吉永幸一郎

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吉永 幸一郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府枚方市
生年月日 1969年5月1日(47歳)
身長
体重
184 cm
99 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 1987年 ドラフト5位
初出場 1990年4月10日
最終出場 2003年4月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

吉永 幸一郎(よしなが こういちろう、1969年5月1日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手捕手内野手)。

来歴[編集]

東海大工高校から、1987年ドラフト5位で南海ホークスに入団。同期に吉田豊彦大道典嘉村田勝喜柳田聖人など後のダイエー(南海の後身)を支える選手がいた。1989年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。

1990年に初めて一軍に昇格。トニー・バナザードが帰国した8月以降は主に4番・指名打者として活躍し、打席数は少ないながらも打率.311、7本塁打の好成績を残す。翌年より背番号を49から27に変更。田淵幸一監督から正捕手に抜擢され、チームの大先輩である門田博光ばりの一本足打法と、ヘッドスピードの非常に速いバットスイングから放たれる長打が魅力の選手として、クリーンナップを務めることも多かった。

城島健司小久保裕紀松中信彦らの入団前においては岸川勝也佐々木誠と共に貴重な長距離砲であった。1996年に膝を故障。一塁手としての出場が多くなり、城島の台頭もあったため、1997年から内野手に転向。福岡ドーム初の1試合3本塁打を記録し、同年のオールスターゲームでは4番を打った[1]。自己最高の打率.300、29本塁打を記録したが、本塁打をノーゲームで1本損しており、その1本があれば3割30本塁打であった。

1998年に背番号を3に変更。この年は小久保が出場停止、故障で出場できず、思うような結果が残せなかった。

1999年に背番号を27に戻す。オールスターゲームファン投票にパ・リーグ指名打者部門が加わり、最初に選出された選手となった。主に3番・指名打者としてチームの初優勝、日本一に貢献したものの、日本シリーズでは吉永の先発出場が無かった。このことを不服としFA宣言をほのめかすも、球団からの慰留もあり残留する。

2000年は同じ左の大砲である松中の成長で出場機会は減ったものの当時の正捕手・城島の戦線離脱時には5年ぶりにマスクを被り、指名打者、代打として存在感を見せ、チームのリーグ連覇に貢献した。2000年オフ、大野倫との交換+金銭1億円(金銭はダイエーが辞退、後に金銭の代わりに佐藤誠が無償譲渡)のトレード読売ジャイアンツに移籍。背番号は23。多くの一塁手が在籍するチーム事情と、ダイエー時代からのチームメイトである工藤公康が在籍していたことから捕手に復帰。移籍1年目の2001年は先発マスクを被ることもあったが、阿部慎之助の存在で控え捕手のレベルにとどまった。2002年からは守備に就くことは無く出場機会が激減。代打本塁打を2本放ち、優勝に貢献したが、翌2003年に膝の故障により自由契約となり現役を引退。

本人曰く、パ・リーグの観客の少ない所でのプレーが好きだったとの事。

2014年3月よりボーイズリーグ福岡南支部加盟チーム福岡井尻ボーイズ中学部の監督に就任。後進の育成に汗を流している。

2014年8月から同チームが運営する野球塾 FIBベースボールアカデミーを福岡市博多区西月隈のエイコージャパンFIBグランドで開講。

人物[編集]

松井秀喜が巨人時代に、「吉永さんの打撃は凄いですよね。特にインコースのバッティングは真似したくても出来ませんよ」と感嘆していた[2]

阪神タイガースの梅野隆太郎が大学時代にアドバイスを受け打てる捕手の先輩として、「大きな刺激を受けた」と語っている[3]

元ソフトバンクの柴原洋が2013年に実施したホークス球団創立75周年企画「あの人が選ぶレジェンドホークス」において吉永を一塁手に選び、「入団して、とにかくバッティングの凄さに驚きました。特にバットコントロールですね。当時はオリックスにイチローさんがいましたが、引けを取らないくらい上手かったです。僕もたくさん勉強させてもらいました。」と述懐している[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1990 ダイエー 69 195 180 17 56 12 2 7 93 34 0 0 1 1 13 0 0 40 3 .311 .356 .517 .872
1991 89 255 222 18 42 11 0 6 71 17 0 0 4 0 28 1 1 60 6 .189 .283 .320 .603
1992 124 460 420 44 122 20 3 11 181 49 0 3 2 2 36 1 0 55 13 .290 .345 .431 .776
1993 125 470 413 39 120 29 3 12 191 44 1 5 0 2 54 5 1 85 14 .291 .372 .462 .835
1994 123 480 433 49 123 28 2 19 212 55 0 2 0 3 44 8 0 70 8 .284 .348 .490 .838
1995 81 337 294 37 86 18 2 8 132 34 2 1 2 0 39 1 2 51 11 .293 .379 .449 .828
1996 124 470 390 59 115 21 2 20 200 72 1 3 3 6 70 5 1 69 7 .295 .398 .513 .911
1997 132 521 443 57 133 21 0 29 241 73 0 1 2 0 75 12 1 72 11 .300 .403 .544 .947
1998 112 437 365 38 91 18 0 13 148 48 0 0 1 4 66 6 1 78 4 .249 .362 .405 .768
1999 113 418 346 48 95 12 1 16 157 38 0 1 0 3 69 11 0 88 5 .275 .392 .454 .846
2000 104 275 227 25 58 6 2 9 95 33 0 0 1 6 40 1 1 54 5 .256 .361 .419 .780
2001 巨人 25 42 37 3 11 1 0 1 15 5 0 0 0 0 5 0 0 10 2 .297 .381 .405 .786
2002 26 26 24 2 5 0 0 2 11 3 0 0 0 0 1 0 1 7 1 .208 .269 .458 .728
2003 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
通算:14年 1250 4389 3797 436 1057 197 17 153 1747 505 4 16 16 27 540 51 9 741 90 .278 .367 .460 .827

年度別守備成績[編集]

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1990 17 21 17 4 .190
1991 82 65 51 14 .215
1992 120 108 79 29 .269
1993 125 128 86 42 .328
1994 122 96 68 28 .292
1995 56 39 22 17 .436
1996 84 69 43 26 .377
1998 1 2 2 0 .000
2000 7 5 5 0 .000
2001 8 11 9 2 .182
通算 622 544 382 162 .298

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録

背番号[編集]

  • 49 (1988年 - 1990年)
  • 27 (1991年 - 1997年、1999年 - 2000年)
  • 3 (1998年)
  • 23 (2001年 - 2003年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]