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村田善則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村田 善則
読売ジャイアンツ 総合コーチ #74
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県佐世保市
生年月日 (1974-04-24) 1974年4月24日(50歳)
身長
体重
176 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1992年 ドラフト5位
初出場 1995年10月3日
最終出場 2008年10月11日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 日本代表 (2016 - )
  • 読売ジャイアンツ (2016 - 2017, 2019 - )

村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手捕手、右投右打)、プロ野球コーチ

現役時代は読売ジャイアンツ(巨人)でプレーした。引退後は同球団のスコアラー、コーチを務めているほか、2016年より野球日本代表のバッテリーコーチを務めている。

経歴

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プロ入り前

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佐世保実業高等学校時代は、4番主将としてチームを率い、1992年甲子園大会に出場。同年のドラフト5位で巨人に入団。

巨人時代

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1995年、一軍に初昇格。

1996年フレッシュオールスターゲーム出場。

1999年、二番手捕手争いを杉山直樹、この年途中加入した光山英和と争い両者が打撃面で苦しむ中その打撃で結果を残し、一軍定着を果たすと8月7日の対広島戦で9回裏に澤崎俊和からプロ初本塁打となる同点3点本塁打を放つ。そして12回裏には村田と同期入団である松井秀喜玉木重雄からサヨナラ犠飛で試合を決め、同期入団二人がヒーローインタビューに呼ばれた。

2000年福岡ダイエーホークスからFA入団した工藤公康と新人の高橋尚成とのバッテリーを組み、自己最多の76試合に出場。ホークスとの日本シリーズ第1戦では先発マスクを被った。攻守での評価を上げ、将来の正捕手候補として期待された。

2001年、ドラフト1位で阿部慎之助が、ホークスからトレードで吉永幸一郎が入団し、この年一軍でわずか6試合に終わる。翌年以降は正捕手村田真一の引退もあり2番手捕手として阿部をカバー。

2006年星孝典加藤健などの起用が多く、出場機会が減った。また、自身も6月9日の千葉ロッテマリーンズ戦でスイングの際に肩を故障し、9月中旬まで出場選手登録を抹消された。再昇格後も出場機会ゼロに終わるなど、シーズン出場数は6試合だった。うち1試合は同い年でプロ入り同期で自主トレも共に行っている親友野口茂樹が5月15日にインボイスSEIBUドームでの西武ライオンズとのセパ交流戦で、移籍後初登板初先発した際の先発マスクであった。

2007年、前年限りで桑田真澄が退団したため巨人生え抜き最古参選手となったが、加藤の台頭で終盤に一軍に呼ばれたのみであった。ファームでも若手に出場機会を譲っている。シーズン終了直後に「二軍ブルペンコーチに就任」との誤報があったが、現役を続行した。

2008年、集大成の年と位置づけ「気力で臨む」とし、開幕一軍を勝ち取った。しかしシーズン通算での一軍出場はわずか3試合にとどまり、10月3日に現役引退を表明。巨人の公式戦最終試合となる10月11日の明治神宮野球場での対東京ヤクルトスワローズ戦では7回からの途中出場でマスクを被り、9回には自身最後の打席に立った(対戦相手は、かつての同僚木田優夫で結果はレフトフライ)。村田の打席終了後に球場全体からの拍手に包まれながら他の選手にベンチ前で迎えられ、高橋由伸が花束を手渡した。

現役引退後

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巨人

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引退後はスコアラーに就任。2016年より1軍バッテリーコーチに就任[1]2018年には戦略室スコアラーに配置転換。2019年にはスコアラー室室長を務めていたが8月2日に一軍ブルペンコーチを兼任。背番号は982020年には正式に一軍ブルペンコーチに就任した。背番号は742024年から、総合コーチに配置転換された[2]

日本代表

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2015年から日本代表スコアラーに就任した。

2016年より日本代表バッテリーコーチに就任。以降2017年WBCアジアプロ野球チャンピオンシップ、2018年日米野球、2019年プレミア12、2021年東京オリンピック、2023年WBCにバッテリーコーチとして登録されている。背番号は2021年までは84、2022年より74となっている。

選手としての特徴・人物

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巧みなキャッチングとリードが魅力の捕手[3]

現役時代は工藤公康とバッテリーを組む機会が多かった[4]

愛称は「善ちゃんぜんちゃん)」[5][6]、「小吉ショウキチ)」[7]

指導者として選手に伝える際は「端的に、簡潔に」と心掛けている[4]

ドラフト同期入団で同級生の松井秀喜とは親友である[8]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1995 巨人 1 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1997 16 50 46 3 7 0 0 0 7 1 0 0 0 0 3 0 1 6 1 .152 .220 .152 .372
1998 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1999 41 59 55 5 13 1 0 1 17 4 0 0 0 0 2 0 2 11 1 .236 .288 .309 .597
2000 76 169 153 14 41 6 0 3 56 13 0 0 5 0 7 4 4 27 4 .268 .317 .366 .683
2001 6 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .143 .143 .143 .286
2002 36 63 57 6 13 0 1 1 18 6 0 1 2 0 3 0 1 12 0 .228 .279 .316 .594
2003 58 157 135 9 20 4 0 1 27 11 1 1 4 2 11 2 5 28 5 .148 .235 .200 .435
2004 23 47 46 4 12 4 0 0 16 0 0 0 0 0 1 0 0 13 1 .261 .277 .348 .624
2005 32 107 98 5 24 5 0 0 29 7 0 0 1 1 6 0 1 19 8 .245 .292 .296 .588
2006 6 17 16 1 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 0 0 0 3 1 .063 .063 .063 .125
2007 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2008 4 7 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 1 1 0 1 0 .000 .200 .000 .200
通算:13年 302 686 620 47 132 20 1 6 172 43 1 2 15 3 34 7 14 121 21 .213 .268 .277 .546

[9]

年度別守備成績

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捕手 外野


































1995 巨人 4 2 0 0 0 0 1.000 0 0 0 ---- -
1997 16 87 10 0 0 2 1.000 10 7 3 .300 -
1998 2 1 0 0 0 0 1.000 0 0 0 ---- -
1999 29 87 11 0 0 2 1.000 14 8 6 .429 1 1 0 0 0 1.000
2000 70 396 19 5 1 4 .988 27 21 6 .222 -
2001 6 10 1 0 1 1 1.000 4 4 0 .000 -
2002 33 122 12 1 2 0 .993 10 4 6 .600 -
2003 55 339 29 2 2 6 .995 42 28 14 .333 -
2004 20 102 8 3 1 1 .973 11 8 3 .273 -
2005 31 238 8 0 2 2 1.000 14 10 4 .286 -
2006 5 25 2 1 0 0 .964 6 5 1 .167 -
2007 1 0 0 0 0 0 .000 0 0 0 ---- -
2008 2 6 1 0 0 1 1.000 -
通算 274 1415 101 12 9 19 .992 138 95 43 .312 1 1 0 0 0 1.000

記録

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初記録

背番号

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  • 92(1993年 - 1995年)
  • 56(1996年 - 1998年)
  • 12(1999年 - 2006年)
  • 40(2007年 - 2008年)
  • 84(2016年 - 2017年)
  • 98(2019年8月2日 - 同年終了)
  • 74(2020年 - )

登場曲

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脚注

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  1. ^ 来季の一、二軍コーチングスタッフについて - 読売巨人軍公式サイト(2015年10月27日)
  2. ^ 来季のコーチングスタッフについて - 読売巨人軍公式サイト(2023年10月16日)
  3. ^ ショウアップナイター Powered by BASEBALL KING”. ショウアップナイター Powered by BASEBALL KING (2017年2月22日). 2023年10月24日閲覧。
  4. ^ a b 【ひと】プレミア12で優勝した野球日本代表のコーチ 村田善則さん”. 西日本新聞ニュース (2019年11月20日). 2021年4月11日閲覧。
  5. ^ 世界制覇へ侍J栗山監督を支える“キーマン” 元捕手2人を入閣させた理由とは”. Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ― (2022年10月5日). 2023年3月20日閲覧。
  6. ^ 香坂英典コラム 第22回 松井秀喜との話 その2「孤独なゴジラのために僕がしたこと」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年3月20日閲覧。
  7. ^ 二宮清純. “工藤公康の投球論<後編> – SPORTS COMMUNICATIONS”. 2023年3月21日閲覧。
  8. ^ 松井コーチ、巨人同期入団「親友」村田コーチとふぐ料理に舌鼓”. SANSPO.COM(サンスポ) (2018年11月16日). 2021年4月11日閲覧。
  9. ^ 村田 善則(読売ジャイアンツ)”. 日本野球機構. 2018年12月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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