森岡良介

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森岡 良介
東京ヤクルトスワローズ コーチ #75
20111015 Ryousuke Morioka, infielder of the Tokyo Yakult Swallows, at Yokohama Stadium.jpg
横浜スタジアムにて(2011年10月15日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市城東区
生年月日 (1984-07-15) 1984年7月15日(32歳)
身長
体重
174 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手[1]
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目
初出場 2003年8月6日
最終出場 2016年9月28日
年俸 3,200万円(2016年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2017 - )

森岡 良介(もりおか りょうすけ、1984年昭和59年)7月15日 - )は、大阪府大阪市城東区出身(長崎県佐世保市生まれ)の元プロ野球選手内野手)。現役時代は中日ドラゴンズ東京ヤクルトスワローズに所属した。2017年からヤクルトの一軍野手コーチ補佐を務める。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

大阪府出身[3]1998年平成10年)、中学2年の夏に甲子園球場明徳義塾vs横浜をスタンド観戦。高知の強豪・明徳義塾の戦いぶりに感銘をうけ「このチームで甲子園に行きたい」と決意し、入学。入学後は1年生よりレギュラーで甲子園に4度出場、出場した全13試合で安打を記録した。

主将として3番・遊撃で出場した第84回全国高等学校野球選手権大会で、明徳義塾の初優勝に貢献。決勝戦ではリードしたまま最終回を迎え、2死になった所で感極まって試合中にも関わらず号泣したが、この光景が映像として残存しており、この年の熱闘甲子園のラストに使用された。春の甲子園では、2005年大学・社会人ドラフト中日ドラゴンズ希望入団枠で入団した吉見一起と初戦で対戦した。

2002年のドラフト中日ドラゴンズから1巡目指名されて入団。立浪和義の後継者として期待されての入団だった。

中日時代[編集]

2003年8月6日の対広島戦で代打出場し、プロ初打席に左越えの二塁打を放つ。8月7日には8番遊撃で初スタメンも経験。2004年フレッシュオールスターゲーム出場、ファーム日本選手権制覇に貢献。

2006年5月から6月に、正二塁手だった荒木雅博の故障中にスタメンで出場し、無失策だった。

2007年4月22日、後に所属する東京ヤクルトスワローズとの試合で代打出場し、館山昌平からプロ初本塁打を放つ。4月24日の対広島戦に代走として出場した際、エンドランを阻止されタイミングは完全にアウトだったにも関わらず、スライディングにブレーキをかけて松本高明の足狙いのタッチを避け、松本がもたつく間に松本のグラブをまたいでベースを踏みセーフになるという前代未聞のプレーになった。本人は「タイミングを見計らって、意図して急ブレーキをかけた」と語っている。ウエスタンリーグでは打率.316・6本塁打・42打点で、三部門でチームトップの成績を残し、最高出塁率のタイトルも獲得したが、岩崎達郎らの台頭もあって徐々に出場機会が減少した。

2008年4月23日の対福岡ソフトバンクホークス二軍戦で、4回裏無死満塁のチャンスで三振に倒れて、ベンチに戻ってきた堂上剛裕高柳秀樹二軍打撃コーチが激しく叱責。ベンチにいた森岡は高柳コーチに抗議し、一触即発の状態となった。翌日の24日の練習前のミーティングで、辻発彦二軍監督は高柳コーチの発言を擁護し、逆に森岡に非難する発言をし、森岡に1週間の謹慎処分が課された。その後、二軍で主軸を張り、一軍では5試合に出場したものの、首脳陣との確執は最後まで続き、この事件が要因となり、オフに戦力外通告を受ける。

中日時代
2008年平成20年)6月26日、阪神鳴尾浜球場)

ヤクルト時代[編集]

1回目の12球団合同トライアウトを受験し、ヤクルトが獲得を発表(同年トライアウト合格者第1号)。12月2日に自由契約公示。12月4日に福岡ソフトバンクホークスから移籍した吉本亮オリックス・バファローズから育成選手で契約した田中祐貴とともに入団発表を行い、背番号は68に決まった。

2009年、内野のポジションを守れる器用さが認められ、7年目にして初の開幕一軍入りを果たした。9月8日には第1打席で移籍後初本塁打を放った。10月9日の対阪神戦で中盤から二塁手として出場すると、鳥谷敬の痛烈な安打を全身で止めて内野安打に抑え、2塁走者の生還を防ぎ、その後の得点を防いだ。このプレーについて後日、宮本慎也は「あの守備が非常に大きかった。あそこが抜けていたら(あの試合は)負けていたかもしれない(2009年ファン感謝デーより)」と言っており、チームの3位争いにとって非常に大きな好守備となった。

2010年は、なかなか一軍での出場機会はなかったが、イースタンリーグでは首位打者を獲得。守備率もトップであった。シーズン終盤、二軍での成績が認められ一軍に昇格。打率3割ちょうどの田中浩康に代わり先発出場した。

2011年には、5月26日のオリックス・バファローズ戦で初のヒーローインタビューも経験した。川端慎吾川島慶三荒木貴裕と遊撃手のレギュラー・控えが次々と離脱したため、10月29日からの読売ジャイアンツとのクライマックスシリーズ・ファーストステージでは全3戦に先発出場。3戦全てで安打を打ち、特に第3戦では7回裏に貴重な追加点となる適時打を放つなど、見事に穴を埋めて見せた。試合後にはお立ち台に上がったが、「9年目の森岡ですけど、お立ち台、2回目で~す!」「(タイムリーを打った瞬間は)おしっこ漏れそうでした~!」と絶叫、満員の神宮球場のファンを沸かせた。 このシーズンは自己最多となる52試合に出場し、安打数も自己最多の22本を記録した。

2012年シーズンはプロ入り後初めて100試合出場。内野の3ポジションを守り、自己最多の61安打を記録した。

2013年シーズンは自己最多の109試合出場、73安打を記録した。

2014年シーズンよりヤクルトの選手会長に就任する[4]。オープン戦では振るわず開幕スタメンは新人の西浦直亨に譲ったものの、シーズンに入ると一転して打撃好調で、4月11日の横浜DeNAベイスターズ戦で右脇腹の肉離れを発症し離脱した[5]時点では打数は少ないながらも5割超の打率を残していた。復帰後も主に対右投手の際にスタメン起用され安打を量産、一時はクリーンナップに座ることもあった。夏場以降は打撃の調子を落としたが、自己最高の打率(.276)を記録した。

2015年大引啓次の加入と自身の打撃不振が重なり、75試合出場、打率.188と大幅に成績を落とした。オフに選手会長のポストを川端慎吾に譲る[6]

2016年は打率.065と大不振で、9月26日に2016年限りでの引退を発表。本拠地最終戦となる9月28日のDeNA戦が森岡の引退試合となり、6回に石川雅規の代打で出場し二塁ゴロが現役最後の打席となった。引退後、一軍野手コーチ補佐への就任が発表された。その後、引退理由としてイップスを発症したことを明かしている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 中日 3 7 7 1 2 1 0 0 3 0 0 1 0 0 0 0 0 4 0 .286 .286 .429 .714
2004 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2005 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2006 17 31 26 5 5 1 0 0 6 1 0 0 3 0 2 1 0 6 0 .192 .250 .231 .481
2007 11 11 9 2 1 0 0 1 4 1 1 0 1 0 1 0 0 3 1 .111 .200 .444 .644
2008 5 5 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .200 .000 .200
2009 ヤクルト 35 47 43 3 9 1 0 1 13 2 0 0 1 0 2 0 1 14 3 .209 .261 .302 .563
2010 21 56 43 6 11 3 0 0 14 5 0 0 8 0 4 0 1 8 0 .256 .333 .326 .659
2011 52 97 86 6 22 2 0 0 24 6 0 0 2 0 8 0 1 20 1 .256 .326 .279 .605
2012 100 282 245 19 61 8 3 1 78 18 1 1 19 2 11 0 5 44 1 .249 .293 .318 .611
2013 109 347 295 28 73 10 1 1 88 21 0 0 11 2 36 1 3 61 5 .247 .333 .298 .632
2014 100 326 301 26 83 16 2 2 109 31 1 0 5 2 15 0 3 39 7 .276 .315 .362 .677
2015 75 125 112 10 21 2 1 1 28 9 1 1 3 1 8 0 1 22 6 .188 .246 .250 .496
2016 26 33 31 1 2 1 0 0 3 3 0 0 0 1 1 0 0 8 2 .065 .091 .097 .188
通算:14年 557 1369 1204 107 290 45 7 7 370 97 4 3 53 8 89 2 15 229 26 .241 .299 .307 .606
  • 2016年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


遊撃 二塁 三塁 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 2 0 2 0 1.000 1 0 2 0 1.000 - -
2006 - 13 31 24 0 7 1.000 - -
2007 - 1 4 2 0 2 1.000 - -
2009 5 8 11 0 3 1.000 13 13 20 2 4 .943 6 0 1 0 0 1.000 -
2010 12 15 20 1 5 .972 3 3 12 0 0 1.000 2 0 3 0 0 1.000 -
2011 20 22 36 0 6 1.000 4 5 11 0 2 1.000 15 4 2 1 0 .857 -
2012 69 91 170 2 36 .992 9 7 18 0 0 1.000 20 7 16 0 1 1.000 -
2013 86 110 196 8 36 .975 12 15 16 1 2 .969 12 3 5 0 0 1.000 -
2014 86 92 192 10 37 .966 - 14 7 10 1 3 .944 -
2015 22 23 37 3 12 .952 - 4 0 1 0 0 1.000 1 1 0 0 0 1.000
2016 - - - 5 25 4 0 2 1.000
通算 302 361 664 24 135 .977 56 78 105 3 17 .984 73 21 38 2 4 .967 6 26 4 0 2 1.000
  • 2016年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 8 (2003年)
  • 45 (2004年 - 2008年)
  • 68 (2009年 - 2013年)
  • 10 (2014年 - 2016年)
  • 75 (2017年 - )

脚注[編集]

  1. ^ Ryosuke Morioka Register Statistics & History Baseball-Reference.com 2015年12月31日閲覧
  2. ^ ヤクルト森岡600万減「修正できずズルズル」 日刊スポーツ(2015年12月9日) 2015年12月31日閲覧
  3. ^ 東京ヤクルトスワローズ 森岡良介プロフィール”. 2013年11月23日閲覧。
  4. ^ ヤクルトの次期選手会長に森岡”. デイリースポーツ. 2013年11月23日閲覧。
  5. ^ ヤクルト・森岡は右脇腹肉離れ、抹消 全治3、4週間スポーツニッポン 2014年4月12日付記事
  6. ^ ヤクルト・川端が大型契約、1億6000万円×4年 - サンケイスポーツ(2015.12.14 15:30)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]