ユウキ (野球)

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ユウキ (田中 祐貴)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊田市
生年月日 (1979-06-12) 1979年6月12日(38歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト5位
初出場 1999年5月4日
最終出場 2010年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ユウキ1979年6月12日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手投手)。本名、田中 祐貴(たなか ゆうき)。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

杜若高等学校時代は甲子園出場はならなかった。1997年のドラフト会議において近鉄バファローズから5位指名を受けて入団し、登録名を「ユウキ」とした。

プロ入り後[編集]

近鉄時代[編集]

1年目の1998年は一軍登板はなかった。

1999年5月4日の西武ライオンズ戦で一軍初登板。5月16日の福岡ダイエーホークス戦でプロ初勝利を挙げ、同年は5勝を記録した。

2000年は先発として期待されるも、期待に応える事ができなかった。

チームがリーグ優勝した2001年もリーグ戦、日本シリーズ共に一軍登板は無く、同年オフにFA移籍した加藤伸一の人的補償としてオリックス・ブルーウェーブへの入団が決まった。この際、プロテクトしなかった近鉄に対し遺恨が残ったようで「ボロボロのギッタンギッタンにして見返してやりますよ」とコメントを残した。

オリックス時代[編集]

2002年8月16日のダイエー戦でシーズン初勝利を挙げると9月21日には古巣近鉄から勝利を挙げ、9月28日千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初完封。続く10月5日のロッテ戦で2試合連続完封勝利を記録する[1]など、土曜日を中心に7連勝を記録して「サタデーユウキ」と呼ばれた。最終的に13試合の登板だったが、7勝1敗、防御率1.93と安定感抜群だった。

2003年は投手陣が崩壊し、チーム防御率5.95の散々たるものだったが、故障により1軍登板はなかった。

2004年も投手陣が崩壊したが、故障によりこの年も1軍登板できなかった。オフには近鉄とオリックスの球団合併に伴う選手分配ドラフトでオリックス・バファローズに所属する事が決まり、近鉄時代のチームメイトの一部と再び同僚となった。

2005年3月30日千葉ロッテマリーンズ戦(大阪ドーム)で3年ぶりの1軍登板を果たした。先発して7回2失点の好投を見せたが打線の援護がなく敗戦投手となった。この投球で復活の兆しが見えたが、その矢先に再び故障し、3連敗のままシーズンを終えた。

2006年は7月13日の福岡ソフトバンクホークス戦で4年ぶりに勝利投手となると5日間で3勝を挙げて8月15日にはプロ初セーブを挙げ、前年好成績を残したリリーフ陣の多くが不振だった事もあり主に中継ぎとして自己最多の34試合に登板した。

2007年先発投手に再転向し、シーズン初先発となる5月20日の西武ライオンズ戦で6回を無安打に抑え、先発ローテーションに入って3連勝した。しかし、8月12日のソフトバンク戦で64日ぶりとなる4勝目を挙げた後は勝利投手になれずシーズンを終えた。

2008年は春季キャンプ中に右肩後方関節唇損傷のため離脱して内視鏡手術を受けた。その後、シーズン中の復帰を目標にリハビリに取り組んだが結局4年ぶりに一軍登板無しに終わった。同年10月28日に球団から戦力外通告を受け自由契約となるが現役続行を希望して11月26日に開催された同年2回目の12球団合同トライアウトに参加し、東京ヤクルトスワローズ育成選手として契約を結び、登録名も本名の「田中 祐貴」にすることが発表された。

ヤクルト時代[編集]

2009年はキャンプから順調で、二軍で安定した投球内容が評価されて5月11日支配下登録選手となった。登録名を「ユウキ」に戻し、背番号は1990年代西村龍次テリー・ブロスといったヤクルトをセリーグチャンピオンに導いた大黒柱が付けた29に変更となった。6月6日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で先発し、移籍後初勝利を挙げた。その後も先発ローテーションの一角として、規定投球回には満たなかったものの、5勝6敗防御率3.40という成績を残した。また超スローボールを新たな武器として披露し、中村剛也小笠原道大といった強打者を手玉に取る場面が見られた。しかし、バッティングは苦手なタイプなようで、2009年は31打席に立ちながら安打は1本もなかった。

2010年も前年同様に先発ローテーションの一角として高田繁前監督や首脳陣からも期待されるが春季キャンプで肩を負傷し離脱、その後手術し2軍戦で投げるも復調の兆しが見えず、9月15日に現役引退を表明。現役最後の登板は、同年10月10日のシーズン最終戦、対広島24回戦(神宮球場)。リリーフで6回表に登板し、先頭打者の石原慶幸から超スローボールも使い3球三振を記録し降板した。

引退後[編集]

引退後は愛知県豊田市内のスポーツ用品店『アサヒスポーツ』に勤務、その後2011年7月に自身が主催の野球塾を豊田市に開校、また同市内の加圧トレーニングジムのスタッフとしても勤務している。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1999 近鉄 16 10 0 0 0 5 3 0 -- .625 311 71.1 69 5 41 0 3 54 2 0 34 31 3.91 1.54
2000 12 5 1 0 0 2 3 0 -- .400 217 44.1 62 9 24 0 0 29 2 1 37 31 6.29 1.94
2002 オリックス 13 11 3 2 0 7 1 0 -- .875 348 84.0 65 3 35 1 4 75 4 0 19 18 1.93 1.19
2005 8 5 0 0 0 0 3 0 0 .000 122 27.1 27 3 15 1 3 20 3 0 19 17 5.60 1.54
2006 34 0 0 0 0 5 2 1 6 .714 233 53.1 47 6 28 4 0 44 0 0 22 22 3.71 1.41
2007 16 13 0 0 0 4 4 0 1 .500 346 80.2 86 8 21 1 1 67 0 1 37 34 3.79 1.33
2009 ヤクルト 19 19 1 0 0 5 6 0 0 .455 435 100.2 104 8 36 2 7 77 3 0 41 38 3.40 1.39
2010 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
通算:8年 119 63 5 2 0 28 22 1 7 .560 2013 462.0 460 42 200 9 18 367 14 2 209 191 3.72 1.43

記録[編集]

  • 初登板:1999年5月4日、対西武ライオンズ4回戦(大阪ドーム)、6回表に3番手で救援登板・完了、4回2失点
  • 初奪三振:同上、6回表に古屋剛から
  • 初先発・初勝利:1999年5月16日、対福岡ダイエーホークス9回戦(福岡ドーム)、6回3失点
  • 初完投勝利:2000年5月24日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(大阪ドーム)、9回3失点
  • 初完封勝利:2002年9月28日、対千葉ロッテマリーンズ25回戦(千葉マリンスタジアム
  • 初ホールド:2006年7月9日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(京セラドーム大阪)、6回表に2番手で救援登板、2回1/3を無失点
  • 初セーブ:2006年8月15日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点

背番号[編集]

  • 64 (1998年 - 2001年)
  • 21 (2002年 - 2004年、2008年)
  • 55 (2005年)
  • 22 (2006年 - 2007年)
  • 121 (2009年 - 2009年5月10日)
  • 29 (2009年5月11日 - 2010年)

登録名[編集]

  • ユウキ(1997年 - 2008年、2009年5月11日 - 2010年)
  • 田中祐貴(2009年 - 同年5月10日)

脚注[編集]

  1. ^ 週刊ベースボール 2002年12/16号 92頁「保存版 記録の手帳 公式戦出場全選手個人成績 2002年プロ野球ペナントレース総括 6位 オリックス・ブルーウェーブ」より。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]