中村憲

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中村 憲
福山ローズファイターズ
中村憲20110713.jpg
広島外野手時代(2011年7月13日、雁の巣球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府宇治市
生年月日 (1989-09-27) 1989年9月27日(28歳)
身長
体重
186 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト4巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中村 憲(なかむら けん、1989年9月27日 - )は、京都府宇治市出身の元プロ野球選手外野手)。日本女子プロ野球機構兵庫ディオーネに所属している中村香澄は実妹である。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

京都すばる高時代から投手を始める。それまでは投手の経験は無く、1・2年中心のチーム構成だった為に上背のある中村に白羽の矢が立った。そのため野手としての能力も高く、50m5秒9の俊足に1年生の頃から4番を任された打撃センスを併せ持つ(高校通算26本塁打)。なお、高校の2学年後輩に岩橋慶侍京都産業大学東京ヤクルトスワローズ)がいた。

高校最後の夏は京都大会の決勝までの全6試合51イニングを一人で投げ抜いたが、決勝の京都外大西高戦は1-2で敗れ、甲子園出場はならなかった。

2007年高校生ドラフト会議で、投手として広島東洋カープから4巡目で指名。契約金2500万円、年俸460万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は「69」。

広島時代[編集]

入団後は腰痛や故障に苦しんだため、投手としては一軍公式戦への登板機会がなかった。ウエスタン・リーグ公式戦では、2008年に9試合の登板で1勝2敗を記録したほか、2010年に2試合へ登板。しかし、2009年には実戦登板の機会がなかった。

2010年には、10月3日支配下選手契約の解除を球団から通告[1]。その際に、育成選手契約への移行を前提に、投手から野手へ転向することを打診された。しかし、その後に参加したフェニックス・リーグで好調だったことから、投手として育成選手契約を結んだ。背番号は「122」に変更となった。

2011年は、肘痛などで投手として実戦登板の機会がなく、6月から外野手に転向した。転向後は、ウエスタン・リーグ公式戦25試合に出場するとともに、打率.263、6打点を記録した。

2012年には、7月16日に支配下登録選手へ復帰。背番号を「99」に変更した。ウエスタン・リーグ公式戦では、68試合の出場で打率.279、12打点を記録。二軍においてプロ初本塁打も放ったが、一軍公式戦への出場機会はなかった。2013年はウエスタン・リーグ公式戦37試合で打率.259、0本塁打、3打点、2014年には同公式戦69試合で打率.339、2本塁打、9打点という成績を残した。

2015年には、ウエスタン・リーグ公式戦14試合に出場。打率.333を記録した一方で、本塁打・打点とも0に終わった。一軍公式戦への出場を果たせないまま、10月1日に球団から戦力外通告を受けた。

広島退団後[編集]

2015年11月10日には、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト草薙球場)に打者として参加。7人の投手との対戦で6打数1安打1四球だった[2]。その後、現役を引退した。

引退後は、一般企業に勤務しながら、クラブチームでプレーを続ける意向を示していた[3]2016年から福山ローズファイターズでプレーしている。

選手としての特徴・人物[編集]

投手時代には、最速140km/hのストレートスライダーカーブフォークを使った投球をしていた。186cmの長身と長いリーチを活かしたフォームでボールの出所が見えにくく、テイクバックが小さいのが特徴。

広島への入団後に外野手へ転向してからは、バッティングカウントで長打を放ったり、ウエスタン・リーグ公式戦で一塁の守備に就くこともあった[2]

妹の香澄も、プロ野球選手として日本女子プロ野球機構大阪ブレイビーハニーズ京都フローラ → 兵庫ディオーネに所属[4]。フローラで4番打者を務めていた2014年には、日本女子プロ野球リーグの本塁打者賞(1本塁打)を獲得するとともに、遊撃手としてベストナインに選ばれた[5]

日本のプロ野球では、川端慎吾友紀に次ぐ2組目の兄妹選手に当たる。

詳細情報[編集]

背番号[編集]

  • 69(2008年 - 2010年)
  • 122(2011年 - 2012年途中)
  • 99(2012年途中 - 2015年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]