アレックス・ラミレス

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はラミレス第二姓(母方の)はキニョーネスです。
アレックス・ラミレス
Alex Ramírez
横浜DeNAベイスターズ 監督 #80
20130406 Alexander Ramon Ramirez, outfielder of the of the Yokohama DeNA BayStars,at Meiji Jingu Stadium.JPG
2013年4月6日、明治神宮野球場にて
(2000本安打達成時) 
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 首都地区ミランダ州カラカス
生年月日 (1974-10-03) 1974年10月3日(42歳)
身長
体重
180 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手
プロ入り 1991年 アマチュア・フリーエージェントとしてクリーブランド・インディアンスと契約
初出場 MLB / 1998年9月19日
NPB / 2001年3月30日
最終出場 MLB / 2000年9月27日
NPB / 2013年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 群馬ダイヤモンドペガサス (2014)
  • 横浜DeNAベイスターズ (2016 - )

アレックス・ラミレス(Alex Ramírez, 1974年10月3日 -) 、本名:アレキサンダー・ラモン・ラミレス・キニョーネスAlexander Ramón Ramírez Quiñónez)は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手外野手)、横浜DeNAベイスターズ監督(第30代)。

愛称は「ラミちゃん[1]

DeNA選手時代の2013年に日本球界通算2000本安打を達成し、外国人枠適用経験選手では史上初の名球会への入会を果たした。王貞治の7年連続を更新し、8年連続100打点超えの記録を持つ。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

実家はベネズエラの首都・カラカス近郊の「ピニャンゴ・デ・ジャレ」という小さな町にある。人口は約200人で、そのうち4分の3程がラミレスの一族だという[2]

5歳で兄の影響を受け野球を始め、8歳で地元リトルリーグの監督にスカウトされチームに所属。15歳になると本格的に野球選手を目指すため学校を退学。当時は主に投手を務めていた。

プロ入りとインディアンス時代[編集]

18歳で[3]ベネズエラの国内選手権に出場した際に外野手として試合に出ていたところをクリーブランド・インディアンズのスカウトの目に留まりマイナーリーグ契約をする[4]

1994年2月に結婚[5]。同年8月から1995年4月までメジャーリーグ史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のメジャーリーグスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャーリーグ選手会への加入を認められなかった[6]

1998年はAAA級バッファロー・バイソンズで121試合に出場。34本塁打103打点6盗塁、打率.299と結果を残し、9月19日に初のメジャーリーグ昇格を果たした。同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。1打数無安打1三振に終わった。

パイレーツ時代[編集]

2000年7月28日にウィル・コルデロとのトレードエンリケ・ウィルソンと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍。しかしパイレーツへの移籍直後は好調だったものの、8月に入るとスランプに陥りスタメンから外されるようになる。ラミレスによれば「打撃コーチ(ロイド・マクレンドン)に打席でのスタンスを変えるよう指示されそれに従ったところスランプに陥ったため、コーチに『スタンスを元に戻したい』と言ったら、次の日からスタメンを外された」という[7]

ヤクルト時代[編集]

2000年11月1日、ヤクルトスワローズに入団。背番号は3。当時、フロリダ州で家と車を購入したばかりでそのローンが残っていたため、当初は「1年だけ日本で金を稼いで、(ローンを)返済したらすぐに戻る」つもりだったという[8]

2001年から打率.280・29本塁打・88打点の好成績をマーク。当初の契約では「5番・右翼手」での出場を確約されていたが、キャンプ初日に右翼手のレギュラーだった稲葉篤紀の守備を見て「自分は彼(稲葉)には勝てない」と感じ、左翼手に転向したとのこと[9]。同年はチームのリーグ優勝と日本一に貢献した。

2002年も前年同様安定した成績を残した。

2003年読売ジャイアンツへ移籍したロベルト・ペタジーニに替わって4番に座り、打率.333・40本塁打・124打点で打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。来日3年目で初の3割達成となった。

2004年8月21日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では、トレイ・ホッジスからランニング本塁打を放った。この年は故障離脱もあったが打率.305、31本塁打、110打点の成績を残した。終盤には代理人の意向もあって移籍が取り沙汰されたが、本人の希望もあって残留。その際、義理の息子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの入団が決め手となった。

2005年は3割は逃したが、引き続きチームの4番打者としてチームに貢献した。

2006年は26本塁打・112打点を記録するものの、636打席で四球はわずか19個と選球眼の悪さが露呈し、出塁率.289は両リーグで最低だった。

2007年10月4日の対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)において、外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成、打率も.343、安打数は最終的に204安打まで達した[注 1]。また、このシーズンは打率.343、122打点をマークして、100打点、200安打、打率.300以上の「100・200・300」を同時達成しているが、これは日本プロ野球史上唯一の記録で、メジャーリーグに渡った日本人選手でも、2005年の松井秀喜ニューヨーク・ヤンキース)が114打点、192安打、打率.305を残したのが「最接近記録」で、NPB/MLBを通じて100打点以上の経験がないイチローも到達していない。この記録は確実性と長打力に加えてケガにも強い耐久性を兼ね備えていることの証ともいえるもので、MLBで最も多く記録しているのは2130試合連続出場記録を残したルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の8回である。

シーズン終了後に球団側との契約交渉が決裂したことで退団が決まり、11月30日に自由契約公示。同年12月29日読売ジャイアンツへの入団が正式に発表された。入団会見は巨人初のビデオレターによるものとなり、会見では「このチーム(巨人)に足りないものを加えに来た」とコメントした。

巨人移籍への背景[編集]

シーズン終了後、球団側からラミレス側への残留要請が行われたが、提示された条件は契約年数1年、推定年俸4億円というラミレス側の希望とはかけ離れたものであった。7年在籍した球団に対する彼の希望は、高年俸ではなく契約年数で、ラミレスは球団側が複数年契約を認めればヤクルトに残留する選択も考えていた。実際、ラミレスは後に「現状維持の2年契約の提示があれば残留していた」と記している[10]が、最終的に球団側は複数年契約を提示しなかったため、ヤクルトを退団することとなった。

自由契約となったラミレスに対し、右の大砲を探していた巨人とオリックス・バファローズが獲得を検討していたが、オリックスはアレックス・カブレラを獲得したため、巨人が獲得した。推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。背番号は、「3」が長嶋茂雄永久欠番となっているため、「5」となった。ラミレスは以前から「巨人では外国人選手が大変な思いをしている」と聞かされていたため、巨人は一番行きたくないチームだったが[11]、巨人がラミレス自身が希望する複数年契約を提示したことに加え、ラミレス自身が原辰徳の指揮に以前から興味を持っていたこともあって巨人入りを決めたという[12]

巨人時代[編集]

巨人時代(2009年、東京ドーム)

2008年は開幕から5番打者としてシーズンを迎えたが、開幕から結果を残したことと、4番候補の李承燁高橋由伸の不振により、主に4番で起用されるようになった。前年の高打率を維持しながら長打力も発揮し、45本塁打、125打点で2年連続3度目の打点王を獲得し、チームのリーグ連覇に貢献した。そして2008年のセ・リーグ最優秀選手に選ばれた。交流戦においてはパ・リーグのチームの主催試合では指名打者制のため、この試合では主に指名打者として起用された。チームは中日ドラゴンズとのCS第2ステージでは初戦を落とすも第2戦に球団初のCS勝利、第3戦は引き分け、第4戦では8回に勝ち越しの2ラン本塁打を放って勝利し、6年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦は指名打者で出場し、第4・5戦では阿部慎之助が負傷して指名打者で出場したため左翼手として出場した。同シリーズでは併殺打が多く物足りない成績で第7戦では最後の打者となってしまったが、第1戦の唯一の打点、第2戦のサヨナラホームラン、第3戦でもソロホームランを放ち、第5戦では逆転のきっかけを作る二塁打を放つなど随所で活躍し、同シリーズ敢闘賞を受賞した。この年にフリーエージェント資格を取得したため、2009年から外国人枠を外れて日本人扱いとなった。

2009年は144試合全てで4番に座り、前年に続く活躍。3割30本100打点を達成したほか、打率.322で自身初の首位打者と3度目の最多安打を獲得。チームの3連覇に貢献し、2年連続の最優秀選手に選ばれた。シーズン通しての調子の波も少なく、6月以外の月間打率は全て3割以上だった。巨人の右打者の首位打者獲得は1971年長嶋茂雄以来38年ぶりである。日本シリーズで、観戦に来た小笠原道大の娘にファウルボールを当ててしまうが、翌日「ゴメンナサイ」と書いた自身のサインボールを小笠原に渡した[13]。同シリーズでは第4戦の7点ビハインド場面で金森敬之から3ラン本塁打を打った。これが同シリーズでの自身にとって唯一のホームランだった。チームはこの試合は敗れたが、第5、6戦と勝利し、巨人での日本一を達成した。

2010年4月に孫のD・J・ラミレスが誕生(夫人の連れ子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの子)。好不調の波が少なかった過去2年と違ってシーズン当初は低打率に苦しんだが、その中でも得点圏においては勝負強い打撃を見せ、本塁打と打点を量産。夏場に入ると一気に調子を上げて打率も向上させ、最終的に打率.304、49本塁打、129打点で二冠王に輝いた。しかし、首位打者の青木宣親(ヤクルト)、シーズンMVPの和田一浩中日)、シーズン安打数の日本新記録を挙げたマット・マートン(阪神)の3人に阻まれ、ベストナインには選出されなかった。打撃二冠のタイトルを獲得しながらベストナインに選ばれなかったのは、1960年の藤本勝巳に次いで二人目である。

2011年5月1日に4番としての連続先発出場記録を416試合として、松井秀喜が持つ415試合を抜き、球団新記録を達成する。しかし7月13日の対阪神戦で受けた死球の影響で、翌日の7月14日に先発から外れ、長野久義が4番で先発出場し、記録は469試合で途切れた。代打で途中出場したため連続試合出場は続いたが、翌日の試合では途中出場もなかったため、連続試合出場は985試合で止まった。この記録は外国人選手としては歴代最長記録となった[14]。8月5日、3回表に内野安打を放ち、NPB通算1793安打を記録。タフィ・ローズの1792安打を越え、歴代外国人選手の通算最多安打記録を更新した[15]。シーズン成績は、打率(.279)が巨人入団以来初めて3割を切り、打点(73)は連続100打点が8年で止まり、来日以来最低の数字となった。本塁打数(23)も来日以来最低の数字となり、打撃三部門で来日以来最低の記録となった。但し、本塁打数はリーグ2位でチーム内では1位である。これは「飛ばないボール」(統一球)に変わったこともあり、セ・リーグの選手全体の本塁打数も減少したため、本塁打数に関しては決して不振とは言える数字ではなかった(最多は、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)の31本)。指揮官の起用面を配慮し契約最終年であり、10月31日の同年のクライマックスシリーズ・ファーストステージ終了を以て、正式に退団を表明した。この年から導入された統一球によって本塁打が減少したことで大量得点を期待できず、いかに守備で失点を防いでいくかの戦いになったことでラミレスの守備難はネックとなった。お世辞にも上手い守備とは言えず、終盤は打順の降格だけでなく、スタメンを外れる試合もあった。ラミレス自身は打撃でチームに貢献したかったが、チームとしては守備面を重視する方針となっていたため、チームにとって絶対的な存在ではなくなっていた[16]

DeNA時代[編集]

2011年12月8日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表し、入団会見を行った[17]。背番号は、ヤクルト時代と同じ3

2012年はオープン戦での肉離れにより開幕スタメンこそ逃すも、4月4日より新チームの4番として定着。しばらくは調子が上がらない時期が続いたが、徐々に調子を上げ、7月5日、NPB/MLB通算2000本安打を達成(MLBでは86安打・NPBでは1914安打を記録)。同14日、外国人選手最高記録となる12年連続2桁本塁打を達成。7月にはDeNA移籍後初、通算9回目の月間MVPを受賞した。3球団で月間MVPを受賞するのは史上初[18]

2013年トニ・ブランコの入団により5番に回り、4月6日の対ヤクルト戦で6回表、元チームメイトである石川雅規からレフト方向へ弾丸ライナーで飛び込む本塁打を放ち、外国人選手枠で入団した選手としては史上初となる、NPB通算2000本安打を達成した[19]。だが、巨人退団の要因となった守備難が顕著になってきたことに加え、特に2000本安打を達成してからは打撃面でも精彩を欠いたことから、4月25日の対巨人戦を最後にスタメン落ち。その後は代打や交流戦での指名打者として出場していたが、代打には不慣れなこともあって結果を残せず、6月2日の日本ハム戦で本塁打を放ったのを最後に22打席連続凡退のまま、前半戦終了後の7月18日に来日13年目にして初の二軍降格となった。9月27日、戦力外通告を受けていたことが判明[20]。10月2日、球団側が14年シーズンは契約しないことを正式に発表した[21]

BCリーグ・群馬時代[編集]

横浜DeNAから戦力外通告を受けた後は、KOYO都市開発の社長に就任[22]する一方で、NPBの他球団で現役生活を続けることを希望。好物の炭酸飲料を断つなど、例年以上に節制と自主トレーニングに努めることで、他球団からのオファーに備えていた[23]

2014年2月13日ベースボール・チャレンジ・リーグ群馬ダイヤモンドペガサスが、ラミレスを打撃コーチ兼任の外野手として入団させることを発表した[24]。背番号はヤクルト・DeNA時代と同じ3[25]。なお、打撃コーチ料を含めた推定年俸は、巨人時代の最高額(5億円)の100分の1に相当する500万円(選手としての月給にはリーグ規定上限額の40万円を適用)[26]。また、ラミレスにNPB復帰への意向が強いことから、群馬との契約には「シーズン途中にNPBの球団から(ラミレスの)獲得を打診された場合には契約を解除できる」という旨の付帯条項が添えられた[23](なお、NPBの支配下選手登録の新規獲得可能期間は7月31日までである)。

入団した群馬では、4番・指名打者として5番カラバイヨとの強力クリーンナップを形成。同年4月にはまたも西武が獲得を検討していると報道されたものの[27]、契約は見送られた[28]6月23日に球団がラミレスの緊急帰国を発表[29]。帰国に至った経緯として、「家族の病気療養に付き添うため」としている。その後、チームに再合流して7月11日の試合より一度復帰する[30][31]も、同様の理由のため9月4日に球団が2回目の緊急帰国を発表した[32]。2度目の帰国後は、復帰することなく、シーズンを終えた。シーズン通算では、45試合の出場で、打率.305、7本塁打、38打点。10月14日に、球団を通じて現役引退を表明した[33]

引退後[編集]

群馬シニアディレクター・オリックスアドバイザー時代[編集]

2014年10月29日から、群馬のシニアディレクターに就任した[34]。就任後の11月9日には、第1回トライアウトを視察[35]。この視察をきっかけに、同年限りでDeNAから戦力外通告を受けていた元チームメイトの伊藤拓郎を群馬に入団させる[36]など、編成面で手腕を発揮していた。

2015年6月22日からは、オリックス・バファローズと3ヶ月間の契約を結んだうえで、同球団の巡回アドバイザーを兼務した。群馬で指導していたフランシスコ・カラバイヨヨヘルミン・チャベスが同年に相次いでオリックスへ移籍したこと[37]による就任で、外国人選手のサポートを中心に、月に数回のペースで一・二軍を指導していた[38]

しかし、オリックス同球団では2015年10月5日に、ラミレスとの巡回アドバイザー契約を延長しないことを発表した。球団本部長の瀬戸山隆三によれば、契約期間の満了を機に別のポストへの就任をラミレスへ打診したところ、就任の辞退と退団の申し出があったという[39]

DeNA監督時代[編集]

2015年10月19日にDeNA球団がラミレスの一軍監督就任を発表した。同球団の監督に外国人が就任するのは前身の(横浜)大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ時代を含めても初めてで、日本球界初となるアメリカ人以外の外国人監督である[40]

現役時代に横浜DeNAベイスターズ及び前身球団に在籍していた人物が同球団の監督に就任するのは2004年に退任した山下大輔以来となり、DeNA球団のOBとして監督に就任するのは球団史上初となる。

現役時から「日本のプロ野球で監督をやってみたい」ということは夢であった[41]。背番号は80。それは就任当時12球団で唯一CS出場実績がなかったことから80勝への願いを込めたためでもあり、「来季優勝するために必要な数字」とも語った。

2016年シーズンにはDeNAは3位で球団初のクライマックスシリーズへ進出し、なおかつ1stステージで2位の巨人に2勝1敗で勝利してクライマックスシリーズ・ファイナルステージにも進出したが、シーズン1位の広島に1勝4敗(広島に1勝のアドバンテージ含む)で敗れて日本シリーズ進出はならなかった。

選手としての特徴[編集]

ラミレスの打撃フォーム
(2012年3月18日、横浜スタジアム)

故障が少なく、長期離脱したことがほとんどない。2004年8月8日以降、2011年7月15日に欠場するまで全試合に出場。日本の外国人枠選手の連続出場試合記録(985試合連続出場)、日本人選手を含めても歴代8位の記録を保持している。

打撃[編集]

首位打者を1度、本塁打王を2度、打点王を4度、さらに最多安打を3度獲得するなど打撃に優れている。早打ちの傾向があり[42]、2007年の初球打ちの打率は5割を超えたが、それゆえに四球が非常に少ない。ヤクルト時代は三振が多く、7年連続100三振以上を記録していた。しかし巨人移籍後は出場試合が多いながらも全てのシーズンで100を下回るようになった。

来日当初は典型的なプルヒッターだったが、近年[いつ?]はボールを手元まで呼び込んで外角球を捌くことができるようになった[43]。追い込まれると右方向に流し打つ柔軟さも兼ね備える[44]。球種的な弱点も少なく[45]、巨人移籍以降2010年までの通算得点圏打率.347とチャンスに強い他、同じく通算対左打率.337と左投手にも強い。落合博満はNPB最高打者としてラミレスを挙げている[要出典]

守備・走塁[編集]

主に左翼を守っているが、守備範囲は非常に狭く、2010年には得点換算で両リーグワーストの数値を記録した[46]。同じく刺殺数150は規定試合以上の外野手では守備固めでの起用が主だった藤川俊介に次いでリーグワースト2位を記録。失策も多く、2008年から2010年まで3年連続で両リーグの外野手でワーストの守備率を記録している。試合終盤には守備固めを送られることが多く、パ・リーグ主催の交流戦や日本シリーズでは主に指名打者として出場している。守備能力の問題については本人も自覚しており、「守備は全力で頑張るが専門ではない。自分は打撃に尽きる」と発言している[47]

巨人時代の2009年シーズンオフに監督の原辰徳から一塁への挑戦を打診されたり[48]、DeNAに移籍した直後にも監督の中畑清が「ラミレスに外野を守らせるという固定観念はない。一塁も考えている」と発言するなど[49]、守備の負担のより少ない一塁へのコンバート案もたびたび出ていたが、実現には至らなかった。なお、来日前のメジャーリーグ時代にはファーストで1試合、新人だったルーキーリーグ時代にはショートで64試合に出場した経験がある。

走塁面では企図も含めて盗塁数が少なく、ベースランニングで手を抜くことが多いが、右打者ながら一塁到達4.2秒台前半を記録するなど足が特別遅いという訳ではない[44]。200安打を達成した2007年には22本の内野安打を記録しており、200本目となったのも三塁への内野安打であった。なおNPBでの生涯盗塁数は20であり、これは日本プロ野球名球会所属野手の中で最少である[注 2]

監督・指導者として[編集]

DeNA監督としての就任会見(2015年10月)、及び、DeNA監督としてのインタビュー記事(2016年5月)において、自身の監督観、あるいは自身が目指すチーム作りにおいて、下記のことを述べている。

  • 「ご存じの通り、若く将来有望な選手が多い中で、積極的な野球ができればと思っています。必要なときに積極性を出し、個々の選手が力を合わせて協力して、みんなが1つの目標に向かっていければいいと思います」[50]
  • 「できるだけ多くのコミュニケーションを選手ととれる監督になりたいと思います。同時に積極性をもって、多くの選手にいろいろ教えたいと思います。野球は身体的なものよりメンタルな面が大事だと思いますので、そういうところも含めて指導していけたらと思います」[51]
  • 「監督は選手より有名になるべきじゃないというのが、僕の持論。選手が注目されるべきだと思うんだ。監督はゲームに集中して、必要以上に目立ったパフォーマンスをしない」[52]

また、試合終了後の監督会見、選手に対する日々のミーティング、各種メディアにおけるインタビューにおいて、下記のことを折に触れて述べている。

  • 「凡事徹底」(基本的なこと、当たり前のことを徹底的に大切にする)[53]
  • 「どう始まるかより、どう終わるかが大事だ」(試合が終わった瞬間から、次の試合に対しての準備が始まる)[54]
  • 「Tomorrow is Another Day.」(明日は明日、また頑張ります)[55]
  • 「That happens.」(そういうこともある。終わったことは気にしない)[55]
  • 「Cross the Line.」(線を越えろ。一度でもその線を越えれば風景が、意識が変わる)[55]

また、下記のように、中長期的な視点を意識したコメントも、しばしば発信している。

  • 「経験がこのチームをより一層、強くしていくと思う」(2016年10月、クライマックスシリーズファイナルステージで広島に1勝4敗で敗退が決まったことを受けての、シーズン終了会見にて)[56]
  • 「最後の20試合が重要だと多くの監督が言うが、首位とのゲーム差が10ゲーム以上あることを考えれば、残り20試合では追いつけない。『残り20試合の時点でどういう状態にチームを持って行くか』が最も重要だ」(2016年7月、オールスターを終えてシーズン後半戦を迎えるにあたってのコメントにて)[57]

このように、チームの一体感を生み出す「雰囲気作り」を重要視すること、基本的なことを大切にする重要性、及び、前向きなメッセージを常に発信し続けることを通して、「(選手を)やる気にさせてくれた。それがあってこそ、選手全員が自信をもってできたと思う」(筒香嘉智[55]という効果をもたらし、監督就任1年目の2016年、DeNAを球団史上初めてのクライマックスシリーズ進出に導いた(この年のDeNAは選手の年俸総額が12球団で最下位であった)[58][59]

采配としては、データに基づく緻密な「分析野球」の傾向が強いが、その一方で、「情に厚い」一面を併せ持っている[59][55]。具体的には、DeNAの功労者である三浦大輔に対して、引退試合において先発起用の上、7回途中まで登板させたこと[60][61][注 3][注 4]、あるいは、主力と位置付けているが不調に苦しむ選手に対して、復調を信じて辛抱強く起用し続けたことが挙げられる(一例として、2016年シーズンにおいては、山崎康晃梶谷隆幸ホセ・ロペス等が該当)[62][63]。主力と位置付けているが不調に苦しむ選手を辛抱強く起用し続ける理由として、「スランプは誰しもがある。大きなスランプの後には大きな波がくる。自分の現役時代の経験でもそうだった」[64]と述べている。また、自身の現役時代の経験から、「外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事」と考えているという[65]。このことについて、「ここ日本では、全てやり方が違う。メンタルも全くも違う。野球は野球で同じだけど、全く違うやり方なんだ。僕らは日本の野球に合わせなければならない。そんな中で大事なのは、そういうことをきっちり伝えるコミュニケーションだね。新しく入ってきた選手とは必ず、日本での違いについて話をするようにしてる」[66]と述べている。

自身の拘りに必ずしもとらわれない柔軟性を併せ持っていることも、指導者としての特徴の一つである。一例として、就任当初は、梶谷を2番打者として起用することを、チーム作りの基軸の一つとしていたが、チーム状況や梶谷自身の調子に応じて起用法を変化させており、2016年シーズンの場合、レギュラーシーズンでの梶谷の2番打者としての起用は8試合にとどまった(この年の梶谷は107試合に出場。最多は3番としての47試合。なお、ポストシーズンは出場7試合中5試合で2番打者として起用された)[67][68]

采配やチーム作りにおける特徴の一つとして、若手育成の手腕に優れることが挙げられる[69][59]。一例として、DeNAの2016年シーズンを挙げる。

  • 石田健大(入団2年目。9勝、153投球回[前年は2勝、71.2投球回。投球回はチーム内で最多]。この年のオールスターゲーム第2戦に先発投手として登板した)
  • 今永昇太(入団1年目。8勝、135.1投球回[投球回はチーム内で4番目に長い])
  • 戸柱恭孝(入団1年目。捕手としてはチーム内最多の124試合に出場[うち、スタメンとして110試合に出場]。393打席、打率.226)
  • 倉本寿彦(入団2年目。遊撃手の定位置を手中にして、141試合、566打席、打率.294[前年は102試合、265打席、打率.208])

上記のように、複数の若手選手が成績を大きく伸ばしたことが、チーム力の向上の大きな原動力になった。なお、この年は、石田、今永については完投させた試合がゼロであり、投球数が100球前後になったときに降板させていたが、これについては、「安定した投球をしている理由に、無理をさせずに使い続けたということがある。若い選手はある程度制限することが将来につながってくる」[59]という考えを述べている。これに対して今永は、「2軍で過ごした経験がなければ、今、こうやって元気に1軍で投げられているとは到底思えない。ラミレス監督には本当に、大事に大事に起用していただいたなと思っています」と感謝の想いを述べている[59][注 5]

人物[編集]

ヤクルト時代は「ヒゲ」がトレードマークだった。巨人では原則ヒゲが禁止なため移籍した際に剃り落とした。ヒゲを剃ることが慣れたのか、横浜DeNAに移籍後に再びヒゲを生やすようなことはなかった。

「試合を支配する要素の70%はメンタリティー、残り30%がフィジカル」との考え方を持っている[70]。またメンタリティーの強化のためには「相手を研究し準備する」ことが不可欠であると考えており、そのためシーズン中は試合前に過去の試合のDVDを、試合後にはその日の自分の打席のDVDを観ることを日課にしていた[71]。過去のDVDを観る際は主に「得点圏にランナーがいるときのバッテリーの配球」に主眼を置くとのことで[72]、特に日本に来てからは、捕手が配球の主導権を握る日本野球のスタイルに合わせ「捕手を中心に研究する」ようになったとのことである[73]。そのような自らの意識から「日本の選手はフィジカル面ばかりでなく、もう少しメンタリティーに重きを置いてもいいのではないか」とも感じているという[74]

2010年代に入ってからは、球団を問わず後輩選手へのアドバイスを送ることも多くなっている。特にウラディミール・バレンティン長野久義石川雄洋などとは頻繁に情報交換を行っているという[75]

2013年2月には、東京・西麻布にプエルトリコ料理のレストラン『ラミちゃんカフェ』をオープンさせた[76]。実際の店舗運営は妻に任せるものの、本人も時折店を訪れ来店客に挨拶したりしていた[77]。ただ同店は店名変更などを経て、最終的に2014年9月に閉店した[78]

口癖は「マタ明日ガンバリマス」[79]。2000本安打達成後の記者会見ではジャイアンツ時代からの関根通訳を労うコメントもしている[80][81]

巨人退団の要因としては守備難だったが、打撃成績は悪くなかった。巨人退団年となる2011年は前述のように3割30本100打点を逃し、主力打者として物足りない数字ではあるものの、特別不振というほどの数字ではなかった。日本の他球団から巨人に移籍してきた選手の中で、年単位の不振はなく、巨人退団年の数字も特別悪い数字を残さなかった数少ない選手であった[注 6]

尊敬する人物として、若松勉原辰徳古田敦也を挙げている[82][83][67]。また、ベネズエラ時代に自身に野球を教えたトマス・ガルシアが恩師であるという[67]。選手、指導者を通しての野球人生において、「ポジティブに生きる」「リスペクト」を座右の銘としているが、これはガルシアの教えがもとになっているという[67][注 7]

プライベートでは、14歳年上の女性と来日前に結婚。来日後は、巨人時代の2009年にベスト・ファーザー イエローリボン賞(プロ野球部門)の1人に選ばれる[84]など、家族を大切にしていることで知られていた。しかし、現役引退後の2014年5月から家族と別居。同年11月には、夫人側がその事実をFacebookで公表した[85]。双方の協議を経て、2015年3月に離婚が成立。ラミレス自身は、同年4月23日に、7歳年下の日本人女性と再婚している[86]

パフォーマンス[編集]

本塁打を打った際やヒーローインタビューの際に、パフォーマンスを行うことで知られている。芸人の芸を取り入れたパフォーマンスが人気だった。他の選手がHRを打った際は、互いに肘を曲げあいスタンド方向を指さすなど独特のハイタッチで応じる事が多かった。本塁打ではベンチ前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特にホームゲームでは、球団マスコット(ヤクルト:つば九郎、巨人:ジャビット)とコンビでアクションを行うほか、本塁打や適時打でチームに貢献した場合、直後に守備に就く際にもファンの声援に応え、パフォーマンスを交えてお辞儀や敬礼で感謝の意を伝えている。

パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられ、シーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集していたこともある。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。2011年3月11日東日本大震災が発生した後のシーズンにおいては、中継のカメラ等を通して「We are One!! ガンバレ!ニッポン!」と手話を交えながらエールを送る姿が報道され好評を博した[87]

ラミレスによれば、元々はキャンプ中にロッカールームで選手数人が互いに「アイーン」をやって遊んでいたのを目撃した際に、同僚だった度会博文から「お前もやってみろ」と言われて、その日の練習中に数人の子供の前でやってみたところ、大変好評だったのがきっかけだという。メジャーリーグでは選手が試合中にパフォーマンスを行うことは相手を挑発しているように受け取られるため、通訳などに相談したところ「日本では問題ない」と言われたので、積極的にパフォーマンスを行うようになったとのこと[88]。その後もパフォーマンスを続けている理由としては、「野球のことをよく知らない小さな子供が『アイーン』『ゲッツ』として自分のことを覚えてくれるのが嬉しい」ことを挙げている[89]

ラミレスのパフォーマンスが定着してしまったがために、元ネタのお笑い芸人の方が「ラミレスのまね」と思われてしまうという逆転現象も一部で起きており、例えばダンディ坂野は本来自分が元祖の『ゲッツ』について「パクリじゃない、リスペクトしてるんだ」とコメントしている[90]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1998 CLE 3 8 8 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .125 .125 .125 .250
1999 48 102 97 11 29 6 1 3 46 18 1 1 1 0 3 0 1 26 1 .299 .327 .474 .801
2000 41 117 112 13 32 5 1 5 54 12 1 0 0 0 5 0 0 17 3 .286 .316 .482 .798
PIT 43 123 115 13 24 6 1 4 44 18 1 0 1 0 7 2 0 32 6 .209 .254 .383 .637
'00計 84 240 227 26 56 11 2 9 98 30 2 0 1 0 12 2 0 49 9 .247 .285 .432 .716
2001 ヤクルト 138 547 510 60 143 23 0 29 253 88 1 2 0 5 27 0 5 132 11 .280 .320 .496 .816
2002 139 569 539 65 159 25 0 24 256 92 0 4 0 4 22 6 4 146 10 .295 .325 .475 .800
2003 140 614 567 105 189 34 3 40 349 124 4 6 0 7 34 6 6 104 14 .333 .373 .616* .988
2004 129 557 525 79 160 30 2 31 287 110 2 0 0 2 23 1 7 118 22 .305 .341 .547 .888
2005 146 629 596 70 168 19 1 32 285 104 5 1 0 3 23 5 7 121 13 .282 .315 .478 .793
2006 146 636 603 79 161 28 2 26 271 112 0 0 0 10 19 1 4 104 28 .267 .289 .449 .739
2007 144 628 594 80 204 41 3 29 338 122 0 0 0 5 23 3 6 106 14 .343 .371 .569 .940
2008 巨人 144 600 548 84 175 28 0 45 338 125 1 0 0 3 39 9 10 90 20 .319 .373 .617 .990
2009 144 608 577 66 186 35 0 31 314 103 4 3 0 6 21 4 4 88 12 .322 .347 .544 .891
2010 144 606 566 93 172 28 0 49 347 129 1 2 0 7 21 1 12 98 14 .304 .338 .613 .951
2011 137 515 477 39 133 12 1 23 216 73 2 1 0 5 30 1 3 72 9 .279 .322 .453 .775
2012 DeNA 137 504 476 40 143 25 0 19 225 76 0 0 0 3 18 1 7 60 18 .300 .333 .473 .806
2013 56 139 130 6 24 0 0 2 30 14 0 0 0 1 8 0 0 20 7 .185 .230 .231 .461
MLB:3年 135 350 332 38 86 17 3 12 145 48 3 1 2 0 15 2 1 78 10 .259 .293 .437 .730
NPB:13年 1744 7152 6708 866 2017 328 12 380 3509 1272 20 19 0 61 308 38 75 1259 192 .301 .336 .523 .859
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2003年は規定打席到達者の中でリーグ1位。同年は、ロベルト・ペタジーニが規定打席に20打席不足していたが、20打席分を凡打と仮定しても、長打率.644でラミレスを上回る。そのため、公認野球規則10.22(a)(当時は10.23(a))より、ペタジーニがリーグの最高長打率打者となる。

年度別守備成績[編集]


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2001 137 176 9 6 0 .969
2002 139 227 9 4 0 .983
2003 140 220 10 6 2 .975
2004 129 175 8 4 1 .979
2005 146 218 6 3 1 .987
2006 134 205 8 5 0 .977
2007 132 184 4 2 0 .989
2008 134 171 2 4 0 .977
2009 133 147 2 6 0 .961
2010 132 150 5 4 0 .975
2011 120 119 3 3 0 .976
2012 118 126 1 3 0 .977
2013 22 29 2 2 1 .939
通算 1616 2147 69 52 5 .977

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

NPB節目の記録
  • 100本塁打:2004年6月5日、対読売ジャイアンツ10回戦(明治神宮野球場)、9回裏に岡島秀樹から左中間へ2ラン ※史上234人目
  • 150本塁打:2005年8月19日、対阪神タイガース15回戦(明治神宮野球場)、1回裏に下柳剛から左越2ラン ※史上137人目
  • 1000本安打:2007年4月21日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)、3回裏に吉見一起から左前安打 ※史上244人目
  • 200本塁打:2007年8月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、4回表に金刃憲人から中越ソロ ※史上89人目
  • 1000試合出場:2008年4月18日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5番・左翼手で先発出場 ※史上425人目
  • 250本塁打:2008年9月17日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から右越ソロ ※史上53人目
  • 1500本安打:2009年8月26日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤドーム)、5回表に川井雄太から中前安打 ※史上104人目
  • 1000三振:2009年9月20日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、2回表に由規から ※史上47人目
  • NPB/MLB通算300本塁打:2010年4月1日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、2回表にスティーブン・ランドルフから左越満塁本塁打
  • 1000打点:2010年4月10日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、8回裏に鈴木義広から左越満塁本塁打 ※史上37人目
  • 300本塁打:2010年5月15日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に成瀬善久から左越ソロ ※史上36人目
  • 3000塁打:2010年9月19日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、4回表に福原忍から中前安打 ※史上70人目
  • NPB/MLB通算350本塁打:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にディオーニ・ソリアーノから左越3ラン
  • 1500試合出場:2011年8月14日、対広島東洋カープ15回戦(東京ドーム)、4番・左翼手で先発出場 ※史上170人目
  • 350本塁打:2011年8月24日、対阪神タイガース17回戦(東京ドーム)、4回裏に能見篤史から中越ソロ ※史上26人目
  • NPB/MLB通算2000本安打:2012年7月5日、対読売ジャイアンツ8回戦(横浜スタジアム)、5回裏にディッキー・ゴンザレスから右中間二塁打
  • 2000本安打:2013年4月6日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、6回表に石川雅規から左越ソロ ※史上42人目(外国人選手では初)
  • 3500塁打:2013年5月17日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回表に鶴岡一成の代打として出場、武田久から右前安打 ※史上27人目

独立リーグでの成績[編集]











































O
P
S
2014 群馬 45 190 33 58 13 1 7 38 23 8 0 0 4 0 0 6 .305 .327 .605 .932
通算:1年 45 190 33 58 13 1 7 38 23 8 0 0 4 0 0 6 .305 .327 .605 .932

年度別監督成績[編集]

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
2016年 DeNA 3位 143 69 71 3 .493 19.5 140 .249 3.76 42歳
通算:1年 143 69 71 3 .493 Aクラス1回
ポストシーズン
年度 チーム 大会名 対戦相手 勝敗
2016年 DeNA セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ

第1ステージ
読売ジャイアンツ(セントラル・リーグ2位) 2勝1敗=第2ステージ進出
セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ
第2ステージ
広島東洋カープ(セントラル・リーグ1位) 1勝4敗=敗退
(※1)
※ 勝敗の太字は勝利したシリーズ

背番号[編集]

  • 61 (1998年 - 2000年)
  • 3 (2001年 - 2007年、2012年 - 2014年)
  • 5 (2008年 - 2011年)
  • 80 (2016年 -)

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ この年、ラミレスが放った204安打は当時のセ・リーグ最多記録で、両リーグ最多記録はイチローの210安打(1994年)だった。2010年にマット・マートン阪神タイガース)が214安打を放ち、セ・リーグ記録とシーズン記録の両方を更新した。
  2. ^ 日米通算では23であり、この場合は中村紀洋の22が最少となる。
  3. ^ 日本の野球における投手の引退試合は、「打者1人限定」あるいは「1イニング限定」としての登板が多い。そのため、引退試合にて先発として長いイニングを投げたことは異例であるといえる。
  4. ^ この采配について、ラミレスは、「もちろん勝ちゲームをしたかったけど、三浦投手に勝ちをつけたい。5割を目指す。この線引きが難しかった。代えるなら、マウンド上で代えたいと思っていた。ファンから声援をもらってマウンドから降りてもらおうと。代打を送りたくもなかった。今日は多くのファンが三浦さんを見に来ていたので見せたかった」と述べている。なお、この采配については、「粋な采配」と評価されて、実際、球場全体が盛大で温かい拍手に包まれて、三浦は引退登板を終えることとなった。
  5. ^ 今永は、6月18日(東北楽天戦)の登板後、休養の意味合いも込めて、およそ1か月間の登録抹消の措置が取られたが、復帰3試合目の登板となった8月7日(中日戦)以後、登板した7試合連続で「6イニング以上・自責3以内」の「クオリティスタート」をマークした。
  6. ^ 2003年と2004年に巨人でプレーしたロベルト・ペタジーニもその一人である。
  7. ^ この場合における「リスペクト」とは、「相手をリスペクトする」「チームメイトをリスペクトする」「試合をリスペクトする」の3つの意味が込められているとのこと。

出典[編集]

  1. ^ ラミちゃん引退…NPB復帰かなわず 夢は監督で「日本一」スポニチ2014年10月6日、2014年10月6日観覧
  2. ^ ラミ流』141頁
  3. ^ ラミ流』159頁では「16歳」とされている。ただし同ページには「1年後の1993年にルーキーリーグでデビュー」との記述もあるため、本記事ではそちらを基準とした。
  4. ^ ラミ流』146 - 159頁
  5. ^ ラミ流』84頁
  6. ^ Replacement Players in the Major Leagues by Baseball Almanac
  7. ^ ラミ流』162 - 163頁
  8. ^ ラミ流』12頁
  9. ^ ラミ流』18 - 19頁
  10. ^ ラミ流』56頁
  11. ^ ラミ流』53頁
  12. ^ ラミ流』60 - 63頁
  13. ^ 反撃弾!トドメ2点打!オガラミ砲で引導渡した-スポーツニッポン
  14. ^ ラミレス、連続試合出場止まる-時事通信、2011年7月16日配信、同日閲覧
  15. ^ ラミ 知らずに歴代外国人「No.1」の1793安打-スポニチアネックス、2011年8月6日配信、同日閲覧
  16. ^ 考え方食い違った ラミレス チームにとって絶対的な存在ではなくなった Sponichi Annex
  17. ^ アレックス・ラミレス選手 入団発表”. 横浜DeNAベイスターズ (2011年12月8日). 2011年12月9日閲覧。
  18. ^ うれしい!ラミ、史上初3球団で月間MVP受賞”. スポーツニッポン (2012年8月8日). 2012年8月8日閲覧。
  19. ^ “DeNA・ラミレス「本塁打が出るとは」”. サンケイスポーツ. (2013年4月6日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130406/den13040618020003-n1.html 
  20. ^ DeNA、ラミレスに戦力外通告 打撃不振で出場機会減 共同通信2013年9月27日
  21. ^ 2014年度選手契約について 横浜DeNAベイスターズ公式サイト・ニュース
  22. ^ 月刊スマートハウス 2015年5月号 p.23
  23. ^ a b “ラミレス 月給40万円でBC群馬入団で会見「今の状況ではベストの選択」”. スポニチ. (2014年2月14日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/02/14/kiji/K20140214007587810.html 
  24. ^ “アレックス・ラミレス選手入団のお知らせ”. 群馬ダイヤモンドペガサス公式サイト. (2014年2月13日). http://d-pegasus.com/news/857.html 
  25. ^ 前DeNAラミレスがBC群馬入りデイリースポーツ(2014年2月13日)
  26. ^ ““群馬のラミちゃん”年俸500万円「お金では買えない」/BCリーグ”. サンケイスポーツ. (2014年2月15日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20140215/ama14021505040002-n2.html 
  27. ^ “【西武】ラミレス獲得調査へ「5番・DH」託せる”. スポーツ報知. (2014年4月7日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20140215/ama14021505040002-n2.html 
  28. ^ “ラミレス NPB復帰は絶望的”. THE PAGE. (2014年4月26日). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140426-00000002-wordleafs-base 
  29. ^ “アレックス・ラミレス選手、緊急帰国のお知らせ”. 群馬ダイヤモンドペガサス公式サイト. (2014年6月23日). http://d-pegasus.com/news/911.html 
  30. ^ “BCリーグ-試合日程・結果 7月11日(金) 福井 - 群馬 18:30”. BCリーグ公式サイト試合結果. (2014年7月11日). http://www.bc-l.jp/game2014/0711fukui.php 
  31. ^ “雨時々晴れ、そして雨”. 群馬ダイヤモンドペガサス 球団ブログ. (2014年7月13日). http://baseball.gunmablog.net/e337728.html 
  32. ^ “アレックス・ラミレス選手、緊急帰国のお知らせ”. 群馬ダイヤモンドペガサス公式サイト. (2014年9月4日). http://d-pegasus.com/news/949.html 
  33. ^ “元DeNAのラミレスが現役引退「大きな声援ありがとうございました」”. THE PAGE. (2014年10月14日). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141014-00000074-dal-base 
  34. ^ ラミレス氏、BCリーグ群馬のシニアディレクター就任
  35. ^ 59人が参加/合同トライアウト詳細日刊スポーツ、2014年11月9日
  36. ^ 戦力外伊藤が群馬へ ラミレスからラブコール日刊スポーツ 2014年12月22日
  37. ^ 【EVENT REPORT】6月22日 オリックスへチャベス選手移籍・ラミレスSD「巡回アドバイザー」就任の会見 - 群馬ダイヤモンドペガサス・2015年6月23日
  38. ^ ラミレス氏、オリックス巡回アドバイザー就任 - 日刊スポーツ、2015年6月22日
  39. ^ オリックス・ラミレス巡回アドバイザーが退団 - 日刊スポーツ、2015年10月5日
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  82. ^ ラミちゃん引退…NPB復帰かなわず 夢は監督で「日本一」 - 2014年10月6日
  83. ^ ラミちゃん監督「大勢いると話せないこともある」 自室大解放 - 2015年11月8日
  84. ^ 2009年度 ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」受賞者
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]