野村佑希

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野村 佑希
北海道日本ハムファイターズ #24
野村佑希20190321.jpg
2019年3月21日ファイターズ鎌ヶ谷スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(二重国籍)
出身地 群馬県伊勢崎市
生年月日 (2000-06-26) 2000年6月26日(18歳)
身長
体重
185 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2018年 ドラフト2位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

野村 佑希(のむら ゆうき、2000年6月26日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する群馬県伊勢崎市出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。

アメリカ合衆国ミシガン州ハウエルで出生。1歳半まで現地で生活していたため、「ジェームス」というミドルネームを持つ[1]ほか、ニックネームにもなっている。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

両親はいずれも日本人で、実父は自動車関連の会社へ勤務。実母は身長172cmで、中学生時代にソフトボール部で4番打者を任されていた[1]。 実父がアメリカへ赴任していた2002年に、デトロイト近郊のハウエルで出生。出生時の体重は4,500gで、実父の赴任期間終了に伴って、1歳半から群馬県伊勢崎市へ移住した。このような事情から日本とアメリカの国籍二重国籍)を有するため、日本の国籍法の規定で、2022年の誕生日(満22歳)までにどちらか一方の国籍を選ぶことが求められている[2]

伊勢崎市立境西剛志小学校の2年時に剛志ファイターズで投手三塁手として野球を始める[3]と、伊勢崎市立境西中学校時代は、近隣の太田市に拠点を置く太田市リトルシニアに所属。3年時には、身長184cm・体重80kgという大柄な体格の投手として、ストレートで135km/hを計測していた[4]

中学3年時の対外試合で、対戦相手を視察していた岩井隆花咲徳栄高校硬式野球部監督)の目に留まったことをきっかけに同校へ進学。進学当初は投手専任で、2学年先輩の高橋昂也・1学年先輩の清水達也などとしのぎを削っていたが、夏の第98回全国高等学校野球選手権大会ではベンチ入りを逃した。1年時の秋から「4番・一塁手」として対外試合への出場を始める[4]と、6本の本塁打を記録[3]。冬場にハンマーを使ったトレーニングなどで長打力をさらに伸ばすと、投手兼左翼手として臨んだ2年時春の埼玉県大会3回戦・対大宮東高校戦で、大宮公園球場のバックスクリーンへ大きな本塁打を打ち込んだことによって[5]一躍注目された[3]。「4番・三塁手」として出場した2年夏の第99回全国高等学校野球選手権大会では、埼玉大会で、ノーアーチながら打率.407をマーク[5]。1学年先輩の清水・西川愛也などと共に、チームの埼玉大会3連覇に貢献した。甲子園球場での本大会では、決勝までの全6試合で安打を放ったほか、通算25打数で13安打をマーク。日本航空石川高校との2回戦[1]盛岡大学附属高校との準々決勝で本塁打を1本ずつ、広陵高校との決勝で2安打2打点を記録する活躍で、チームおよび埼玉代表としては初めての選手権全国制覇を果たした[6]。3年時の春から主将を任されると、3年時夏の第100回全国高等学校野球選手権大会では、背番号1の投手として北埼玉大会で優勝。本大会でも先発投手として2試合に登板すると、4番打者として初戦から2試合連続本塁打を放ったが、万波中正を擁する横浜高校の前に2回戦で連覇を阻まれた。この試合では投手として4回途中7失点で交代を余儀なくされながら、一塁の守備に就いてから迎えた6回裏の打席で、高校時代最後(通算58本目)の本塁打を及川雅貴から記録している[7]

2018年のNPBドラフト会議では、打者としての実績や長打力への評価の高さを背景に、内野手として北海道日本ハムファイターズから2巡目で指名。契約金6,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は24。ちなみに日本ハムでは、前述した万波や、この年の選手権第100回本大会決勝で投げ合った柿木蓮大阪桐蔭高校)・吉田輝星金足農業高校)両投手も野村の前後に相次いで指名。いずれも交渉後に入団したため、野村のチームメイトになった。

プロ入り後[編集]

2019年には、吉田・万波・柿木・田宮と揃って、春季キャンプを二軍で迎えた[8]

詳細情報[編集]

背番号[編集]

  • 24 (2019年 - )

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]