ・リーグ投手史上2人目
  • ノーヒットノーラン:2012年5月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(東京ドーム)、1四球の準完全試合 ※史上75人目
  • オールスターゲーム出場:7回(2005年、2007年 - 2012年)
  • オールスターゲーム両リーグで勝利投手 ※史上2人目
  • オールスターゲーム2球団で勝利投手 ※史上3人目
  • オールスターゲーム1イニング3球でチェンジ ※史上唯一

背番号[編集]

  • 47 (2002年 - 2011年)
  • 18 (2012年 - )

登場曲[編集]

  • 2005年
To All Tha DreamersSOUL'd OUT
  • 2006年
「To All Tha Dreamers」SOUL'd OUT
終わりなき旅Mr.Children
every little thing every precious thingLINDBERG
  • 2007年
遠くまでDo As Infinity
Starlight Destiny」SOUL'd OUT
ALIVE」SOUL'd OUT
「Torero」 Chayanne
  • 2008年
BAD COMMUNICATIONB'z
LIVIN' ON A PRAYERボン・ジョヴィ
「Crystal Lady」 MEGARYU
煌めく瞬間に捕われてMANISH(登板時)
VOODOO KINGDOM」SOUL'd OUT(打席時)
  • 2015年
スターライトパレードSEKAI NO OWARI
「夢を抱きし者たちへ」風味堂
「星空のディスタンス」ALFEE(2015年7月 - )

代表歴[編集]

関連情報[編集]

著書[編集]

  • 『サウスポー論』(KKベストセラーズ、2011年11月、ISBN 4584133476) - 和田毅との共著
  • 『コントロールする力:心と技の精度アップバイブル』(廣済堂出版、2013年7月30日、ISBN 4331517357

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 『球団側からFA権を取っても必要とする球団はないなどと言われた』という一部報道がなされた。[14]
  2. ^ 勝率1位は杉内の.750(12勝4敗)だったが、最高勝率のタイトルは.714(15勝6敗)の内海哲也が獲得。

出典[編集]

  1. ^ 巨人 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月2日閲覧。
  2. ^ a b トップランナーNHK総合)2011年1月15日 プロ野球選手 杉内俊哉
  3. ^ 月刊ホークス、2010年10月号、P.22
  4. ^ 週刊現代 2010.3.13号 P186 福岡ソフトバンクホークス投手 杉内俊哉
  5. ^ 月刊ホークス、2010年10月号、P.23
  6. ^ ニッポン放送 上柳昌彦 ごごばん! 2012年5月31日放送分
  7. ^ ソフトB王会長、松中に温情見せず 日刊スポーツ 2013年6月16日付
  8. ^ 杉内WBCへ“新フォーム
  9. ^ スポニチ Sponichi Annex ニュース 2009年11月18日[リンク切れ]
  10. ^ 4度目 杉内 300勝投手以来32年ぶりの快挙
  11. ^ 月刊ホークス、2011年2月号、P.9
  12. ^ “杉内完封やっと今季初勝利は最多タイ15K”. 日刊スポーツ. (2011年5月15日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110515-775994.html 2012年4月3日閲覧。 
  13. ^ “【ソフトB】杉内1500K!早さ3番目”. 日刊スポーツ. (2011年6月18日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110618-792192.html 2012年4月3日閲覧。 
  14. ^ ソフト・杉内、巨人へ 会見で涙”. 朝日新聞 (2011年12月20日). 2012年5月30日閲覧。
  15. ^ 杉内、巨人に入団表明=「すっきりした」-プロ野球”. 時事通信 (2011年12月19日). 2011年12月20日閲覧。
  16. ^ “杉内 巨人にとっては36年ぶりの“初勝利” 自身は初登板8連勝”. スポーツニッポン. (2012年4月2日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/02/kiji/K20120402002960410.html 2012年4月3日閲覧。 
  17. ^ “野手8人年俸は計3億円未満 星野監督「勝ったら痛快」”. スポーツニッポン. (2012年5月30日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/30/kiji/K20120530003353850.html?feature=related 2012年6月20日閲覧。 
  18. ^ “杉内、13球団から勝利 工藤以来、2人目”. 産経新聞. (2012年7月27日). http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120727/bbl12072722240010-n1.htm 2012年7月27日閲覧。 
  19. ^ “最多奪三振に阪神・能見、巨人・杉内”. デイリースポーツ. (2012年10月10日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2012/10/10/2p_0005439395.shtml 2012年10月14日閲覧。 
  20. ^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  21. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  22. ^ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  23. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
  24. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
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  26. ^ G杉内に厳重注意と罰金…代表合宿中に女性と密会 サンケイスポーツ 2013年3月8日
  27. ^ 巨人杉内粘投 6回途中2失点「何とか」日刊スポーツ
  28. ^ 巨人初回屈辱10失点 杉内最悪1回持たずKO日刊スポーツ.2015年5月6日
  29. ^ 巨人杉内が右股関節の手術決断 来季も微妙2015年10月19日閲覧
  30. ^ 巨人の杉内、過去最大の4億5000万円減=股関節手術、来季復帰は未定-プロ野球 - 時事通信(2015/12/10-19:08)
  31. ^ 【巨人】杉内、日本プロ野球史上最大の4億5000万円減 - 2015年12月11日6時0分(スポーツ報知
  32. ^ 杉内フォームを大幅修正 東スポ 2013年04月09日
  33. ^ 菅野 理想は杉内の脱力フォーム「リリースの瞬間に“バァーン”と」 sponichiAnnex 2013年2月13日
  34. ^ 『トッププロが教える上達する練習法ピッチング―投球フォーム・練習法・速球の投げ方、ISBN 9784415109114、P30
  35. ^ 『トッププロが教える上達する練習法ピッチング―投球フォーム・練習法・速球の投げ方、P34
  36. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2
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  40. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、212-213頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
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  42. ^ 杉内本人も驚きの切れ!空振りスライダーが打者直撃 sponichiAnnex 2012年2月24日
  43. ^ ソフトB杉内新スライダー「エグい」nikkansports.com 2011年4月10日
  44. ^ 選手分析 ~ソフトバンク #47 杉内俊哉~プロ野球 データスタジアム、2010年01月08日。
  45. ^ 週刊ベースボール、2010年5月31日号、P.9
  46. ^ WBCで輝いたMLB未経験選手9人の評価は? MLBのスカウトから見た日韓の選手たち 『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、50-52頁。
  47. ^ 巨人・杉内、WBCへカーブ“解禁” 産経msn 2013年2月7日
  48. ^ 鷹のエースが語る「変化球奥義」『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、6-10頁。
  49. ^ 杉内 WBC勝負球カーブ解禁へ「前回凄く効果的だった」 sponichiAnnex 2013年2月7日
  50. ^ 【5月26日】2010年(平22) “ミスター・メイ”健在 杉内俊哉 4年連続無敗の14連勝スポーツニッポン
  51. ^ “ソフトB杉内が「脱・隔年投手」”. 日刊スポーツ. (2006年12月21日). http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20061221-133009.html 2010年12月12日閲覧。 
  52. ^ 杉内 “鬼門”仙台でまた勝てず…今季4敗目
  53. ^ 杉内 日本一まで1球につき1000円義援金スポーツニッポン、2011年8月16日。
  54. ^ “鷹のエース・杉内が「勝つため」にやっていること”. スポーツナビ. (2009年9月8日). http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/text/200909080001-spnavi.html 2010年12月12日閲覧。 
  55. ^ 九州スポーツ、2010-9-27.P2[要高次出典]
  56. ^ “杉内 登場曲は今年も吉川晃司…「あんな風に年とりたい」”. スポニチ. (2012年3月2日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/03/02/kiji/K20120302002743930.html 
  57. ^ ““幼い頃から原監督ファン”杉内、生ラブコールに感動”. スポニチ. (2011年12月9日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/12/09/kiji/K20111209002203640.html 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]