松山竜平

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松山 竜平
広島東洋カープ #44
2012.04.14松山竜平.jpg
2012年4月14日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県曽於郡大崎町
生年月日 1985年9月18日(30歳)
身長
体重
176 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト4巡目
初出場 2008年4月24日
年俸 2,800万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松山 竜平(まつやま りゅうへい、1985年9月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手外野手内野手)。背番号44

経歴[編集]

鹿児島県大崎町出身。大崎小学校3年生の時にソフトボールを始め、6年生で全国大会優勝。ソフトボールスポーツ少年団の監督の勧めで左打ちに転向した。その監督が福留孝介を育てた新留勝郎監督である。当時松山は捕手を務めており、同チームの1学年下には榎田大樹が在籍していた。大崎中学校時代は、ボーイズリーグの「鹿屋ビッグベアーズ」に所属し、鹿屋中央高校では1年生からエースで4番だった(甲子園には出場していない)。高校時代は猛練習が実を結び、3年時春には100mだった遠投が夏には123mにまで伸ばし、苦手だった50m走の記録も春の6秒5から夏には6秒まで伸ばしている[1]九州国際大に進学し、1年春から出場。2007年6月の全日本大学野球選手権大会では、2回戦に早大斎藤佑樹から二塁打を放ち注目された。4年間で首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回に輝き、通算安打は122本で、九州六大学リーグの新記録を作る。大学通算打率.412、通算三振数は18(1試合平均0.24個)。福岡大白仁田寛和投手とは、九州六大学野球のライバルであった。2007年11月19日のプロ野球大学生・社会人ドラフト会議広島東洋カープに4巡目で指名された。入団時の意気込みとして背番号37を永久欠番にしたいと語り、登録名に関しても活躍後に“竜平”に変更したいと語った。同年11月26日に契約金5000万円、年俸1000万円(推定)で仮契約。

プロ入り後[編集]

1年目の2008年は開幕一軍を逃したものの、ウエスタン・リーグ開幕からチームの中軸として好調を保ち、4月24日に一軍昇格。代打による2打席のみで二軍に降格したが、その直後二軍では4番に定着。疲れや守備練習に時間を割くこともあって調子を落とすこともあったが、ウエスタン・リーグの打点王を獲得。安打もリーグ最多を記録した。課題の守備は将来を睨んで三塁の練習をしているが、ウエスタン・リーグの試合では主に一塁を守る機会が多かった。それまでやっていた外野は2試合のみの出場だった。

2年目の2009年は春季キャンプの途中に肉離れでリタイア。4月に二軍に合流すると5月にはウエスタン・リーグの月間MVPを受賞する活躍を見せたが、その後の不調が響いて一軍出場はなかった。守備では三塁の守備に就く機会が前年の5試合から33試合に増えた。

2010年は主に一塁手としてウエスタン・リーグの試合に出場。前年に続き一軍出場はなかった。2010年11月、大学時代に知り合った広島県出身の女性と結婚を発表[2]。すでに同年より、同居生活を送っており、12月12日(この日は自身の入団会見の日にあたる)に入籍2011年2月には第一子が産まれる予定であることを明かした。

2011年は岩本や天谷の不振で1軍昇格すると、6月9日埼玉西武ライオンズ戦で涌井秀章から決勝打となるプロ初本塁打を放ってチームの連敗を10で止めた[3]7月5日横浜ベイスターズ戦では初の3安打を放ち[4]、結局この年は自己最多68試合に出場。打率.270、3本塁打の成績を残した。

2012年は前年度の活躍が評価され、オープン戦でチーム唯一の全試合出場。打率.403の好成績を残し、オープン戦の首位打者となった。この活躍で開幕を一軍で迎えた[5]。ところがシーズンが始まると突如打てなくなり、一軍と二軍を往復する生活が続くも、8月21日横浜DeNAベイスターズ戦では初の4番に座り[6]8月30日東京ヤクルトスワローズ戦では4番としての初打点を挙げた[7]。結局この年は打撃部門の全てで前年度を下回り、打率もあわや1割台と打撃不振に苦しむシーズンとなった。

ナイターで打席に立つ松山

2013年廣瀬純などと外野の枠を争い、シーズンを通して一軍に定着する。最終的に規定打席到達はならなかったものの自己最高となる打率.282、10本塁打、52打点、OPS.732を記録した。

2014年は春季キャンプ2日目に故障した[8]が、オープン戦は9試合に出場し打率.452を記録するなど打撃好調だった。開幕2戦目の中日ドラゴンズ戦に3番ライトでスタメン出場した。その後は打撃不振が続いたが、徐々に調子を上げ3割を維持していた。しかし、6月13日の埼玉西武ライオンズ戦で左前十字靱帯を損傷[9]し、約2ヵ月の戦線離脱となった。規定打席到達はならなかったが、打率.318、7本塁打、34打点、OPS.815を記録した。前記のような活躍にも関わらず、背番号37を剥奪され、迎祐一郎の引退で欠番になった44番に変更された。

2015年は開幕戦に5番レフトでスタメン出場した。4月18日の中日戦で故障し[10]、戦線離脱となった。復帰後はファースト、レフト、ライト、指名打者など様々なポジションでの出場が続き、左投手が先発する試合では、左の代打の切り札としての出場が多くなった。6、7、8月の月間打率がそれぞれ.391、.348、.387と打撃好調で、8月終了時点では3割を維持していた。しかし、9月に深刻な打撃不振に陥り、最終的には打率.277、7本塁打、26打点、OPS.795でシーズンを終えた。阪神タイガース藤浪晋太郎を得意とし(打率.583、本塁打1、打点3、四球1)、藤浪キラーと呼ばれた[11]。10月20日、秋季練習中に右太もも裏を故障し三軍調整となった[12]

人物[編集]

  • ニックネームアンパンマン。大学3年生の時に先輩から付けられた。プロ入り後も「アンパンマンで僕の名前を覚えてくれるなら喜んで呼ばれたい。」とファンに呼びかけた。ホームのマツダスタジアムで打席に向かう際の出囃子も「アンパンマンのマーチ」である。また、ホームランを放った際には「松山のアンパンチが炸裂」などと述べられることが多い。
  • ドラフト指名を受け、直後の会見では所有していた牛を売って大学の学費を出してくれた祖父に感謝の意を述べながら感極まって大粒の涙を流した。
  • お立ち台でのきまり文句は、「鹿児島のじいちゃんばあちゃん、俺やったよ!」である。しかし、2013年ごろからは前田健太やほかのチームメイトに先に言われてしまうことが多い。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2008 広島 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2011 68 204 196 15 53 6 1 3 70 19 0 1 0 0 8 0 0 20 5 .270 .299 .357 .656
2012 48 146 137 4 28 4 0 0 32 7 1 0 0 0 8 0 1 13 3 .204 .253 .234 .487
2013 123 389 372 27 105 23 1 10 160 52 2 0 1 4 11 0 1 49 4 .282 .302 .430 .732
2014 80 250 233 26 74 9 1 7 106 34 0 1 0 1 14 1 2 29 7 .318 .360 .455 .815
2015 100 229 202 14 56 13 0 7 90 26 1 1 0 3 23 0 1 30 8 .277 .349 .446 .795
NPB:6年 421 1220 1142 86 316 55 3 27 458 138 4 3 1 8 64 1 5 142 27 .277 .316 .401 .720
  • 2015年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2011 - - 50 67 0 1 0 .985
2012 20 141 16 0 9 1.000 1 1 2 0 0 1.000 22 25 1 0 0 1.000
2013 23 95 9 4 10 .963 - 86 114 4 0 0 1.000
2014 15 39 3 0 3 1.000 - 56 71 3 2 0 .974
通算 58 275 28 4 22 .987 1 1 2 0 0 1.000 214 277 8 3 0 .990
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 37 (2008年 - 2014年)
  • 44 (2015年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “ルーキーの挑戦 大学生・社会人4巡目 松山竜平外野手(22)九州国際大”. 中国新聞 (中国新聞). (2008年1月17日). http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/08kikaku/rookie/080117.html 2013年10月27日閲覧。 
  2. ^ “コイのアンパンマン”松山が結婚! - デイリースポーツ、2010年11月25日
  3. ^ “広島10連敗でストップ!松山プロ初弾でGに0・5差”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年6月10日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/10/kiji/K20110610000989460.html 2013年4月28日閲覧。 
  4. ^ “広島打線をけん引!4年目・松山が初の猛打賞”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年7月6日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/06/kiji/K20110706001153070.html 2013年5月9日閲覧。 
  5. ^ “【広島】マエケン、堂林、松山ら開幕切符”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年3月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120328-924617.html 2013年5月8日閲覧。 
  6. ^ “【広島】初4番「空回り…」松山”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年8月21日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120821-1004240.html 2013年5月8日閲覧。 
  7. ^ “【広島】松山が4番で初打点”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年8月30日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120830-1008926.html 2013年5月8日閲覧。 
  8. ^ 広島松山、会沢、ロサリオがリタイヤ 日刊スポーツ 2014年2月2日
  9. ^ 広島松山着地に失敗、左前十字靱帯損傷 日刊スポーツ 2014年6月13日
  10. ^ 広島松山「左足筋挫傷」走塁中に足引きずる 日刊スポーツ 2015年4月18日
  11. ^ 広島が“藤浪キラー”松山の一発で先制 デイリースポーツ 2015年10月4日
  12. ^ “菊池、秋季練習別メニュー 松山はリタイア”. 中国新聞. (2015年10月21日). http://www.chugoku-np.co.jp/carp/article/article.php?comment_id=193892&comment_sub_id=0&category_id=124 2015年10月21日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]