加藤武治

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加藤 武治
北海道日本ハムファイターズ コーチ #82
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山形県天童市
生年月日 (1978-03-24) 1978年3月24日(40歳)
身長
体重
188 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト4巡目
初出場 2003年5月22日
最終出場 2010年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 北海道日本ハムファイターズ (2012 - 2014)
  • 国士舘大学 (2015 - 2017)
  • 北海道日本ハムファイターズ (2018 - )

加藤 武治(かとう たけはる、1978年3月24日 - )は、元プロ野球選手投手)、野球指導者。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

山形県立山形南高等学校から東京学芸大学教育学部、社会人の三菱ふそう川崎を経て、2002年のプロ野球ドラフト会議横浜ベイスターズに4巡目で指名され入団[1]。東京学芸大学在学中に保健体育科(中学・高校)の教員免許を取得しており、三菱ふそう川崎のスカウトがなかった場合高校野球の指導者を目指していたという[2]

横浜時代[編集]

2003年に新人ながら主に中継ぎで44試合登板[1]防御率2.77の好投で、リリーフの頭数が足りないチームを救った。シーズン途中にエディ・ギャラードが移籍してくるまではデニー友利とともにクローザーも任され、5セーブを記録した。2004年アテネオリンピック期間中に先発投手に回り、6勝を挙げた。2005年には開幕ローテーション入りしたが4度の先発で防御率7点台とあって二軍落ち。一軍に復帰した5月26日以降は中継ぎに再転向。6月18日対楽天戦で1回2アウト4点ビハインドから急遽リリーフに立ち8回2アウトまでを無失点に抑え、自分がリリーフ向きだと認識した[1]。特に先発が序盤で崩れた際のロングリリーフで安定感を見せた。

2006年シーズンは開幕から中継ぎで起用され、序盤に11試合連続無失点を記録した。当初は木塚敦志川村丈夫の前を担うロングリリーフが予定されていたが、両者の不調により、クローザーのマーク・クルーンにつなぐセットアッパーを任されるようになった。僅差の試合でも先発が早い回で崩れた試合でも登板した結果、登板試合数はリーグトップの65となり、ホールドポイント35[1](勝利8、ホールド27)で藤川球児と並んで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。この年の加藤は木塚、川村、クルーンと共に4人揃ってリリーフとして好成績を残し、クアトロKという総称が与えられた[1]。なお翌2007年に川村と加藤が先発に転向したためクアトロKはこの年限りで解散になった。

その2007年には開幕から9試合に先発したが1勝しか挙げられず(3敗)、防御率は6点台、4回以前に降板した試合が6と散々な成績で6月9日に二軍落ちとなった。結局、6月中に川村とともに中継ぎに戻され、クアトロKが再結成されることとなった。中継ぎでは2点台の防御率に抑えて7勝をマークした。

2008年は中継ぎに専念することになり、退団したクルーンの後釜のクローザー候補としても名前を挙げられていた。開幕一軍は果たすが直後に太腿の肉離れで離脱[1]。5月下旬に復帰したが、怪我をかばいながら投球していたため間も無く腰を痛めてしまい[1]7月1日の登板を最後に二軍落ち。その後二軍でも登板できないまま2009年シーズンを迎えた。2009年も二軍調整が続き、腰を痛めた影響でダイナミックなフォームは影を潜めてしまい、球威も落ちてしまった。結果、一軍登板は自己ワーストの9試合に留まった。11月26日に、稲田直人坂元弥太郎松山傑との交換トレードで、松家卓弘関口雄大と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した。背番号は49に決まった[3]

日本ハム時代[編集]

移籍1年目の2010年は中継ぎとして21試合に登板した。2011年は一軍登板がなく、10月19日付でウィルフィン・オビスポとともに戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトを受験するも獲得に名乗りを挙げる球団はなく現役引退を決断した[1]

引退後[編集]

2012年シーズンからは日本ハムの二軍投手コーチとして指導者へ転身した[4]。2014年10月22日に来季のコーチ契約を結ばないことを通達された[5]。 2015年から2017年まで国士舘大学硬式野球部コーチを務めた[6]。2018年シーズンは再び日本ハムの二軍投手コーチとして復帰した[7]

選手としての特徴[編集]

右のサイドスローからキレのある球を投げ、主に中継ぎとして活躍した。膝を折り曲げて構える独特のセットポジションから、体を大きく沈ませながら腕を大きく振り上げて投球する。かつてはストレートが最速152km/hを記録したことがあり、ストレートで押していく投球が特徴であった。しかし晩年は140km/h前半に落ち着き、ボールのキレで勝負をするようになった。本人は、力強いピッチングの幻想に囚われたまま、スタイルを変える方法を模索しなかった事が引退を早めたと自己分析している[1]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 横浜 44 2 0 0 0 4 2 5 -- .667 252 61.2 59 5 6 1 4 63 0 0 23 19 2.77 1.05
2004 43 8 0 0 0 6 6 2 -- .500 421 101.0 99 6 23 0 4 97 1 0 46 44 3.92 1.21
2005 46 4 0 0 0 4 6 0 12 .400 372 90.1 89 13 17 0 5 85 1 0 34 33 3.29 1.17
2006 65 0 0 0 0 8 7 1 27 .533 316 76.1 64 8 24 0 2 72 1 0 24 21 2.48 1.15
2007 52 9 0 0 0 8 4 1 18 .667 366 82.0 88 10 29 2 3 87 0 0 43 41 4.50 1.43
2008 14 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 52 12.0 17 1 2 0 0 12 0 0 8 8 6.00 1.58
2009 9 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 53 11.0 15 2 5 2 0 11 2 0 7 7 5.73 1.82
2010 日本ハム 21 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 81 20.0 18 3 7 0 1 16 1 0 9 9 4.05 1.25
通算:8年 294 23 0 0 0 30 28 9 58 .517 1913 454.1 449 48 113 5 19 443 6 0 194 182 3.61 1.24
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初安打:2003年10月9日、対広島東洋カープ28回戦(横浜スタジアム)、3回裏にクリス・ブロックから遊撃内野安打
  • 初打点:2004年9月25日、対中日ドラゴンズ26回戦(横浜スタジアム)、5回裏に山井大介から右前適時打

背番号[編集]

  • 17 (2003年 - 2009年)
  • 49 (2010年 - 2011年)
  • 74 (2012年 - 2014年)
  • 82 (2018年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 惜別球人 加藤武治『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/6, 53-57頁。
  2. ^ 加藤武治プロフィール|AK Global Agent
  3. ^ 木田投手、加藤武投手、松家投手、関口外野手が入団会見”. 北海道日本ハムファイターズ (2009年12月2日). 2011年12月13日閲覧。
  4. ^ コーチ就任のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2011年12月9日). 2011年12月13日閲覧。
  5. ^ コーチ退任のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2014年10月22日). 2014年10月22日閲覧。
  6. ^ [1] - スポーツ報知(2017年12月1日)
  7. ^ “コーチ就任のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ” (日本語). 北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト. https://www.fighters.co.jp/news/detail/00000682.html 2018年6月16日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]