福川将和

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福川 将和
東京ヤクルトスワローズ コーチ #87
YS-Masakazu-Fukukawa.jpg
現役時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市生野区
生年月日 (1976-12-29) 1976年12月29日(42歳)
身長
体重
177 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2001年 ドラフト5位
初出場 2003年4月5日
最終出場 2012年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2019 - )

福川 将和(ふくかわ まさかず、1976年12月29日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手捕手)。2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍バッテリーコーチを務める。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

東京農業大学生物産業学部4年生で捕手に転向するまでは長く一塁手を務め、大学野球の二軍では三塁手で出場したこともある。高校時代は通算25本塁打を放っている。

2001年プロ野球ドラフト会議において、ヤクルトスワローズから5巡目で指名を受け入団。

プロ入り後[編集]

2003年4月5日の対阪神タイガース戦(大阪ドーム)で一軍初出場を果たし、同年4月11日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)でプロ初安打を放つ。2006年は一軍に昇格すると、同時に昇格した丸山貴史とバッテリーを組み、自身も同年6月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(明治神宮野球場)でMICHEALから本塁打を放つなど活躍した。正捕手である古田の他に米野智人もいる中、打撃面でアピールし続けて一度はレギュラーを掴んだかに見えたが、当たれば長打となるが確実性に乏しい上、バッテリーを組んだ投手の得意球ばかりを要求する弱気なリード、さらにワンバウンドした球を捕球する守備面の粗さから、レギュラー定着には至らなかった。

2007年は新加入したセス・グライシンガーとのバッテリーで首脳陣の信頼を得るが、交流戦終了後は自身の故障や打撃・守備の確実性が一向に改善される様子がなかったことから、新人の川本良平との併用となった。

2008年は盗塁阻止率.400でセントラル・リーグ1位に輝いたものの、守備率.989と捕逸7個はリーグワーストを記録するなど、守備面で大きな課題を残した。打撃面も好調時は打ち続けるものの、不振に陥ると大半が無安打となり、挙げ句の果てには試合中に「働け、福川」と野次を浴びる一面も見られた(この試合では本塁打を放った)。

2009年相川亮二が加入したことで捕手争いが激化し、前年に比べて出場機会数が減った。同年7月28日には持病である左手首が悪化したことで登録を抹消され、手術を受けて残り試合を棒に振った。

2010年以降は出場試合数が大幅に減り、同年は15試合で打率.231・2打点、2011年は10試合で打率.182・1打点に終わった。

現役最終年となる2012年8月19日の対読売ジャイアンツ戦(イースタン・リーグ)においては、試合中の塁上プレーに腹を立てて中井大介を蹴り上げ、イースタンリーグでは珍しい暴力行為で即刻退場処分となるなど、フェアプレー精神に欠ける一面も垣間見せた[1]。同年10月2日に戦力外通告を受け[2]、現役を引退した[2]

引退後[編集]

引退後は、ヤクルトのブルペン捕手[3]を務めていたが、2015年の秋季キャンプ終了後から、打撃投手へ転向している[4]

2019年度シーズンより同球団の二軍バッテリーコーチに就任することが発表された。[5]

人物[編集]

  • 捕手を始めるきっかけは、大学4年の春季キャンプ中に一塁手として投手へ指示を出していたところ、監督から「捕手をやれ」と言われたことである。最も福川は、一塁手でありながら投手に多くの指示を出していた。
  • 2006年9月7日の中日戦(ナゴヤドーム)で川上憲伸から満塁本塁打を放った際、「あの川上さんから打った!!もしかして俺って凄い!?」とコメントしている。
  • 2006年開幕直前から、マメルリハというインコ「ピヨちゃん」を飼っており、飼い始めてから2008年に故障するまで、二軍に降格していない。
  • シーズンオフは、毎年母校である高校のグラウンドで練習を行なっている。
  • 東京農業大学生産学部出身のため、大根踊りの踊り方を知っているが、実際に祭りなどで踊ったことは無いという。
  • 笑顔の絶えない好人物で、チーム内のムードメーカーとなっている[要出典]
  • 捕手出身でありながら打撃投手に転向した経緯としては、選手らとの自主トレで打撃投手をやっていたこともあり、球団から2015年オフに転向を命じられている[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 ヤクルト 22 22 21 1 5 1 0 0 6 4 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .238 .273 .286 .558
2005 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2006 47 123 109 10 23 4 0 4 39 13 0 0 5 0 8 0 1 32 4 .211 .271 .358 .629
2007 86 281 228 28 51 12 0 7 84 29 1 2 8 0 41 7 4 63 5 .224 .352 .368 .720
2008 105 287 241 22 50 7 1 7 80 35 1 2 9 2 34 5 1 59 8 .207 .306 .332 .638
2009 11 12 10 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 2 1 0 5 0 .100 .250 .100 .350
2010 15 17 13 1 3 0 0 0 3 2 0 0 0 0 2 0 2 6 0 .231 .412 .231 .643
2011 10 13 11 1 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 2 0 0 2 0 .182 .308 .273 .580
2012 7 7 7 1 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .143 .143 .571 .714
通算:9年 305 764 642 65 136 25 1 19 220 86 2 4 22 2 90 13 8 179 17 .212 .315 .343 .658

年度別守備成績[編集]


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2003 2 0 0 0 -
2006 34 185 9 1 0 1 .995 18 13 5 .278
2007 85 506 30 3 4 3 .994 33 23 10 .303
2008 105 489 49 6 3 7 .989 45 27 18 .400
2009 11 23 7 0 1 0 1.000 5 2 3 .600
2010 13 27 1 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2011 4 15 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2012 3 8 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
通算 259 103 67 36 .350

記録[編集]

背番号[編集]

  • 37 (2002年 - 2012年)
  • 113 (2013年 - 2018年)
  • 87 (2019年 - )

脚注[編集]

  1. ^ ヤクルトの福川に制裁金8万円 中井への暴行で退場処分”. スポーツニッポン (2012年8月20日). 2012年10月9日閲覧。
  2. ^ a b 来季の契約について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2012年10月2日). 2012年10月2日閲覧。
  3. ^ 惜別球人 【ヤクルト】福川将和 捕手”. スポニチ Sponichi Annex (2012年12月28日). 2013年1月24日閲覧。
  4. ^ a b 【プロ野球通信】打線を支える裏方・打撃投手の「打たせる技術」とは何か?”. 産経ニュース (2016年2月13日). 2016年2月14日閲覧。
  5. ^ コーチ契約について” (日本語). 東京ヤクルトスワローズ. 2019年3月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]