池山隆寛

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池山 隆寛
T ikeyama20180302.jpg
さいたま市営浦和球場にて(2018年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 (1965-12-17) 1965年12月17日(52歳)
身長
体重
183 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手三塁手
プロ入り 1983年 ドラフト2位
初出場 1984年8月9日
最終出場 2002年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手内野手、右投右打)、コーチ野球解説者

フルスイングを信条としており、「ブンブン丸」の愛称で親しまれる。現役時代は、1988年から5年連続で30本塁打を達成するなど、ヤクルトスワローズ一筋で19年間にわたり活躍したフランチャイズ・プレイヤーであった[1][2]

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

兵庫県尼崎市出身。市立尼崎高校では三塁手、三番打者として1983年第65回全国選手権に出場。2回戦(初戦)では、延長10回の熱戦で加茂川重治投手のいた茨城東高に勝って3回戦に進むが、エース山田武史を擁する久留米商に9回逆転サヨナラ負けを喫する[3]1983年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから2位指名を受けて入団。

現役時代[編集]

背番号36。入団2年目より代打、守備固めで一軍で出場、関根潤三が監督に就任した1987年より、水谷新太郎から遊撃手のポジションを奪いレギュラーに定着する。当初は八番打者であったが、持ち前の長打力で1988年から5年連続で30本塁打を記録した。1990年には打率.303・31本塁打・97打点という記録を残し、遊撃手としては史上初の「3割30本」を達成した[注 1]。同年8月23日の中日戦ではサイクル安打も達成した。1992年からは背番号を1に変更した。

長くチームの中心打者を務めつつ、遊撃手というポジションを任されてきたが、1996年からはアキレス腱痛に悩まされ始め、宮本慎也の台頭もあって1997年から三塁手へ転向する(しかし、翌年の1998年に宮本が脱税事件の関係で開幕から出場できなかった事もあり開幕から暫くは遊撃手で出場をした)。2000年からは岩村明憲へ三塁のポジションを譲り、代打を務めることが多くなった。2001年には背番号1が岩村に渡り、自身は前年に入団時の36に戻した。翌2002年に現役を引退。

引退試合[編集]

2002年10月17日、明治神宮球場での広島東洋カープ戦で引退試合が行われた[2]。45000人の満員の大観衆で埋まり、「3番・遊撃手」で先発出場(途中からは一塁に回った)。打撃では5打数1安打で、8回には現役最後の安打となる左中間二塁打を放ち、守備でも4回に遊撃、延長10回には一塁でもファインプレーを披露した[2]

試合は1-1の同点で迎えた10回表に広島が1点を勝ち越したが、その裏ヤクルトは「池山にもう一度打順を回そう」と、飯田哲也セーフティバントを試み一塁へヘッドスライディング、続く稲葉篤紀が犠打で繋いで、2死二塁の局面、つまり本塁打が出れば逆転サヨナラとなる場面で池山に打順が回った。ファンが代名詞のフルスイングを求めて「池山コール」を送る中で、池山は長谷川昌幸が投じた球速150km超の直球に1球目、2球目と続けて空振り。3球目、152kmの直球に対して、代名詞のフルスイングで空振り三振に終わり、1-2で試合は終了した。三振をするときの池山は、「右膝が曲がらない」状態であったといい、試合終了後はまともに歩ける状態ではなく、足を引きずりながらマウンドに歩み寄って長谷川らと握手を交わした[2]

試合後には引退セレモニーが行われ、引退挨拶で「今日まで19年、多くの応援を頂いた。こんなに幸せな男はいません。これから第二の人生の打席に入りますが、必ず皆様の前に戻ってきます」とメッセージを送り、最後に自身が好きな言葉である「夢ありがとう」を叫んだ。なお夫人は、引退の意向を告げられた際に「死ぬ思いで頑張ってきたのを見てきましたから」と振り返っている[2]

引退後[編集]

2003年から2005年までは、フジテレビ(2004年まで)・ニッポン放送の野球解説者およびサンケイスポーツの野球評論家を務めた。

2006年からはヤクルト時代の恩師である野村克也監督の下で東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチを務め、2009年に退任するまでに首位打者2人(2008年のリック・ショート、2009年の鉄平)、本塁打王1人(2007年の山崎武司)を輩出した。山崎は「池山さんならヤクルト時代から野村克也監督のID野球が染みついているからバッティング、データ面でも参考になりました」[4]と著書に記している。

2011年には古巣であるヤクルトへ復帰、翌2012年までは二軍打撃コーチ、2013年は一軍打撃コーチを務めた。2014年には再び二軍打撃コーチを務め、2015年には二軍野手総合コーチを務めた。同年10月にヤクルト退団を発表した直後に、7年ぶりに楽天へ復帰することが決まり、同年11月の秋季キャンプから楽天の一軍打撃コーチを務めている。2017年は一軍チーフコーチ、2018年からは二軍監督。同年10月5日に来季の契約をしないことを通知された[5]。また、2012年12月1日から2015年3月31日までの委嘱期間で駿河台大学の客員教授を務め、当初の任期を延長する形で2015年4月1日から再び駿河台大学の客員教授を務めている。

選手としての特徴・人物[編集]

先述のように、フルスイングを信条としており、強打の遊撃手として、長年にわたり活躍した。安打に比しての本塁打の比率が高く、1988年から5年連続で30本塁打を達成しており、通算のIsoPは0.211になる[1]

1987年のキャンプで、関根潤三監督から直々にバッティング指導を受ける。監督の前で連日1時間半ひたすら素振りを続けた。ときたま監督がいなくなるのだが、いつ戻ってくるか分からないので池山は必死でバットを振り続けた。実は関根監督はコーヒーを飲みに行っていたのだが、池山のニックネームとなる「ブンブン丸」は、監督のコーヒータイムにより生まれた。

広沢克己とは公私共に親しく、「イケトラコンビ」と呼ばれて親しまれた。引退試合で広沢も駆け付けたが、その際広沢は「グラウンドでの思い出より個人的なものの方が多いよ」と振り返っている[2]。なお池山は2002年のシーズン前に「ファンが望む池山隆寛じゃなくなったらやめるよ」と述べていたが、膝の痛みが限界に達したことなどで、このシーズンを以て現役引退を決心することになった[2]

巨人の斎藤雅樹が苦手で、全盛期は手も足も出なかった。1990年に1本ホームランを打ったが、次は1998年まで打てなかった。

1990年に就任した野村克也監督からフルスイングを避けるように言われ葛藤したが、この年は唯一の打率3割を記録した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1984 ヤクルト 10 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1985 65 94 85 5 12 3 0 0 15 1 1 2 1 0 8 4 0 29 6 .141 .215 .176 .392
1986 65 162 147 17 36 10 1 6 66 15 2 1 4 2 8 1 1 47 0 .245 .285 .449 .734
1987 127 453 400 42 100 25 1 13 166 46 3 1 11 2 37 13 3 112 8 .250 .317 .415 .732
1988 130 554 504 72 128 21 2 31 246 81 12 8 8 4 31 0 7 120 8 .254 .304 .488 .792
1989 130 540 484 80 128 13 2 34 247 74 6 3 6 2 47 2 1 141 7 .264 .330 .510 .840
1990 130 556 502 83 152 25 4 31 278 97 11 3 2 2 48 1 2 100 14 .303 .365 .554 .918
1991 132 557 498 74 134 28 1 32 260 80 13 5 1 4 48 1 6 124 12 .269 .338 .522 .860
1992 127 536 477 74 133 29 2 30 256 79 13 5 1 4 52 3 2 148 9 .279 .350 .537 .886
1993 108 451 390 63 100 15 1 24 189 71 10 5 3 4 51 1 3 95 9 .256 .344 .485 .828
1994 99 402 362 46 94 16 0 19 167 55 8 2 0 4 35 0 1 83 9 .260 .332 .461 .793
1995 130 521 456 64 120 24 2 19 205 70 8 5 0 3 56 2 6 105 14 .263 .349 .450 .799
1996 53 205 183 20 49 11 0 7 81 29 3 2 0 1 21 0 0 40 8 .268 .341 .443 .784
1997 124 505 439 65 121 26 3 18 207 79 11 1 2 9 49 7 6 76 21 .276 .350 .472 .821
1998 118 455 400 63 110 20 0 18 184 59 3 5 2 1 48 1 4 79 9 .275 .358 .460 .818
1999 60 225 204 22 45 4 0 8 73 23 1 1 4 3 14 0 0 47 7 .221 .267 .358 .625
2000 67 175 157 21 36 3 0 9 66 21 3 0 2 0 16 1 0 43 1 .229 .301 .420 .721
2001 65 85 73 7 14 4 0 4 30 12 0 0 0 3 7 1 2 30 1 .192 .271 .411 .682
2002 44 48 43 1 9 1 0 1 13 6 0 0 0 0 4 0 1 19 0 .209 .292 .302 .594
通算:19年 1784 6531 5811 819 1521 278 19 304 2749 898 108 49 47 48 580 38 45 1440 143 .262 .331 .473 .805
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:1990年7月21日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤ球場)、7回表に鹿島忠から2ラン ※史上163人目
  • 150本塁打:1992年4月29日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、6回表に猪俣隆からソロ ※史上94人目
  • 1000試合出場:1993年9月12日、対広島東洋カープ21回戦(広島市民球場)、6番・遊撃手として先発出場 ※史上341人目
  • 200本塁打:1993年10月3日、対横浜ベイスターズ24回戦(横浜スタジアム)、5回表に森山良二から2ラン ※史上65人目
  • 1000本安打:1994年8月11日、対中日ドラゴンズ20回戦(ナゴヤ球場)、7回表に野中徹博から ※史上179人目
  • 1000三振:1994年9月24日、対阪神タイガース26回戦(阪神甲子園球場)、2回表に郭李建夫から ※史上20人目
  • 250本塁打:1997年5月5日、対中日ドラゴンズ6回戦(明治神宮野球場)、6回裏に山本昌から3ラン ※史上37人目
  • 1500試合出場:1998年7月27日、対広島東洋カープ19回戦(明治神宮野球場)、5番・三塁手として先発出場 ※史上124人目
  • 1500本安打:2001年4月4日、対読売ジャイアンツ2回戦(明治神宮野球場)、8回裏に石井弘寿の代打として出場、南真一郎から左中間へ適時二塁打 ※史上81人目
  • 300本塁打:2001年5月6日、対広島東洋カープ7回戦(広島市民球場)、7回表に副島孔太の代打として出場、山崎健から右中間へ3ラン ※史上24人目
その他の記録
  • サイクルヒット:1990年8月23日、対中日ドラゴンズ22回戦(明治神宮野球場) ※本塁打・単打・二塁打・三塁打の順
  • 1イニング2本塁打 (1993年5月19日)
  • 1イニング7打点 (1993年5月19日)
  • 405守備機会連続無失策 (1991年6月1日 - 同年9月28日) ※当時のセ・リーグ遊撃手の最高記録
  • オールスターゲーム出場:7回 (1988年 - 1992年、1994年、1998年) ※1993年は出場辞退[7]

背番号[編集]

  • 36 (1984年 - 1991年、2000年 - 2002年)
  • 1 (1992年 - 1999年)
  • 77 (2006年 - 2009年)
  • 96 (2011年 - 2015年)
  • 88 (2016年 - 2018年)

関連情報[編集]

著書[編集]

  • ブンブン丸のいけいけプロ野球 現役プレイヤーが明かす球界おもしろエピソード(日本文芸社) 1990年2月 ISBN 4-537-01273-X
  • 池山隆寛の超おもしろプロ野球 球界スター選手たちのきわめつけ面白ばなしがいっぱい(日本文芸社) 1994年4月 ISBN 4-537-02407-0
  • 池山隆寛のブンブンブン! 夢、ありがとう プロ野球栄光と挫折の19年(小学館) 2003年3月 ISBN 4-09-387423-9
  • ブンブン丸の「野村野球」伝道 わが球歴40年史(小学館文庫) 2006年4月 ISBN 4-09-408076-7

音楽作品[編集]

  • 東京恋物語(服部浩子とのデュエット)/君に贈る歌(東芝EMI) 1993年11月24日 TODT-3129

出演[編集]

過去の出演番組
CM

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この記録は、他には野村謙二郎松井稼頭央の2人しか達成していない[要出典]
  2. ^ セ・リーグのオープン戦MVP。[6]

出典[編集]

  1. ^ a b 球団アーカイブ 20本塁打達成打者”. 東京ヤクルトスワローズ. 2018年3月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g ブンッブンッ丸、池山最後までフルスイング/復刻”. 日刊スポーツ. 2018年3月12日閲覧。
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  4. ^ 山崎武司著『さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年』2014年、宝島社、p199
  5. ^ 来季のコーチ契約に関して 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2018年10月5日配信)2018年10月5日閲覧。
  6. ^ ベースボール・レコード・ブック1998』1997年12月、ベースボールマガジン社、p41
  7. ^ 『ベースボール・レコード・ブック1994』1993年12月、ベースボールマガジン社、p820

関連項目[編集]

外部リンク[編集]