脇谷亮太

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脇谷 亮太
読売ジャイアンツ #2
Lions Ryota Wakiya.JPG
西武時代(2014年7月2日、西武ドームにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 (1981-11-04) 1981年11月4日(35歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2006年6月4日
年俸 2,160万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

脇谷 亮太(わきや りょうた、1981年11月4日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手内野手)。

ニックネームは「ワッキー」「ワキさん」。

経歴[ソースを編集]

プロ入り前[ソースを編集]

1981年大分県で生まれる。父親が社会人野球チームの投手だったことから野球に興味を持ち、小学2年生の時に地元のチーム「ふじが丘少年野球団」で野球を始める。ポジションは当時からプロ入り後と同じく遊撃手・三塁手だった。柳ヶ浦高等学校時代は、2年夏に甲子園出場するものの、控えのベンチ入りで出番はなく、1回戦で松坂大輔を擁する横浜高校に敗れた。日本文理大学硬式野球部では四年次に主将を務め、2003年全日本大学野球選手権大会で大学日本一を経験、同大会MVPに輝いた。

卒業後はNTT西日本に進み、俊足の三塁手として第31回社会人野球日本選手権大会で優秀選手賞に選ばれるなどの活躍を見せた。2005年の大学・社会人ドラフト5巡目で巨人に指名され、入団。背番号は57

ドラフト会議の際、指名はないと思っていた脇谷はチームの通常練習に参加しており、慌てて会見場に向かう途中には「ドッキリカメラじゃないか」とユーモアも交えて感想を述べた。なお、同年のドラフトではNTT西日本から5人が指名されている[2]

巨人時代[ソースを編集]

ルーキーイヤーの2006年に、イースタン・リーグで8打席連続安打を記録し、6月4日の対西武ライオンズ戦で、小久保裕紀に代わり一軍登録、即先発出場を果たした。この試合で9回裏に三塁打を放ち、清水隆行犠飛で本塁に生還し、チームのサヨナラ勝ちに貢献した。さらに6月8日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、斉藤和巳完全試合ノーヒットノーランを阻止する投手内野安打を放ったが、直後に牽制でアウトとなり、結果的に打者27人の準完全試合を決められた。なお、翌2007年3月4日の対ソフトバンク戦(オープン戦)でも、9回二死の状況で完全試合を阻止するこの試合唯一の安打を放っている。同年シーズン後半は1番・二塁手として固定され、2番・中堅手の鈴木尚広と「ダブル1番」として出場[3]。8月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦では1番・二塁手でスタメン出場すると、5打数4安打の猛打賞の活躍を見せたほか、10月5日の対横浜ベイスターズ戦では土肥義弘からプロ初本塁打を放った。シーズンでは後半戦200打席超で、打率.270の成績を残した。

2007年に、「同学年で同じ1番打者のヤクルト(当時)・青木宣親を目標にして活躍してほしい」という原からの期待で背番号を23に変更[4]、主に二塁手として出場し、木村拓也ルイス・ゴンザレスと併用された。優勝争いのかかった9月27日の対中日ドラゴンズ戦では朝倉健太から逆転本塁打を放ち、勝利に貢献。91試合に出場し、打率.282と前年を上回る成績を残した。クライマックスシリーズでは全試合にスタメン出場したが、守備に精彩を欠き、全試合で途中交代となった。11月2日からの若手・中堅選手中心の秋季キャンプでは野手キャプテン・強化指定選手に指名された。

2008年は二塁手のレギュラー獲得を期待されながら、木村と寺内崇幸の後塵を拝し、出場機会はプロ入り後最少の56試合の出場に終わり、シーズンを通して打率.208と低調であった。一方で、日本シリーズの対西武第5戦では、同点で迎えた7回表に涌井秀章から決勝の2点適時三塁打を放っている。

2009年に木村の不振により二塁手でスタメン起用される機会が増え、89試合の出場で打率.268の成績を残した。9月28日には初めて3番打者で出場。クライマックスシリーズ3回戦では、8回裏に中日・浅尾拓也から代打逆転決勝2点適時二塁打を放ち、3打数1安打の成績ながらシリーズMVPを受賞。ヒーローインタビューでは「3試合でトータル10分くらいしか試合に出ていないんですけどいいのかな、という気持ちです」と述べた[5]

2010年は、5月3日の対ヤクルト戦で、自身プロ入り初の満塁本塁打を放ち、8月5日の対阪神戦では、15試合連続得点のセ・リーグ記録を達成[6]。守備は、10月2日の対横浜23回戦では、3回に内川聖一の三ゴロを捕球した事をきっかけに三重殺を達成。巨人として2001年以来9年ぶりであった[7][8]。このシーズンは自己最多の132試合に出場し、初めて規定打席に到達。打率.273・7本塁打・43打点。走塁技術にも磨きがかかり、リーグ最多の三塁打(8本)、チーム最多となる28盗塁(盗塁死は5)を記録した。一方で5月と9月は打率1割台と好不調の波が大きく、10月8日のヤクルト戦では同点に追いつかれた9回裏に二死満塁で打席が回ってきたが二塁ゴロに倒れてサヨナラのチャンスを逃してしまい、チームも敗れクライマックスシリーズの本拠地開催権を確保できなかった。また2番打者で起用された際に度々バントや進塁打を失敗するなど、多くの課題も残した。

2011年は、プロ6年目で初の開幕スタメン(2番・二塁手)を勝ち取った[9]。同年4月20日の阪神タイガース戦での7回の二塁守備において、クレイグ・ブラゼルが打ち上げたフライを一度落球してから捕ったが、アウトとなった。しかし、阪神の真弓明信監督が、審判の判定は誤審であると抗議するも判定が覆らなかった。しかし、これで騒動は終わりではなかった。ビデオでボールが一度グラウンドに落ちたことは明らかだったが、この判定について脇谷はスポーツニッポンの取材に「捕りましたよ。自分の中ではスレスレのところでやってますから。VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか」とコメントした。そしてこの後、5月に打撃不振に陥ったため、二軍で再調整を強いられ、その間に藤村大介に二塁手のレギュラーを奪われた。7月5日の対ヤクルト戦で右翼に打球を放った直後に痛みを訴え、右手有鉤骨を骨折し[10]、10月1日まで戦列を離れた。シーズン終了後の11月21日に球団側から自由契約通知がされた[11]。同月24日には右ひじの靱帯再建手術を受けることになった[12]12月1日育成選手として巨人と再契約したことが発表された[13]。翌2012年のシーズンを通して前年に受けた靱帯再建手術のリハビリに充てることになり、同年3月に術後初めて投球を行い[14]、6月には打撃練習を行った[15]。9月29日のイースタン・リーグで実戦復帰し、10月にはフェニックスリーグでプレー。シーズン終了後の11月に育成から支配下選手に復帰し、背番号は以前と同じ23に決まった[16]

2013年、「今年ダメならユニホームを脱ぐ」との覚悟でシーズンに臨み[17]、開幕一軍を勝ち取る[18]。3月29日の対広島戦の開幕戦において2年ぶりに開幕スタメン(8番・二塁手)として出場。7回裏に今村猛から決勝の2点適時安打を放ち、復帰後初のお立ち台に上がった[19]。5月3日の対広島戦では、9回裏にキャム・ミコライオからプロ入り初となるサヨナラヒットを放った。しかし、中井大介立岡宗一郎ら若手の台頭もあり[20]、シーズン3度の二軍落ちを経て、結局49試合の出場に終わった。

翌年1月7日、FA権を行使して西武から巨人へ移籍した片岡治大への人的補償措置として西武へ移籍[21]。背番号は片岡の着けていた7に決まった。

西武時代[ソースを編集]

2014年3月28日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦の開幕戦において(6番・一塁手)として出場し、9回裏に則本昂大から移籍後初安打を放った。4月19日の対オリックス・バファローズ戦では、3年ぶりに三塁手として先発出場し、同点で迎えた5回裏に2死満塁から、左翼線を破る決勝の適時二塁打を放ち、同季初勝利を記録した菊池雄星と共に移籍後初のお立ち台に上がった[22]。6月21日の対横浜DeNAベイスターズ戦では、延長10回表に加賀繁から一時は勝ち越しとなる移籍後初本塁打を放った[23]。翌22日には移籍後初の猛打賞を記録した。7月11日の対オリックス戦では、延長12回裏に無死満塁から永江恭平の代打で出場し、移籍後初で自身2度目のサヨナラヒットを放った[24]。最終的に96試合に出場し、2本塁打、打率.263の成績を残した。

2015年当初はエルネスト・メヒアの守備固めでの出場がメインであったが、打撃面で好調をキープし、7月以降からスタメンに定着。8月には不調の浅村栄斗に代わり3番打者を任される。しかし9月19日の北海道日本ハムファイターズ戦で右足首を骨折し、21日に二軍に降格してシーズンを終えた。2010年以来となる100試合(118試合)に出場。打率.294、3本塁打、22打点の成績を残した。この年は、内野だけでなく外野の守備に就く機会が増える。11月4日にFA(フリーエージェント)権を行使することを表明し[25]11月11日に国内フリーエージェント宣言選手として公示された[26]

巨人復帰後[ソースを編集]

12月2日に古巣である巨人との契約で合意に達したことを発表。12月7日には東京・大手町の球団事務所で入団会見を行った。単年契約で年俸2400万円プラス出来高払い、背番号は今季限りで現役を引退した井端弘和が着用していた2に決定した。引退した巨人の現在の監督・高橋由伸自身と、井端現内野守備走塁コーチという攻守の切り札2人分の活躍を指令。巨人時代からの兄貴分のゲキを受けた脇谷は「目標はズバリ胴上げ」と大車輪の働きを誓った[27]

2016年、8月23日の広島東洋カープ戦でプロ初のサヨナラホームランを放ち[28]、スカパー! サヨナラ賞を受賞した[29]

プレースタイル[ソースを編集]

脇谷のスイング(2009年)

打撃[ソースを編集]

パンチ力のある打撃を持ち味としている他、二塁打性のあたりであっても持ち味の俊足をいかし三塁打にすることも多く、レギュラーに定着した2010年にはリーグ最多の三塁打(8本)を放っている。また、俊足なため内野安打が多く、併殺打は少ない。

守備・走塁[ソースを編集]

遠投110メートルの強肩を持ち味とする。社会人時代は三塁手、大学時代は二塁手を務めていた。プロ入り後は二塁手または三塁手として出場することが多いが、一塁手遊撃手もこなすことができ、西武移籍後は外野手としても出場しているユーティリティープレイヤーで、持ち味の俊足を活かしたその守備範囲は広い。

50m5秒7を記録する俊足を持ち味としており、レギュラーに定着した2010年にはチームトップ(リーグ3位)の28盗塁を記録した。なお、同年の盗塁死は5で盗塁成功率は.848を記録。2013年シーズン終了時の通算の盗塁成功率においても.787を記録するなど高い成功率を維持している。また、前述の通り二塁打性のあたりであっても三塁打にする脚力も兼ね備えている。

落球誤審騒動[ソースを編集]

前述の2011年の阪神戦での落球誤審騒動においては、新聞で大きく取り上げられたが脇谷の発言(「捕りましたよ。自分の中ではスレスレのところでやってますから。VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか」)が火に油を注ぐ形となり、阪神ファンを中心に批判された。

一方でこの誤審騒動においては批判ばかりでなく擁護する意見もある。「落としていようと審判がアウトと言ったらアウト」といった意見もあり、当時日本ハムに在籍していたダルビッシュ有もツイッターに「勝負事ですからね。まず、(自分から)落としましたと言う人はいません」と投稿した[30]

詳細情報[ソースを編集]

年度別打撃成績[ソースを編集]

















































O
P
S
2006 巨人 60 226 215 22 58 7 2 1 72 11 4 3 1 0 8 1 2 42 1 .270 .302 .335 .637
2007 91 188 177 28 50 6 5 1 69 14 8 1 3 0 5 1 3 30 3 .282 .314 .390 .703
2008 56 130 120 15 25 5 2 1 37 8 4 2 3 0 7 0 0 32 0 .208 .252 .308 .560
2009 89 245 231 26 62 7 2 2 79 16 5 3 1 0 10 1 3 52 0 .268 .307 .342 .649
2010 132 459 414 65 113 14 8 7 164 43 28 5 6 1 35 4 3 80 5 .273 .333 .396 .729
2011 53 167 154 12 27 3 2 0 34 10 7 2 4 1 6 1 2 24 0 .175 .215 .221 .436
2013 49 135 123 12 30 5 0 0 35 8 3 0 1 0 10 2 1 18 1 .244 .306 .285 .591
2014 西武 96 233 205 21 54 11 0 2 71 20 4 1 10 1 15 0 2 45 1 .263 .318 .346 .665
2015 118 272 235 32 69 13 1 3 93 22 4 2 8 1 27 0 1 47 3 .294 .367 .396 .763
2016 巨人 54 115 108 8 17 3 1 1 25 7 0 0 1 0 6 0 0 18 4 .157 .202 .231 .433
NPB:10年 798 2170 1982 241 505 74 23 18 679 159 67 19 38 4 129 10 17 388 18 .255 .305 .343 .648
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[ソースを編集]

内野守備

一塁 二塁 三塁 遊撃




























2006 - 47 117 144 7 22 .974 9 6 9 0 1 1.000 -
2007 - 57 94 116 3 16 .986 18 5 7 0 0 1.000 2 0 4 0 0 1.000
2008 - 21 25 42 0 9 1.000 32 13 44 3 6 .950 -
2009 - 53 89 120 3 25 .986 40 15 38 2 7 .964 1 1 0 0 0 1.000
2010 - 78 150 196 3 48 .991 67 38 79 4 4 .967 -
2011 11 61 4 0 4 1.000 28 61 74 2 19 .985 17 6 14 1 1 .952 -
2013 3 5 0 0 0 1.000 37 75 73 1 15 .993 8 1 2 0 0 1.000 -
2014 27 104 8 1 9 .991 10 19 14 0 1 1.000 56 23 67 0 4 1.000 -
2015 90 292 17 5 34 .984 - 10 5 15 1 1 .952 -
2016 17 86 3 1 6 .989 17 26 35 1 4 .984 2 0 0 0 0 .--- -
通算 148 548 32 7 53 .988 348 656 814 20 159 .987 259 112 275 11 24 .972 3 1 4 0 0 1.000
外野守備

外野







2015 28 46 0 0 0 1.000
2016 1 2 0 0 0 1.000
通算 29 48 0 0 0 1.000
  • 2016年度シーズン終了時

表彰[ソースを編集]

記録[ソースを編集]

初記録
その他記録
  • 15試合連続得点:2010年 ※セ・リーグ記録

背番号[ソースを編集]

  • 57 (2006年)
  • 23 (2007年 - 2011年、2013年)
  • 023 (2012年)
  • 7 (2014年 - 2015年)
  • 2 (2016年 - )

登場曲[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 巨人 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月24日閲覧。
  2. ^ 夢のプロへ! 大量5人が指名されたNTT西日本(スポーツナビ 2005年11月18日)
  3. ^ ダブル1番という構想は開幕前から監督の原辰徳が起用法として口にしていたが、この形に落ち着くまで40数通りの組み合わせを試みている。
  4. ^ 「週刊ベースボール」2010、vol.24 P45
  5. ^ 脇谷スタメン無しもMVPいただき/CS nikkansports.com 2009年10月25日
  6. ^ 【巨人】脇谷、リーグ新15試合連続得点 nikkansports.com 2010年8月5日
  7. ^ 巨人では9年ぶりの三重殺!脇谷「本当かよ」スポーツニッポン 2010年10月2日
  8. ^ 巨人では9年ぶり三重殺!脇谷もニッコリ サンケイスポーツ 2010年10月2日
  9. ^ 初の開幕スタメン/脇谷亮太選手(asahi.com 2011年04月18日)
  10. ^ 巨人・脇谷、骨折で登録外れる msn産経ニュース 2011年7月6日
  11. ^ 脇谷選手ら7人を自由契約に読売巨人軍公式ホームページ 2011年11月21日
  12. ^ 脇谷が右肘手術 スポーツ報知 2011年11月24日
  13. ^ 脇谷選手と育成契約読売巨人軍公式ホームページ 2011年12月1日
  14. ^ 【巨人】リハビリ中の脇谷がネットスロー nikkansports.com 2012年3月15日
  15. ^ 【巨人】脇谷が打撃「1ステップずつ」 nikkansports.com 2012年6月27日
  16. ^ 【巨人】脇谷が育成から支配下に復帰 nikkansports.com 2012年11月15日
  17. ^ 巨人脇谷マルチ安打「今年ダメなら引退」 nikkansports.com 2013年3月20日
  18. ^ 【巨人】脇谷開幕1軍に「期待が9割」 nikkansports.com 2013年3月27日
  19. ^ 【巨人】脇谷が逆転決勝打 sponichi.co.jp 2013年3月29日
  20. ^ 【巨人】原監督、脇谷に「荒々しさ」出せ nikkansports.com 2013年6月7日
  21. ^ FA補償による選手の獲得合意について - 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2014年1月7日
  22. ^ 千金打脇谷 雄星の初白星アシスト「笑顔を見せてくれるかな」 sponichi.co.jp 2014年4月19日
  23. ^ 西武脇谷、移籍1号も「勝たないと…」 nikkansports.com 2014年6月21日
  24. ^ 西武脇谷「絶対決めようと」サヨナラ打nikkansports.com 2014年7月11日
  25. ^ 西武 脇谷がFA宣言へ 今オフ第1号「迷っていたけどもう1回チャレンジ」スポニチアネックス 2015年11月4日掲載
  26. ^ 2015年度 フリーエージェント宣言選手 - 2015年11月17日閲覧
  27. ^ 脇谷亮太選手との契約合意について 読売巨人軍公式サイト - 2015年12月2日
  28. ^ 巨人脇谷サヨナラ弾「奇跡」高橋監督の師弟愛応えた日刊スポーツ 2016年8月24日掲載
  29. ^ 巨人脇谷、西武森に「サヨナラ賞」日刊スポーツ 2016年9月14日掲載
  30. ^ 巨人・脇谷の落球誤審騒動 試合後コメントでツイッター大炎上

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]