九里亜蓮
広島東洋カープ #12 | |
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![]() 2017年11月9日 天福球場にて
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 鳥取県米子市 |
生年月日 | 1991年9月2日(26歳) |
身長 体重 |
187 cm 92 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2013年 ドラフト2位 |
初出場 | 2014年3月29日 |
年俸 | 3,800万円(2018年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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九里 亜蓮(くり あれん、1991年9月2日 - )は、広島東洋カープに所属する鳥取県米子市生まれ[2]のプロ野球選手(投手)。
実父はアメリカ人で、かつてマイナーリーグの球団で遊撃手としてプレー。タレント・ファッションモデルとして活動する九里 聖莉奈(くり せりな)は実妹に当たる[2]。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
米子市で出生後に、小学校2年生で野球をスタート。小学3年生で父と一緒に渡米した。現地の硬式野球チームでは内野手を務めたが、家庭の事情から1年で帰国。中学校を卒業するまでは、もっぱら母方の祖母に育てられた[2]。
中学3年生の時に、地元の少年野球チーム・米子ビクターズ(現在の米子ボーイズ)のエースとして、岡山県内で開かれた全国大会に出場[2]。その縁で、同県にある岡山理科大学附属高等学校へ進学した。
亜細亜大学への進学後は、東都大学リーグの公式戦で、通算19勝5敗、防御率1.60を記録。4年生の秋季リーグ戦では、チームを33年振りの優勝に導くとともに、MVP・最優秀投手賞・ベストナインの3冠を受賞した。さらに、4年生の時に出場した明治神宮大会では、いずれも先発で3試合に登板。18回3分の1を投げて、1失点(自責0)、23奪三振という内容でチームに7年振りの優勝をもたらした。高校・大学の1学年先輩に高田知季、1学年後輩に薮田和樹がいる。
2013年のドラフト会議にて、広島東洋カープから2巡目で指名を受けて入団。会議当日にTBS系列で放送された『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』では、指名に至るまでの半生を、本人および家族へのインタビューや再現映像を交えながら紹介した。
ちなみに、ドラフト会議で指名された鳥取県出身の選手は、1985年に広島から5位指名を受けた足立亘以来28年振り。入団会見には、アメリカからの帰国後に九里を育てた実母・祖母や、実妹の聖莉奈も姿を見せていた[3]。
プロ入り後[編集]
- 1巡目指名で入団した同年齢の大瀬良大地と共に、開幕から先発ローテーションの一角に起用。広島において、2名の新人投手が入団初年度の開幕からローテーションを担うのは初めてであった[4]。開幕2戦目の3月29日の対中日戦(ナゴヤドーム)で初登板初先発を果たすと、6回1失点と好投。この年の新人投手で公式戦1番乗りの勝利を挙げた。広島の新人投手が開幕2戦目以内の試合に先発登板で勝利投手となったのは、1951年開幕戦の杉浦竜太郎、1952年開幕戦の大田垣喜夫に続き球団史上3人目、実に62年振りの快挙であった[5][6]。5月13日の対阪神戦(米子市民球場)では凱旋登板を果たした[7]。
選手としての特徴[編集]
長身からオーバースローで投げ下ろす最速148km/h[8]のストレートに、カーブ、スライダー、チェンジアップ、ツーシームと多彩な変化球[9]が持ち味。
練習では多くの投げ込みを課する一方で、納得のいく球がなかったとしても予定していた回数を無闇に増やしたりはしない。理由は、実戦で調子が悪くても「もう一球!」とはいかないからだという。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2014 | 広島 | 20 | 16 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 366 | 83.1 | 93 | 9 | 31 | 1 | 6 | 50 | 3 | 2 | 45 | 37 | 4.00 | 1.49 |
2015 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 75 | 16.0 | 19 | 3 | 7 | 0 | 1 | 10 | 1 | 0 | 10 | 8 | 4.50 | 1.63 | |
2016 | 27 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 351 | 80 | 79 | 9 | 37 | 0 | 1 | 52 | 0 | 0 | 47 | 40 | 4.50 | 1.45 | |
2017 | 35 | 13 | 0 | 0 | 0 | 9 | 5 | 0 | 2 | .643 | 494 | 116.1 | 111 | 7 | 44 | 0 | 4 | 97 | 1 | 0 | 51 | 47 | 3.64 | 1.33 | |
NPB:4年 | 89 | 40 | 0 | 0 | 0 | 13 | 13 | 0 | 3 | .500 | 1286 | 295.2 | 302 | 28 | 119 | 1 | 12 | 209 | 5 | 2 | 153 | 132 | 4.02 | 1.42 |
- 2017年度シーズン終了時
記録[編集]
- 初登板・初先発・初勝利・初先発勝利:2014年3月29日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、6回1失点
- 初奪三振:2014年4月5日、対横浜DeNAベイスターズ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回表に2番手で救援登板、井納翔一からスリーバント失敗
背番号[編集]
- 12 (2014年 - )
登場曲[編集]
- 「music」naco(2014年)
関連情報[編集]
CM[編集]
- アイスタイル株式会社(2014年 - ) 諸見里大介と共演
脚注[編集]
- ^ 広島 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2017年12月15日閲覧。
- ^ a b c d “広島ドラ1九里亜蓮 金髪「特攻隊長」を更生させた祖母の愛”. 日刊ゲンダイ. 2014年5月13日閲覧。
- ^ “広島ドラフト2位九里入団会見 妹は現役モデル”. 日刊スポーツ. (2013年12月10日) 2014年4月21日閲覧。
- ^ “九里亜蓮インタビュー”. 『週刊ベースボール』ONLINE. (2014年4月14日) 2014年4月21日閲覧。
- ^ “広島ドラ2九里 新人1番乗り1勝 62年ぶりの快挙も「まだ1勝しただけ」”. スポニチアネックス. (2014年3月30日) 2014年5月13日閲覧。
- ^ “九里がプロ初登板で初勝利!広島新人先発62年ぶり快挙”. サンスポ. (2014年3月30日) 2014年3月31日閲覧。
- ^ 広島九里 思い出の地で祖母に好投捧げる
- ^ https://www.nikkansports.com/baseball/news/1801529.html
- ^ “広島ドラ2の九里 新年初マウンドで全球種を披露「楽しみでいっぱい」”. デイリースポーツ. (2014年1月4日) 2014年1月4日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 九里亜蓮 - NPB.jp 日本野球機構
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